古典嫌いがなぜ文献学者になったのか
蔦先生は文献学と国語学を専門にしています。二人は「中学生の頃から源氏物語を読み込んでいたオタクがそのまま学者になった」という姿を想像していました。けれど蔦先生の答えは「中学の頃は古典は好きじゃなかった」というものでした。
中学時代の蔦先生が夢中になっていたのは、当時流行していたゲームブック ── 読者が選んだ選択肢に応じて指定のページへ進み、物語が分岐していく本。1980年代に日本でも流行しましたです。読むだけでなく、自分で書くこともあったといいます。
蔦先生は北海道の出身です。古典の舞台はほとんどが京都や奈良などの関西なので、北海道の学生には身近なとっかかりがなく、古典や日本史に「ハンデ」があったと振り返ります。高校では日本史を避けて世界史や地理を選び、得意科目は数学でした。
大学は文学部に進みましたが、当初は哲学に関心を持っていました。古典の物語には入り込めない一方で、言葉そのものには興味があり、古典の文法は嫌いではなかったといいます。
堀元さんも、古文の物語には入り込めなかった一人です。英単語は語源まで調べるほど好きだったのに、古語はまったく覚えなかったと話します。
センター試験っていう、今でいう共通テストの古文の点数が50点中17点だったんですけど、その敗因は単語を一切覚えてなかったってことだったかなと。
「ぞ」も「なむ」も「こそ」も強調、で納得できるか
文法には興味があった蔦先生ですが、学校文法を好きだったわけではありません。蔦先生の不満は「もっとちゃんと説明してくれ」という点にありました。
例に挙がったのは係り結び ── 文中の「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」などに対応して、文末の活用形が連体形や已然形に変わる古文の決まりです。学校では「ぞ」も「なむ」も「こそ」も強調だと習います。形が違うのに、何が違うのかは誰も説明してくれませんでした。
堀元さんは、推量の助動詞が多すぎることや、「べし」に6つもの意味を持たせていることに腹が立ったといいます。語呂合わせの「スイカ止めて」で覚えたものの、自分で語源をたどって「べし」だけは納得できました。ほかの語は納得できず、すぐに諦めたそうです。
同じ違和感から、二人は反対の方向へ向かいました。蔦先生は、1つの形に複数の意味があるのは仕方がないと考えていました。許せなかったのは、形が違う語を同じ説明で済ませることです。
同じ「強調」なら形は1つでいい。言語の側を削れという発想
形が違うなら違いを説明してほしい。説明の側を増やせという発想
蔦先生は、この気持ち悪さが原体験になったと語ります。打ち合わせでは「恨み」という言葉まで使っていました。
学校文法にある「大人の事情」とは
一方で蔦先生は、学校文法には学校文法の事情があるので、悪く言うのも違うと考えています。たとえば学校文法では、現代語の文法を古典語の文法とつなげる必要があります。未然形を古文と現代文の両方で習うのはそのためです。
さらに、現代語の文法の基礎は小学2年生から始まります。蔦先生の娘さんも、主語と述語を習っていたそうです。小学2年生にもわかる体系にしなければならない、という制約があります。
ここで二人は、娘さんに生成文法の用語で主語を説明する父親のコントを始めました。蔦先生自身は生成文法の立場ではありません。言いたくなるのは三上章 ── 日本語に主語は不要だとする「主語廃止論」や、主題の「は」の研究で知られる文法学者三上章のような主題の話ですが、ぐっと我慢しているそうです。
学校文法への引っかかりの例として、主語の教え方も挙がりました。「犬が走る」の主語を、学校では「犬」ではなく文節の「犬が」と習います。
文節単位で考え、「犬が」を主語とする
名詞「犬」にガ格が付き、その名詞に主語というラベルが与えられると考える
蔦先生は、学校文法はさまざまな解釈の1つにすぎないと後から知ってもらえればいい、と話します。中高生は教わった通りにやればいい、というのが蔦先生の考えです。大人には、学校で習ったことを見直す楽しみがあるとも述べています。
古典の助動詞の話では、過去を表す「き」と「けり」が話題になりました。「き」は直接体験、「けり」は伝聞の過去として使い分けられていたという説明です。
これ意外だよね。現代語の方が細かく言い分けるの得意になってそうだけど、結構逆でむしろ合流しちゃっている。
源氏物語は一言で言えるのか
ここから本題として、古文が苦手な二人が蔦先生に疑問をぶつけていきます。二人は、古典文法が教育に不要だと言いたいわけではない、と念を押しました。そのうえで、源氏物語の話が面白いと思えなかった、漢文の逸話のほうがはっきりしていて面白かったという本音を口にします。
源氏物語がどういう話かを問われた蔦先生は、専門家が大勢いる複雑な作品だとして、1つのストーリーに要約することは避けました。そのうえで、あまり意識されていない側面を挙げます。
1つ目は、予言成就の物語という側面です。光源氏は生まれたとき、高麗から来た人相見に将来を予言されます。子の1人は帝に、1人は臣下で最高位に、娘は天皇の母になるという予言で、どれもその通りになります。
2つ目は、貴種流離譚 ── 高貴な生まれの人物が都を追われて各地をさすらい、やがて栄達や帰還を果たす物語の類型という側面です。光源氏は京で生まれ、須磨に流されて明石に移り、京へ戻って栄華を極めます。
京で誕生
高貴な生まれとして京に生まれる
須磨へ
都を追われて流される
明石へ
さらに移り住む
京へ帰還
戻って栄華を極める
もちろん恋愛の物語でもあります。また、光源氏のために不幸になっていく女性たちの物語でもあります。蔦先生は、この短い説明でも専門家の顔が浮かんでヒヤヒヤすると笑っていました。
専門家でも平安の物語はすらすら読めない
意外なことに、蔦先生は平安時代の物語をあまり面白いとは思っていません。むしろ「難しい」と感じています。平安の物語や日記は蔦先生の専門の中心ではないため、注釈書や現代語訳、辞書と照らし合わせながら読んでいるそうです。見開き2ページに3分ほどかかるといいます。
堀元さんは、平安文学の著作がある山口仲美先生山口仲美の言葉も紹介しました。山口先生は、源氏物語をすらすら読めるわけではなく、わからなくて悔しい思いばかりだと話していたそうです。
僕はてっきり研究者、そのトップクラスの人は、もう完全に平安時代の時代背景が頭に入ってて、スラスラ読める人ばっかりだと思ってたけど、そうじゃないっていうことなんですね。
古文より漢文がわかりやすいのはなぜか
蔦先生は、平安の物語が難しい理由を文章の作りに求めます。今の書き言葉は、主語を補うなどして整えられています。ところが平安の物語は台本のようなもので、話し言葉がそのまま書かれているため、主語の省略も多く読みにくいのです。
一方、漢文が読みやすいのは、現代の書き言葉に漢文の要素が多く入っているからだといいます。書き言葉はまず漢文があり、それを書き下して日本語にしてきました。漢文の書き下し方は昔も今も大きくは変わりません。
話し言葉がそのまま書かれ、主語の省略も多い。今の書き言葉と構造が違う
現代の書き言葉に要素が多く残り、文章の構造が今と共通する
蔦先生は平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声」を例に挙げました。意味はわからなくても、何が主語で何が述語かはわかります。源氏物語の「いづれの御時にか」と比べると、その違いがはっきりします。
堀元さんは、源氏物語がわかりにくいのは自分の頭が悪いからだと思っていたそうです。蔦先生の答えは「全然違う、文章の構造が違うから」でした。
奈良時代の資料と東国の防人の歌
蔦先生の専門は奈良時代です。奈良時代の資料は古事記、日本書紀、万葉集、風土記ぐらいしかありません。
庶民の苦しみを詠んだ歌として知られる貧窮問答歌 ── 山上憶良が貧しい農民の暮らしを問答の形で詠んだ長歌。万葉集に収められていますは、実は貴族が庶民の立場になって詠んだものです。これを聞いた二人は、お金がないと言いながら実は預金10億円があるツイッタラーのようだとツッコみました。
これに対して防人の歌は、比較的リアルに庶民が詠んだとされています。ただし東国の人の言葉なので、読むのは難しいそうです。関西の言葉の資料ばかりを読んできた目には、急に違う言葉が出てくるように見えるからです。
尾張方言の資料として使われるのは洒落本 ── 江戸時代中期以降に流行した、遊里での遊びや会話を描いた小説の一種で、遊郭に遊びに行くためのマニュアル本のようなものです。二人は、こういう文章こそ国語の教科書や入試問題に載せてほしいと盛り上がりました。
言葉の研究者は古典を趣味で読むのか
奈良時代の作品は面白いのかという問いに、蔦先生は「読めてわかる」と答えました。万葉集は素朴すぎてつまらないと感じることもあり、趣味では古典を読まないだろうとも言います。
水野さんはこれを聞いて、質問そのものがずれていたと気づきます。蔦先生の関心はもともと言葉にあります。万葉集は、言語の資料として読んでいるのです。
心理学者にさ、実験が好きだからそれになったんですよねって聞かないじゃん。調べたいことがあって、しなきゃいけないから実験してるわけで。
水野さんは、大学に9年通ったというゆる天文学ラジオの星山さんの話も重ねました。星山さんは高校時代にプログラミングが好きだと思っていましたが、本当に好きだったのはゲームのシナリオを書くことでした。蔦先生も、何度も読んできたので古典に愛着はあります。ただ、無理に好きになる必要はないという立場です。
そのうえで蔦先生は、教科書に載っていない作品として雨月物語を勧めました。江戸時代に上田秋成が書いた怪談物の短編集で、蔦先生は「超面白い」と話します。
文献学者が一番笑った福富長者物語
徒然草にもひどい笑い話が載っているという話から、蔦先生は一番笑った作品として福富長者物語を紹介しました。室町時代の御伽草子 ── 室町時代から江戸初期にかけて作られた短編の物語群の総称の1つです。
放屁の芸
おならで音楽を奏でるのが得意なおじいさんが、殿様から褒美をもらって長者になる
隣のおじいさん
それを見た隣のおじいさんが、おならの術を学ぶ
本番の失敗
芸を披露すると、おなら以外のものも出てしまい、辺りにまき散らす
結末
散々に打ちのめされてしまう
題名の「福富」を音読みすると「ふっぷ」になり、おならの音に通じます。福も富も財産を意味する字なので、ばかばかしい話なのに題名はうまくできている、と水野さんは感心していました。
うんこは日本の物語の伝統?
話は、京極夏彦さんらが参加した座談会の本『ひどい民話を語る会』に移ります。この本では、大真面目なトーンで「話を面白くする小道具として、うんこやおならが選ばれがち」と語られています。一方で、おしっこの話は少ないそうです。
おしっこの数少ない例として、「焼酎」の民話が紹介されました。おばあさんのおしっこの音が「しょうしょうちゅう」と聞こえ、お告げだと思って焼酎を売ったおじいさんが大儲けします。まねをした隣のおじいさんは、同じ音が出ず、焼酎も売れなかったという話です。
蔦先生は、うんこの話は日本神話にも出てくると付け加えます。スサノオノミコトがアマテラスの神殿に糞をまき散らしたことは、アマテラスが岩屋に隠れるきっかけの1つです。また源氏物語でも、帝に愛された桐壺の更衣を妬んだ女性たちが、通り道に汚物をまいたという場面があります。
堀元さんが挙げたのは、播磨国風土記 ── 奈良時代初期に編まれた播磨国(現在の兵庫県南西部)の地誌。地名の由来などの伝承が収められていますの話です。粘土を背負って歩くのと、うんこを我慢して歩くのでは、どちらが遠くまで行けるかを神々が競います。スクナヒコナスクナヒコナが持ちかけた勝負です。
さらに、東北の民話も紹介されました。おばあさんがおじいさんへのお土産のいのしし汁を食べてしまい、代わりにうんこを詰めて持ち帰るという話です。行動に合理性がない理由を尋ねられた蔦先生の答えは「贈与なんじゃないですか」でした。この専門外の一言で、真面目な話が続いた3回の出演は笑いで締めくくられました。
疑問を持った人に勧める古典文法の本
締めくくりに、水野さんは「古文が好きになったのではなく、下ネタが好きなだけだった」と気づきます。堀元さんは、今回触れられなかった文法形式の違いを知りたくなった人のために、よい本を尋ねました。
蔦先生が、教員を目指す学生に「本棚に入れておけ」と強く勧めているのが、小田勝先生の『実例詳解 古典文法総覧』です。それぞれの言語形式や意味を詳しく説明した752ページのリファレンスで、内容は少し難しめです。2015年に出た本ですが、収録時点では在庫がありませんでした。蔦先生は、版元の和泉書院に重版を呼びかけています。
| 書名 | 位置づけ | 収録時点の状況 |
|---|---|---|
| 実例詳解 古典文法総覧 | 詳しいリファレンス。少し難しい | 在庫なし |
| 読解のための古典文法教室 | 一番ライトで読みやすい | 在庫切れ(中古あり) |
| 古代日本語文法 | ちくま学芸文庫。骨がある内容 | 購入可能 |
どの本も、「係り結びの『こそ』に隠された秘密はあるのか」といった疑問を持ったときに引ける本として紹介されました。
まとめ
古典が好きではなかった蔦先生は、学校文法への違和感と言葉への興味から、古典を言語の資料として読む研究者になりました。平安の物語が読みにくいのは読む人の能力の問題ではなく、文章の構造の違いによるものです。そして古典の世界には、福富長者物語のようなくだらない笑い話も息づいています。
- 蔦先生の原点は、形の違う係り結びを同じ「強調」で済ませる学校文法への違和感だった
- 学校文法は、古典語とのつながりや小学生への教えやすさという事情を抱えた、1つの解釈にすぎない
- 平安の物語は話し言葉がそのまま書かれているため、専門家でもすらすらとは読めない
- 漢文が読みやすいのは、現代の書き言葉に漢文の要素が多く残っているから
- 疑問を掘り下げたい人には、小田勝先生の古典文法書が勧められている

