「はい」と「うん」は心の中の作業音?
ゆる言語学ラジオの前回は、日本語の相槌「はい」と「うん」がどう違うのかという謎だけが提示されていました。今回は水野さんが、論文をもとにその謎解きに入ります。
水野さんが最初に示した結論は、「はい」と「うん」は理解のプロセスに関わっている、というものです。堀元さんはこの抽象的な結論に「つまんなそう」とブーイングを浴びせ、議論はいきなり脱線しかけます。
うーん、なんかスッキリしなさそうだぞ。つまんなそ。
水野さんによれば、論文の著者は「はい」や「うん」の本質を心的操作標識 ── 話し手が頭の中で行っている処理を、言葉として表に出す標識のこと。相槌や感動詞を、情報処理の痕跡として捉える見方ですだと述べています。会話中に何かを思い出したり計算したりする過程で、無意識に出てしまう作業中の音のようなもの、という説明です。
その処理をする過程で、いわば無意識的に出てしまう作業中の音みたいなのが、はいとかうんなんだっていう説明なんですね。
そこで水野さんが持ち出したのが「半活性情報」という概念です。堀元さんが「何年に生まれましたか」と聞かれた場合、質問そのものは会話の中で明示された活性情報で、頭の中にある「1992年」という答えは、すぐ取り出せるけれどまだ口に出されていない半活性情報にあたります。
活性情報の定義について、論文は研究者シェイフの1994年の論考を下敷きにしており、会話のその時点ですでに明示的に与えられている情報を指すと水野さんは紹介しています。
堀元さんはこの整理を受けて、会話とは半活性情報を活性情報に変えていく営みなのだとまとめます。水野さんはこれを、コンピューターがメモリにある情報を取り出して出力し続けるような営みにたとえています。
活性情報
質問など、会話の中ですでに明示された情報
照合
頭の中ですぐ取り出せる半活性情報と結びつける
はい/うん
結びつける処理の過程で出る作業音
応答
口に出した答えが、新たな活性情報になる
決め手は呼び出される半活性情報の量
水野さんが紹介した論文の核心は、より多くの半活性情報が呼び出された時点では「はい」、それほど呼び出されなければ「うん」が使われる、という説明です。丁寧さの違いだと思っていた堀元さんは、この仮説に驚きます。
マジ?え、丁寧さとかだと思ってたから。半活性情報?予想外すぎるぞ。
水野さんの説明では、相手の話に「うん、うん」と返すのは、聞き手が自分の知識と結びつける努力をあまりしていないように受け取られるといいます。その結果、「うん」はただ聞いているだけの態度として伝わるわけです。
堀元さんも自分の経験に照らして納得します。話題についてよく知っていて語りたいことがあるときは「はい」と返し、何もピンと来ていないときは「うん」と返している、と振り返りました。
前回の例にも、この原理が当てはまります。知らない店「シロキア」に「6時」と言われたときは「うん」、「大通りの角にある居酒屋」と補足されて大通りという手がかりが浮かぶと「はい」になりました。
逆に、堀元さんが知っている「日吉の武蔵屋」の名前が出たときは「はい」でしたが、「大通りの角にある店」という既知の補足には「うんうん」と返しています。新しく呼び出される情報がなかったからだと水野さんは説明します。
提示された情報に対して、半活性情報が多く呼び出された状態
半活性情報があまり呼び出されない状態。既知の話や、まだピンと来ない話
水野さんの結論は、「はい」と「うん」の違いは話し手の丁寧さではなく知識状態がメインのファクターだというものです。
堀元さんは、そんな難しい処理を一瞬でしていたのかと感心します。水野さんは、日本語を母語としない人がこの使い分けを後から覚えるのはかなり大変だろうと付け加えました。
「はいはいはい」が鬱陶しいのはなぜか
半活性情報の原理を使うと、「うんうん」と連続する相槌より「はいはいはい」のほうが鬱陶しく聞こえる理由も説明できると水野さんは話します。「はい」を繰り返すのは、多くの情報を呼び出したと何度も表明することになり、行き過ぎた強調、つまりオーバーリアクションに聞こえるからです。
今俺半活性情報あるよ、半活性情報あるよ、半活性情報あるよって何回も言ってるわけだから、うるさいよな。
堀元さんは、前回「うん」には先を促す効果があるのではと話していたことを思い出します。水野さんは、その見立ては帰結として合っているとしたうえで、裏にある半活性情報という統一原理がすごいのだと強調しました。
本の中では、「はいはい」は情報を処理している表示ではなく、すでに処理済みであることの表示になるとも説明されているそうです。水野さんによれば、そこにイントネーションの効果が加わり、「これ以上情報を提供しないでくれ」という態度につながると考えられます。
例として挙がったのが、聞き飽きた中学時代の自慢話です。話を止めてほしいとき、人は「うんうん」より「はいはい」と言いやすい、と二人は確認し合います。
ここで堀元さんは、お笑いのネタ「あるある探検隊」の「はいはいはいはいはい」も半活性情報の多さを表しているのではと言い出します。水野さんは、自分の計算結果に自分で驚いている構図になっていると突っ込み、最後は「人が目の前で気絶したら、はいもうんも言わない」とフォームを崩されていました。
名前を呼ばれたときの「はい」は反例か
水野さんはまず、以前ゲストの丸山武彦先生が来た回に触れます。丸山先生は、堀元さんがアルゴリズムを説明し始めた瞬間に「はいはいはい」「なるほど」と相槌を打つコントをしていました。
水野さんによると、話し始めた瞬間に大量の半活性情報を呼び出したと表明するのは不自然で、結果として相手を突き放す印象になります。堀元さんも、話をまったく聞いていないと思われると同意しました。
すると堀元さんが反例を思いつきます。収録の冒頭で水野さんに「堀元さん」と呼びかけられると、堀元さんはいつも「はい」と返していますが、ただ呼ばれただけなので半活性情報はないはずです。
俺呼ばれただけだから。うんの方が良くない?
水野さんは、会話が続いている最中に名前を呼ばれたら「うん」、居酒屋でメニューを置いて沈黙した後に呼ばれたら「はい」になると整理します。会話が進んでいる状況がすでに活性化していれば新しい情報は不要で、そうでなければ呼ばれた時点で処理が必要になる、という見立てです。
ただし水野さん自身、これが正しい説明かはわからないと留保しています。堀元さんも、多少こじつけた感があると率直に返しました。
不測の事態ほど「はい?」になる?
次に水野さんは、前回出た「見慣れない画面が出たときの『はい?』と『ん?』」の違いを取り上げます。いつも使っているパソコンで見慣れない画面になると「はい?」、初めて使うパソコンで説明書と違う画面が出ると「ん?」になる、という例です。
この部分について水野さんは、論文の説明をうまく理解できなかったため、自分なりにわかりやすいと思った説明をすると断っています。原著論文とは異なるかもしれない、という前置きつきです。
水野さんの解釈は、不測の事態であればあるほど多くの半活性情報を呼び出す必要があるので「はい?」が自然になる、というものです。予測の範囲内に収まる状況なら、「うん」や「ん?」で済むことになります。
堀元さんは、初めてのパソコンでは色々な可能性を考えているのだから、むしろ半活性情報が多いのではと反論します。水野さんも、実験のしようがないと認めました。
本の中の例として、水野さんは人が大勢いる中でテレビインタビューの対象になった場面も紹介します。そこでは「はい、俺?」が自然で、5人しかいない場所なら「ん?俺?」でもいけそうだという比較です。
| 場面 | 予想しやすさ | 出やすい反応 |
|---|---|---|
| 大勢の中でテレビの取材対象になる | 予想外 | はい、俺? |
| 5人しかいない場所で取材対象になる | 予想の範囲内 | ん?俺? |
| 専門用語でまったくわからない話をされる | 予想外 | はい? |
| わからない単語が1つある程度 | 予想の範囲内 | ん? |
最後に堀元さんは、水野さん相手に「Next.js」や「ハイドレーション」といった専門用語を並べて実験を試み、「試さないでください、僕で」と返されていました。
「はい」は頑張ってるアピール?
ここからは、まだ解けていない謎を堀元さんが半活性情報で説明してみる流れになります。最初の謎は、「もう大変でしたよ、はい。」のように話の末尾に付く「はい」です。
堀元さんは「会話はみんな録音されているから、いい返しを考えるため」と答え、水野さんに「見当違い中の見当違い」と一蹴されます。ただ、相手にターンを渡す意味合いが強いという前半の指摘は当たっていると水野さんは認めました。
論文の著者の説明では、トピック末尾の「はい」は、話し手が自分の知識に再アクセスし、大変だった出来事を追体験して、関連情報をすべて出し切ったことを示すものです。そのため「次はあなたが話してください」という機能を持つと考えられています。
2つ目の謎は、「あ、はい」とは言えても「はい、あ」とは言えない理由です。堀元さんは、呼ばれたことにまず気づいて「あ」が出て、その後に返事の情報が浮かぶから「あ、はい」の順になる、と説明します。
あ
与えられた活性情報に気づいたことの表示
はい
気づいた情報に対して、半活性情報を呼び出す処理の表示
水野さんは、気づいてから処理するのだからその順番になる、と説明するとすっきりするとまとめました。
堀元さんが改めて驚いたのは、丁寧さが基準ではないという点です。上司に教わるときの「はい」は、情報を活性化させて頑張っているというアピールであり、上司が見ているときだけキーボードを激しく叩くようなものだと言い換えます。
その上司が見てる時だけめっちゃキー叩くみたいな感じなわけよね。
そこから堀元さんは「活性65%」「70%」「80%」と実況する新しい話法を考案します。水野さんは、100%まで行くと出し切って「はいはい」と同じく話を拒む合図になるので、90%台で止めるべきだと乗っかっていました。
水野さんは真面目な話として、相槌は自然に打ってしまうので嘘をつきにくいとも指摘します。ミステリで、犯人しか知らない情報に「はい」ではなく「うん」と返してしまう場面がありそうだと話しました。
「はい」はパソコンのファンの音と同じ
水野さんは今回の話を、「はい」や「うん」はただの相槌でも丁寧さの表現でもなく、人間が会話で情報を処理するときのノイズのように出てくるものだとまとめます。
堀元さんはこれを、動画の書き出しなど重い処理をさせたパソコンのファンが「うーん」とうるさくなる様子にたとえます。ちゃんと働いているなと微笑ましく思うあの音と、「はい」は同じだというのです。
水野さんはこのたとえに、もう1つ重要な点があると付け加えます。パソコンは音を鳴らすために処理しているわけではなく、「はい」も伝えるために出すのではなく処理の結果として出ている、という点です。
同じように我々もはいってのを、相手に関連情報の呼び出しを多くやったってことを伝えるために出してるんじゃなくて、その結果として出ている。
堀元さんが「はいはアピールで言っていないか」と疑問を返すと、水野さんは、第1義は心的操作標識で、相手への丁寧さを示す使い方は二次的なものと見たほうがよいのではと答えました。
すると堀元さんは、自分はその第2義をハックしていると告白します。知らない単語が出てきたとき、嘘はつかずに知ったかぶりをするため、何も呼び出されていないのに「はい」と言っているそうです。
聞いたことないな、その人って思いながらはいって言ってる。
日本語学習者への教え方も話題になります。「半活性情報が多いと思ったら『はい』」と教えるのはハラスメントだと笑い合いつつ、水野さんは、母語話者レベルを目指す学習者なら最終的にはこうした使い分けも必要になるかもしれないと話しました。
水野さんによれば、フィラー ── 「えー」「あの」「うーんと」など、発話の間を埋める言葉。日本語では埋め草とも呼ばれ、話し手の思考や発話の準備を反映すると考えられていますは日本語教育の分野で研究されていて、どのタイミングでどう教えるかも考えられているそうです。
今回の「はい」と「うん」の話は、書籍『「うん」と「そう」の言語学』に収められた論文がもとになっています。水野さんは、古い本で入手は簡単ではないかもしれないとしつつ、他の論文とあわせて読むと楽しいと勧めていました。
堀元さんは、収録中ずっと「今の俺の『はい』合ってるか?」と気になって喋りづらかったと振り返ります。水野さんは、自分をモニターすると大変なので、意識しすぎないほうがいいと返しました。
まとめ
今回のゆる言語学ラジオでは、「はい」と「うん」の違いを、丁寧さではなく頭の中で呼び出される半活性情報の量という1つの原理で読み解きました。「はいはい」の鬱陶しさや話の末尾の「はい」まで説明できる一方で、呼びかけや不測の事態の例には、こじつけではないかという留保も残されています。
- 論文では、「はい」と「うん」は話し手の心の処理を表に出す心的操作標識と説明される
- 半活性情報が多く呼び出されれば「はい」、あまり呼び出されなければ「うん」になる
- 「はいはい」は処理済みの表示になり、これ以上話さないでという態度に聞こえやすい
- 話の末尾の「はい」は、知識に再アクセスして出し切ったことを示し、相手にターンを渡す
- 「はい」はパソコンのファンの音のように処理の結果として出るもので、丁寧さは二次的な使い方と考えられる

