言語学の世界で最も有名な「バズり」と「炎上」を経験した男、ベンジャミン・リー・ウォーフ。彼は「言語が思考を規定する」というあまりにも魅力的な仮説をブチ上げましたが、その一方で専門家からは数多くの厳しい批判を浴びることとなりました。今回の「ゆる言語学ラジオ」では、パーソナリティの堀元見さんと水野太貴さんが、ウォーフが批判された理由と、それでもなお彼が現代に遺した価値について語り合います。その刺激的な内容をまとめます。
be going toはどこへ行く? 文法化の罠
01:13 から再生する水野さんは、ウォーフの主張に対して独自の鋭い指摘を投げかけます。ウォーフは、ホピ語アメリカ・アリゾナ州北部に住む先住民ホピ族の言語。ユト・アステカ語族に属する。が過去を表す際に「それは食べられることが止む」といった、直訳すると奇妙な言い方をすることから、「彼らは我々と全く異なる時間認識を持っている」と主張しました。
しかし水野さんは、これは単なる文法化具体的な意味を持つ単語が、時間の経過とともに抽象的な文法機能を持つようになる現象。の問題ではないかと疑問を呈します。たとえば、英語の「be going to」が良い例です。
be going toって、どこかに行ってるんですか?
確かに、未来の予定を言うとき、どこにも行ってないな……。
本来「go」は移動を表す動詞ですが、文法化によって「未来」を表す機能に変わりました。これをもし、外部の人間が「英語話者は未来を全て『移動』と捉えているのだ!」と大げさに主張したらどうでしょうか。おそらく英語話者は「そんな意識はない」と困惑するはずです。ウォーフがホピ語に対して行ったのは、まさにこのような「直訳のしすぎ」だったのではないかと水野さんは推測します。
「〜しつつある(移動)」
→ 「未来」の文法機能へ
「(動作が)終わる」
→ 「過去(完了)」の文法機能へ
日本語の「た」も十分に変?
02:22 から再生するこの議論は、以前番組でも取り上げた日本語の「た」日本語の助動詞。過去や完了を表すが、そのルーツは「てあり(〜して存在する)」にある。の歴史にもつながります。高田博行先生学習院大学教授。ドイツ語圏の言語歴史社会学が専門。『「た」の歴史』などの著書がある。の解説を振り返ると、「た」の語源は「てあり(〜して存在する)」です。
もしウォーフが日本に来て、「日本語話者は過去を語る際に『存在』の言葉を使っている。彼らは過去を現在の中に存在する実体として捉えているのだ!」とレポートしたら、私たちは「いや、そんな深遠なことは考えていない」と答えるでしょう。
水野さんは、ホピ語が時制(テンス発話時を基準とした時間的な前後関係(過去・現在・未来)。)が発達していない代わりに、動作の局面(アスペクト動作が「始まっているのか」「継続しているのか」「完了したのか」といった局面を表す文法範疇。)や、話し手の判断(モダリティ話し手の疑い、確信、義務などの主観的な態度を表す文法的な形式。)で時間をやりくりしているだけではないか、と指摘します。
ウォーフ流・バズる論法の正体
11:02 から再生するウォーフへの手厳しい批判として、ガイ・ドイッチャー言語学者。著書『言語が違えば世界も違って見えるわけ』で、ウォーフの極端な主張を批判的に検証した。の言葉が紹介されます。ドイッチャーによれば、ウォーフの論法は「風変わりな文法を提示し、飛躍した思考の仕方を導く」というものでした。
ほぼコウメ太夫じゃないですか。「Aだと思ったらBでした。ちくしょう!」みたいなフォーマットですよ。
ウォーフの場合は「Aという文法がある。したがって彼らはBという風に世界を見ているのだ」ですね。
堀元さんはこの「バズるための極端な論法」に既視感を覚えます。それは、西村博之(ひろゆき)2ちゃんねる創設者、実業家。極端な比喩や断定的な物言いで知られる。著書『1%の努力』など。氏が、ジャレド・ダイアモンド進化生物学者、生理学者、地理学者。著書『銃・病原菌・鉄』で文明の発展の差を地理的要因で説明した。氏の『銃・病原菌・鉄』を引用し、「努力は無駄だ」と結論づけた話にそっくりだというのです。
ホピ語調査への疑惑とパチこき疑惑
15:47 から再生するウォーフの炎上の火種は、論法だけではありませんでした。その調査実態にも疑いの目が向けられています。彼はホピ語を長期にわたり調査したと称していましたが、実際にはニューヨークに住んでいたインフォーマント言語調査において、データ提供者となる母語話者のこと。一人との対話がベースだったという指摘があります。
さらに、後の言語学者エカハルト・マロトキドイツの言語学者。ホピ語の包括的な調査を行い、ウォーフが「ない」と言った時間表現が豊富にあることを証明した。が著書『Hopi Time』で明らかにしたのは、ホピ語には普通に時間表現も時制もアスペクトも存在するという事実でした。ウォーフの主張とは真っ向から対立する結果です。
一番必要だったのは建物の火を消すことじゃなく、自身の炎上を消すことだったのかもしれません。
他にも、スティーブン・ピンカー心理学者、言語学者。著書『言語を生みだす本能』で、サピア・ウォーフ仮説を厳しく批判した。が紹介したエピソードとして、イヌイット北極圏に住む先住民族。かつて「雪を表す言葉が数百ある」というデマが広まった。の雪を表す言葉が400以上あるという有名な説も、ウォーフらが数字をインフレさせて広まったデマであると一蹴されています。数字が大きければ大きいほどバズる、という現象は今も昔も変わらないようです。
ウォーフの仮説は今こそ必要
20:18 から再生するこれほどまでに批判され、デタラメだと言われたウォーフですが、水野さんは「それでもウォーフは読む価値がある」と断言します。その理由は、彼の思想の根底にある「言語相対論全ての言語は同等に価値があり、優劣をつけることはできないとする立場。」にあります。
当時の言語学界は、ヨーロッパの言語(印欧語族英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、ヒンディー語などを含む、世界最大の語族。)が最も進化しており、先住民の言葉は「原始的」であるという西洋中心主義が蔓延していました。ウォーフはこれに猛烈に反発し、どんな言語にも独自の魅力と構造があることを証明しようとしたのです。
特に印象的なのが、1941年という日米関係が最悪だった時期に書かれた論文です。ウォーフはそこで、日本語の二重主語構文「象は鼻が長い」のように、一つの文に主語のように見えるものが二つある構造。(象は鼻が長い、など)を指して、「Lovely(美しい)」ウォーフが論文の中で日本語の文法構造を評した言葉。敵国の言葉を称賛する気骨を見せた。と評しました。
彼は、異なる言語を知ることで、自分の価値観を相対化し、他者への謙虚さと「人類愛」を持つことができると信じていました。そのために、多少のエキセントリックな味付けをしてでも、世の中に衝撃を与えたかったのかもしれません。
西洋の言語が頂点であり、他は「遅れた」言語であるという偏見。
全ての言語は固有の豊かさを持ち、優劣はないという「言語相対論」。
というわけで
ウォーフの仮説は、科学的な厳密さという点では多くの問題を抱えていました。しかし、彼が命をかけて守ろうとした「多様性の肯定」というメッセージは、分断が進む現代においてこそ、より一層輝きを増しているように見えます。多少「盛った」話があったとしても、それによって私たちが自国の文化や他国の言語に新鮮な驚きを感じられるのであれば、彼が仕掛けた「バズ」は成功だったと言えるのかもしれません。
- ウォーフの「ホピ族には時間がない」という説は、後に多くの言語学者から否定された。
- 彼の論法は、奇妙な文法から飛躍した結論を導く「バズり重視」の側面があった。
- その裏には、西洋中心主義に反対し、あらゆる言語の平等を説く「言語相対論」の信念があった。
- 1941年の緊迫した情勢下で日本語を「美しい」と称賛した気骨のある人物でもあった。
