合格者最低点を狙うのは普通なのか
この回は、水野さんが友人の鶴見さんと大学受験の話をしていて驚いた、というエピソードから始まります。鶴見さんは、合格者最低点ぎりぎりで受かるように勉強量を節約していたそうです。
水野さんは合格者平均くらいを取れるまで仕上げるのが当然だと考えていました。一方の堀元さんは、体調不良に備えた余裕は持ちつつ、受かる範囲で勉強量を減らしたいのは普通だと返します。
前回のエピソードでは、自己肯定感と自己評価を分けて考える話をしていました。水野さんはそれとは別の軸で、自分は努力をしていないと感じているといいます。
水野さんの考える努力とは、やりたくないことを自分の意思で打ち勝ってやる「勤勉さ」のことです。高校にも大学にもそういう人がたくさんいたため、自分を努力家だとは思えないと話します。
僕、努力を努力と感じないようにするための時間はすごい取るんですよ。
水野さんの具体例は、英単語を覚えたくないから語源の本を読む、というものです。推薦で高校が決まったあとには、苦手な数学を好きになるために『感動する数学』などの本を読んでいたといいます。
堀元さんは、それこそが努力ではないかと指摘します。嫌いな科目を好きになるための準備を自分でしている時点で、人はそれを努力と呼ぶのではないか、という見方です。
やりたくないことを、やりたくないときに自分の意思でやるのが努力。面白さで勉強をマスキングするのは怠惰
好きな物理でも、寝ていたいのを我慢してやるなら努力。勉強を好きになる工夫をすること自体も努力
受験勉強がゲームより面白かった
水野さんは大学受験の時期、ゲームをまったくしなくなったそうです。理由は、受験勉強のほうが面白くてやめられなかったからでした。
僕受験期ゲーム全くしなくなったんですけど、受験勉強がおもろくてやめられん。
鶴見さんによると、水野さんは息抜きが要らないと言い続け、塾の自習室が閉まるのが早すぎると不満を漏らしていたそうです。堀元さんは、ほとんどの人はきついと思いながら勉強していると驚きます。
水野さんには、倫理・政経と生物の楽しみ方がわからないまま受験が来てしまったという心残りがあります。センター試験で275点も落としたことを「275点分遊べたのに大損」と表現します。
水野さんはこの感覚を、PlayStation 3のトロフィーシステム ── ゲーム内の条件を達成すると記録される実績機能。PS3で導入され、全て集めるとプラチナトロフィーなどが得られますにたとえます。全部アンロックする前に、返却期限が来てゲームを返してしまったような感覚だそうです。
受験勉強が嫌だっていうのが受験まで続くわけじゃん。だったらさ、自分を改造して楽しい状態に持ってた方が楽じゃん。
堀元さんは理屈はわかるとしつつ、多少好きになってもゲームなどの他の楽しみを上回ることはない、それが普通の感覚だと返しています。
「水野さんって自分がないんじゃないか」
受験勉強の話を聞いた堀元さんは、ある仮説にたどり着きます。水野さんには本来の自分がないのではないか、というものです。
なんか俺わかってきたぞ。水野さんって自分がないんじゃないか。
堀元さんの説明では、普通の人も自己暗示で受験勉強を「まあできる」くらいにはできます。けれど自己暗示には限界があり、他の快楽を上回るところまでは持っていけません。水野さんは本来の価値観を捨て、必要な価値観を丸ごとインストールできてしまう、という見立てです。
水野さん本人は、我慢は何もしていないと反論します。寝たいときに寝て、遊びたいときに遊び、怠惰という枠の中で努力できる仕組みを作っただけだという主張です。
僕何も我慢はしてないんですよ。したい時にしたいことをするっていうことしかしてないから、易きに流れ続けてるわけですよ。
堀元さんはこの性質を、求められればブラック企業の兵隊にもすんなりなれるタイプだと表現し、危うさもあると指摘します。
水野さん自身もその危うさを感じていて、戦争の空気に流されて抗えないのではないかという問題意識から人文学を勉強しているそうです。堀元さんは、水野さんは全体主義 ── 個人より国家や集団の目的を優先し、社会全体を一つの方向に動員しようとする政治体制や思想の絶好のカモだと冗談まじりに言います。
努力中毒とメタ認知の封印
水野さんは就職活動でも、はたから見ると信じられないほど根を詰めていたそうです。評価のシステムが見えると、まず好きになる努力をし、あとは必要な作業を淡々とこなせるといいます。
水野さんの初期条件として挙がったのが、考え事をしないことです。習慣化すると、これを続けていいのかと疑わなくなります。
堀元さんは大学時代、プログラミングを独学していた経験を挙げます。この言語は古くなるのでは、別の技術を学ぶべきでは、と考えて進まないことがよくあったそうです。
それだわ。水野さんの適正。それだ。メタ認知を封印することができるんだ。
四字熟語で僕のこと言うなら努力中毒です。
堀元さんは、水野さんのポイ活もこの原理で説明できるといいます。働いたほうが時給が高いのでは、と経済合理性を考えるのではなく、ポイントを貯めること自体が面白くて続けているからです。
堀元さんにも似た経験はあります。仕事をこなすほど儲かり、時給8万円ほどになると気づいた時期は、1日14時間働き続けたそうです。ただし、それは面白いからではなく儲かるからで、頑張っている自覚はあったといいます。
水野さんは、ゆる言語学ラジオを努力だと思ったことがないと話します。台本書きやメール対応は嫌いでも、調べものや読書にはストレスがなく、くたくたに疲れても本を読むそうです。
1日中文章を書いたあとは文字を見たくなくなる堀元さんに対し、水野さんは本に飽きたら別の本を読めばいいと言います。仕事でゲラを読んだあとは電車で本が読めないという同僚の話にも、そんな概念があるのかと心から驚いたそうです。
1年根を詰めて、やっと遊びが楽しくなった
堀元さんは、水野さんが本の原稿を書き終えたあとの飲み会で「久しぶりに遊べて嬉しい」と話していたことを持ち出します。水野さんにとって、その感情はとても新鮮だったそうです。
あの感情だからすごい新鮮でしたよ。1年根詰めるとようやくこういう気持ちになるんだと思いましたね。
堀元さんは、普通の人は1週間のうち5〜6日頑張って週末に羽目を外すと指摘します。1年単位でそれをする水野さんは、スケールがまるで違うというわけです。
1週間のうち5〜6日頑張り、土曜に羽目を外して楽しむ
1年ほど1人で本の原稿を書き続けて、やっと飲み会が楽しいと感じた
話すうちに水野さん自身も、本を読むことを面白く感じる体にしすぎているのかもしれないと言い出します。堀元さんは、情報処理が楽しすぎるという外れ方なのかもしれないとまとめます。
堀元さんには、働いたあとに頭を使いたくなくなり、匿名ラジオを流しながらスパイダーソリティアをする時間が月に1回ほどあるそうです。水野さんもゲームはするものの、ソシャゲをしながら辞書を読むため、ゲームだけに集中することはないといいます。
自己評価の低さが生んだ「余裕の合格」
水野さんは努力中毒であると同時に、自己評価が低いといいます。どうせ自分は受からないと思いながら勉強していたため、名古屋大学の前期試験には合格者平均を大きく上回って受かりました。それでも試験直後の手応えは五分五分だったそうです。
高校受験でも同じでした。内申点は43あり、もっと上の進学校に行ける水準でしたが、受からないだろうと考えて鶴見さんと同じ高校に推薦で入ったそうです。
そのため、みんながぎりぎりの合格ラインを目指していると聞いて、水野さんは「ギャンブルすぎる」と驚いたといいます。
鶴見さんによると、水野さんは高校時代に志望校を2回上げています。判定が良くなると「このままではサボる」と考えて、目標を引き上げてきました。
堀元さんは、それなら自分は有能かもしれないと思ってもよさそうだと言います。けれど水野さんは東大は無理だと考えていて、ゆる言語学ラジオの成功についても「運が良かった」と言い続けています。
たまたますごいものができた時、横に立ってましたね、僕が。
堀元さんは、ここまで来ると謙遜がかえって感じ悪いと笑い、もっとイキってほしいと注文します。
能力は自分のものではなく公共財?
水野さんは、自分は社会構築主義 ── 人の評価や成功などは、個人の本質ではなく社会のしくみや人々の関わりの中で作られる、とみる考え方者だと話します。自分の成功は自分がすごいからではなく、今の社会にたまたまはまっているだけだという立場です。
僕の成功とか、僕が今の世の中でうまく回ってるのって、僕がすごいんじゃなくて、社会にハマってるだけだと思ってるから。
さらに水野さんは、環境決定論も強く持っていると続けます。サボりたい自分に打ち勝った体験がないので、自分の意思で人生を選んできた実感がありません。だから能力は周りの人が作ったもので、自分の所有物ではないと考えています。
堀元さんは、この考え方を『実力も運のうち ── 政治哲学者マイケル・サンデルの著書。能力主義(メリトクラシー)が生む分断や驕りを批判的に論じています』の議論に近いと受け止めます。そのうえで、能力を社会に還元すべきかという話と、自分に能力があると認めることは別の軸だと指摘します。
主体性はどこにあるのか。父と祖父の人生
水野さんが自分に主体性がないと感じる背景には、努力家の父親の存在があります。家ではガンダムのゲームばかりしていて、中学の部活仲間に無職と噂されたほどだそうです。
実際の水野さんの父親は、大学在学中に父を亡くし、単位を急いで取り戻して実家の愛知に戻って働き始めました。本当は公務員になりたかったそうです。
水野さんが物心ついたころには、父親は寝室で電気をつけてテキストを開いていました。数年勉強を続けた末に脱サラし、行政書士・社会保険労務士・宅建の資格を取って、いまは独立して事業をしているといいます。
意思と努力を両方してる人を間近で見てるから、とても俺がそれあるように思えないんですよね。
一方の堀元さんは、自分は努力していて主体的に人生を選んでいる実感があるといいます。面倒なメールでも、印象が1%良くなることが後の1000万円の受注につながると考え、しんどいと思いながらその晩のうちに返信するそうです。
堀元さんは、祖父の話も紹介します。祖父は医学研究をするために資産家の堀元家に婿入りしましたが、太平洋戦争の混乱で財産が吹き飛び、開業医として一家を支えることになりました。
堀元さんは、この祖父の努力は環境の波に放り込まれて泳ぎ切っただけで、意思性は薄いとも言えると考えます。与えられた環境で泳ぎ切った水野さんも、それを努力と呼んでいいのではないかという見方です。
それでも水野さんは、努力とは「やりたくないことを、やりたくないときに自分の意思でやること」だという定義を崩しません。これに対し、本当は心の奥で嫌だと叫んでいるのに自己洗脳が巧みすぎるのでは、という指摘が出て、水野さんもいったん「本当にそう」と認めます。
「ガワ」と「コア」という新しい見方
堀元さんには自己洗脳の自覚があります。儲かるから働くと決めている一方で、心の奥には「もっとぶらぶら暮らしたい」という叫びがあり、それをわかったうえで無視しているそうです。
堀元さんは、自分は8割しか自己洗脳できていないが、水野さんは10割洗脳しきれるのではないか、という仮説を出します。ここで水野さんは、10年来の友人である鶴見さんに問いを投げかけます。
え、じゃあツルミさ、今さ、洗脳し終わった俺としか会話できてないじゃん。直接俺と会話せずにさ、洗脳が終わった表面の俺と喋ってるじゃん。
ここから、人間を表面の「ガワ」と内側の「コア」に分ける見方が生まれます。鶴見さんは、水野さんのコアにはもうたどり着けないと考えていて、ガワで楽しく付き合っているという立場です。
堀元さんは、ポッドキャスト「どんぐりFM」の鳴海さんから聞いた話を紹介します。年を重ねると、親との関係や恋人、家族仲など、人に話したくない領域がヘドロのようにコアにこびりついていくそうです。
もう人に気楽に聞ける話って、え?最近の阪神どう?しかない。
鳴海さんはそれでいいと考えていて、ガワ同士でやりとりするのが楽しいからおじさんはプロ野球を見るのだ、と話していたそうです。
堀元さんはさらに、水野さんを肉まんにたとえます。洗脳が分厚すぎて中の肉が押し潰され、ふかふかの白い皮しか残っていない状態だというのです。水野さんは、それが自分の浅さの原因かもしれないと受け止めます。
8割ほど自己洗脳できている。残り2割の心の叫びを自覚したうえで無視している
10割洗脳しきっている可能性がある。叫びがあるとしても自覚していない
コアを取り戻すにはヴィパッサナー瞑想?
コアを取り戻す方法として堀元さんが提案したのが、ヴィパッサナー瞑想 ── 外界の情報を断って自分の内面を観察する瞑想法。10日間ほど合宿し、会話やスマホを断つ形式が知られていますです。
水野さんは、本を読みたいので3分も無理だと即答します。堀元さんによると、水野さんは飲みに行くときも、相手がトイレに行った隙に読むために文庫本を持っていくそうです。
ところが堀元さんは、言い出したそばから怖くなります。10日間瞑想した水野さんが、世界の真理がわかったと言い出したり、スピリチュアルに傾倒したりしそうだというのです。
水野さん自身も、大きな失敗をしたことがないので、何かあったときに傾倒しやすそうだと感じているといいます。
側全部剥いて何もなかったら2周回って深くないですか?
10日間瞑想して何も変わらなかったら、それが一番面白いコンテンツかもしれない、という話で盛り上がります。ただ水野さんは、仕事を10日も休めないと企画を拒み続けています。
内なる声はSOS? 言わずにおく「コア」
堀元さんは、水野さんにも内なる声があり、それはSOSなのではないかと考えます。久しぶりの休みが楽しいと話したことや、去年の旅行が楽しかったとツンドクチャンネルの飯田さんにLINEしたことも、漏れ出たSOSではないかというのです。
水野さんは、飯田さんへのLINEはやりとりの流れで送ったものだと否定します。堀元さんも、何年もSOSを無視していたら普通は壊れるのに、水野さんは毎日楽しそうだと首をひねります。
堀元さんは、自分の感覚を共有します。特に隠したいわけではないのに、話の流れで自然に出せる話でも「言わんとこう」と思うことがよくあるそうです。恋人ができた話はその典型だといいます。
これをいっぱい言ってったら俺は俺でなくなる気がするみたいな。
堀元さんの言葉では、それは肉まんの肉で、安易に吸い出すと危うい気がするものです。奥さんには割と話すけれど、親にはあまり話さないといいます。水野さんには、こうした積極的でない秘匿がほとんどないようだ、という結論になります。
自分が浅いと、相手の理解も浅い
話は、水野さんの他人理解にも広がります。鶴見さんからは、水野さんはガワすら攻略できていないのに、相手のコアにたどり着いたと思っている、という厳しい指摘が出ます。
堀元さんは、自分がガワだけの人間だから、相手のガワを少し食べただけで「これがこいつの全てだ」と思ってしまうのだろう、と補足します。水野さんは「フォームが崩れる」と頭を抱えます。
堀元さんは、水野さんが『言語沼』に書いたあとがきを読んで「こいつ深いのでは」と思ったといいます。文章を書けば、水野さんの中の深さが出てくるかもしれないという提案です。
水野さんは、文章で深く見せても会えば浅いとばれると返します。堀元さんも、飯田さんが文章の上手さで惹かれた相手に、デートを重ねるうちに「思ったのと違った」と振られた話を持ち出します。
父親の過去についても話が及びます。堀元さんの父親は、北大の水産学部を出て漁師になり、20代後半で琉球大学の医学部に入り直して医者になった人です。
いやなんか医者にでもなるしかねえなって思ったんだよねみたいな。
堀元さんは、その選択の機微を聞きたかったのに、結果しか教えてもらえなかったといいます。鶴見さんも、祖父の会社を継いだ父親に話を聞いたものの、いちばん深いところまでは行けていないそうです。
鶴見さんは、息子には言わないものがあるのではないかと考えます。堀元さんは親子特有の気恥ずかしさ、水野さんは「息子には言わないほうがいい」という判断もありそうだと話します。鶴見さんは、水野さんがそうした発想に至らないこと自体がガワすぎる証拠だと笑います。
ファスト深さは手に入らない
水野さんは、高学歴なのにこんなにプライドが低い人は初めて見たと言われたことがあるそうです。自己評価が低いため、どれだけ罵倒されても「そうかな」と思うだけで効かないといいます。
父親のコアを掘り出すには、まず自分が深くならないといけない。そう気づいた水野さんが「サクッと深くなる方法」を尋ねると、堀元さんはきっぱり否定します。
堀元さんには、毎日河原で瞑想していた時期があったそうです。最近見た映画のこの場面が良かった、こういう話を書きたい、といった作りたいものが、忙しい日々より浮かびやすかったといいます。鶴見さんも、風呂に入っている時間に自分の本質を考えることがあるそうです。
水野さんは風呂でもKindleで本を読み、トイレでも寝る前でも読み続けています。最近は、夢の中でも形式意味論 ── 文の意味を論理学や数学の道具で厳密に記述しようとする言語学の分野の本を読むことがあるそうです。
マジで最近夢で人が出てこなくなりましたね。
人が出てくるとしても、中学のハンドボール部ばかりだといいます。堀元さんは、夏目漱石の『こころ』の読み方にも同じ傾向を見つけます。
『こころ』の先生は、Kにお嬢さんが好きだと打ち明けられても、自分も好きだと言えないまま結婚を決めてしまいます。水野さんが刺さったのはその後の破滅的な結末で、言えなかった心情のほうはあまり引っかからなかったそうです。
俺も好きなんだよねって。一緒に頑張るぞいて。
明るさは水野さんの良いところだと認めつつ、堀元さんはこれを人間らしくない部分でもあるとして、一言にまとめます。
水野さん自身も、じっくり深掘りされる機会がなかったと振り返ります。
一定程度の質問だったら基本的に過去に答えたことがあるから、その想定問答を繰り返すだけで時間が経過するんで、さらに奥まで突っ込んで聞かれたことがないし。
言語化が得意すぎて、コアに行く前にガワの言語化で済ませてしまう面もあるそうです。堀元さんもテンプレの受け答えが多いと認めます。インターネット芸人を続けるうちに、儲けのためにコアが削られているのではないか、という指摘まで出ます。
コアむき出しになるチャンスはあったのか
堀元さんは、小中学生のころは人の些細な一言に傷ついたり怒ったりしていたといいます。大人になって人にどう思われても構わないと思い始め、コアが小さくなった感覚があるそうです。
一方の水野さんは、そうした時期がなかったと話します。高校時代は面白さが際立っていて、人が勝手に寄ってきたからです。
堀元さんは、なまじ面白かったせいで複雑さを失ったのだと見ます。そのうえで、漫画『ダイヤモンドの功罪 ── 平井大橋による漫画。並外れた身体能力を持つ少年が、どのスポーツでも突出してしまうことで周囲との軋轢を抱える物語』にたとえます。
水野さんが挙げたコアのチャンスは、ロンドン留学でした。クレジットカードが止まり、3週間を7万円で過ごすことになり、到着直後にはアイデンティティクライシスを予感したそうです。
ところが実際には、酒を飲んで踊るとドイツ人がビールをおごってくれ、爆速で適応したといいます。大学入学直後に孤立しかけたときも、自分を卑下するいじられ役として仲間を作り、楽しい大学生活になりました。
対照的なのが、大学1年生のころの堀元さんです。講義ノートを写させてもらいながら陰でガリ勉と笑う同級生や、顔で選抜するサークルに嫌気がさし、学生団体を立ち上げたこともあったそうです。
あれすごい嫌だったから、あれに耐えかねて全部のコミュニティを脱退してしまった。
堀元さんが特に嫌っていたのが、月に2回ほどある誕生日会でした。本人も周りもわかっているのにサプライズで驚いてみせる茶番に、何の価値もないと語る熱量に、水野さんは「コアが出てきた」と喜びます。
水野さんのほうは、褒められるのが苦手で、表層のガワで受け流すそうです。ファンに褒められても、ポイントで投資した話をして「金の亡者なんで」と返してしまうといいます。
堀元さんは大学を憎んでコミュニティを抜け、水野さんはロンドンで一文無しに近くなる。どちらもコアがむき出しになりうる状況
堀元さんは尖ったコアを抱えたまま行動した。水野さんは持ち前の明るさで適応し、コアを取り出す機会を逃した
本を書くという決断はコアだったのか
堀元さんが思い当たったのは、水野さんが本を書くことになった経緯です。発酵デザイナーの小倉ヒラクさんに引き出してもらったという話は、コアかもしれないというのです。
水野さんによると、ゆる言語学ラジオを始めたのは堀元さんに誘われたからで、あまり主体的ではありませんでした。一方で本の執筆は、週2回更新という番組の引力を振り切った決断でした。
あれはコアかガワかわかんないけど、主体的な判断、自分の人生の中でかなり珍しい主体的な判断。
ヒラクさんに話を持ちかけられてから1か月考えて行動したことも、考え事をしない水野さんにしては珍しいといいます。ただ堀元さんは、言語の本を書くのは仕事の延長で、「味濃いめのガワ」ではないかとも見ています。
水野さんは、人生の選択肢を狭めてボラティリティを下げるために本を書いたという面もあると話します。堀元さんは、人と仲良くしたいといった、もっと本能に近い欲求が押し潰されている気がすると語ります。
コアを見つける体系的な方法はないのか、という問いも出ます。堀元さんは、やりたいことの見つけ方を説く本は「求められていて苦にならないことをしよう」という結論になりがちで、人生の本当の叫びを見つける本はこの世にないのではないかと答えています。
水野さんのコアはどこにあるのか
過去最長の収録になったこの回は、鶴見さんの登場で「ガワとコア」という新しい概念が生まれた回として締めくくられます。水野さんは、10年来の友人に言われると重みがあると話しています。
最後に水野さんは、室干さんから2023年の年末ごろに「イデオロギーのコアを感じる」と言われたことを明かします。自分でも思想が固まってきた実感があるそうです。
普通の人は生得的に持って生まれてるコアを今やっと獲得しているかもしれない。
水野さんは、ピーナッツくらいのコアをやっと見つけた、と笑います。堀元さんは、水野さんのコアを探す旅を今後の番組の目標にしたいと宣言し、リスナーにも分析の声を寄せてほしいと呼びかけて回を終えています。
まとめ
受験勉強を楽しめてしまう水野さんの感覚を掘り下げていった結果、自己洗脳で価値観を入れ替えられる「努力中毒」の姿と、人間を表面の「ガワ」と内側の「コア」に分けて考える見方が浮かび上がりました。コアは手軽には見つからないものの、本の執筆や思想の芽生えのなかに、その手がかりが見え始めています。
- 水野さんにとって努力とは「やりたくないことを自分の意思でやること」で、好きになる工夫をしてから取り組む自分は怠惰だと考えている
- 堀元さんは、水野さんが自己洗脳で価値観を丸ごと入れ替え、メタ認知を封印できてしまう点に異常さと危うさを見ている
- 鶴見さんの登場で「ガワとコア」という概念が生まれ、水野さんは肉まんの皮しかない状態ではないかと語られた
- 自分が浅いと相手のコアにも届かず、深さを手軽に手に入れる「ファスト深さ」は存在しないという話になった
- 本を書くという珍しく主体的な決断や、イデオロギーの芽生えが、水野さんのコアの手がかりとして挙がった





