海も牛も羊も、ホメロスの詩では何色だった?
今回のゆる言語学ラジオは、水野さんの問いから始まります。昔の人類は現代人と同じ色覚を持っていたのか。堀元さんは「それはそうでしょ」と即答しますが、実はそれが疑われた時代があったといいます。
水野さんによれば、疑いを生んだ「主犯」は古代ギリシャの詩人ホメロスです。ホメロスの詩の色の使い方が、古代人の色覚は現代人と違ったのではないかという説を生んだのだそうです。
この回は、水野さんが以前から予告していた「色シリーズ」の初回でもあります。水野さんは、言語学の歴史を彩り発展させたのは色の語彙であり、そこから画期的な研究や発見が生まれてきたと説明します。
実はですね、この言語学の歴史を彩って、そして発展させたのって色なんですよ。
ホメロスの詩で、海は「ワイン色」と形容されています。堀元さんは夕焼けの時ならギリギリそう見えるかもしれないと弁護しますが、ホメロスは同じワイン色を牛にも使っていました。
あ、ちょっと弁護の余地ないぞ。牛は無理よ。
ホメロスの詩の不思議な色はほかにもあります。スミレ色は海に使われ、羊は「美しくて大きくて厚いスミレ色の毛に覆われ」と描かれ、鉄もスミレ色と形容されます。
緑を意味するクローロス ── 古代ギリシャ語で緑系の色を表す語。現代語の「緑」とは範囲が一致せず、淡い色や生気のある状態にも使われたとされますという語は、恐怖で青ざめた顔、折ったばかりの小枝、キュクロプス ── ギリシャ神話に登場する一つ目の巨人。『オデュッセイア』では主人公一行を洞窟に閉じ込める怪物として描かれますが持つオリーブの木のこん棒、そして蜂蜜にまで使われています。
水野さんはホメロスの肩を持つ「古代ギリシャ人」を演じ、週末にワイン色の海とワイン色の牛、スミレ色の羊を見てきたとボケ続けます。堀元さんは「白いよ、羊は」とツッコミを入れます。
白と黒ばかりで、青がない?ホメロスの色彩語彙
ホメロスには、何色と一語で言い切れない色彩語もあります。「燃えるような」という意味のアイトーンは、灰っぽい時にも赤っぽい時にもオレンジっぽい時にも使われ、馬や獅子や牛の形容にもなるといいます。
さらにややこしいのが、ホメロスの詩に出てくる色彩語の頻度です。水野さんが挙げた数字を並べると、白と黒が圧倒的に多いことがわかります。
水野さんによれば、黄色も10回そこそこ、スミレ色は6回で、ほかの色は6回にも満たないそうです。青にあたる語は一切見当たりません。
後の時代には青を意味する語が登場しますが、ホメロスにとってその語は「暗い」「黒っぽい」という意味しかなかったとされているといいます。オレンジやピンクも出てこないそうです。
確かにそれ聞いたらさ、古代ギリシャ人、俺たちと目違ったんじゃね?って気してくるね。
堀元さんは、蜂には人間の可視光が白黒にしか見えないという話を引き合いに出し、古代ギリシャ人もそうだったのではと想像します。
ホメロス一人の癖ではなかった?
水野さんは、ホメロスの色の使い方がホメロス個人の問題ではない点を強調します。もしホメロスだけが例外的な色の使い方をしていたなら、その描写は耳障りで、後に訂正されていたと考えられるからです。
しかもホメロスは実在の一人の詩人ではなかったという説もあるそうです。水野さんは、複数人が一つの名前で活動しているとされるバンクシー ── イギリスを拠点に活動する正体不明のストリートアーティスト。素性が公表されておらず、複数人説も語られてきましたにたとえます。
水野さんの説明では、『イリアス』や『オデュッセイア』は、大勢の詩人が各地で歌い継ぎ、付け加えていった民話のようなものだという説があります。もしそうなら、大人数が関わったのに色の語彙が直されていないのは余計に変だということになります。
だって絶対直すもんね。誰かが。海ワイン色なの変じゃね?ってなって、青にしちゃおうってなるもんな。
さらに、ホメロスより数世紀後の古代ギリシャ人の作品にも同じ特徴が残っていたそうです。少なくともその時代の人々にとって、海をワイン色と呼び、それを牛にも当てはめることに違和感はなかったと言えそうだと、水野さんはまとめます。
英国首相グラッドストンが唱えた「古代ギリシャ人の色覚」説
このホメロスの色の謎に目をつけたのが、1809年から1898年を生きたイギリスの首相ウィリアム・グラッドストンです。高校の世界史で習う人物ですが、野党時代にホメロスを熱心に研究していました。
グラッドストンは1858年に『ホメロスおよびホメロスの時代研究』を出版しました。1700ページ強におよぶ超大作で、その第3巻が「ホメロスの色彩感覚と色の使い方」という章にあたります。
グラッドストンの主張をシンプルに言うと、古代ギリシャ人は全体として多数派ではない色覚特性を持っていた、というものです。色への感受性は、歴史的に見れば比較的最近になって得た能力ではないかと示唆しています。
最初は明るいか暗いかしか見えていなかったと考えれば、ホメロスの詩が白と黒をやたらと使い、赤などをあまり使わないことも説明できる、というのがグラッドストンの理屈です。
面白いから。古代ギリシャ人は色がほとんどわかってなかった。
でもそれはその議論をした上で正しいかどうかを判定するので、面白いかどうかで判定したらまずいじゃないですか。
グラッドストンは、なぜホメロスより前に色の知覚能力が上がらなかったのかも考えていました。その答えは、絵の具や染料の発明によって、人が人工的に色を操作できるようになったからというものです。
グラッドストンによれば、ホメロスの時代は染色技術が登場したばかりでした。青い染料は人工的に作るのが難しく、青い花も稀だったため、青を知覚できなくても困らなかったのではないかというわけです。
青い物が身近にない
青い染料は作りにくく、青い花も稀だった
色を操作する技術が未発達
染色技術は登場したばかりだった
色の知覚が発達していない
明るいか暗いかが中心の感覚だった
詩の色彩語が偏る
白と黒ばかりで、青がない
色を見分けるというのは先天的な感覚ではなく技術なんだということをグラッドストンは言ったわけですね。
「シンバルと管楽器の響き」と酷評された理由
グラッドストンの説は、当時「妄想」と評されたといいます。直感から外れすぎていたためか、クソミソに罵倒するレビューも少なくなかったそうです。
水野さんが紹介したのは、色彩の説だけでなく著作全体を批判した、タイムズ ── 1785年創刊のイギリスの日刊紙。長い歴史を持つ代表的な高級紙の一つです紙のレビューです。レビューはグラッドストンを極端なまでに賢いと認めつつ、その賢さが「両極は相通ず」という諺の実例になっていると皮肉りました。
レビューの最後の一文では、その才能が効果を発揮せず、均衡を欠き、雑草ばかりを茂らせ、雄弁が「シンバルと管楽器の響き」にしか聞こえないとまで書かれています。
もう何喋ってもシンバルだと。楽器なんだとお前は。
二人はこのレビューを「インテリ悪口」として気に入り、この後も堀元さんのボケに対して「シンバル」「口シンバル」と呼ぶやりとりが繰り返されます。
ただ、グラッドストン説は批判されつつも、その後も同じような主張をする学者は多くいたそうです。西洋古典学界で全員がこの説を馬鹿げていると考えるようになったのは、20世紀半ばごろのことで、現代ではグラッドストン説を信じる研究者はほとんどいないといいます。
牛の品種?信号の青?堀元さんの仮説
では、なぜホメロスはこんな色の語彙を使ったのでしょうか。水野さんは、ホメロスの色彩感覚は実は現代日本にも存在しているという結論を持っていると明かし、答え合わせの前に堀元さんに考えを聞きます。
堀元さんはまず、当時の牛と海が本当にワインと同じ色だったと冗談で答えます。水野さんは「シンバル」で返しつつも、牛や海の色が当時と同じだったかは確かめるべきことだと認めます。検証の結果、海の色などは現代とそれほど変わらないようだといいます。
堀元さんの2つ目の仮説は、信号の緑を「青」と呼ぶ日本語のように、歴史的な経緯で色の語が広い範囲を指すようになったというものです。水野さんは、そうした話もあるものの、ホメロスの色彩感覚の主な原因ではないと答えます。
水野さんが次に出したヒントは「緑の黒髪」という表現です。黒い髪をなぜ緑と呼ぶのかと問われ、堀元さんは「黒すぎて逆に緑」というギャルの感性だとボケて、脱線が広がります。
「緑の黒髪」と季語はホメロスを読み解くヒント
水野さんの説明では、「緑の黒髪」の緑は、植物が緑色で成長して元気な状態を指しています。艶めいた、若々しい綺麗な黒髪を「緑の黒髪」と言うのだそうです。
植物が緑で元気みたいなぐらい、あなたの黒髪には活力がありますよっていう、色に比喩のイメージが乗っかってるよね。
水野さんは、堀元さんの説明が大筋で合っているとしたうえで、さらに一歩進めます。ホメロスの時代の色を表す言葉は、現代日本人からすれば「季語」だったという考え方です。
その準備として、水野さんは俳句の季語についてレクチャーを始めます。なぜ俳句には季語が求められるのか。堀元さんは季節を表すためだと答えますが、それなら「春」と入れればいいのでは、と水野さんは問い返します。
思ってた。春とか夏とか秋とか冬とか入れりゃいいのに、回りくどいことするなって思ってた。
水野さんによれば、季語の存在意義の一つは「コスパ」です。『AI研究者と俳人』という本の中で、俳人の大塚凱さんは季語の効率性を語っています。
たとえば秋の季語「いわし雲」は、単なる気象現象ではありません。秋の爽やかさがある一方で、アンビバレントに物思いを誘う風情も含んでいるといいます。
この「いわし雲」っていう五文字だけを織り込んでおけば、爽やかな秋なのに物思いにふけっているアンビバレントっていう句ですよ、これはっていう説明ができるんだ。
「丸善にノートを買っていわし雲」で見える季語の効率
水野さんが例に挙げたのは「丸善にノートを買っていわし雲」という句です。前提を知らなければ、丸善でノートを買って雲を見ただけの句に見えると堀元さんは言います。
しかし季語の意味を踏まえると、堀元さんには、心機一転で新しく書こうとする気持ちと、秋の心地よさの中に物思いが混ざる様子が浮かんだといいます。
水野さんは、台本の季語の解説を、俳人の岡田一実さんに確認してもらったそうです。岡田さんの解釈では、ノートには使われる未来があり、空の下の私たちにも未来が感じられます。そして丸善を出た時に見えたいわし雲に、解放感と切なさを感じるのだといいます。
岡田さんは、丸善という場所から梶井基次郎 ── 大正から昭和初期の小説家。短編『檸檬』では、主人公が丸善の書棚に檸檬を置いて立ち去る場面が知られていますの『檸檬』も読み取っています。読者も知っている景色ですよね、と呼びかける使い方なのだそうです。
水野さんは、季語はわずか5文字に複雑な感情も同時に乗せられる、とても便利なツールだとまとめます。
一方で、作者の感覚だけに頼ると季語の解釈は揺らいでしまいます。その共通認識を固めるために俳人が使うのが、季語の意味や歴史的背景、含意をまとめた歳時記 ── 俳句の季語を季節ごとに分類し、意味や用例となる句を載せた書物。俳句を詠んだり鑑賞したりする際の手引きになりますです。
岡田さんの言葉では、季語は俳句という短い詩の中の、天気をはらんだ季節のキーワードで、歳時記はそのインデックスだといいます。
俳句はZIPファイル?体験のエンコードとデコード
歳時記には、過去に詠まれた先行句が載っていることもあります。『AI研究者と俳人』では、ある句を鑑賞した人が、渚と秋という共通点だけから別の先行句の「残り香」を嗅ぎ取った例が紹介されています。
鑑賞者は、わずかな共通点から先行句を呼び出し、比べながら句を味わうということです。水野さんはここから、俳句をZIPファイルにたとえます。
『AI研究者と俳人』では、これを「エンコードとデコード」と表現しています。体験をエンコードすると俳句になり、鑑賞はそれを追体験するためにデコードすることだというわけです。
体験
作者が何かを感じる
エンコード
季語などに体験を圧縮して句にする
デコード
鑑賞者が季語や先行句を手がかりに追体験する
コンピューターサイエンス出身の堀元さんは、最初は「コーデックは何か」と厳密さを気にします。しかしそれが共著者の川村秀憲先生の言葉だと知ると、一転して「めちゃくちゃエンコードだよね」と絶賛し、笑いを誘います。
ホメロスは色彩語を季語のように使っていた?
ここで話はホメロスに戻ります。水野さんによれば、ホメロスたちは色彩語を季語のように使い、さまざまな意味を込めて詩を彩っていたのではないか、と言われています。
つまり古代ギリシャの人々は、色の語彙を視覚情報のためだけに使っていなかった可能性があります。実際の色が赤でなくても、赤が持つ心情やコンテキストが合えば赤と形容した、ということです。
真っ赤な夕焼けが出ていたみたいなのってさ、実際夕焼けでそこまで真っ赤なこと珍しいというか、あんまないだろうけど。
それの極北が海がワイン色って言っちゃうみたいな。
水野さんが紹介したのは、日本語で読めるホメロスの色彩研究『ホメロスと色彩』です。著者の斉藤先生は、地中海の海は確かにいろいろなワインの色のように濃淡があり、鮮やかに輝くこともあれば、嵐とともにくすむこともあると書いているそうです。
そのため、ホメロスは海に「何色」というラベルを貼るのではなく、ワインの色のように複雑な海の色を、そのままワイン色と形容したのではないかと考えられています。
水野さんは、赤ワインも実際には単純な赤ではないと指摘し、「赤」というラベルをはめることで色の多様性を見失っているとも言えると話します。堀元さんは、白ワインは白くない、「透明薄黄ワイン」だと笑いを重ねます。
ワインの味や酔いまで呼び起こす「ワイン色の海」
番組には、ホメロスの色彩を研究しているリスナーからも協力がありました。『ホメロスと色彩』の斉藤先生とは別の、アガバビアン・ハナさんという研究者で、向こうから連絡をくれて、台本の確認や文献の紹介をしてくれたそうです。
ハナさんによれば、「ワイン色」と聞くと、ワインの匂いや味、触覚などの五感の体験が思い浮かびます。ホメロスの詩を聞く人は、海の色を想像するというより、ワインを飲んで酔い、美味しさにうっとりする感覚まで呼び起こしたのではないかといいます。
堀元さんはこれをことわざにたとえます。「弱い犬ほどよく吠える」は、相手を犬並みだと示すニュアンスまで含んでいて、比喩に体重が乗っているというわけです。
ハナさんが挙げたもう一つの点は、ワインで酔ったときの揺れや、体を思うようにコントロールできない感覚です。そうした予測できない大きな動きは、叙事詩の海のイメージとも合っているといいます。
海って確かにね、人間が操れないものナンバーワンみたいな感じあるもんな。
水野さんは、色が多少ずれても、代わりに呼び起こされるイメージが豊かなら構わない、という「総合得点」の考え方だと説明します。
古代ギリシャ人は色覚が未発達で、海の色を正しく見分けられなかった
色彩語に色の濃淡、味、酔い、揺れなどの体験を込めて海を描いた
つまり、現代人の感覚で古代ギリシャ人を捉えようとしたから失敗したって話なんですよ、これは。
堀元さんはグラッドストンを「口シンバル」と呼びますが、水野さんは、それもまた現代人の感覚で過去を裁いていることになると返します。
色彩感覚を失ったのは現代人のほう?
「古代ギリシャ人には青がなかった」という言説について、斉藤先生は誤りだとしているそうです。むしろ現代人の方が、古代ギリシャ人と同じ感覚で青を感じ取れなくなっていると見るべきではないか、と水野さんは紹介します。
古代ギリシャの人々は、太陽なら赤、海なら青という一対一対応で色を考えていなかったといいます。
堀元さんは、藤井風さんの「青春はどどめ色」という歌詞を例に出します。青い春と書く青春を、桑の実の黒っぽい紫であるドドメ色と表現したことに、先入観からの脱却を感じたそうです。
これだからホメロスだよね。
水野さんは、ホメロスの時代の人々がワイン色に多くの情報をエンコードしたのに対し、現代人は古代ギリシャ語や文化によほど習熟しなければそれをデコードできないと話します。斉藤先生やハナさんの研究は、そのファイルを解読し、古代の人々が体感していた世界にたどり着こうとする試みだといいます。
堀元さんは、普段から「今日の海は抹茶色だな」と比喩を乗せて話せば、ギリシャの感覚に近づけるのではと提案し、最後はまた下ネタに転がって「シンバル」扱いされます。
異文化をそのまま受け取るのは、なぜ大変なのか
水野さんは『ホメロスと色彩』を、色に対する認識への挑戦のような本だと評します。この本は、古代ギリシャのある単語が日本語の何色にあたるかを全く教えてくれないそうです。
その理由は、古代ギリシャの色彩語が日本語の色と一対一で対応していないからです。水野さんは、この本を理解する大変さは異文化を理解する大変さだと話します。
それをインスタントに理解しようとすると、結局それって異文化理解じゃないじゃんっていうような示唆もあるんですね。
堀元さんは、YouTubeチャンネル「ReHacQ」のプロデューサー高橋さんが、外国人は何を考えているかわからない、見えている景色が違いすぎると語っていた話を紹介します。文化の枠組みを通して景色を見ている以上、見える景色は全部違うのでは、という素朴な実感です。
水野さんは、その実感自体に問題はないとしたうえで、怖いから排除するのではなく、複雑でも理解しようとする姿勢が大事だと話します。そうした体験をデザインした本が『ホメロスと色彩』だといいます。
聖書も色がめちゃくちゃだった?グラッドストン説の行方
水野さんは、今回の話を、ホメロスの色彩感覚が後世の研究者を惑わせ、その色彩感覚は現代日本の季語のようなものだった、とまとめます。ところが、グラッドストン説は本当にダメなのかと問い直します。
文献学者のラザルス・ガイガーは、グラッドストンの発見に興味を持ち、他の言語も調べました。するとヴェーダ ── 古代インドの宗教文献群。バラモン教の聖典で、サンスクリット語の古い形で書かれていますも空を青と表現しておらず、旧約聖書も同様だったそうです。
旧約聖書では、馬や雌牛を赤と呼び、預言者エレミヤが人々の顔が恐怖で緑色に変わるのを目にする描写もあるといいます。似た特徴は、アイスランドのサガやコーランにも共通していたそうです。
そこから、時代や地域が違う人々は色を違うように認知し、違う世界を生きているのではないかという論争が生まれました。決着のために研究者が注目したのが、現代の文化に染まっていない地域に住む人々だったといいます。
またそこでグラッドストンの主張が実は部分的に真理をついていたという話が出てきたりするんですよね。
次回は、色の語彙から人間の認知に迫る予定です。水野さんは続きが気になる人に、言語と認知の関わりを描いた『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』を勧め、ホメロスについては『ホメロスと色彩』、俳句については『AI研究者と俳人』を挙げています。
まとめ
ホメロスの「ワイン色の海」は、古代人の色覚が未発達だったというグラッドストン説を生みましたが、現在では、色彩語に体験やイメージを込める季語のような使い方だったと読む見方が紹介されました。一方で、他の古典にも同じ特徴があることから、色と認知をめぐる議論は次回へ続きます。
- ホメロスの詩では海も牛もワイン色、羊や鉄はスミレ色と形容され、青にあたる語が見当たらない
- 英国首相グラッドストンは古代ギリシャ人の色覚が未発達だったと唱えたが、酷評され現代ではほぼ支持されていない
- 季語が5文字に複雑な感情を乗せるように、ホメロスは色彩語に味や酔い、揺れなどの体験を込めていた可能性がある
- 古代の色を現代の一対一の色ラベルで理解しようとすること自体が、異文化理解の難しさを示している
- 聖書やヴェーダにも似た特徴があり、グラッドストン説が部分的に真理をついていたという話は次回へ続く

