「走れ」と言う体育教師は正しかったのか
堀元さんは冒頭で、学生時代に体育の先生が嫌いだったと打ち明けます。嫌いだったのは体育そのものより、「集合かけられてんだから走れ」とやたら走らせようとする体育教師のノリでした。
で、こういう時に機敏に動けないと社会で活躍できないぞみたいな。いや、全然関係ねえだろ、その社会の能力と。
勢い余って「体育の先生は本を読んでなさそう」と言いかけ、すぐに撤回する一幕もありました。水野さんは「さっきまで喋ってた人誰?」と突っ込みます。
ところが堀元さんは、最近読んだ早川書房の『運動の神話』で考えが変わったといいます。読んだ結論は、体育の先生のほうが正しかったのではないか、というものでした。
ちょっと20年越しに反省してます、今。先生の方が正しかったなっていう。
堀元さんは『運動の神話』を、体育嫌いや体育教師嫌いが治るかもしれない本として紹介し、この本の話を始めます。
体育が得意な先生は、苦手な生徒の気持ちがわからない?
水野さんは体育が苦手ではなく、座学より面白い「ボーナスタイム」だと思っていたそうです。そのうえで、体育はできない人の気持ちがわからない人が教員になっている例が多い気がする、と自分の偏見として語ります。
でも体育はとりわけ練習せず体動かせちゃってるタイプの人が多いから。
どの教科の先生も、その教科が好きで教えている以上、苦手な人の感覚がわからないことはあるといいます。水野さんは国語や音楽の先生を例に挙げつつ、体育はその傾向が特に強いと見ています。
堀元さんも、運動は楽しいだろうという前提で話される点がうっとうしかったと振り返ります。そこから話は、二人の内申 ── 通知表の評定をもとにした調査書の成績。公立高校の入試で使われることが多く、地域によって算出方法が異なりますの比べ合いへと脱線していきます。
水野さんは体育がずっと5で、9教科の満点45に対して43でした。一方の堀元さんは定期テストで点を取っても態度で減点され、札幌市の公立高校入試のランク分けでは最上位ではなかったはずだといいます。
札幌市では1・2年の内申を2倍、3年の内申を3倍して合計する仕組みだった、と堀元さんは記憶しています。3年の3学期の内申だけを使っていた水野さんの地域とは制度が違ったようです。
内心点持ち出されてマウント取られるの久しぶりだ、これ。
「なぜジムを挫折するのか」というプロローグの問い
堀元さんが『運動の神話』で最初に評価するのは、プロローグで示される問いのシンプルさです。いいサイエンス本は大きな問いを持ってくる、という点で二人の意見は一致します。
我々はほとんどみんな運動は健康にいいと信じきっている。でも考えてみてほしい。じゃあなぜ我々はジムに通うのをあんなに挫折するんだと。
運動するとエンドルフィン ── 脳内で分泌される神経伝達物質の一つ。鎮痛作用や多幸感に関わるとされ、運動後の高揚感の説明によく使われますやオキシトシンなどが出て幸福感が得られます。それなら人間は運動を気持ちいいと感じ、どんどん運動するように進化しているはずだ、と堀元さんは指摘します。
それでも現実には、ジムを契約したのに2回しか行かず、月額だけ払い続ける人がいます。この矛盾を、著者は英語の言葉遊びを使って表現しているといいます。
「exercise」は運動という意味ですが、受け身の「be exercised」は「悩まされる」という意味にもなります。そこで著者は「我々はなぜかくもエクササイズにエクササイズドされているのか」と書いている、と堀元さんは紹介します。
水野さんが「ダジャレ」と茶化すと、堀元さんは「レトリック」だと言い直します。英語の「LIE」の「嘘」と「存在する」をかけたベタなダジャレとは違い、見たことのない表現だと評価しています。
話の途中で、水野さんは中学時代の同級生「T君」の逸話を挟みます。懸垂を限界までやるとどうなるのかを試し、性的な快感に達してしまったという、中学校で伝説になった話です。水野さんはこれを、運動が快感をトリガーしている例として持ち出しました。
話を戻した堀元さんは、プロローグの一節をそのまま引用します。運動は健康的でありながら異常で、本来無料でありながら高度に商品化され、喜びの源でありながら不快感や罪悪感を抱かせる逆説的なものだ、という内容です。
やっぱ一流の本って、あれ、確かに考えてみたらそうだなじゃない?やっぱ良い問いって。
水野さんによれば、「なぜ月は落ちてこないのか」のようなやり尽くされた問いではなく、日頃気にしていなかった疑問を示されると、200〜300ページを読む原動力になります。導入の引きが強い本はいい本になるという点で、二人の評価は重なります。
運動が続かないのは、嫌々動かされる環境に適応したから
堀元さんは、運動が続かない理由についての『運動の神話』の答えを水野さんに予想させます。水野さんがまず挙げたのは、そもそも運動は健康に良くないのではないか、という仮説でした。
水野さんは類書の『運動しても痩せないのはなぜか』の帯に、1日の総消費カロリーは運動しても増えていなかったと書かれていることを挙げます。ただし帯の文句だけで行動を決めるのは良くない、とも付け加えています。
堀元さんの答えは、運動は健康に良いというものです。走りすぎて膝を痛めるなど過剰な運動には問題があるものの、適切な量と条件であれば、数々のエビデンスから健康に良いと言ってよいと説明します。
続いて水野さんは、狩猟採集民の時代は狩りなどの生活が運動を兼ねていたので、運動を別途やるようにはプログラムされていないのではないか、と考えます。堀元さんはこれを「ほぼ正解」と認めます。
かなり雑な答えを言うと、人間って嫌々運動させられる環境に適応してるんで。
本によれば、現代の狩猟採集民は1日7時間ほど、物を運んだり歩き回ったりする軽い身体作業をしています。それ以外の時間はおおむね座ってダラダラしており、これがかなり合理的な生活だといいます。
必要な運動は強制的にさせられるので、余った時間に走り回ればカロリーを余計に消費し、死にやすくなります。そのため、余計に動かないように進化したほうが合理的だった、というのが堀元さんの紹介する説明です。
その7時間のやつも圧縮されたから、ただひたすら動きたくないモンスターが誕生したっていうのがこの現代社会の状態らしいんですよね。
この因果の流れを整理すると、次のようになります。
狩猟採集の生活
1日7時間ほどの軽い身体作業を、嫌々でも強制的にさせられていた
余計に動かない進化
それ以上動くとカロリーを余計に消費して死にやすいため、サボるほうが合理的だった
ライフスタイルの激変
強制される運動が現代では圧縮されてしまった
現代の状態
動きたくない性質だけが残り、運動不足が生まれた
堀元さんは、運動は健康にいいはずなのに、昔はエクストラに運動すると体に悪かったという点を「すごい皮肉」だと話しています。
食もスマホも同じ?「体は昔のまま、環境だけが変わった」論
水野さんは、運動の話が食の話と似ていると指摘します。食べ物が限られた時代には糖分をあるだけ食べたほうが良かったのに、今はいつでも摂れるため、本能だけが残って過食になるという構造です。
水野さんが例に挙げたのは『フードトラップ』です。塩分・砂糖・脂質を取りすぎる本能を、アメリカの外食や食品メーカーが商品開発でハックし、健康被害につながったことをジャーナリストが暴いた本だといいます。
水野さんは、こうした論証のパターンが最近流行っていると感じています。自身が編集を手がけた『動物たちは何をしゃべっているのか』の4章や、ベストセラーの『スマホ脳』にも似た議論があるそうです。
| 領域 | 本来適応していた環境 | 現代の環境 |
|---|---|---|
| 運動 | 嫌々でも体を動かす生活 | 強制される運動が圧縮された生活 |
| 食 | 糖分などをあるだけ食べたほうがよい環境 | いつでも気軽に摂取できる環境 |
| コミュニケーション | 身体的なメッセージやジェスチャーに頼る | テキストツールに過剰に頼る |
| スマホ | 快楽を得るように設計されたアプリがない | SNSを何度も見てしまうよう設計されている |
堀元さんは、こうした論証は「テクノロジーにはつきものの批判」かもしれないと応じます。
ここで堀元さんは、パソコンのブラウザでFacebookのMessengerを開くと、ショート動画が気になって返信が進まないと悩みを打ち明けます。水野さんにPC版のMessengerアプリを教えられて解決したものの、「仕事中の癒しも大事」とインストールしない姿勢を見せ、笑いを誘いました。
京大院生の一言「水野さんは自然主義的な論証で満足する」
水野さんは最近、サポーターコミュニティにいる京都大学の院生と会いました。教養書の編集をしたいという院生のOB訪問に応じたところ、終バスを逃したため、水野さんの家に泊めて朝まで語り合ったそうです。
その院生の専門は分析哲学 ── 言語や論理の分析を通じて哲学的な問題に取り組む哲学の一分野。ラッセル、ヴィトゲンシュタイン、フレーゲらが代表的な人物ですでした。水野さんはその院生から、思いがけない指摘を受けます。
水野さんは自然主義的な論証で満足するタイプなんですねって言われたんですね。
水野さんの説明では、ある不思議な現象を「生物はそうしたほうが得だった」「生存に有利だった」という形で説明されると満足する傾向のことです。堀元さんは「俺もそうだよ」と即答し、水野さんも院生に「堀元さんの方がそうよ」と答えたといいます。
水野さんが挙げたのは、女性タレントを綺麗だと感じる理由の例です。顔は病気が出やすく健康状態を示す指標だったから、という進化的な説明に、二人とも学生時代に納得してきました。
しかし院生のような立場の問いは、そこで止まりません。水野さんは、進化的な説明はわかったとして、ではそれを美だと感じるのはなぜなのか、という方向に問いが向かうのだろうと理解しています。
「た」の歴史を知らなくても使える、という問題
水野さんは、言語学では流行りの方向が逆だと感じています。歴史的・進化的な説明ではなく、今その言語運用を可能にしているのは何か、という方向に進んでいるように見えるといいます。
例として挙がったのが、番組で取り上げた助動詞「た」です。「た」は過去だけでなく完了や確認などの意味でも使われ、ゲスト回で高田先生が、古文の「てあり」が「たり」になり、「り」が消えて「た」になったという歴史で説明していました。
ところで我々は、じゃあその「てあり」の歴史的な過程って頭に入れた上で「た」を使ってるんですか?
高田先生の歴史に即した説明はとてもエレガントです。ただ、現代日本語しか知らない人がさまざまな意味で「た」を使えるメカニズムは、別の説明が必要だというのが水野さんの論点です。
水野さんは、この考え方は番組初期に紹介したソシュール ── スイスの言語学者で、近代言語学の祖とされます。言語を歴史的変化(通時態)と、ある時点の体系(共時態)に分けて捉えましたの発想と同じだといいます。歴史的な過程を頭に入れて話す人はいないからこそ、ある時点の言語知識を考えるべきだ、という立場です。
「てあり」から「たり」、「た」への変化をたどり、意味の多様さを導く
歴史を知らない話者が「た」を使い分けられるメカニズムを考える
水野さん自身は、歴史的な知識が運用の答えに「全くならない」と言うのは言い過ぎかもしれないとしつつ、その知識を入れて話しているとは考えにくいと話しています。
疫学からフィールドワークへ、『運動の神話』の方法
「た」の話を聞いた堀元さんは、「めっちゃ『運動の神話』」だと反応します。著者も、従来の運動研究が疫学的な統計に終始してきたことを問題にしているからです。
統計データは、喫煙者の肺がんリスクのような相関を教えてくれます。ただ、ある距離以上走ると体に悪いというデータが出ても、なぜそうなるのかは説明してくれません。
狩猟採集民族たちの暮らしを見て、フィールドワークしなければいけないと。
そのため著者は、地球上のさまざまな狩猟採集民に計測装置を取り付け、運動が本当は何を意味するのかを探ったといいます。著者の肩書きは進化生物学者であり、文化人類学者でもあり、この両立があったから書けた本だと堀元さんは評価しています。
統計データから相関を見る。素晴らしい研究だが、「なぜ」には答えにくい
狩猟採集民の暮らしを計測し、どう進化してきたかから原因を考える
水野さんは、言語学にも似た本として『会話の科学』を挙げます。言語学がチョムスキー流の文を生み出す能力に偏り、日常会話のルールを十分に扱ってこなかったことを批判的に捉えた本だといいます。
水野さんは実演として、話の途中で急に黙ってみせます。堀元さんが「編集点かな」と不安になったことから、沈黙が何秒までなら気にならないのか、文化ごとに違うのかという問いが生まれる、と説明しました。
なんで急に黙ったらいけないんですか、我々。
進化心理学の流行は30年後も続くのか
院生の指摘を受けて、水野さんは自然主義的な論証が今あまりに広く流行っていると考えるようになりました。堀元さんも、進化心理学の本は「死ぬほど出てる」と同意します。
それってただの一つのパラダイムに過ぎなくて、万能じゃないなって思ったんです。
水野さんは、美とは何かを哲学の考え方で掘り下げるアプローチは今あまり流行っていないと見ています。一方で進化的な説明はわかりやすく受け入れられていますが、それが30年後も流行っているかは怪しいと話します。
堀元さんが例に挙げたのは行動経済学 ── 心理学の知見を取り入れ、人間の非合理的な判断や行動を分析する経済学の分野。カーネマンの著書『ファスト&スロー』などで広く知られましたです。2019年ごろに大流行した印象があるものの、再現性の危機や研究不正のニュースもあって勢いが落ちたと感じています。
悪いことをした人が手を洗いたくなる「レディ・マクベス効果」も、再現性がないと聞いた途端に「そりゃそうだろう」と冷めてしまったと堀元さんは笑います。
そこで水野さんが提案するのが、学問も分散投資しておくという考え方です。進化的なアプローチ以外に哲学的なアプローチの可能性も残しておけば、時代が変わったときにも知見があるからです。
言語学では今、共時言語学や生成文法が主流ですが、英語史を研究する堀田隆一先生のような歴史言語学の流れもあります。チョムスキーが革命を起こした1950年代以前は歴史が流行っていたことを踏まえ、水野さんは自分が学ぶときには分散を効かせたいと考えています。
研究者はパラダイムにフルベットするしかない
堀元さんは、アカデミアにも一般企業のような派閥争いがあることに改めて気づいたといいます。水野さんは、チョムスキー以前とチョムスキー以後、ドーキンス以前と以後、再現性の危機以前と以後のような区別が語られると紹介します。
外からつまみ食いする二人と違い、研究に一生をかけている人にとって、パラダイムの陳腐化は深刻です。堀元さんはそれを「俺の乗ってた船沈んだやんけ」と表現します。
堀元さんは、相対性理論を受け入れなかった古典力学の信奉者や、量子論を受け入れなかったアインシュタインの話を持ち出します。以前は柔軟性のない「老害話」だと思っていたものの、自分も同じ立場ならそうなると考え直したといいます。
研究者が研究者になる時って、多分今自分が持っている金融資産を全て東証一部プライムのどこかに張ってくださいみたいなことをしてるよね。
博士号を取るような時期に分散投資を効かせる余裕はないのではないか、と水野さんは考えます。堀元さんはこれを、研究者はフルベットするしかない辛さを抱えているという「いい結論かもしれん」と受け止めました。
その後二人は「学部卒2人が語る研究者の本懐」と自虐します。水野さんは言語学概論を落としかけたほどだったのに、元の研究室の先生から新年に「活躍を拝見してます」と連絡をもらい、襟を正される思いだったと話しています。
言語化が得意な二人は、時代が変われば取り残される?
水野さんは、世界のアプローチが急に分析哲学的なものに切り替わったとき、進化生物学の説明に慣れた自分たちは乗れるのか、と問いを身近に引き寄せます。
堀元さんはもっと極端な例として、言語化の得意さを挙げます。言語化の本が売れる今はトレンドに乗っているものの、絵が下手な自分は、絵で出世する世界になったら取り残されると想像します。
そう、こんなの世界間違ってる。やっぱ言語化こそが全てだからっていう、この世界おかしいんだよなってずっと思ってるわ。老害だわ。
水野さんは以前から、能力にはトレンドがあると考えています。時代ごとに必要とされる能力は異なるため、「能力が高い」という表現は好きではないといいます。
水野さんによれば、言語化や台本を書く力が面白がってもらえていることにも賞味期限があります。それは本人が能力を失うからではなく、社会が変わる可能性があるからです。
堀元さんは歯科医の例も挙げます。歯科医院はコンビニより多いと言われ、供給過剰で食べにくいとされるように、能力の価値も外部環境で決まると話しています。
環境決定論に傾く水野さんの人生相談
水野さんは院生との対話で、自分は油断すると環境決定論者になると打ち明けます。努力できるかどうかも環境で決まっていると考えてしまい、名古屋大学に入れたのも努力できる環境にいたからだと感じるそうです。
どうすればバランスを取れるかという相談に、院生は「哲学やりましょう」と答えました。一方の堀元さんは、テッド・チャン ── アメリカのSF作家。寡作ながら評価が高く、短編集『息吹』や『あなたの人生の物語』で知られますの短編集『息吹』を薦めます。
堀元さんが挙げたのは、4ページほどの短編「予期される未来」です。自由意志はないが、あるふりをしないと生きていけない、という結末だと紹介します。
だからもう欺瞞でもいいから努力あったことにするって結論どうですか?
水野さんが院生との対話で用意していた結論は、別のものでした。環境のおかげで社会的にうまくいっているなら、自分の意思で寄付などの社会還元をして、環境による格差を多少でも埋めるべきだという考えです。
堀元さんは、環境に恵まれたと思う一方で自分は頑張ったとも思う、と両立派の立場を語ります。水野さんは苦労して努力した経験が少ないからそう思うのかもしれないと答え、堀元さんは本業とラジオの台本を両立している水野さんは十分頑張っていると返しました。
水野さんがさらに怖いと感じているのは、自分のイデオロギーまで生育環境で決まっていることです。違う体験をした人を説得するのは無理だと思ってしまい、突き詰めると対話ができない感覚になるといいます。
堀元さんは、意見の違う相手を説得しないのは多くの人も同じではないかと応じ、そうもいかなくなる出来事として結婚を挙げます。水野さんは、町内会のような関わりを減らせる東京の生活がこのイデオロギーを生んでいるとして、社会的に成熟していない証だと話します。
5年ほど前、東京の端で一人暮らし。考え方が違う相手を説得する時間はもったいないと考えていた
結婚後、「俺はこうだと思う」というラリーを重ね、落としどころを探すことが増えた
悩みの答えは哲学か、それともダンスか
水野さんは、自分の悩みの答えは進化生物学や進化心理学からは出ようがなく、哲学や文学など人文学にしかないのではないかと考えます。
それに対して堀元さんは、『運動の神話』を読んだから答えが出せると言い、「ダンス」と答えます。一晩中踊り続けると変性意識状態に入り、内在性カンナビノイド ── 体内で作られる、大麻の成分と似た働きをする物質の総称。気分や痛みの調節に関わるとされていますが出て悩みが吹き飛ぶ、という本の話を引いた冗談まじりの答えです。
水野さんが首振りダンスを提案すると、堀元さんは「それでハイになってるやつ一番やばいぞ」と返しました。
ここで堀元さんは、今回が『運動の神話』の広告案件だったと明かします。早川書房の許可を得て、バリューブックスが広告費を出したもので、本が面白かったので話したいと伝えたら、好きに喋っていいという形になったそうです。
だったらもうちょっと運動の神話に関連あるような話とかをしたよ。もうちょっとだったら。
堀元さんは、本にはまだ面白い話があると予告します。狩猟採集民にガスマスクのような計測器を付けてもらい、ランニングマシンで走らせて代謝を測った実験などです。
体育教師は「一家に一台」?冒頭の話の回収
最後に堀元さんは、冒頭の体育教師の話を回収します。人間は嫌々運動させられる社会に適応してきたのに、そうした強制がなくなったせいで現代の不健康が生まれた、というのが本の答えでした。
水野さんは「一家に一台」と乗っかりますが、走れと言う人が街中にいる社会について、堀元さんは「そんなわけあるか」と自分で突っ込み、水野さんも「怖い社会だわ」と応じます。
書名の「神話」には、根拠のない思い込みという意味も込められています。みんなが信じていることを問い直す本であり、座りっぱなしは別に体に悪くないという話も出てくるそうです。
堀元さんはスタンディングデスクを買おうとしていましたが、この本を読んで不要かもしれないと考え直したといいます。最後には、宣伝の罪悪感で手を洗いたくなったと話し、水野さんが「レディ・マクベス効果が実証されそうだ」と返して締めくくりました。
まとめ
『運動の神話』が示す答えは、人間は嫌々運動させられる環境に適応してきたため、強制がなくなった現代では運動が続かない、というものです。そこから二人は、進化的な説明の流行と限界、学問のパラダイムへの賭け、能力や考え方が環境に左右されることまで語り、最後に体育教師を見直す結論へ戻りました。
- 運動は健康に良いが、人間は嫌々動かされる環境に適応しており、余計に動かない性質だけが現代に残った
- 『運動の神話』は、疫学的な統計だけでなく、狩猟採集民へのフィールドワークで運動の意味を探っている
- 「体は昔のまま、環境だけが変わった」という自然主義的な説明は強力だが、一つのパラダイムにすぎない可能性がある
- 水野さんは、学問も分散投資するべきで、能力の価値も時代や環境によって変わると考えている
- 走れと言う体育教師は、強制がなくなった現代では健康に必要な存在かもしれない、と堀元さんは見直した





