マーサズ・ヴィンヤード島に、なぜろう者が多かったのか
アメリカのマーサズ・ヴィンヤード島では、耳の聞こえる聴者も、耳の聞こえないろう者も手話を使い、ろう者への偏見やハンディキャップがほとんど存在しなかったとされます。前回はこの島を、ろう者と聴者が対等に暮らす「理想郷」として紹介していました。
マーサズ・ヴィンヤード島でろう者と聴者が対等だった理由として、水野さんはろう者の割合の多さを挙げていました。堀元さんの記憶では、150人に1人ほどの割合です。今回はまず、そもそもなぜ島にろう者が多かったのかという問いから始まります。
多分島ってことは遺伝的要因だと思うんですよ。
狭いコミュニティで血縁関係が結ばれ続けるから、その島の中で聾になりやすい遺伝子みたいなのがいっぱいあったとしたら、(島で)聾の人が生まれるのって自然な感じするよね。
水野さんによると、堀元さんの推測はまさに正解です。島には17世紀にイギリスのケント州から人々が移住し、何世代にもわたって10〜12家族ほどの共同体で暮らしていました。判明している結婚のうち約10%が共同体内の結婚で、かなり高密度な族内婚 ── 同じ集団や共同体の内部で結婚相手を選ぶ慣習。集団が小さいほど、特定の遺伝的特徴が受け継がれやすくなりますだったといいます。
著者は、最初の入植者がろうの遺伝子を持っていて、家族同士が何度も関係し合った結果、ろうの特性が島の人々に現れた可能性が高いと指摘しています。先天性の難聴は潜性遺伝 ── 両親から受け継いだ一対の遺伝子の両方に変異がある場合にだけ形質が現れる遺伝形式。かつては「劣性遺伝」と呼ばれていましたであり、両親から受け継いだ遺伝子の両方に変異があるときだけ現れます。
潜性遺伝の仕組みを確かめるため、2人は高校生物で習ったメンデルの法則をおさらいします。丸いエンドウ豆を「A」、シワのエンドウ豆を「a」とし、aが2つそろったときだけシワになるという例です。
不思議だよね、これ。第一世代では(シワ型に)似てるやつ全くいなかったのに、第二世代になると急に出てくるっていう状態ですね。
メンデルの法則によれば、先天性の難聴は潜性遺伝なので、広い地域の人と結婚していれば聴者の割合が多くなります。一方、マーサズ・ヴィンヤード島は島であり、一部の集落で族内婚が繰り返された結果、本土よりも圧倒的にろう者の比率が高くなりました。実際に特定の家系にだけ頻出していることも、本の第3章に詳しく書かれているそうです。
避暑客が持ち込んだ「ろうは恥ずべき汚点」という視点
ろう者と聴者が互いの違いを意識せずに暮らしていたマーサズ・ヴィンヤード島の秩序は、20世紀になると一気に乱れ始めます。きっかけは、避暑地として島の外から大勢の人が来るようになったことでした。
聾って恥ずべき汚点では?っていう島の中に一切なかった感覚を外の人が持ち込んだんですね。
わー、皮肉なもんだね、これね。そこの閉じた境内では平和にみんなやれてたのに、余計な価値観インストールしに来たんだ。
水野さんによると、メンデルの法則が見つかる前、先天的な遺伝の発現は神の意思、父親の罪、母親の心理的ストレスなどで説明されていました。そのため島の人々は悪徳の事例として扱われたり、未開人扱いする論文が出されたりしたといいます。
堀元さんが「優生思想の感じ」と反応すると、水野さんは、遺伝の法則が見つかった後に優生思想 ── 遺伝的に「優れた」形質を残し「劣った」形質を減らすべきだとする考え方。20世紀前半に各国で断種政策などを正当化し、現在は否定されていますが魔改造され、暴走していった時期だと説明します。船などの交通の発達で島へ簡単に行けるようになったことも重なりました。
島の人たちは、よそから来た人がろうの発生率の高さに関心を持つこと自体に心底驚いたそうです。著者が「この島は発生率が異常に高い」と伝えると、ほとんどの島民は気づいていませんでした。学生時代にボストンで暮らし、ろうの人に全然会わないと感じて気づいた人がいた程度です。
だって友達150人に1人ぐらい身長193センチとかの人いるもんね。
さらにひどいことも起きます。毎年避暑に来るだけの人がタウンミーティングで「ろうの人に議決権や投票権を与えているのか」と質問し、優生学者は「ろう者はむやみに結婚すべきではない」という論文を発表しました。ろう者の中には不妊手術を施された人もいたといいます。
邪悪すぎるな。
こうした状況を見て、島の若者は本土に行きたがるようになります。英語を話せるほうが有利で、避暑客のほうがお金を持っているため、島の外に憧れたのです。若者はろう者に目を向けなくなり、手話を覚えようとする人も減りました。
若者が島の外で結婚すると族内婚のパターンが開かれ、島で先天性のろう者が生まれる率も下がります。水野さんは、マーサズ・ヴィンヤード島の崩壊の流れを次のように整理しています。
外から人が来る
20世紀に避暑客が増え、交通の発達で島へ行きやすくなる
視点が持ち込まれる
「ろうは恥ずべき汚点」という、島になかった見方が広がる
若者が離れる
英語や本土に憧れ、ろう者に目を向けず手話を覚えなくなる
ろう者自体が減る
外との婚姻で遺伝性のろうの発生率も下がる
堀元さんは「外から来る船を受け入れるといいことがないから鎖国しよう」と冗談を言い、水野さんに「近世の日本やな」と返されます。鎖国していた江戸時代でもキリスト教を信じる人はいた、というツッコミまで続きました。
1952年、島の手話はほぼ消えた
水野さんが「もっと胸糞悪いこと」として明かしたのは、マーサズ・ヴィンヤード島の手話がすでに消えているという事実です。1952年には最後の遺伝性のろう者が亡くなり、島の先天性のろうの発生率はほぼゼロになったと本には書かれています。
『みんなが手話で話した島』が書かれたのは1988年で、当時は、みんなが手話で話していた頃を覚えている高齢の住民がまだいました。手話そのものは、現在ではほぼ話されていないといいます。
外から自分の価値観で。島のカルチャーをジャッジする人間によって(理想郷は)壊されるんですよ。
堀元さんは、詐欺集団を追うNetflixドキュメンタリーの後味の悪い結末を見終えたような気持ちだと表現します。水野さんによると、こうした事実はほとんど知られておらず、本も絶版で、ハヤカワが文庫化するまでは手話研究者の間でしか知られていなかったそうです。
堀元さんは感謝のあまり「ハヤカワに税金から助成金を」と言い出し、毎月2万円ほどハヤカワの本を買っているのは「ハヤカワ税」だと続けます。水野さんは、この島の話は誰にとっても無縁ではなく、今の人が知るべき観点が多い本だと勧めます。
手話話者の国をつくろうとした計画はなぜうまくいかなかった?
水野さんは、手話話者だけが集まる国をつくろうとした例があると紹介します。いわば人工的にマーサズ・ヴィンヤード島のような環境を生み出す試みです。
堀元さんは「外との架け橋になる人が少なく、物資が得られず挫折した」と予想しますが、水野さんによると答えはもっとシンプルで、遺伝の法則に関わります。ろう者の両親から生まれた子どももろうになる確率は、水野さんの記憶ではおよそ10%ほどだそうです。
難聴とか聾に関わる遺伝子ってめっちゃ種類あるんですよ。
両親がまったく同じ遺伝子を持っていないと、子どもにはろうが発現しないことがあります。その結果、およそ9割は聞こえる子どもが生まれ、世界中からろう者を集めて国をつくっても、ろう者の国を保てなかったといいます。狭い地域で同じ遺伝子を共有していた村落手話の環境とは、そこが違いました。
水野さんは逆のケースとして、聴者の家族にろうの子どもが生まれ、家族の会話に参加できず疎外感を覚える状態を「ディナーテーブル症候群」と呼ぶことも紹介しました。
ここから水野さんは、社会に音声言語が多い理由について考えます。水野さんは、音声言語が主流なのは、優れているからではなく遺伝のせいではないか、と話します。聞こえることが顕性形質だったというだけで、もし逆なら音声言語中心にはならなかっただろう、という見立てです。
水野さんはもう1つの例として、ギャローデット大学 ── アメリカ・ワシントンD.C.にある、ろう者・難聴者のための大学。授業は主にアメリカ手話で行われ、手話言語研究でも知られていますを挙げます。先生がうっかり音声の英語で話すと注意される大学で、手話が上達していない先生が音声で話したために、ろうの学生が授業を拒否した例もあったそうです。
堀元さんは、楽天が社内公用語を英語にしたのに陰で日本語が飛び交っていたという噂に触れます。水野さんもロンドン留学中に日本人の友人と日本語で話していたことを明かし、言語を強制する難しさで2人は笑い合いました。
理想郷はフィクションじゃなかった
水野さんが本から得た1つ目のインサイトは、マーサズ・ヴィンヤード島の約300年の歴史が「偶然起きた社会実験」と言える点です。一定の割合でろう者がいるコミュニティで暮らすよう人に強制することはできないため、今から再現することは不可能です。
聾者と聴者が対等に接するということと、耳が聞こえるか否かっていうのがハンディキャップにならない(ことが)、社会の初期条件によっては現実に起こり得るんだっていう。
水野さんが強調するのは、マーサズ・ヴィンヤード島の平等が教育やモラルや国家の指示によるものではなく、誰もが自然に暮らした結果だったという点です。そして島の平等を壊したのは、大げさに言えば耳が聞こえる「我々のような人たち」だったと水野さんは話します。
水野さんは、進化論を持ち出して「聞こえるほうが自然」と擁護する議論にも疑問を向けます。健常と障害の区分は、生まれ落ちた社会が事後的に生み出しているのではないか、というのがこの島の例から見える主張です。
堀元さんは、この考え方をこれまで「きれいごと」と感じていたものの、最近やっと腹落ちしたと語ります。例に挙げたのは、自分の足の遅さです。
僕例えば走るの遅いんですけど、それすごい嫌だったの小学生の頃。でも今大人になってマジで何とも思ってないのよ。
だからそれって小学校っていう環境が作り出していた、まあ言うたら障害じゃない。
水野さんは、堀元さんの一般化には良い示唆があるとしつつ、耳が聞こえない人は努力しても聞こえるようにならない点に注意を促します。外国語の学習なら互いに学び合って対等になれても、ろう者に音声言語の習得を求めるのは、スタートから不平等だという指摘です。
堀元さんは補足として、嫌だったのは足の遅さそのものではなく、人前で走らされて笑われ、蔑まれることだったと振り返ります。足が遅い人を笑わない社会はつくれるという意味で、障害は社会のデザインによってつくられるのだと、今になって腹落ちしているそうです。
堀元さんにとって大きかったのは、こうした社会が小説の中の理想ではなく、現実に存在したことでした。水野さんが前回、この島を舞台にした小説を導入に使ったのも「フィクションじゃない」ことを伝えたかったからだといいます。
できてるっていう知識あると、俄然俺、デジタル民主主義に興味持って、そこからデジタル民主主義について調べ続けたから、1週間。
堀元さんが思い出したのは、以前紹介した本『PLURALITY』です。デジタル民主主義をきれいごとだと思っていたところ、台湾で実現した事例が書かれていて、一気に関心が高まったと話します。
水野さんは、島の中では当たり前すぎてニュースにも記録にもならなかった事実を、島民へのインタビューですくい取り実証したのが著者のグロースグロースだと強調します。水野さんは、文化人類学者であるグロースの仕事に敬意を表すべきだと語りました。
堀元さんの人生を変えた「統計的差別」とは?
堀元さんは、20代後半に人生を変えた知識として「統計的差別 ── 個人の能力ではなく、属する集団の統計的な傾向をもとに不利な扱いをすること。個々の判断が合理的に見えても、結果として特定の人々に不当な不利益を生みます」という言葉を挙げます。たとえば「女性は妊娠などで離職する確率が高いから、この人は採用しない」という意思決定です。
採用の判断は企業の目線では合理的に見えます。堀元さんは各人が資本主義のゲームを合理的にプレイすべきだと考えていましたが、その結果として人が不当な不利益を被るのは市場の失敗だと気づいたといいます。
統計的事実
ある集団の離職率が高いというデータがある
合理的な判断
企業が離職しそうな集団の人を採用しない
個人の不利益
能力で合格点を出しても、自分ではどうにもならない理由で機会を奪われる
是正策
アファーマティブ・アクションで介入する
めちゃくちゃ能力で戦ってきて、そこに到達できる合格点を出したのに、僕の力ではどうにもならない統計的差別でチャンスを奪われるのは暴力すぎるなと思って。
水野さんは統計的差別という言葉を知らず、合理的な判断を差別と捉えるロジックに名前があったことですっきりしたと話します。堀元さんによると、この概念はフェミニズムなどで考察されているそうです。
堀元さんは、統計的差別の中にいる人に公平な競争をさせるには、女性枠のようなアファーマティブ・アクション ── 放っておくと是正されない格差に対し、制度的に介入して機会の平等を図る積極的是正策。入試や採用での優先枠などが代表例ですがむしろ必要だと、この言葉で初めて納得したといいます。
食肉加工場の職員が語った「僕だって差別しますよ」
水野さんは、会社の研修で食肉加工場で働く方の話を聞いた経験を話します。食肉加工場で働く人は現代でも差別されており、結婚の際に相手方から反対されたり、職場に誹謗中傷のFAXが届いたりすることがあるといいます。
その職員の方は差別があると知らずに働き始め、結婚の際にも障壁があったそうです。それでも職員の方は「僕だって差別しますよ」と話し、自宅の近くにゴミ処理場ができたら嫌だと思う、と続けたといいます。
職員の方が大事にしていたのは、差別的な感情が湧くこと自体は否定せず、差別の歴史を知ったうえで理性でキャンセルすることでした。見学に来た子どもが「キモい」と言うのも、人間が素直に持つ感情だという受け止め方です。
水野さんはその先を考えました。理性でキャンセルすればよいなら、全員があらゆる差別について学べば解決するはずですが、ジェンダー、セクシュアルマイノリティ、職業、出身地まで幅広く学ぶのは現実的ではないと水野さんは感じたといいます。
水野さんは、関心を資源と見なす経済学者のモデルを持ち出します。関心の総量には個人差があり、余裕のない人は食費や光熱費のように生活に必要なものへ関心を使います。差別について知るべきだという指摘は正しくても、野菜の安売り情報や面白い動画のほうが優先されてしまうのです。
水野さん自身も、手話の回は依頼を受けて初めて調べ始めたといいます。監修の先生からは、手話通訳をつけたいと申し出た際に、同時通訳のハードルの高さや、なぜ聴者側が手話話者に負担を強いる形になるのかを考えるべきだと指摘されたそうです。
ギャランティーを考えて通訳をつけないという判断も、合理的な判断に見えます。堀元さんは「さっきの(統計的差別の話と)全く一緒だわ」と反応し、水野さんも今思えば問題があったと振り返ります。
統計的差別っていうことを学んだ後に思ったのは、俺悪いことしてんなってせめて分かっておこうって思ったんですよ。
でもそれ(統計的差別)を何が悪いの?っていう顔してるのが最悪だなと思って。
堀元さんは、体力のない企業が離職の可能性の高い人を雇えない判断は、悪くても仕方ないときがあると認めます。そのうえで、良くない判断だと自覚して選ぶべきだと語り、水野さんも手話回への批判はごもっともだと受け止めたいと話しました。
教育は「関心のパターナリズム」なのか
水野さんは、自分も放っておけば手話を学ばなかった以上、他人に「差別の構造を勉強してください」と言える立場にないと考えました。そこでたどり着いたのが、教育の捉え直しです。
大人は関心を自由に消費しており、大人になってから関心のテコ入れをするのは難しいと水野さんは言います。だからこそ教育とは、すぐには役に立たなくても、大人になってからは学び直しにくいものを大人たちが話し合って先に置いておくことだ、という考えです。
堀元さんは、YouTubeチャンネル「社會部部長」の動画でも同じテーマが扱われていたと興奮気味に紹介します。学校の授業がもし面白ければ塾や社会人講座のように市場で成立するはずで、市場ではケアできない「つまらないもの」を教えるために学校がある、という視点です。
(その視点に)視点やなって見ながら家で一人で叫んでしまった。湯沸かしながら皿洗いしながら見てたのよ。
水野さんは、被差別部落について学校の授業で習ったことが今も効いていると話します。堀元さんも、小学校の特別授業でろうの方の話を聞いたことを思い出しました。
堀元さんの記憶では、その方は自分では聞こえないものの、発話を特訓して話せるようになった人で、発音のせいでいじめや差別を受けてきたと語っていました。水野さんは、ろう学校では手話を教えず、音声言語の習得を目指す時期が長く続いていたと補足します。
当時の僕はふーんって思ってたんですよ。子供にね、響かん。
今日の話聞きながら、あの人そういうことだったんだなっていうのをめっちゃ思ったから。植えといてくれてありがとう。
水野さんは、当時の授業を「接地待ちの記号」と表現しました。役に立たないことではなく、役に立つ日が来ることを学校は教えていると思いたい、と水野さんは話します。
最後に次回予告として、マーサズ・ヴィンヤード島は「我々のすぐ近く」にもあったという話をすると告げられ、シリーズ最終回へ続きます。
まとめ
マーサズ・ヴィンヤード島は、族内婚によってろう者の多い共同体が生まれ、誰もが手話を使う対等な社会が自然に成立した場所でした。しかし外から持ち込まれた偏見と若者の流出によって、その社会は崩れていきました。2人はそこから、障害は社会がつくるという視点、統計的差別への自覚、そして関心のパターナリズムとしての教育の価値を引き出しています。
- 島にろう者が多かったのは、狭い共同体での族内婚と、先天性難聴が潜性遺伝であることによる
- 20世紀に避暑客が偏見を持ち込み、若者が手話から離れ、1952年に最後の遺伝性のろう者が亡くなった
- ろう者と聴者が対等に暮らす社会がフィクションではなく実在したことが、この本の最大の衝撃とされる
- 合理的な判断が生む統計的差別には、少なくとも「悪いことをしている」という自覚を持つべきだと堀元さんは語る
- 教育は、大人になってからは向けにくい関心を先に植えておく「関心のパターナリズム」だと水野さんは捉えた




