言語は左脳が担う?始まりは1836年のモンペリエ
この回のテーマは、言語と脳、そして言語と遺伝子の関係です。水野さんが「言語を司る遺伝子」の話をすると切り出すと、堀元さんはそのキャッチーさを大歓迎します。
おいおいおいおい、それをあんたやっとわかった?4年ぐらいやってきてようやくわかった?そういうのそういうの聞きたいの。
水野さんは遺伝子という小さな単位の話に入る前に、脳の話から始めます。「言語は左脳が司る」という通説の出発点として水野さんが挙げたのは、厳密な裏取りはできていないとしたうえで、1836年のフランス・モンペリエでの学会です。
この学会でフランス人医師のダクス ── 19世紀フランスの医師。言語障害と左脳の損傷の関係を早い時期に指摘した人物として知られていますは、言語に障害を持つ患者40例以上を診たところ、いずれも左脳に損傷があったと指摘しました。この観察から、発話は左脳によって制御されているのではないかと結論づけたといいます。
それから25年ほど後の1861年、パリの人類学会で、外科医で人類学者でもあるブローカが症例を報告します。発話しようとしても「タン」としか言えない患者で、死後に解剖すると左脳の前頭葉の下側に脳梅毒による疾患が見つかりました。
ブローカはこの場所を「言語回」と名付けましたが、のちに発見者の名前を取ってブローカ野 ── 左脳の前頭葉下部にある領域。言語の産出、特に発話に関わる部位として知られていますと呼ばれるようになります。
現代でも使われる「ブローカ失語」は、相手の言葉は理解できるのに、自分で話す言葉や書く文章がおかしくなる失語症です。堀元さんはこれを「インプットは問題ないけど、アウトプットができない」と言い換えました。
めっちゃ分かりやすいじゃん。だからブローカ野がアウトプットの役割を担ってる部分なんでしょ。
このように、脳のある部位がある機能を担っていると考える立場を局在論 ── 脳の特定の部位が特定の機能を担っているとする考え方。機能が特定の場所に「局在」していることから、この名前で呼ばれますといいます。ブローカ野の発見から、この立場が本格的に始まりました。
ウェルニッケ失語と、生成文法への寄り道
1874年には、ドイツの外科医ウェルニッケが、ブローカ失語とは異なるタイプの失語症を報告します。発話は流暢なのに意味がよくわからず、聞いた言葉も正しく理解できていないという症状です。
水野さんは、右利きの61歳男性のウェルニッケ失語の患者と検査者の会話を紹介しました。「ここは何階ですか?」と聞かれた患者は「そう言われると困るんだけど、いつもちゃんと何て言いますか」と返し、やりとりが成り立ちません。
対してブローカ失語の例では「あの、私、あの、毎日、どうしよう、どうしよう、できない、話、できない、弱いね。お金、ない」と、テニオハが抜け落ち、名詞や形容詞を並べる話し方になります。
相手の言葉は理解できるが、発話や書く文章がおかしくなる。テニオハが抜け、単語を羅列しがち。左脳の前頭葉の下側の損傷
発話は流暢だが意味が通らず、聞いた言葉も正しく理解できない。左脳の側頭葉の後方の損傷
水野さんは、こうした失語症の研究が理論言語学と組み合わさり、人間の言語能力の解明に光を当ててきたとも話します。たとえば生成文法 ── チョムスキーが提唱した言語理論。人間が生まれつき持つ文法の仕組みを明らかにしようとする立場で、文を階層構造として分析しますでは、文が階層構造を持ち、まとまりができる順番に言語一般のルールがあると考えます。
具体例として水野さんは「すごく速く動く犬がいるか」を挙げました。疑問の「か」は、文が一通り出来上がった後にくっついているように見えます。
肯定文がまず頭の中に多分あって、そこに「か」をくっつけて疑問にしてるみたいな感じしますね。
どの階層までなら理解できて、どこから急にできなくなるのかを調べれば、脳のどの部分がどの処理を担うかの示唆が得られます。英語の「I think that」の「that」や日本語の「と」のような補文標識 ── 文を別の文の中に埋め込むときに付ける目印。英語のthatや、日本語の「〜と言った」の「と」などが例に挙がりましたで急にできなくなる、といった研究もあるそうです。
ウェルニッケの報告も、流暢だが意味の通らない失語が特定の部位の損傷と結びつくことを示しました。堀元さんは「局在論熱いね」と盛り上がり、当時の大学院生はみんな局在論をやりたがっていたはずだと冗談を飛ばします。
ロンドンの家系で見つかった「言語遺伝子」FOXP2
話は時代が下り、1990年代のロンドンに移ります。3世代にわたって特殊な言語障害が見られる家系が見つかり、家系30人のうち16人に、一般的な知能には問題がないのに言語の一部だけに障害がありました。
この家系の障害は、動詞の時制変化や名詞の複数変化ができないというピンポイントなものでした。「walk」を過去形にする空欄問題でも「I walk yesterday」としてしまい、「walked」にできないといいます。
調べると、この家系で言語に障害を持つ人だけに見られる遺伝子の変異がありました。これがFOXP2遺伝子で、第7染色体の小さな領域の変異として特定され、別名「言語遺伝子」と呼ばれるようになります。
おいおいおい。引きあるな今日。すごいなあんた。腕上げたね。
水野さんによれば、ちょうど理論言語学の発展で言語の複雑な構造がわかってきた時期で、その神経的な基盤や遺伝的なメカニズムも探求されていました。人間だけが複雑な言語を持つなら、鳥や馬にそれがない理由も説明したくなるからです。
つまりここまでの話って、脳部位においても局在論が成立するのと同時に、遺伝子についても局在論が成立しそうだ。
FOXP2の正体は「親分」だった?崩れる一対一対応
ところが水野さんは、ここから話の「引き」が一気になくなると予告します。FOXP2遺伝子自体は実在しますが、調べていくと、消化器や心臓、肺などに関わるさまざまな遺伝子の活動を取り仕切る「親分」のような存在だったのです。
あの家系の人々の障害も、よく調べると言語だけではありませんでした。口や顔の複雑な動きの調整ができないことも明らかになったといいます。
水野さんはこの関係を、QRコード決済のPayPayと銀行にたとえます。銀行がなければQR決済は生まれようがないので、銀行が全くない国にはQR決済もなさそうです。
| たとえ | 実際の対応 | 言えること |
|---|---|---|
| 銀行が全くない | FOXP2遺伝子に損傷がある | 影響は多方面に及ぶ |
| QR決済がない | 言語の運用の一部に障害がある | 一部の現れにすぎない |
| 銀行はQR決済のためにある、という推論 | FOXP2は言語のための遺伝子、という推論 | どちらも誤り |
ある遺伝的な特徴があって、その人たちにはこういうことができないっていうのがあったとしても、それってじゃあその遺伝子はそのためのものなのかというと、そうじゃない。
水野さんはFOXP2遺伝子について、万能がゆえに研究者を惑わせてしまったと表現しました。堀元さんは、遺伝子の話が出た時点で嫌な予感がしていたと明かします。
堀元さんが読んだ『Science Fictions あなたが知らない科学の真実 ── 科学研究の再現性の問題や誇張、不正などを扱った一般向けの本。この回の参考文献として挙げられています』には、遺伝子の特定の部位が特定の役割を担うと考えた研究はうまくいかず、もっと広く見ないと意味がないという話が書かれていたそうです。
水野さんによれば、現代では遺伝子と認知機能を一対一で対応させる局在論は旗色が悪くなっています。脳部位についても、fMRIやERPといった脳の活動を見る技術によって、特定の部位が特定の機能だけを担うという古典的な局在論は成り立たなくなっているようです。
つまんねえぞ。おい。最初の期待とギャップすごいよ。今。すごいところに着地したね。
「夢がない」結論は、現実の複雑さの手本になる
水野さんは、局在論の限界をさらにたとえ話で説明します。外部の人を一切受け付けない北センチネル島 ── インド洋のアンダマン諸島にある島。外部との接触を拒む先住民が暮らしており、立ち入りが厳しく制限されていますのような場所から、企業の噂だけが漏れ聞こえてくる状況を想像してみる、というものです。
その噂だけで島の経済の全容はわかりません。「銀行がないとQR決済事業者がいないから、銀行はQR決済のためにある」と結論づけるのは、どう考えてもおかしいわけです。
堀元さんは似た例として「いい企業の条件は自社ビルを持っていること」という誤った推論を挙げます。実際には、儲かっているいい企業だから自社ビルを持っているにすぎません。
めちゃくちゃ限界があって、例えて言うなら1枚ガラスを隔てて伝言ゲームするみたいな。その直接的に触れないんですよ、対象に。
ただ水野さんは、台本に「夢ないな」と書きつつも、別の結論を持っていました。世界の事象が単一の背景で説明できることはあまりないのに、人はざっくりした因果関係のモデルで世界を理解しがちです。
でもこれってね、現実の複雑さが体感できるなと思うんです。
水野さんは身近な例として、嫌なことを言われて「こいつが邪悪だから」と考えていたのが、よく見ると相手なりの事情があるとわかる、という場面を挙げました。FOXP2の話も、飛びつきたくなる単純な説明が調べると違っていた、という点で同じ構造です。
堀元さんはここで心理的本質主義 ── 物事を単純なカテゴリーで捉え、その背後に本質があると考えてしまう傾向。番組では「世界は離散的で合理的だと考えてしまうバイアス」と紹介されましたという言葉を紹介します。善か悪か、戦争に勝った国がいい国、といった極端な単純化をしてしまう考え方です。
堀元さんは、この言葉を「褒め言葉っぽい悪口」として、単純化しがちな課長に使うと褒めているように貶められると悪用法を披露し、水野さんから「前半良くて後半ゴミ」と切り捨てられていました。
古典的な局在論は愚かだったのか?
水野さんはサムネイルの話に入る前に、古典的な局在論が愚かだったとは思わないでほしいと注意を促します。今でも局在論的な研究をしている先生がいるなら、それはその人なりの合理性や勝算があってのことで、馬鹿にするつもりはないといいます。
過去の研究者についても、堀元さんは「こうに違いない」と考えたからこそ大事なことがわかる、必要なステップだったケースが多いと応じます。
水野さんによれば、理解のプロセスはデジタル的な理解の後にアナログ的な理解へ移るのが王道パターンです。部位と機能を一対一で対応させるのはデジタル的・離散的な見方で、調べを進めるうちに連続的な理解に変わっていくのは、難しいことを調べるときによくあることだといいます。
デジタル的・離散的な理解。脳の部位や遺伝子と機能が一対一で対応する、カエサルが歴史を作った、といった単純な見方
アナログ的・連続的な理解。1つの部位や遺伝子がいろいろなことに関わる、側近もキーパーソンだった、といった複雑な見方
堀元さんは、これは人が何かに興味を持つときのルートと同じかもしれないと話します。歴史でも最初はカエサルのような英雄に憧れ、調べるうちに側近の優秀さや、カエサルの悪い面も見えてくるという流れです。
水野さんは、後知恵で「古典的な局在論の研究者は盲目だった」と語ればバズるしわかりやすいものの、それでは本質を見失うと考えています。
この注意喚起に、堀元さんは思わぬダメージを受けます。姉妹番組のゆるコンピュータ科学ラジオで、電気通信の父であるモールスを「愚か者だった」と言い切ったことを、最近反省していたからです。
もうちょっといい語り方あったかなって最近反省してたとこだったんで、その注意喚起やめてください。僕がダメージ負ってました今。
「言語を司る遺伝子」は嘘ではない?サムネ問題とタイトル詐欺
結局、言語だけを司る脳部位も遺伝子もない、という結論になり、堀元さんは「サムネが作れんな」と頭を抱えます。そこで水野さんは、言語学の知識で解決できると提案しました。
言語を司る遺伝子って言語のみを司る遺伝子とは言ってないんですよ。実は。
FOXP2遺伝子は言語「も」司っているので、「言語を司る遺伝子」と書くのは真だという理屈です。水野さんは、お金を払えばティッシュを買えると言っても、ティッシュ以外は買えないという意味にはならない、とたとえます。
堀元さんは完璧な論理構造だと認めつつ、これは詐欺師のやり口だと指摘します。例に出したのは、霜降り明星の粗品さんがバラエティ番組で話したエピソードトークです。
粗品さんは、ポテチを頼んだマネージャーが山わさびチーズ味を買ってきたと話しましたが、後日、実はうす塩味も一緒に買ってきていたと明かしたそうです。嘘はついていないものの、話の印象を左右する部分を意図的に隠している点で、堀元さんは水野さんのサムネ案も同じだと迫ります。
水野さんはここから、いつかやりたいシリーズとして「タイトル詐欺を言語学する」という企画を挙げます。言語学の知識は悪用すればタイトル詐欺になり、うまく使えばタイトル詐欺を見抜けるようになるというのです。
堀元さんは実例として、ディズニーランドで踊るスタッフのお姉さんの「ジャンボリミッキー」動画の話をします。「新衣装がすごすぎる」という露出度の高いサムネイルのショート動画を開いたら、中身はいつもの衣装のまま最後まで踊っていたといいます。
お前が愚かなだけやんだそれ。
堀元さんが「アパレルの新潮流を学びたかった」と言い訳しつつ、「可愛かったな」と本音をこぼすと、水野さんは言語学ではどうにもならないと突き放しました。見抜けるのはタイトルだけ、ということで落ち着きます。
参考文献と、生成文法だけ急に難しくなる問題
最後に水野さんは今回の出典を紹介します。主に参考にしたのは『入門ことばの世界 ── 言語学のさまざまな分野を章ごとに紹介する入門書。この回では「言語と脳」の章が主な出典になっています』の1章で、初版が2010年と少し古いため、古い知見を話している可能性があり、大きな誤りがあれば概要欄や固定コメントで補足するとしています。
『入門ことばの世界』には「言葉と音声」「言葉と意味」「言葉と社会」などの章もあり、水野さんは言語学にどんな分野があるか知りたい学部生にちょうどいいと勧めます。ただし、生成文法の章だけが急激に難しかったといいます。
もう1冊は、岩波科学ライブラリーの初期の1冊『脳にいどむ言語学』です。言語理論と失語症の関係などが詳しく書かれた、脳と言語学を扱う一般書で、130ページほどと読みやすい本だそうです。
ところが『脳にいどむ言語学』も、全般的にわかりやすいのに、生成文法のツリー図が出てくるところだけ急に難しくなるといいます。2冊とも同じ構成だったことに、堀元さんは「完全に一緒です」と驚きます。
こいつだけ強すぎて全然先進めないぞっていうのが生成文法なわけだ。
堀元さんは、生成文法を昔のゲームの強すぎるボス、ロックマンの「エアマン」にたとえました。水野さんは、生成文法は一度理解してしまうと楽なのだと付け加えています。
まとめ
言語障害の研究から、言語を担う脳部位や遺伝子があるという局在論が盛り上がりました。しかしFOXP2は多くの遺伝子を取り仕切る存在で、脳部位も1つの機能だけを担うわけではないとわかってきたと話されています。水野さんは、この「夢のない」結論こそ、現実の複雑さや、単純な理解から複雑な理解へ進む道筋を体感できる題材だと捉えています。
- ブローカ失語とウェルニッケ失語の発見から、脳の部位と言語機能を対応させる局在論が広まった
- FOXP2は言語遺伝子と呼ばれたが、実際は消化器や心臓、口や顔の動きにも関わる「親分」のような遺伝子だった
- 現代では、遺伝子や脳部位と機能を一対一で対応させる古典的な局在論は成り立たなくなっているとされる
- 単純な理解から複雑な理解へ進むのは研究の王道で、過去の研究者を後知恵で愚かと断じるべきではない
- 「言語を司る遺伝子」という表現は嘘ではないが、言語学の知識はタイトル詐欺にも、その見抜き方にも使える

