「ひゅーん。書類が飛んでいかなかった」はなぜ変なのか
冒頭、水野さんは「ひゅーん。書類が風で飛んでいかなかった」という文を投げかけます。堀元さんは即座に「行かなかったんかい」と反応し、飛んでいった音がしたのに否定されるのは変だと指摘します。
だから飛んでった音がさ、ひゅーんって鳴ってんだから、それで飛んでいかなかったは変ですよね。
水野さんによると、オノマトペには否定語と一緒に使われにくいという特徴があります。堀元さんも「風に乗って軽やかに飛んでいくことはなかった」なら自然なのに、「ひゅーんと書類が飛んでいくことはなかった」は少し変だと認めます。
この回はオノマトペシリーズの最後で、台本1回分にはならなかったものの捨てるには惜しい小ネタを集めた構成です。水野さんはオノマトペの本を30冊ほど読んでおり、どこから聞いても大丈夫な回だと説明しています。
何の引きもないです。何の引きもない。知ってた、水野さん?統語って言葉入れちゃうと引きなくなるんですよ。
水野さんが「なぜオノマトペは統語的には肯定文にしか生起しないのか」というタイトル案を出したところ、堀元さんはこのようにバッサリ切り捨てました。
「今回は野菜をコトコト煮込まない」なら言えるのはなぜ?
オノマトペと否定語の相性について、水野さんは日本語ではそこまで厳しくなく、場合によっては否定文と一緒に使えると説明します。例として挙がったのが「今回は野菜をコトコト煮込まない」「今回は頭がクラクラしない」です。
いつもはコトコト煮込んでる工程を今回はサボります、っていう意味で、今回はコトコト煮込みません。言えますね。
一方で、言語によってはオノマトペと否定語を一緒に使ってはならないという強い制約があり、この傾向は他の言語にも見られる共通点らしいと水野さんは話します。
水野さんが示す平たい答えは、オノマトペは具体的な出来事を描写する言葉だということです。わざわざ具体的な様子を思い浮かべさせてから否定するので、何のためにオノマトペを導入したのかがわからなくなります。
そうだね。想像力を動員させなくていいところでさせてるから変なんだ。
水野さんは、これを語用論 ── 言葉が実際の場面でどう使われ、どう解釈されるかを研究する言語学の分野。文の形そのものより、文脈や話し手の意図に注目します的におかしいと説明することもできるとしたうえで、この問題を整理した論文を紹介していきます。
飼い慣らし度で分かれるオノマトペの4用法
水野さんが紹介したのは、定延利之先生の論文「オノマトペと感動詞に見られる馴化」です。否定語とオノマトペが同時に出てこない環境にはいろいろなパターンがあり、分類すると見えてくるものがあるという内容です。
定延先生はオノマトペの使い方を4つに分けています。1つ目の発話末オノマトペは「ひゅーん」のように単独で文が終わる使い方で、最も典型的なオノマトペらしい用法です。
2つ目の引用オノマトペは「と」を伴う使い方です。「今度は書類が風でひゅーんと飛んでいかなかった」なら否定もいけますが、「ひゅーん、今度は書類が風で飛んでいかなかった」は変になります。
あっちでもヒュン、こっちでもヒュン、書類が飛んでいかなかったって言われると、おい、俺の時間返せよってなる。これあれと一緒だ。難解な哲学書読んでる時と一緒だ。
堀元さんは、難解な哲学書を一生懸命読み進めた末に「〜示されてはいない」と否定されてがっかりする感覚にたとえました。
3つ目は名詞類のオノマトペで、「服についたヒラヒラ」のように名詞になったものです。「この服にはヒラヒラがない」は何の違和感もなく言えます。
4つ目は副詞や動詞語幹のオノマトペで、「コトコト煮込む」「頭がクラクラする」がこれにあたります。堀元さんも「学生の頃フラフラしなかった」は自然に言えると気づきます。
| 用法 | 例 | 否定との相性 |
|---|---|---|
| 発話末オノマトペ | ひゅーん、書類が飛んでいった | 否定しにくい |
| 引用オノマトペ | ひゅーんと飛んでいった | 「今度は」などで否定できる |
| 名詞類 | 服にヒラヒラがついている | 余裕で否定できる |
| 副詞・動詞語幹 | コトコト煮込む、クラクラする | 簡単に否定できる |
堀元さんは「大きな古時計」の歌詞で、時計が止まると「今はもう動かない」とオノマトペが消えることにも触れます。水野さんは、チクタクを単独で繰り返すか、「チクタクする」という動詞として使うかで否定のしやすさが変わると整理しました。
オノマトペは言葉の世界に「飼い慣らされていく」
水野さんが鋭いと評するのが、定延先生の次の主張です。オノマトペには、本来捉えようのないものを言語の世界に引き入れて飼い慣らしていく過程が見て取れるというものです。
一番最初に野生に近い状態が初末用法で、それがどんどんどんどん言語の世界に引き入れられて馴染んでいったものが名詞用法みたいなもので、
この見立てでは、「ヒュン」のような発話末オノマトペはまだ飼い慣らし前の野生の状態にあり、名詞用法まで進むと否定などを伴えるようになります。
ヒューン、書類が飛んでいった、のヒュンはかなり野生な感じするけど、書類がヒュンと風に乗って飛んでいったはかなり飼い慣らされてる気しますね。
水野さんは、2つの文では音の長さやアクセントといった韻律も違うと指摘します。副詞になると「コトコト」のように頭高のアクセントが多くなるという指摘もあるそうです。
発話末用法
「ドーン、爆発が起きた」。野生に近く、韻律の特徴が強い
引用用法
「ドーンと起きた」。「と」を伴い、少し馴染む
副詞・動詞・名詞用法
「コトコト煮込む」「ヒラヒラがない」。否定も自然にできる
定延先生は、キャーやギョッといった感動詞でも同じことが起きているのではないかと主張しているそうです。オノマトペの用法を整理すると、感覚的な言葉を言語に取り込む過程が見えるかもしれないという点に、堀元さんは「直感と全然違う」と驚きます。
ワンワンは「と」なしで言えて、ヒヒーンは言えない?
水野さんは、臨時的なオノマトペと習慣的なオノマトペでも振る舞いが違うと話します。架空の鳥の鳴き声「ギョエヤギョエヤ」なら「と鳴いた」が自然で、「と」を抜くと不自然になります。
ところが一般的な語になると、「犬がワンワン鳴いた」は「と」がないほうがむしろ自然です。
ほんとだ。犬がワンワンと鳴いた。犬がワンワン鳴いた。ワンワン鳴いたの方がいいわ。
猫の「ニャーニャー」も同様ですが、「馬がヒヒーン鳴いた」は変です。堀元さんは、ヒヒーンは創作オノマトペに近いのだと気づきます。
思ってたんだけど、それ俺たち無意識にもう定着したオノマトペとそうじゃないやつで使い分けてんだ。
水野さんは、「と」の有無や用法の自然さで、オノマトペが一般語にどこまで馴染んでいるかを判断できるとまとめます。オノマトペは一般語になるまでの過程をたどるよい材料だというのが、1つ目の小ネタの結論です。
ちなみに堀元さんは、馴化のたとえに「キリンを飼い慣らす」と言ったことを反省していました。キリンはどれだけ飼育しても人間に慣れない生き物だからです。
オノマトペが多いのはアフリカ? 2つの仮説
次の話題は、世界のどの地域にオノマトペが多く、それはなぜかという仮説です。もう一つの候補「のらりくらりはなぜくらりのらりではダメなのか」は、堀元さんが「人生で一回も気になったことない」と退けました。
水野さんによると、韓国語は日本語と同じかそれ以上にオノマトペが多い一方、英語などインド・ヨーロッパ系の言語は少ないそうです。多いのはアフリカ、そして東南アジアや南アジア、アマゾンの言語です。
ナイジェリアのハウサ語 ── 西アフリカで広く話される言語で、ナイジェリア北部やニジェールを中心に数千万人規模の話者を持ちますもオノマトペが多い言語として挙がりました。スワヒリ語のオノマトペとしては、キラキラ輝く様子の「きめりきめり」、急ぐ様子の「チャカチャカ」、頭痛の「キズングズング」が紹介されます。
キズングズング。オレンジレンジがどうしても出てきた。
日本語話者にもピンとくるものと、まったく入ってこないものがあるのが面白いところです。
オノマトペの分布について、真っ先に浮かぶ仮説は「未発展の地域ではオノマトペが多く、近代化すると直感的な表現が捨てられた」というものです。堀元さんはこれに植民地主義的な悪意を感じると反発し、水野さんも日本の例が説明できないと指摘します。
もう一つがアニミズム仮説で、あらゆる物に生命が宿ると考える地域では、その声を映したものとしてオノマトペが豊富になったのではないかという説です。
近代化すると客観的な表現が好まれ、直感的なオノマトペが捨てられた。日本の例を説明できない
物に宿る魂の声を映したものがオノマトペで、信仰のある地域で豊富になった
水野さんによると、どちらの仮説にも説明できないことが多く、本当のところはまだわからないそうです。歴史をたどると別の理由で説明できる可能性もあると話されています。
文字の種類がオノマトペを育てた?
堀元さんは独自の仮説として、ひらがな・カタカナ・漢字を混ぜる日本語の書き方がオノマトペと相性がよいと話します。「モニョモニョと喋る」と書けば文字種がはっきりして読みやすいという実感からです。
日本語話者はもうそこでオノマトペを使いたいインセンティブがあってさ、読みやすくしてあげたいっていう、だから発展しやすかったのかなとか、なんとなく思い始めた。
水野さんは書記体系が影響したという仮説もありうるとしつつ、ほとんどの人は口頭で話していると返します。言語学は文字を持たない言語が多いため文字の影響をあまり考慮しないものの、それでよいのかという反省も最近あるそうです。
堀元さんが「ソシュールは書き文字を対象にしていたのでは」と尋ねると、水野さんは訂正します。ソシュールが注目したのは、具体的な言葉の使用であるパロール ── ソシュールの用語で、個人が実際に話したり書いたりする具体的な言語行為のことではなく、話者が持つ抽象的な知識体系のラング ── ソシュールの用語で、ある言語共同体が共有する語彙や文法などの抽象的な体系のことだったといいます。
結論が出ないことに堀元さんがもやもやすると、水野さんは「科学ってそういうもの」と返し、理科と科学をめぐる小競り合いになりました。
色のオノマトペ「ユイボー」と、意味の4階層
水野さんは、オノマトペの意味には階層があるという話に移ります。レベル1は声や音をそのまま写すもので、どの国のオノマトペも持っています。レベル2は動き・形・手触りで、ザラザラや名古屋弁のトキントキンがその例です。
レベル3の身体感覚・感情・味・匂い・色になると、持っていない言語がそれなりにあります。基本は順番に上がっていきますが、レベル3を持つのにレベル2が乏しい言語という例外もあるそうです。
日本語に色のオノマトペはあるかと聞かれ、堀元さんは「黒々」を挙げます。しかし水野さんは、オノマトペは連濁しないので、「黒々」は黒を重ねた語だと分析できると指摘しました。
ところがガーナやトーゴで話されるエウェ語には、黒を指すオノマトペ的な形容詞「ユイボー」があります。「黒」という言葉とは別に、オノマトペ的に黒を表せるのです。
ドンブラコそれにしか使わねえじゃん、やべえっていう話とかよくされると思うんだけど、黒を意味するオノマトペいらないなあっていう感じしますね。日本人的には。
水野さんも、日本語なら「黒っ」と語幹で止めて強調できるので、エウェ語でなぜ発達したのかよくわからないと話します。堀元さんは、エウェ語の文法上「黒」では表せないものを表すために発達した可能性を挙げ、エウェ語話者にコメントを呼びかけました。
全身「トゥルントゥルン」は何を含意するのか
水野さんは、わざわざオノマトペにする必要があったのかと思う例を集めています。その1つが、慶應の経済学者・坂井豊貴先生が朝日新聞の脱毛に関するインタビューで語った「全身トゥルントゥルン」です。
毛がなく手がすんなり通る様子を指すとしても、ツルツルで十分ではないかと2人は考えます。そこで水野さんは、もともと毛がない人と脱毛した人でオノマトペが違うのではないかと思いつきます。
トゥルントゥルンはそうだね。なんかケアしたよっていうのが含意されてる気がするね。
もしそうなら日本語はとても細かく細分化しているわけで、エウェ語話者から見れば、ツルツルと別にトゥルントゥルンがあるのは不思議に映るかもしれないと水野さんは話します。
レベル3の例はさらに続きます。エウェ語には甘さを表す「ヴィヴィ」や、非常に臭いことを表す「リンリンリンリン」があります。インド東部のムンダ語には発酵したものが臭う様子の「モンドルモンドル」、重い荷物を背負ってフラフラ歩く様子の「ヘロデロ」があるそうです。
え、でもなんか分かるよ。モンドルモンドル。発酵食品のこもったような匂いした時、うわモンドルモンドルって感じするもんなんか。
論理関係のオノマトペ「パラリンモロリン」は生まれるか
意味の階層のレベル4は、対偶や逆説といった論理的関係を示すオノマトペです。これは日本語にもなく、想像のしようもないと2人は話します。
堀元さんは対偶を表すオノマトペ「パラリンモロリン」を即興で作りますが、日常会話で使う場面が思いつきません。
水野さんは、階層が上がるほど目に見えたり耳で聞こえたりしなくなると整理します。感覚から切り離されるほどオノマトペは担いづらくなるという傾向が、言語をまたいで見られるというのです。
だってうわぁすっごい黒いなってびっくりすることあるけど、うわぁすっごい対偶だなってびっくりすることないもんね。
堀元さんはなおも、VALUE BOOKSが営むNEBOでコーヒーを出していないことに驚いた体験を例に使いみちを探ります。しかし肝心のオノマトペを忘れてしまい、水野さんに「何にもできてないな」と突っ込まれました。
運転免許の問題と「50円持ってる?」の尺度推意
水野さんは、対偶は少なくても逆や裏の誤りは日常によくあると話します。ゲームをした人が凶悪事件を起こしたからゲームを規制すべきだ、という議論がその例です。
堀元さんは、自動車免許の試験問題を思い出して憤ります。「夜道は気をつけて運転しなければならない」の正解がバツなのは、夜道に限らず気をつけるべきだからという理屈です。
どこでも安全に運転しなきゃいけない、気をつけて運転しなきゃいけないんだったら、夜道も気をつけて運転しなきゃいけないからマルでいいはずなんですよ。
水野さんは、この問題も言語学の尺度推意 ── 数量などの表現について、聞き手が「言われた数ちょうど、それ以上なら多いと言うはず」と推論すること。英語ではスケーラー・インプリカチャーと呼ばれますという概念で面白く解釈できると話します。
水野さんは「50円持ってる?」と聞かれて「55円しか持ってない」と答えてみせます。堀元さんは自販機に入れる50円玉がほしいのだから55円なら持っていると言ってよいと返しつつ、水野さんの言い分にも一理あると認めます。
続けて水野さんは、「ゲスト1人ならいい」と許可をもらったあと、52人呼んでもいいかと尋ねます。52人いれば1人はいるという理屈ですが、実際の運用ではそうなりません。
論理だけで考えると、52人来ても1人は来ているので条件を満たす
実際の推論では、数はぴったり、それより多ければ多いと言うはずと解釈される
堀元さんは、お笑いコンビ磁石の「世界の人口って80億人らしいぜ」「えー、ちょうど?」というつかみが尺度推意のボケだったと気づきます。水野さんは、これがグライス ── イギリス出身の哲学者。会話では協調的に意図を推論し合うという理論を提唱し、語用論の基礎を築きましたの理論を下敷きにしていると説明しました。
運転免許試験の言語学は実現するか
水野さんは、似た例として小学校のドリルで「二等辺三角形を選びなさい」と問われたとき、正三角形を含めるかという問題を挙げます。包含関係では含まれるのに、正解に入っていないことがあるのです。
堀元さんは、数学者が子どものテストを上げてバズる光景が定期的にあると話します。水野さんは、免許の問題もこの類型に近く、人が言葉からどう推論するかを捉えるよい教材になると話しています。
あれはでも自然な運用と違うもんね。夜道を気をつけて運転した方がいいはマルだもんね。
2人は「運転免許試験の言語学」をいつか取り上げることを約束します。堀元さんは、この問題に20歳からずっと怒っていると語りました。
最後に水野さんが「のらりくらり」の話題に戻そうとすると、堀元さんは40年後にやろうとかわします。次回はオノマトペとレトリック、特に漫画のオノマトペの話をする予定だと予告されました。
まとめ
オノマトペシリーズ最終回は、否定文との相性という小さな違和感から、言葉が感覚を飼い慣らしていく過程、世界の言語の多様さ、さらに尺度推意まで広がる小ネタ集でした。どの話題も、日常の言葉づかいに潜む無意識の法則に気づかせてくれます。
- オノマトペは具体的な描写なので、単独で使うと否定しにくいが、副詞・動詞・名詞として使えば否定できる
- 定延先生は、オノマトペの用法の違いに、感覚的な言葉が言語に馴化していく過程を見ている
- オノマトペはアフリカやアジアに多いが、その理由を説明する仮説はまだ決め手がない
- オノマトペの意味は声・音から論理関係まで階層をなし、感覚から離れるほど担いにくい
- 「50円持ってる?」の受け答えや運転免許の問題は、尺度推意という推論の仕組みで読み解ける

