自己肯定感と自己評価を混同すると何がすれ違う?
この回は、水野さんが友人から聞いた、ある主張の紹介から始まります。その主張は、世間では自己肯定感と自己評価が混同されていて、そのせいで議論がすれ違っている、というものです。
この前僕友達に面白い主張されまして、それが世間では自己肯定感と自己評価が混同されてしまっていて、そのせいで議論がすれ違ってるっていう。
主張したのは、水野さんの高校時代からの友人である鶴見さんです。水野さん自身もこの2つを区別したことがなかったうえ、鶴見さんは人のマネジメントにも応用できると話していたため、3人で話してみようという企画になりました。
水野さんによると、鶴見さんは人間観察が細かく、水野さんの友人の中では数少ない、ゆる言語学ラジオを初回から見ている人物です。
ただし水野さんは、鶴見さんはマネジメント理論の研究者ではなく一般の会社員だと念を押します。堀元さんが「ドラッカーの後に来るのはツルミだと界隈で言われている」とふざけても、鶴見さん本人は「ただの一般人で、思ったことがあるだけ」と否定しています。
さらに水野さんは、配信活動をしていない鶴見さんに批判が向かないよう、批判するなら企画した自分ではなく堀元さんに、と冗談めかして呼びかけます。堀元さんは「お前が引き受けろよ」と即座に返し、冒頭から3人のにぎやかな空気ができあがっていきます。
肯定感は高く、評価は低い。水野さんはどの象限?
鶴見さんの説明を、水野さんは次のように紹介します。自己肯定感は「自分は生きていていい」「自分のことが好きだ」といった感覚で、自己評価は「自分には能力がある」「他の人と比べてできる」といった見積もりを指します。
自分は生きていていい、自分のことが好きだ、という感覚
自分には能力がある、他人と比べてできる、という見積もり
この区別を聞いた堀元さんは、「仕事できないんすよ」とヘラヘラしながら全く気にしていない人がいる、と例を挙げ、それはまさに水野さんだと指摘します。
俺仕事できないんすよってヘラヘラしながら、でも全然気にしてないみたいなやついるもんね。っていうか水野さんだな、それ。
堀元さんが特に驚いたのは、秋の晴れた日に水野さんが自転車で収録場所に来たときのエピソードです。水野さんは天気の良さに「東京が俺を祝福している」と言いながら到着したといいます。
僕は自己肯定感すごく高くて、自己評価は極めて低いタイプに(なります)。
3人の自己診断では、水野さんが「肯定感が高く評価が低い」タイプ、堀元さんと鶴見さんは「両方とも高い」タイプだと整理されます。堀元さんは自己評価が高い理由を明確に語っています。
インターネット芸人としてまあそこそこ売れておりまして、食うには全然困らないなと。
堀元さんによれば、インターネット芸人はほとんどが食べていけないため、結果を出していることが自己評価の根拠になっているそうです。一方の鶴見さんは、職場で同期や同じ部署の人と比べて「ここはできる」と感じる場面があり、少しずつ自己評価が上がってきたと話します。
堀元さんはここで、俳優の米倉涼子さんを「自己肯定感も自己評価もずっと高そうな人」の例に挙げます。本人いわく、過去は何も調べていない偏見ですが、昔鬱屈していた自分とは違い、ずっと満たされてきた人のような無敵感があって好きなのだそうです。
堀元さんはこの2軸を、自己肯定感の高低と自己評価の高低による4象限として整理します。多くの人は、現実からのフィードバックを受けるうちに2つが連動していき、高い人は両方高く、低い人は両方低いところに並びます。水野さんはその中の外れ値だ、という見立てです。
鶴見さんが水野さんの自己評価の低さを感じるのは、ゆる言語学ラジオの登録者が増えても、水野さん自身の評価がほとんど変わっていない点です。堀元さんも「チャンネル登録者30何万人いるのに、俺の話なんて誰も聞きたくないでしょというスタンス」だと同意します。
堀元さんが例に挙げたのは、3年ほど前の「ゆる言語学ラジオ大忘年会」の企画会議です。水野さんは最初に、今井むつみ先生を呼んで基調講演をしてもらう案を出したといいます。
認知科学会じゃないんですよ。ゆる言語学ラジオ忘年会って。
堀元さんによれば、お客さんは2人の話を聞きに来るのだから、その場では2人が求められている、という感覚が水野さんには全くないそうです。水野さん本人も、パーソナリティは「コツを事前に知っていただけで、練習すれば誰でもできる」と考えていると認めます。
鶴見さんはこのタイプの例として、大谷翔平選手を挙げます。大谷選手が自分を嫌いなはずはないので自己肯定感は高い一方、10割打つような極端な目標を掲げ、打てなかった方に目が向いているのではないか、という見立てです。自己評価が低いからこそ、あれだけ努力を続けられるのではないかと鶴見さんは考えています。
「努力じゃない、したいからやっている」は本当か
堀元さんは、水野さんも調子に乗らず努力を続けていると言います。フルタイムで働きながら台本を書き、パーソナリティを務め、本の執筆や雑誌の連載までしているからです。ところが水野さん本人は、それを努力だと感じていません。
だってやりたくなきゃやめればいいじゃん。忙しくしてるの俺だから。
堀元さんは、この理屈はブラック企業の上司が言う「やりたくてやってるんでしょ?じゃあ辞めたら?」を自分に向けているだけだと突っ込みます。水野さんは、人にはやらないと応じたうえで、自分を見て「頑張ろうと思った」と言われると変な気持ちになると話します。
寝る前に辞書を2ページ読む習慣についても、水野さんは努力ではないと言います。疲れて寝たい日は読まず、後から取り返しているので、厳密には毎日やれていないそうです。
僕のイメージする努力できる人って、自分の意思でやりたくないことも頑張ってやれる人だと思うんで、むっちゃ努力できないですね。
鶴見さんは、令和ロマンのくるまさんも同じタイプではないかと話します。くるまさんは、外から「それは努力だ」と言われて初めて、自分が努力していることに気づいたと語っていたそうです。
ここから、自己肯定感が高く自己評価が低い人の特徴として、「周りからはめっちゃ努力しているように見えるが、本人は努力していると思っていない」という点が浮かび上がります。
水野さんは、自分が外から努力と呼ばれることをする理由をこう言語化します。自分は周囲よりできないと思っているので、他の人が当たり前にできる水準まで能力を引き上げるのは、当然すべきことにすぎないというのです。
自己評価が低い
自分は周囲よりできないと思っている
当然の行動になる
他の人ができる水準まで引き上げるのは当たり前だと考える
外からは努力に見える
本人はしたいことをしているだけの感覚
堀元さんは、その発想は鬱になりそうだと心配します。能力が低い人が同じ考え方をすれば、ひたすら残業して潰れてしまうのではないか、という指摘です。水野さん自身も大学時代、鬱を経験した友人から同じ注意を受けたことがあるといいます。
自己肯定感が突き抜けてるんで。そう、だから鬱にならない。
自信過剰は自分を守るための鎧?
堀元さんは、進化心理学の本『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか ── 進化心理学の観点から、人間の自己欺瞞や自信過剰、協力行動などを解説する一般向けの本。この回の概要欄でも「話に出た本」として紹介されています』を紹介します。本によれば人間は一般に自信過剰で、自己評価が高くなりがちです。鶴見さんも、自己肯定感より自己評価のほうが少し高い人が多いと話していたといいます。
本の説明では、自信過剰な人が多いのはそのほうがモテるからです。自信のある振る舞いは「この人はすごそうだ」という印象につながり、特に男性は自信過剰に振る舞うほうが得なので、そうなるようにできてきた、とされています。
みんな自信過剰で自信に下駄履かせて戦ってる中で、水野さんマイナスして戦ってるから、そりゃ勝てんわって感じしますよね。
水野さんは、自分とは逆の「肯定感が低く評価が高い」人は周りにあまりいない、と堀元さんに尋ねます。堀元さんの答えは、インターネット、特に売れていないブロガー界隈にたくさんいる、というものでした。
自己肯定感が低くて、本当は俺やばいんじゃないかみたいなことを思ってるんだけど、そこに目をつぶって、俺は素晴らしい文章を書けてるから(と自分に言い聞かせている)。
堀元さんはこうした人々を詳しく描写したうえで、自分自身もかつてそうだったと明かします。
一方で堀元さんは、親にとても愛されて育ったため、自己肯定感は比較的高めだといいます。水野さんも、自分の自己肯定感が高いのは親に愛されたからだと考えており、2人とも自己肯定感を育む最大の要因は家庭ではないかと話します。
堀元さんは、売れていなかったブロガー時代に「一畳半」の部屋に住んでいました。本来はスーツケースを置くための場所だったそうです。それでも死にたいとは思わなかったのは、自己肯定感に下限があったからだと振り返ります。
40未満にはならないみたいな。なんかそんな仕様な気がする、僕は。
実家で暮らしぶりを聞かれて「一畳半の物置で暮らしている」と答えたときも、親は「ウケるな」と気にしなかったそうです。堀元さんは、いい親に恵まれなかったら落ち込んで潰れていた気がすると話します。
当時、堀元さんは大学生たちに「狭い部屋に住み、人に奢られて生きれば生活コストはゼロ円で快適だ」と勧めていました。しかし真似した人は全員心を病み、「普通に生きたい」と言って就職していったそうです。
では、なぜ自己評価を不自然に高く見積もる人が生まれるのか。堀元さんは、当時のブロガーたちは深層心理で「自分は大したことがない」と感じつつ、自己評価を高く保たないとアイデンティティが崩れてしまうからではないか、と推測します。防衛機制 ── 精神分析の創始者フロイトらが提唱した概念。不安や葛藤から心を守るために無意識に働く心の仕組みで、否認や合理化などが知られていますのようなものとして、「大手企業に就職した同期より自分のほうが上だ」と思っていた気がする、と振り返っています。
鶴見さんは、何かを書いて発信する時点で自己評価はある程度高いはずだと指摘します。両方とも低い人が突然ブログを始めるとは思えない、というのが鶴見さんの見方です。
合計値が一定を下回ると、人は生きていけない?
水野さんは、自己評価が低いため「書きたい」と思ったことがあまりなかったと話します。作家性を自分に感じないのもそのためで、放っておけば普通に編集者をやって一生を終えていただろう、と言います。
ゆる言語学ラジオの僕一個功績だなって思ってんのは水野さんを引っ張り出したこと。
鶴見さんは、ブロガーは自己評価が高いから書き始め、書いた文章が認められることで自己肯定感を得たいのではないか、という好循環の見方を示します。自分を80点だと見積もっていても、本当は30点や40点かもしれない。そのギャップを埋め、自己評価を確かなものにしたい気持ちがあるのではないか、という考えです。
堀元さんはそこから、1つのモデルを思いつきます。自己肯定感と自己評価の合計値がある値を下回ると、人は生きていけないのではないか、というものです。
前提
自己肯定感と自己評価の合計が、例えば50を下回ると人は生きていけない
肯定感が低い人
自己評価が30点だと受け入れられず、80点だと思い込む
進路への影響
普通に就職せず、ブロガーとしてやっていけるという道を選ぶ
堀元さんによると、ゆる言語学ラジオの構成が悪いと指摘されたとき、水野さんは「確かにそうかも、直します」と素直に受け入れます。それは自己肯定感が高く、反省する余裕があるからだそうです。
対照的に、当時のブロガーたちは「内容が薄い」というリプライに、無視すればいいのに激しく言い返していたといいます。堀元さんは「これ僕の話じゃないですよ」と言いながら、8年ほど前に自分の記事が「今日見つけた地獄」とシェアされ、早口のリプライを返した記憶を思い出し、悶絶します。
皆さん絶対僕のツイッターを8年以上遡るのやめてください。絶対に。
厳しい指導で伸びる人と潰れる人の違いは?
堀元さんは、結果を出していない人ほど自己肯定感も自己評価もいっぱいいっぱいで、合計値が限界に近いと説明します。そのため、批判を受け入れるとマイナスになってしまい、必死に反応するというのです。
水野さんはこの話を努力と結びつけます。指摘を受け入れて改善するには、いったん自分を下げるステップが必要です。合計値がカツカツの人はそれができず、反発や攻撃に向かってしまうのではないか、と水野さんは考えます。
僕バカ高いからその自己肯定感。だからちょっと下げられても問題ない、あんまり。
水野さんは、大学の1つ上の先輩の話を紹介します。先輩は優秀な成績で大手企業に入り、上司から厳しく詰められましたが、フィードバックをすべて取り入れて直し、1年で一人前になったそうです。その先輩が最近こぼしていたのが、「部下が自分ほど頑張らない」という悩みでした。
水野さん自身も、最初の職場で上司から細かいことまで厳しく指摘され、1つずつ直してきた結果、今は仕事を回せるようになったといいます。
僕らみたいなタイプ、自己肯定感すげえ高いんだけど、あんまり自分のことできないと思ってるやつって厳しくしてもらった方がいいんですよね。
ただし水野さんは、普通の人に同じ指導をすれば潰れてしまうとも認めます。さらに、その教え方で育った人は、下の人をどう見ればいいかわからないまま上に立ってしまう。水野さんはこれを「怖い話」として締めくくります。
堀元さんは、これを「体育会系」と「非体育会系」の違いとして考えていたと話します。小学校から大学まで野球部だった鶴見さんは、自分は怒られないとわからないタイプだと言います。一方、堀元さんは逃れられない人間関係の相手から怒られるのが本当に嫌で、1週間ほど落ち込むそうです。
相手が3のつもりで怒っても、500ぐらい反省する
500ぐらい言われて、やっと3反省する
堀元さんによれば、この2つのタイプが混ざると悲劇が起きます。体育会の人がいつもの調子で非体育会の人を叱ると相手は深く傷つき、逆に非体育会の人が気を遣って弱く叱っても、体育会の人は「そうっすか」と全く響かないというのです。
なぜ今どき管理職になりたいのか?
水野さんによると、今の自分たちの世代には管理職になりたくない人がとても多いそうです。堀元さんも『罰ゲーム化する管理職 ── 管理職の負担が増える一方で、報酬や魅力が見合わなくなっている状況を論じた本。この回の概要欄でも紹介されています』という本を挙げます。
そんな中で、鶴見さんは早くマネージャーになりたいと考えています。理由の1つは、なりたい人が少ないため希少価値があることです。もう1つは、部下1人ひとりの成長や変化を一番近くで見られるからだといいます。
水野さんと堀元さんは、自分が成長するほうが楽しいと口をそろえます。堀元さんは、動画編集を外注しているのも本当は嫌で、「あと1フレーム早くカット」といった調整まで自分でやりたいと話します。水野さんがそれを「ドスケベやん」と評し、プレイヤー気質の2人と鶴見さんの違いが際立ちます。
鶴見さんは、能力がある人がそれを発揮できていない環境が気になるとも話します。大学時代に野球部で学生監督を務め、配置や采配を考えるのが好きだったことも関係しているかもしれない、と自己分析しています。
これに対して堀元さんは、小さな会社の経営者にありがちな話を持ち出します。教育して使えるようになった社員が、顧客リストを持って独立していくというものです。優秀な部下に大幅な昇給を求められても、管理職の権限では引き止められないこともある、と畳みかけます。
初めて来たゲストにこのザマだよ。叩くならこの人だよ、やっぱり。
手を施しようがない部下と、下げ放題の部下
堀元さんの問いかけに対し、鶴見さんは、うまくいかない経験もしてみたいと答えます。それは会社員だからかもしれず、小さな組織ほど失敗の痛手は大きいだろう、とも認めています。
鶴見さんはマネジメントの観点から、水野さんが部下だったら「やれることが1つもない」と言ったことがあるそうです。好きなことを勝手に突き詰めて伸びていき、興味のない仕事はやらないだろうから、というのが理由です。一方の堀元さんについては、実績を上げると慢心しそうなので、そこを抑えるのがマネージャーの役目だと見ています。
すごい調子乗るから。俺天才なのかもしれない。すぐなるから。
水野さんは、自分は1年目に細かく厳しく指導してもらったから今がある、と反論します。堀元さんは、それは理想的な育て方だったのかもしれないと応じ、下げていい人か下げてはいけない人かを見極める必要がある、と話を広げます。
鶴見さんは、自己肯定感を高めることもマネージャーの仕事の1つだと考えています。元から自己肯定感が高い人には能力を伸ばすことに集中すればよい一方、両方とも低い人には成功体験を積ませて自己肯定感を上げる必要がある、という考えです。
堀元さんは、これまで体育会と非体育会で分けていた自分のモデルよりも、合計値を下回らせないマネジメントという鶴見さんのモデルのほうがスマートだと認めます。ただし、体育会にいる人は自己肯定感が高いので、2つのモデルはリンクしているとも話します。
堀元さんは、親に愛されていた割に昔は自己肯定感が低かったと明かします。その理由は筋肉がなかったからで、筋肉をつけてから「今日もいい1日だ」と思えるようになったそうです。
上腕二頭筋が叫んでる。お前の人生この先バラ色だって。
2つの軸は本当に連動しているのか
水野さんは、鶴見さんの別の指摘を紹介します。多くの人は自己肯定感より自己評価のほうが少し高く、発揮できる能力は低いほうの軸に揃ってしまう。そのため、肯定感が低い人は肯定感を上げるとパフォーマンスが最大化する、という考えです。
ここで堀元さんは、今日の議論に最初から抱いていた疑問を口にします。2つの軸を立てるなら、それぞれ独立した変数であるべきではないか、というものです。
俺はこの世にいていいんだみたいな感覚って本来無根拠であるべきで、結果を出しているから自己肯定感が高いって、それ自己評価やんっていう気がしてしまう。
堀元さんは、褒められたときにどちらが上がるかは、言葉と場面によるのではないかと話します。上司に仕事を褒められれば自己評価が上がり、友人に「この先もずっと友達でいよう」と言われれば自己肯定感が上がる、という整理です。
現実からのフィードバックで2つが揃っていき、多くの人は直線上に並ぶ
肯定感は生育環境や筋肉量などで決まり、結果を出しても上がるのは自己評価だけ
鶴見さんも振り返ると、自己肯定感は親や環境のおかげでずっと高く、自己評価は部活や職場で能力を認められたかどうかで上下してきたため、独立していると考えてもよさそうだと同意します。
一方で堀元さんは、ブロガー時代の自分に当てはめようとして混乱します。自己評価は5ほどだとうっすら分かっていながら、現実に向き合いたくなくて90だと思い込んでいた気がする、というのです。
水野さんはこれを、この話の難しさだと受け止めます。理想の自分と実際の自分がずれていて、本人も正確に見積もれないという問題です。堀元さんはこれを「自己評価の二重性」と呼び、水野さんは「希望的観測」と言い換えます。
では、こうしたずれを抱えた部下をどうマネジメントするか。鶴見さんは、まず「本当は5だぞ」と気づかせることだと答えますが、水野さんは自己肯定感の低い人には危ういと懸念します。堀元さんは90から少しずつ下げる方法を考えますが、その結果慢心しそうだという指摘に、「そんなやつ雇うのやめよう」と言い出し、それが自分だったと気づいて笑いが起きます。
最後に鶴見さんは、自分の考える「何者か」について語ります。有名になりたいのではなく、所属する組織の中で役割を果たしたいという意味です。一方の堀元さんは、何者かになれば楽してモテたり儲かったりすると考えていたと話し、水野さんから「解像度が粗い」と突っ込まれます。
次回予告は「水野の異常性」
収録はすでに1時間を超え、話は次回に持ち越されることになります。次回のテーマは、鶴見さんが水野さんを「異常者」と呼ぶ理由です。水野さん本人は、自分はバランス感覚のある人間だと主張しますが、2人からはすぐに否定されます。
堀元さんによれば、収録前の飲みの席でも、水野さんは「自分の話は面白くないから、人の話を引き出したほうがいい」と言い続けていたそうです。
これボケじゃないですよ皆さん。本当に彼はそれで悩んでいる。
水野さんは、10年以上の付き合いがある鶴見さんだからこそ、自分を深い解像度で語り、的確に言語化してくれると話します。次回は、自己肯定感と自己評価の話から発展させて、水野さんの異常性を掘り下げる予定です。
まとめ
この回では、自己肯定感を「自分は生きていていい」という感覚、自己評価を「自分はできる」という見積もりとして分けることで、人の振る舞いの見え方が変わる様子が語られました。その整理は、努力の感じ方、批判への反応、そしてマネジメントの考え方にまで広がっています。
- 自己肯定感が高く自己評価が低い人は、外からは努力家に見えても、本人は努力だと感じていないことがある
- 肯定感と評価の合計に余裕がないと、批判を受け入れられず、防衛的に反発しやすくなる
- 厳しい指導で伸びる人と潰れる人がいるため、まず肯定感を上げてから指導するという順序が提案された
- 2つの軸は独立した変数と考えたほうがスマートではないか、という問いと、自己評価の二重性という難しさが残された







