敬語は敬意だけでなく「距離」も伝える
水野さんは冒頭で、「タメ語でいいよ」という提案は暴力ではないかと切り出しました。堀元さんは本来なら反論役を務めるはずが、最近まったく同じことを考えていたと即座に同意してしまいます。
最近考えてることあってさ。タメ語でいいよっていう提案さ、暴力じゃないですか。
うえ、俺全く同じこと考えてた。
水野さんの議論の前提は、敬語は必ずしも敬意を示すとは限らないという点です。敬語は、敬意と距離の調節を同時に行う形式だと水野さんは説明します。
水野さんが挙げた例は、電車でやばい人に絡まれたときの「やめてもらえませんか?」という言い方です。この丁寧な言い方は、相手への敬意ではなく、相手との距離を取るために使われています。
立食パーティーで失礼な人に話しかけられた場合も同じだと水野さんは続けます。堀元さんは「俺フォロワー50万人っすよ」と上から来るインフルエンサーを例にし、そういう相手には「すごいですね。尊敬します」と敬語で応じると答えました。
逆にその相手にタメ語で話すと、向こうからも距離を詰めてよいという合図になってしまいます。堀元さんはこれをポジティブポライトネス ── 相手に近づき、親しみや仲間意識を示すことで相手の「受け入れられたい」欲求に配慮する言語的な配慮。ブラウンとレヴィンソンのポライトネス理論の概念ですだと指摘しました。
水野さんは、敬語には距離感が遠いことを伝えるネガティブポライトネス ── 相手の領域に踏み込まない、距離を保つことで相手の「邪魔されたくない」欲求に配慮する言語的な配慮。敬語や遠回しな表現が典型ですの機能もあるとまとめています。
敬意に加えて「距離を置きたい」ことも伝える。ネガティブポライトネスとして働く
「距離を詰めてよい」という合図になる。ポジティブポライトネスとして働く
堀元さんは、記者会見で政治家が記者に過剰な尊敬語を使うのも突き放しだと付け加えます。さらに、敬語を使いすぎると「近づくな」というニュアンスが強まり、かえって無礼になるのが慇懃無礼ではないかと考えました。
この前提に立つと、人はそれぞれ相手と取りたい距離感を持っています。そこへ「タメ語でいいよ」と言うことは、距離の近さを相手に強制しているのではないか、というのが水野さんの問題提起です。
下の名前で呼ぶことにも暴力性がある?
堀元さんがこの問題を考えていたのは、経営者としてフルタイムに近いスタッフが増えてきたからです。仲良くなった気でスタッフを下の名前で呼び始め、アットホームな職場のつもりで距離を詰めることがハラスメントになるのではないかと心配しています。
向こうが俺のこと嫌ってる場合、金だけよこせお前はって思ってんのに、なんか距離詰めてきて、断りにくい飲み会とかにめっちゃ呼んでくるやつに俺ならんかなって。
二人はその場で試しに、堀元さんが水野さんを「大気君」と呼ぶミーティングを演じてみます。水野さんは、そのくらいの距離感なら特に不快感はないと答えました。
堀元さんは、下の名前で少し距離を縮めても相手はそれほど嫌がらないだろうとわかっています。それでも「それをやっても大丈夫だと思っている自分」が危ないと感じ、大丈夫だと思った結果悲惨なことになったケースを見すぎたため、かなり保守的に線を引いているといいます。
多分全然大丈夫なんだけど、そのラインも攻められない。
水野さんはこれを「ブレーキが強く、アクセルが弱い状態」と表現しました。一方で水野さん自身は、仲良くなりたければ自分からタメ語に切り替えるが、「タメ語でいいよ」という提案だけはしない、という立場だと明かします。
問題は「断る退路」があるかどうか
水野さんが「タメ語でいいよ」をまずいと考える理由は、堀元さんとは違います。社会人たるもの、相手に逃げ場のない提案をしてはいけない、と強く思っているからです。
堀元さんは飲みの誘いで例えます。「16日の夜、飲みに行かない?」は断りやすいのに対して、「来月飲みに行こうよ。いつ空いてるの?」は逃げ場がありません。
水野さんも誘うときは、ピンポイントの日程と何をするかを明示します。相手が「その日は空いてないです」と返せば深追いせず、「行きたかったんですけど」と返ってきたときに初めて次を提案するといいます。
だってさ、なんか逃げ場のない提案をするってさ、その人の日常が急激に脅かされるじゃん。
破壊しに行ってるじゃん、それって。それゴジラと一緒なんですよ。
水野さんはこの考えを仕事の依頼にも当てはめています。以前は「スケジュールが合わず」と断られると「1ヶ月後でもいいですよ」と食い下がっていましたが、あるとき、それは社会人として初歩の初歩で不合格だと気づきました。
本当はギャラが低くて受けたくない、とは普通の会社は言えません。水野さんは今では締め切りを切り、相手が「スケジュールの都合上お受けできませんでした」と言える余地を残して依頼しているそうです。
水野さんは最初、「本当の理由を言えないオファーはダメ」と表現しました。堀元さんは、本当の理由を言えないこと自体は問題ではなく、大事なのは断りやすさだと修正します。
退路があるかどうかだけが大事で、そういう意味ではタメ語でいいよは退路がないから最悪ですよね。
先輩に「タメ語でいいよ」と言われても、「私は敬語がいいんで」とは言えません。「慣れないですね」と言いながら敬語でやりきるしかない、と堀元さんは説明しています。
大人の飲み会は「仲良くなっていいか」を確かめる場
水野さんは、相手の呼び名を下の名前に切り替えるタイミングがわからず、いまだに会社の同期を名字で呼んでいると打ち明けます。堀元さんも、大人になってからの呼び名の切り替えは、泥酔した勢いでしか無理だと言います。
堀元さんのやり方は、酔ったノリで「ダイポン」と呼んでみて、相手の反応を見るというものです。反応が芳しくなければ、翌朝は全部忘れたふりをして「水野さん」に戻します。
だから明日忘れたことにできるチャンスだっていうボーナスタイムだと思ってやってますよね。
水野さんが「飲み会は仲良くなれる場ではないのか」と聞くと、堀元さんはそれを否定しました。堀元さんにとって飲み会は、仲良くなることを表明してよいかをノーリスクで探る場だといいます。
仲良くなりますよという表明をしていいかどうかを探る場です。
言語化した直後、堀元さん本人も「怖って思った。何そのプロトコル」と自分の複雑さに驚いています。
水野さんと飯田さん、例外的に距離が縮まった相手
水野さんは、堀元さんの理屈には合わない例を持ち出します。代々木の飲み屋で初めて会ったとき、二人の距離は一気に縮まり、その後届いた企画のオファーでは、堀元さんは水野さんを「ミズノ氏」と呼んでいました。
堀元さんによると、水野さんとは初対面で15分ほど話して「こいつ大丈夫だな」と思ったといいます。バイブスがとても合う相手なら例外的に距離を詰めてよく、VALUE BOOKSの飯田さんにも初対面からタメ口で話していたそうです。
飯田さんとの初対面は、水野さんが予約したモンゴル料理店でした。水野さんがインフルエンザで欠席し、二人きりで塊肉を削ぎ落としながら食べる羽目になります。
そのとき飯田さんは、会ったこともない水野さんについて「あいつこういうめんどくさい店取るんだよな」と悪態をつきました。堀元さんは、この人は気に入らないことを全部言う人だと感じて大笑いし、そこで距離が縮まったといいます。
水野さんは「二人ともシャイだから、悪者がいないと仲良くならないと思っていた」と冗談で返し、自分をキューピッドと呼んでほしいとおどけています。
相手は「嫌だ」と言える人かを見る判別式
堀元さんは、飯田さんが人を見て悪態をついている点も含めて良かったと振り返ります。堀元さんは自分の悪い行動を言語化して伝えてくれる相手なら、すぐに距離を縮められるといいます。
ただし、ほとんどの相手については、堀元さんが悪い行動を取ったときに注意してくれるかどうかの確証が持てません。そこで堀元さんは、飲み会の定義を言い直しました。
実際には飲み会は、こいつは俺が悪いことをした時に、その悪さを言語化して言う奴かどうかを確かめ、その上でこれから仲良くなるという表明をしていいかどうかを確かめる場です。
水野さんはこれを、二次方程式の判別式 ── 二次方程式の解の個数を調べるための式。b²−4acが0より大きいかどうかで場合分けをしますのようだと茶化します。堀元さんもそれに乗り、まず判別をしてから次の分岐に進む場合分けだと認めました。
水野さんの場合は、よく喋るので婉曲にでも「距離が近いですよ」と伝えてくれるだろう、と堀元さんは判断したそうです。喋るのが上手い人は、やんわりしたボールを投げられるという見立てです。
実際、4年ほど付き合ってきて、水野さんが不快感を示したと堀元さんが感じたことは一度もありません。堀元さんは、水野さんが鈍感なので距離を詰められても気づいていないだけかもしれない、とからかっています。
家で鍋をしようは権力勾配の中ではハラスメント
堀元さんは、収録後に「うちで鍋しようぜ」と水野さんを誘ったことを例に挙げます。自宅に呼んで二人で鍋を食べるのは、かなり距離の近いオファーだといいます。
水野さんが「断られる可能性があるのか」と聞くと、堀元さんは、断られないこと自体がハラスメントなのだと答えました。嫌だと思っても、誘われた側は「はい」と言うしかないからです。
結構きついよ。特に権力勾配がある場合。
堀元さんは、半年ほど付き合いのある収録スタッフとも仲良くなったと思っていますが、その相手には鍋の誘いは言えないそうです。仕事を発注する立場だからで、ネットの飲み会で知り合った相手なら誘えるといいます。
水野さんも編集の仕事で、フォトグラファーやライターを食事に誘っていた時期がありました。しかし、断ったら仕事をもらえなくなるかもしれないと相手に思わせてはいけないと気づき、誘わなくなったそうです。
権力勾配がある状態での遊びって、それ遊びじゃないから、僕にとっては。
堀元さん自身も昔は、好きではない社長から飲みに誘われると「めっちゃ楽しみっす」と答え、帰宅後にどっと疲れていたといいます。その経験があるから、自分はそうなりたくないと考えています。
堀元さんが「5000円を送金して誘う」という解決策を出すと、水野さんはかえって断れなくなると指摘しました。結局、日程と内容を示して断る余地を残すことが最低ラインだ、という結論に戻ります。二人とも、誘うときは参加予定のメンバーのリストまで送っているそうです。
子どもはなぜ気軽に友達になれるのか
水野さんは、子どもは何の気も使わずに「今日お前んち行っていい?」と言えたと振り返ります。ただ、それも「やだー」と断れる余地があるから成り立っていたと気づきました。
子どもが日程を調整するのは、夏休みにどこかへ行くような、確実に仲の良い相手だけです。水野さんは、仲良くないのに食事に行こうとする大人の仕組みのほうがおかしいのではないかと考えます。
堀元さんは、それなら大人も公園の砂場で遊べばいいと言い出し、水野さんに呆れられます。しかし堀元さんは、著述家のphaファサンさんがシェアハウスについて書いていた内容に触れ、この話は深いと続けました。
phaさんの考えは、人と仲良くなるのが得意でないからこそ、リビングを開放して誰かがいつもいる状態にすれば「スマブラ入れて」と言いやすい、というものです。堀元さんは、それは公園で居合わせた子と遊ぶ子どものコミュニケーションと同じだと指摘します。
水野さんは、「なぜ社会人になると友達ができなくなるのか」について自分なりの答えを持っており、いずれ別の回で話すと予告しました。この1年は台本の種を蓄えており、本が出た今後は骨太な回が増えるだろうと話しています。
言葉は情報と一緒に距離感も運ぶ
水野さんは本題に戻り、言葉が相手との距離感を伝える手がかりとして機能すること自体がすごいのではないか、と提起します。水野さんは「ちゃんと読んでいないので不正確かもしれない」と断ったうえで、ポライトネス理論を提唱したブラウンとレヴィンソン ── 言語学者ペネロピ・ブラウンと人類学者スティーヴン・レヴィンソン。1978年の論文をもとに、ポライトネスが言語や文化を超えて普遍的に見られると論じましたに触れました。
言葉が情報を伝えるだけのものなら、「あそこにマンモスがいた」と伝えれば十分で、距離感まで伝える必要はありません。それでもブラウンとレヴィンソンは、ポライトネスはあらゆる言語と文化に見られる普遍的なものだと述べていると水野さんは説明します。
水野さんは、野球のキャッチボールを例に出します。仲良くなりたい相手とそうでない相手で投げ方を変えて気持ちを伝えるのは難しく、変な球を投げ続ければただの嫌がらせです。
やりとりはできるが、仲良くなりたいかどうかを相手に通じる形で伝える手段がない
敬語やタメ語など、自分も相手も理解できる形式で距離感を伝えられる
うん。言葉ってそう考えると奇跡だね。
堀元さんは、言葉には情報を伝えるという表向きの目的がありながら、ついでに距離感も伝わる点が面白いと付け加えます。水野さんは、その分だけ「避けたい」という意図が意図せず透けてしまうこともあると指摘しました。
毎日テキストメッセージをやりとりする社会では、相手の視点に立ってポライトネスの機微を推測し続けなければなりません。水野さんは、これはかなり難しいことだと考えています。
テキストだと相手の感情を深読みしてしまう
堀元さんには、テキストについて心当たりがあります。会社の顧問税理士とのグループLINEで、親身で良い人なのに、返信が「了解です」や「何々の間違いではないですか?」など用件だけなのです。
堀元さんは自分のミスで相手を怒らせたと思い込みましたが、ミーティングで会うと税理士はニコニコしていました。付き合いが長くなってようやく、テキストでは用件しか言わない人なのだとわかったそうです。
水野さんは、書評家の三宅香帆さんの見立てを紹介します。親世代は電話で距離を縮めたが、現代は対面の相性に加えてテキストメッセージの相性まで合わないと付き合えないので、恋愛が難しいのは当然だ、という私見です。
水野さんは、これも社会人になってから友達ができにくい理由の1つだと考えています。
堀元さんは、水野さんがサムネイル担当者に「今回のサムネは本当に心外です」「法的措置を検討します」と冗談で送るのは勇気があると感じていました。関係性がないと、本気で怒っていると受け取られかねないからです。
僕それあれなんですよ。俺のことをいじってくるということは、僕のことをなめてくれてると思ってるんですよね。
水野さんは、指示を超えて自分をバカにするサムネイルを担当者が作ってきたときだけ抗議しているといいます。堀元さんは、水野さんも言語化していないだけで「こいつは大丈夫だ」という判断を自分と同じようにしていると指摘しました。水野さんは、それを「甘えの技法」と呼んでいます。
安全マージンを20歩取る堀元さんの悩み
堀元さんは、客観的に見ても自分は保守的すぎると感じています。どのくらいフランクに絡んでも大丈夫かのラインは見えているのに、ギリギリを狙う人の加害性が怖いのだといいます。
狙わないんですよ。安全マージンを二十歩ぐらい取ってる。
その結果、特に仕事を一緒にしている人とは全然仲良くなれないと堀元さんは悲しんでいます。ただ、経営者の仕事はみんなと仲良くすることではなく、利益を出して給料を払うことだから、仲良くなくてもいいという結論に落ち着いたそうです。
水野さんは、仲の良い友人と起業した瞬間に敵対関係になった人の話を紹介します。堀元さんも、哲学の会員制村づくりサービスで起業して友達を3人ほど失った経験があると明かしました。
水野さんは、その失敗が堀元さんに自分の加害性を自覚させ、「会社辞めてうちにジョインしなよ」と言わない慎重さにつながっていると評価します。起業の失敗は、無形資産としてプラスだという見方です。
金で覆い隠された「コア」と押し入れ
水野さんは、起業直後の堀元さんには深みがあったが、今はお金がそのコアを覆い隠していると指摘します。堀元さんが「儲かるからいいんですよ」と照れ隠しをすると、水野さんはそれこそがコアを出さない芸だと解説してしまいました。
経営者をやることによって人との距離感を縮めなくていいと思ってるだけですよ。
水野さんは「何歳までそれでヘラヘラしていられるのか」と迫ります。堀元さんは、福本伸行さんの漫画『最強伝説黒沢 ── 福本伸行さんの漫画作品。不器用な中年の建設作業員・黒沢が、周囲に認められようともがく姿を描いています』の押し入れの描写を持ち出しました。
その描写とは、年を取ると直視できないものを押し入れにしまい込み、それが年々大きくなって、40代半ばにはもう一生開けられない押し入れができる、というものです。堀元さんは、水野さんが今その押し入れを開けようとしていると訴えます。
水野さんはさらに、名声やお金はいらないと言いながら働き続ける姿勢が、かえって人とのつながりへの欲求を照らし出していると指摘しました。名声が欲しい、モテたいと言う人のほうが、わかりやすいストーリーに乗れるぶん健康だといいます。
「敵か味方しかいない」世界が性に合う理由
堀元さんは、結局自分は人間関係の複雑さに耐えきれないのだと考えます。好きなのは映画『シン・ゴジラ』の「政界には敵か味方しかいない。シンプルだ。性に合ってる」というセリフです。
堀元さんによると、ビジネスも同じで、嫌いだが役に立たない相手に金を払い続けることはありません。学級会のように空気で同調する意思決定をする会社は、倒産していなくなるといいます。
水野さんは、堀元さんがプライベートの複雑さに耐えられないから、365日24時間ビジネスに打ち込むのが性に合っていると話していたのだ、と整理します。堀元さんは、自分で言ったことでもまとめられると辛すぎると嘆きました。
水野さんはその発想を新鮮に感じ、スポーツが得意な友人の話と重ねます。その友人は、6人がリアルタイムで動くハンドボールは複雑すぎ、アベレージ200ほどのボウリングは簡単すぎたため、ほどよい難易度のゴルフにはまったそうです。
水野さんは、それを人間社会でやっているのが堀元さんなのだと気づきます。堀元さんも、小学1年生のころから、場の雰囲気を掌握した人が勝つ学級会が醜悪で嫌いだったと振り返りました。
水野さんは、堀元さんは複雑な世界を複雑なまま受け取ってきつかったが、自分は複雑な世界を単純にしか見ていないから生きてこられたのかもしれない、と語ります。お調子者を演じていたので、人間のコアが出る場に立ち会ってこなかったというのです。
水野さんは、クリスマスに恋人がいなくて寂しいという感覚もわからなかったといいます。いたことがなければ比較の対象がないからで、堀元さんは「オフしかなければ関係ない」と納得しました。
水野さんはさらに、堀元さんがゆる言語学ラジオでもゆるコンピュータ科学ラジオでも、複雑なものを複雑なまま受け取るべきだとリスナーに伝えている点を突きます。堀元さんは、本当はそれをやる気があるが、人間関係に当てはめるのは煩わしいから、コアの声をガワが封印しているのだと認めました。
感情を言語化しすぎた代償
水野さんは、人のコアにはもうたどり着けないと思っていると言います。堀元さんも、今は本当は複雑な人間関係を求めていると言いながら、明日にはガワの声が強くなり、今のままで楽しいと思っているだろうと話します。
堀元さんは、テレビ番組『怒り新党』でマツコ・デラックスさんが語った話を紹介しました。ペットが死んだから会社を休む人を嘆く投書に対し、マツコさん自身も親が死んでも仕事に来るが、それは自我を保つために意地になっているだけだと答えたそうです。
マツコさんは、悲しくて仕事に行けないと言うほうが、よほど人間としてまともで上等ではないかと語ったといいます。水野さんはこれを「コアとガワじゃん」と受け止めました。
二人とも、感情が動いたときに理由を整理してから言語化する癖があるといいます。水野さんは若いころ、何に怒っているのかわからない人は幼稚だと思い、自分の感情を正確に言語化できるよう鍛えたそうです。
そう、人間らしさみたいなものは全部失った気がする。
堀元さんは、ビジネスの場では着地点から逆算して怒ったり悲しんだりすることもあると言います。わけがわからないまま感情をぶつけるほうがビジネスでは負けるが、そのほうが人間的だと感じています。
怒ったふりは「機嫌で人を操る」ことと違うのか
水野さんは、機嫌で人をコントロールするのは下の下だと思っています。しかし、目的のために怒ったふりをするのは、見た目上それと変わらないのではないかと堀元さんに尋ねました。
堀元さんの答えは、怒るのが初手かどうかが違いだというものです。まずお願いし、それが守られないことが何度も続いたときに、プレッシャーのかけ方の1つとして怒るといいます。
依頼する
まず「こうしてください」と伝える
守られない
依頼が実行されないことが何度も続く
圧をかける
いろいろな方法でプレッシャーをかける
怒る
その手段の1つとして、最後に怒る
堀元さんは、不機嫌で人を操っていると思われても構わないと言います。好かれるのではなく成果物を納品させるのが経営者の仕事だからです。水野さんは、それは経営者としてのガワの答えで、今はコアと話したいのだと返しました。
水野さんは、今の自分は嫌いではないと前置きしたうえで、疑問を口にします。世間では失敗しないノウハウが教えられ、その通りにしてきたのに、結果として深みがないと言われるのは理不尽ではないか、という疑問です。
堀元さんは、結果を出すための現代のビジネスの思考様式と、素直な人間関係をつくる情緒的な面の食い合わせが悪いのだと整理しました。二人はビジネスに傾いた結果、情緒的な面を失ったのだといいます。
水野さんは、問題はビジネスとプライベートを切り替えられていないことだと結論づけます。ただ堀元さんは、365日仕事が楽しくてしかたがないので、結局切り替えたくないとも認めています。水野さんは、暇にならないのは仕事を断る勇気がないからで、頑張り続けることはむしろ安直なのだと付け加えました。
婚活を仕事にする「コアとガワの癒着」
堀元さんは、去年離婚し、今は恋人がいないと明かします。出会いの活動をしたいと思ったとき、真っ先に浮かんだのは、マッチングアプリや結婚相談所を実況すれば広告案件になるのではないか、という発想でした。
実際、ハイクラスの男女の出会いを提供する業者から案件の打診も届いたそうです。堀元さんは、ビジネスを続けたい気持ちと複雑な人間関係を築きたい気持ちがアンバランスに合体した結果だと自己分析しました。
水野さんは、それはコアの部分まで金に換えることであり、滑りやすい坂だと警告します。堀元さんは、付き合った後を換金するのは問題だが、出会うまでの過程を換金するだけなら問題ないと反論し、リアリティショーで結婚した人の例を挙げました。
ライブ配信のイメージをすり合わせると、堀元さんが考えていたのは、相手を映さず過程を一人で語る形式でした。デート中にカメラを回すと想像していた水野さんは、それなら問題ないかもしれないと認めます。
コアと側を癒着してうまいこと両取りする。これです。
水野さんは、「コアを大事にしよう」というメッセージよりも具体的な行動が見えてわかりやすいと評価しました。
水野さんが夢で号泣した理由
一方で水野さんは、自分は何も解決していないと言います。堀元さんは、水野さんにはそもそも癒着させるコアがないので、ガワが納得していれば問題も起きないのだと茶化しました。
水野さんは、周囲がコアがあるはずだと言うのは、中に仏像のない本尊を拝むようなものだとたとえます。ところが水野さんは、最近夢を見て起きた後も号泣していたと明かし、堀元さんに「コアあるじゃん」と突っ込まれます。
夢の内容は、1時間後に死ぬと宣告され、実家近くの大通りを両親の車で走りながら最後の言葉を伝える、というものでした。水野さんは両親に、この両親のもとに生まれてよかったこと、いつ死んでも後悔がないように生きてきたことを伝えたそうです。
別に死ぬことに後悔がないっていうのを本音で言ってる感じがしたし、起きた後も、あ、確かにそうかもってなって発見したんですよね、だから。
水野さんは、後悔なく生きていると気づけたことと、母の日に何か贈ろうと思えたことで「プラスが2つ」だと受け止めました。堀元さんは、それはやはり内なる叫びではないかと首をかしげます。
水野さんは、テキストに書いていないことを読み解くなと反論します。堀元さんは、このまま10年、20年経って気づいて絶望するのか、それとも走り抜けるのかが楽しみだと返しました。
注意喚起のパラドックスと言葉の曖昧さ
締めに入ろうとしたところで、水野さん自身もつい最近まで「タメ語でいいよ」とよく言っていたと告白します。水野さんはそれを、相手のフェイス ── 人が他者に対して持つ社会的な自己像のこと。ブラウンとレヴィンソンの理論では、このフェイスを脅かす行為を「フェイス侵害行為」と呼びます侵害行為だったと振り返りました。
堀元さんは、ここで「イベント注意喚起のパラドックス」を持ち出します。距離感をわきまえない人に注意喚起すると、まともな人ほど自分が迷惑だったかもしれないと参加をやめ、当の迷惑な人は他人事として受け取るというものです。
注意喚起
距離感をわきまえない人がいると呼びかける
まともな人
自分が迷惑だったかもと気にして参加をやめる
迷惑な人
他人事と受け止めて参加し続ける
結果
迷惑な人ばかりが残る
堀元さんは本音として、水野さんの「タメ語でいいよ」はほぼハラスメントではないと言います。水野さんは相手を見て、仲良くなれそうな相手にだけ言っていて、その見積もりもあまり外していないからです。
ただ、その、だから安心していいんだっていう言説が社会に歩いてしまうと、困った人が大量に増えてハラスメントが増えるんですよ。
自分がどちら側なのかを客観的に判断する指標がないため、みんなが気をつけるほど人と仲良くなれなくなっていく、と堀元さんは考えます。解決策として相互評価アプリを思いつきますが、点数が相手に伝わると関係が壊れるので正確に評価できなくなると自ら気づきました。
水野さんは、だからこそ人は言葉に頼っているのだと話します。言葉は「嫌い」とまでは確定させず、点数のようにはっきり出てしまうこともありません。
アンビギュイティ、曖昧さ、曖昧さがあるからこそ逃げ場があって、我々はそれに頼ってるのかもしんないと思う。
堀元さんはさらに、権力勾配のある相手とは仲良くならなくていいという考え方もありうると提案します。マッチングアプリで1度会っただけの相手なら、嫌ならブロックすればよいので、加害性はかなり低いという理屈です。
水野さんは、それは流動性のある人間関係だから成り立つのであって、職場の男女ならまずいと整理しました。人が少ない地方では成り立たない「都市の論理」だという点で、二人の意見は一致しています。
コアでぶつかる会話がしたい
水野さんは、堀元さんが出演している積読チャンネルで、プライベートのコアを出すかのような人生相談の話をしがちなことに「もう飽きた」と言います。堀元さんは、押し入れの中身が見えているような話は嘘ではないが、良いコンテンツになりそうだという計算もあって出してしまうと認めました。
コア同士できっちりぶつかりましょうよ、そんな。コア寄りのガワみたいなとこ。
お前ガワしかねえんだよな。
収録は午前2時まで続き、堀元さんはリスナーにコメントを呼びかけます。「タメ語でいいよと言うとみんな喜ぶ」という成功体験に裏打ちされた人こそ一番まずいので、このパラドックスを解決する方法を知っている人がいたら教えてほしい、と話して回を締めました。
まとめ
この回は、「タメ語でいいよ」が相手の退路を奪うという問題提起から始まり、敬語が距離調節の道具であること、言葉の曖昧さが逃げ場になっていることを確かめます。そのうえで、大人が人と仲良くなれない理由と、二人自身のコアとガワの葛藤にまで話が広がりました。
- 敬語は敬意だけでなく距離を取る機能も持ち、「タメ語でいいよ」は距離の近さを相手に強制しかねない
- 誘いや依頼は日程と内容を明示し、相手が断れる退路を残すことが大切だと二人は考えている
- 権力勾配がある関係では、遊びや鍋の誘いも断れない以上ハラスメントになりうる
- 言葉は情報と一緒に距離感を運び、その曖昧さが人間関係の逃げ場になっている
- 合理的に感情を整理する習慣が、素直な人間関係を築く面と食い合わせが悪いという自己分析が語られた


