「膝」と「跪く」のような日英の対応はほかにもある?
おたより回の最初の1通は、英語のknee(膝)とkneel(跪く)が、日本語の「膝」と「膝まずく」ときれいに対応していることに気づいたリスナーからのものです。
英語のknee、膝と、kneel、膝まずく、が日本語と英語できれいに対応しているなと英語を勉強中に考えたことがあるのですが、それと同じようなことはありますか?
堀元さんはまず「足」を動詞にした言葉を探しますが、日本語には「足する」のような動詞が見当たらないという話になります。水野さんは「走る」が「足」から来ていたら面白いと冗談めかしつつ、わからないと留保しています。
水野さんが代わりに挙げたのが、英語のbattleです。battleは「打つ」を意味するbatが語源で、combatやdebateにも同じ要素が含まれていると説明します。
バトルって今戦闘とか戦いって意味ですけど、元々打つだったんだと思った時に、日本語も実はですね、戦うって、この叩くと語源が同じなんじゃないかということを(語源辞典で知りまして)。
水野さんはこの説を新明解語源辞典 ── 日本語の単語の語源を解説した辞典。番組の概要欄では、日英で語源が共通している単語が多く見つかる本として紹介されていますで知ったといいます。戦いがもともと「手を速く動かして相手に痛みを与えること」から来ている点で、英語と日本語の発想が重なっているという指摘です。
battleは「打つ」を意味するbatが語源。combatやdebateにも同じ要素が入っている
「戦う」は「叩く」と語源が同じではないかという説がある
堀元さんは、朝鮮半島で1000年ほど前に使われていたチュリョングという飲み会の罰ゲーム用サイコロの話を重ねます。出目には「詩を一首詠む」という高尚なものもある一方で、「その場の全員から鼻を叩かれる」というものもあったそうです。
水野さんは、こうした日英や古今で発想が重なる例をNotionにたくさんリスト化しているといい、いつかまとめて紹介してもいいかもしれないと話しています。
「アルティメットに彩る」と「アルティメットで彩る」、どっちが正しい?
2通目は、大学でアルティメット ── フリスビー(ディスク)を使い、パスをつないでエンドゾーンで受け取ると得点になる団体競技。競技人口が比較的少ないスポーツとして知られますをしているリスナーからです。本題に入る前に、堀元さんは大学入学直後に「すぐ日本代表になれるコスパのいいスポーツ」をまとめた思い出を語ります。
堀元さんが当時「最もコスパがいい」と見ていたのは、棒を使って川を跳び越える競技フィーエルヤッペンです。調べた当時は日本の競技人口が3人ほどで、45歳くらいの人が10年連続で日本チャンピオンだったため、世代交代を狙えそうだと思ったといいます。
そのうえで、おたよりの本題が読み上げられます。
以前、私は新歓でのプレゼンを任され、スライド資料を作成しました。プレゼンの最後の決め台詞として、「大学生活、アルティメットに彩りませんか?」と記載しましたが、同学年のメンバーからは「『アルティメットで彩りませんか』じゃない?誤字してるよ」と指摘されました。とても恥ずかしかったです。お二人は決め台詞としてどちらが正しいと思いますか?
水野さんはこれを格助詞の問題として受け止め、「壁を青色に塗る」は自然でも「壁を青色のペンキに塗る」は変で、「ペンキで塗る」なら自然になる、という例で説明します。
(「で」の場合は)ペンキっていう手段みたいなものが来てほしいし、逆に(「に」)だったら塗った結果の色とかっていうのが来てほしいわけですよね。
アルティメットを手段として、大学生活を彩るという解釈になる
「青色に塗る」と同じく、大学生活全体がアルティメットという結果に染まるという解釈になる
水野さんによれば、サークルは普通「大学生活を彩る手段」と考えられるため、「アルティメットに彩る」は大学生活がアルティメット漬けになっているように聞こえ、ダブルミーニングに気づかなければ容認性が少し落ちるといいます。
一方で堀元さんは、相談者が聞きたいのは「ダブルミーニングのギャグとして伝わるかどうか」だと反論します。
ダブルミーニングにするかしないかっていう二択を今話し合ってるのであって、ダブルミーニングにしない状態における容認性の話してないですよ。
水野さんは、お便り回の前半に言語学っぽい話を入れておけば「最近言語学の話をしていない」という批判をかわせる、という狙いを冗談交じりに明かします。最後は、場所格交替 ── 「壁をペンキで塗る」と「ペンキを壁に塗る」のように、同じ動詞で場所と材料の格の組み立てを入れ替えられる現象。概要欄では関連書籍『日英対照 動詞の意味と構文』が紹介されていますや格助詞を調べると言語の世界が広がる、とゴン太郎さんに勧めています。
中学生に負けたくない堀元さんの「parallel」綴りテスト
3通目の差出人は、概要欄で「悪児戯罹」と表記される中学生のリスナーです。水野さんが漢字を一つずつ説明すると、堀元さんは「暴走族みたいな名前」と反応します。
早速質問なのですが、なぜpronounce(発音する)の名詞形pronunciationはouがuに変わってしまっているのでしょうか。
堀元さんはpronunciationの綴りを把握しておらず、「漢字も書けないから綴りも書けなくて当然」と開き直ります。細かい図像を気にしない鷹揚な人間なのだ、という理屈です。
そこで水野さんがよく人に出すという、綴り間違いの多い単語「parallel」のテストが始まります。堀元さんはホワイトボードに候補を書き、rとlの数で迷いながらも、最初に書いたp-a-r-a-l-l-e-lを選びます。
よっしゃー。当てた。当てちゃダメなんじゃないかこれ。
正解してしまった堀元さんは「これが大人なのよ」と中学生に胸を張りつつ、「ちなみにpronunciationは書けないですけどね」と付け加えて本題に戻ります。
pronunciationだけ綴りが変わるのはなぜか
悪児戯罹さんは、ネットで調べて英語史研究者の堀田先生のブログ「hellog~英語史ブログ」にたどり着いたものの、説明が難しくて理解できなかったといいます。参照していたのは2014年に書かれた2043番目の記事です。
水野さんによると、このブログは毎日更新されており、収録前日の1月11日の記事は5738番目でした。その記事のタイトルは「516番目のthroughを見つけました」というものです。
本題の解説に入ると、水野さんはまず問題を切り分けます。pronounceからpronunciationになると発音が短くなりますが、品詞を変えるときに発音が変わること自体は英語ではよくあることです。
たとえばsouthの形容詞southernは「サウス」が「サザン」になり、relateはrelativeで発音が変わります。それでも綴りは元の単語を保っています。
問題の本質は、綴りも併せて変わっていることなんですよ。pronunciationの時だけ綴りも一緒に変わっていることが問題の本質なんです。
| 元の単語 | 派生した単語 | 綴りの扱い |
|---|---|---|
| south | southern | 発音は変わるが、元の綴りを残す |
| relate | relative | 発音は変わるが、元の綴りを残す |
| pronounce | pronunciation | ouがuになり、綴りも変わる例外 |
| abound | abundance / abundant | ouがuになり、綴りも変わる例外 |
英語の大多数は、発音と綴りが合わなくなっても、元の単語との関係がわかるように綴りを残しています。pronunciationは数少ない例外で、「たくさんある」という意味のaboundからabundanceやabundantになる例も同じパターンだと水野さんは説明します。
なぜ例外が生まれたのかは、ブログにも書かれていないといいます。水野さんは、英語の綴りはもともと多様だったものが辞書などによって収斂してきたため、発音を優先した綴りがたまたま残ったのかもしれない、と推測として話しています。
発音のせいで綴り引っ張られてる単語が発音なの皮肉じゃん。
水野さんはこれを「自己言及的な単語」と言い換え、堀元さんは「aboundも綴りに富んでいたから例外が生まれたのかもしれない」と重ねます。
最後に水野さんは、ブログが難しかったのは英語学の前提知識がないからだろうとして、書店で英語史の本から読み通せそうなものを選ぶよう勧めます。堀元さんも、1冊読むと見取り図ができて一気にわかるようになると後押ししています。
「杞憂」の元の話では、心配した人が正しかった?
4通目は「日本語軽率」さんからのおたよりで、故事成語「杞憂」の元になった漢文を高校で白文から読まされた経験が書かれています。
なんと彼は天が落ちてこないかという心配の後に、星が落ちてこないだろうか、あるいは地面が崩れてこないだろうかと心配していました。そんな彼に対して彼の友人は「大丈夫だよ。星は光る空気だから。大地は分厚いから」とフォローします。
ただ実際は星、空気じゃないからめちゃくちゃ落ちてきます。隕石落ちてくるし、地滑りの被害は現代でも甚大な被害が出ています。したがって、彼の憂いはむしろ真っ当で、大丈夫だよと言っている友人の方がとんでも論者です。
堀元さんはこの逸話を知らなかったといい、「杞憂だよ」と言われたら「お前は星を空気だと思ってるの?」と言い返せる、と喜びます。水野さんは「モンスターを生み出しました」とあきれます。
ところが、おたよりには続きがありました。二人がそうやって他人の言葉を取り締まるようになると、他者の誤りへの不寛容を助長し、国際問題にまで発展しかねない、という心配です。
これって杞憂になりませんか?
水野さんは「今年のお便り大賞」と絶賛し、中島敦のような文体にも触れつつ、添削するなら最後の一文を削ったほうが余韻が出ると指摘します。堀元さんも、聞き手が「それが杞憂や」と突っ込む余地を残したほうがいいと同意します。
最後に堀元さんは、「おたよりを送ったらボロクソに言われるのでは」という心配を「杞憂」とは言えなくなったと困り、水野さんが代わりに「取り越し苦労」という言葉を差し出して締めくくります。
要約動画で満足せず、原典を読むべき理由は?
5通目は、YouTubeの要約やレビューで本の内容が大体わかるため、本を読む必要性を感じなくなったというアラフォーのリスナーからの相談です。
例えば論理的思考の文化的基盤の回を面白く見て、本の論旨についても分かった気でいるんですが、いややっぱ本読まなきゃこれはわからんぜみたいなことがあったら教えて欲しいです。
水野さんは、番組で「種本を読んでみて」と言えばリスナーが実際に読んでくれることに甘え、その理由をきちんと説明してこなかったと振り返ります。そのうえで、お小遣いが限られる人が数千円の本を買うメリットはどこにあるのか、と堀元さんに問いかけます。
僕がゆる言語学ラジオで喋ってることは間違っているので、正しいものを知るためです。
堀元さんが例に挙げたのは、『科学者たちが語る食欲』を紹介した回です。本があまりに面白く、6万字ほど読んだ段階で全部読んだようなテンションで話してしまったといいます。
前半だけ読んで話した内容: タンパク質を多く取ると満腹感を覚え、バッタの実験ではパフォーマンスも上がった
読んでいなかった後半の内容: タンパク質中心のバッタは寿命が短く、短期的に成果は出てもすぐ死ぬ
堀元さんの紹介は嘘ではないものの、「その代わり早く死ぬ」という大事な下りが抜けていました。公開後、知人のブロガーの骨しゃぶりさんに「すぐ死ぬでお前」と指摘されたことも明かされます。
堀元さんは、本の中で一番面白かった部分が頭に残るせいで、重要な補足が抜けるケースは多いといいます。元の本に当たると印象がまったく違うことがあるのが、原典を読む価値だという答えです。
水野さんは別の角度から、文字を読むときの質感と、情報を耳で聞くときの質感は違い、著者の筆致は番組では再現できないと話します。さらに、水野さん自身は1冊の本だけで話すことを避けているといいます。
堀元さんは、番組は1冊の本の果実を全部は収穫しておらず、一部を摘み取って別の本とブレンドしていると言い換えます。
水野さんは『論理的思考の文化的基盤』について、実は本の真ん中200ページほどの論証部分が一番エキサイティングだと明かします。4つの領域それぞれの教育と思考様式を一つずつ検証していく部分ですが、ポッドキャストやYouTube向きではないため省いたといいます。
堀元さんも、テレビ大阪の番組『この本誰が書いとんねん』に出演した際、自著『教養悪口本』の雑学をたくさん話したところ、さらば青春の光の東ブクロさんに「この人なんかうるさいな」と言われた体験を語ります。
本は、たくさん詰め込んでもじっくり読んでもらえる前提で書けます。そのため、ラジオにはならないネタが本にはたくさんあることも、本を読む理由の一つだと堀元さんはまとめています。
水野さんは、本が高いという問題にも触れ、経済的な余裕がなければ図書館で借りて、合わなければやめればいいと話します。堀元さんは図書館で本を吟味し、合わない本はすぐ戻せる空間が好きだといいます。
水野さんは、飯田さんと金沢を旅行した際に石川県立図書館で本探しに夢中になり、集合を30分延ばしてもらった思い出を語ります。そこから「堀本さん抜きの旅行はいい」といういじりに発展し、堀元さんが「本の半分しか読まずに話すから?」と自虐で返します。
人は鳥になれるのか?ジャンピングうんこの補足
最後のおたよりは、かつて番組で話した「高崎山の猿がジャンプしながらうんこをしていた」という水野さんの発見への補足です。
我が家の文鳥はどの個体もジャンピングうんこを常としております。より正確には飛び立ち誘起うんこが妥当と思われます。
捕食されやすい小鳥は、飛翔時の体重の軽さが生死を分けることがあるため、この飛び立ち誘起うんこ習性が強い個体がより多く生き残った結果であろうと、個人的には推測しておりました。
水野さんは、鳥はすぐにうんこをして体を軽くするため、人を鳥にするにはすごい勢いでうんこをするべきだ、という記述を読んだことがあると話します。人間は消化に時間がかかるので、鳥向きではないという指摘です。
ここで堀元さんは、とある店のトイレで見た、水を流してもびくともしなかった「極太一本グソ」の話を長々と始めます。水野さんは嫌がりながらも「生きてるクソ」「耐えるウンコ」と乗っていきます。
(そんな重いものが)体内にあるわけだから、そんなもん鳥であったら絶対まずいわけ。
堀元さんはこの話を、ホモ・サピエンスは鳥とは違う消化器を持つという水野さんの説明の補強だったと主張します。水野さんは、こういう話はポッドキャスト向きではないから本を読むべきだ、と前のおたよりにつなげて返します。
簡単には食われそうにない猿においても類似の行動があるということを知ったから、文鳥の例から類推すると、もしかしたら弱い個体ほどスピーディに逃げるためにジャンピングうんこする傾向があるかもしれないということを思いまして、ワクワクしております。
水野さんは、高崎山でボスとされる猿はどっしり構えていて、あちこち飛び移っていなかったと振り返ります。当時は猿のマルチタスク性に注目していましたが、生命の危機に体を軽くするという身体的な側面を見るべきだったと認めます。
話はさらに脱線し、水野さんは、三方ヶ原の戦いで敗れて逃げる途中に馬上で漏らした徳川家康が、その姿を絵に描かせたという話を持ち出します。堀元さんも炎上時の謝罪配信で漏らせば天下人になれるのかと乗りかけ、「騙されそうだった」と我に返ります。
最後に堀元さんは、質問だけでなく、番組の内容と自分の経験が結びついたという体験談も待っていると呼びかけ、回を締めくくっています。
まとめ
この回は、語源や格助詞、英語の綴り、故事成語といった言葉の話を、リスナーのおたよりから掘り下げていきました。原典を読む理由についての答えは、要約では重要な補足が抜けうることと、本にしか載せられないネタがあることでした。
- 英語のbattleと日本語の「戦う」は、どちらも「打つ・叩く」という発想から来ているという説が紹介された
- 「アルティメットに彩る」は結果、「アルティメットで彩る」は手段という解釈になり、格助詞で意味が変わる
- pronunciationのouがuになるのは、元の綴りを残す英語の大原則から外れた少数の例外で、理由ははっきりしていない
- 「杞憂」の元の話では、星や大地の崩落を心配した人のほうが、現代の目から見るとむしろ真っ当だった
- 要約だけでは重要な補足が抜けることがあり、本とラジオは扱えるネタ自体が違うため、原典を読む価値がある

