つまらない数字くじが、なぜ日常を面白くするのか
この回のテーマは、認知科学でいう「プロジェクション」です。ゲストは、推し活や陰謀論、オレオレ詐欺、霊感商法にハマる仕組みをこの概念で解説する新書を書いている、久保(川合)南海子先生です。
久保先生の著書は『「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』と『イマジナリー・ネガティブ 認知科学で読み解く「こころ」の闇』の2冊で、堀元さんは「推し活から陰謀論まで語ってくれる」研究者だと驚きます。
この回は前回の続きです。前回、水野さんは、フィリピンの数字くじと、写真家の大山さんのジャンクション写真集が、プロジェクションという認知能力でつながると話していました。
水野さんの整理では、プロジェクションとは、ある対象Aを全然違うBに当てはめて捉える心の働きのことです。
水野さんが本『日々賭けをする人々』を読んで感じたのは、フィリピンの数字くじは、現実世界へのプロジェクションを促す舞台装置だったのではないか、ということでした。
当選番号の、何が出たのかとか、どこの誰がどの番号で当たったのかみたいな話が、日常の雑談で出てくるみたいなんですね。
著者自身も、あまり仲良くない人に誕生日を覚えられていたそうです。数字くじがあるから、世界の数字に意味がつき、近所の人の誕生日まで話題になるわけです。
数字くじは世界の数字に対してプロジェクションをする動機をつけるとともに、人々との社会的な交流も促す、めっちゃいいゲームというか。言うたら酵母みたいな感じ。
水野さんは、数字くじそのものは変化しないのに、周囲の人々の何かを呼び起こすという意味で「酵母」にたとえています。
堀元さんは、人の誕生日をすぐ覚える林家ペーさん(パー子さんかどうかで二人が迷う一幕もありました)を持ち出し、「フィリピンで数字くじをやっていたのでは」とボケて、場を和ませます。
推しの誕生日を祝うのに、クリスマスはただの平日?
林家ペーさんの話を振られた久保先生は、認知科学的にはわからないとしつつ、誕生日はやはり特別な数字だと答えます。オタクはキャラクターの誕生日が大好きで、とにかくよく覚えているそうです。
久保先生自身、中学生の頃から漫画・アニメの「ガチオタ」だと明かします。今はやらないものの、中学生なら本人不在の誕生日会を絶対にやっていた、と笑います。
久保先生の説明では、キャラクターの誕生日は、架空の存在が「現実の誕生日」というリアルな記号と結びつくことで、強いリアリティを持つ日になります。だから誕生日は「月32日」のようにはせず、実在する日付にするのだそうです。
実際には何も起きてない日なのにも関わらず、このキャラクターが生まれた日なんだという、まあ自分の認知を投影しているってことですね。
久保先生は、生まれてもいないキャラクターを、本人不在で、しかも年を取らないのに祝うのは「めちゃくちゃプロジェクション」だと話します。プロジェクションとは、外界のリアルなものに自分で強く意味づける心の働きだ、というのが先生の考えです。
堀元さんが、架空の誕生日をいくつも設定するキャバ嬢の話を振ると、久保先生はそれを「プロジェクションを促している」と真面目に返します。さらに、詐欺師もプロジェクションを操作するから詐欺が成立する、と付け加えます。
一方で、水野さんは誕生日を「365分の1」くらいに思っていて、クリスマスに男女が会う習慣もよくわからないと言います。
意外にも久保先生も、推しているもの以外にはプロジェクションしていないので、クリスマスは「ただの12月25日」だそうです。学生時代はずっとバイトをしていたといい、ただし子供のためにはちゃんと祝うと付け加えます。
自分の興味あるものにはめっちゃしっかりこだわるけど、そうじゃないものはどうでもいい。だから水野さんってそうじゃないですか。
久保先生は、日本でクリスマスを祝うなら4月の灌仏会(花祭り)もちゃんと祝うべきだと熱弁し、堀元さんから「めんどくさい人感」を指摘されて涙目になる場面もありました。
話は数字くじに戻ります。水野さんによれば、フィリピンの数字くじは2桁の数字すべてが対象なので、スタジオのタイマーでも車のナンバーでも、日常のあらゆる数字が意味のある数字に変わります。
水野さんの知り合いの数学者は、走る車のナンバーが素数かどうかを確かめてテンションを上げるそうです。久保先生の夫と子供も、銭湯で素数のロッカーを探し、ナンバー4桁で10を作る「メイクテン」もよくやるといいます。
僕ん家の前に止まってる車がいつも一緒だから、番号覚えてただけでした。
メイクテンがやけに速く解けるようになったと思ったら、家の前の車の番号を覚えていただけだった。堀元さんのこの話には、さすがに誰も意味を見出せませんでした。
数字と色は「具体的で抽象的」だから推せる
水野さんは、世界中のくじが数字である理由もプロジェクションで説明できると考えます。もし「ジャンクションくじ」があっても、ジャンクションは日常に少ないので、意味を見出す余地が小さいからです。
久保先生は、数字には非常に具体的でありながら、すごく抽象的でもあるという両面があり、それがプロジェクションを促す要素だと話します。
推し活のグッズでも、キャラクターそのものの商品だけでなく、色が一致していたり、形が何かを彷彿とさせたりする「概念推し」があります。久保先生は、プロジェクションは余白の中でなされると説明します。
余白が狭く、ピンポイントで投影するしかないため、プロジェクションの幅が出にくい
いろいろなものを受け入れられ、人によって少しずつずれた投影が重なり合う面白さが生まれる
久保先生が紹介した例が、魔法瓶の会社の水筒です。推し活のために色つきの水筒がよく買われ、ファンの要望で新しい色が出ると、その色をメンバーカラーに持つ、さまざまなグループのファンが一斉に喜んだそうです。
とある男性アイドルの赤のメンバーを推してる人と、その鬼滅の刃の煉獄さんを推してる人が同じ色のものを、同じものを買う可能性がある。
堀元さんは、自身のメンバーカラーである紫のリュックを例に挙げます。学歴詐称で話題になった伊東市の市長も同じリュックを背負っていたため、街で見かけても、堀元さん推しなのか市長推しなのかわからない、と笑います。
久保先生によれば、紫のカバンをただのカバンと見るか、メンバーカラーを意識していると見るかは、見る側の知識やイメージ次第です。マーケティングの分野からは、プロジェクションの視点についてよく質問されるそうです。
水色の靴と団地の写真集、誰もしていないプロジェクション
久保先生は、スタジオに置かれた水色の靴に目を留めます。水野さんの「水」から、水色は水野さんのメンバーカラーではないか、ならばあの靴は水野さんのものか、と考えたそうです。
実際には堀元さんの靴だったので、久保先生の中では「堀元さんが水野さんのメンバーカラーの靴を履いている」という話になり、靴とカバンひとつからも情報がたくさん楽しめる、と話します。
堀元さんは、久保先生がクリスマスのイルミネーションに乗れないのは、プロジェクションを押し付けられるのが嫌だからではないかと指摘します。久保先生も「今初めてわかった」と納得します。
水野さんは、この「押し付け」の視点が大事だと受け止め、自分が大山さんの写真集を好きな理由につなげます。大山さんはジャンクションのほか、工場、団地、高架下建築の写真集も出しています。
団地の写真集には、ピンク色の団地について、身長175センチの女の子がロリータファッションをまとったかのようなギリギリな感じがあり、飛び出した庇もフリルに見える、というキャプションがあるそうです。
水野さんによれば、大山さんのもう一つのポイントは、鑑賞されるために作られていないものを鑑賞していることです。住むためや路線を変えるために作られたものに、誰もまだしていないプロジェクションをしている点が、水野さんの「癖に刺さる」のだといいます。
水野さんは、戦う相手がいない場所で自分から受け身を取って楽しんでいる、という意味でこの言葉を使っています。
堀元さんは、ねじれたビルを見るたびに「仕事はできるが部下に厳しい、銀縁メガネのいけすかないインテリ」を想像するそうです。久保先生も水野さんも共感しませんでしたが、久保先生は、わからなくても他人のプロジェクションが見えるのは面白いと話します。
駅も漢字も擬人化、何にプロジェクションするかに個性が出る
堀元さんは、青春18きっぷで旅をするなかで駅にも個性を感じてきたといいます。北海道の岩見沢駅は、お金持ちで上品なマダムのような「貴婦人」だそうです。
久保先生は、ゲームや漫画の擬人化も完全にプロジェクションだと話し、ヘタリアやウマ娘を例に挙げます。水野さんも刀剣乱舞を加えます。
水野さんは、漢字を擬人化することがあるといいます。下の画数が多く重心の低い漢字はどっしりして見えるので、字を書くときにシルエットを楽しむのだそうです。
細いっていう漢字なんて全然細くないですからね。
水野さんは、今の会社の面接で好きな漢字を聞かれ、「鬱」を挙げたそうです。上半身がミチミチなのに右下は三角しかなく、壺なら右に倒れそうな不安定さがある、と話してウケたといいます。
久保先生は、字の形と意味のイメージの関係は、認知科学者がいかにもやりたがりそうな実験だと興味を示します。そして、何にプロジェクションするかには、その人固有の個性がすごく出ると気づいたと話します。
そこから水野さんと堀元さんは、マッチングアプリに「何にプロジェクションしているか」を書く欄を作ったらどうかと盛り上がります。
お仕事何されてるんですか?じゃないですね。
週末何にプロジェクションしてるんですか?ですよね。これがいいですよね。
純度の高いプロジェクションと「100日後に死ぬワニ」炎上
水野さんは、プロジェクションには「純度」があるのではないかと提案します。商業的に仕向けられたものへのプロジェクションは純度が低く、プロジェクションされることを想定していないジャンクションや工場へのプロジェクションは純度が高い、という考えです。
僕はプロジェクションって最も純度の高い趣味でもあると思う。人生の主導権を自分が握るという意味で。
久保先生は、オタクの話に戻り、オタクは「感動させられている」「乗せられている」という感覚を本当に嫌がると話します。その例が「100日後に死ぬワニ」です。
久保先生の説明では、Twitterで自然発生的に盛り上がっていたところに、最後に商業的な展開が来たことで、「私たちの感動は作られていたのか」という感覚が生まれ、アンチがたくさん出てきました。熱量はそのままに反転したのだといいます。
消費してもらう前提で作られた商業的なものへの投影。主導権が相手に握られていて、作られた感動だと気づくと反転しやすい
ジャンクションや工場など、投影されることを想定していないものへの投影。主導権がプロジェクションする側にある
久保先生は、オリンピックやチャリティー番組の感動のさせ方が難しいのも、自発的かどうかが効いているからだと考えます。水野さんは、もしジャンクション側が大山さん向けに作り始めたら、大山さんはキレるだろうと言います。
堀元さんは、生き物を擬人化したくなる癖の例として、以前ダンゴムシの恋愛シミュレーションゲームを作ろうとした話をします。ダンゴムシのオスは繁殖効率の都合で交尾済みのメスを避け、さらにボルバキア ── 昆虫などに感染する細菌の一種。感染した宿主の性や生殖に影響を与えることが知られており、オスをメス化させる例もありますに感染したオスはメスになることがある、という生態に物語性を感じたそうです。
ところが、ヒロインのイラストを「ダンゴムシらしい黒髪で青白い肌」と発注した結果、不健康そうな顔が届き、シナリオを書くうちに気が滅入って途中でやめてしまったといいます。
プロジェクションされるの待ちで進化するわけないじゃん、ダンゴムシが。
久保先生は、意図がほとんど感じられない無機質なものや生き物は、こちらが100パーセント働きかけなければならないぶん、プロジェクションのしがいがあるのだと話します。
アブダクション、アナロジー、そして「プロジェクション芸人」
久保先生は、以前の回で水野さんと堀元さんが面白がった議論は、プロジェクションというよりアブダクション ── 観察された不思議な事実を説明できそうな仮説を立てる推論。論理的に正しいとは限りませんが、発見や学習に役立つと考えられていますの部分が大きかったのではないかと話します。物語を見出す働きの根底にアブダクションがあり、アブダクションで得たものがプロジェクションされる、という関係です。
Aっていう不思議な事象があって、それはBっていう理由があれば合理的に説明ができる。なのでBであろうっていう推論形式が典型的なアブダクションですね。
久保先生の説明では、団地を見て「これは少女ではないか」と仮説を立てるのがアブダクションで、その仮説を実際の団地の姿に重ね合わせるのがプロジェクションです。ダンゴムシの生態を仮説にし、ゲームという物語に落とし込むのも同じ構造だといいます。
対象を見る
ピンク色の団地や、ダンゴムシの変わった生態に出会う
アブダクション
「これは少女ではないか」「人間がやったら面白いのでは」と仮説を立てる
プロジェクション
仮説を実際の団地の姿やゲームの物語に重ね合わせる
水野さんは、新入社員時代に上司から「世界はそもそも面白いから、自分たちの仕事は世界の面白がり方を提示することだ」と言われたそうです。その例として、時事芸人のプチ鹿島 ── 新聞の読み比べや政治、プロレスを題材にした時事ネタで知られる芸人・コラムニストさんを挙げます。
プチ鹿島さんは、政治とプロレスが好きなのは「人事が好きだから」で、人事が極端に表れるのが政治とプロレスだと話しているそうです。水野さんは、人事という枠組みを投射して政治を見るのはプロジェクション的ではないかと尋ねます。
久保先生は、それはまさに認知科学でいう類推、つまりアナロジーだと答えます。全然違うAとBに共通点を抽出し、構造や意味や関係性が同じだと見るのがアナロジーで、Aを見てBだと当てはめる部分がプロジェクションです。
久保先生は、アナロジーの有名な例として、ケクレが夢で尾を噛む蛇を見てベンゼン環の構造を思いついた話を挙げます。蛇とベンゼン環が似ていると思うのが類推で、蛇にベンゼン環を当てはめるのがプロジェクションです。
そして久保先生は、堀元さんはいろいろなところで類推しているので、プロジェクションが好きなはずだと指摘します。
面白喩えを出すことが僕の仕事なんですみたいなことよく言ってるから。で、アナロジーを意識していつもやってたんで、それプロジェクションだって聞いたら、じゃあプロジェクション芸人ですよ。
堀元見はプロジェクションのプレイングマネージャー?
水野さんは、認知科学者の先生たちがゆる言語学ラジオに付き合ってくれるのは、番組が認知科学的に面白いこと、つまりプロジェクションをしているからかもしれないと考えます。
久保先生は、比喩もプロジェクションだと話します。イメージが共有されていないと比喩は機能せず、機能したときに意味や構造がわかりやすく伝わるのだといいます。
堀元さんは、うまくいっていない例えを集めるのが好きです。久保先生はそれを「プロジェクション不全」と呼びます。
マンションも下の方が外に出るのに早いから下の方から埋まっていきますよねって書いてあって。いや、タワマンは上の方から埋まるけどなと思って。
量子コンピューターの入門書で、電子のエネルギー準位をマンションに例えていた一文です。久保先生は、書き手がタワーマンションの持つイメージをうまく把握できていない例だと解説します。
久保先生は、堀元さんのnoteを定期購読しているそうです。読むたびに「またプロジェクションしている」と思うのだといい、なかでも有名人そのものではなく、周りの人がその人にどうプロジェクションしているかを分析する点が好きだと話します。
自分でプロジェクションのプレイヤーでもありつつ、他人のプロジェクションもマネジメントしてるみたいな。プレイングマネージャーみたいな状態なわけですね。
久保先生自身は、オタクの二次創作を見て、人々がどんなプロジェクションをしているかを見るのが好きな「プロジェクションウォッチャー」だそうです。
水野さんは、久保先生から聞いた話として、インターネット芸人もプロジェクション的だと紹介します。周りから自分がどう見られているかに合わせて振る舞うのは、自分にされているプロジェクションを自分で演じることだからです。
久保先生は、紫のリュックをメンバーカラーとして出すのも「ここにプロジェクションしてください」という指定だと話します。イメージと現実が重なるところに強いリアリティが生まれ、ファンはそれを喜ぶのだといいます。
ただ水野さんは、堀元さんが「こいつにはこれを言っておけばいい」と振られると、逆のことを言う逆張りもすると指摘します。
あだ名、悪口、ものまね。序列を作り変えるプロジェクション
水野さんは、紫のリュックは「誘いプロジェクション」、商業主義的なプロジェクションだと断じます。堀元さんは、以前の回で水野さんに「今お前の側と喋ってねえんだよ、コアで喋れよ」と言われたことを思い出し、あれは「プロジェクション剥がし」だったと気づきます。
久保先生は、インターネット芸人やアイドルだけでなく、普通の人も、親にとっていい子でありたい、あるいは反抗してみるといった形でプロジェクションを生きていると話します。
ここで水野さんは、プロジェクションの負の面に話を移します。純度の高いプロジェクションを無批判に称揚してきたが、それは束縛など人の支配にもつながりうる、と。久保先生は『イマジナリー・ネガティブ』でその点に警鐘を鳴らしています。
久保先生によれば、陰謀論や霊感商法は、ハマっていない人には荒唐無稽でも、ハマっている人には整合性のある世界になっています。プロジェクションが他者によって操られていることが問題なのだといいます。
堀元さんは、岸田文雄元総理大臣につけられた「増税メガネ」というあだ名も、根拠のないプロジェクションではないかと指摘します。水野さんは、岸田さんはむしろ定額減税をしていたと補います。
一方で水野さんは、和泉悠先生の『悪口ってなんだろう』にある「悪口とは世界の序列を言葉で作り変えること」という考えを紹介します。政治家にあだ名をつけるのは悪い面もあるが、「お前の序列の並べ方には従わない」という意思表示でもある、と話します。
久保先生は、学校の先生のものまねも、普段は馬鹿にできない相手を笑いの対象にして序列を変えているのかもしれないと話します。論文ではハリウッドザコシショウさんの誇張ものまねにも触れ、ものまね芸人のものまねを見て練習しているという小学生新聞のインタビューを引用しているそうです。
水野さんは、似顔絵作家の山藤章二さんが「似顔絵とは決めつけによる批評である」と書いていたと紹介します。堀元さんはそこに、寺田寅彦のエッセイ「漫画と科学」をつなげます。
実際には現実はもっと複雑なのに、この物が落ちてくるものを最も単純化するとこうなるよねってことをやってて。で、漫画も全く一緒で、この人って鼻大きいなって思ったら、その鼻が大きいっていう情報だけを切り出してきて、他のところ割とどうでもよく描く。
| 営み | 切り出すもの | 話の中での位置づけ |
|---|---|---|
| 先生のものまね | 権力者の特徴 | 誇張して笑うことで序列を変える |
| 似顔絵 | 顔の一部の特徴 | 決めつけによる批評 |
| 科学(物理) | 空気抵抗などを除いた法則 | 現実を単純化して定式化する |
| 漫画 | 鼻が大きいなどの目立つ情報 | ほかは簡略化して描く |
水野さんは、チョムスキー ── アメリカの言語学者。人間が生まれつき持つ文法の仕組みを探る「生成文法」を提唱し、現代言語学に大きな影響を与えましたが生成文法で実際の発話を無視したのも大胆な切り出しだと話します。久保先生は、どこを選び取るかに批評的な姿勢や本人の価値観が出るのがプロジェクションの面白さだとまとめます。
何でもプロジェクションと言えるなら、科学的価値はどこに?
何でもかんでもプロジェクションって言えてしまうのって、それはモデル化として科学的な価値がどこにあるのかっていうのはちゃんと最後に聞いておきたいと思っていて。
久保先生は、そこは認知科学でも批判されるところだと認めます。プロジェクションを提唱した鈴木宏昭先生は、プロジェクションは一つの概念、考え方であり、細かく検証する理論というより、視点の方向性として持ち出したものだと話していたそうです。
堀元さんは、地政学 ── 地理的な条件から国際政治や世界情勢を考える学問・ものの見方の入門書にも「厳密な学問というより、ものの見方として持つと武器になる」と書かれていると重ねます。久保先生もそれに近いと答えます。
久保先生によれば、すべてをプロジェクションで説明したいのではありません。類推やアブダクションなど、これまで提唱されてきた概念をプロジェクションの枠組みに入れると、それぞれが心と現実を結ぶどこで働いているのかが明確になる、という整理の枠組みだといいます。
水野さんが、その大きな概念を流行らせたい理由を尋ねると、久保先生は、自分で世界を意味づけていける働きが人間にはあると知ってほしいからだと答えます。だから専門書ではなく新書を書いているそうです。
久保先生は、堀元さんのようにプロジェクションしているのに気づいていない人が、「これもプロジェクションなんだ」と気づけば、もっと面白くなるはずだと話します。
実写化を見ないファンと、プロジェクションの固定・破壊
堀元さんは、トークイベントのレポート漫画で二人がイケメンに描かれると、それを嫌がるファンもいると話します。水野さんも、一人でメディアに出ると、知的に話しているのにコメント欄で「この人足が臭い」と書かれるそうです。
僕が外部媒体でゆっくりと知的に喋っていても、その状態で固定されるの嫌だから、コメント欄でバランス取ってるっていうことだと思います、多分。
久保先生は、これを漫画や小説が実写化されたときのファンの行動と同じだと指摘します。久保先生自身、『ゴールデンカムイ』が本当に好きなので実写は見ていないそうです。素晴らしいのはわかっていて感想も見るけれど、自分のイメージのままでいいのだといいます。
水野さんは、友人のなかにもこの番組を見られない人がいると話します。普段の水野さんとのずれが嫌なのだそうです。
人間って実際はいろいろな面があって、人によってペルソナを変えているのにも関わらず、なんか一つのように留めたいってすごいエゴイスティック。
久保先生は、人間関係を安定させるには、なるべく固定されたイメージで付き合うほうが楽だからではないかと答えます。堀元さんは、カラオケ友達とは安定しているのに、職場の集まりのカラオケでは急に難易度が上がる感覚にたとえます。
水野さんは、友人に「1か月スマホと本を絶って瞑想してこい」と勧められたのに、気難しくなったら付き合いをやめるかもと言われたそうです。久保先生は、知らないものは恐怖で、知っている人が知らない面を出すのは怖いのだと話します。
ただ久保先生は、なぜそうなったのかを物語として伝えられれば、変わった相手も受け入れられるはずだと補います。
堀元さんは逆に、ネット上で周りのプロジェクションに縛られないよう、あえて壊しに行くことがあるといいます。翻訳家の山形浩生さんのように、説明を省いてバッサリ切る記事をnoteで書いたところ、いつもより売れた一方で、コメント欄がかなり荒れたそうです。
いつもの芸風で記事を書き、読者のプロジェクションが固まりつつある
説明を省いた独善的な記事にしたところ、いつもより売れたが、コメント欄は荒れた
だから結局みんなからのプロジェクションが固まりきる前にたまに壊しておかないと。
ラバーハンド、絵踏、アダルトVR。検証できるプロジェクション
水野さんは、プロジェクションは枠組みだとしても、仮説を立てて論文にできるのかと食い下がります。久保先生は、頭の中のイメージは捉えにくいが、体と結びついたプロジェクションは検証しやすいと答えます。
水野さんが挙げたのは、東大の鳴海先生のVR研究です。何もない無地のクッキーに、VRゴーグルでチョコレートクッキーの映像を重ねると、味の感じ方が変わるかを調べるものです。
久保先生はラバーハンド ── ゴム製の手の模型を使う錯覚実験。本物の手を隠して模型と同時に筆でなでると、模型を自分の手のように感じるようになりますの実験を紹介します。ゴムの手を自分の手のように感じると、ゴムの手を叩かれただけで体がビクッと反応するそうです。
人の中のイメージは捉えにくく、実験で検証しづらい
VRのクッキーやラバーハンドのように、感覚や体の反応として実験で確かめられる
水野さんは、この話で「だから文系の学問はふわっとしている」と言われるのを心配します。久保先生はもともと、老齢の猿を対象に実験論文を書いてきた実験心理学者です。検証はしっかりやるべきだとしつつ、実験では検証しきれない部分もプロジェクションに含めたいと話します。
久保先生が「プロジェクションの行動実験」だと考えるのが、江戸時代の絵踏です。キリシタンでなければただの木の板でも、キリシタンには信仰やキリストが投影されているので踏めません。
やがて、心の中にキリストを持っていれば踏んでもよいという考えが生まれます。久保先生によれば、キリシタンは踏んだあとに祈りを捧げることで、自分の行動をもう一度プロジェクションし直していたのだといいます。
堀元さんは「直感を裏切るプロジェクション」の例として、男優視点のアダルトVRを持ち出します。自分の体に近い視点のはずなのに、男優の体型が自分と少し違うだけで没入できず、かえって三人称視点のほうが没入できたそうです。
久保先生は、これも余白の問題で、不気味の谷 ── 人間に似せたロボットやCGが、似すぎているのに少しだけ違うと、かえって不気味に感じられるという現象と同じだと説明します。いっそ触手の視点にしてみては、という提案に、堀元さんは本気で作ると乗り気になります。
最後に水野さんが、数字くじから大山さんの写真集、プロジェクションの純度や主導権まで振り返ります。堀元さんは「ハマってきました」と話し、打ち合わせで「堀元さんにプロジェクション好きと言わせるまで帰らない」と言っていた久保先生の推し活は成功に終わりました。
久保先生は、ポジティブな面を書いた『「推し」の科学』と、ネガティブな面だけを書いた『イマジナリー・ネガティブ』を表裏で読んでほしいと話します。さらに、亡くなった鈴木先生の原稿を夫の川合伸幸さんがまとめた『心と現実』と、実験系の論文も載る『プロジェクション・サイエンス』を紹介し、この4冊でプロジェクションの専門家になれると締めくくりました。
まとめ
プロジェクションは、外界のものに自分で意味を重ねる心の働きです。数字くじや推しの誕生日のように日常を豊かにする一方で、他者に操られると陰謀論や詐欺にもつながります。だからこそ、何に、誰の主導で投影しているのかを意識することが、この回の大きな持ち帰りと言えそうです。
- プロジェクションは、対象Aに全然違うBを当てはめ、外界のものに自分で意味づける心の働き
- 数字や色は具体的で抽象的でもあり、余白が広いので投影しやすい
- 商業的に仕向けられた投影は、作られた感動だと気づくと反転しやすい
- 陰謀論や霊感商法は、プロジェクションが他者に操られることで起きる
- プロジェクションは類推やアブダクションを整理する枠組みで、体と結びつく部分は実験でも検証されている



