青大芋に弘法芋、ゴローザ。じゃがいもの呼び名は何種類?
前回のトウモロコシに続き、水野さんが言語地理学の題材に選んだのはじゃがいもの名前です。じゃがいもの呼び名には地域差が大きく、青大芋、弘法芋、青太夫、甲州などの語形があると紹介されます。
青太夫、もう芋なくなっちゃったね。
堀元さんは北海道の「馬鈴薯」も挙げつつ、「なんとか芋」の変形はいくらでもありそうだが、芋が付かない形まであるのは驚きだと反応します。
水野さんは、こうした語形を「大体そういうもんでしょ」と受け流す感性も大事にしてほしいとしたうえで、じゃがいもの語形からは人間らしさが読み取れると主張します。
やっぱ人文学ってね、人とは何かを探求してますけど、やっぱジャガイモはね、すごいね、いい題材だなと思います、僕は。
さらに水野さんは、郷州芋、ゴロウタ、ゴローザ、二度芋、五升などの語形を並べ、どんな順番でこうした形が生まれたのか仮説を求めます。堀元さんが「人の名前から取られてるんじゃないか」と答えると、水野さんは「まさにそう」と応じ、最初は人名から話が始まると説明します。
甲州の代官・清太夫は、なぜ記念碑を断ったのか
じゃがいもの呼び名の起点として水野さんが紹介するのは、山梨県で観察される「清太夫」という語形です。由来は、甲州の代官だった中井清太夫という人物だといいます。
清太夫は、甲州で飢饉が起きたときにじゃがいもを九州から取り寄せ、甲州に広めることで民を救ったとされます。山梨県ではその名前を取って、じゃがいもを清太夫と呼んだり、芋を付けて清太芋と呼んだりするようになりました。
堀元さんはこれを、人名から物の名前が付くエポニム ── 人名に由来する言葉のこと。カーディガン、サンドイッチ、エベレストなど、元の人物が意識されないまま一般名詞として定着する例が多くありますだと整理します。
飢饉とじゃがいもの組み合わせについては、フランスでじゃがいもを広めたパルマンティエの逸話も話題になります。見張りをわざと緩めて民衆に盗ませた、という真偽不明の話です。水野さんはアイルランドの例も挙げかけますが、堀元さんは、アイルランド飢饉はむしろじゃがいもに頼りすぎて病気で全滅したことから起きたのではないかと指摘します。
清太夫について水野さんが強調するのは、その謙虚さです。救われた領民が記念碑を作りたいと申し出たのに対し、清太夫は「代官としての義務を果たしたまでのこと」と言って聞き入れなかったといいます。
これ(清太夫の謙虚さ)が今後キーになるので、ちょっと覚えておいて。
一方で堀元さんは、自分の名前が「うちの大樹うめえな」「肉大樹作ったから食べる?」のように芋の名前として使われるのは複雑ではないかと問いかけます。水野さんは、中学時代に丸坊主だったせいで「ポテト」と呼ばれていたというエピソードで返し、笑いを誘いました。
清太芋が仙台芋に。意味のわかる言葉へのこじつけ
水野さんによると、清太夫は記念碑を拒んだこともあり、有名な人物ではありませんでした。そのため、山梨から岐阜県北部の飛騨地域まで伝わったころには、清太芋という語形はあっても清太夫という人物とは結びつかなくなっていたといいます。
伯爵?なんか偉い人の名前だけど、そんなこと誰も意識しないでもうカーディガンってあのものの名前として定着してますけど。清太夫もそんな感じになってた。
飛騨では「清太」の意味がわからないため、清太芋は仙台芋に変わりました。じゃがいもは不作の時にも育つ救荒作物 ── 飢饉や凶作のときでも収穫が見込め、人々の食糧を補う作物のこと。じゃがいもやサツマイモ、ソバなどが代表例とされますで、寒い地域でも育つというイメージから、寒い土地である仙台と結びついたと説明されます。
水野さんは、この現象を専門用語で類音牽引 ── 似た音の語に引きずられて、発音や語形が変わってしまう現象。意味のつながりも感じられる語に引き寄せられることが多いとされますと呼ぶと紹介します。身近な例は、「延々と」を「永遠と」と言ってしまうケースです。
堀元さんはクラウドファンディングの「クラウド」(群衆)と、雲の「クラウド」の混同を例に出しますが、水野さんはそれは類音牽引とは少し違うと指摘します。ハンバーガーの「バーガー」を切り出すような異分析の話も出ますが、正確な整理には至らず、二人はこの例を一旦置いておくことにしました。
清太夫
甲州の代官がじゃがいもを広め、山梨でその名が付く
清太芋
芋を付けた語形が飛騨まで伝わる
由来の忘却
清太夫が有名でなく、人物と結びつかなくなる
仙台芋
寒い地域でも育つイメージから仙台に引き寄せられる
この流れは、意味がわからなくなった語が、話し手にとって意味のわかる言葉へ寄っていく類音牽引の典型例として語られています。
甲州芋は江州芋、孔子芋、弘法芋、五升芋に
じゃがいもの呼び名には、清太夫とは別に「甲州」から始まる系統もあります。九州から取り寄せたじゃがいもが甲州から広まったため、中部地方では甲州芋や甲州と呼ばれたといいます。
ところが西日本では「甲州」になじみがありません。そこで、近江地方を指す「江州(ごうしゅう)」に置き換えられ、江州芋のような語形が生まれました。
なるほどね、身近な言葉に置き換えちゃうんだね、みんなね。
甲州がピンとこない地域の一部では、儒教の創始者である孔子に当てられて孔子芋になった例もあります。堀元さんは「遠い遠い」と突っ込みつつ、論語由来のものは世の中に多いので、孔子にこじつける認知が働くのはわからなくもないと話します。
さらに、弘法大師に置き換えられた弘法芋も中国地方などで見られます。孔子から来たのか甲州から来たのか、ルートははっきりしないと水野さんは説明します。
江州の「ご」を数字の5と捉えた「五升」という語形もあります。じゃがいもの収穫量が多いことから、米を数える升と結びついたと考えられ、東北北部から北海道で見られるといいます。
| 語形 | 寄っていった先 | 説明されたきっかけ |
|---|---|---|
| 江州芋 | 近江地方の江州 | 西日本で甲州になじみがない |
| 孔子芋 | 儒教の孔子 | 甲州がピンとこない地域で当てられた |
| 弘法芋 | 弘法大師 | ルートは不明。中国地方などで見られる |
| 五升 | 数字の5と升 | 収穫量の多さ。東北北部から北海道 |
これほど音が勝手に移っていくなら、と堀元さんは「延々と」を「永遠と」と言うくらいは許そうと言い出し、水野さんも「全然問題ない」と応じました。
ゴローザに五郎太。じゃがいもはなぜ人名に戻ったのか
水野さんが最後に挙げるのが、五郎左(ゴローザ)や五郎太(ゴロウタ)といった、いかにも人名らしい語形です。堀元さんは一瞬、水野さんが嘘を混ぜて試しているのかと疑いますが、実在する語形だといいます。
水野さんの説明では、江州あたりから「ゴロ」という形が生まれ、じゃがいもがゴロゴロしていることから類音牽引が起きました。さらに「イモ」の響きが、人名の「なんとか右衛門」の「右衛門」に似ているため、五郎右衛門のような人名に近づき、ゴローザやゴロウタになったと考えられています。
江州
甲州から置き換わった語形
ゴロ
じゃがいものゴロゴロした様子と結びつく
五郎右衛門
イモの響きが右衛門に似て人名に接近
ゴローザ・ゴロウタ
人名らしい語形に定着
堀元さんが気づいたのは、同じ甲州から出発しても、弘法芋になる道とゴローザになる道があるという点です。水野さんはさらに、人名の清太夫から始まったじゃがいもの呼び名が、巡り巡って別の人名に戻ってきたことの面白さを強調します。
青田牛(清太夫)スタートの、ゴローザアウト。
方言のじゃがいもには人名が多く現れる特徴があるらしく、調査では弘法、太師、孔子、五郎、五郎左、五郎太、権左、権助、平六、弥五郎、男爵などが挙がっているといいます。平六がどの系統に位置づけられるかは本に書かれていないそうで、二人は首をかしげていました。
有名じゃないからこそ、言葉は大きく変わる
ここまでの話を水野さんは2系統に整理します。清太夫から始まって仙台芋などになった系統と、甲州から始まって孔子、弘法、五郎などになった系統です。
孔子や弘法になった理由について、本では「救荒作物による救いへの敬意」が挙げられていると水野さんは紹介します。危機のときに助けられたので、聖人のような人物と結びつけ、その音に寄っていったのではないかという考え方です。
堀元さんは、恩義から名前を残す例として、測量に貢献したジョージ・エベレストに由来するエベレストを挙げます。ただし弘法大師はじゃがいもを持ってきていないので、じゃがいもの例は実在の人物からさらに離れていると二人は確認しています。
水野さんが特に良いと評価するのが、著者の大西先生のまとめです。本の中では、清太夫も甲州も「ともに弱い固有名詞であったために言語変化を強く推し進めた」とされ、「強さと影響力は必ずしも相関しない。むしろ弱さが変化の機動力となり、思わぬ形で未来につながっていくこともある」と書かれていると読み上げられました。
水野さんの解説では、もし清太夫が記念碑を各地に建てていれば、名前が有名になり、清太夫のままで通じていたはずです。清太夫が謙虚で無名だったからこそ、人々の連想力が働き、さまざまな語形が生まれたというのが大西先生のまとめの趣旨だといいます。
有名で人に強いイメージを与える。最初から由来が知られていれば変化しにくい
清太夫や甲州のようにあまり知られていない。意味がわからず、連想で別の語形に変わっていく
堀元さんは、芸能界で知名度の低い芸人を「弱い」と言うのと同じ使い方だと感心します。さらに、自分の名前を冠したものがネット上で変わっていけば「俺の名前は弱いんだ」と気づくきっかけになるかもしれない、と話を広げました。
弥勒菩薩は虫歯に効く?ZOZO立ちにも通じる連想
水野さんがこの話から感じたのは、連想という認知能力のすごさです。何かを聞いたときに別の何かと結びつけてしまう人間の特性が、じゃがいもの語形には典型的に表れていると話します。
よくわかんない語形があった時に、それを近い何かと連想してその音に結びつけるという類音牽引っていうのは、言語の変化を引き起こす一つのキーだし、
その類音牽引のために使ってる能力っていうのは、多分連想、何かと何かをつい結びつけてしまうところからスタートしてると思うんですね。
水野さんは、ダジャレを言う自分は人間らしさの塊なので敬意を持って接してほしいと冗談を言い、堀元さんも「最も人間らしい営みかもしれない」と応じます。
連想は言語に限りません。本には、諏訪の石仏を調査した人の報告として、弥勒菩薩が「虫歯に効く菩薩」と地元で言われ、虫歯の人がお参りに来るという話が載っているそうです。
理由は弥勒菩薩の半跏思惟 ── 片足をもう一方の膝に乗せて座り、指先を頬に当てて考え事をする姿の仏像の形式。弥勒菩薩像によく見られますのポーズです。本来は考え事をする姿ですが、手で頬を押さえる様子が歯の痛みをこらえているように見えたため、虫歯に効くという話が定着したといいます。
堀元さんは、インスタで頬に手を当てて自撮りするポーズが「歯痛ポーズ」と言われていることを挙げ、昔の人と同じ連想が今も行われていると驚きます。水野さんも、ZOZOTOWNのモデルが首を押さえるポーズが多く、「ずっと首が痛そう」と話題になったことを紹介します。
それ(ZOZO立ち)類音牽引であり、弥勒の石仏、諏訪の石仏でもあります。
ジョジョ立ちをもじったという点では類音牽引、ポーズに別の意味を見出したという点では諏訪の石仏と同じ連想というわけです。
民間語源を「間違い」と切り捨てると何を見失う?
じゃがいもの呼び名が清太夫から五郎左まで変わったと知った堀元さんは、「フィーチャー」を「フューチャー」と言う人に怒っていたのがばかばかしくなってきたと打ち明けます。
お前英語中一とか中二とかで習うやろ、下手するとフューチャーなんてっていう。めちゃくちゃ怒ってたんですよね。
しょうがないんだね、これ(言葉の変化)は。みんなやってんだずっと。
水野さんが同じ結論として用意していたのが民間語源 ── 学術的な根拠のない、一般の人々による語源の解釈。「ぐっすりはグッドスリープから来た」のような俗説が例として挙げられますという考え方です。本では、民間語源を真偽の疑わしい誤った学説とだけ捉えると本質を見失う、と書かれているといいます。
水野さんの紹介によれば、民間語源には語に対する人々の解釈や意識が反映されていて、それが語を安定させたり変化を生み出したりします。誤った説が広がってよいわけではないものの、排除すると見えなくなるものがあるという指摘です。
堀元さんは、番組でずっとこうした発見があったと振り返ります。赤ちゃんの言い間違いが言語習得の大事なプロセスを映していたことや、第二言語習得論の福田先生が、学習者の間違いも注目すべきデータだと話していたことが挙げられました。
二人はさらに、都市伝説やオカルトとの共通点にも触れます。不審な大人が怖がられた時代に口裂け女が出てきたように、人々の意識が伝承に反映されるという点で、民間語源の見方は民俗学に近いと水野さんは考えています。
言語地図を読むと、地図に体温が宿る
水野さんは、これまで地図や地理に体温を感じたことがなかったと話します。地図はただの幾何学的なもので、そこに人が住んでいる感覚はあまりなかったといいます。
この方言はなぜ存在するのかを読むと、地図が体温を持って読めるようになるんですよね。
言語地図を見ると、そこに人が住み、その人たちなりの戦略で言葉を使っていることが見えてくると水野さんは説明します。全国調査型の言語地理学はフィールドワーク派から「大事なものを捨てていないか」と批判されることもあるそうですが、水野さんはそうではないと感じたといいます。
気温が21度以上か以下かが稲作に関わり言語の分布に表れることも、清太夫という言葉がわからないなりに解釈した爪痕が地図に残っていることも、新しい地図の読み方になるのではないかと水野さんは語ります。
堀元さんは、無機質だと思っていたものが愛らしく見えてくるのが勉強の楽しさだと応じます。PCのファンが回ると「頑張ってるな」と思う堀元さんに対し、水野さんは「俺が今作業してるでしょうが」と思うという対比で盛り上がりました。
水野さんは、番組を続けるうちに堀元さんが言葉の変化に寛容になったように、自分もあと1年ほどでPCをかわいいと思えるかもしれないと話します。堀元さんは、地図に体温を感じる話はウェブ漫画『オーシャン学』オーシャン学の影響ではないかと指摘しますが、水野さんは「たまたまです」と否定しました。
ひっつき虫が「チンコバサミ」?本に残された謎
締めくくりで水野さんは、類音牽引は『方言はなぜ存在するのか』に出てくる言葉の変化の分類の1つにすぎないと紹介します。第7章の民間語源の章には、「ひっつき虫と男性器」というサブタイトルが付いているそうです。
ある地方ではひっつき虫を「ちんころバサミ」や「チンコバサミ」と呼ぶといいます。堀元さんは一番気になると食いつきますが、水野さんは詳しくは本を読んでほしいと話を止めます。クワの実を「ツバメ」と呼ぶ地域の話も、分布から面白いことがわかるとだけ紹介されました。
堀元さんは、柳田国男が編纂した日本民俗語彙に、タバコの葉を刻む職人を指す「チンコ切り」という言葉が載っていたといううんちくを添えます。由来の解説は書かれていなかったそうです。
このチンコバサミっていう語形になることに関わってるファクターは女性器です。
水野さんはヒントだけを残して話を終え、言語学の知識がなくても読めるように書かれた本だと紹介しました。
まとめ
じゃがいもの方言名は、甲州の代官・清太夫や甲州という地名から出発し、由来が知られていない土地で仙台芋、江州芋、孔子芋、弘法芋、ゴローザなどへと姿を変えていきました。その背景には、意味のわからない語を身近な言葉に結びつける人間の連想力があると、この回では語られています。
- 清太夫が由来の清太芋は、由来が忘れられた飛騨で寒冷地のイメージから仙台芋になった
- 甲州芋は江州芋、孔子芋、弘法芋、五升などに分かれ、ゴロを経てゴローザのような人名にも戻った
- 大西先生は、清太夫も甲州も弱い固有名詞だったからこそ言語変化が強く進んだとまとめている
- 民間語源を誤りとして排除せず、そこに表れる人々の解釈や意識を見ることが大切だとされる
- 言語地図を読むと、人々が言葉を解釈した爪痕が見え、地図に体温を感じられるようになる

