言語化ヤクザはなぜ言語化できないことに興奮する?
この回は、水野さんが『ビジュアル・シンカーの脳』という本を読んで興奮した話をするシリーズの3回目で、水野さんは「多分ラスト」だと話しています。堀元さんも「無限に撮れる」と乗り気で、冒頭から熱のこもった掛け合いになります。
『ビジュアル・シンカーの脳』を読んだ水野さんは、ゆる言語学ラジオそのものへの解像度が上がったと言います。言葉は不思議だと感じる人は多いのに、なぜこの番組で言語学を知る人がいるのか。その理由が少しわかった、というのです。
水野さんは自分を「言語化ヤクザ」と呼び、どんなことでも言語化できるという強い前提で暮らしています。映画を面白いと思ったなら、その理由は必ず言葉になるはずだと考えているそうです。
でも僕、見落とすと見過ごすと見逃すの違いは言語化できないんですよ。
「見落とす」「見過ごす」「見逃す」は似た意味ですが、形が3つあるなら意味は違うはずです。それなのに、日常で使い分けている本人がその違いを言葉にできません。
水野さんは、言語学の面白さの正体は、言語化に自信がある人間がはなっから折られるところにあるのではないかと考えました。これを聞いた堀元さんは「おいおいおい、いいよ」と一気にテンションを上げます。
作家が文章を書くほど欺瞞が増えると感じる理由は?
堀元さんは、YouTubeの収入のほうが多くなった今でも「作家」という肩書きを捨てたくないと話します。その理由を10年ほど考え続けていたそうです。
全然内的に思ってる複雑さを文章って全く表現できないのよ。自分の中にあるもやもやした気持ちを3割ぐらいをなんとなく形にしたものが文章で、残りの7割は全部捨てられてるなと思って。
今日は3割しか言葉にできないんだけど、明日31パーセントにできたらいいなっていう野望がなんとなくある気がずっとしてて。
堀元さんにとって、作家業は「悲しい欺瞞に満ちた営み」です。それでも言葉にできる割合を少しでも増やしたいという気持ちが、書き続ける動機になっているといいます。
堀元さんは、水野さんの「言語化ヤクザなのに言語化できない」という話が、自分が作家を続ける理由をきれいに言語化していると受け止めました。
水野さんは、この傲慢とも言える気持ちは別の立場から見ると奇妙だと付け加えます。「自分の感情を絵にできないのはおかしい」と言う人がいたら、多くの人は「気持ちが絵になるわけがない」と思うはずです。
水野さんは、言語も同じだと考えています。「投げる」という動詞が描く出来事にも、こぼれ落ちているものがあるはずだからです。だからPodcastは、言葉にできないものを言葉にしようとする営みとしてハマっているのだと話しています。
言葉ではなくビジュアルで考える人は何が違う?
堀元さんが一番話したかったのは、収録の合間に会った黒川さん(ゆる学徒カフェの店長で、ゆる民俗学ラジオのメインパーソナリティ)の話です。言葉で考えるかビジュアルで考えるかを尋ねると、黒川さんは「ビジュアルで考えている」とはっきり答えたそうです。
2人はその3時間ほど前に、黒川さんがどちらのタイプかを予想していました。堀元さんは、あれだけいい文章を書くのだから言語で考えているに決まっていると思っていたといいます。
そしたら台本考える時にやっぱ絵がまず出てきて、降ってくる何かをつかみ取って台本にしているみたいなこと言ってましたね。
堀元さんは、黒川さんが飲み会で「道を歩いていて突然泣きたくなる時がある」と話していたことも思い出します。当時は文学的な感受性の違いだと雑に片づけていましたが、思考様式の違いと関係しているかもしれないと考えました。
ただし水野さんが本人に確かめたところ、泣きたくなる時は感情に支配されていて、映像が浮かぶわけではないと話していたそうです。
堀元さんは、水野さんの運営上の提案はたいてい予想できると言います。そのうえで、言語で考える自分たちから見て「何それ」と驚くようなエキセントリックな案は、ビジュアル・シンカーから出てくるのではないかと考えました。
水野さんは、自分たち以外がみなビジュアル・シンカーだというわけではないと補足します。それでも『ビジュアル・シンカーの脳』は、自分と違う提案を「筋が悪い」と切り捨てず、自分が見落としているものを示している可能性として見る大切さを説いている、と説明しました。
「言語化ハラスメント」はなぜ起きる?
堀元さんは、会議で発言しない人を責めるビジネス書の論調は酷だと前回に話していました。今回の話を聞いて、その実感がさらに強まったといいます。
たまに喋ってもふわっとしか喋らないし、なんだったらちょっとなんかムスッとした顔で黙っているみたいな。なんか機嫌悪いんかな、この人。
堀元さんは、そういう人を不機嫌だと思っていましたが、実はただ言語化に苦労していただけかもしれないと思い直しました。
水野さんは、現代社会では「言語化ハラスメント」が横行していると指摘します。言語化できるのが偉く、できないのはダメだという考え方自体が一面的だというのです。
言語化が苦手で、ビジュアルのまま喋ってる人ってのは、そもそも言語化が苦手な社会の中でなんとか勝ち抜いてる人なんですよ。本当は。
『ビジュアル・シンカーの脳』は、ロケット発射の失敗のような事例にも、ビジュアル・シンカーがいればうまくいったのではないかという見方を示しているそうです。
一方で水野さんは、この本への留保も述べています。本の中では、エジソン ── 電球や蓄音機などで知られるアメリカの発明家。多くの実用的な発明を事業化しましたのような歴史上の人物を、確証がないまま「ビジュアル・シンカーだと思われる」としている箇所があります。水野さんは、そこに立脚して議論を進めるのは危険ではないかと感じたと話しています。
文化祭を冷笑した人が会議で同じことをしていた?
堀元さんは、人類は高校の文化祭にのめり込めるタイプと、のめり込めないタイプに大きく分かれると話します。水野さんは高1と高2では逆張りしたものの、おおむねのめり込むタイプだったそうです。
堀元さんは文化祭を冷笑的に見る側でした。全員参加で何かをやろうとする空気を、マジョリティに人を併合させる「全体主義」だと感じていたといいます。
大人になって会議する時に、いや、全然積極的に発言しないな、こいつ、積極性マイナスってやってるのって全体主義じゃんって思って。
当時あれほど嫌だったことを、大人になった堀元さん自身が無意識にやっていたかもしれない。堀元さんはそう気づき、反省していると話しました。
水野さんも似た例を挙げます。カルチャーに関する意見がない人間に興味がないという知人が、体育会系の人は嫌だとも言っていたそうです。水野さんは「体育会系の人からも同じように思われているかもしれない」と返したといいます。
堀元さんはここで、カルチャーの語源とされるcultivate ── 「耕す」「栽培する」を意味する英語の動詞。cultureと同じラテン語の語源を持ちますに触れます。時間をかけて育てるのが文化なら、分かり合えない相手を切り捨てるのは文化的ではない、という見方です。
体育会系ゴリゴリの人は我々と分かり合えないからって言って切り捨ててくのって文化がない感じするよね。野蛮人の行いじゃない、それって。
水野さんは、言語化できない人をダメだとする価値観も同じ構図だとまとめます。言葉の前に一度絵を挟んでいるのかもしれないと思えば、知的能力が低いとは結論づけられない、というのが2人の着地点です。
『心はこうして創られる』はどんな本?
水野さんの「後半戦」として紹介されたのが、ニック・チェイターの『心はこうして創られる 即興する脳の心理学』です。『ブッダとは何か』の担当編集が手がけた本だと水野さんは紹介しています。
この本の簡単な骨子を言うと、心なんてねえよと。
本の主張は、人が瞬間ごとに即興しているものを組み合わせ、その総体をあとから解釈して「心」だと思っているにすぎない、というものです。堀元さんは「それ俺めっちゃ思ってた」と即座に反応しました。
堀元さんは、自分はいつも話したあとで、つじつまを合わせるために後付けで「そう思っていた」ことにしている気がするといいます。ただ水野さんによれば、この本は経営判断のような一貫しているつもりの根幹すら無いと主張しているそうです。
水野さんが特に推すのは、チェイターの書き方です。序章は、トルストイの小説アンナ・カレーニナ ── ロシアの作家トルストイの長編小説。社交界の女性アンナの恋愛と破滅を描いた作品で、19世紀ロシア文学の代表作の一つですのクライマックスから始まります。
小説アンナ・カレーニナのクライマックス。主人公のアンナはモスクワ郊外の駅で列車の下に身を投げる。だが、アンナは本当に死ぬつもりだったのだろうか。
上の吹き出しは、堀元さんが本の書き出しを読み上げた部分です。堀元さんは2行読んだだけで「確実にこの本面白いです」と確信したといいます。
本の問い方は、アンナが自殺した理由を探すのではなく、その疑問にそもそも答えがあるのかを問うものです。水野さんの説明では、本人がどれだけ理由を語っても、その言葉は行為の本当の理由にはならない、というのが本の立場です。
本は、私たちの心には隠された深みがあるという見方と、その見方自体が的外れだという見方を並べます。実験心理学の知見をたどると深みは無いが、人はそう思いたいし、そう思わないと社会が回らない、というのが水野さんの読み取った主張です。
さらに本では、トルストイがアンナの言動をつじつまが合うように書くのと同じことを、人は自分や他人の振る舞いを解釈するときにもしているとされます。堀元さんは、ゆる言語学ラジオで「自分はこう言わないといけない」と都合のいい解釈に合わせて話している気がすると共感しました。
心が無いなら自由意志はあるのか?
水野さんは、この本を読んで唯心論者をやめ、唯物論者になったと話します。自分の行動は、インプットに対するアウトプットとして、やや複雑な関数で書けると考えているからです。
生理状況とか気分とか湿気とか、なんかわかんないけど、あらゆるものをいろいろ足し合わせて、ある程度のそれを重み付けして関数にしたら、俺の行動を記述できるんだとしたら、俺の心はないよね、だって。
堀元さんは、テッド・チャン ── 中国系アメリカ人のSF作家。寡作ながら短編で高い評価を受け、映画『メッセージ』の原作者としても知られますの短編集『息吹』を思い出します。堀元さんの読みでは、自由意志は無いが、無いと認めると誰も積極的に動かなくなるので、あることにしようというメッセージに満ちた作品です。
堀元さんは、心が無いという結論を受け入れると人生が無味乾燥になるので、欺瞞を抱えて生きるしかないのではないかと考えました。最初に思ったのは「水野さんの教えはヤバいから封印しないといけない」ということだったそうです。
水野さんは、高校時代からの友人ツルミさんの考えを紹介します。ツルミさんは、好きな人の行動シミュレーションの精度を上げていき、それが裏切られるのが楽しいのだと話していたそうです。芸人のラジオが好きなのも、テレビとは違う面が見えるからだといいます。
このツルミさんの考えから、水野さんは自由意志について一つの結論を引き出しました。自分がどう動くかを記述する関数が完成しない限り、関数通りにいかない部分を自由意志と認めてよいのではないか、というものです。
堀元さんは「パラメータがまだ決定していないだけではないか」と反論します。スパコンが水野さんの意思決定を完全に再現できるなら、本人が知らなくても自由意志は無いことになる、という思考実験も持ち出しました。
水野さんは、人間の行動はモデルで描けると認めます。そのうえで、「自分はそのモデルから外れた行動ができる」という自信がある間は自由意志を認められる、という立場です。
水野さんは、ChatGPTの性能が上がるたびに自分より人間的かもしれないと感じ、アイデンティティクライシスを感じているとも話します。だから、どのインプットを選び、どれを濃縮するかで関数として逃げ続けたい、というのが水野さんの考えです。
水野さんは最後に、チェイターの立場がどれほどコンセンサスを得ているかは知らないと断っています。堀元さんも、正しいかどうかは別として、実験を大量に引いて骨太に論証している雰囲気があると評しました。
見取り図が描けない城は現実と同じ?
『心はこうして創られる』の第1章は、作家マーヴィン・ピーク ── イギリスの作家・画家。架空の巨大な城を舞台にしたゴシック・ファンタジーの連作で知られますの作品に出てくるゴーメンガースト城の話から始まります。この城は『タイタス・グローン』などの作品に断片的に描かれています。
ファンがこの城の見取り図を描こうとすると、どうやってもつじつまが合わなくなるそうです。架空の場所の描写が増えるほど、すべてを矛盾なく折り合わせるのは難しくなります。
水野さんによれば、本はここから「現実も同じだ」というレトリックで押していきます。その流れは次のように整理できます。
城の描写
ゴーメンガースト城は複数の作品に断片的に描かれる
全体の破綻
見取り図にまとめようとすると、つじつまが合わなくなる
部分では成立
その場その場の描写だけを見るとおかしくない
現実も同じ
脳は瞬間ごとにつじつまを合わせ、全体の矛盾に気づかせない
本の表紙には、ペンローズの三角形 ── 部分ごとには立体として成り立つのに、全体では現実に存在できない図形。不可能図形の代表例ですに似た立方体の図が描かれています。どの立方体が一番前にあるのかは説明がつかないのに、全体としては捉えられてしまいます。
堀元さんの現実は錯視まみれなんですよ。でも堀元さんが拾い上げる前に錯視じゃないよって脳が言ってるので、気づかないよっていう実験を今から紹介しちゃいましょうか。
すり替えられた回答を4人に1人が擁護した実験とは?
水野さんはまず、ガザニガ ── アメリカの認知神経科学者マイケル・ガザニガ。左右の脳をつなぐ脳梁を切断した患者を研究した分離脳研究で知られますの分離脳の実験を紹介します。脳梁が連絡できない状態だと、見えていないと答えるのに、勘で答えてもらうと50パーセントを超える確率で正しい色を言い当てる、といった症例があるそうです。
本題は2010年のスウェーデンでの実験です。心理学者が有権者に支持政党と主要争点への考えを尋ね、支持政党の回答を逆の陣営のものにすり替えて戻しました。
すり替えに気づいたのは75パーセントで、4人に1人は気づきませんでした。気づいた人も、自分が書き間違えたと思うだけで、すり替えられたことには気づかなかったそうです。
その25パーセントの人ってのは、ついさっきまで支持してなかったはずの政治的立場を喜んで説明し、擁護し始める。
本では、スウェーデンの有権者たちの脳梁は傷一つなかったのに、脳はここでも同じ「手品」を披露していると書かれているそうです。すり替えられただけで、人は現実に解釈を与え始めるということです。
似た実験として、2枚の写真から美しいと思う女性を選ばせ、選ばなかったほうを戻す例もあります。被験者は「イヤリングが素敵で、くるっとした髪だ」と理由を語りますが、本当に選んだほうはイヤリングもしておらず、髪もくるっとしていなかったそうです。
堀元さんは、写真を戻すまでにどのくらい時間が空いているのかと疑問を出しました。水野さんは、その点は本には書かれていないと答えています。
堀元さんは、行動経済学などで知られる実験も連想しました。同じ映像を見ても、褒める作文を書かせるか、けなす作文を書かせるかで人物の評価が大きく変わる、という話です。評価が先に決まると、人はそれにつじつまを合わせようとするのではないか、と堀元さんは考えました。
言葉にできる人ほど「現実というフィクション」に酔う?
水野さんによれば、つじつま合わせは評価だけでなく視覚でも起きています。視野の中心以外は本当はほぼモノクロで、周辺に色が見えるのは、記憶や経験をもとに脳が作ったフィクションだと本では説明されているそうです。
堀元さんは、子ども向けの科学雑誌で似た実験をして驚いたことがあると話しました。水野さんは、桿体細胞 ── 網膜にある、光の明暗を感じる視細胞。暗い場所での視覚を担い、視野の周辺部に多く分布していますと錐体細胞 ── 網膜にある、色を見分ける視細胞。視野の中心部に密集していますの分布の違いにも触れています。
ここで水野さんは話を大きく戻し、現実というフィクションをうまく作れるのは、言葉にできる人間のほうだと述べます。
本当はストレスフルだったから、水を飲んで一旦ブレイクをしたかっただけなのに、いや、喉乾いたからですよっていうのが、言語思考の人間はすぐ出てくるはずですから。
水野さんの言い方を借りれば、堀元さんは「言語ができる甘美な世界に酔ってるだけかもしれない」ということになります。
堀元さんには思い当たることがありました。初対面の人と話すとき、さして興味がないのに「マニキュア綺麗ですね」と言うような、思ってもいないことばかり話しているというのです。
堀元さんの感覚では、その発言は「6ぐらいしか思っていないこと」です。本当はもっと実りのある話があるかもしれないと30ぐらい思っていても、それに賭けると面倒が大きいので、いつも6の発言に逃げているといいます。
話は一時、収録中に水野さんの鼻毛が出ていることがある、という脱線で大いに盛り上がります。堀元さんにとって、鼻毛のことは「6ぐらい」の関心なので、収録中に気づいても言わずに流しているそうです。
堀元さんは、初対面というフィルターがかかると見えている範囲が狭まる点が、周辺視野の話に似ていると考えました。
集中していると見えないものがある?
水野さんは、堀元さんの話に近い例が本の第8章に出てくると紹介します。NASAの研究者が、夜間の視界不良を想定したシミュレーターで、パイロットに計器だけを頼りに着陸させた実験です。
機体が雲を抜けると、画面の右側には滑走路上の別の機体がはっきり映ります。大多数のパイロットは回避行動をとりましたが、回避しなかったパイロットも少数いたそうです。
聴覚でも似た実験があります。十字の縦棒と横棒のどちらが長いかを判断させながら長いピー音を鳴らすと、音に気づけた人は20パーセント以下だったといいます。
堀元さんは、パスの回数を数えている間に背景を通るゴリラに気づかないという、見えないゴリラの実験 ── バスケットボールのパスを数えさせると、画面を横切るゴリラの着ぐるみに多くの人が気づかないことを示した心理学の実験を挙げました。
あの動画終わった後に、あなたはゴリラがいたことに気づきましたか?って言われて、気づきましたけどってなって実験失敗しました。
堀元さんは、集中力がなく、パスしている人の顔のような背景ばかりが気になったから気づけたのだと笑います。水野さんは「ニック・チェイター破り」だと返しました。
水野さんは、この本を読んでマルチタスクをやめようと思った結果、ゲームのモンストのランクが400上がったと話して笑いを誘います。本が伝えているのは、何かに集中すると、見落としたのではなく、そもそも見えていない部分がある、ということです。
言語化できることは不幸なのか?
ここで水野さんは3回分の話をまとめます。1・2回目は、『ビジュアル・シンカーの脳』を通じて、言語に頼らず視覚領域を使って考える人がいると知った、という内容でした。
堀元さんは、ファンにサインを求められた際、「緊張して話すことが出てこない」と言う人が多いことを思い出します。言葉で考えない人には、話すことが言葉として出てこないのかもしれないと考えました。
堀元さんは、自分用のうんちくデータベースをNotionで作っています。画像も貼れるのに、1枚も画像がなく、フレーズしかメモしていないことに気づいたそうです。
水野さんは、音声言語や文字言語は思考の一つの極端な形式にすぎないと述べます。自分たちが言語化ブームの本に興味を持てないのも、言語化が得意な人が評価される社会で、入試や就職活動をうまくクリアしてきたからだといいます。
そのうえで水野さんは、3回目で考えたことを「言語化できることは、ある意味で不幸なのではないか」とまとめました。もんたよしのりさんの「ダンシング・オールナイト」の歌詞「言葉にすれば嘘に染まる」も引き合いに出しています。
言語というものにすぐにアクセスできるがゆえに、実際には取りこぼしている諸相があり、その取りこぼしている諸相のことを言葉にしたい人たちのことを無能だと勘違いしてしまう不幸な人間なんじゃないかっていう。
堀元さんは、作家業は欺瞞の塊だという自分の話もこれと同じだと応じます。言語化が得意な人ほど、言葉に落とし込めないものを捨てていることに目を向けなくなるからです。
水野さんは、明日から使える学びとして、言語化できない人を悪く思うのをやめ、言語化を人に強く求めないことを挙げます。何でも「なぜ面白かったの?」と聞きすぎると、ある人にとってはいきなり絵を描かされるほどしんどいハラスメントになるかもしれない、というのです。
言語化できない人は努力不足で、知的能力が低いのではないかと思っていた
別の思考様式で物事を捉えているかもしれないと想像し、リスペクトを持って話す
IKEAの説明書はなぜ文字がない?
水野さんが『ビジュアル・シンカーの脳』の冒頭でとくに興味深かったと語るのが、IKEAの説明書の話です。IKEAの説明書には文字がなく、図だけで組み立て方が示されています。
水野さんによれば、あれは極端にビジュアル・シンカー的なマニュアルで、IKEAの創業者はディスレクシア ── 知的な遅れはないのに、文字の読み書きに困難がある学習障害の一種。読字障害とも呼ばれますだったそうです。
水野さんが周囲に聞いたところ、IKEAの説明書をわかりやすいと思うかどうかは意外と割れました。考え方によって、望むマニュアルの形がはっきり分かれるようです。
| 人 | 考え方 | IKEAの説明書の評価 |
|---|---|---|
| ビジュアル・シンカーの知人 | 映画の感想が心象風景になる | 一番わかりやすい。文字はいらない |
| 水野さん | 言葉で考える | 上下や向きを文字で書いてほしい。図より文章がよい |
| 堀元さん | 言葉で考えるが、難しい論文では図に頼る | わかりやすいが、補助の文章があればより親切 |
堀元さんは、日本軍の銃のマニュアルの話を出しました。出典は忘れたとしつつ、当時の日本は識字率が高かったので文章で説明したが、読むのが大変で使いこなせない人が多かったそうです。一方、アメリカ軍は識字率がそこまで高くなかったので絵で伝え、多くの人がメンテナンスできるようになったといいます。
識字率の高さを前提に文章で手順を書き、読解できない人が相当数いた
文字では伝わらないと考えて絵だけにし、多くの人がメンテナンスできた
堀元さんは、これが敗戦の原因だとは言わないが、一つの失敗例として挙げられるらしいと付け加えています。
水野さんは、IKEAが言語に頼らないマニュアルで世界展開したことを踏まえ、断定はできないとしつつ、世の中は意外とビジュアル・シンカーで回っているのかもしれないと話します。発信するメディア側が言語に頼っているから、言語中心の社会に見えているだけかもしれない、という見方です。
最後に2人は、チェックテストで当てはまった項目の数の違いから、水野さんのほうが堀元さんより言語で考えるタイプかもしれないと話します。水野さんは地図が読めて空間ベクトルも得意なので、認知特性は不思議だと2人は語り合いました。
人文書は自分と出会い直すための本?
水野さんは、『心はこうして創られる』は実験心理学の本でありながら、人文書でもあると考えています。前回の『ゾミア』、前々回の『プロジェクション・サイエンス』も含め、人文書は自分と出会い直す本だというのです。
俺ってこういう人なんだってのを教えてもらう本で、世界がどういう風になってるかっていうのを描く理系の生物学とか物理学とか、そういった本とは全然違って、違う俺と出会うための本が人文書だと思うので。
堀元さんは、自分と全く違う個人を知る喜びもあると話し、映画『ビューティフル・マインド』を挙げます。ジョン・ナッシュ ── アメリカの数学者。ゲーム理論の「ナッシュ均衡」で知られ、ノーベル経済学賞を受賞しましたを描いたこの映画には、堀元さんの頭から離れない場面があるそうです。
統合失調症の治療で大学の一線を退いたナッシュに、同僚が「数学以外のこともあるだろう」と声をかけます。ナッシュは素朴な顔で「何がある?」と聞き返すのです。堀元さんはこの場面が怖すぎて、スクリーンショットを撮ったといいます。
水野さんは、本を読めば自分と全く違う人に出会えると話します。そのうえで、読書ができるほうが偉いという価値観を自分たちが内面化していることにも気づいたそうです。
水野さんは、以前会ったCOTEN RADIOの樋口さんの例を挙げます。樋口さんは本を読むと眠くなるが、Podcastなら歴史の話がどんどん入ってくると話していたそうです。
無理に読書っていう形式にハマろうとして、自分を嫌いにならなくていいんですよっていう。
水野さんは、本の内容をもとに話すゆる言語学ラジオを「本の希釈」で価値がないと思っていました。しかし、音声でないと入ってこない人には意味があるのかもしれないと考え直し、ここでも自分と出会い直したと話しています。
能力の差ではなく「生き方の相違」?
堀元さんは、自分には議論を有能か無能かに落ち着けたくなる悪い癖があると話します。だからこそ、能力を極めたプロ同士なら意見は合うはずだと思っていたそうです。
その考えを揺さぶったのが、『裁判百年史ものがたり』で読んだ松川事件 ── 1949年に福島県で起きた列車転覆事件。逮捕された被告人の多くに死刑などの判決が出たのち、最終的に全員の無罪が確定した戦後の代表的な冤罪事件とされますです。堀元さんによれば、列車の脱線に関わったとされる被告人を有罪とするかで最高裁の判事の意見が割れ、最終的に無罪になりました。
堀元さんは、有罪を主張して敗れた判事のコメントを引用します。「私は合議で3対1で敗れた。しかし、私は本当に敗れたとは思っていないのである」と述べ、意見の相違は裁判に対する態度の違いであり、極言すれば人生の生き方の相違でもあろう、と続けたそうです。
水野さんも、自分の心の底にマッチョイズム、言い換えれば新自由主義的な価値観があると自覚したと話します。言語化できない人は努力が足りていない、と考えてしまう価値観です。
そういう価値観と戦うために人文学はあるんだろうと思うんですよね。
水野さんは、内なる直感に逆らい続けると、シミュレーションで簡単に記述できる面白くない人間に仕上がるだろうと述べます。20年後に炎上発言ばかりする番組にならないよう、価値観を相対化し続けたいとも話しています。
ここで2人の結論は少し分かれます。堀元さんは、文化祭を全体主義だと感じたマイノリティとしての原体験を大事にしたいと話しました。一方で水野さんは、自分の原体験はマジョリティ側なので、それを疑わないと人への解像度が上がらないと考えています。
文化祭を全体主義だと感じたマイノリティの感覚を持ち続ける
マジョリティ側の原体験を疑い、人への解像度を上げる
水野さんは、絵で考えるか言葉で考えるかを人に尋ねると、知らなかった側面がたくさん出てくるといいます。なぜ話してくれなかったのかと聞くと、「お前に言ってもわかってもらえなさそうだった」と返されるそうです。
『心はこうして創られる』は読むべき本?
堀元さんは、2冊とも読みたくなったと話します。水野さんは、『ビジュアル・シンカーの脳』には決めつけのような部分もあるとしつつ、『心はこうして創られる』は実験に基づいているぶん妙な説得力がある、と評しました。
この本を読むせいで狂う人がいてもおかしくないというか。
堀元さんが「生きる気力がなくならないか不安だ」と言うと、水野さんは「そういう人は絶対に読まないでください」と返します。研究者からは極端な解釈だと指摘される可能性もあるとしつつ、知らずに話すよりは、極端な解釈の一つとして読んだほうが解像度は上がると勧めました。
水野さんは、この本は講談社選書メチエから2022年7月に出た目立たない本です。しかし、2022年に読んだ本の中でも相当上位だと話しています。
水野さんは、自分の傾向もわかってきたと話します。自分がマジョリティではないと感じると考え始め、話したくなるというのです。『ゾミア』では定住している自分が何が偉いのか、『プロジェクション・サイエンス』では狂信するほどの物語を自分が持っていないことに衝撃を受けたそうです。
堀元さんは、水野さんを「海に突き落とされると泳ぎ始めるタイプ」とたとえました。水野さんは、ゆる言語学ラジオを通じて、人生で出会えなかった価値観に触れられたことに感謝していると語っています。
最後に水野さんは、心の存在を信じるかどうか、一貫した自分はあるのかについてリスナーの意見を募集しました。一方の堀元さんは、旧制一高の寮生が窓から放尿することを指す「寮雨 ── 旧制第一高等学校の寮で生まれたとされる隠語。寮の窓から外へ小便をすることを雨に見立てた言葉です」を「趣ある言葉」として紹介し、真面目な話を締めくくりで台なしにして笑いを誘いました。
まとめ
今回の回は、『ビジュアル・シンカーの脳』と『心はこうして創られる』という2冊を手がかりに、言語化が得意な人ほど取りこぼしているものと、心はあとからつじつまを合わせた物語にすぎないという主張を語り合う内容でした。そこから2人は、言語化できない人を劣っていると見なす価値観を問い直していきます。
- 言語化に自信がある人ほど、言葉にできない違いにぶつかることに興奮し、同時に多くのものを捨てている
- 言葉ではなく絵で考える人がいると知ると、会議で黙る人や話せない人への見方が変わる
- 『心はこうして創られる』は、すり替え実験などから、人の理由づけや知覚の多くは後付けのつじつま合わせだと主張する
- IKEAの説明書の評価が分かれるように、情報を受け取りやすい形式は人によって違う
- 人文書は自分と違う人に出会い、能力の優劣ではなく生き方の相違として他者を見るための本になりうる




