「ティーン」は10代のことではない?
この回は、以前放送した「大人の間違いを語る」回の続編です。前回はオマール海老とロブスターを別物だと思っていた話などで笑うだけだったため、今回は今井むつみ先生を招き、間違いのパターンから学びを得ようという趣旨で始まります。
今井先生とお話しした時にですね、間違いにはパターンがあるっていうような話をされていたので、こういう間違いを今井先生の前で語ることによって、より学びのある会になればいいんじゃないかなと思いまして。
水野さんが最初に挙げたのは「ティーン」という言葉です。堀元さんは「10代ってことでしょ」と答えますが、水野さんが辞書を読んで気づいたところでは、ティーンは本来、特に13歳から19歳を指す言葉だといいます。
英語で13から19は「サーティーン」から「ナインティーン」まで、語尾が「ティーン」で終わります。11と12は「イレブン」「トゥエルブ」でティーンが付かないため、ティーンで終わる年齢をまとめてそう呼んでいた、という説明です。
普段日常的に見てないから、サーティーンとかを。だからそのせいであんまり意識できなくなって、10代っていう我々の扱いやすい括りで捉えちゃった感じがしますよね。
水野さんはさらに、雑誌『セブンティーン』の名前は、13歳から19歳までの7つの年齢を指して「7つのティーン」という意味だと紹介します。ただし出典を問われると「なんかで読みました」と答え、公式ページまでは確認していないと認めています。
今井先生は「雑誌の名前を決める会議でそういう発想は出てこない気がする」と疑い、もっと確かなエビデンスを求めました。水野さんは大学時代に先生に怒られた記憶がよみがえったとして、この話を切り上げます。
解凍した桃が冷蔵庫に「海」をつくった理由
堀元さんが持ち込んだのは、桃の食べ方がわからなかった話です。普段は高くて桃を買わない堀元さんのもとに、番組スポンサーの農園やまごさんから大量の桃が届きました。
堀元さんは食べきれない桃を前に「桃 長期保存」と検索し、「桃は冷凍できます」という情報を見つけて冷凍庫に入れました。後日、肉を解凍するのと同じように、冷凍した桃を冷蔵庫に移して自然解凍しようとします。
冷蔵庫次ガチャって開けたら、もうその段ビチャビチャになってんの。もう、桃果汁の海ができてんの。
実は冷凍した桃は、解凍せずにシャーベットのようにシャリシャリのまま食べるものでした。解凍された桃は果汁がすべて抜け、カスカスのスポンジのようになってしまったそうです。
大量の桃が届く
食べきれず熟れすぎてきた
冷凍できると知る
検索して冷凍庫へ入れる
冷蔵庫で解凍
肉と同じ手順を桃にも当てはめる
果汁が流出
冷蔵庫の段が果汁の海に、実はスカスカに
堀元さんが「これは桃側に非があると思いませんか」と尋ねると、今井先生は堀元さんの判断を「まっとうなアナロジー」と評しました。肉の解凍という既知の手順を、似た対象に当てはめた推論だったからです。
今井先生自身は桃を冷凍したことはなく、余ったらジャムやコンポートにするといいます。桃とモッツァレラの冷製パスタも美味しいという話に、二人は「店じゃないとダメだと思う」と驚いていました。
冷凍していいかは、どうやって学ぶのか?
今井先生は、冷凍するときは調理してからのほうが多く、生のまま冷凍するのは肉くらいで、きゅうりなどは生では冷凍しないと話します。
俺も冷凍していいかどうかの判断、マジでわかんなくて。個別に学ぶしかないじゃないですか。
水野さんは野菜の賞味期限も同じで、ネギ、ジャガイモと1つずつ覚えるしかない感覚だといいます。普通の人がなぜそれをわかっているのか不思議に思っていたそうです。
今井先生は、冷凍の定石を習った覚えはないものの、似たもので失敗した経験がどこかにあるのだろうと答えます。堀元さんはそれを、個別の経験は忘れても「これを冷凍したらまずそうだ」と抽象化されて残っている状態だと言い換えました。
堀元さんは、テレビ番組『プロジェクトX』でカップヌードルを作る回を思い出します。冷凍乾燥の工程でどうしても味が落ちる壁にぶつかり、一瞬で冷凍することで解決した話です。
俺あの知識あるから、ありとあらゆるものって基本的に冷凍すると味が落ちるっていう知識はあるわけだから。でもそのプロジェクトXの知識が記号接地してなかったから、それでミスっちゃったんだ、これ。
知識として持っていても、自分の体験と結びついていなければ使えない。堀元さんは、桃の失敗を記号接地 ── 言葉や記号の意味を、身体的な経験や感覚と結びつけて理解すること。今井むつみ先生が著書『言語の本質』などで重視している概念ですの問題として捉え直しています。
「死に体」をどう読みますか?
水野さんが出題したのは「死に体」の読み方です。今井先生は迷わず「しにたい」と答え、それが正解でした。
水野さんと堀元さんは、ずっと「しにてい」だと思い込み、番組内でもそう言っていたそうです。辞書にも「しにてい」という読みは載っておらず、検索しても用例はほとんど見つかりませんでした。
体を「てい」って読むのってちょっとレアじゃないですか。ていたらくの「てい」とか。おそらく「ありていに言うと」の「ありてい」の類推だと僕は思ったんですけど。
水野さんがTwitterに書くと、一定数の人が「え、しにたいなの?」と反応しました。「死に体」を文字では見ていても、音で聞く機会がなかったのが原因ではないかと話されています。
「しにたい」と音で聞いたことがある。政権が死に体だ、といった言い方で耳にしてきた
文字でしか見たことがなく「しにてい」と確信していた。政権の話は「レームダック」で見聞きすることが多い
今井先生は、昔はテレビなどで「しにたい」と言っていたのではないかと推測し、世代差の可能性が話題になります。水野さんは、漢字が得意な自分でもこうした読み間違いがある以上、子どもの読み間違いは笑えないと振り返りました。
今井先生は、誤った読みが多数派になれば、それが正しい日本語になることもあると指摘します。水野さんも、明治時代には「むにんとう」と読まれていた「無人島」や、かつて「いそん」と読んでいた「依存」を例に挙げました。
今井先生は、人はいつもアナロジーで考えるので、「てい」と読む「体」の多さから「しにてい」と思うのは自然だといいます。言語は慣習の問題なので、理屈でおかしくても慣習が勝つことがあり、いつかは「しにてい」になるかもしれないと話しています。
受験の合格発表に「悲喜こもごも」は誤用?
慣習によって意味が広がりつつある例として、水野さんは「悲喜こもごも」を挙げます。本来は、1人の人間に悲しみと喜びがかわるがわる訪れることを指す言葉です。
一方で、受験の合格発表のように、喜ぶ人と悲しむ人が同時にいる場面で使うのは、本来の意味からすると規範的ではありません。堀元さんは、表彰される営業マンと叱責される人が同じ部署にいる状況も同じだと確認し、自分は多くの人に対して使っていたと驚きます。
1人の人生に、悲しい時と嬉しい時がかわるがわる訪れる
合格発表などで、喜ぶ人と悲しむ人が同時にいる
面白いのは、日本語で悲しんでる人と喜んでる人が同時に同居しているってことを指すいい語がないんですよ。僕が知る限り。
水野さんは、「明暗が分かれる」はあっても感情についての言葉がないため、「悲喜こもごも」が時代の要請に合って意味を広げているのではないかと考えています。
雑誌編集者の水野さんが仕事で「悲喜こもごも」を使うと、校正者から「本来の意味ではないけどOK?」という指摘が入るそうです。水野さんはその指摘を見越して、1人にも大人数にも読める書き方で使っていたと明かしました。
「準備万端」は準備が終わったことではない
校正者に指摘されて初めて誤りに気づいた例として、水野さんは「準備万端」を挙げます。堀元さんも今井先生も「準備が終わった」「いつでも始めていい」という意味だと答えました。
ところが辞書によれば、「準備万端」の意味は「準備のすべて」です。万端は「すべての端」を意味するため、「準備万端を整えた」のように使うのが本来で、準備が終わった状態を言うなら「準備万全」になります。
準備のすべて。「準備万端を整える」のように使う
準備が完全に整った状態。「準備が終わった」ならこちら
準備万端っていうのを聞いたことがあるのは、基本的に終わった時だけにしか聞かなかったので、もう学習データからしておかしいわけですよ。
毎日辞書を読んでいる水野さんでも、校正者に指摘される誤りがまだあるといいます。堀元さんは、校正者を題材にした『ことばの番人』に、校正者になった最初の年はすべての単語について辞書を引き続けたという体験談があったことを紹介しました。
草木禽魚の「禽」が読めなかったのはなぜか
堀元さんは、文字を一文字ずつではなく雰囲気でぼんやり認識しているため、漢字がまったく書けないといいます。その結果の失敗として、円城塔さんの小説『文字禍』に出てきた「草木禽魚」の話をします。
「草木禽魚」はいろいろな生き物を意味する言葉です。堀元さんは「猛禽類」なら読めるのに、「禽」が単独で出てくると知らない字に見えてしまい、検索もしにくかったそうです。
堀元さんは見覚えのある形から椎名林檎さんの名前を連想しましたが、「檎」ではなく「林」だと思い込み、「林」で変換を繰り返しました。後で「林檎」と入力して「檎」の右側を調べ、ようやく「禽」にたどり着いたといいます。
単独の「禽」に出会う
猛禽類の字だと気づけない
椎名林檎を連想
「檎」ではなく「林」だと勘違いする
「林」で変換し続ける
当然、目当ての字は出てこない
「林檎」で変換
「檎」の右側を調べて「禽」だとわかる
堀元さんは、今井先生の新刊『学力喪失』で、字を読むことの難しさや、人が全体で把握してしまうことに触れていたと指摘します。今井先生も、漢字は情報処理の負荷がかなり高く、ひらがなでさえ「ぬ」と「め」のように形が似た字は間違えやすいと答えました。
その後、水野さんが「素質の素と喪服の喪は同じ字か」と出題すると、堀元さんは字の形がまったく浮かばないと慌てます。それでも意味の近さから推測し、喪服と喪失は同じ字、折衷案の「衷」は違う字だと答えて正解しました。
「さんざめく」は光に使う言葉なのか?
水野さんの次の出題は「さんざめく」の意味です。ヒントは森山直太朗さんの『さくら』の歌詞「永久にさんざめく光を浴びて」でした。
今井先生は「きらめく」に近く、光が散っている感じだと答えます。堀元さんは、波の「さざめき」のように、ざわざわと音を立てているイメージを挙げました。
それはさ、詩的表現ですよ。うるさい光の中でみたいなこと言うじゃない、詩人って。光がうるさいみたいな。ざわざわしてるみたいな時に使う、音に使う表現だ。
正解は「騒ぐ」に近い意味で、ウキウキと騒ぎ立てる様子を指し、本来は光には使いません。堀元さんは、西野さんの曲「東京マーブル」西野さんの曲名の「さんざめく路地」という歌詞で覚えていたため正解できたといいます。
子供がある一例から一般化して意味を導出しちゃうことってあるし、即時マッピングをしちゃうって書きましたけど、大人も多分これ、さんざめくでやってるんですよ。
水野さんは、光についての比喩的な用法しか知らなかったために、光がキラキラ輝く意味だと思い込んでいたと振り返ります。子どもの言葉の間違いとまったく同じ構造の間違いだと話されています。
落語「目黒のさんま」は即時マッピングの話だった?
堀元さんは、落語の「目黒のさんま」を思い出します。庶民の魚であるさんまを食べたことのなかった殿様が、目黒で偶然食べて美味しかったため、「さんまは目黒に限る」と間違った学習をしてしまう話です。
それ即時マッピングだよな。他のところで食った経験があれば、一番うまいさんまどれかわかるけど、そこでしか食ってないから。
今井先生が挙げた子どもの即時マッピング ── 初めて聞いた言葉の意味を、その場の状況からすぐに推測して結びつけること。子どもの語彙が急速に増える仕組みの1つとされる一方、誤った結びつけも起こりますの例は、「1」を教えられて人差し指のことだと思った子です。水野さんも、ピースサインを年齢の表示だと思い、3歳になって指を3本にした子の例を挙げました。
今井先生は、子どもは一般化ができないわけではなく、大人の目から見て間違った一般化をするのだと補足します。堀元さんはさらに、オランダのライデン大学で発明されたことが名前の由来の「ライデン瓶」が、日本では「雷電」と誤解されがちだという例も紹介しました。
人間と動物の違いは「訂正できるか」にある?
水野さんは、『学力喪失』と、今井先生と鈴木俊貴先生のトークイベントで得た発見を話します。イベントでは、動物はアブダクション ── 観察した事実から、それを説明できそうな仮説を立てる推論。論理的には誤りうるものの、人間が少ない経験から素早く学ぶ力を支えているとされますができるのかが議題になりました。
今井先生は、できる個体はチンパンジーのクロエなどごく限られていると考えていました。一方で鈴木先生は、動物もアブダクションはかなりできるが、仮説の修正ができないと話したそうです。
今まで多分、動物は複雑な推論ができない、人間だけができるっていうのがシンプルな図式だったんですけど、じゃなくて、修正の方が実は人間の特権なんだっていうのって、すごいテーマ設定だと思うんですよ。
水野さんはここで、東浩紀さんの『訂正する力』と、その元になった『訂正可能性の哲学』を挙げます。子どもが「1」を人差し指のことだと思っても、後から訂正できるからこそ言語を習得できるのだといいます。
今井先生は、AIはアブダクションに見えることはしても、勘違いに気づいて思い違いを直すことはないだろうと話します。学習データが増えて確率的に選択が変わることはあっても、それは人間の訂正とは違うという見方です。
堀元さんは身近な訂正の例として、20年以上ウナギが好きだと思っていたのに、余ったタレで肉を炒めたら美味しく、実はタレが好きだったと気づいた話をします。マクドナルドの匂いだと思っていたものが、実は紙袋が蒸された匂いだったという話も続きました。
水野さんは、番組で間違いを「すいません、間違ってました」と訂正したときに周囲から褒められた経験を振り返ります。東さんのいう訂正は、ブレないことでも、なかったことにすることでもなく、一貫性を保ちながら状況に応じて直していくことだと紹介し、番組の大きな柱の1つに訂正があったと話しました。
アブダクションと訂正する力はなぜセットなのか?
今井先生は、言葉を覚えることは「点を面にする作業」だと表現します。数少ない事例を自分で広げるしかなく、その過程で間違いはつきものなので、修正する力がなければ点を面にすること自体をやらないほうがいい、という考えです。
今井先生が『言語の本質』で紹介した対称性推論は、「AならばB」を学ぶと「BならばA」とも考える推論です。論理的には誤りですが、人間は言語を学ぶ前の赤ちゃんからこの推論をし、動物はしないといいます。
直感的には、なんだ動物の方が優れてるやんけって一瞬思うんだけど、むしろ逆で、間違った仮説を立てられる人間だからこそ学習効率がいいんだ。
今井先生は、間違った仮説で効率よく学べる一方、誤りはつきものなので、それを修正できるからこそ対称性があってよいのだと話します。修正できなければ生存にも危ういといいます。
水野さんは、アブダクションのよい面として創作や推し活を挙げた久保奈美子先生の話を紹介します。一方で悪い方向に使えば、霊感商法や陰謀論にはまるダークサイドにもつながり、訂正する力がなければそのまま進んでしまうといいます。
水野さんは『学力喪失』と合わせて読むべき本として『訂正する力』を挙げ、アブダクションのダークサイドに特化した『イマジナリー・ネガティブ』も紹介しました。今井先生は、大人も勘違いをする生き物であり、勘違いしながら直していくことが学びにつながると話しています。
わからないまま抱えておく力はどこで育つのか
水野さんは、子どもの頃に分数につまずいたものの、乗り越えた後に「なんだ簡単じゃねえか」となった経験を語ります。その経験があると、難しいことに出会っても我慢できるようになるといいます。
理解できないもどかしさをあるタイミングで乗り越えると、なんかネガティブケイパビリティ上がる気がして。耐えてやるわ、これぐらいの理不尽に。どうせ後でわかるんだろうって思えるから。
水野さんは、結論が出ない状態に耐えるネガティブ・ケイパビリティ ── 答えの出ない事態や不確かさに、性急に結論を出さずに耐える能力。詩人キーツが使った言葉として知られますが、今の生成文法の勉強にも役立っていると話します。堀元さんも、数IIIを一生懸命やっていたらある時わかった経験から、難しい本もひとまず最後まで読むようになったといいます。
今井先生も、大学院生の頃にピアジェの本を読んでも抽象的すぎてまったくわからなかったそうです。それでもやめようとは思わず、勉強を続けていればわかるかもしれないと考え、授業で話せるようになったのは10年後ぐらいだったと振り返りました。
「無知の量を誇る」と記号接地待ちの記号
堀元さんは、番組初期の「無知の量を誇るべき」という回を持ち出します。水野さんによれば、音韻論の窪薗晴夫久保田晴男先生が本のあとがきで、若い頃より今のほうがわからないことの量が増えたと書いていたという話です。
水野さんは、わからないことの量がわかるのは、その分野の全体を見積もれている証拠であり、知識量を反映するのではないかと考えていました。今井先生はこれを「すごい洞察」と評しています。
無知の量が増えてるって、多分接地待ち記号が増えてるとも言い換えられて。ある時に多分接地する瞬間って来るんだよな。
今井先生は、わからないからと本を捨てたり、著者に怒ったりする人がいる一方で、自分は難しいことだからわからなくて当然だと思っていたといいます。水野さんは、研究者が「若い頃は全然わからなかった」と語るコンテンツは少ないため、番組に来た先生にはできるだけ聞くようにしていると話しました。
ただし今井先生は、わからないことにも、記号接地を待つ価値があるものと、どうでもいいものがあると付け加えます。人間の記憶は有限なので、区別しないとわからないことが増えるばかりだという指摘です。
堀元さんは視聴者から寄せられた例として、ゲーム『ゴースト・オブ・ツシマ』を「ゴースト汚物島」と聞き間違えた話を紹介します。今井先生は、発話の抑揚、つまり韻律が正しく切られていれば起こらなかった誤解だと答えました。
分数がわからない子に効いた「大富豪」のカード
水野さんは、『学力喪失』に子どもの記号接地を促す方法が紹介されていると切り出します。「等しく」の意味がわからない子に分数をどう教えるかと問われた堀元さんは、「等しいがわかってから出直してきなさい」と答え、教育に向いていないと笑われました。
本で紹介されているのは、分数のカードで大富豪をさせる方法です。カードにはリンゴなどの絵と、大きさを示す数直線が描かれており、分数の記号がわからなくても大小を比べられます。
クラスで、3分の1って小数に直すといくつですか?とか聞かれてわかんないのは恥ずかしいんだけど、大富豪で間違えてそれを友達に指摘されるのって、恥ずかしいっていうよりむしろ悔しいと思うんですよね。
今井先生によれば、このカードゲームは分数を習い始める3年生ぐらいから使うことを想定していました。ところが提供した学校で、それを見た1年生が自分たちもやると言い出し、キャッキャと喜びながら遊んでいたそうです。
絵はリンゴ、ピザ、ジュースの3パターンがあります。ピザばかりで教えると「分数はピザを分けること」と即時マッピングしてしまう子がいるため、違う形態で見せて一般化を促し、さらに線の長さという一歩抽象的な手がかりも加えているといいます。
1年生でも3は2より大きいと知っていますが、分数では下が3のほうがリンゴが小さいことに気づきます。そうした気づきを持って分数の授業を受けると、入り方がまったく違うと今井先生は話しました。
今井先生自身、このカードを考えた時点ではそこまで気づいていなかったといいます。堀元さんは、研究者が想定外の発見を得たこの話を「すごいセレンディピティ」だと喜んでいました。
「チラリズム学習」で謎の種をまく
水野さんは、ルートやサイン、ログを習うのが楽しみだったと振り返ります。姉の教科書で謎の記号を見ていたため、1辺が1の正方形の対角線の長さをルート2とすると習ったとき、すっと入ってきたそうです。
堀元さんは、ソースコードが書かれたカードで同じ言語を当てる「プログラミング言語神経衰弱」というゲームの経験を話します。エンジニアの友達と遊ぶうちに、すべての行の左側に10、20と数字が振られている言語がBASICだと覚えました。
それから全然関係ないコンピューターの歴史系の本を読んでたら、BASICのソースコードが出てきて、はいはいはい、BASICね。数字振られてるやつねってなって、すごいその本の内容が入ってきたんですよ。
今井先生は、頭の片隅に置いて「知りたい」という気持ちを触発するのは、記号接地を促すとてもいいやり方だと評価します。堀元さんはこれを、これから学ぶものを先に少し見せておく「チラリズム学習」と名付けました。
足し算と掛け算は一緒に教えたほうがいい?
今井先生は、学校には「習っていないことを教えてはいけない」という強いとらわれがあると指摘します。その典型が、足し算、引き算、掛け算と順番に教える進め方で、これが子どもに混乱をもたらすといいます。
今井先生によれば、足し算と掛け算はどちらも数を増やすため、意味がわかっていない子は両者を混同しがちです。そこで研究者の中には、足し算と掛け算を一緒に教える方法を研究した人がいて、計算ができるまでに時間はかかっても、意味の理解や定着には効果があったそうです。
掛け算と割り算は逆数でつながる等価な操作なので、セットで教えたい
増える足し算と掛け算、減る引き算と割り算を混同しやすい
堀元さんは、引き算は負の数の足し算、割り算は逆数の掛け算だと最初から教えればいいと提案しますが、水野さんに「負の数を知らないです」と返されます。子どもの目線に立つ難しさが浮き彫りになりました。
水野さんは、『学力喪失』では大さじ3分の1のように家庭科などで分数や小数に触れ、他の教科と連携して記号接地を促す方法も書かれていると紹介します。堀元さんも、かつて理科を教えていた頃は量をイメージしやすくする工夫をしていたと思い出しました。
人間は賢いから間違える
最後に水野さんは、アブダクション推論と訂正する力を両輪で回すこと、わからない概念を仮置きして保持しておくこと、記号接地を促す方法を話してきたとまとめます。
今井先生は『学力喪失』について、子どもの多くの間違いは自然なアブダクションによるもので、賢いから間違えるのだと語ります。人間は間違いを修正して乗り越える力もあるから言語を学べる、というのが本のメッセージです。
今日の話って浅く切り取ると、子供は実は賢いみたいな、なんかつまんない結論になりそうで。それやだなと思って。
仮説を立てる、アブダクションする能力と、それにセットである訂正する能力、これのおかげで我々ってあらゆる学習ができている。これって偉大なことじゃないか。人間ってすごい。
今井先生は、チンパンジーやシジュウカラも賢いが、この思考の仕方はしないし、AIにもしないと話します。AIによって人間の価値が揺らいでいる今、人間の価値は計算能力ではなく、間違えて修正するところにあると気づいてほしいと語りました。
堀元さんは「今後もどんどん桃を解凍失敗していきます」と笑いを誘い、すぐに「それ訂正できてないからダメだな」と自分で訂正します。今井先生からは、冷凍イチゴも解凍せずシャリシャリのまま食べるのがいいという助言があり、回は締めくくられました。
まとめ
大人の読み間違いや生活の失敗は、子どもの言葉の間違いと同じく、少ない経験から仮説を立てるアブダクションの産物でした。その仮説を後から直せる訂正する力と組み合わさることで、人間は言語をはじめとするあらゆる学習ができる、というのがこの回の到達点です。
- 「ティーン」「さんざめく」「準備万端」などの誤解は、偏った用例から意味を推測した即時マッピングと同じ構造をしている
- 動物との違いは推論の有無ではなく、立てた仮説を訂正できるかにあるという視点が示された
- わからないことを「記号接地待ち」として抱えておく力が、後の理解につながる
- 絵や遊びで先に謎の種をまく「チラリズム学習」は、分数の学びでも実際に効果を見せた
- 今井先生は、人間の価値は計算能力ではなく、間違えて修正するところにあると語った

