日本の地名は全部アイヌ語由来?
番組は、堀元見さんが「日本の地名は全部アイヌ語由来らしい」という説を持ち込むところから始まります。堀元さんは漫画『ゴールデンカムイ』にハマってアイヌに興味を持ち、ネットで調べるうちにこの説に出会ったといいます。
堀元さんが挙げたのは、富士山の「富士」は火の神を意味するアイヌ語「フチ」から来ているという説です。学者のジョン・バチェラーが唱えたものだと聞き、説得力があると感じたそうです。
(この説は)多分合ってると思うんですよ。ネットに書いてあったんで。インターネットに書いてあったから、多分真実だなと思います。
水野太貴さんは、富士山のアイヌ語起源説は俗説だと聞いていました。ただ、どこが間違っているのかは説明できません。
僕もなんか正しくない俗説だとは聞いているものの、どう間違ってるのかがよくわからないので、今回ですね、アイヌ語の専門家にゲストで来ていただいております。
ゲストの中川裕さんは、アイヌ語を専門とする言語学者です。堀元さんが「ゴールデンカムイを愛読している自分のほうが詳しいかもしれない」と張り合うと、中川さんは自分がその『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修者だと明かし、場が一気に崩れました。
富士=フチ説が「語呂合わせ」にすぎない理由
堀元さんは改めて、富士山は活火山で火を吐くから、火の神「フチ」と名付けられたという説を中川さんにぶつけます。中川さんの答えは「単なる語呂合わせですね」というものでした。
中川さんによると、アイヌ語の「フチ」が火の神を指すのは確かです。ただ、この説には金田一京助 ── 明治から昭和にかけて活躍した言語学者。アイヌ語研究の基礎を築いた人物として知られ、ユーカラ(アイヌの叙事詩)の研究でも有名ですがおよそ90年前にすでに反論しているといいます。
金田一京助の反論は音の歴史に基づくものです。上代 ── 日本語史の時代区分で、主に奈良時代とそれ以前を指します。万葉集などの資料から当時の発音が推定されていますの日本語のハ行音はPやFに近い音で、Hの音がありませんでした。
そのため、もし「フチ」のようなHで始まる言葉が日本語に入ってきたなら、Kの音で取り込まれたはずです。富士山ではなく「クジ山」になっていなければおかしい、という理屈です。
水野さんは、漢字の「漢」も中国ではハンに近い音だったものが、日本ではカンと読まれたという例を補足します。
アイヌ語のフチ
Hで始まる音を持つ言葉
上代の日本語
ハ行はPやFに近い音で、Hの音がなかった
取り込まれ方
Hの音はKの音として取り込まれたはず
結論
富士ではなくクジ山になるはずで、説は成り立たない
ただ、中川さんはこの説明が一般の人にはわかりにくいとも認めます。火山だから火の神「フチ」から富士になった、という話のほうがよほどわかりやすいのです。
悲しいですね。面白い方の説ばっかり有名になっちゃって、正しい方のことは広まらないんだ。
アイヌ語地名を見分ける「命名規則」とは
中川さんは、金田一京助とは別の方法でも、富士山がアイヌ語起源ではないと言えると考えています。手がかりは、アイヌ語地名の付け方そのものです。
中川さんによると、アイヌ語の地名は固有名詞というより、その土地の特徴の説明です。大きい川、崖の上、行者ニンニクが生えているところ、といった具合に名付けられています。
アイヌ語地名は土地の説明なので、同じ特徴を持つ場所には同じような名前がつきます。堀元さんは「はげ山は全部はげ山と呼ばれるようなもの」とたとえました。
この命名規則に照らすと、火山を「フチ」と呼ぶ習慣がアイヌ語にあるなら、火山の多い北海道にも「フチ」という火山があるはずです。ところが中川さんによると、北海道に「フチ」という名前の火山は1つもありません。
むしろ国後島には、アイヌ語で「おじいさん」を意味する「チャチャ」岳があります。一方の「フチ」は、火の神のほかに「おばあさん」も指す言葉です。
国後島にチャチャ岳があり、火山の名前として使われている
北海道に「フチ」という名前の火山は1つもない
中川さんの結論は、アイヌが確実に付けた北海道の地名と同じ付け方をしているかどうかで、アイヌ語地名かを判断できるというものです。富士山はその付け方に全く合っていないため、アイヌ語起源の可能性は非常に低いとしています。
統一された命名規則っていうものを導けば、信憑性ある説かどうかちゃんとわかるっていうことですね。
阿蘇=「燃える床」説は語呂合わせ以下
富士山の説を諦めた堀元さんは、次に熊本の阿蘇山を持ち出します。阿蘇の「ア」は燃える、「ソ」は床で、カルデラ地形の阿蘇は「燃える床」だという説です。
中川さんの評価は「語呂合わせにもなってないです」という、富士山の説より厳しいものでした。
中川さんによると、「ア」が燃えるという意味はバチェラーの辞書に書かれていますが、実際にはそんな意味はありません。バチェラーは火を意味する「アペ」を「ア」と、物を意味する「ペ」に分け、「ア」を燃えると解釈したのだろうと中川さんは推測しています。
ところが、物を意味する「ペ」は子音の後ろにしか付きません。母音の「ア」に付く場合は「アㇷ゚」のようにPで終わる形になり、「アペ」にはならないといいます。
アペ
本来は分解できない「火」という1つの単語
誤った分解
「ア」+物を表す「ペ」と分け、「ア」を燃えると解釈
文法上の問題
「ペ」は子音の後ろにしか付かず、母音の後ではPで終わる形になる
阿蘇=燃える床説
辞書の誤った記述を、別の誰かが阿蘇に当てはめた
水野さんは、こうした誤った分解を民間語源 ── 学問的な裏付けなしに、語の見た目や音から一般の人が思いつく語源の説明。もっともらしく見えるため広まりやすい傾向がありますの一種として紹介します。英語の female も、fi と male(男性の)に分けられそうに見えますが、そうではないといいます。
さらに中川さんによると、バチェラー自身は阿蘇山をアイヌ語起源だとしながらも、「燃える床」とは言っていません。辞書の記述を使った誰かが作った説らしく、堀元さんは「失敗に失敗を塗り重ねた説な感じ」と表現しました。
なお、「ソ」に床という意味の単語があることは中川さんも認めています。
三内丸山の「三内」はアイヌ語として正しい
水野さんが「何でもかんでもアイヌ語に当てはめるのはやめましょう」とまとめると、堀元さんも改心したと言います。そのうえで堀元さんが挙げたのが、青森県の三内丸山遺跡の「三内」はアイヌ語だという説です。
堀元さんはこの説もガセだと思っていましたが、中川さんの答えは「これはね、かなり正しい」でした。
中川さんは、地名は専門ではないと断ったうえで、アイヌ語地名学を科学に近づけたと言われる山田秀三さんの研究を紹介します。中川さんは山田さんの弟子のような立場だったといいます。
山田さんは、アイヌ語の単語が入っていそうならすぐアイヌ語だとする人ではありませんでした。北海道や東北に多い「ナイ」で終わる地名も、「ナイ」がアイヌ語の川なのかをまず確認するところから始めたといいます。
「三内(サンナイ)」は、アイヌ語では「下る川」や「出る川」と解釈できます。ただ、山田さんは「何が出るのか」がわからないと納得しませんでした。
山田さんの方法は、三内や似た名前の場所を北海道から本州まですべて訪ねるものでした。現地でその土地をよく知る人に元の場所を案内してもらい、状況を調べて共通点を探します。
調べた結果、すべての三内に共通していたのは、大雨が降ると鉄砲水 ── 大雨などで急激に水かさが増し、勢いよく流れ下る水。山あいの川で起こりやすく、土砂災害の原因にもなりますが出る場所だという特徴でした。地元の人にとっては何が出るのか言わなくてもわかるので、「出る川」で十分だったというわけです。
(全部の三内に共通しているのは)鉄砲水が出てくるっていう要素だったから。
こうして山田さんは、三内丸山の三内はアイヌ語地名だと結論づけました。堀元さんは「地名考えるの、そんな泥臭い作業必要なんだ」と驚きます。
もちろん何もないですよ。怪しいサイトで二行読んで決まりって思いましたね。
ナイ地名の分布が示す蝦夷の正体
青森にアイヌ語地名があるなら、アイヌ語はどこまで広がっていたのか。水野さんのこの疑問に対し、中川さんは山田さんが作った「ナイ」地名の分布図を示します。
分布図によると、ナイ地名は青森・秋田・岩手、そして宮城県の仙台より少し北のあたりまでは非常に多く、そこから南ではがくっと減ります。中川さんは、少なくとも濃い地域にはアイヌ語を話す人が確実に住んでいたと説明します。
中川さんは続けて東北の古い地図を見せます。仙台の北には大和朝廷の前線基地だった多賀城 ── 奈良時代に現在の宮城県多賀城市に置かれた城柵。陸奥国の国府が置かれ、東北支配の拠点となりましたがあり、そこから北は蝦夷 ── 古代に東北地方などに住み、大和朝廷に従わなかった人々を指す呼び名。読みは「えみし」ですの土地でした。
日本海側の秋田には出羽柵という朝廷の基地もありました。連絡が取れなくなったため、大野東人という将軍が多賀城から大軍を率いてルートを作ろうとしましたが、秋田と山形の県境の雄勝峠で蝦夷軍が強く、引き返したことが記録に残っているそうです。
中川さんによると、この多賀城と雄勝峠を結ぶ線と、アイヌ語地名の濃い地域の境目はぴったり一致します。
蝦夷の世界で、大和朝廷の力が及ばなかった。ナイ地名が非常に多い
大和朝廷の勢力圏。ナイ地名ががくっと減る
山田さんの結論は、蝦夷の全員がアイヌ語を話していたとは言わないが、地名に残るほどアイヌ語を使う人たちが蝦夷の中に大勢いたことははっきり言える、というものです。
中川さんは、日本史の研究者は蝦夷を「北にいた人たち」とし、アイヌの先祖とは限らないとすると説明します。一方でアイヌ語の側からは、アイヌ語が残っている以上、そこにいたのはアイヌの先祖だと考えているといいます。
これすごない?地名からさ、そこにいた(蝦夷)みたいな人たちの正体を探れるって結構衝撃事実じゃん。
水野さんは小学生のころ、地図帳から難読地名を書き写していたそうです。ただ、岩手県の一戸や二戸を調べるばかりで、東北にナイ地名が多いことには全く気づかなかったと振り返ります。
佐比内と沙比内、2つの川を現地で比べる
堀元さんは分布図の中に、岩手県の佐比内(さひない)を見つけます。北海道にも沙比内(さっぴない)があり、同じ語源ではないかと尋ねました。
中川さんによると、山田さんも同じ語源だと考えて佐比内を訪ねています。山田流では、まず現地のタクシー会社に行き、昔から勤めていて土地の人に詳しい運転手を探し、その日1日タクシーを借り上げるといいます。
運転手に佐比内に詳しいお年寄りを紹介してもらい、その人をタクシーに乗せて、元々の佐比内まで案内してもらいます。地図上の地名は広い範囲に適当についているため、大きな地名ほど元の場所がわからなくなるからです。
中川さん自身も横浜市神奈川区西神奈川の出身ですが、神奈川という名前が元々どこについていたのかは、住民としてもわからないと話します。
佐比内の現地に着くと、案内したお年寄りは「今は佐比内と呼んでいるが、子どものころは沙比内と呼んでいた」と話したそうです。北海道の地名と同じ発音だったわけです。
沙比内は、「サッ」が乾く、「ピ」が小石、「ナイ」が川で、乾く小石の川と解釈できます。北海道の沙比内は夏に水が干上がって川底の砂利がむき出しになり、岩手県遠野の佐比内も雨が降らないと同じように川底が出るといいます。
| 項目 | 北海道の沙比内 | 岩手県遠野の佐比内 |
|---|---|---|
| 発音 | サッピナイ | 地元の古い呼び方はサッピナイ |
| 土地の状況 | 夏に干上がり川底の砂利が出る | 雨が降らないと川底がむき出しになる |
| 解釈 | 乾く小石の川 | 乾く小石の川 |
名前も土地の状況も一致したことから、山田さんは岩手県の佐比内を間違いなくアイヌ語地名だと判断しました。川1つの名前を決めるために、丸1日をかけるやり方です。
中川さんは若いころ、山田さんから「中川君、君アイヌ語地名やってみないかね」と誘われ、即座に「無理です」と断ったそうです。山田さんのやり方を知っていたからこそだといいます。
山田流のフィールドワークとコタツ記事
水野さんが山田流の地名研究の後継者について尋ねると、中川さんは、薫陶を受けて同じやり方で動いている人は何人もいると答えます。こうした方法をがっちり確立したのは山田さんだといいます。
中川さんによると、それまでの地名研究は語呂合わせに近く、机の上で地図や古文書を見ながら組み立てるやり方が多かったそうです。
机の上で地図や古文書を見ながら、ありそうな意味を組み立てる
古文書で下調べをしたうえで現地に行き、聞き取りで裏付けを取る
ただし、山田さん自身はアイヌ語に非常に詳しく、現地に行く前に古文書で元の土地を調べていました。闇雲に現地へ行くわけではないと中川さんは補足します。
堀元さんはこの話を、5年ほど前にウェブライターの間で流行った「コタツ記事をやめよう」という言葉に重ねます。ネットや本の情報だけで書いた記事ではなく、現地で関係者に取材せよという主張です。
水野さんも、暖房の効いた部屋で本ばかり読んできた自分は「コタツ言語学」しかしていなかったかもしれないと反省します。堀元さんは、皆が妥協していたところに正面から取り組んだ山田さんを「めちゃくちゃ偉大」だと評しました。
月寒はなぜ「月」と「寒い」なのか
堀元さんは、『ゴールデンカムイ』に「月寒あんぱん」が出てくると嬉しくなると話します。北海道出身の堀元さんは、通っていた歯医者が月寒にあったそうです。
中川さんに月寒の意味を聞かれた堀元さんは、「寒い夜に月のウサギも寒そうだと言ったのが由来」という作り話を披露し、水野さんに「ゴリゴリの日本語」とつっこまれます。
中川さんによると、月寒は以前、地元で「ツキサップ」と呼ばれていました。そこに「月」と「寒」の字を当てたため、「サム」と読まれるようになり、ツキサムになったのです。
さらに元をたどると、アイヌ語では「チキサㇷ゚」だったと考えられます。説はいろいろあるものの、山田さんはハルニレの木を指していたのではないかと考えたそうです。
ハルニレは、棒をこすって火を起こすときに火がつきやすく、使われる木です。「チ」は私たち、「キサ」は棒をこする動作、「プ」は物で、「私たちが火を起こすもの」というのがハルニレの語源だと言われています。
チキサㇷ゚
ハルニレを指すアイヌ語。ハルニレが多い場所だった可能性
ツキサップ
地元で呼ばれていた呼び方
月寒の字を当てる
「寒」の字を当てたため「サム」と読まれる
ツキサム
現在の呼び方
話を振られた堀元さんは「歯医者の中にもハルニレが生えていた」とふざけ、水野さんに「嘘すぎるだろ」と返されました。
アイヌ文化を知るとゴールデンカムイはもっと面白い
この回は集英社の広告案件で、水野さんは中川さんの著書2冊を紹介します。『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』と、最近出た『ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化』です。
水野さんによると、1冊目は約250ページの入門書です。2冊目はさらに解説を加えた結果、550ページ超の分厚い新書になり、漫画のコマやイラストも多く入っているといいます。
その550ページ超で1500円なので、実質買えば買うだけ爆アドです。儲かります。
堀元さんが「ゴールデンカムイの話はほとんどしていない」とつっこむと、水野さんは月寒の話をしたと主張します。ただ、アイヌ文化を知っていると漫画がより楽しめるという点では、2人の意見は一致しています。
水野さんが本で驚いたのは、あるキャラクターの着物の話です。中川さんは着物の模様が引っかかり、その直感が後の展開で正しかったとわかったといいます。
中川さんによると、その着物は実物をもとに描かれたもので、見た瞬間に樺太の着物だと思ったそうです。キャラクターは樺太の人という設定ではなかったため引っかかっていたところ、後に樺太アイヌの着物をもらったらしいことが明かされます。
アイヌ文化を知って読むと、もう登場したキャラクターの着物だけで先の展開を予測できるとか。
堀元さんは、新書サイズで持ち運びやすいので、北海道旅行でアイヌ関連施設などを回るときのガイドブックにもなると勧めます。水野さんも、山田さんの本はハードカバーで大きいため、旅行には新書のほうが持ち歩きやすいと話していました。
まとめ
「日本の地名は全部アイヌ語由来」という俗説から始まったこの回は、アイヌ語地名を正しく見分けるには、命名規則と現地調査が欠かせないことを示しました。地名から古代の人々の分布まで読み取れるという発見は、『ゴールデンカムイ』をより深く楽しむ手がかりにもなります。
- 富士=フチ説は、上代のハ行音の歴史からも、北海道に「フチ」という火山がないことからも成り立たない
- 阿蘇=燃える床説は、分解できない「アペ」を誤って分けた辞書の記述に基づいており、語呂合わせにもなっていない
- 山田秀三さんは現地調査で、三内は「鉄砲水が出る川」、佐比内は「乾く小石の川」とアイヌ語地名であることを確かめた
- ナイ地名の濃い地域と、大和朝廷が北に進めなかったラインが一致し、蝦夷の中にアイヌ語を話す人が大勢いたことがわかる
- 月寒の元はハルニレを指すアイヌ語「チキサㇷ゚」と考えられ、アイヌ文化を知ると漫画の細部まで楽しめる

