ポストイットのような偶然の発見は、色研究でも起きていた?
水野さんは冒頭で、ポストイットの誕生秘話を持ち出します。強い接着剤を作ろうとして、弱いが何度も貼り直せる接着剤ができ、それが付箋に生かされたという話です。
水野さんによると、色の研究でも似たことが起きました。ある疑問を確かめるために世界中の言語の色を調べた研究者が、そのリストを眺めているうちに、まったく別の大きな発見にたどり着いたといいます。
そんな色研究のセレンディピティみたいなことが起きたんですか?
この回は前回の続きです。前回は、ホメロスが「ワイン色の海」のような不思議な色の言葉を使っていた理由を扱い、ホメロスの色使いをめぐるグラッドストンの仮説が「ある一面では正しかった」という予告で締めくくっていました。
当時の研究者がまず試したのは、色を表す単語の語源を深く遡るというアプローチです。水野さんは例として、日本語の「紫」の語源を堀元さんに問いかけます。
水野さんが紹介した説では、紫はもともと白い花を咲かせる植物の名前で、「群がって咲く」ことに由来するといいます。花が白いのになぜ色の名前になったのかと堀元さんに詰められ、水野さんは根っこが紫色だからだと答えました。
大仰な前振りのわりに説明が詰めきれなかったことを、堀元さんは「抜かったね」と繰り返しいじります。水野さんが「引きで見ると、話者がもっとうまくなればいい」と他人事のように返し、掛け合いはこの回の最後まで続く持ちネタになりました。
引きで見るなお前なんだから。お前はお前の主観で生きてるんだから。
青は黒から生まれた?ガイガーが語源から描いた色覚の進化
日本語に比べて、インド・ヨーロッパ諸語は語源をかなり昔まで遡れます。インドヨーロッパ祖語 ── 英語、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語、サンスクリット語などの共通の祖先とされる、再構成された言語。文献は残っておらず、子孫の言語を比べて推定されていますまで戻れば、紀元前よりさらに前の時代が対象になると水野さんは説明します。
文献学者のガイガーは、英語やドイツ語など近代ヨーロッパ諸言語の「青」の語源を調べました。すると、黒を意味する語から派生したケースが多数派で、少数派は緑を意味する語から派生していたといいます。
え、黒から青出てきてんの?まずいで、そんなことしたら。
ここからガイガーは、昔のインド・ヨーロッパ語の世界では、青がまだ独立した概念ではなく、黒や緑に包み込まれていた時代があったのかもしれないと考えました。青と黒の語源的な近さは、中国語にも見られるという記述があったそうです。
堀元さんは、英語のblueとblackがどちらも「bl」で始まることに気づきます。水野さんが調べると、両者は共通のインド・ヨーロッパ祖語の語根から来ているらしいことがわかりました。
ただ、この語根はもともと「輝く」「燃える」のような意味を持っていたらしく、ギリシャ語では「白い」、ウェールズ語では「灰色」を指す語にも使われているといいます。同じパーツが黒にも青にも白にも灰色にも使われている状況に、堀元さんは「大パニックだ」と反応しました。
黄色についても、後に黄色を意味する語は「赤みがかった色」を表す語から派生していたといいます。そこでガイガーは、黄色より前の時代には黒と赤しかない二元的な状況があったのではないかと考えました。さらに遡ると、黒と赤すら合体し「色のついたもの」という曖昧な概念に行き着くそうです。
こうしてガイガーは、人類の色の知覚が決まった順序で発達し、それが世界中の文化で同じように進んだと結論づけました。
赤
最初に赤に対する感度が生まれる
黄色
続いて黄色への感度が加わる
緑
その後に緑が来る
青・紫
最後に青と紫への感度ができて完成する
堀元さんは「古代人も同じように色見えてるやろ」と疑います。水野さんも、ホメロスやインド・ヨーロッパ祖語の時代から現代までの数千年で、進化がそんな速さで進むのかという問題があると認めました。
語彙がないことと、見分けられないことは別の話だった
ガイガーの仮説を確かめようとした人たちが目をつけたのが、いわゆる未開の地の人々でした。当時は宣教師や探検家が世界各地のフィールドに出かけた時代で、彼らが現地で色覚や色の語彙の調査票を集め、送り返していたといいます。
その調査では、緑と黄色、あるいは青と緑を頻繁に混同するといった報告が寄せられました。ガイガーが語源の痕跡から導いた進化の順序に、強い証拠が得られたというムードが高まります。
ところが水野さんによると、グラッドストンとガイガーはその後「めっちゃ批判されました」。青・緑・茶・灰色といった語彙を持たない人々は大勢いた一方で、色の違いを知覚できないというデータはまったく出てこなかったからです。
語彙がないのと知覚できない、区別できないは全然別なんですね。
つまりガイガーは、色の語彙と色覚を混同して論じていたことになります。堀元さんが「黄色と緑を取り違える」という報告の中身を尋ねると、水野さんは、多くの調査が「この色って何色?」と語彙を聞く形だった可能性を挙げました。
語彙があればその言葉で覚えられるため、色の区別や記憶は強まります。堀元さんは、黄色も緑も言葉として持たない人がカードの色を翌日まで覚えておくよう言われても、思い出せずに間違えるだけかもしれないと整理しました。
水野さんは、この理屈はホメロスら古代人にも当てはまり、色の語彙がなかったとしても色はきっと区別できたはずだとまとめています。
98言語を調べたバーリンとケイは、サピア・ウォーフ仮説に何を問うた?
この流れの後に登場したのが、色の研究で必ず引かれる記念碑的な研究です。ブレント・バーリンとポール・ケイが1969年に発表した『基本の色彩語』で、水野さんは「色彩研究の金字塔」と紹介します。
『基本の色彩語』は、日本語を含む98言語を対象にしています。文献とフィールドワーカーからの情報をもとに色の語彙を調べ、そのうち20言語ではネイティブスピーカーのインフォーマント ── 言語調査で、自分の母語についてデータを提供する協力者のこと。研究者の質問に答えたり、発話の例を示したりしますがいたといいます。
調査にはマンセルカラーチャート ── 色を色相・明度・彩度の3つの軸で体系化したマンセル表色系にもとづき、少しずつ違う色の小片を並べた色見本。言語調査で色を指し示してもらうのに使われますが使われました。赤から黄、緑、青、紫、ピンクへとグラデーションが並ぶ図を見せ、「典型的な赤はどれか」という焦点色と、「どこまでが赤か」という境界線を聞いていく方法です。
堀元さんはこの話で、子どもの頃に母親を困らせた思い出を語ります。赤と朱色の典型例を教わっても納得せず、どこで切り替わるのかを知りたがったという話です。
ここからが赤だという瞬間を俺は知りたいんだって言って途方に暮れさせたことがあります。
水野さんはそれをもっともな疑問だと受け止めます。典型的な赤や朱色がわかることと、赤を朱色と呼ばない境界がわかることは、まったく別の知識だからです。
バーリンとケイの研究の出発点は、サピア・ウォーフ仮説 ── 言語が話者の思考や世界の捉え方に影響するという考え方。「決定する」とする強い仮説と、「影響する」とする弱い仮説に分けて語られますへの疑問でした。当時は、言語が思考を決定するという「強い仮説」が幅を利かせていたといいます。
強い仮説に従えば、色の語彙がバラバラな日本語話者・中国語話者・英語話者は、それぞれまったく異なる色彩世界を見ていることになります。マンセルカラーチャートで言えば、各言語の話者は好き勝手に線を引くはずです。
色の分け方は言語ごとに完全に異なり、各言語の話者はチャートに好き勝手な線を引く
焦点色はどの言語の話者もほぼ同じ場所を指し、赤と青だけをまとめて緑を飛ばすような恣意的な分け方は見つからなかった
カテゴリーの広さには言語ごとの差があるものの、まったく違う色をまとめた色彩語はなかなか見つからなかったといいます。「青と緑を区別しない言語がある」と聞くと衝撃を受けますが、冷静に調べるとそこまで違う世界ではなかったということです。
そして面白いのはここからでした。98言語の色の語彙のリストを眺めていたバーリンとケイは、「青を持つ言語は必ず赤を持っている」「2色しかない言語は白と黒しかありえない」といった奇妙な現象に気づきます。冒頭のポストイットの話は、この発見のことでした。
はい、まさに。色の派生には法則性がある。
白と黒だけの言語もある。「基本の色彩語」が現れる順番とは?
水野さんはまず、バーリンとケイが言う「基本の色彩語」の条件を説明します。1つ目は、単一の語彙素でできていることです。植物の名前を転用した「紫」は、日本語では基本の色彩語に入りません。
堀元さんが挙げた「すみれ色」「ラベンダー色」も同じ理由で外れます。水野さんは、堀元さんが自分のメンバーカラーである紫ばかり例に挙げていると指摘しました。「黄土色」は黄色で代替できるため、これも基本の色彩語ではありません。
一方、日本語の「青」や「赤」は植物に由来するわけではなさそうなので、基本の色彩語に数えられます。ほかにも、対象がごく狭く限られないことや、「色といえば」と聞かれて最初に思いつく心理的な顕著さも条件に含まれています。
ただ、語源を遡れる範囲には限りがあり、心理的な顕著さも定義が曖昧です。水野さんは、どこまでを基本の色彩語とみなすかは難しいとしながらも、その派生に法則性があるというのがバーリンとケイの主張だと紹介しました。
第1ステージは、黒と白を持つ段階です。実際に白と黒しか持たない言語として、水野さんはドゥグム・ダニ語を挙げます。明るい・眩しいという意味の語と、暗い・曇っているという意味の語の2つが、この言語の基本の色彩語です。
ダニ語では、明るさのニュアンスを持つ「白」の語で赤も指すといいます。チャートを暗い部分と明るい部分で切り分けているだけなので、赤を指せないわけではなく、水野さんは「多分不便じゃないと思います」と話しました。
第2ステージで加わるのは赤です。続く黄色と緑はどちらが先でもよく、その後に青が来ます。そのため、3色しかない言語なら黒・白・赤になり、黒・白・黄色のような組み合わせは存在しないと予測できます。
青はかっこいい色?色のイメージは文化で変わる
青の優先順位が低いという法則に、堀元さんは直感と合わないと驚きます。戦隊ものでは、ブルーはかっこいい役、イエローは三枚目の役に充てられがちだったからです。
水野さんは、そうした色のイメージは後天的な文化だと答えます。英語話者にとってのブルーは、憂鬱な気分を指すことが多く、日本語の「青」のようなかっこいいイメージはあまりないといいます。
さらに水野さんは、記憶が曖昧だと断りつつ、アメリカのデータとして、昔は男の子がピンクを好んでいたという話を紹介します。ある時期から「ピンクは女の子のもの」「男の子は青」という文化的な常識が生まれ、好みが入れ替わったというのです。
堀元さんも、子どもの頃に黄色い服を避けていた理由を振り返ります。戦隊ものの黄色が、カレーばかり食べている太ったキャラクターだったからでした。
やっぱバカにならないよね、フィクションっていうのは。
話を戻した水野さんは、バーリンとケイの研究の魅力を着眼点に見出します。大量のデータを集めることと、それを眺めて一般化することは別の才能だというのです。
その例として挙がったのが、ジャーナリストの立花隆さんの『田中角栄研究』です。不動産や会社の登記簿、政治資金収支報告書といった誰でも手に入る資料を大量に集め、机で眺め続けて田中角栄の金脈政治を暴いた仕事だと水野さんは説明します。
データを集めるのは誰にでもできても、そこから仮説を立てるアブダクション ── 観察された事実を最もうまく説明する仮説を導く推論の方法。演繹や帰納と並ぶ推論の形式として、哲学者パースが提唱しましたには別の才能が要る。水野さんは、立花さんの仕事と同じ感動をバーリンとケイの研究にも感じたと語ります。
堀元さんも、SF作家のイスカリ・ユバ先生が国土地理院のデータを使い、「一番丸い都道府県はどこか」に決着をつけたnote記事を、同じ種類の仕事として紹介しました。
例外が次々と見つかった。バーリンとケイの法則への不満
称賛の一方で、水野さんは『基本の色彩語』の問題点も挙げます。1つ目は例外が多く見つかったことで、日本語も「疑わしいケース」として登場するといいます。
日本語では、青葉や「青々と茂った葉」のように、緑を「青」と呼ぶ例があります。文献上も「青」のほうが「緑」より圧倒的に多く登場するため、緑の後に青が来るという順序と合わない可能性があるのです。
水野さんがもっとも気になったのは、基本の色彩語に茶色と橙色が入っていることでした。堀元さんも「ダイダイなんてめちゃくちゃ柑橘の果物でしょ」と、単一の語彙素という条件を満たしていないと指摘します。
背景には調査方法の限界があります。ネイティブスピーカーのインフォーマントがいたのは一部の言語だけで、サンプルの多くは文献とフィールドワークからの情報でした。
ホメロス時代の古代ギリシャ語についても、バーリンとケイは赤・白・黒・黄色の4色を持つと主張していました。しかし前回見たように、ホメロスの色彩語は、海の揺れと酔いの感覚を重ねるような、色以外の感覚を含んでいる可能性があります。灰色に近い語を黒と扱ったり、緑も指す語を黄色に分類したりもしていたといいます。
それでも水野さんは、バーリンとケイに同情できる面もあると話します。古代ギリシャ語の色を扱う難しさは、番組の二人も前回まで知らなかったことであり、たたき台としてはこうなってしまうという見方です。
その後の研究でモデルは何度も手直しされました。1975年の次の研究では、元の形を留めつつ分岐が増えるモデルに修正されます。最新の研究では、4つの大原則からすべての色彩語の発展を導くモデルになっているといいます。
水野さんは、前回にも登場した色彩語研究者のアガバビアン先生に最新モデルを解説してもらいましたが、図がどんどん複雑になっていったそうです。4原則の1つ目「partition」は、人間は渾然としたものを区別したがるという原則で、4つ目の「red」は赤は区別せよという原則です。
さらに水野さんは、partitionが適用されない言語が8%あるという事実も添えるべきだと付け加えます。正確になるほど話しにくくなる状況に、堀元さんは嘆きました。
正確になればなるほどやりづらくなるな。飲み会での雑学披露がちょっとやりづらくなっちゃって困ります。
堀元さんは、進化生物学者から「適者生存では進化を定義できない」と言われた体験も重ねます。水野さんは、学問とはそういうものだとしたうえで、手直しの過程をリアルタイムで見られているのだと捉え直しました。
ある意味でその手直しのフェーズをリアルタイムで見れているとも言えます。
このため、色彩語の古典的な研究として紹介されるときには、今でも最初のシンプルなモデルが使われることが多いといいます。
目が見えるようになった人は、どの色から言葉にしていくのか?
水野さんが調べていて面白いと感じたのは、先天的に目の見えない人が見えるようになったときに覚えていく色の語彙が、バーリンとケイの法則と「そこそこ」対応するという事実でした。完全な一致ではないため、水野さんは「そこそこ」という言い方に留めています。
開眼手術に成功しても、すぐに色のある世界が実現するわけではありません。色の名前を正確に使うには、どこまでが赤かという境界、つまり「これは赤と呼ばない」ことまで覚える必要があるからです。
子どもも同じ難しさを抱えます。赤を教わった後、赤くないものまで赤と呼ぶことがありますが、水野さんは、自分が習得中の言語がバーリンとケイの何ステージかを子どもは知らないのだから、ダニ語ならそれで正解だったかもしれないと指摘します。
何何を何とかと呼ぶの他に、これは何々とは呼ばないも覚えなきゃいけないので。
さらに、見えるようになったばかりの人は、どこからどこまでがカメラで、どこまでが机なのかといった物体の切り分けも覚えなければなりません。そのうえで、物体が宿す色彩だけを「色」と呼ぶことを理解するのは難しいと水野さんは話します。
認知・知覚心理学者の望月俊子先生は、生後10か月で失明した人が開眼手術を受けた後、色彩語を使い始めた順序を記録しています。
赤が白黒より先に来る点はモデルと逆ですが、赤・白・黒が早く、その後に緑、青が来る点はおおむね沿っています。水野さんは、モデルでは青の次が茶色なので、茶色が早いこと自体は矛盾しないと補足しました。2年後には基本の色彩語が出揃っており、認知的な裏付けとしてもそこそこ説得力があるといいます。
色の研究者である中葉ビョーン先生も、博士論文の執筆中に育てていた長女の様子をコメントで寄せています。最初は赤、次に白黒、その後に青と黄色だったそうで、望月先生の報告と同じ並びでした。
子どもの場合は発音の難しさも絡むため一概には言えないとしつつ、水野さんは、発達過程でもバーリンとケイの順序にある程度近いと言えそうだとまとめます。堀元さんは、リスナーに子どもがどの色から覚えたかをコメントしてほしいと呼びかけました。
堀元さんは、RGBでは緑が明るさに一番寄与するため、緑の優先度が高いと思っていたと話します。水野さんは、緑は色として見ると地味で暗いと返し、工学的な明るさと人間の認知が噛み合っていないことを二人で面白がりました。
認識は普遍的、言語は多様。そこに異文化理解のヒントがある
ここまでの話を、水野さんは「認識は普遍的で、言語表現は普遍的ではない」とまとめます。人間がマンセルカラーチャートをどう切り分け、どこを焦点色と感じるかは共通していて、その認識がある程度言語に反映されるから、バーリンとケイのような一般化が導けるという整理です。
水野さんはこれを嬉しいことだと言います。言語には多様性がある一方で、人間というユーザーに強く制約されてデザインされているからです。堀元さんも、ゼロから設計できるなら典型的な青と赤だけを指す「グヌ」という語を作ってもいいのに、認知の縛りがそれを許さないと応じました。
水野さんは、この構造が異文化理解に役立つと考えています。あなたの言う赤を私も赤だとわかる共通点がある一方で、ある色の範囲は母語ごとに違う。多様性と共通点の両方があることが、異なる文化の人と接するときのほどよいラインだというのです。
全く違うと全然噛み合わないってのがサピア・ウォーフの強い仮説でしたけど、そうはなってないわけだから、それは相手のことを分かり合う取っ掛かりがあるってことだと思うんで。
堀元さんは、新卒ですぐフリーランスになった人同士が、国民年金の免除という共通体験で盛り上がる話をつなげようとします。ただ、途中で着地点を見失い、「いい話に導けそうな気がしたから喋り出したんですけど、気のせいでした」と自ら認めました。
色の語彙が少ない言語は劣っているのか?未来人の「味チャート」で考える
水野さんは最後の補足として、「色の語彙が乏しい言語は劣っているのか」と問いかけます。堀元さんは、白と黒しか言えないのは制約が大きいので、劣っていると思ってしまうかもしれないと答えました。
そこで水野さんが持ち出したのが、未来の人類学者のたとえ話です。すごいテクノロジーを持つ未来人が、21世紀の日本に暮らす堀元さんを「原始時代の文化」として調査しに来たと想定します。
人類学者が持ってきたのは、マンセルカラーチャートならぬ「マンセルテイストチャート」です。2つの謎の軸で1024個の味がなだらかなグラデーションで並び、つまみ上げると味が再現されます。堀元さんは、それぞれを日本語で何と言うか答えるよう求められます。
堀元さんが使える言葉は、苦い、甘い、しょっぱい、甘じょっぱい程度です。人類学者はその語彙の乏しさや、「野いちごに似ている」のような比喩の素朴さに驚き、「この時代の日本人の味覚は発展途上だった」と結論づけるだろうと水野さんは言います。
ところが、甘いの枠の中で離れた2つの味を比べてもらうと、堀元さんはきちんと区別できます。隣り合う味でさえ、それなりに違いがわかります。語彙がないことと区別できないことは別だという、第3章の話がそのまま再現されているわけです。
いや、めっちゃ快適に今生きてるからいらないですけどね、その語彙。
水野さんは、この話をそのまま色に置き換えたのだと明かします。そのうえで、この回と、なぜ味は細かく言い分けにくいのかを扱った過去の食レポ回がつながっていたと話しました。
工学的に操作できるようになったため、現代人は細かく言い分けている
まだ工学的に操作できないため、現代人の語彙は甘い・しょっぱいのように素朴
色を工学的に操作できるレンズを持った現代人は、そうしない文化の人々に「そんな貧弱な語彙でどう生きていけるのか」と問いかけてしまっている。水野さんは、未来人から味について同じことを言われたら腹が立つはずだと続けます。
水野さんの結論は、色の語彙が乏しい言語は劣っていないというものです。その文化の人々は、手持ちの語彙で十分な生活をしているからです。
堀元さんは、未来人に聞かれたら存在しない言葉を答えて攪乱すると冗談を言います。水野さんは、文化人類学では信頼関係のないまま調査して、からかわれた回答を真に受けて調査が狂った話もあると返し、フィールドに行く前に心構えを叩き込まれるのはそのためだろうと話しました。
工学が語彙を増やす?打ち込み音楽と周波数で考える
大学で工学を学んだ堀元さんには、工学によって色の語彙が増えたという話が強く刺さったといいます。堀元さん自身、番組のサムネイルの色をRGBで厳密に指定していますが、それはパソコンを使う人だけの発想だと気づいたそうです。
俺はそのRGBで色指定しようと思ってやってるけど、他の人に言わないもんね。そんな赤色とか言うなよみたいな。#FF0000って言えよとか言ったことないもんな。
堀元さんは同じ構図が音楽にもあると話します。ギターの弦の数を「5本?」と曖昧に言って水野さんにいじられつつ、弦と弦の中間の弦はないため、楽器の音はどうしても離散的になると説明しました。
一方で打ち込みなら、632ヘルツや1543ヘルツといった任意の周波数の音を出せます。堀元さんは、楽譜は楽器の制約に縛られているので、将来は周波数で音楽を奏でるようになるかもしれないと話し、現代音楽の気鋭の人たちが実際に周波数を入れて作曲していることにも触れました。
楽器の枠内で心地よい音を前提に作曲し、楽譜も楽器の制約に沿っていた
打ち込みで任意の周波数を扱えるようになり、不快な音も含めて表現の可能性が大きく広がった
堀元さんは、RGBで無限に色を作れるようになった今、色の語彙もさらに膨らむかもしれないと考えます。水野さんも、油絵では表現できなかったことをデジタル描画で表現できる例はありそうだと応じ、味覚の3Dプリンターのような技術が進めば、味の語彙が爆発的に増える時代も来るかもしれないと話しました。
音楽用語についても、二人は「適切な速度で」を意味するモデラートや、「歌うように」を意味するカンタービレをネタにします。ただ堀元さんは、カンタービレを茶化していたら音楽家たちにきちんと意味を説明され、今はそう思っていないと明かしました。水野さんは、文脈を知らずに茶化すのは危ないと応じています。
色の話をもっと知りたい人は、何から読めばいい?
締めくくりに、水野さんがこの分野の本を紹介します。未来人の味のたとえ話は、水野さんの独創ではなく、ガイ・ドイッチャー『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』から借りたものだそうです。文庫版で手に入りやすくなっているので、まずはここからでよいといいます。
詳しく知りたい人には、翻訳版が出ているバーリンとケイの『基本の色彩語』もあります。さらに今泉先生の岩波新書『ことばと思考』も、この分野を扱った面白い本として挙げられました。
ことばと思考
岩波新書。入門として最初に読む
言語が違えば、世界も違って見えるわけ
ドイッチャーの本。未来人のたとえ話の出典
基本の色彩語
バーリンとケイの原典。がっつり知りたい人向け
読書に慣れていて色をしっかり知りたい人は、逆に『基本の色彩語』の側から読むのもよいそうです。色シリーズはこの2回でひとまず完結しますが、色の面白いこぼれ話は今後もちょくちょく扱っていくと水野さんは予告しました。
まとめ
古代人は色が見えていなかったのかという問いは、語彙と知覚の混同を解くことで、「認識は普遍的で、言語は多様」という結論に行き着きました。バーリンとケイの法則は修正を重ねながらも、色の語彙の少ない言語を劣っているとみなす見方を問い直すきっかけになっています。
- ガイガーは語源から色覚の進化を唱えたが、語彙がないことと色を区別できないことは別だった
- バーリンとケイは98言語を調べ、黒白→赤→黄・緑→青という色彩語の派生法則を見出した
- 法則には日本語の「青」など例外も多く、現在は4つの原則から導くモデルに手直しされている
- 開眼手術後や子どもの色彩語の習得順も、法則におおむね近いという報告がある
- 色と味は裏表で、工学的に操作できるものほど語彙が細かくなる。語彙の少なさは劣っていることを意味しない

