「ます」は絶滅危惧種? 忘れられた3つ目の敬体
水野さんはこの回の冒頭で、ですます体の「ます」は「死にぞこない」だと言い切ります。堀元さんは「今使いましたけど」と笑って反論しますが、水野さんは「絶滅危惧種」だと譲りません。
こいつ(「ます」)ね、死にます、近いうち。
そんなことないって。使ってますよ。今、今使いましたけど。
この回は「〜っす」を扱うシリーズの第2回です。水野さんは、「っす」が前回話した距離感と敬意の調節以外にも支持される背景を持っていると話し始め、そのために日本語の敬体 ── 話し相手への丁寧さを示す文体。です・ます調がこれにあたります。対して、だ・である調のように敬意を示さない文体を常体と呼びますの歴史をたどります。
水野さんによると、敬体の歴史を見ると「です」が勢力を拡大し続けています。そして「です」と「ます」の前に、現代日本語ではほぼ忘れられたもう1つの形式があったといいます。
水野さんは日本語の文を動詞文・名詞文・形容詞文に分けて、堀元さんに敬体へ直してもらいます。「走る」は「走ります」、「犬だ」は「犬です」、「美しい」は「美しいです」になります。
ただし「美しいです」は比較的新しい言い方で、昔は「美しゅうございます」「おいしゅうございます」と言っていました。堀元さんは、太宰治の世代の本を読むと確かに「美しゅうございます」と出てくると思い当たります。
| 文の種類 | 常体の例 | 敬体の形 |
|---|---|---|
| 動詞文 | 私は毎朝走る | 走ります(ます) |
| 名詞文 | 飼っているのは犬だ | 犬です(です) |
| 形容詞文 | この花は美しい | 美しゅうございます(ございます) |
水野さんの説明では、この「ございます」が徐々に「です」に飲み込まれました。戦前あたりから「いいです」「楽しいです」のような形容詞+ですが許されるようになり、今知られている「ですます」の二本立てが確立したといいます。堀元さんは「ここ100年ぐらいでしかないんだ」と驚きます。
水野さん自身、大学生の頃に「美しいです」「美味しいです」はダメではないかという内容の本を読んだことがあるそうです。今では乱れだと指摘する人はほぼいませんが、人によっては乱れと考えたくらい新しい表現だということです。
「行くっす」で「です」の独占が半分完成している?
水野さんは、動詞にも「です」に類する形がつく場合があると指摘します。「明日はもしかしたらその集まりに行くでしょう」「何としてでも行くんです」のように、「でしょう」や「んです」の形なら動詞の後ろに「です」が出せます。
そのため、ある言語学者は近いうちに「行くです」も許容されるようになると予測していたそうです。堀元さんは『サザエさん』のタラちゃんの「行くですー」を思い浮かべ、水野さんはアニメキャラクターの役割語 ── 話し方から特定の人物像を連想させる言葉づかい。「〜じゃ」で老人、「〜ですわ」でお嬢様を思わせるような、フィクションでよく使われる表現を指しますのような破格の表現から、「です」が動詞につく未来があるのではと話します。
もし「行きます」が「行くです」になれば、「行くです」「犬です」「美しいです」と、敬体はすべて「です」にそろいます。
です・ます・ございます
動詞・名詞・形容詞でそれぞれ別の形を使っていた
ございますが消える
戦前あたりから「美しいです」が許され、ですに飲まれる
ますも飲まれかける
「行くっす」(元は行くです)が「行きます」の役割を担い始める
堀元さんは「3社いたのが1社潰れて寡占状態、もう1社も潰れそう」と、独占禁止法を持ち出して茶化します。水野さんは英語の関係代名詞のwhoとwhichの使い分けを例に、話者は覚えることや切り替えが面倒なので、活用形式が一本化されるのはよくあることだと説明します。
そのうえで水野さんは、「行くっす」はもともと「行くです」なので、「です」の一本化はすでに半分実現していると指摘します。堀元さんは「行くですは言わないなと思ったけど、明日行くっすは言うな」と気づきます。
気づかないうちに(「です」に)もうマーケットが半分取られてるんだ。
水野さんは、将来堀元さんの子どもが「ますって古臭い」と言い出すかもしれないと冗談めかします。堀元さんはGoogleがFirefoxのMozillaに献金している話まで持ち出しますが、水野さんから「実はいらない」と一蹴されました。
合理的なのに9割に否定される「っす」
水野さんは、ここまでで「っす」の合理性が2点そろったと整理します。1つは、敬意を示しつつ距離を縮めたいという欲求に沿っていること。もう1つは、敬語の簡略化、つまり「です」の一本化に役立っていることです。
さらに「行くっす」は、「行きます」と違って終止形にそのままつけるだけで済みます。水野さんは、日本語学習者にとっても覚えやすい形だと話します。
ここで水野さんが紹介するのが、参考文献『新敬語「マジヤバイっす」: 社会言語学の視点から』の中村先生の研究です。社会言語学 ── 言語が社会の中でどのように使われ、社会とどう関わっているかを調べる言語学の一分野。話者の属性や場面による言葉の違いなどを扱いますの立場から、中村先生は「っす」が人々にどう評価されているかを調べました。
調査の舞台は、読売新聞が運営する発言小町 ── 読売新聞が運営する投稿型の掲示板・Q&Aサイト。主に女性向けとされますが、性別の制限はなく誰でも利用できますです。「なんとかっすは丁寧語っすよね」というトピックに付いたレスを1件ずつ見て、肯定的か否定的かを分類しました。1番目のレスは「冗談きついっす」、2番目は「うっす、丁寧語じゃないっす」だったそうです。
軽薄だと嫌う声も多く見られたといいます。水野さんは、堀元さん自身も前回の冒頭で「っす」を軽薄だと言っていたことを思い出させます。
聞けば聞くほど、ロジックとしてはめちゃくちゃ優れている存在なのに、みんなは直感で嫌っているんだ。
水野さんは、「させていただく」も同じだったと振り返ります。上司に上着を貸してもらったとき「着る」の謙譲語がなく、「お着申し上げる」も「お寝申し上げる」も言えません。「させていただく」はそうした敬語体系のバグを埋めるパッチなのに、生まれた昭和の頃から嫌われ続けてきました。
便利すぎて嫌われる新表現は、テクノロジーに似ている?
堀元さんは、便利な新表現が嫌われる構図をテクノロジーに重ねます。水野さんも台本に同じメモをしていたと応じ、既得権益から非難される点も似ていると付け加えます。
ただし堀元さんは違いも指摘します。自動運転やAIは賛否が分かれますが、「っす」や「させていただく」は評価がはっきり否に傾いています。
味方が全然いないのに。支えてくれてるんですよ。現代日本を。
堀元さんは藤子・F・不二雄の『パーマン』を持ち出します。夜中まで消火を手伝った主人公が翌日居眠りして怒られ、「俺が街を支えているのに」と泣きながら帰るエピソードと同じだというのです。水野さんは、楽屋裏で「っす」と「させていただく」が励まし合っている姿を想像して話を広げます。
「っす」が問い直す、上下だけの人間関係
水野さんはもう1つの視点を示します。「っす」が本質的にしているのは、人間関係を上下や目上・目下の二分法ではなく、もっと細かく区分できるのではないかと問いかけることだといいます。
尊敬するなら距離は遠い、親しいなら敬意は示さないという粗い二分法
敬意と距離の近さを別々に調節できると提案する
上下関係だけじゃないじゃないですか、僕らは。って(「っす」が)言ってますよ。堀元さんの耳元で。
堀元さんは、昔の文学で息子が父親に敬語で「折り入ってお話が」と話す関係にピンと来なかったと話します。厳格な家父長制が崩れ、父親ともフランクに話せるようになった時代の感覚を体現するのが「っす」だというのです。
水野さんは、すれ違いの原因を「話し手は上下関係に基づく敬意を表したいのに、相手は距離感だと感じることがある」点に見ます。「っす」はそのディスコミュニケーションを埋める存在だという整理です。堀元さんは「仲良くさせていただきたいんですけどね」と3分に1回言えばいいと冗談で返し、2人の小芝居になりました。
唯一の弱点は尊敬語・謙譲語と組めないこと?
持ち上げすぎたからと、水野さんはあえて「っす」の欠点を挙げます。それは、尊敬語や謙譲語と同時に使えないという点です。
ところが試してみると、堀元さんは「先生いらっしゃるっす」「いらっしゃったっす」はいけると言います。一方で「堀元さんが先ほどおっしゃったっす」「ご提案差し上げるっす」は変だと2人とも感じ、「着させていただくっす」は許容度が上がっているかもしれないと揺れます。
水野さんが一番大きいと考える欠点は、細かな距離調節ができないことです。「させていただく」は「させる」で相手を一瞬出し、「いただく」で自分の受益にするという微妙な調節をしています。こうしたベネファクティブ ── 「〜てもらう」「〜てくれる」「〜ていただく」のように、恩恵のやりとりを表す授受動詞が文法化した表現。受益表現とも呼ばれますの表現と比べ、「っす」は様々な方向への目配せが効かないというのです。
しかし話すうちに、堀元さんは「先ほどおっしゃったっすけど」は全然いけると言い出し、あと5年で普通になるのではと予想します。水野さんも、尊敬語と組み合わさると「っす」はより微調整ができるようになると認めます。
「です」への一本化で、敬体は覚えることが減って楽になる
「言ったっす」ではなく「おっしゃったっす」が求められるなど、外から見ると難しい体系やマナーが生まれる
さらに水野さんは、敬意はすり減っていくと話します。前回の敬意低減の話を踏まえ、「っす」も徐々に敬意の部分が消え、距離の近さを表す形式になる可能性が歴史的にはありそうだといいます。堀元さんは「何々っすっすって言え」という世界が来るかもと笑います。
言語が完成するのは話者がいなくなったとき
「安定ってないんですね」「完成してくれよ、言語」とぼやく堀元さんに、水野さんは言語が完成することもあると答えます。それは話者がいなくなったとき、つまり日本語が話されなくなったときです。
水野さんは、人も環境も変わらない社会に生きて楽しいかと問いかけます。堀元さんはグレッグ・イーガンの短編「ボーダーガード」を引き、死のない世界は理想郷だと逆張りしますが、カメラが止まっていたらどう答えるかと聞かれ「確かにやだね」とあっさり翻ります。
話はそこから、成長しない逆張りキャラのまま60歳になった堀元さんの想像や、元TBSアナウンサーの宇垣美里さんのYouTubeの話へ脱線します。最後は「キレている口調で全肯定して寄り添う人生相談」という新コンテンツ案で盛り上がりました。
「させていただく」と同じく嫌われ続ける?
本題に戻った水野さんは、尊敬語や謙譲語と組めないことが自分の知る限りほぼ唯一の欠点で、「っす」は今後も使われ続けるだろうと話します。
水野さんは中村先生と会って話したことがあり、先生自身は「私ほんとやばいっすとか大好き」だといいます。学生から「中村さん」と呼ばれ、「やばいっすね」と言われると嬉しいそうです。水野さんは、そういう人が増えれば支持は広がりそうだと見ます。
一方で堀元さんは「でも嫌われ続けるんだろうな」と予想します。水野さんも、「させていただく」が昭和の頃から嫌われてきたことを挙げ、自分たちが視点を示しても変わるのは一部だろうと同意します。
女性が使うとけしからん? ポケット問題との共通点
水野さんが今回の調べものから抱いた問題意識は、これほど便利な形式なのに「女性が使うのはけしからん」という言説があることです。堀元さんはすぐに、女性の服にポケットがない問題と同じだと反応します。
水野さんによると、女性服、とりわけボトムスのポケットが小さい理由として、流行の移り変わりが激しく安価に多くのパターンを作るための合理的な解決だった、という説明が後付けでされています。ただ、もっと手前には、ポケットが高級品だった時代に女性にそうした服がなかったという女性軽視の名残があるという話を聞いたそうです。
水野さんが特に問題視するのは、「女性は服の好みがコロコロ変わるから」という後付けのイデオロギーで不便を正当化している点です。堀元さんは「不便を押し付けてるのに、女性のせいにしてる」と応じます。
「っす」は本当に男性の言葉なのか
水野さんは、「っす」を男性がより使っていることにも、ポケットと似た構図があると考えています。「女性は体育会系コミュニティに所属しないから」「上下関係で人間関係を築かないから」といった説明はできそうですが、水野さんはあまり信憑性がないと感じています。
水野さんが示す仮説は、次のような流れです。
中立な表現
本来はジェンダーニュートラルな表現だった
男性が繰り返し使う
典型的には男子の体育会系コミュニティで多用される
予断の形成
男性が使う形式だという先入観が先にできる
イデオロギー化
女性が使うと男性的でけしからん、という見方が生まれる
堀元さんも、女性だって職場で先輩に敬意を表したいはずだと同意します。水野さんは「仲良くなりたい先輩に飲みに行きたいっすって別に言えていいはず」と話し、使った場合もキャラ付けとして消費されかねないと指摘します。
実は中村先生は、もともと言葉とフェミニズムや言葉のジェンダーを研究してきた人物です。水野さんも一連の著作を読んでフェミニズムに関心を持ち、「だわ」「だわよ」のような女言葉の歴史を近いうちに番組で扱うと予告しました。
なんとかっすって言ってる女性を見ても、変に色眼鏡をつけずに見るべきなんじゃないかってことまで表明したいですね。
堀元さんは、『あたしンち』でみかんの後輩が「〜っす」と話す姿を描いたけらえいこさんは、女性も使っていいという提言をしていたのかもしれないと話します。水野さんも、中村先生の本を読んで考えが変わり、そう理解できると応じました。
フィクションは言葉づかいを変える
堀元さんは、近年のアニメや漫画に若い女性が「っす」と話すキャラクターが増えていると指摘します。キャラ付けだと思っていたものの、繰り返されれば言葉として浸透していくかもしれないというのです。
水野さんは、中村先生の『翻訳がつくる日本語』が、フィクションが翻訳を通じて日本語の体系を揺るがしている事例を挙げていると紹介します。フィクションの言葉づかいには、バカにならない影響力があるという見立てです。
ここから2人は、漫画の影響で喋り方が変わった話で盛り上がります。福本伸行作品を読み返して口調が移った話、『美味しんぼ』の影響で子どもの頃に食レポしていた水野さんの話が出ます。堀元さんは、のび太の「〜かしら」を真似しているうちに自分にも定着したと明かしました。
水野さんは、リスナーの中にもゆる言語学ラジオの影響で「虚実の皮膜が薄い」や「クリシェ」を使うようになった人がいるかもしれないと話し、コメントで教えてほしいと呼びかけます。
2回分のおさらいと参考文献
堀元さんが「めちゃくちゃおもろい」と評したこのシリーズを、水野さんは最後に整理します。
1つ目は、「っす」が敬語とタメ語の中間に位置し、距離を詰めつつ敬意も表す両取りができること。2つ目は、「です」が「ます」「ございます」に比べて勢力を広げる中で、動詞にも進出しつつある形が「行くっす」だということです。
そのうえで、2つのメリットがあるのに人々が「っす」を嫌っている事実と、現代日本でも「っす」が女性に対してオープンではないのではないかという問題提起が、この回の柱でした。堀元さんは、10年後には「行くです」が許容されているかもしれないと話します。
参考文献のメインは『新敬語「マジヤバイっす」: 社会言語学の視点から』で、終盤ではCMで女性が「っす」を使う事例も扱っています。井上史雄先生の『新・敬語論 なぜ「乱れる」のか』は、「させていただく」も含めて日本語の敬語を概説する本です。
中村先生の本では、岩波新書の『女ことばと日本語』がライトで読みやすい1冊として挙げられました。水野さんが一番面白かったのは、ひつじ書房から出ている『「女ことば」はつくられる』で、女言葉というイデオロギーがいかに作られてきたかを示す意欲的な研究だといいます。
まとめ
この回では、「ございます」が「です」に飲み込まれた歴史を起点に、「行くっす」によって「ます」まで消えかけている可能性が語られました。便利な新表現ほど嫌われやすいという構図や、「っす」を女性が使うことへの偏見まで、1つの語尾から日本語と社会の関係が見えてきます。
- 敬体はかつて「です・ます・ございます」の3つで、「ございます」は戦前あたりから「です」に飲み込まれた
- 「行くっす」は元が「行くです」なので、「です」への一本化はすでに半分進んでいると水野さんは見る
- 「っす」も「させていただく」も合理的なのに嫌われ、発言小町では9割が「丁寧語ではない」と答えた
- 尊敬語と組み合わさると細かな調節が可能になる一方、敬意がすり減る可能性もある
- 「っす」が男性の言葉とされるのは後付けのイデオロギーかもしれず、フィクションが見方を変える可能性もある





