ポスターコンクールで内申点を稼いだ中学時代
ゲストの松原さんは、中学生の頃の夏休みに「賞金稼ぎのようなこと」をしていたと振り返ります。お金ではなく、明るい選挙や火の用心といった啓発ポスターのコンクールに作品を出しまくり、賞を狙っていたという話です。
松原さんの狙いは、推薦入試のために内申点を上げることでした。美術の先生のもとに教育委員会から募集要項のリストが届くと知っていたため、応募できるポスターのリストを全部もらい、受賞の見込みが高いものから順に出していったといいます。
実際に、明るい選挙のポスターでは愛知県で1位を取ったそうです。絵を描くのが好きだったことをどう活用するか、子どもの頃から考えていたという松原さんに、堀元さんは「開始1分で感じ悪いけど大丈夫ですか?」とツッコミを入れています。
ビジュアルシンカーは美術展で何を見ている?
今回の収録は、以前ゆる言語学ラジオで扱った「ビジュアルシンカー」の回がきっかけです。人は言葉で考える言語思考と、図や絵で考える視覚思考のあいだにグラデーションで分かれる、という内容で、水野さんと堀元さんはどちらも言語思考寄りだと話していました。
松原さんは、その回に感銘を受けて話したいことが山ほどあり、20〜30個の話題リストを用意してきたそうです。もともと水野さんとは食事をする仲で、あるとき松原さんが「水野さんってもしかして言葉で物事考えてます?」と尋ね、水野さんから「ビジュアルシンカー」という言葉を教わったといいます。
松原さんはこの概念を知って、子どもの頃の違和感や苦手なこと、逆に得意なことのつじつまが合ったと話します。ビジュアルシンカー回で水野さんが紹介した「作家の思考にログインするように絵を鑑賞する人」は、実は松原さんのエピソードでした。
美術展の見方について、松原さんはキャプションをあまり読まないと言います。これに対し、言語思考寄りの二人はキャプションこそが主役だと冗談まじりに返します。
絵なんてね、見るとこがないんだから。
こういうモチーフにこういう意味がありますって書かれてるから、そのモチーフを確認して、うん、そういう意味だなあって言わないと。
松原さんが絵から読み取ろうとしているのは、描き手の思考です。例として挙げたのが、趣味のジグソーパズルで1000ピースほどのゴッホの絵を完成させた体験でした。
手がかりを探す
見本の絵を見ながら、色や筆跡を確かめる
可能性を絞る
「この辺にしか青を使っていない」などから、候補を4分の1に絞る
筆の向きを推理する
ゴッホならどちらに筆を運んだかを考え、ピースの上下を決める
描き手に重なる
ゴッホの描き方に自分の感覚をシンクロさせていく
松原さんは、2か月ほどかけたこのパズルを「超濃厚なゴッホの1枚の絵に対する鑑賞体験」と表現します。筆跡や配色には思想が宿ると感じていて、同じ凹凸が自分の側にもピタッとくっついてくる感覚があるそうです。
堀元さんは当初、ピースの位置推定は確率の問題で心情とはつながらないと首をかしげます。しかし、並んだ筆跡の中に1つだけピッと動いたものがあると「あっ」となる、という松原さんの説明を受け、本の「ここは筆が乗っているな」という感覚に近いのだと理解します。
抽象画では、松原さんは李禹煥 ── 韓国出身の美術家で、日本を拠点に活動。1960〜70年代の「もの派」を代表する作家の一人で、筆跡と余白を生かした絵画シリーズで知られますが好きだと話します。クリーム色の背景に黒い筆跡が並ぶ作品を、堀元さんは「カフェの壁紙みたい」と評しましたが、松原さんは描かれていない余白にも筆が置かれ離れるまでの思索があると語ります。
松原さんによると、李禹煥の絵は視覚と触覚が近い感覚で「リズム」として見ているそうです。描かれていない部分を0、描かれた部分を1として、その並びのリズムが自分の心地よさと近いと感じるといい、別の作品は周回するように「触って」いて、クッションと同じだと表現しています。
読書感想文が書けなかったのはなぜ?
子どもの頃に苦手だったこととして、松原さんは夏休みの読書感想文を挙げます。400字詰め原稿用紙3枚、1200字が当時は果てしなく感じられ、何から書き始めれば埋まるのかわからなかったといいます。
松原さんには感想そのものはあり、「読書感想画ならいいのに」と思っていたそうです。楽しかった、この描写が良かったという気持ちはあっても、それを「こう思ったから良かった」と組み立てることも、書き出しの言葉を見つけることもできなかったと話します。
もし感想画を描くなら、印象的な場面をもとに、色使いや何を大きく描くかで自分の感情を載せていくのでは、と松原さんは答えます。水野さんと堀元さんは、それこそ自分たちにはできないと驚きます。
この部分が良かったですって言って、そこを要約するなり、物語ならこのシーンが良かったですっていうところで、書き出しなんて0.2秒で決まるやんって思うんですけど、それ(書き出し)が書き出せないんですか?
一方で、友達に本の感想を喋るなら松原さんはできたそうです。今も文章を書くのは苦手で、話すほうがまだ大丈夫という傾向は子どもの頃から変わっていないといいます。
国語と英語は「記号を書いて図にする」
国語の試験について、松原さんは「理由」「結論」などの記号を文章に書き込んでしのいでいたと明かします。英語でも同じようにSVOC ── 英文を主語(S)・動詞(V)・目的語(O)・補語(C)の要素に分けて構造を示す記法。日本の受験英語で広く使われますを振ると、文章が図になるといいます。
松原さんは、「A result from B」なら因果の矢印の向き、「follow」は受動態にすると順番が見える、といった構造を捉える受験の定番手法に頼り切っていたそうです。読解では全ての文に記号を振って図示しないと、一読では頭に入ってこなかったといいます。
博士号を取るまでの研究生活でも、英語論文を読むことは大きなネックでした。同期や後輩がスラスラ読む中で、なぜ自分は上達しないのかと悩んだ一方、論文を書くことは好きだったそうです。
松原さんの研究は顕微鏡写真を使う、結果がグラフィカルな実験でした。一目瞭然の結果を出し、一目瞭然の並べ方で図を作れば、あとは説明を書けば論文になる。ロジックが強固であれば論文は書けると途中から考え、博士号を取ったと振り返ります。
ビブリオバトルで知った「感情を喋っていい」
松原さんは大学院時代にビブリオバトル ── 参加者が本を紹介し合い、聴衆が「どの本を一番読みたくなったか」で投票して勝敗を決める書評ゲームのサークルをしていました。読書感想文が苦手だった松原さんですが、研究のプレゼンで説明の訓練を積み、頭の中のロジックを見ながら口にすれば説明になると学んだそうです。
ロジックツリーってあれ比喩というかだと思ってたけど、頭の中にロジックツリーみたいなのがある人がいるってことだよね。
松原さんが愛知県代表になったときに紹介したのは、スパイスカレーの作り方の本でした。小説や人文書が多い中で目立てると考えたうえ、その本のロジックがとても面白かったといいます。
本には、玉ねぎを繊維に平行に切ればサラサラ、繊維を断つように切ればドロドロのカレーになる、といった実験プロトコルのような説明もあったそうです。松原さんはこの「説明」で勝ち上がりました。
ところが全国大会では、小説について感情の話だけをした相手に「エモでぶん殴られる」ようにボロ負けしたといいます。研究ばかりしていた松原さんは、ここで初めて「人に何かを伝えるとき、感情を喋っていいのか」と気づいたそうです。25、26歳頃のことで、それまで鍛えた言語化のエンジンはロジックを伝えるためだけに使っていたと話します。
堀元さんはこの体験を、感情を失った少女が手紙の代筆を通じて感情を取り戻すアニメヴァイオレット・エヴァーガーデン ── 京都アニメーション制作のアニメ作品。戦争で兵器として育った少女が、手紙の代筆業を通じて人の感情を学んでいく物語になぞらえます。
さらに松原さんは、30歳頃まで「動物がかわいい」という感情がなかったと明かします。生物研究で実験に生き物を使うこともあり、犬はかわいいがマウスや大腸菌はどうなのか、というアンフェアさを避けるため、かわいいという感情は人にだけ抱くと決めたそうです。
研究者時代は全ての生き物に公平でありたいと考え、かわいいという感情を人にだけ向けると決めていた
東京に移り、仕事で行った猫カフェで「かわいい」が芽生えた。今は猫と犬、たぶんハリネズミもかわいいと感じる
今は東京8年目で「8歳の気分」だという松原さんは、子ども向けの本を作る中で恐竜好きの子どもと同じ目線で「ティラノいいよね」と自然体で話せるそうです。大人の世間話は無理をしていると聞き、堀元さんは初対面で仕事のリズムを尋ねたことを悔やみます。
打ち合わせの段階で頭にラフが立ち上がる
松原さんは、図鑑を作るときに最初に描いた手書きのラフを持参しました。『学研の図鑑LIVE 人体』の小腸のページでは、ラフに文字は一切なく、文章は後回しだといいます。
小腸の場合、まずどこにあるか、次に断面、そこから階層がだんだんミクロになっていく流れが大事だという構成が、先に絵として浮かんでくるそうです。会社の打ち合わせの段階から頭の中でラフを組み始め、書店用のポップなら営業の要望を聞いた時点で図が立ち上がるといいます。
本の表紙についても、松原さんは表紙から考えるほうだと話します。頭の中に物体としての本を作り、そこにページを入れていく感覚で、企画がソリッドであれば表紙が一番最初に決まるとすら考えているそうです。
もう類書を探してきて、こんな感じの表紙がいいですって、その見本派生なんですよ。見本からしかビジュアルを生成できないんですけど。
完成形がゆるやかに頭に浮かぶ。まずプロダクトを思い描き、その後に類書と並べて方向性を少しずらす
類書や過去の見本を集め、候補を棚卸しして優先順位をつけ、置けるものを置くパズルとして組む
松原さんは、プロダクトアウト ── 作り手の発想や技術を起点にものを作る考え方。反対に、市場や顧客のニーズを起点にするのがマーケットインですでやってしまうこともあるので、マーケットと行き来しながら調整していると話します。二人はゴルフに例え、松原さんは一打目でグリーン近くまで届き、自分たちは一歩ずつしか進めないと羨ましがります。
言語化がもてはやされる社会をどう感じる?
堀元さんは、ビジュアルシンカーの特性を持ちながら努力で言語優位の世界に馴染んできた松原さんに、言語化がもてはやされる風潮をどう思うかを尋ねます。松原さんの答えは「やめてほしい」「つらい」でした。
たとえばインプットには本を読む必要がありますが、松原さんは本を読むのが遅く、ポッドキャストで耳から聞くこともあるそうです。さらに、本当に感動したことを言語で共有しなければならないのか、とも感じていると話します。
松原さんは一人で香川へ旅行したとき、瀬戸内の風景の光や色に心を動かされました。けれど言葉にすると「キラキラして綺麗だった」くらいにしかならないため、誰にも言わなくていいと思ったといいます。
誰かと共有しないと損だから。共有するために風景の方をねじ曲げますもんね。
堀元さんは、旅行エッセイで心情とリンクさせるために、実際は晴れていなかった景色も晴れていたことにすると語ります。共感は求めていないが、3年後の自分が読んで素晴らしい旅だったと思える作品にしたいのだそうです。
松原さんにもアウトプットの欲求はあり、その光や色は次に描く絵に必ずつながる確信があるといいます。出口がいらないのではなく、言語化を出口にしなくていい、絵のほうが自分らしく伝えられる、と話しながら整理していきます。
堀元さんは、言語化は複雑なものを一面から切り取る「暴力」であり、松原さんは原体験をいじりたくないから絵を好むのでは、と対比します。サポーターコミュニティでは、堀元さんのエモい記事に「どうせnoteにするつもりで旅行したんだろう」と書かれていたという話も飛び出しました。
「最近なんか面白いことあった?」が一番困る
松原さんが今も困っているのは雑談です。説明は訓練でできるようになったものの、「最近なんか面白いことあった?」と聞かれるのが一番つらいといいます。気を抜いているときは言語化していないため、話す言葉のストックがないからです。
そのため松原さんは、打ち合わせに行く前にも一通り頭の中で全部喋っておくそうです。今回の収録も、自分の中でかなり事前準備をしてきたと明かしています。
大学院時代は学会で発表賞を取るなど、説明ができることから自分は喋りが上手いと思っていたそうです。しかし会社に入り、説明ではない柔らかいコミュニケーションを求められると、言葉が出てこなかったといいます。
人が好きでコミュニケーションはしたいという松原さんは、絵の交換日記ならいいと答えます。大学の美術部では、同期と2人で1枚の絵を即興で描くライブペインティングをし、相手の描いたものに色を足していくのが刺激的だったそうです。
堀元さんは、雑談にもカレーの構成要素のような説明で答えればいいと提案します。しかし松原さんは、そこには感情がないと返し、水野さんは説明縛りを続けたら20年後にまた0歳に戻ると笑います。
職場では、後輩の企画相談にのっている松原さんを見た別の後輩が「うまくやれてるの?」と心配したことがありました。松原さんは頭でラフを組み始めると目からの情報を切るため、相手の目を見ず宙を見ながら話していたのです。
松原さんは、今のコミュニケーションはビジュアルシンカーの当たり前を組み込んでいなさすぎると話します。自分の頭の中の言語化は難しくても、どんなギャップが起きているかは説明できるので、周囲に伝えておけば誤解は減らせるかもしれない、という方向にまとまります。
言語化できないのは怠慢なのか?
松原さんは話しながら、アカデミックライティングは言語化が得意でない人にも使える「型」なのだと気づいたといいます。論文の構成をそのまま日常の説明にも使い、ビジネスの大半もそれでいけると考えて適応してきたそうです。
堀元さんは、以前番組で扱った本『「論理的思考」の文化的基盤』に触れます。その回では、5パラグラフエッセイ ── 序論1段落・本論3段落・結論1段落で構成する英作文の型。アメリカの教育で広く教えられていますの型がアメリカの経済原理と結びついていると話されました。型は応用範囲が広い一方で、それすらできないと怠慢や努力不足と見なされる暴力的な構造でもある、と堀元さんは指摘します。
松原さんは、自分の話には生存者バイアスがあると認めます。さらに、言語化社会に適応できたからこそ、後輩にデザインの色の理由を説明させるなど、相手に言語化をシビアに求めていたと自覚したそうです。松原さんはこれを「言語化マッチョイズム」と呼んでいます。
堀元さんは、言語思考寄りの自分たちこそ絵を描き、下手だと言われて傷つく経験をしないとわからないと話します。例に挙げたのは経済番組『リアルバリュー』で、審査員の溝口さんが志願者に「回答の精度が低い」と言った場面を「言語化ハラスメント」ではないかと語っています。
スラスラ話せる人ほど有能に見えるのはなぜ?
締めくくりに感想を振られた水野さんは、自分が生きる社会がビジュアルシンカーに言語化を要求する構造になっていることに気づいていなかった、と話します。努力で克服してきた人と同じスタートラインで戦っていいはずがない、というのが最大の発見だったそうです。
水野さんは、執筆中の単著でこのテーマに着地しそうだと明かします。言語化がもてはやされることに加え、質問に適切な間ですぐ答える「流暢性」が能力と結びつけられていることへの違和感も書いているといいます。
水野さんは、遅いとできないと見なす考えはフィクションだが、多くの人が信じれば現実になってしまうと語ります。8月ごろに出る本でそれを論じ、松原さんのエピソードもすでに使っているそうで、言語化が遅い人を能力が低いと判断しないでほしいと呼びかけます。
最近なんか面白いことあった?がつらいっていう観点ないもんね。びっくりした、マジで。無難な世間話だと思われてるもんね。
松原さんがうれしい質問は、「最近見た映画何?」のような具体性の高いものです。そうすれば雑談から説明に切り替えられるといいます。
ただし松原さんは、説明にも得意不得意があるので、視覚思考の人は説明すべきとは言えないし、自分を視覚思考者の典型例とは思わないでほしいと注意を添えました。番組は、初対面でこう聞かれるとうれしいという質問をコメントで募って終わります。
まとめ
視覚思考者を自認する松原さんの話からは、絵の見え方や図鑑づくりの強みと同時に、言語化を当然とする社会で努力して適応してきた負担が見えてきます。言語化の速さや流暢さを能力と同一視しないことが、この回の大きな問いかけです。
- 松原さんは絵を筆跡や余白のリズムとして「触る」ように鑑賞し、図鑑のラフや表紙も完成形が先に浮かぶ
- 読書感想文は書けなかったが、記号で文章を図にしたり論文の型を使ったりして、説明できるように適応してきた
- ビブリオバトルでの敗北をきっかけに、感情を人に伝えていいと気づいたのは25、26歳頃だった
- 「最近なんか面白いことあった?」のような抽象的な雑談は、言葉のストックがない視覚思考者にはつらいことがある
- すぐにスラスラ答えられることを能力と結びつける見方自体を、水野さんは問い直そうとしている



