なぜ今、村づくりの黒歴史を掘り返すのか
堀元さんはかつて、千葉で「月額会員制村づくりサービス」を運営していました。サービスの名前は「あの村」です。
村づくりの話は、ゆる言語学ラジオでも5年間、断片的に何度も出てきました。ただ、体系的にまとめて話したことは一度もなかったと堀元さんは言います。
ただ、これ(村づくりの話)断片的にいっぱい出てくるだけで、体系的にまとめて喋ったこと一回もないんですよね。
うん。誰も知りたがってなさそうですよ。
今回のゲストは、あの村の副村長だった人物です。堀元さんの当時の相方で、2人は喧嘩別れに近い形で別れ、それ以来会っていませんでした。
だから副村長と僕、本当に今日7年半ぶりにマジでここで再会します。
収録にあたって楽屋は分けられ、堀元さんは副村長と事前打ち合わせをしていません。台本は、現在の相方である水野さんが副村長と話したうえで構成しました。
堀元さんはこの形式を「僕のことを知り尽くした現相方がキュレーションする元相方との対談」と表現しています。一方で、水野さんから「反論したくなったらしてください」と言われたことに怯えてもいました。
イベントの後半は、副村長が退場したあと、堀元さんと水野さんの2人だけで話す構成です。村づくりがゆる言語学ラジオにつながっていたという話が予告されています。
竹を捨て、ホームセンターの木へ。「平ら」と戦った家づくり
登場した元副村長は、ナナシロさんです。現在はホラー系のYouTubeチャンネル「七四六家」を運営しています。
堀元さんは、村を作って喧嘩別れした2人が、最終的にどちらもYouTubeをやっている状態だと笑いを取りました。
スライドで最初に紹介されたのは、ナナシロさんが初めて参加したワークショップの写真です。2泊3日で家を建てる予定でしたが、ナナシロさんは穴を掘るのが面白くなり、ずっと穴を掘っていたといいます。
あの村では、燃料はすべて竹でした。夜に外を散歩するときも、竹を燃やして灯りにしていたそうです。
家づくりも、当初は村の竹林から切り出した竹で作ろうとしていました。しかし試行錯誤の末、その竹はすべて捨てられます。代わりに使ったのは、ホームセンターで買ってきた木材でした。
村の竹林から切ってきた竹で家を作ろうとした
竹をすべて捨て、ホームセンターで買った平らな木材で建てた
村づくりの経験から語られたのは、「平ら」のありがたさです。自然界には平らなものがないため、木材がただ平らであるだけで感動したといいます。
平らなことないですもん、自然界。
家づくりで一番大変だったのも、木を組む工程ではありませんでした。下の地面を平らにする工程に1週間かかったそうです。
地面をならしていたメンバーのゴリさんは、「気づけば俺、水平のことばっかり考えてる」という名言を残しました。
完成した家には外壁がなく、屋根も防水シートが1枚敷かれているだけでした。雨漏りもしていましたが、「上がじんわり茶色くなる」程度なら暮らせたそうです。この状態で住み始めました。
村にあるものだけで生き残る、サバイバル生活の結末
住み始めてすぐに、村にあるものだけを食べて生き残るサバイバル生活に挑戦しました。期間は3日間ほどで、様子はFacebookでライブ配信されていたといいます。
皿に並んでいたのは、その辺に生えていたオオバコ ── 道端や空き地によく生える多年草。若い葉は食用にでき、野草料理の定番として知られていますと、炒めたたけのこ、フキでした。オオバコが一番手軽に取れる「主力」だったそうです。
タンパク源は、沢ガニとカタツムリの素揚げです。村に住んでいた頃の堀元さんは、中盤からその辺の草を適当に食べるようになりました。そのため、謎の蕁麻疹がよく出たともいいます。
当然ながら、この食事ではお腹が膨れません。ライブ配信の冒頭から、堀元さんはほとんど声が出ていませんでした。栄養失調を起こしていたといいます。
サバイバル生活のルールでは、食材は取れたものだけで、調味料は使ってよいことになっていました。堀元さんはこれをルールの範囲内だと考え、砂糖を食べ続けます。
調味料は使ってよくて、食材は取れたものしかダメっていうルールにしてたから、僕はこれ(ルール)の範囲内だと思って砂糖を食べ続ける。
それでも体調は良くならず、堀元さんは挑戦を一旦断念して東京の家に帰りました。
崩落した道と軽トラ脱輪事件、15万円の救出劇
あの村から山を下りるには、30分弱かかりました。しかも村の入り口の道は崩落していて、看板には「崩落しております」と書かれていたそうです。
そうなんですよ。地方自治体が見放した道だったんですよ。
その道を通り続けた結果、軽トラの脱輪事件が起きます。大きな重機は入れない場所でした。そのため、土木作業用の小さな重機を2台チャーターし、左右から引っ張って立て直したといいます。
費用は、重機2台のレンタル料と、オペレーター2人・監督1人の人件費で、合わせて15万円ほどかかりました。この軽トラは、友人から15万円で買ったものでした。
実はプロに頼む前に、2人は自力で引き上げようとしていました。近くの木にフックをかけ、滑車の力で引っ張る手動ウィンチ ── ワイヤーやロープを巻き取って重いものを引き寄せる機材。手でハンドルを回す手動式と、電動式がありますを使ったのです。
ところが、支えにしていた木が折れました。その反動で飛んできたウィンチがナナシロさんの足に当たり、大けがを負ったといいます。
ヤギのシロミの死、そして村は森へ還った
村では、シロミという名前のヤギを飼っていました。みんなで可愛がる村のアイドル的存在でしたが、色々あって亡くなってしまいます。
堀元さんの説明では、このヤギの死をきっかけに、ナナシロさんが怒って村を去りました。
僕はヤギと七四六(ナナシロさん)を同時に失った。
ナナシロさんが離脱したあとも、堀元さんはさらに9ヶ月ほど村を続けました。1年住んだ頃には、小屋に外壁と屋根ができていました。物置小屋やキッチン兼焚き火場も作られ、奥の方まで土地が開拓されていたといいます。
その後、堀元さんは事業売却を呼びかけます。連続起業家の家入一真 ── クラウドファンディングサービスCAMPFIREの創業者として知られる起業家。多くの事業を立ち上げてきましたさんがノリで買ったものの、村は放置されました。7年半が経った現在、あの村は森に戻りつつあります。
ゆる民俗学ラジオの黒川さんは、この村の跡地にフィールドワークに行きました。堀元さんによれば、黒川さんは「ここにはかつて村を作ろうとした人たちの息吹があります」と感動していたそうです。
7年半すれ違っていた、副村長が村を去った本当の理由
ここから水野さんが司会を引き取り、核心に入ります。オープンから3ヶ月でナナシロさんが村を去った理由を、堀元さんはどう考えているのかという問いです。
堀元さんの認識は、村暮らしのストレスが積み重なり、可愛がっていたヤギの死が決定打になったというものでした。しかしナナシロさんは、「そういう面もあるけど」と、それが核心ではないことをにおわせます。
ナナシロさんが挙げたのは、環境ではなく堀元さん自身の振る舞いでした。堀元さんは、出来事をすぐ物語として世の中に発表し、「大変だったんですよ」と演出する、というのです。
ナナシロさんは、自分は人に対して感情的になりやすいタイプだと話します。そのうえで、当時の堀元さんからは「人に対してリスペクトがない」と感じてしまったといいます。
たとえば当時のnoteには、ナナシロさんが村を崩壊させた人のように扱われる書き方がされていました。主力メンバーが抜けて大変だったという話が、堀元さんの視点だけで書かれていたそうです。ナナシロさんには何の連絡もないまま、次の話へ進んでいるように見えたといいます。ゴリさんが抜けたときも同じだったそうです。
村暮らしのストレスの積み重ねと、ヤギの死が決定打になった
出来事を自分の視点だけで物語として発信し、演出する堀元さんの姿勢に、人へのリスペクトのなさを感じた
ナナシロさんは、今回の再会の仕方にも同じ傾向を見ています。事前に電話の1本でもすればいいのに、ステージで再会させようとするのは演出至上すぎるという指摘です。
ここで再会したらエモいかなって思って。
さらにナナシロさんは、面白さや夢は語るのに「しんどい」とは言わない点も挙げました。堀元さんはこの指摘をあっさり認めます。
水野さんに「本当のところで心を許していなかったのか」と聞かれると、堀元さんは「そうかも」と答えています。
僕、心許すの苦手なんですよね。人に。
当時は毎週ミーティングをし、クラウドファンディングのリターンを2人で手分けして送っていました。堀元さんはその頃を「青春だった」と振り返ります。ナナシロさんは、それなら意見が食い違ったときに向き合ってほしかったと話しました。「ナナシロさんの意見は分かりました」と流されてしまったというのです。
サッカー部への反論から、ぎこちない和解へ
ここで堀元さんは「せっかくなので」と言い返します。矛先は、ナナシロさんがサッカー部出身であることでした。
やっぱサッカー部のやつって激論交わしてふざけんなよつって胸ぐら掴むことがいいと思ってるじゃないですか。
会場の笑いを誘う脱線を挟みつつ、話しているうちに、ナナシロさん自身もブーメランが返ってきていると認めます。堀元さんも、ナナシロさんのほうも辛いところを見せていなかったのではないかと問い返しました。
最後は、堀元さんが「それは悪かったよ、俺が」と謝ります。どこかぎこちないやり取りのまま、7年半越しの答え合わせは幕を閉じました。
まとめ
あの村の思い出は、竹の家、砂糖で乗り切ろうとしたサバイバル、15万円の軽トラ救出など、笑える失敗談の連続でした。しかし、7年半越しに明かされた離脱の理由は、ヤギの死ではありませんでした。堀元さんの、出来事を演出して発信し、しんどさを見せない姿勢だったのです。
- あの村の家は竹で作ろうとして断念し、ホームセンターの平らな木材で建てられた
- サバイバル生活は栄養失調で中断し、軽トラ脱輪では15万円の軽トラに約15万円の救出費がかかった
- 堀元さんはヤギの死が離脱の決定打だと思っていたが、ナナシロさんの理由は別にあった
- ナナシロさんは、自分の視点だけで物語を発信する堀元さんの姿勢に、人へのリスペクトのなさを感じていた
- 堀元さんは「演出至上」の指摘を認め、最後はぎこちなく謝って和解した




