前回のおさらいと、逆張りしたがる「討論者」
この回は、水野さんが読んだ『ビジュアル・シンカーの脳』という本をもとに、前回に続いて自由に語り合う後編です。収録は酒を飲みながら行われており、冒頭から堀元さんは上機嫌です。
水野さんは改めて、ビジュアルシンカー ── 「視覚的に考える人」のこと。思考内容が絵のように浮かび、脳の視覚領域が活性化する傾向があるとされます。対になるのが言葉で考える言語思考者ですとは視覚的に考える人のことだと説明します。絵のように思考が浮かぶという自己申告だけでなく、脳の視覚領域が活性化するという神経基盤的な根拠もあると紹介しています。
前回の論点は、堀元さんが抱えていた「言語化ができない人は劣っているのではないか」という考えでした。水野さんは、言語化がうまい人がうまくいく社会は、言語化がうまい人によって作られただけではないかと答え、その価値観は相対化したほうがいいと話していました。
前回で伝えたいことはひととおり伝えたので、今回は本を読んで考えたことをもとに雑談する回だと水野さんは位置づけます。堀元さんは、MBTI診断で自分が「討論者」タイプと出たことを持ち出し、その説明文を読み上げます。
議論を面白くするためにわざと大衆とは逆の意見をとる。このような姿勢が討論者のデフォルトです。俺やん。こんな当たってることある?
そこで水野さんがわざと「言語思考者こそが思考という世界は間違っている」と振ると、堀元さんは逆張りで応じます。テキストは圧縮された媒体だから、容量を食う絵で考える人は劣っている、という理屈です。水野さんは「コンピューターじゃないんで」と一蹴しました。
言語思考者なら、なぜテキストチャットだけで満足しないのか?
水野さんは、言語思考者が優位な世界が成り立っている理由の1つとして、聴覚や文字を読む処理の速さがあるのではないかと考えます。堀元さんも、逆張りのつもりで話した主張にも一理あると認め、身の回りのデバイスや環境は言語ばかりだと指摘しました。
堀元さんが挙げた例はマッチングアプリです。マッチした相手とカフェでお茶をするときに、絵を8枚持ってきて1枚ずつ見せるわけにはいかないので、普通の人は喋るしかないという話でした。
これに対して水野さんは、堀元さんの例は墓穴を掘っていると返します。会う前のメッセージのやりとりは言語ですが、対面で会うときは見た目、所作、仕草など、視覚も聴覚も使ったマルチモーダルな情報を受け取っているからです。
堀元さんが仮に言語思考者で言語が思考だっていうなら、ずっとテキストチャットしときゃいいわけですよね。
水野さんはさらに、Zoomが流行った時期を経ても、結局は対面でなければだめだという流れになったことを挙げます。視覚の世界のほうが情報量が多いと、人間は巡り巡って気づいているのではないかという見立てです。
テキストのやりとりで、ほぼ言語だけに頼っている
見た目・所作・仕草など、視覚と聴覚を使ったマルチモーダルな情報を受け取る
文章だけで人を好きになれるのは才能か
水野さんの「言語思考者ならDiscordでやりとりしていればいい」という言葉を受けて、堀元さんは大きな声で、自分の才能かもしれないと思っている特性を語り始めます。それは、文章を読むだけで「この人が好き」となれることです。
会ったこともないし、顔も知らない状態でもう大ファンですと。あなたに会いに行くために長野県までとりあえず行きますねって言うことができる。
堀元さんが例に挙げるのは、書評ブロガーの骨シャブリさんや、SF作家のイスカリユバ先生です。どちらも文章を読んだだけで大好きになったといいます。
水野さんは、堀元さんが言語思考者だからこそ、文章から「この人はこう世界を認知しているはずだ」という直感が働くのだろうと解釈します。ただし相手が本当に言語思考者かどうかは決めつけられず、少なくとも高いレベルで言語思考しているように見える、という言い方にとどめています。
この特性を活かすなら、マッチングアプリに写真はいらないと堀元さんは言います。好きなものについて1万字のテキストを書いておいてくれれば、それで好きになれるそうです。逆に「私はこういう人です」という絵だけのプロフィールは、堀元さんにとって「情報量ゼロ」だといいます。
水野さんは、リスナーの中には絵のほうが伝わる人も結構いるはずだと返します。1万字を読むのが得意でない人も、読んでもわからない人もいて、絵のほうが雄弁だという人もいるからです。
水野さんは、人間がかなり視覚に頼っていること、味覚でさえ視覚に左右されることが実験で示されていることを挙げます。そのうえで、言語思考者は視覚思考者に比べて「どこかおかしい」のかもしれないと、あえて過激な言い方をしました。否定ではなく、そう考えることで取りこぼしていたものが見えてくるという意味で、水野さんは本を読んで肯定的にそう思ったと話しています。
堀元さんの好きな女性のタイプも、この話と重なります。挙がったのは江國香織さんや『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリ ── 漫画家・文筆家。古代ローマの浴場技師が現代日本にタイムスリップする漫画『テルマエ・ロマエ』で知られ、エッセイも多数ありますさんで、どちらも20歳ほど年上ですが、エッセイを読むと好きになってしまうといいます。
水野さんはこれを、文章そのものではなく、自分が思いもよらないレベルの言語化能力に惚れているのではないかと解釈します。堀元さんもそれに同意しました。
堀元さんは大学2年生のころ、江國香織さんのエッセイ集『とるにたらないものもの』を読んで「付き合いたい」と思ったそうです。特に好きなのは、パンケーキの最後の一口にメープルシロップを全部かけて食べる場面を、向かいの男性が「幸せで殴り倒す行い」と言ったというエッセイでした。
こんな美しいエッセイを書く人は好きだなってすごい思ってね、心を揺さぶられたんですよね。
水野さんが「お茶をしていて相手がそんな話をしてきたら」と振ると、堀元さんは即座に「好きです。付き合ってください」と返します。水野さんは「言語化に興奮する人かもしれない」とまとめ、シンガーソングライターの日食なつこさんの名前も、殴られるような詩を書く人として挙がりました。
パートナーには同じ思考タイプを求めるのか、違うタイプを求めるのか
水野さんは、マッチングアプリに「言語思考者か視覚思考者か」という分類があってもいいのではないかと提案します。お酒を飲むかどうかという分類があるなら、パートナーがどちらの思考者であってほしいかも同じくらい大事なはずだという考えです。
堀元さんは、自分はたくさん喋る人が好きで、言語化が得意な人に周りにいてほしいと話します。一方の水野さんは、言語化が得意な人でなくてもいい、感覚的な人でいいと答えました。
僕みたいな人間はやっぱできない部分っていっぱいあるんですけど、そのできない部分が社会的に評価される部分によって消されてるだけなんですよ。
水野さんが自分の「できない部分」の例に挙げたのが、風呂の換気です。換気扇が自動で止まる家に引っ越してから、面倒で換気をしなかったら風呂がカビ臭くなり、最近になって換気の大切さに気づいたといいます。戸を閉めて換気扇を回したほうがいいというウェブ記事を読んで試したところ、匂いはなくなったそうです。
水野さんは、自分は言語処理能力だけが高く、社会的にはあまり適応できていない人間で、それを社会の仕組みによってマスキングできているだけだと話します。だから「しっかりしてるね」と言われると本質から外れている気がして、「ダメだぞお前」と言われたほうが本当の自分を見てもらえている気がするといいます。
水野さんは、同じヒエラルキーの中で競争する関係より、まったく違う軸に立つ人とのほうが「違う人なんだな」と受け止められるとも話しました。堀元さんは、それはいいパートナーシップなのかもしれないと応じています。
堀元さんは、最近結婚した奥さんとのコミュニケーションの違いを例に出します。2人ともよく喋る点は共通していますが、伝え方の戦略がまったく違うそうです。
戦略的に話す。相手が「やめたほうが得だ」と思える理由を考えてから伝える
直球で言う。出かける直前に「服がダサいから着替えて」と伝える
水野さんは話を広げ、堀元さんは甘えるのが下手で、全員に気を使っていると指摘します。水野さん自身は、書籍の担当者の飯田さんを心から尊敬していることを伝えたうえで、大丈夫なラインで「ヒゲメガネ」などといじり、より仲良くなっているそうです。
全然自分とストラテジーが違う人が周りにいることによって、あ、なんか俺のこれ、全然その社会の攻略法のメインじゃ別にないのかもしれないなって思わせられる。
ゆる言語学ラジオは「見世物小屋」なのか?
水野さんは本を読んで、ゆる言語学ラジオがポッドキャストとして受けている理由は、2人が「言語化ヤクザ」だからではないかと考えたといいます。ポッドキャストは聴覚から入る媒体で視覚を伝えられないため、言語ができるほど有利だという見立てです。
そのうえで水野さんは、リスナーにビジュアルシンカーの人がいることも実体験として知っています。言葉に異常にこだわる人間たちの珍しい生態を見たい層も取り込めているのではないかと考えています。
堀元さんは、2人が1日10時間収録してもストレスを感じないことを挙げます。いろいろな人に「よくそんなに喋ることがありますね」と言われるのは、多くの人はそこまで言語化が好きではないからだろうと話しました。
僕ら考えてることを喋ってるわけじゃないっていうことを言っとくといいかもしれないですね。喋りながら爆速で考えて、その場でしのいでるだけなので。
その代わり、編集の段階で「自分はむちゃくちゃなことを言っている」と衝撃を受けることがあると堀元さんは付け加えます。親知らずを抜いた穴に鶏肉を貯蔵するという、水野さんの経験したはずのない話も、その場の瞬発力で出てきたものでした。
水野さんは、このポッドキャストは知的な会話として聞くより、極端な人間が極端なことをしている芸を見るものだと思って聞いたほうがいいと話します。絵を渡し合って会話するYouTubeチャンネルがあれば言語派には珍妙に見えるのと同じだ、というたとえです。
2人がたまたまポッドキャストが来ているタイミングで番組を始めたことも含めて、水野さんは「現代という偶然が生んだ産物」だと表現しました。
芸大の友人がくれた絵と、壁に描いたキリン
堀元さんには、大学生のころから仲のいい芸大の友人がいます。面白い人間ではあるものの、ずっと話が噛み合わない感覚があったそうです。
その友人はときどき堀元さんに絵をくれました。飲み会の途中で突然描き始めたことや、LINEで送ってきたことがあり、合計3枚ほどもらったといいます。今になって、言葉で伝えきれないことを補うために絵を送ってくれていたのだと謎が解けたと堀元さんは話します。
送られてきた絵の1枚は堀元さんの顔で、顎が伸びて机に置かれていました。当時は「いじってきてるやないかーい」で終わらせていましたが、本当はもっとメッセージがあったのかもしれないと今は思い始めています。
ここもビジュアルシンカーの方にしっかり説明しておくと、絵を見てそれを言葉にできないとか、それをビジュアルにできないじゃなくて、何も拾い上げられないんです。絵で考えてないから。
さらにその友人がシェアハウスを始めたとき、堀元さんは山梨の奥地まで遊びに行きました。壁には来た人みんなに描いてもらったという絵が並んでいて、パレットと絵の具と筆を渡されたそうです。水野さんなら文字を書くと答えましたが、堀元さんは困りながら半分ボケるつもりで、胴体の15倍ほど首を伸ばしたキリンを描きました。
ボケとるやないかーいって言って欲しかったんだけど、その人はいいって言って褒めてくれたの。
「自由さがあるね」「君にはキリンがそう見えてるんだね」と言われ、堀元さんは己の矮小さを剥き出しにされた気がして、つらい思い出になったといいます。
「クリエイティブ舐めない方がいいよ」と言われた日
水野さんは「もっと胸がキュッとなる話」として、出版社に入社したときの課題の話をします。原稿を読んで、それが売れる装丁 ── 本のカバーや表紙、帯などの外観デザインのこと。書店で読者の手に取ってもらえるかを左右する重要な要素ですを作りなさいという課題でした。
渡された原稿は純文学でした。水野さんは装丁を考えたこともデザインをしたこともなく、同期とも仲良くなかったため、手元の色鉛筆で描いて提出したといいます。
課題
純文学の原稿を読み、売れる装丁を作る
提出
手元の色鉛筆で描いて出す
展示と講評
CGや特別な紙を使った同期の作品と並べて品評される
同期の一言
「お前さ、クリエイティブ舐めない方がいいよ」
で、バーってみんな見て、同期にお前さ、クリエイティブ舐めない方がいいよって言われたって話します?
社員による講評でも、みんなは完成品を出しているのに、水野さんの作品だけ「ラフとしてデザイナーに渡すのはいいかもしれない」と言われたそうです。水野さんは名古屋で就職し直そうかと思ったほどで、この話は堀元さんにもまだ話したことがなかったといいます。
水野さんは、言語化でサバイブしてきた人間が突然直面する世界だと振り返ります。堀元さんは、言語化で社会を渡り歩いている人の鼻っ柱を折る課題として、全国民向けのワークショップにしたほうがいいかもしれないと応じました。
「レタリングで手を抜いている」と言われた中学時代
水野さんの話を聞いて、堀元さんも封印していた記憶を思い出します。中学の社会の授業で、本能寺の変の年の新聞のように、好きなテーマで新聞の一面を作る課題が出たそうです。
文章を書くのが得意だった堀元さんは記事を本気で書き、題字のレタリング ── 文字をデザインとして描き、装飾すること。新聞の題字やポスターの見出しなどで使われる手法ですも一生懸命やりました。ところが返ってきた講評は、文章は素晴らしいが、レタリングで手を抜いているのが良くない、というものでした。
イケてると思って出したら、手を抜いているのが良くありませんって言われて。手抜いてないんだけどな。
水野さんの場合は、自分に能力がないと薄々わかったうえで、あるように見せて切り抜けようとしたのを見抜かれました。そのため、社員の「ラフ」という評価より、善し悪しを見抜ける同期に言われた言葉のほうが死刑宣告に近かったと話しています。
言語化が得意なら頭がいい、は本当か?
水野さんは2つの苦い記憶を踏まえて、スラスラ言語化できる能力だけを取り出して「すごい人」と思われるのは一面的で嬉しくないと話します。絵を描かせれば、すぐに苦手が露呈するからです。
水野さんは「頭がいい人は言語化が得意」という言説が嫌いだといいます。堀元さんも、頭がいいの定義が言語化できることとほぼ一緒になっていると応じました。
頭がいい人は言語化が得意
言語化ができると頭が良いとされる社会に、たまたま生まれ落ちた人がいる
堀元さんは、ビジネス書によく出てくる「会議で喋らない人は出席している意味がない」という教えを、残酷だと話します。自分はずっと喋るので理屈はよくわかるものの、適性のない人に言っても直しようがないからです。
水野さんは、言語思考者が会議中にライブドローイングを提出しろと言われるのと同じだとたとえます。仕方なく意見を言っても「それは議論済み」と言われるのは、まさに「クリエイティブ舐めない方がいいよ」を会議のたびに言われるようなものだという話です。水野さんは、言葉ではなく絵でする「ビジュアル会議」があってもいいはずだと話しました。
動物も絵で考えているかもしれない
水野さんは、言語は万能ではないという言説は以前から世の中にあったと話します。水野さんが担当編集した『動物たちは何をしゃべっているのか?』や、『言語の本質』の著者の今井むつみ ── 認知科学者・発達心理学者。言語の習得や思考の研究で知られ、『言語の本質』は一般向けの書籍として広く読まれましたさんも、最近はそうしたことを語っているといいます。
ただ水野さんは、これまでそうした言説を「こういう立場の人ならそう言うだろう」というレベルで聞いていたそうです。今回の本を読んで、初めて実感として言語は万能ではないと思ったと話します。
本の著者テンプル・グランディン ── アメリカの動物学者。自閉症の当事者として自身の経験を発信し、家畜の扱いの研究でも知られていますは動物の研究者で、自身が自閉症でありビジュアルシンカーでもあります。第7章では、動物は言語を使っていないから劣っているという価値観を否定しています。動物も考えていて、言語でないならビジュアルである可能性があり、人間と同程度に複雑でもおかしくないという主張です。
水野さんは、鈴木俊貴さんが『動物たちは何をしゃべっているのか?』の第4章で語る内容も重ねます。シジュウカラはたまたま人間に似た文法を持っていますが、そうでない動物も、彼らにとっては複雑な文法を使っているかもしれないという話です。
堀元さんは、『クジラと話す方法』に出てきた欧米の漫画を紹介します。鳥同士が人間を見ながら「人間はどの程度複雑な言語を持っているのか」と話し、「さすがに硬いくちばしを持っていない種族に複雑な意思伝達は不可能でしょ」と結論づける漫画です。
全然様式が違うと、同じ程度複雑だったとしてもそれは認識できないよねっていう漫画だと思うんですよ。
水野さんは、第1回で紹介した知り合いのビジュアルシンカーの話に戻ります。その人は、思考内容は絵になっているのに、言葉という不完全なツールで伝えるしかないため、伝わっている感覚がないと話していました。
一次情報が言語なので、言葉で伝わるのがわかりやすく、言語は完全なツールに見える
一次情報が絵なので、言葉は絵を無理やり翻訳したもので、不完全なツールに見える
水野さんは言語学が好きで、言語に比べて絵は不完全な様式だと考えていたといいます。しかし思考が絵から始まる人にとっては、絵のほうが正確に伝わるのかもしれない、と考え直したそうです。言葉は多くの人に共通の意味を持つように見えるから頼られているだけだ、というのが水野さんの結論でした。
モンドリアンの絵で書くプログラミング言語は冗談なのか
堀元さんは、似た話として難読プログラミング言語 ── 人間が読むのを難しくすることをあえて楽しむ、ジョーク的なプログラミング言語のジャンル。実用より発想の面白さが重視されますを紹介します。その中に、ピート・モンドリアンの『コンポジション』を元にした言語があるそうです。
直角に区切られた色とりどりの四角形が並ぶ絵のように、色や面積で情報を与え、それを解釈するとプログラムとして動く言語だと堀元さんは説明します。実用性はほぼないものの、ビジュアルシンカーのためのプログラミング言語のようなイメージだといいます。
水野さんは、赤の面積が40から30になると印象が変わるといった感覚は2人にはないけれど、そうした感覚を持つ人がいるのかもしれないと応じました。
僕はジョーク言語だなあって思ったけど、あながちふざけたものじゃなくて、我々の思考様式って結構異なるし、もしかしたらこれがフィットする人がいるかもしれませんよっていう投げかける現代アート的なプログラミング言語だったのかもしれない。
水野さんが言語万能論の話をさらに続けようとしたところで、堀元さんが収録時間を理由にストップをかけます。水野さんは、極端な言語思考者が両極端の逆側を見たときの反応こそがこの回の肝だと振り返ります。ビジュアルシンカーには当たり前に聞こえ、言語優位の人には衝撃的に聞こえるはずだという話で、2人はそのまま次の回の収録へ向かいました。
まとめ
この回では、文章だけで人を好きになれる堀元さんの特性や、2人が封印していた創作課題の記憶をきっかけに、言語思考者がいかに偏った存在かが浮かび上がりました。最終的に水野さんは、言語化ができると頭が良いとされる社会にたまたま生まれただけで、言語は万能ではないという考えにたどり着いています。
- 堀元さんが文章で人に惚れるのは、文章そのものより言語化能力に惹かれているからではないかと水野さんは解釈した
- 言語思考者にとって絵は「情報量ゼロ」に感じられるが、それは絵で考えていないから何も拾えないためだと語られた
- 装丁課題やレタリングの記憶から、言語化が得意な人も別の領域ではすぐに苦手が露呈すると2人は振り返った
- 「頭がいい人は言語化が得意」ではなく、言語化が評価される社会に生まれ落ちただけだという見方が示された
- 一次情報が絵の人にとって言語は不完全なツールであり、言語の信頼度は思考タイプによって違うと話された




