「勉強しない大学生」はなぜ物議を醸したのか
この回の冒頭で水野さんが紹介したのは、「勉強しない大学生、その実態を探る」というニュースの見出しです。この見出しには「大学生がみんな勉強しないなんて勝手に決めつけるな」というコメントが多く寄せられ、物議を醸したそうです。
堀元さんはこの見出しを聞いて、「日本の大学生はもっと勉強したほうがいいかもな」と受け取ったと話します。
水野さんは、批判コメントを書いた人たちこそ関係詞を学ぶべきだと言い切ります。見出しと関係詞がどうつながるのかは、回の後半で明かされる構成です。
このね、コメントした人、言語学やった方がいいですね。
絶対関係詞やった方がいいですね。
関係詞に「誰」「何」や「あれ」が使われるのはなぜ?
前回、関係詞の高校レベルの知識をおさらいした水野さんは、今回もう一歩踏み込んだ問いを用意しました。関係詞という特別な役割に、なぜ疑問詞のwhoやwhat、which、指示詞のthatがわざわざ使われるのか、という問いです。
だって関係詞っていうさ、特別な項目なんだからさ、もう全然他の意味持たないやつを持ってきてもいいわけ。
疑問詞が関係詞に使われる点については、日本語でも似た使い方があると出演者が指摘します。「昨日彼が得たものが何なのかを僕は知らない」「昨日古い友人と会ってさ、誰かっていうと」のように、日本語でも疑問の言葉が文をつなぐ役割を担うことがあります。
ただ、日本語では「あれ」「それ」のような指示詞を文をつなぐ目的では使いません。英語のthatが関係詞に入り込んでいる理由は、日本語から類推するだけでは説明がつかないというのが、水野さんの問題提起です。
水野さんがこうした英文法の根本的な疑問を解く「銀の弾丸」として挙げるのが英語史です。学校では英語史を習わないためとにかく覚えろと言われますが、歴史をたどると、一見理不尽な規則も昔は合理的だったとわかることが多いといいます。
堀元さんはこの考え方を、会社の不合理な承認システムや民俗学になぞらえます。節分の豆まきも、もとは追儺 ── 大晦日に宮中で行われた鬼を追い払う儀式。方相氏と呼ばれる役が鬼を追う形式で、のちに民間の節分行事へつながったとされますという宮中行事として段取りまで決まっていたものが、今では大きく簡略化されているという例です。
先にあったのはthat、wh語は後から加わった
水野さんによると、英文法にも簡略化や、別の仕組みが後から加わって全体がわかりにくくなる歴史が数多くあります。関係詞も同じで、指示詞由来のthat系列と、疑問詞由来のwh語系列は別の系統で、先にあったのはthat系列です。
thatが関係詞になった流れを説明するため、水野さんは「Tomorrow is just another day. That you'll never forget.」という、ある企業の予告コピーを例に出します。2つの文に分かれていますが、早口で読むとほぼ関係詞の文のように聞こえます。
実際、このthatを小文字にしてピリオドを取れば、dayを修飾する関係詞の文になります。もともと2文だったものがひとつながりに発音されるうちに一文にまとまり、指示詞由来の関係代名詞が生まれた、というのが水野さんの説明です。こうした例は古英語の時代にはすでにあったそうです。
元々は明確に指示詞だったんだけど、徐々に流れるように発音されていって、ひとまとまりとして意識されたってのが実態みたいですね。
一方、whoやwhichが関係詞になるのは中英語以降で、thatとは時代がかなり離れています。理由には諸説あり確定していないものの、この時期にthatが関係詞以外の役割も担うようになり、わかりにくくなったことが関係しているようだと水野さんは話します。
堀元さんはこれを、仕事を抱えすぎた古株のエリート社員thatの業務を、最近入ってきた疑問詞たちに分けた、とたとえます。水野さんも「過労気味だったので仕事を分けた」と応じます。
水野さん自身の解釈として、指示詞と疑問詞は根っこが同じだという見方も示されます。どちらも「何かを指したい」言葉で、指す対象がはっきりしているのが指示詞、はっきりしていないのが疑問詞だという整理です。
指したい対象がはっきりしている。「これ」と言える。there、thenなど
指したい対象がはっきりしていない。「どれか」を指したい。where、whenなど
実際、whereのwhをthにするとthere、whenならthenになり、両系列は対応しています。古英語ではthereにあたる語がwhereのように、thenにあたる語がwhenのように関係副詞として使われていたらしく、今は失われたその用法から、昔の指示詞がよりオールマイティーだったことがうかがえます。
カンマ1つで意味が変わる制限用法と非制限用法
続いて水野さんが取り上げたのは、関係詞の制限用法と非制限用法の違いです。高校で関係詞の最後にちょっと習う程度の項目で、出演者の中には聞き覚えすらないという反応もありました。
僕ね、もうこれが面白くない暗記事項だと思われてるの、はらわた煮えくり返るほど悔しいんですよ。
例文は「She has two sisters who live in America.」と、whoの前にカンマを入れた「She has two sisters, who live in America.」です。違いはカンマの有無だけですが、英語話者にとってはまったく別の意味だといいます。
訳し分けは、制限用法が「彼女にはアメリカに住んでいる2人の姉がいる」、非制限用法が「彼女には2人の姉がいて、その姉たちはアメリカに住んでいる」です。訳だけ見ると同じに思えますが、3人目の姉を想定すると違いがはっきりします。
制限用法の文は、アメリカに住む姉が2人いると言っているだけで、日本に住む3人目の姉がいる可能性を否定しません。非制限用法の文は、姉が2人しかいないことを含意しています。
アメリカに住む姉が2人いる。ほかの場所に住む3人目の姉がいる可能性は残る
姉は2人で、その2人がアメリカに住んでいる。3人目の姉はいない
制限用法の正体は高校数学の「集合」
水野さんが手元の英文法の問題集を見ると、非制限用法は「関係詞の前にコンマを置いて、先行詞に補足的な説明を加える用法」と書かれていました。しかし制限用法も補足しているように見えるので、この説明では違いがわかりません。
同じ問題集には、世界に1つしかないものや固有名詞には非制限用法を使う、ともあります。水野さんは、これを断片的に暗記しても面白くないとし、実はこの話は高校数学の「論理と集合」だと説明します。
制限用法は、姉という集合の中に「アメリカに住んでいる」という条件に当てはまる部分集合があり、そこに2人いると言っています。その外側については何も語らないため、3人目の姉の可能性が残ります。
非制限用法は集合を絞り込むのではなく、まず2人の姉がいて、その2人について補足しています。水野さんによると、制限用法は別名「限定用法」とも呼ばれ、どちらも集合を制限・限定しているという意味です。
この整理から、the earthに制限用法が使えない理由もわかります。地球は1つしかなく、絞り込む元の大きな集合を想定できないからです。planetなら話は違う、と出演者も確認します。
愛知県で生まれた黒川とか言いたい時に制限用法にしちゃうと、愛知県で生まれてない黒川っていうたった一人の人間を想定してしまう。
水野さんが驚いたのは、英語話者は関係詞を使いこなす時点で、集合論的な考え方を頭に入れているということでした。高校数学で難しい概念とされる集合の考え方は、実は言語の運用で日常的に使われている、というのが水野さんの指摘です。
「ヴィンチ村のレオナルド」は制限用法っぽい?
話を聞いた出演者からは、「どこそこの地域の誰それ」という名前の付け方をする地域では、制限用法の感覚が受け入れやすいのではないか、という仮説が出ます。日本も昔は「なんとか村の誰々」だったのが、明治以降に苗字を持つようになって感覚が薄れたのかもしれない、という発想です。
水野さんは「ヴィンチ村のレオナルド」ことレオナルド・ダ・ヴィンチを挙げ、確かに制限用法っぽいと面白がります。そのうえで、言語的な事実として、関係詞があっても制限用法と非制限用法を区別しない言語は多いと補足します。
たとえば英語と近い関係にあるドイツ語では、関係詞だけでこの区別はつけられないそうです。逆にペルシャ語は、両者を形式的に区別するといいます。
水野さんは、地名と人名を組み合わせた呼び方はアフリカにもあり、高野秀行 ── 早稲田大学探検部出身のノンフィクション作家。辺境地域への取材をもとにした著作が多く、ユーモアのある語り口で知られますさんの『謎の独立国家ソマリランド』にもよく出てくると紹介します。欧米に限らず人類に広く見られる名付けであり、名付けと文法の区別は直接は結びつかなさそうだ、という落ち着きどころです。
日本語は制限用法と非制限用法を区別しない
水野さんは、形式的に区別しないことと理解できないことは別だと前置きし、日本語ではこの区別をどう扱っているのかへ話を進めます。ここで冒頭の「勉強しない大学生、その実態を探る」という見出しに戻ります。
出演者は、この見出しが2通りに読めることに気づきます。1つは「大学生は全般に勉強しない」という読み方、もう1つは「大学生のうち、勉強しない人たち」という読み方です。
大学生は全般に勉強しない。その大学生たちの実態を探る
大学生という集合のうち、勉強しない一部の人たちの実態を探る
水野さんによると、日本語学では限定的修飾・非限定的修飾と呼ぶそうですが、ここでは制限用法・非制限用法という言葉で説明が続きます。日本語には英語のカンマのような目印がないため、読み手によってどちらの解釈をするかが分かれます。
だからすれ違ってる人たちの中には、制限用法的な解釈と非制限用法的な解釈ですれ違ってる人がいるんですよ。
さらに厄介なのは、人は常識に照らして解釈を選んでいることです。「体に良くない食べ物」は、普通は「食べ物のうち体に悪いもの」と読み、「食べ物は全般に体に悪い」とは読みません。
逆に「いざという時に必要な非常用設備」は、「非常用設備は一般にいざという時に必要なもの」と非制限用法的に読みます。同じ構造でも、常識によって解釈が自然に切り替わっているわけです。
「勉強しない大学生」を全般の話と受け取った出演者は、自分の中に「日本の大学生は勉強しない」という社会通念があったからだと振り返ります。解釈は瞬時に行われるため、自分でもどちらで読んだのか意識できない、という点も確認されます。
固有名詞への修飾と、レスバを防ぐ関係詞の知識
水野さんは、修飾される名詞の種類によっても解釈が変わると続けます。「最近近所に引っ越してきた佐藤さん」は、たくさんいる佐藤さんの中から絞り込む意味ではなく、1人の佐藤さんについて補足する非制限用法的な読み方になります。
出演者も「YouTuberの伝説的な存在であるヒカキンさん」を例に、ヒカキンさんが大勢いてその中から絞り込むわけではない、と応じます。英語で固有名詞にカンマを付けるのが不思議に感じるのは、日本語話者が常識で非制限用法的に解釈しているからだと水野さんは説明します。
英語はこの区別を形式ではっきり示すため、カンマの有無を間違えると「地球が複数あると思っているのか」「ヒカキンさんが600人いると思っているのか」という話になってしまいます。
ここで水野さんは、この回の結論を示します。日本語で名詞を節で修飾すると複数の解釈が生まれるのに、人は最初に浮かんだ解釈を唯一の正解と思い込み、違う解釈をする人を「文字が読めていない」と責めてしまう、というものです。
関係詞の授業って決して社会で役に立たない知識では全くないんですね。むしろ、僕たちが建設的な対話をする上で非常に重要な前提知識であって。
水野さんは、関係詞の知識を雰囲気で使う暗黙知ではなく、言語化できる明示的な知識として持っておけば、相手の無理解を前提にした対話の拒否や非難を避けられると語ります。冒頭の見出しの話は、関係詞はレスバを避けるための教養という結論への伏線だったわけです。
水野さんによると、日本語では関係詞節ではなく連体修飾節 ── 名詞を修飾する節のこと。日本語では「昨日買った本」の「昨日買った」のように、文の形をした部分が名詞の前に置かれますと呼びます。英語の授業で制限用法と非制限用法を習ったときに、日本語の連体修飾節はこの区別を形式的にしていない、というところまで気づければ役立つ、という提案です。
「行列ができる店」は英語にできない?
水野さんは、日本語の連体修飾節と英語の関係詞には、ほかにも違いがあると紹介します。英語の関係詞は、修飾される名詞を節の中に戻せなければなりません。「the book I bought」なら「I bought the book」に戻せます。
一方、日本語は元の文に戻せなくても修飾できるケースがあります。水野さんが挙げた例は次のようなものです。
| 表現 | 文に戻すと | 実際の意味 |
|---|---|---|
| 糖質を考えたシュークリーム | シュークリームが糖質を考える | 糖質に配慮して作られたシュークリーム |
| 行列ができる店 | 店が行列をできる | 行列ができるほど人気の店 |
| 秋刀魚が焼ける匂い | 匂いを文のどこにも入れられない | 秋刀魚を焼いた結果出る匂い |
出演者は、シュークリームが一生懸命悩んで糖質を減らしてくれる絵本のキャラクターのような場面を想像して笑います。水野さんは、文法上の役割がはっきりしないものを修飾できるのは日本語の特徴で、日英を比べるほど関係詞が面白くなると話します。
日本語と英語に優劣はない
2回にわたって出演した黒川さんは、この回を「カタルシス英文法ってこういうことだったんだ」と振り返ります。異文化の構造を読み解き自国に当てはめる、レヴィ=ストロース ── フランスの文化人類学者。構造主義の代表的な人物で、異なる文化を優劣ではなく構造の違いとして捉える見方を示しました以降の文化人類学のような話だったという感想です。
中高で学ぶ身近な内容でそれが理解できるので、国語と英語を並行して比べる授業があれば面白い、という提案も出ました。水野さんは、それはまさに対照言語学だと応じます。
水野さんによると、言語学者の間でも英語教育への橋渡しがまだうまくいっていないと話す先生がいるそうです。今回は、英語学や言語学で研究されている関係詞と、ニュースで見かける表現が実は近いことを示す一例だったといいます。
水野さんが大事なこととして付け加えたのが、言語に優劣はないという点です。
形式上の区別がないため、解釈が割れるケースがある
形式上の区別があるため、学習者が覚える事項が増える
この手の話をすると、日本語は曖昧だからダメなんだっていう方が結構いるんで、そうでないことは一応注意しておきます。
ある違いを形式で区別するかどうかは任意に決まっているもので、どちらが優れているという話ではない、というのが水野さんの注意点です。
長文嫌いの理由は「修飾のあいまいさ」だった
感想を聞かれた堀元さんは、自分の仕事上の習慣が説明されたと話します。ビジネスのテキストのやりとりで長文をひどく嫌い、複文を書くとすぐ短文の羅列に分けて送っているそうです。
今日の話聞いて、あ、すべての問題は修飾なんだと。修飾の曖昧性めっちゃあるから、だから複雑な修飾構造を嫌ってたんだなって。
水野さんはそんな堀元さんに、参考文献の1冊である川添愛 ── 言語学者・作家。ことばのあいまいさや、コンピューターによる言語処理をテーマにした一般向けの著作を多く書いていますさんの『世にもあいまいなことばの秘密』を勧めます。「勉強しない大学生」の例も、この本から借りたものだそうです。
この本は、「冷房を上げてください」は温度を上げたいのか冷房を強くしたいのか、ネットで話題になった「この先生きのこるには」をどう読むか、といったあいまいさを言語学者の視点でタイプ別に整理しています。
堀元さんは、番組のテロップでも同じ問題に悩んでいると明かします。熟字訓を増やさないよう原則ひらがなにしていますが、「流行っている」を「はやっている」と書くと「この靴はやってて」のように区切りがあいまいになり、どちらで書いてもしっくりこない未解決問題だといいます。
水野さんは最後に、学校の授業を下げないでほしいと付け加えます。今回の話を面白く聞けたのは、学校で関係詞をうっすら習っていたからで、面白かったと思った人は中学・高校の教育に感謝してほしいという締めくくりです。
撮影後に決まった広告、オンライン英会話AQUES
収録後に広告の話が来たため、末尾だけ別日に撮って付け足したという説明のあと、堀元さんがオンライン英会話スクールのAQUESを紹介します。
堀元さんによると、AQUESはマンツーマンのオンラインレッスンで、日本語の課題文をすぐ英語にして口に出し、講師からフィードバックを受けることを繰り返すスタイルです。自由な雑談が中心の英会話サービスとは違い、受験勉強のように問題を解くのが好きな人に向いていると話します。
目的ありきのコミュニケーションじゃないから面白くないなと思ってたんですけど、このアクエスはもう明確に課題文が与えられて、これを英語にしてくださいって言われて。
同じ課題文が、最初は何度も出て、言えるようになると回数が減り、忘れた頃にまた出るのも特徴だそうです。堀元さんは、高校時代に『DUO 3.0』の例文を繰り返し聞いて今でも言えるという経験から、このアプローチになじみを感じると語ります。
また、1回50分以上のレッスンを週3回以上受けられる人しか受け付けないという制約も紹介されます。以前は週1回の受講者も受け入れていたものの、英語力が上がらず満足につながらないため、結果の出るプランだけにしたそうです。お試しプランは50分×7回で1980円とのことです。
まとめ
この回は、英語の関係詞の由来と制限用法・非制限用法の違いを整理し、日本語の連体修飾節が持つあいまいさへとつなげました。解釈が割れうると知っておくことが、すれ違いを避ける第一歩になる、というのが水野さんの結論です。
- 関係詞のthatは古英語で2文がくっついて生まれ、wh語は中英語以降に加わった
- 制限用法は集合を絞り込み、非制限用法は対象に補足する。固有名詞やthe earthに制限用法が使えないのは絞り込む集合がないから
- 日本語の「勉強しない大学生」は両方の解釈ができ、人は常識で無意識にどちらかを選んでいる
- 揉めたときは、相手と解釈が違う可能性を考えて一度踏みとどまることが大切
- 形式で区別するかどうかは言語ごとのトレードオフで、日本語と英語に優劣はない

