「実は昔こんな意味だった」はオノマトペでも起きる?
この回は、水野さんが英語の言い回し「The quick and the dead」の意味を堀元さんに尋ねるところから始まります。堀元さんは「すっごい早く死ぬってこと?」と答えますが、正解は「生者と死者」です。
水野さんによると、英語のquickは「速い」よりも前の大本の意味が「生きている」だったといいます。水銀を指すクイックシルバーも「生きている銀」という意味で、水銀が表面張力で地面の上を生きているように動くことから名付けられたと説明されます。
こういうさ、「実は〇〇ってなんとかっていう意味でした」みたいな話ってさ、まあ面白い。
水野さんは、こうした「Aという語はもともとBという全然違う意味だった」という話が、オノマトペでも成り立つのかを問いかけます。オノマトペには音象徴 ── 特定の音そのものが特定のイメージを喚起する現象。たとえば「パ」の破裂音が勢いよくはじける感じを連想させるといった関係を指しますの手がかりがあるため、意味はそれほど変わらなさそうに思えるからです。
これって実は昔こんな意味だったんだぜ(というクイズは)、オノマトペだったら成立しない感じしますね。
明治の「わくわく」はなぜ楽しくないのか
水野さんが最初に出した結論は「オノマトペは結構意味が変わる」というものです。堀元さんは「昔からワクワクはワクワクやろ」と返し、平安貴族も遠足前のような意味で使っていたはずだと冗談交じりに主張します。
水野さんが示したのは、樋口一葉のたけくらべ ── 明治時代に樋口一葉が発表した短編小説。吉原近くの町に暮らす子どもたちの思春期の揺れ動く心を描いた作品ですの一節「胸はわくわくと上気して」です。登場人物の美登利が、下駄の鼻緒を切って困る信如を助けたいのに素直になれず、自分の存在を気取られたと思って恥ずかしさと戸惑いで心が乱れている場面だといいます。
つまり、たけくらべの「わくわく」は、楽しみな気持ちではなく、気持ちが乱れて落ち着かない様子を指しています。
あ、本当だ。全然違うじゃん、じゃあ。
続いて水野さんは夏目漱石の『それから』から、「じっとしていながら胸がわくわくした。握っている肘掛けに手から脂が出た」という一節を読み上げます。ここでの「わくわく」も、焦って追い込まれている感覚として使われています。
だから下手すると福本漫画が「ワク、ワク」だって可能性あるよね。明治時代だと。
堀元さんは、明治時代のカイジは「ざわざわ」の代わりに「ワク、ワク」と言っていた可能性があると笑いを誘います。
明治期の用例: 恥ずかしさや焦りで、気持ちが乱れて落ち着かない様子
現代: 楽しみで心が弾む、プラスの気持ち
水野さんは、オノマトペは「ワクワクはワクワクって感じ」とみんなが思うせいで、意味が変わっているとは考えにくいのだと指摘します。堀元さんも、以前の回で扱った「パピプペポがオノマトペにだけ生き残った」話から、オノマトペは不変だと思い込んでいたと振り返ります。
「イライラ」はトゲだった。オノマトペになった言葉たち
水野さんは意味変化のパターンを順に紹介していきます。1つ目は、もともとオノマトペではなかった言葉が、オノマトペのようになっていくパターンです。過去回で扱った「ほのぼの」は「ほのか」の語幹を重ねたもので、「はるばる」も同じタイプだといいます。
意外な例として水野さんが挙げたのが「イライラ」です。「いらつく」の「イラ」は、もともと草や木のトゲを指していたといいます。堀元さんが挙げたイラクサの「イラ」もおそらく同じで、「苛立つ」の「苛」が草冠であることも草との関係を示しています。
じゃあだいぶあれだよね。イライラしてる人に向かって、そんなトゲトゲするなってっていうのは正しい表現よね。
水野さんも、「イライラ」と「トゲトゲ」は出発点としてかなり似ていて、メタファーなのだと応じます。
2つ目のパターンは、擬音語から擬態語へ移るものです。「ガラガラ」はシャッターが上がる音のような擬音語から、「店がガラガラ」という様子を表す使い方に広がりました。
擬音語
シャッターが上がる音の「ガラガラ」、子どもが足を鳴らす「バタバタ」
特徴の抽象化
音の具体的な特徴を取り出して、様子に当てはめる
擬態語
「店がガラガラ」「仕事でバタバタしている」
堀元さんは、自分は仕事中に部屋中を歩き回りながらメールを返しているので本当にバタバタしていると言い張り、水野さんとの掛け合いになります。
そんなイライラすんなよ。そんなトゲトゲしちゃってさ。
水野さんは、音という具体的なものから特徴を取って抽象化するのは、一般語にも見られる「あるある」の変化だと整理します。堀元さんも、典型的な多義語が生まれる流れだと受け止めています。
「サクサク」はもともと水が流れる様子だった
水野さんは逆向きの例として、擬態語から擬音語になった「サクサク」を紹介します。堀元さんは、仕事がサクサク進む「サクサク」とクッキーのサクサクは別ルートで生まれた別の語ではないかと疑います。
種本の『感じる言葉 オノマトペ』によると、「サクサク」は中世の宇治拾遺物語 ── 鎌倉時代前期に成立した説話集。仏教説話から滑稽な話まで、さまざまな短い物語を収めていますに、桶から釜へ水を入れる場面の用例があるといいます。そこでは、水がよどみなく流れ落ちる様子を指していました。
ビチャビチャじゃん。全然サクサクじゃないじゃん。
その後「サクサク」は、何かが軽快に行われる音を指すようになります。徳富蘆花の『みみずのたはこと』では、草を刈る音として「サクサクサクサクと音させて」と書かれています。
さらに水野さんは、太宰治の『魚服記』で小豆を研ぐ気配が「サクサク」と表現されていることや、剃刀が皮膚の上を走る感触にも「サクサク」が使われている例を挙げます。
堀元さんは、様子を表す言葉が音に転用され、どの音に当てるかを模索していたのが太宰の時代で、現代は食感に収束したのではないかと考えます。
これはアメリカの陰謀ですよ。我々から自由なサクサクを奪い取っていったんすよ、あいつらが。GHQが。
「サクサク陰謀論」で笑いが起きたあと、水野さんは、昔からこの意味だろうという直感はオノマトペに対して全然働かないとまとめます。
「めろめろ」をすべて束ねる意味とは?
水野さんが「ここからが面白いところ」として紹介したのは、意味が大きく変わったように見えて、根本的な意味は同じまま、指す対象だけが変わったケースです。その例が「めろめろ」です。
堀元さんは、好きな人に心を奪われた時に使う言葉だと答えます。ところが中世の辞書では、漆器などの塗り物の表面の塗料が剥げ落ちる様子に「めろめろ」が使われていたといいます。
近世では、近松門左衛門の作品で、涙を流し放題にしている状態を「めろめろ」と表現しています。ほかにも陽炎が「めろめろと」立つ例や、小林一茶の紀行文で火が「めろめろと」広がる例があるそうです。
| 対象 | 用例 | 時代や出典 |
|---|---|---|
| 塗り物 | 塗料が剥げ落ちる様子 | 中世の辞書 |
| 涙 | 涙を流し放題にしている状態 | 近世・近松門左衛門 |
| 陽炎・火 | 陽炎が立つ、火が広がる様子 | 小林一茶の紀行文など |
| 人の気持ち | 恋愛で心を奪われる、動揺する | 現代 |
水野さんは、塗り物、火、涙、恋愛、動揺をすべて束ねる中心的なイメージは何かと堀元さんに問いかけます。
確固たる芯みたいなものがなくて、なんかグニャっとしちゃったみたいなイメージじゃないですか。
水野さんは正解だと応じ、種本の小野先生の仮説として、「めろめろ」は全体として歯止めが利かず、際限がなく、滑らかな流動性を持つ様子だと紹介します。塗料の剥がれも炎も涙も流動的で止めどがなく、それが人の気持ちにも広がったという考え方です。
堀元さんが「万物はメロメロであると言えるかもしれない」とヘラクレイトス ── 古代ギリシャの哲学者。万物は流転するという考えで知られ、火を万物の根源と考えたとされますを持ち出すと、水野さんは「帰ってもらっていいですか」と突っ込みます。
「車」と同じ?指す対象だけが変わる言葉
水野さんは、「めろめろ」で起きている現象は一般名詞の「車」にも起きていると説明します。昔の「車」は牛車や人力車のようなものでしたが、今は自動車を指しています。
水野さんによれば、「車」の根本は、軸の両端に車輪をつけて自由に道を走り回れるようにした乗り物です。時代によって指す対象が変わっただけだといいます。
その指す対象ってのはコロコロコロコロ変わっているけれども、車とかメロメロっていう言葉の使い回しで生きていける程度の複雑さしかないとも言えるわけです。
堀元さんは、意味の変遷をたどることで、かえって中心的な意味が見えてくることに面白さを感じています。
変遷してるからこそ中心的なイメージ、これだなっていうのが見えてきたりもするんだろうね。
水野さんは、この考え方は仮説だと断ったうえで、意味論の世界でもプロトタイプ意味論 ── 語の意味を、典型的な中心例とそこからの広がりとして捉える考え方。多義語の複数の意味がなぜ1つの語にまとまるのかを説明する手がかりになりますなどで、多義語がなぜ束ねられるのかが議論されていると紹介します。
ネガポジ反転と「うっかり」「ぞっと」の意味の絞り込み
水野さんはもう1つのパターンとして、意味が限定されるケースを挙げます。「わくわく」は、気が焦って落ち着かないというマイナスの意味から、現代ではプラスの時にしか使わない意味へ狭まりました。堀元さんは、狭まったというよりネガポジが反転していると指摘します。
堀元さんは、ネガポジ反転の例として、ある格言を紹介します。「索引を使った学問では、学徒は青ざめず、うなぎのような学問の尾をつかむ」というもので、本来は索引で飛ばし読みするような楽な学び方を戒める言葉だったといいます。
堀元さんによると、この格言は100年ぐらい経ってから、「索引さえ使えば青ざめずに済み、ぬるぬる逃げる学問の尾をつかめる」という真逆のポジティブな意味で使われるようになったそうです。
水野さんは、「うっかり」も同じように意味が変わった言葉だと続けます。16世紀ぐらいの辞典には、注意もしないでぼんやりしている様子という現代と同じ意味のほかに、何事かに心を奪われているという意味も載っていたといいます。
だからうっかりってのは、その何かに夢中になってる。僕、言語学にうっかりしてることになってるわけです。
水野さんによれば、「うっかり」の原義は心ここにあらずという状態で、そこから夢中になっている様子とも、ぼーっとしている様子とも取れました。現代では心を奪われる方の意味が消え、注意が行き届かないというネガティブな意味だけが残っています。
16世紀ごろ: ぼんやりして注意が行き届かない様子と、何事かに心を奪われている様子の2つの意味
現代: 注意が行き届かない様子だけが残る
堀元さんは、夢中という意味で褒めたつもりが、おっちょこちょいと受け取られる齟齬が起きそうだと話します。水野さんも、現代の「適当」「大丈夫」「結構です」のように、どちらの意味かわからない言葉と同じ状況だったのではないかと述べています。
「ぞっと」も、もともとは恐怖だけでなく寒さや美しさにも使えたといいます。恐怖に限定されたあと、「ぞっとするほどの美人」のように美しさへの用法が一周回って復活しており、水野さんは先祖返りと言ってもいいかもしれないと話しています。
オノマトペの意味変化はなぜ気づきにくいのか
水野さんは、この回の結論として、意味が安定していそうなオノマトペでさえかなり変わっていると整理します。たけくらべの「わくわく」を現代の感覚で読むと、意味を取り違える可能性があるといいます。
なんでこいつ今恥ずかしいシーンなのに急にワクワクし始めたんだ?ってなるね。
堀元さんは、明治時代の文学作品を読んでピンとこないことがよくあるのは、こうした意味変化を見過ごしているからかもしれないと振り返ります。
水野さんによると、中世の辞典に意味が載っていればわかりますが、そうでないケースではオノマトペの意味を特定するのは大変で、日本語学者が研究を重ねている分野だといいます。
言葉は生き物?住処を変えて生き残る言葉たち
水野さんは、「めろめろ」が指す対象を変えながら本質を保って現代に残っていることを、生き物のようだと表現します。堀元さんはミーム ── 生物学者リチャード・ドーキンスが提唱した概念。文化や習慣が遺伝子のように人から人へ複製され、広まっていく単位を指しますや利己的な遺伝子の考え方を持ち出し、言葉が生き残るために人を動かしているのではないかと話を広げます。
堀元さんは「シャッターを切る」も例に挙げます。スマホでは実際にシャッターを切っていないのに、写真を撮る言い換えとして表現が生き残っています。一方で「めろめろ」は塗り物という住処を捨て、別の領域に旅立ったといいます。
メロメロとかもう塗り物がなくなったせいで、塗り物の自体を捨てて、完全に捨てて別の領域に旅立ったっていう。進化論感ちょっとありますね。
水野さんは別の観点から、日本語は名詞を大量に作るのに、動詞は「切る」「回す」「かける」のような基本動詞で済ませがちだと指摘します。こうした動詞の生存領域はとても広いと感じたそうです。
新しく作られにくく、種類が少ない。基本動詞がいろいろな場面に適用される
次々に新しいものが生まれ、種類が非常に多い
二人は、動詞を数の少ない大型哺乳類、名詞を何万種もいてすぐ変異種が生まれるバクテリアにたとえます。水野さんは、人間ができる行為の種類が、世の中の実在物より少ないことの反映かもしれないとも述べています。
水野さんによると、言語変化には、良くなっていくモデル、堕落していくモデル、動的平衡 ── 新しいものを取り入れ、古いものを外に出す代謝を続けながら、全体として安定を保っている状態を指す生物学の概念ですのようなモデルがあるといいます。言語を生物にたとえる発想は、変化や進化を扱える学問的モデルが少ないことの表れかもしれないと話しています。
最後に二人は、この話を「学部卒が語る言語の本質」と笑い合います。水野さんは種本の『感じる言葉 オノマトペ』について、16節にわたって1つずつのオノマトペの昔と今の意味を調べ上げた、地味ながら読みやすい本だと紹介しています。
まとめ
今回のエピソードでは、意味が変わらなさそうに見えるオノマトペも、昔の用例をたどると大きく意味を変えてきたことが示されました。一方で「めろめろ」のように、指す対象は変わっても中心的なイメージは保たれている例もあり、意味の変遷をたどることでかえって言葉の本質が見えてくると話されています。
- 明治期の「わくわく」は、楽しみではなく、気持ちが乱れて落ち着かない様子を表していた
- 「さくさく」は中世には水がよどみなく流れる様子を表し、のちに音や食感へ広がった
- 「めろめろ」は塗り物・涙・火・恋愛と対象を変えつつ、歯止めが利かない流動性という中心的イメージを保っているという仮説がある
- 「うっかり」「ぞっと」のように、複数あった意味の一方が消えたり、限定された意味が復活したりする変化もある
- オノマトペは意味がわかる気がするからこそ、古い文学を読む時には意味の取り違えに注意が必要になる

