なぜ今回は「もっとガチ」でやるのか?
ゆる言語学ラジオでは久しぶりの「ちょいガチ言語学ラジオ」として、監修者の嶋村貢志先生を迎えた統語論の回が収録されました。前回の音韻論の回は川原先生が用語を使わずに説明し、好評だったといいます。
一方で水野さんは、音韻論の回について「もっとガチでもいいかもしれない」と感じていたそうです。生成文法については、雰囲気だけを伝える回をすでに番組で放送しています。そこで今回は、生成文法の研究者が実際に何をしているのかを聞くことにしました。
川原先生はだいたいこういう感じなんだよっていうのを用語を導入せずに説明していただいたんですけど、特にこの生成文法っていうのに関しては、僕らもうすでに一回めちゃくちゃその雰囲気だけ伝わるような(回はやったので)。
生成文法の説明には樹形図や定義、例文が欠かせません。そのため今回の講義は、嶋村先生が用意したハンドアウトを手元に置いて聞くことを前提にしています。嶋村先生は、音声だけのPodcastリスナーには少しつらいかもしれないと先に断っていました。
ポッドキャストの人には申し訳ないんですけど、やっぱりどうしてもその生成文法はツリー見たりとか、その定義を見たりとか、例文見たりとかしないといけないので。
一方で、以前の生成文法回を見ていなくても理解できるように、講義はゼロから始めるという方針も確認されました。
生成文法は何を解き明かそうとしているのか?
講義に入る前に、水野さんは生成文法とは何かを率直に尋ねます。嶋村先生によれば、統語論は、人間が単語と単語を組み合わせて文を作るときにどんな仕組みが働いているかを研究する分野です。そして、頭の中にある言語知識の根幹は統語だと考えたのがチョムスキーでした。
チョムスキー以前の構造主義言語学 ── 20世紀前半に主流だった言語学の立場。実際の言語資料を集め、音素や形態素などの単位に分けて分類・記述することを重視しましたは、単語や形態素に分けて分類する「分解屋さん」のような文法だったと嶋村先生は振り返ります。記述が大事な時代だったため、人間がなぜ言語を話せるようになるのかという理論は弱かったそうです。
そこでチョムスキーたちは、子どもが5〜6歳で話せるようになるという言語獲得の観点から文法理論を作ろうとしました。ここで言う「生成」は「明示的」という意味です。文法的な文だけを定義し、非文法的な文は絶対に生み出さない規則の体系を考える、ということを指しています。
あの明示的な規則によって文法的な文を定義でき、文法的でない文は絶対生み出さないような機械を、その機械というか、その文法システムを考えていこうっていう意味ですね。
嶋村先生自身が生成文法に惹かれた理由の1つは、普遍文法 ── 人間は生まれつき、どの言語にも共通する文法の土台を持っているとする生成文法の仮説。そこに経験が加わることで、日本語や英語などの個別言語が身につくと考えますという仮説でした。日本語と英語は全く違うように見えますが、文法知識には普遍的な部分があるという見方です。
嶋村先生は、自分の娘が3〜4歳でかなり話せるようになったことも例に挙げます。親が「こう言いなさい」と教えたわけではないのに、なぜ話せるのか。そこに理論の面白さを感じたといいます。アメリカの大学院時代にアイスランド語などを研究したときにも、生成文法がさまざまな言語を説明できる汎用性に魅力を感じたそうです。
見た目は一直線でも、文は「階層構造」を持っている?
ここでは時間を少し戻して、セクション2の後半で語られた内容から整理します。生成文法の研究者が語順に注目する理由について、嶋村先生は人間言語の特徴として「リカーション(回帰性)」を挙げます。大きなカテゴリーの中に、同じ種類のカテゴリーを埋め込んでいける性質です。
嶋村先生によれば、発話は一次元の直線に見えます。しかし統語論では二次元の構造を描くため、研究の対象は語順そのものより階層構造です。水野さんは、構造の高い低いで意味が決まるC-command ── 樹形図の上で、ある要素が別の要素に対して持つ構造上の位置関係。照応や作用域など、多くの文法現象の説明に使われる生成文法の基本概念ですに感動したといいます。
僕らはだからパッと見一次元的に線だなと思ってたものが実は立体でしたみたいな、そういう驚きは割とその、多分生成文法を勉強し始めた時に感動ポイントとして訪れるんですよね。
講義のゴールについて嶋村先生は、生成文法の研究者がどのように言語を分析しているのかを少し見てほしい、と答えました。言語は、観察できない心の働きが表に出たものの1つです。そのため言語を研究することは、人間とは何かを考えることにつながる、と嶋村先生は話します。
扱うテーマは、前半が「移動」、後半が日本語のデータも使う「格」です。英語の例文が多いため、嶋村先生は例文の意味をできるだけ丁寧に補足すると約束しました。水野さんも「言い訳タイム」の終了を宣言して、本題に入ります。
分解屋から規則の体系へ。理想化と文法性判断という道具
ここでも、セクション3より少し前の場面から整理します。講義の冒頭で嶋村先生は、生成文法の理論が標準理論、拡大標準理論、GB理論 ── Government and Binding(統率・束縛)理論の略。1980年代に中心となった生成文法の枠組みで、移動を制限する原理や原則の体系として文法を捉えます、ミニマリストと変わってきたことを確認します。水野さんはこれを、4つの形態のうちGBが「第3形態」だとまとめました。
チョムスキーは生成文法に3つの課題を設定しました。言語知識の内容はどのようなものか、それはどう獲得されるか、それはどう使われるかです。3つ目は自由意志に関わるため研究があまり進んでおらず、嶋村先生を含む統語論者は主に1つ目に取り組んでいます。
生成文法の出発点は、1957年に出たチョムスキーの『Syntactic Structures』だとよく言われます。研究史は約70年になります。
研究の対象になるのは、言い淀みや言い間違いが混じる実際の発話ではなく、その奥にある言語知識です。嶋村先生は、物理学が空気抵抗を無視するように、生成文法では日本語母語話者の言語知識を均質なものとして理想化していると説明します。この理想化があるからこそ、研究者は自分の内省 ── 研究者が母語話者として、自分の頭の中で例文が自然かどうかを判断すること。生成文法では主要なデータの1つとして使われますを文法性判断のデータとして使えます。
判断が微妙な例として、嶋村先生は自身の研究テーマを紹介しました。「金の欲しさに盗みをした」は自然ですが、人によっては「金を欲しさに」も言えるといいます。名詞化した「欲しさ」の前には普通「を」が出ないのに、副詞的に使うと許される場合がある、という現象です。嶋村先生は今年、日本語の名詞化をテーマに4人で科研費を取ったそうです。
水野さんは、運用ではなく言語知識を対象にする姿勢は批判されやすい点だと補足しました。そのうえで、理論物理学と、それを応用する工学のような関係だとたとえています。
もちろんね、コミュニケーションのための言語学もあると思うんですよ。例えば社会言語学とかもあるし。
句構造規則と変形規則は、文の何を捉えたのか?
言語理論が満たすべき条件として、嶋村先生は記述的妥当性と説明的妥当性を挙げます。この2つは相反しやすいもので、生成文法の歴史を読み解く軸になります。
母語話者が生み出す無限の文を、有限の規則で正しく記述できているか
その無限の文を生み出す文法知識が、どのように獲得されるのかを説明できるか
水野さんは、2つの妥当性の緊張関係を「6億個のルール」というたとえで説明しました。ルールを大量に書けば記述はできます。しかし、子どもがそれを全部覚えて話しているとは考えにくい、ということです。
言語の基本的な性質として、講義では3つが挙げられます。格助詞が主語にも目的語にも名詞の後ろに付くような「文脈自由性」、「太郎の彼女の妹の彼氏」のように句を埋め込める「回帰性」、そして離れた語どうしが関係を結ぶ「依存関係」です。依存関係の例は、John smilesの-sや、notとanyの関係、日本語の「少しも〜ない」です。
資料に出てくる記号の読み方も確認されました。アスタリスクは非文法的、疑問符は判断が微妙、疑問符2つはかなり非文に近いという意味です。水野さんは、研究者の非文のグラデーションの細かさに驚いていました。
句構造規則は、文Sが名詞句NPと動詞句VPからなり、VPは動詞と名詞句や文からなる、というように構造を定義します。VPの中にSを置けるので回帰性を捉えられますが、三人称単数の主語のときに動詞へ-sを付けるという依存関係は書けません。
そこで導入されたのが変形規則です。構造記述の条件を満たしたら構造変化を加える、というIf-Thenの形をとります。変形を加える前を深層構造、すべての変形を適用した結果を表層構造と呼びました。
ところが英語だけでも変形規則が50以上に増え、英語にしかない操作まで出てきました。嶋村先生は、これを失敗ではなく、まず記述をやり切った段階だと位置づけます。
そうですね、だから全然失敗ではなくて。
「何を買った男」から何かを動かせないのはなぜか?
ここから講義は新しい内容に入ります。増えすぎた変形規則の表現力を抑える流れの出発点として紹介されたのが、ロスが1967年のMITの博士論文で示した島の制約 ── wh語などを特定の構造の内側から外へ移動できないという制約。その構造を、出られない「島」にたとえた名前ですです。
WH移動の規則では、移動するwh語の前後にある変項XとYには何が来てもよいことになっていました。この規則なら、「What do you think that John believes that Mary bought?」のような長い文も生成できます。ロスは、XやYに何が来てもよいわけではないと指摘しました。
例は「What will John see the man that bought?」です。関係節の中にあるwhatを前に出すと、英語では非文になります。これが複合名詞句の島です。日本語の「ジョンは何を買った男に会うつもりですか」は問題ありません。
嶋村先生は、日本語でも非文にできると言って実演しました。「太郎が買った男に会うつもりなのは何をですか」という分裂文にすると、水野さんの判定は即座に0点でした。「太郎が会ったのは誰にですか」に3〜4点を付けていたのとは大きな差です。
無理です。無理です。全然処理できなかったですもん、もう。
嶋村先生は、ここから複合名詞句の島は日本語にもあるかもしれないと述べます。また、非文を正確に作れるのは職業病だと笑っていました。水野さんはこの流れで、受験英語レベルの「句」と「節」の区別も補足しています。
WHの島、主語の島、そして博士論文のタイトル
島の制約には、複合名詞句の島のほかに「WHの島」と「主語の島」があります。今回の講義では、この3つだけが紹介されました。
| 島の種類 | 例 | 動かせないもの |
|---|---|---|
| 複合名詞句の島 | What will John see the man that bought? | 関係節の中のwh語 |
| WHの島 | Who does John wonder when Mary will see? | 別のwh語(when)がある節の中のwh語 |
| 主語の島 | stories about whoが主語の文 | 主語の名詞句の中のwh語 |
WHの島の例は、間接疑問文をとるwonderの中にすでにwhenがある文です。その場合、whoをwhenの外に出すことはできません。whoを動かさない「John wonders when Mary will see who」なら正しい文になります。英語では1つの文に複数のwh語を出すことができ、1つは前に出て残りは元の位置に残る、と嶋村先生は補足しました。
英語の判断が微妙なときはネイティブに聞くのか、と水野さんが尋ねると、嶋村先生は先行研究が多い分野なので論文に判断が書いてあることが多いと答えます。
最後に嶋村先生はクイズを出しました。ロスの博士論文のタイトルは何か、という問題です。変項XとYに制約をかけたのだから、答えはそのまま『Constraints on Variables in Syntax』でした。
もう絶対通りますね。はい、もう絶対通ります。絶対。
嶋村先生によれば、特定の領域から抜け出せない現象は他の研究者も観察していたと思われます。それを「Island」という名前でまとめたのがロスでした。
受動文の痕跡と「himself」は同じ場所に現れる?
次に講義は、WH移動とは別の現象であるNP移動を扱います。典型例は受動化で、目的語の名詞句を主語に繰り上げ、be動詞と過去分詞を加えるという、中学英語で習う手順を抽象的に書いたものです。
「They believe John to be a genius」はJohnを主語にした受動文にできます。しかし、that節にした「They believe John is a genius」からJohnを受動文の主語にすることはできません。また「They believe Mary to love John」のJohnも、Maryを飛び越えて主語にはできません。
移動する前の元の位置には、痕跡 ── 移動した要素が元にあった位置に残すと仮定される、目に見えない要素。traceの頭文字からtと書かれます(t)を置きます。この痕跡が現れられる位置は、himselfやeach otherのような照応表現 ── 文中の別の名詞句を先行詞として、その名詞句を指す表現。英語の-self形やeach other、日本語の「自分自身」などがありますが現れられる位置と同じだと指摘されました。
実際に、「John believes himself to be a genius」は言えますが、「John believes himself is a genius」は非文です。また「John believes Mary to love him」のhimをhimselfに変えると非文になります。受動化の成否と同じパターンです。
日本語でも似た現象があります。「太郎は花子が自分を好きだと思っている」の「自分」は太郎も花子も指せます。しかし「自分自身」にすると、近い花子の読みしか取れなくなります。
そういうふうにしちゃうと、近い方しか取れないって話ですね。それに似てるっちゃ似てる。
時制文条件と指定主語条件で、何が説明できたのか?
ここでもセクション8の終わりから話を続けます。名詞の移動の痕跡と照応表現を捉えるために、チョムスキーは1977年に時制文条件と指定主語条件を提案しました。
時制文条件は、時制を持った文が1つの領域を作り、その外からNP移動や照応表現の認可 ── 文法的に許されるようにすること。ここでは照応表現と先行詞の関係を結ぶことを指し、英語ではlicensingと言いますはできない、という条件です。that節の中は時制を持つので、外のJohnと中のhimselfは関係を結べません。
水野さんは、to不定詞にはwillやcanを入れられないことから、時制のない表現だと整理しました。意味はほぼ同じなのに、that節とto不定詞は文法的な振る舞いが質的に違う、というのが要点です。
指定主語条件は、不定詞の中であっても意味上の主語があれば、それを飛び越えて移動したり照応表現を認可したりできない、という条件です。「They believe Mary to love John」でJohnが主語になれないのは、loveの意味上の主語であるMaryがいるからです。
とにかくこのbelieveの後ろにあるMary、意味上の主語っていうのはだいぶ特権的な位置にあるので、このそれをすっ飛ばしてloveの目的語であるものを先に受動変形するっていうのがダメだよと。
嶋村先生は、この2つの条件は多くの場面で重なるため、後に1つにまとめられていくと補足しました。
移動は何種類あり、理論はどこへ向かったのか?
NP移動とは対照的に、WH移動は時制文や主語があっても長い距離を移動できます。「Who do they believe Mary to love?」は言える、という確認もされました。
疑問詞を文頭へ出す。時制文や主語を越えて、長い距離を移動できる。島の制約を受ける
受動文のように項を繰り上げる。時制文条件と指定主語条件によって近い範囲に制限される
嶋村先生によれば、現在の生成文法では移動を大きく3種類に分けます。WH移動系、NP移動系、そして疑問文でdoやwillが前に出る主要部の移動です。Aはargument(項)の略で、Aバー移動は項の移動ではないという意味です。
嶋村先生は、ミニマリスト以前の理論を自分の肌感覚としてまとめます。ある要素とある要素が関係づけられるとき、その間にどんな構造が入ってよいか、いけないかを扱う理論だった、という見方です。
そこで理論は、移動規則を個別に書く方向から離れていきます。どのような制約が移動の可否を決めているのかを考える方向へ移っていきました。統率・束縛理論では、移動規則は「Move α」という1つだけになります。
何でもいいからとりあえず必要なもの全部動かしてくださいっていう感じになるんですね。
どこへ動くかを決めるのは、単語が持つ素性 ── 三人称、単数、現在、男性など、単語が持つ文法的な意味の情報。語彙的な意味とは区別されますです。受動文のMaryは主格をもらうために動き、WH語は疑問文の情報を持つ位置へ動く、と考えます。
水野さんは、単語に情報を持たせると覚えることが増えて説明的妥当性に反しないか、と鋭く質問しました。嶋村先生は、語彙はもともと後天的に学ぶものだと答えます。また、WH語が前に出ない日本語でも、目に見えない形で移動していると考えると説明しました。
で、それをまあ示唆するような証拠とかデータ議論があるんですよ。あるので全然問題ないんですけど、それをやり出すと僕今日帰れないのでやめていいですか?
痕跡は本当にあるのか? wanna縮約とXバー理論
痕跡を仮定する理由の1つは、エモンズが提案した構造保持(Structure Preservation)の考え方です。移動した後の構造も句構造規則で作れるものでなければならず、移動先はもともと用意されている、という前提に立ちます。こうすれば、主語のないSのような特殊な句構造規則を増やさずに済みます。
痕跡が「見える」例として紹介されたのが、wanna縮約です。「I want to eat sushi」は「I wanna eat sushi」と縮約できます。しかし「Who do you want to eat sushi?」のようにwantとtoの間にwhoの痕跡がある場合、縮約できないとされます。
ただし嶋村先生は、この判断がどこまで共有されるかには慎重でした。教科書レベルではこういう説明がある、という位置づけです。水野さんは「僕はその説明で納得できるタイプです」と応じていました。
続いて、句構造規則に代わる雛形としてXバー理論 ── 名詞・動詞・形容詞など品詞の違いを問わず、すべての句が同じ型で作られるとする理論。主要部が補部を取り、さらに指定部を取って句が完成すると考えますがおさらいされました。たとえば動詞kickはまず目的語the ballを補部として取り、次にJohnを指定部として取ってVPが完成します。
1970年のチョムスキーの論文は、名詞・動詞・形容詞のどれでも不定詞を補部に取れるように、補部に来るものが範疇を超えて似ていることを示しました。そのため、品詞をXと置いた共通の雛形で済むようになります。
嶋村先生は、ここまでの流れを次のように整理しました。変形規則がたくさんできたこと、そこから変形規則を制限する方向に動いたこと、そして制限する原理や原則が統率・束縛理論の根幹になったことです。
C-commandは「上がって下がる」
移動は基本的に下から上へしか起こりません。その理由を説明するために、嶋村先生はC-commandの定義をかみ砕きます。厳密な定義は硬いので「上がって下がる」と言い換えると、水野さんは予備校の先生みたいにわかりやすくなったと反応しました。
で、C-commandはちゃんと定義すると何か硬いので、翻訳すると上がって下がるです。
SがNPとVPに分かれる樹形図で考えます。主語のNPは一度Sに上がり、そこから下がってVPとその下のすべてをC-commandします。逆にVPもNPをC-commandしますが、SのようにNPやVPを支配している要素は、C-commandの関係にはなりません。
照応表現の認可にはC-commandが必要です。「John likes himself」は言えます。しかし「John's mother likes himself」でhimselfをジョンと解釈することはできません。John'sから上がっても主語の名詞句までしか届かず、VPの中のhimselfをC-commandできないからです。この文でジョンを指したい場合はhimにします。
嶋村先生は、ここで大事なのは線形順序ではないと強調しました。前にあるから後ろのhimselfを指せる、という話ではありません。
移動した要素は自分の痕跡をC-commandしなければならないため、移動は必然的に上昇になります。嶋村先生は、ボシュコビッチと高橋の日本語スクランブリングの論文のように例外的に下げる分析もあると紹介しつつ、今日は上昇だけで進めると宣言しました。
仮説の原理:2つの壁は一度に越えられない
統率・束縛理論の具体例として紹介されたのが、チョムスキーが1977年に提案した仮説の原理 ── 英語ではsubjacency。移動などで要素どうしを関係づけるとき、一度に2つ以上の境界を越えてはならないとする原理ですです。
仮説の原理では、NPとS(またはSバー)が境界となる「循環接点」です。これを2つ同時に越えて要素を関係づけることはできません。水野さんは「2つ入れ子になってるものから出ていくのは厳しい」と言い換えています。
ここで嶋村先生はXバー理論に合わせた捉え直しを導入しました。主要部を持たなかったSは、時制の要素を主要部とするTPやIPとして扱われます。さらにその上には、平叙文か疑問文かといった文のタイプを決めるCPがあります。
Cが疑問の素性を持てば、助動詞が上に移動してdidとして発音されます。Cは最終的にWH移動も引き起こします。
仮説の原理に従うと、「What do you think John bought?」のwhatは一気に文頭へ移動できません。まず埋め込み文のCPに立ち寄り、そこから文頭へ出ると考えます。移動は2回ですが、それぞれが越える境界は1つずつなので問題ありません。
中間で立ち寄る証拠として、嶋村先生はいくつかの言語の例を挙げました。中間位置にwh語が2回現れる言語や、子どもの発話でコピーが残る例があります。また、マクロスキーの研究によれば、アイルランド語ではWH移動が起きたときにthatにあたる語の形が変わるそうです。
「each other」が2通りに読めるのはなぜか?
順繰りの移動を支持するわかりやすい例として出されたのが、「Which stories about each other did they say the kids liked?」です。この文のeach otherは、the kidsもtheyも指せる曖昧な文です。
水野さんはまず意味の確認から入りました。嶋村先生は、自分は文の意味を一々考えず、each otherがどちらにも結びつけるかだけを見ていたと笑います。2人の温度差が出た場面でした。
the kidsの読みは、likeの後ろの元の位置で取れます。the kidsがeach otherをC-commandしているからです。一方、もしwh句が一気に文頭へ移動したとすると、theyには先行詞になるチャンスがありません。元の位置は時制文の中にあり、時制文条件に引っかかるからです。
しかし、wh句が埋め込み文のCPに一度立ち寄るとすれば話が変わります。その位置は時制文の外にあり、theyからC-commandされます。時制文条件もクリアするので、theyの読みも出せるのです。
はぁ、この感動伝わるかな。なるほど。そうか。だから一回経由して、ここで自省文条件を。
水野さんは、入門書で仮説の原理を読んだときは複雑な文でテンションが上がらず放り投げたと告白しました。今回初めてその面白さに触れたといいます。嶋村先生も「やっと面白いポイント来ました」と応じていました。
「循環」という訳語については、水野さんが「下から順繰り」のほうが実態に近いと提案しました。変形規則にはもともと、埋め込み文から順に下から適用し、上に行ってから下に戻ることはできないというサイクルの考え方があったそうです。
仮説の原理でWHの島はどう説明されるのか?
仮説の原理は、もともと島の制約のようなWH移動の制約を説明するために提案されたものです。「Who does John wonder when Mary will see?」で考えると、whoは途中のCPに立ち寄りたいのに、そこにはすでにwhenがいます。
邪魔して、もう私いますよ。席も待ってますよと。
ここで水野さんは、「立ち寄れないからダメ」なのか「関係を結べないからダメ」なのかが混ざっている、と問い直しました。嶋村先生は自分の説明が悪かったと認めます。立ち寄れないから動けないという言い方は、現在のミニマリストの考え方だと整理しました。
当時の理論では、構造をすべて作ったあとで、移動は自由にかけてよいとされていました。できあがった表示を意味や音声の解釈部門に送ったとき、境界を2つ越えたwhoと痕跡の関係を解釈できない。それが非文になる理由です。
まあ作った後に移動何してもいいよってやったけど、これができたものがシンタックス的に、あるいは解釈的にOKかどうかってのは後で決めるって感じで思ってもらったらいいと思います。
嶋村先生は、仮説の原理の本来の動機は島の制約にあったと確認しました。each otherの曖昧性は、順繰り移動の証拠の1つとして持ち出した例だということです。
『Barriers』という難関で、何が障壁になるのか?
仮説の原理には、循環接点が「NPかS」という選言的な定義になっているという問題がありました。なぜNPとSが一緒に扱われるのかを説明したくなります。その先に登場するのが、チョムスキーの『Barriers』です。
嶋村先生は、『Barriers』を100ページほどの薄い本だが、最初はまったくわからなかったと話します。今でも頭の体操として時々読んでいるそうです。何が移動の妨げになる「障壁」なのかを論じた本で、水野さんは「島の解体」と表現しました。
講義ではまず阻止範疇が定義されます。L標示 ── 動詞や名詞などの語彙範疇によって選択され、その補部の位置にあること。「L表示」と書き起こされた用語で、本文ではこの意味で扱っていますされていない最大投射が阻止範疇で、阻止範疇はIPを除いてそれ自体が障壁になります。
水野さんは「John will visit Kyoto」の樹形図で、どこが障壁になるかを自力で判定していきました。その手順は次のとおりです。
笑うしかないですね。
VPが障壁だとすると、「Which city will John visit?」でwh句はVPから出られないことになります。しかし実際にはこの文は言えます。そこでwh句はVPに一度付加してから上へ上がる、という操作を仮定することになります。
VPに寄り、CPに寄って上がっていく順繰り移動の考え方は、現在のミニマリスト・プログラムの「フェーズ」という概念につながっていると嶋村先生は話します。フェーズの定義は違うものの、出発点はここにあると位置づけていました。
研究者はどうやって難解な理論を乗り越えるのか?
休憩代わりに、水野さんは嶋村先生が『Barriers』を初めて読んだときの体験を尋ねました。嶋村先生は、定義が多すぎて全然わからなかったと振り返ります。わからないときは「一旦置いて」、先輩や先生に聞くそうです。
コネチカット大学には論文を書きまくっているボシュコビッチという研究者がいて、『Barriers』の説明を30分ほどで終えてしまったといいます。
心が折れかけたことは何度もあると嶋村先生は言います。修士のときに形式意味論の本として読んだハイムとクラッツァーの本は、投げたことがあるそうです。文系の自分には関数などの数学的概念がすっと入ってこなかった、と話していました。
あの、あんまり大きい声じゃないですけど、昨日もちょっと飲んでる時言ったかもしれないですけど、ハイマンとクラッツァの本、投げたことありますからね。
GBは嶋村先生自身の研究ではもう使わない古い理論です。それでもGBを学ぶのは、ミニマリストが何を削ぎ落としてきたのかを知るためです。今の道具立てにはGB時代の焼き直しも多く、障壁がフェーズになったのもその例だと説明しました。
修士時代には、MITの博士論文を朝から夜まで分担して読む会を開いていたそうです。ロスの島の制約の博士論文もみんなで読みました。水野さんは、積み上げた先に急に景色が開ける学問なので、人を選ぶとまとめます。
前半の締めくくりとして水野さんは、奇妙な文の解釈にこだわるのは、文法の複雑さに人間言語の本質があるという強い信念があるからだ、と整理しました。後半は格の話で、ここまでの知識はあまり使わないと嶋村先生が予告し、第2部へ移ります。
格は「意味役割」とは別物?
第2部のテーマは格です。日本語なら「が」「を」「に」のような格助詞が格だと普通は理解されています。英語で格が見えるのは、himのような代名詞くらいです。
しかし嶋村先生によれば、生成文法の格理論はそうした形態の話ではありません。もっと抽象的なレベルを扱います。水野さんが「名詞が動作の中でどんな役割を担うかを示す形」と理解を述べると、嶋村先生はそれは一般的には正しいが生成文法では違う、と答えました。
水野さんが説明したのは意味役割 ── 名詞句が出来事の中で担う役割。蹴る人を表す動作主、蹴られるものを表す被動者などがあり、θ(シータ)役割とも呼ばれますのほうでした。格はこれと直接は関係しない、と嶋村先生は言います。
そんな馬鹿な。
根拠は「が」の振る舞いです。「太郎がボールを蹴った」の「が」は動作主を表します。しかし受動文の「ボールが太郎によって蹴られた」では対象を表し、「英語が話せる」の「英語」も動作主ではありません。「が」を特定の意味役割に結びつけると、こうした例が説明できなくなります。
水野さんは、「が」に複数の意味があると記述すればよいのではないかと食い下がりました。嶋村先生は、記述としてはそれでもよいが、説明としてはシンプルなほうがよいと返し、実際にやってみることになります。
NP to VPフィルターから格理論はどう生まれたのか?
格理論が整う前は、別の説明が使われていました。ここでは少し前の場面から整理します。「Mary to love John」は、意味的には「that Mary loves John」と同じように見えます。しかし文の主語には置けず、forを入れる必要があります。
チョムスキーとラズニックは1977年の論文『Filters and Control』で、NPと不定詞の組み合わせを弾く「NP to VPフィルター」を提案しました。ただしこのフィルターには、動詞や前置詞の後ろならよいという但し書きが付いていました。
嶋村先生は、これは記述的には正しいが魅力的ではないと評します。「AかBの場合」という選言的な条件で、なぜその2つの環境なら許されるのかを説明できていないからです。
この論文を読んだジャン=ロジェ・ヴェルニョーがチョムスキーに手紙を送り、そこから着想を得たチョムスキーが格理論を思いついたといいます。手紙の中身について、嶋村先生は「ちゃんと読んでないのでわからない」と率直に断っていました。
格フィルターは、音形を持つ名詞句が抽象格を持っていなければ非文になる、というものです。抽象格は形態に必ず現れるわけではありません。名詞句が文のどの位置に出てこられるかを制御する仕組みだ、と嶋村先生は説明します。
当面の整理では、対格は他動詞が与え、主格は時制を持つTやIが与えます。動詞を受け身にすると格を与えられなくなること、時制のない不定詞の主語には格が与えられないことが、その根拠として挙げられました。
受動文で名詞が動くのは、格のためだった
格理論の帰結として、NP移動が起こる理由が説明されます。「John ate pizza」の受動文「Pizza was eaten by John」で考えると、pizzaはもともと目的語の位置にあり、動詞から対格と被動者の意味役割を受け取っています。
ここで、受け身化された動詞は対格を与える能力を失う、と仮定します。すると、元の位置にいるpizzaは格をもらえません。格がなければ発音できないので、pizzaはTPの指定部 ── Xバー理論で、主要部と補部のまとまりにさらに付く位置。TPの指定部は、おおよそ主語の位置にあたりますに移動して主格をもらいます。
元の位置
pizzaは動詞eatenの補部にあり、被動者の意味役割を受け取る
格を失う
受け身化した動詞は対格を与える能力を失っている
移動
格がないと発音できないため、pizzaはTPの指定部へ移動する
主格
TPの指定部でTから主格をもらい、意味は動作の受け手のまま残る
なんでNP移動って起こるんですかって言われたら、いや、格のためですって感じです。
以前は移動規則をそのまま書いていたため、NP移動には特に動機付けがありませんでした。今は格理論が、何でも動かせるMove αに理由を与えています。
日本語の「このコンピューターが太郎によって壊された」も同じように分析されます。元の「壊す」は対格を与えられますが、「壊され」になるとその能力を失います。
「探す」のテストで日本語の移動を確かめる
日本語はSOV型なので、受動文で「コンピューターが」が本当に元の位置から移動したのかは語順からはわかりません。最初からTPの指定部に生成されている可能性もあります。それを確かめる方法として紹介されたのが、内包性動詞 ── 「探す」「望む」のように、目的語の対象が現実に存在することを前提としない動詞。まだ見つかっていない人を探すときにも使えますのテストです。
「太郎は優秀な秘書を探している」に続けて「二郎もそんな秘書を探している」とは言えます。しかし「二郎も彼を探している」とは言えません。「彼」は現実の人物を指すので、存在を前提にしない文脈に合わないからです。
この選択関係は、「探す」の作用域 ── ある表現の意味が及ぶ範囲のこと。スコープとも呼ばれ、生成文法ではC-commandによって定義されますがC-commandで決まることから来ています。受動文の「優秀な秘書が太郎によって探されていた」でも、「彼が」にすると変になります。つまり受動文でも同じ選択関係が成り立っているのです。
もし「優秀な秘書が」が最初からTPの指定部にあるなら、「探される」の作用域には入りません。もとは動詞の補部の位置にいて、そこから移動したと考えれば説明がつきます。嶋村先生は、こうした作用域のテストは研究で本当によく使うと話していました。
はい。というわけで、こういう風なスコープ、作用域のテストっていうのをよく使いますわ、私たちは本当に。
例外的対格付与:believeは誰に格を与えている?
格理論を使うと、NP to VPフィルターが説明していた現象がシンプルに捉えられます。NPと不定詞の組み合わせが現れられるのは、そのNPが格をもらえる場所に限られる、ということです。
「John believes Mary to be a genius」ではbelieveがMaryに対格を与えています。不定詞の塊を文の主語にすると、Maryは格をもらえません。forを入れると前置詞が対格を与えるので文が良くなります。形容詞は格を与えないので「It would be great Mary to win」は非文で、「I am grateful them」にもforが必要です。
格が見える代名詞でも確かめられます。「John believed her to win」はherで、sheは使えません。
この文で例外的なのは、believeが意味役割の命題をTP全体に与える一方で、格はその中の主語のMaryに与えている点です。意味役割を与える相手と格を与える相手がずれているため、例外的対格付与 ── 英語でECMと略される。believeのような動詞が、不定詞節の意味上の主語に対格を与える現象のことと呼ばれます。
水野さんは、Maryがto be a geniusの主題になる意味役割はどこから来るのかと質問しました。嶋村先生は下のVPの述語からだと答え、当時の付与はC-commandではなくM-commandに基づく統率で定義されていたと補足しました。
ミニマリスト入門:格は与えるのではなく照合する
ミニマリスト・プログラムでは、統率や束縛のような概念が本当に人間言語の原理なのかを問い直し、どんどん捨てていきます。統率なしで格理論を作るとどうなるか、というのが後半の中心です。
「John ate pizza」の基本構造は、小さなvP、AgrP、VPを含む複雑な樹形図になりました。1990年代半ばからは、主語も動詞句の中から出発するという分析が提案されています。
やばいですよね、これ。だって「ジョンエイトピッツア」ですよ。
この構造では役割分担がはっきりします。語彙範疇である小さなvが動作主の意味役割を、大きなVが被動者の意味役割を与え、機能範疇が格を担当します。
そして格は「付与」されるものから「照合」されるものに変わりました。名詞は辞書から取り出されたときにすでに主格や対格の素性を持っています。それが指定部と主要部の関係で合っているかを確認するのが、Spec-Head Agreement ── 指定部と主要部の一致。主要部と、その指定部にある要素が同じ素性を持っているかを照合する仕組みで、合わなければ派生が破綻しますです。
主格はTPの指定部に、対格は動詞の隣の補部に与える。与え方が主格と対格で違っていた
名詞はあらかじめ格の素性を持ち、主格はT、対格はAgrの指定部で、主要部と同じ形で照合する
Johnはvの指定部で動作主の意味役割をもらったあと、TPの指定部に移動して主格を照合します。pizzaはAgrPの指定部に移動して対格を照合します。
「ミニマリスト」なのに複雑すぎない?
語順を保つためには、pizzaが移動したあとで動詞eatも移動しなければなりません。3単語の文で3つとも移動して痕跡を残していると知り、水野さんは「動きすぎじゃないですか」と驚きました。
動詞を動かす理由は当時の局所性、つまり移動のミニマリティと関係していると嶋村先生は説明しかけました。しかし話が込み入るため、ここでは途中でやめています。
ミニマリストって言ってる割にすごく煩雑になってません、結果的に。
嶋村先生の答えは、平行性が保たれた、というものでした。以前は主格をTPの指定部に、対格を動詞の補部に与えていて、与え方が違っていました。新しい分析では、どちらも主要部と指定部の関係で照合する形にそろいます。統率を捨てたため、別の方法が必要になったのです。
「mistakenly」と「愚かにも」が示す例外的対格付与の移動
初期ミニマリストのECM構文では、believeのあとのMaryは主節のAgrPの指定部まで上がって対格を照合する、と分析されます。見た目はbelieveの後ろにありますが、構造上は高い位置にあるのです。
その証拠として出されたのが、副詞mistakenlyです。mistakenlyはbelieveを修飾するので、主節のVPに付きます。that節の「John believes Mary mistakenly is a genius」は言えません。一方、ECM構文の「John believes Mary mistakenly to be a genius」は言えて、mistakenlyがbelieveを修飾します。
Maryが主節まで上がっていると考えれば、主節の副詞mistakenlyの前に出られることが説明できます。時制を持つthat節では、格の照合が節の中で終わっているため、主節に上がれません。
日本語にも似た例があります。「太郎は花子を愚かにも天才だと思っている」は、思っていること自体が愚かだという読みで自然です。しかし「太郎は花子が愚かにも天才だと思っている」は解釈しにくくなります。そのため、日本語の「を」の構文も主節まで上がっているのではないかという研究者もいる、と嶋村先生は紹介しました。
疲れのあまり内省を間違えた水野さんに、嶋村先生は、何度も繰り返すうちにダメな文がいける気がしてくるのは研究者のあるあるだと話していました。
「Some boy likes every girl」の解釈は1つではない?
ECM構文の移動を裏づける別の証拠が、数量詞のスコープです。「Some boy likes every girl」には、ある1人の男の子が全員の女の子を好きだという読みと、女の子ごとにそれを好きな男の子がいるという読みがあります。
日本語の「一人の男の子が3人以上の女の子を好きだ」では、男の子は1人の読みしか基本的に出ません。嶋村先生によれば、日本語はスコープが固定的だと言われています。
テストではsomeを主語に置くのが定石です。逆に「Every boy likes some girl」にすると、男の子ごとに選ばれた女の子がたまたま全員同じという場合も含まれてしまいます。そうなると、someが広い読みと区別できません。
余談であの、僕の脳のリソースをちょっと食ってるんです、今。やめてください。集中させてください。今バッテリー二十パーぐらいしかないんで。
数量詞のスコープが反転するのは同じ節の中だけです。「Some jury believes every defendant is guilty」は時制を持つ節なので、everyが上まで上がれず、被告人ごとに別の陪審員がいるという読みは出ません。
一方、ECM構文の「Some jury believes every defendant to be guilty」では、every defendantが主節まで上がるので反転した読みも出せます。これもECM構文での移動の証拠になります。
seemの繰り上げ構文も格のための移動
最後の文法現象は、seem、appear、happenなどの繰り上げ構文です。seemはthat節を取れるので、「It seems that he is tired」のように形式主語のitを入れる形があります。
「John seems to like Mary」では、Johnが不定詞の中から主節の主語の位置へ繰り上がります。これも格の照合のための移動です。「It seems John to like Mary」とは言えません。seemが対格を与えない動詞だからです。
that節は格を必要としないという議論もあり、嶋村先生はgladやafraidのように格を与えない形容詞がthat節を取れることを根拠に挙げます。関心のある人にはStowellの1980年の研究を勧めていました。
証拠として出されたのは、「Someone from Kyoto seems to love Osaka」の解釈です。seemの中で読む解釈のほかに、京都出身の誰かが実際にいて、その人が大阪を好きそうだという解釈も出ます。元の位置から上へ上がっていることを示す例です。
ここまでで、受動文、ECM構文、繰り上げ構文のいずれも、格のために動くA移動の一種として捉えられることになります。
「川を泳ぐ」と「川で泳ぐ」はどこが違うのか?
講義の最後に、嶋村先生は日本語の対格助詞「を」に戻ります。ここまでの分析を仮定すると、対格の照合のために上へ上がる「を」の名詞句は、後置詞句である「川で」より構造的に高い位置にあると考えられます。
嶋村先生は、意味の違いを示す例を挙げました。「うっかり絵に触った」はよいのに「うっかり絵を触った」は気持ち悪くなるのは、「を」で意志性が高まるからだといいます。また「AがBを裸で触った」では、「に」の場合と比べて、Bが裸だという読みも少し出やすくなると述べました。裸でのような二次述語 ── 文の主な述語とは別に、主語や目的語の状態を表す述語のこと。英語ではsecondary predicateと呼ばれますの認可にもC-commandが関わるという議論があるそうです。
限界性(テリシティ)の例として、「3時間で太郎は川を泳いだ」は言えますが、「3時間で太郎は川で泳いだ」は不自然になります。トルコ語では定の名詞に対格が出るような現象もあり、定性・限界性・被影響性など、さまざまな要素が対格に関わるといいます。
三時間で太郎は川で泳いだ。あ、キモい。
水野さんは高校時代から、英語の主格・対格・与格だけが前置詞なしで特別扱いされることを不思議に思っていたそうです。例外的対格付与とその裏にある構造を見て、対格は質的に違うと理解できたことが今日の大きな発見だったと話しました。
こういう例外的対格付与とか、その裏にある構造っていうのを見せられると、質的に違うんだっていう理解ができたっていうのが今日はすごい大きな発見でした。
ただし「後半はキャッチー」という予告は撤回してほしいと水野さんが抗議し、嶋村先生は「データも多くて楽しかった」と返していました。さらに嶋村先生は、さっき苦労したAgrPは今の分析ではもうないと明かします。現在はAgreeという操作で、離れた距離の要素どうしが格に関わる関係を結ぶと考えられています。
生成文法を学びたい人は何を準備すればいい?
今回の内容をすべて理解しても、生成文法の骨子の何割がわかったことになるのか。水野さんの問いに、嶋村先生は「10パー。10パーもいかないかも」と答えました。扱ったのは1957年から1990年代半ばまでで、最新の研究にはまだ届いていません。
高校生へのアドバイスとして嶋村先生が挙げたのは、根気強く文献を読むことです。英語の文献が多いため英語力が必要で、集合や論理、関数といった簡単な数学的素養も欠かせません。英検1級を持つ嶋村先生も、数学は得意ではなかったと話しています。
おすすめの本としては、水野さんが『問題を通して学ぶ生成文法』を挙げました。仮説を立て、失敗し、新しい提案が出るという順番で説明してくれるからです。嶋村先生は、アンドリュー・カーニーの『Syntax』、ミニマリストを本格的にやりたい人向けにホーンスタインらの『Understanding Minimalism』、さらに易しいものとしてラーソンの『Grammar as Science』を紹介しました。
最後に水野さんが全体をまとめます。チョムスキーは、母語話者が奇妙な文を判断できることや、子どもが爆速で言語を習得することを不思議だと考えました。それを理解しようと抽象化を突き詰めた結果、記述のための規則から、説明のために削ぎ落とす理論へと進んできたのが生成文法の歴史だ、という整理です。
ちょいガチ言語学ラジオは半年に1回ほどのペースで続ける予定で、次は語用論、形態論、意味論のいずれかを考えているそうです。
まとめ
この回は、生成文法が変形規則で文を記述し尽くそうとした段階から始まりました。その後、島の制約や時制文条件といった移動の制約が見つかり、仮説の原理や障壁、格理論を経て、ミニマリストの格照合へと理論が整理されていく流れを、嶋村先生と水野さんのやり取りで追っています。
- 生成文法は、文法的な文だけを生み出す明示的な規則の体系を探し、記述的妥当性と説明的妥当性の両立を目指している
- ロスの島の制約や時制文条件の発見から、移動には質的に異なる種類があり、それぞれ固有の制約があることがわかった
- C-commandと仮説の原理を使うと、each otherの曖昧性やWHの島のような一見ばらばらの現象を統一的に説明できる
- 格理論は、受動文・ECM構文・繰り上げ構文の名詞の移動を、格をもらうため、あるいは照合するための移動として説明する
- 今回扱ったのは1990年代半ばまでで、本格的に学ぶには英語の文献を読む力と数学的な素養が必要になる

