「自他交替」はつまらない?タイトルをめぐる攻防
今回のテーマは、自動詞と他動詞の関係、なかでも「自他交替」と呼ばれる現象です。冒頭で黒島規史先生が「自動詞と他動詞」とテーマを告げると、堀元さんはすぐに「つまんなそう」と反応します。
誰も見ないです。再生数8です、今日。
黒島先生が「自他交替から見える人間の死生観」と言い直すと、堀元さんの反応は一転して「なんか面白そう」に変わります。ただし、自動詞と他動詞から死生観が見えるという話には「それは無理でしょ」と半信半疑のままでした。
黒島先生は番組の監修者の一人で、約2年ぶりの登場です。前回の出演から准教授になり、専門は韓国語(朝鮮語とも呼ばれる)の記述研究 ── 特定の言語が実際にどう話され、どんな仕組みを持っているかを、データに基づいて詳しく記録・分析する研究。規範を示すのではなく、実態を明らかにすることを目指しますです。
自動詞と他動詞は黒島先生の専門そのものではないものの、以前研究の一環で調べたことがあり、今回はそこで得た知見と独自研究を紹介するといいます。人の本を読んで話すことが多い番組にとって、研究者本人の研究を聞ける貴重な回だと、二人は盛り上がります。
「を」が付けば他動詞?日本語の自他の区別
黒島先生はまず、日本語の自動詞と他動詞の区別を堀元さんに確認します。堀元さんの答えは、目的語を取るかどうかでした。「ドアを開ける」の「開ける」は他動詞、「ドアが開く」の「開く」は自動詞です。
黒島先生は、「を」を取るほうを基本的に他動詞と考えてよいと認めつつ、日本語ではそう単純ではないと話します。「山道を行く」「東京を生きる」「乱世を生きる」のように、経路などを表す場合にも「を」が使えるからです。
典型的な他動詞は、「ボールを投げる」「花瓶を割る」のように、「を」で示される名詞に影響を与えるものです。ところが「乱世を生きる」では、堀元さんの言うとおり、乱世には何の影響も与えていないように見えます。
さらに、典型的には自動詞とされる動詞が「を」を取るケースもあります。黒島先生は、歯医者さんの「口を開いてください」に加えて、「席を替わってください」や「犬が尻尾を垂れて歩いている」を例に挙げました。
「席を替えてください」だと自分だけ移動してる感じになるけど、「席を替わってください」だと割と入れ替えみたいなニュアンスになるかな。
「頭を垂れる」については、堀元さんが「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という表現を思い出し、「を」を取るのが自然に感じられると話します。こうした例があるため、日本語では自動詞と他動詞をきっぱり分けられないことが、研究上の問題になってきたそうです。
続けて黒島先生は、今回の鍵になる用語「派生」を紹介します。自動詞から他動詞を作ったり、他動詞から自動詞を作ったりすることを派生と呼びます。世界の言語を比べると、どちらが元になっているかに一定のパターンが見えてくるといいます。
たとえば「開く」と「開ける」なら、「開ける」のほうに形が足されているので、自動詞から他動詞へ派生したと考えられます。一方で「垂れる」と「垂らす」は、水野さんが言うように、どちらが先なのかがぱっとはわかりません。
凍るのは自然、割れるのは不自然?有標と無標
黒島先生は、類型論 ── 世界中のさまざまな言語を比べ、語順や文法の仕組みにどんな共通点や違いがあるかを分類・整理する言語学の分野で有名な研究者ハスペルマートの主張を紹介します。認知的に無標な出来事は言語の形でも無標になり、認知的に有標な出来事は言語の形でも有標になる、というものです。
有標・無標の説明には、再び「開く」「開ける」が使われます。ローマ字にすると「開く」は語幹AKに動詞を作る「う」が付いた形で、「開ける」はそこにERが加わっています。何も付いていないほうが無標、何かが付いているほうが有標です。
堀元さんはこれを無課金ユーザーと課金ユーザーにたとえ、アクセサリーが付いているほうが有標だと理解します。もっとも、すぐに「例いらないですね、多分」と自分で引き取っていました。
ハスペルマートの主張は、人間が世界を認識するときに「自然に起こりそうだ」と感じるほうが、言葉の形でも無標になりやすい、という傾向の指摘です。黒島先生は「凍る」と「凍らす」を例に挙げます。
凍るは自然に発生するから先に凍るがあって、多分冷凍庫発明されたら凍らせるも発明された。
水野さんも「揺れる」と「揺らす」を例に、風で木が揺れたり地震が起きたりするほうが先にありそうだと話します。そのロジックなら自動詞のほうが多そうだと堀元さんが言うと、黒島先生は「割る」と「割れる」を挙げました。
コップ放置してたらパキッて急に(割れることはない)。
コップは放っておいても勝手に割れないので、「割る」のほうが先にあったと考えられます。自然に起こる出来事は自動詞が元になり、人が手を加えて起こす出来事は他動詞が元になる、という対応がここで見えてきます。
凍る→凍らす、開く→開ける。自然に起こりやすい出来事
割る→割れる。放っておくと起こりにくく、人が手を加える出来事
「死ぬ」と「殺す」はなぜ別の単語?自他交替の5パターン
黒島先生は、自他交替のパターンを整理していきます。ここまでに出た「自動詞から他動詞」「他動詞から自動詞」に加えて、自動詞と他動詞の両方が有標になるパターンがあります。
両方が有標の例は「治る」と「治す」です。共通する「なお」の部分を取り出すと、「る」と「す」がそれぞれ付いていると考えられます。水野さんの言葉を借りれば、どちらかをベースにもう一方ができたのではなく、共通の部分から別々にできている形です。
反対に、両方とも無標なのが自他同形のパターンです。「ドアを開く」「ドアが開く」の「開く」や、英語の「The door is open」「I open the door」のopenが当てはまります。黒島先生によれば、ここでの有標・無標は、形の上でより余分なものが付いているかどうかという相対的な基準です。
そして5つ目が、対応しているのにまったく違う単語を使う補充法 ── 本来同じ語の変化形になるはずのところに、別の語の形を当てはめる現象。英語のgoの過去形がwentになるのが代表例ですのパターンです。堀元さんは、以前の英文法回で扱ったgoとwentの話を思い出しました。
日本語で補充法にあたるのが「死ぬ」と「殺す」です。黒島先生は、「殺す」を分解すれば「死んだ状態にさせる」ことだと説明し、ほかの言語ではこの2つが普通の自他交替のペアになっている例も多いと話します。
逆にだから日英しか知らなかったら、「死ぬ」と「殺す」が自他の関係になってるっていうことさえあんまり気づかないよね。
| パターン | 仕組み | 例 |
|---|---|---|
| 自から他 | 自動詞に形を足して他動詞を作る | 凍る→凍らす、開く→開ける |
| 他から自 | 他動詞に形を足して自動詞を作る | 割る→割れる |
| 両方有標 | 共通部分にそれぞれ別の形が付く | 治る・治す |
| 両方無標(自他同形) | 同じ形で自動詞にも他動詞にもなる | 開く、英語のopen |
| 補充法 | まったく違う単語を使う | 死ぬ・殺す、英語のdie・kill |
1日潰せる「最高のおもちゃ」、使役交替言語地図
黒島先生によると、ハスペルマートは21言語で31の動詞ペアを調査しました。この研究を発展させた国立国語研究所は、対象を95言語まで増やし、結果を地図にマッピングしています。それが、無料で公開されている『使役交替言語地図』です。
堀元さんは名前の硬さに「もうちょっとキャッチーな名前にできそう」と言い、「これを見れば世界の真実がわかる究極の地図」という案を出して、YouTubeのサムネイルの発想だとツッコまれます。
地図では、動詞ペアごとに各言語がどのパターンをとるかが色分けされ、左側の円グラフで割合も確認できます。Cは自動詞から他動詞を作るパターンで、「わく・わかす」ではCが72.6%を占めていました。
31のペアは、左ほど他動詞化しやすく、右に行くほど自動詞化しやすい順に並んでいます。一番右が「死ぬ・殺す」です。最初は「つまんなそう」と言っていた堀元さんも、地図を見るうちにすっかり夢中になっていきます。
堀元さんは、言語のパターンを国の本質と結びつければ地図はバズる、と冗談を言います。他動詞化する国は他責思考になりやすい、といった「めちゃくちゃな因果論」です。黒島先生は、それは一番やってはいけないことだと釘を刺しました。
地図を右へたどると傾向が変わっていきます。7番の「教わる・教える」では補充法を示す紫が急に増えます。韓国語でも「教わる」と「教える」はまったく違う動詞を使っているそうです。
16番の「始まる・始める」では、自動詞化のパターンが多くなります。地図の該当箇所をクリックすると語形が見られ、日本語の「始まる・始める」は、自動詞の「始まる」を有標と見て、自動詞化のパターンに分類されていました。
北海道方言と北秋田方言、つなぐはなぜ他動詞が元?
使役交替言語地図には、日本語の標準語だけでなく、北秋田方言や北海道方言も載っています。堀元さんの出身地である北海道方言の「始まる・始める」は、関東と同じ形でした。
一方で、北秋田方言では「始まらさる」という形が出てきます。堀元さんは、北海道方言でも「〜さる」はよく使うものの、「始まらさる」とは言わない気がすると話します。
少なくとも僕の感覚だと始まらさるとは言わない。押ささるとかは言うけど、始まらさるは言わないですね。
地図を先へ進めると、17番の「広がる・広げる」あたりから自動詞化が増え、「つながる・つなぐ」では自動詞化が44%になります。「つなぐ」という他動詞が元にあり、そこから「つながる」ができたと考えられます。
これも直感に合う、と堀元さんは話します。木と木が放っておいてつながることはないからです。水野さんが「バッグの中のイヤホンは勝手につながる」と言うと、堀元さんから「絡まるって言うじゃないですか」と返されていました。
6割が別の単語を使う「死ぬ・殺す」
31番目、最後のペアが「死ぬ・殺す」です。地図では、補充法を示す紫のSがほとんどを占め、6割ほどの言語が違う単語を使っています。ほかのペアで補充法の割合がここまで高いものはなく、「死ぬ・殺す」だけが突出しています。
黒島先生は、多くの言語が「死ぬ」と「殺す」に別の単語を使っていることから、人間はこの2つを認知的にまったく別のものと見ている、と考えてもよいのではないかと話します。これが冒頭の「死生観」の入り口でした。
僕らが平和だからかもしれないけど、おじいちゃん死んじゃったっていうのと、おじいちゃん殺されちゃったはさ、全然違うじゃない。
死のベースが他殺じゃないから、そのせいでかなり乖離があるように感じられるのかもしれないですね。
黒島先生も、動物を獲って食べることはあっても、人間に当てはめると「殺す」とは別に「死ぬ」がある感覚だと応じます。いきなり「死ぬ・殺す」だけを見てもわからないものの、ほかの自他交替のペアを見たあとだと、認知の乖離が違う単語に表れているのではないか、と考えられるといいます。
水野さんは、ハスペルマートがこれほど性質の違うペアをリストに入れたことに感心します。ハスペルマートの母語はおそらくドイツ語で、ドイツ語でも「死ぬ」はsterben、「殺す」はtötenと、まったく違う単語です。ヨーロッパの言語はほとんどがSでした。
韓国語だけがぽつんと残る「死ぬ・死なせる」
地図を見ていた水野さんは、韓国語の「死ぬ・殺す」が補充法ではなく、自動詞から他動詞を作るCになっていることに気づきます。日本語とよく似ていると言われる韓国語が、ここでは違う型をとっていました。
黒島先生によれば、地図上の韓国語は、補充法のパターンに囲まれて一人ぽつんと他動詞化のパターンになっています。堀元さんがズームアップすると、北海道のアイヌ語にもCがあり、「死ぬ・死なせる」の型になっていました。
韓国語では「死ぬ」がチュッタ、「殺す」がチュギダで、「チュ」の部分が共通しています。「イ」という接辞を付けて派生させており、「死ぬ」のほうが元にあるという点で、自然に起こるほうが無標になる流れに沿っています。
面白いのは、韓国語を専門にする黒島先生自身が、地図を見るまでこのことに気づいていなかった点です。韓国語を習ったときも、この2つが似ているはずなのに、そこに意識が向かなかったといいます。
水野さんは、この話に辞書を読む習慣を重ねます。面白い現象に反応するセンサーを事前にいくつも持っておかないと、何も引っかからないという話です。
水野さんは、面白い連語や、単語にくっついて新しい語を作る造語成分 ── 既存の単語にくっつけて、新しいひとまとまりの単語を作る部品のような要素。「〜的」「〜感」などが典型ですを見つけるとメモするそうです。例に挙げたのは「ビジネス好き」で、本当に好きなのではなく、好きと表明すると儲かりそうだから好きと言う、という意味です。
話はさらに、サポーターコミュニティで流行った「ゴママヨ」探しへと脱線します。「ゴママヨサラダ」のように単語の中で同じ音が連続する箇所を探す遊びで、「オレンジレンジ」は3文字が繰り返される例として盛り上がったそうです。
産む・生まれるは韓国語だと補充法?
本題に戻り、黒島先生は地図を見ながら「産む・生まれる」に目を向けたと話します。日本語では「産む」に対して「生まれる」が自動詞のように存在しています。形は受け身ですが、自動詞として働く特殊なペアです。
ところが韓国語では、「産む」がナッタ、「生まれる」がテオナダという動詞で、補充法に近い形になっています。語源をさかのぼれば共通する部分もあるものの、現代語では明らかに違う単語です。
ちょっと待って。復習すると、韓国語の死ぬ、殺すが補充法になってないんですね。
韓国語では「死ぬ・殺す」が補充法ではないのに、「産む・生まれる」が補充法になっている。黒島先生は、死が補充法になりやすいなら生も補充法になりやすいのではないか、と考えたといいます。
英語では、「生まれる」はbe bornです。「産む」を問われた堀元さんはしばらく考え込み、水野さんの助けでbearにたどり着きます。bornはbearの受け身形です。
黒島先生によると、人を産む場合、英語ではgive birth toを使うことが多いそうです。bearとbirthはさかのぼれば同じ語ですが、形が違うので、英語もやや補充法に近いと言えます。
22言語を一人で調査、スペイン語の「光を与える」
ここから黒島先生の独自研究です。国語研の地図は多くの研究者がデータを持ち寄ったものですが、今回の調査は黒島先生一人によるもので、鵜呑みにしないでほしいと前置きしました。調べたのは22言語で、似たタイプの言語、特にヨーロッパの言語が偏らないように、なるべく排除したといいます。
結論は、補充法的なパターンが多かったというものです。22言語中10言語が補充法的なパターンで、見方によっては、補充法を使わない日本語のほうが珍しいとも言えます。
特に面白かったのがスペイン語です。スペイン語の「産む」は「ダール・ア・ルス ── スペイン語のdar a luz。darは「与える」、luzは「光」を意味し、直訳すると「光に与える」「光を与える」。出産を表す慣用的な言い方です」で、「光を与える」という意味になります。
なんかそういう「生む」とかさ、デリケートな単語だからさ、婉曲表現が発達したのかもしれないよね。
水野さんは、トイレを「御不浄」「厠」と言うのと同じように、出産にも婉曲表現が発達したのではないかと考えます。英語で妊娠を表すexpectingも、pregnantより生々しさを抑えた言い方だと話しました。
黒島先生も、出産は血が出るなど生理的な面があるため、「死ぬ・殺す」とは別の理由で、婉曲的な補充法の表現が使われやすいのかもしれないと応じます。フランス語では「世界に置く」のような言い方をするそうです。
でも面白い。「光を与える」も「世界に置く」もなんかキリスト教感あるな。
一方で、調査の難しさもありました。人が人を産む場合と、卵を産む場合、動物が動物を産む場合で違う動詞を使う言語があり、辞書を引くだけでは判定できないといいます。しかもこの研究は論文化されておらず、この番組が最初の発表の場でした。
| 言語 | 産む | 生まれる |
|---|---|---|
| 日本語 | 産む | 生まれる(受け身の形の自動詞) |
| 韓国語 | ナッタ | テオナダ(別の単語) |
| 英語 | give birth to(bearも使う) | be born |
| スペイン語 | ダール・ア・ルス(光を与える) | 番組では言及なし |
水野さんは、日本語が「産む」は区別しない一方で、動物の「鳴く」は馬なら「いななく」と区別する点に触れ、何を区別するかは言語ごとに違うと話します。堀元さんも、子どもの頃から豚と豚肉がpigとporkに分かれていることが不思議だったと振り返りました。
死生観はあぶり出せる?「作る」と「授かる」の違い
堀元さんが、ここから国ごとの死生観をあぶり出すのかと尋ねると、黒島先生は「違いますね」と即答します。国ごとではなく言語ごとであり、しかも韓国語の話者と日本語の話者の違いも一概には言えない、という立場です。
期待を裏切られた堀元さんは「サムネ詐欺」と抗議します。水野さんは、黒島先生には研究者としての立場があるからこそ、ここからの妄想は堀元さんに託されたのだと焚きつけました。
堀元さんは、ほとんどの人が殺される世界なら「死ぬ」と「殺す」を分けなくても自然だろうと話し始めますが、そこから韓国は万人の万人に対する闘争の状態なのでは、という極端な飛躍に進みかけ、すぐに撤回します。
水野さんは、堀元さんの話の7割ほどには同意するとして、その言語圏での死因に占める他殺の割合との相関を見られたら面白いと話します。ただし、言語の形は現代よりずっと前に固まっているので、それだけで因果を言えるわけではないとも付け加えました。
黒島先生は、社会的な要因の影響を受けやすい語彙もある一方で、自動詞・他動詞のような基本的なものはなかなか変わらないと話します。仮説を確かめるには、あと5000年や6000年生きて経過観察してもらうしかない、というのが黒島先生の答えでした。
水野さんはさらに、専門家の黒島先生でも韓国語の「死ぬ・殺す」の対応に気づかなかったのだから、母語話者が普段それを意識しているとは限らない、と指摘します。言語の形がそのまま話者の意識を映しているとは言い切れないという慎重な見方です。
堀元さんは同じ論法を「産む・生まれる」に当てはめ、シオランの生誕の災厄 ── ルーマニア出身の思想家シオランの著作。生まれてきたこと自体を災いとみなす、厭世的な思索を断章形式でつづっていますや反出生主義 ── 人が子どもを産むことは倫理的に悪いとする考え方。生まれる側は同意できないまま苦しみを負わされる、という議論がよく挙げられますを持ち出しますが、「韓国語はシオランをベースに生まれた」という結論は水野さんに即座に否定されました。
それでも水野さんは、今の社会にも似た現象があると話します。子どもを「作る」ではなく「授かる」と言うべきだという人がいるのは、価値観が言語形式に表れている例ではないか、という指摘です。
他動詞的。意志をもって狙いどおりにできる行為として捉える
自動詞的。自然に持つもので、自分たちでは操作できないものとして捉える
堀元さんは、イデオロギーと言語の関係は妄想する分には面白いと話します。黒島先生は最後に、「死ぬ・殺す」や「産む・生まれる」を見ると、人間が世界をどう切り取っているか、誕生をどれほど特殊なことと捉えているかが見えてくるとまとめました。
収録前に使役交替言語地図を開いておくよう言われたときは帰ろうかと思ったという堀元さんも、終わってみれば「めちゃくちゃ面白かった」と振り返ります。最後は黒島先生に促されて、両親に「産んでくれてありがとう」と感謝を述べて締めくくりました。
まとめ
この回は、自動詞と他動詞の「自他交替」という地味に見えるテーマから、世界の言語が「死ぬ・殺す」「産む・生まれる」をどう表し分けているかまで話が広がりました。ただし黒島先生は、言語の形から国や話者の死生観を断定することには一貫して慎重な姿勢を示しています。
- 自他交替には、自から他、他から自、両方有標、両方無標、補充法の5パターンがある
- 自然に起こる出来事ほど無標の形になりやすい、というハスペルマートの指摘がある
- 使役交替言語地図では「死ぬ・殺す」の約6割が補充法で、韓国語とアイヌ語は例外的に自他交替の型をとる
- 黒島先生の独自調査では、「産む・生まれる」は22言語中10言語が補充法的で、婉曲表現との関係も考えられる
- 言語の形が話者の意識を映しているとは限らず、死生観との結びつけは仮説にとどまる

