本を読んでもすぐ忘れるのは「素晴らしい」?
この回は、樋口さんの「本を読んだときは感動するのに、もう忘れている」という打ち明け話から始まります。水野さんは即座に「素晴らしいですね」「羨ましい」と返し、樋口さんを戸惑わせます。
この回は2回シリーズの後編で、年間200冊以上を読む水野さんと堀元さんが、自らを「読書弱者」と呼ぶ樋口さんに読書のコツを伝えていきます。
水野さんが最初に挙げたコツは「ギャルの精神で読んでくれ」というものです。樋口さんが「チョベリバ?」と返し、平成初期のギャルかと笑い合う場面もありました。
水野さんの言う「ギャルの精神」とは、読みながら自分を全肯定することです。読書中に自分を責めるのは禁止だと水野さんは言い、それができていない人が多いと話します。
例えばですね、難解な箇所があったとします。それを何遍読んでもわからんと。その時に「俺頭悪いんじゃないか」と。「この本わかんないなんてやばいんじゃないか」ってなってる読書初心者はめっちゃいます。
水野さんは、お金を払った側がなぜ謝るのかと問いかけます。例に出したのはイチゴで、美味しくないイチゴを食べて自分のせいだと謝る人はいない、というたとえです。
映画が面白くなければ映画に怒るのに、本のときだけ「自分はダメだ」となってしまう。水野さんは、まずこの考え方を改めてほしいと語ります。
わからないのは誰のせい? 編集者に責任を押しつける読み方
水野さんが自分を全肯定する具体策として勧めるのは、高校生の頃に実践していた「全部編集者のせいにする」という方法です。著者のせいでもよいが、本のクオリティを保つのは編集者だから、というのが水野さんの理屈です。
水野さんは、難しい学術書なら仕方がないとしつつ、「初学者でもわかる」「入門」とうたう本や中高生向けレーベルの本は話が別だと言います。
初学者でもわかるって謳ってるんだったら、それで初学者わかんなかったら、それ言ったらそのね、利回り5パーセント確約って言ってんのに、利回り出てないようなもんだから。
水野さんが「編集者に刑事罰が下ればいい」とまで言うと、樋口さんは本業が編集者の水野さんに「めちゃくちゃ自分で首絞めてますけど」とツッコみます。水野さんは「ちょっと盛った」と認めたうえで、入門書がわからないのは読者のせいではないと念を押しました。
うち、こんなに頑張って本買って読んであげてるのに、こんなできないのマジ許せないって思ってほしいんです。
樋口さんはこれを聞いて「今ギャルになりましたね」と応じます。自分ではなく本の側に不満をぶつけるのが、このギャルマインドの中身です。
何度読んでもわからないと「自分の頭が悪いのでは」と自分を責める
お金を払って読んでいるのに、わかるように書かれていない本(編集者)が悪いと考える
敏腕編集者は、難しすぎる学者の原稿をどう直すのか
番組では、出版関係者が集まる飲み会で聞いた話も紹介されます。学者が書いた一般向けの面白い本を多く手がける敏腕編集者に、難しすぎる原稿をどうするのかを尋ねたそうです。
その編集者は、根気強く「ここは難しすぎるので直してください」と何度も伝えるといいます。そのやりとりを続けるうちに著者が「お任せします」という状態になり、内容だけを生かして文章を全部書き直すのだそうです。
水野さんによると、その編集者は定期的にヒットを出しているといいます。一方で、著者に遠慮して読者の顔を立てない編集者もいる、と水野さんは話します。
初学者でわかるって言っときながら難しい話するのとかは、逆に読者舐めてるんですよ。
生き物の本などで、哺乳類の分類を延々と並べて説明される例も挙がりました。水野さんは、6分類すべてを解説するより、一番面白いものだけ取り上げてほしいと本音を語ります。
樋口さんは、COTEN RADIOを作るときも「ここまで伝わるかな」と意識していると話します。水野さんは、リアルタイムで話すポッドキャストより、じっくり直せる本の編集者のほうが時間の余裕はあるはずだと返しました。
さらに、「現代最高の思想家」のような肩書きの著者の本がつまらなかったときも自分を責めがちだ、という話になります。水野さんは、第一人者が書いたから面白いわけではなく、すごい学者の本を「面白くない」と言っていいと断言し、「合法です」と笑わせました。
「内容を覚えられない」悩みと、忘却の効用
ギャルマインドはすべての話に通底するとしたうえで、水野さんは2つ目のテーマ「覚えられない問題」に移ります。樋口さんにとってはこれが一番深刻な悩みだそうです。
樋口さんは、本1冊を読むのに1ヶ月ほどかかることもあり、内容を覚えていないとその1ヶ月が無駄になった気がすると話します。水野さんは、忘れない方法と、忘れること自体がよいことだという2つの方向の答えがあると示し、後者から話を始めました。
水野さんが紹介したのは、最近出た『忘却の効用』という本です。記憶の研究者である著者は、「忘れっぽいんです」と相談してくる人の多くが、病的ではない正常な忘却の話をしていると前書きで書いているそうです。
誰にでも起きる普通の忘却。樋口さんの悩みはこちらだと水野さんは見ている
病的なレベルの忘却。相談してくる人の中にはほとんどいないという
水野さんによると、科学的にも忘却はかつて記憶の妨げとして取り除くべきものとされていました。しかし著者は30年ほど研究を重ねた結果、忘却が社会の維持などにも役立っているとわかったといいます。
本の帯にも「忘れっぽいことは正常であるばかりか有益でさえある」とあるそうです。水野さんは、忘れると創造的なことができるようになると要点を説明します。
水野さんによれば、まったく忘れられない人は細部をすべて覚えるため、一般化 ── 複数の異なる物事から共通点を取り出し、より広く当てはまる法則やパターンとしてまとめる思考の働きのことができないといいます。樋口さんは「人は遅刻すると怒る」と学べず、「山田君は15時38分に行ったら怒った」という記憶だけが残るのか、と例えました。
細部を忘れて構造だけ残る。十五少年漂流記の「裸になる話」
樋口さんは、人から重い相談を受けても、1年後には誰の悩みだったか覚えていないと話します。そのかわり「こういう状態のときはこう言う」という構造で覚えている感覚があるそうです。
水野さんは、これこそ忘却の効用だと応じます。構造だけを覚えることは狙ってできないが、名前を覚えて構造を忘れるより望ましく、忘却によって人は新たな知見を得るのだと説明しました。
水野さん自身も、ミステリー小説を読んだ後に主人公が男か女かすら忘れ、トリックなど事件の構造だけを覚えているといいます。誇らしげに「忘却の達人って呼んでください」と語る一方、版元(出版社)は覚えていると付け加え、「それ一番いらない」とツッコまれていました。
樋口さんは、登場人物の名前がまったく覚えられないタイプです。『十五少年漂流記』は6人目あたりでわからなくなったそうで、カタカナの名前ばかりなのもつらかったといいます。
樋口さんが子どもの頃に読んだ漂流ものの記憶はすっかり混ざり、残っているのは「無人島に流れ着いたら真っ先に服を脱げと号令がかかる」という場面だけだそうです。服は一番劣化しやすい資源だから、紫外線が強いときなどのために温存しておけ、という船長の理屈が印象に残っていたといいます。
どちらの作品の場面だったかもわからないまま、樋口さんは「読んだことある?」と聞かれるたびに一か八かこの話をしているそうです。水野さんは、これも人が生きるために必要なことだとまとめます。
面白くても忘れるのはなぜ? 覚えすぎる世界の息苦しさ
水野さんは、面白かったことは自然に覚えている、とも話します。これに対して樋口さんは、面白くても全部忘れてしまうという悩みもあると返しました。
水野さんは、面白いのに忘れた自分を責めるのは、「面白かったら覚えているはず」と逆算してしまうからだと指摘します。樋口さんは、その瞬間に楽しさを味わっていたら、知識として覚える余裕はないはずだと語りました。
水野さんは、うろ覚えだと断りながら、楽しさや悲しさなどの感情が伴うと扁桃体 ── 脳の奥にある小さな部位で、恐怖や喜びなどの感情の処理に深く関わる。感情を伴う出来事の記憶にも影響するとされると結びついて記憶の形式が変わり、感情だけが残ることがあると話します。旅行で細部を忘れそうなときは写真を撮って断片を残す、という工夫も紹介しました。
樋口さんは、体に残っていることと知識として引き出せることは、結びついていなくてもいいのかもしれないと考えます。水野さんはそれを「意識していない貯金」のようなものだと表現しました。
水野さんは、逆に忘れられない人のほうが困っているとも話します。『忘却の効用』の著者は、忘れにくさと自閉傾向に関連があるのではないかという見方にも触れているそうです。
樋口さんは、テッド・チャン ── アメリカのSF作家。寡作ながら短編の評価が高く、短編集『あなたの人生の物語』『息吹』などで知られるの短編を紹介します。カメラとマイクを常時身につけ、あらゆる記憶を検索できるようになった世界の話です。
その短編の世界では「言った言わない」に必ず白黒がつき、負けた人が自信をなくすことが繰り返されて、人間関係が崩れていくそうです。水野さんは、適度に忘れる社会のほうがトラブルは少ないのではないかと応じました。
水野さんは、前編で勧めた「自分の知識と結びつけながら読む」読み方をしたいなら、むしろ忘れる必要があると話します。忘れることは一般化することだからで、年間200冊ほど読む水野さんたちも、覚えようと思って読んではいないそうです。
覚えたいときはどうする? ページの角を折る読み方
それでも覚えたいことはある、と水野さんは話を進めます。水野さんが実践しているのは、読みながらページの角を折るドッグイヤー ── 本のページの角を三角に折って目印にすること。犬の耳のように見えることからこう呼ばれるです。
水野さんは、折った箇所だけを後から読み返し、ウェブ上に読書メモをつけ、その作業の中でまた内容を思い出すといいます。
この方法の利点は、1回目の読書が「折るか折らないか」を判別するだけの作業になることです。水野さんは、頑張る必要がなく単純作業なので負荷が少ないと言い、酔っていても判断できると笑います。
僕らの場合はそうです。だから折るか折らないかを決めるだけなんで、その時理解してるか理解してないかは二次的なものなんですよ。
この話を聞いた樋口さんは、読書は「自分用の本に編集し直す作業」なのだと表現します。500ページある本でも、自分にとって面白いところは8ページぐらいだから、そこだけ集めておけばいつでも読めるというわけです。
水野さんは、折った本を奪われたら本気で落ち込むと話します。もう一度読んで折り直す必要があるからで、強盗に入られても金品はいいから本は奪わないでほしい、と割と真剣に語りました。
水野さんは、2回目に読むことも義務ではないと言います。脳と読書の関係を扱った『プルーストとイカ』はずっと前に読んで細部は忘れていたものの、「面白い本だった」という感情は残っていたので、今回メモを作り直したそうです。
読み返すと「なぜここを折らなかったんだ」と気づくこともあり、読んだ当時から成長した実感が得られるといいます。
一方、メモが粗すぎると内容が圧縮されすぎてしまう、という話も出ました。大学生の頃に読んだ『学力の経済学』のメモが10行ほどしかなく、「褒め育てはしてはいけない」という話しか残っていないという例です。水野さんは、著者の中室牧子さんの名前と肩書きをすぐに挙げ、「全然忘却してないじゃん」とツッコまれていました。
それでも、その一点を話すだけで本の内容を全部覚えている人のような空気になるそうです。水野さんは「我々が超人のように見せるテク」だと明かしました。
読書の二毛作。人と話す予定が「収穫」のタイミングになる
本の中で本当に伝えたい部分は少なく、残りは説得力を増すための部分ではないか、という話も出ます。著者を信じると決めたなら、その部分は捨ててもいいという考え方です。
水野さんは、折った後に読書メモをつけなくてもいいと補足します。1ヶ月もすれば忘れるが、会う相手に刺さりそうな話を思い出したときに初めて、折った本からメモを作ればいいというのです。
水野さんはこれを、種が花開いたときに収穫し、同じ本からまた別の花が咲いたときに再び収穫する「二毛作」にたとえました。人生は常に変わるので、その都度知りたいことが出てきて、特に刈り取りたいものだけを刈り取っている感覚だそうです。
読む
面白い箇所を折るか線を引くだけで、メモは未整理のまま置いておく
忘れる
1ヶ月ほどで内容はほぼ忘れる
きっかけが来る
人に会う、台本を作るなど、その話をしたい場面が訪れる
収穫する
折った箇所を読み返してメモを作り、知識として定着させる
水野さんは大学生の頃、生物系の後輩と飲むと決まると、進化の本を読み直していたそうです。実際にはその後輩の専門は分子生物学で、話にも使わなかったものの、自分にとって「進化の話が入ってくる旬」が来ていたのだといいます。
カツオ旬の時食いたいじゃないですか。それと一緒です。
読みたいテーマに関心のありそうな人を食事に誘えば、強制的に復習のタイミングが来る、という活用法も紹介されます。ゆる学徒カフェの貸しスタジオでラジオ収録を予約し、そこに向けて読書メモを整理する、という案も出ました。
樋口さんも、人との会話がインプットの中心だといい、知識を話してもらえるのはありがたいと話します。仕入れた知識を話すことは、話す側の定着にも、聞く側の楽しさにもなるという点で、出演者の意見は一致していました。
「最後まで読み通すべき」は誰が決めた?
3つ目のテーマは「最後まで読めない問題」です。水野さんの答えは明快で、誰が最後まで読まなきゃいけないと言ったのか、というものです。
だって主導権は俺だから。買った側にあるんで、どう使おうが自由じゃないですか。
話の中では、最後まで読んでいる本は半分以下だという告白も飛び出します。例に挙がったのは、以前ゆる言語学ラジオで紹介して好評だった『人口で語る世界史』です。
その本の前書きには、様々な出どころの人口データを使っているが、どれもその時代で最も正確なものを選んでおり、恣意的に使ってはいない、と著者が断言する一節があるそうです。専門家にしか書けない前書きとして紹介したものの、実は本はほぼ前書きしか読んでいなかったと明かされ、水野さんは「何してんだお前」と返しました。
流暢に話されると信じやすくなる流暢性バイアス ── 情報が滑らかに処理されるほど、それを正しい・好ましいと判断しやすくなる認知の傾向。聞き取りやすい話し方もその一例とされるの話にもなり、二人は自らを「流暢性バイアスの権化」と呼んで笑いを取っていました。
作り手の側から見た読書。誤読を受け入れるのがプロの条件?
水野さんは樋口さんに、つまらない箇所に付き合うほど暇なのかと問いかけます。樋口さんは、自分は少し特殊かもしれないと前置きして答えました。
樋口さんは音楽を仕事で作っていた時期があり、バンドで約10曲のアルバムを作ったときは、ステレオの前で歌詞カードを見ながら最初から最後まで聴いてほしいと思っていたそうです。人が頑張って作ったものを適当に消費してはいけない、という感覚が今も残っているといいます。
水野さんは、それが樋口さんの流儀なら否定するつもりはないとしたうえで、本は安く、主導権は読者にあるので、全部を細かく楽しまなければならないという感覚はなくてもいいと話します。
これに対して、自分の作ったものを正確に受け取ってほしいとはまったく思っていない、という作り手側の声も出ます。読者に書いていないことを言われても、むしろ愛おしいと感じるそうです。
話の中では、成功しないクリエイターの条件として「自作につける注釈が異常に多い」ことも挙がりました。作る時間と説明する時間の比率がプロとアマチュアで大きく違う、という見立てです。
おおむね9対1以下。誤読されても受け取り方の違いとしてスルーする
5対5ぐらい。違う読み方のリプライに長文で反論し、次の作品が出ない
樋口さんも、アマチュアの頃は受け取り方にこだわっていたが、プロになってそれがなくなったと振り返ります。一度世に出たものはコントロールできないと受け入れる感覚だそうです。
村上春樹 ── 日本を代表する小説家。『ノルウェイの森』『1Q84』などで知られ、作品は多くの言語に翻訳されているさんが、作中の描写を古典のメタファーだとする読解に「そういう読み方もありますよね」と応じつつ、そういう読み方に興味はないと答えたという話も、ちょうどいい距離感として紹介されました。
水野さんは、宗教改革 ── 16世紀にルターが教会のあり方を批判したことから始まった運動。カトリック教会から分かれたプロテスタントが生まれたのように、誤読や広まり方によって歴史が動いた例は多いと話します。樋口さんは、『95か条の論題』のルター自身はそれほど社会を動かしたくなかったという話ですよね、と応じました。
水野さん自身は、ものを作らないせいか、作ったものに注釈をつける感覚がわからないといいます。ゆる言語学ラジオの第1回の編集を見せられたときも「OKです」としか返さなかったそうで、それを編集者目線、プロデューサー目線だと評されていました。
読みかけの本が増えてもいい。本も映像も「ライトに」向き合う
水野さんは、全部読む必要がないなら、読んでいる途中に他の本が気になったときの答えも出ていると話します。読んでいる本をやめたくなるほど読みたい本があるのは、恵まれていることだという見方です。
話の中では、Kindleのライブラリーに12パーセント、24パーセント、17パーセントなど途中まで読んだ本が並び、同時に20冊ほど読んでいるという例も出ました。やめる判断をしているわけではなく、並行して読むうちに下のほうの本を忘れていくのだそうです。
その結果、前書きからの引用が異常に多く、後書きからの引用はほぼない「前書きソムリエ」になっているという話で笑いが起きました。水野さん自身は一冊ずつ読み終える派ですが、途中でやめる判断を「損切り」としてよいと評価します。
水野さんは、ライトに向き合うことがとても大事だと話します。映画が見られなくなってきたのもライトさがないからだとし、ブログやウェブコンテンツなら正確に理解しなくていいと思えるので読めるといいます。
樋口さんも、アカデミー賞を取り賛否も分かれる作品は気合を入れて見なければと感じ、頑張って2時間見たそうです。一方で、話題の「クソサメ映画」は酔っ払いながら友達と喋って見られる気楽さがあると話しました。
本は精査され、まとまっているほど重みを感じてしまう、という話も出ます。ポッドキャストは話が流れていき整理されていないので、聞く側も完全にわからなくていいと油断させてもらえる、という感覚です。
オーディブルは構成されているので入ってこないが、本の内容を元にしたポッドキャストなら入ってくる、という人がいることにも驚きの声が上がりました。
ゆる天文学ラジオの藤井さんの話も紹介されます。友達とM-1を見るときは、笑い声でネタが聞こえなくなるので笑わないでほしいと頼み、それでも笑う人は翌年から呼ばないそうです。
映像コンテンツの見方を、重さに応じて使い分けているという話も出ました。
| コンテンツ | 見方 | 理由 |
|---|---|---|
| 無編集のゲーム実況動画 | 皿洗いしながら見る | 気合を入れなくていい |
| QuizKnockの動画 | 食事しながら見る | 細部まで作り込まれている |
| 作り込まれた洋画 | 部屋を暗くして集中して見る | 字幕も気合を入れて読む必要がある |
水野さんは、そういう感覚で読んでほしいと作られた本もあると紹介します。『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』のように、全部読む人を想定していない本から入るのも一つの手だといいます。
どこから読んでもいい本として、『教養悪口本』も挙がりました。悪口を切り口に雑学を扱い、4ページほどの話が27個収録されていて、笑ってほしいところは太字になっているそうです。
出版業界の人間として。読書は趣味の中で「ランクが高すぎる」
水野さんは今回の内容を、自分を嫌いにならずに読むこと、積極的に忘れること、全部を読む必要はないこと、とまとめます。そのうえで、出版業界の人間としてのメッセージを語り始めました。
水野さんはまず、読書に苦手意識がありながら見てくれている人に「読書に興味を持ってくれてありがとう」と言いたいと話します。出版業界の未来を真剣に憂いているからだそうです。
水野さんは読書を麻雀に置き換えて考えます。麻雀が苦手な人は2時間もの苦手な人向けコンテンツを見ないし、麻雀ができない自分を責めず、麻雀ができると頭がいいと思われるわけでもない、という比較です。
できない自分を責めがちで、趣味として言うと社会的に良い位置づけをされる
できなくても自分を責めず、趣味として言うと引かれることもあるという
読書って趣味の中でランクがなんか高いと思われてるんですね。
水野さんは、今回の企画も「読書ができる人が苦手な人に教えを垂れている」ように見えたかもしれないと話します。そのうえで、読書が恵まれた位置にあぐらをかいていては未来はないと考え、裾野を広げたくて樋口さんを招いたのだと明かしました。
楽器の話も出ます。サポーターと本を読みに行った合宿で、楽器がまったくできない参加者が、樋口さんの伴奏のおかげでドラムやピアノを即席で「弾けている」状態になったというエピソードです。その手口でモテてきたのだろう、と冗談交じりに責められていました。
なぜ読書だけが「できなければならない」ものになるのか
水野さんは、音楽と読書の社会的な威信が同じなら、樋口さんが楽器でしてくれたことと、今回自分たちがしていることは同じだと話します。音楽から逃げ続けて楽譜も読めない水野さんは、それで開き直れるのに、読書となると開き直れない非対称性があると指摘されました。
水野さんは、その違いを「文字には日常的に必ず触れる」点に見ます。音楽はその部屋に入らなければ関わらずに済むが、言語はコミュニケーションや仕事の資料で使うため、基礎的にできなければならないという感覚があるのだろうと話します。
水野さんは『読めない人が「読む」世界』という新刊を紹介します。ディスレクシア ── 読み書き障害と訳される。知的な遅れはないのに、文字の読み書きに困難がある状態を指すの人や認知症の人などが、どうやって本を読んでいるかを調べた本です。
その本によると、ディスレクシアの人は学校で順番に当てられる音読にトラウマを抱えていることがあるそうです。読めないだけで異常だと思われるため、読んでいる人のふりをして社会に擬態している、という話も紹介されました。
読書って音楽と違って現代社会のインフラになっちゃってるんですね。
水野さんは、読書ができる人が優れているという虚構をみんな信じてきたが、それは違うのではないかと話します。たまたま読字が得意な人たちが作った社会に生まれただけではないか、という人文学的な見方です。
水野さんは、音声で入ってくる人は音声で聞けばいいとも考えています。北欧でオーディオブックが進んだのは、日本語の同音異義語の多さのような言語の問題ではなく、権利関係の事情で広まったからだと聞いたそうで、日本は業界が怠慢だっただけかもしれないと話しました。
オーディブルについては、日本語は話し言葉と書き言葉の差が大きいので、書き言葉を話し言葉にして配信してほしい、という意見も出ます。実際に本の硬い一節を読み上げたあと、口語に言い換えてみせ、そのほうがずっと頭に入ると実演していました。
水野さんは、出版業界の人はみんな読字ができ、いい大学を出て小さい頃から本を読んでいるので、読めない人の気持ちがわからないと話します。小説を選ぶ決め手は登場人物の少なさだ、という読者の声に驚いたそうで、苦手な人向けの本が滑るのは解像度が低いからだと指摘しました。
自分の本のオーディオブックの印税が年間2万6000円ほどしかない、という作家としての実感も語られます。本の内容を読み上げるのではなく対話形式に直すサービスには、ビジネスの可能性があるのではないか、という話にもなりました。
働いていても読みたい人は多い。文化資本とスノッビズムへの違和感
水野さんには、このシリーズを撮りたかった別の動機もありました。三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がヒットしていることです。
水野さんは当初、働いている人は読まないのに、どこにマーケットがあるのかと思ったそうです。ところが発売1週間で10万部に達し、働いていても本を読みたい人がこんなにいるのかと勇気づけられたといいます。
水野さんは、その本は労働史と読書史を重ねる構造的な話が中心で、読み方のコツは一部だとし、そこを今回の企画で補いたかったと話します。そのうえで、読書に一番大きく関わるのは文化資本 ── フランスの社会学者ブルデューが提唱した概念。家庭で受け継がれる教養や習慣、本などの文化的な資源が、学業や社会的地位に影響するという考え方だと続けました。
水野さんによると、読書を本能でできる人はおらず、脳が持つ別の配線を寄せ集めてこなしているだけだといいます。そうした配線の組み替えは忙しく働く大人には難しく、小さい頃ならできるため、家に本がある人が圧倒的に有利になる、という流れです。
読書は本能ではない
脳の既存の配線を寄せ集めて読むスキルを作っている
子どもの頃が有利
配線を組み替えるのは、忙しい大人より子どもの頃のほうがしやすい
家庭で差がつく
家に本がある人が圧倒的に有利になり、生まれたときに決まってしまう
強者の論理
読める人は努力した自覚がなく「読めば読める」と言い、そうでない人を苦しめる
水野さんは、ビジネス書や漫画を読書と認めないような言説が大嫌いだと話します。ビジネス書を茶化す芸で知られる立場からも、「こいつをバカにしてください」という依頼がDMで来ることに違和感があると語られ、それは読書人のスノッビズムの表れだという見方で一致しました。
水野さんは、『読めない人が「読む」世界』が試みているのは「読書は定義できない」と示すことだと説明します。黙読ができない人や一文字ずつしか認識できない人など多様な読み方を見ると、すべてに当てはまる定義は言えず、ビジネス書を読むのも立派な読書だというわけです。
誤植を見つけて読書メモに記録し、ちゃんと読んでいると悦に入る、という変わった読み方も紹介されました。それぞれの読み方が認められていい、という話です。
読書は思考の材料。主導権は読む人にある
ここまでを聞いた樋口さんは、一番感じたのは「重く捉えすぎていた」ということだと話します。クリエイターへの尊重も、全部読むことも、何かを学ぶべきだということも、もっとライトに考えていいと感じたそうです。
水野さんは、生殺与奪の権を本に握らせてはいけないと応じます。そして、友人の室越さんが「世界は思考する材料だ」と話していたことを紹介しました。
水野さんは、主体は本ではなく読む人であり、本が人生を変えることはあっても、本が主になるわけではないと話します。
話の中では、原体験をさかのぼると堀江貴文さんの本のようなライトな本に行き着く、という告白もありました。大学生の頃のスライドの1ページ目に、テクノロジーを信じるという堀江さんの言葉を引用していたそうです。
水野さんも、自分たちはライトな本に育てられてここまで来たのだから、ライトな本も素晴らしいと話します。そこから読書にハマる人が増えれば嬉しい、というのが業界関係者としての思いです。
樋口さんは最後に「二人がしょうもないことがわかった」と笑い、だいぶライトになれたと語りました。水野さんは、読書を調べると究極的には障害のことを調べることになり、4歳や5歳までに配線をつなぎ変えて読めるようになるほうが異常なのかもしれない、とも話し、今後の続編の可能性に触れて締めくくりました。
まとめ
この回では、読書が苦手な人に向けて、自分を責めない、忘れていい、全部読まなくていいという3つの考え方が語られました。後半は、読書を高尚なものとみなす空気や、家庭環境による格差、読み方の多様性へと話が広がっています。
- わからない本に出会ったら、自分ではなく本や編集者のせいにする「ギャルの精神」で読む
- 忘れることは一般化と創造につながる前進であり、細部を忘れて構造が残れば十分
- 覚えたい箇所はページを折って残し、人に話す機会が来たときに「二毛作」で収穫する
- 最後まで読み通す義務はなく、本も映像もライトに向き合っていい
- 読書は思考の材料であり、主導権は読む人にある



