多彩すぎる肩書きを持つ右腕、池田亮平とは何者か
この回のメインテーマは「右腕人材」です。右腕がいないと何が起きるのか、なぜ必要なのかを、ゲストを交えて掘り下げていきます。
ゲストの池田亮平さんは、こびら株式会社の取締役副社長でありCHRO、AI推進室室長、こびら編集部編集長、経営企画室長を兼ねる、いわば社内の何でも屋です。
改めてこうやって肩書きを並べるとやりすぎですよね。明らかに全部ちゃんと回ってないだろうっていう気もしますけど。
池田さんのキャリアは、大学時代の学生NPO「AIESEC」から始まります。ここで人事の副責任者を務めていました。
実は小平さんもAIESECの京都大学委員会で委員長を務めており、池田さんは東京大学委員会で人事の副責任者でした。当時は面識がなかったものの、遡ればつながりがあったといいます。
新卒では2003年にリンクアンドモチベーションへ入社し、働く人のモチベーションをテーマにしたコンサルティングを5年半経験します。
その後はソニー生命でライフプランナーを10年務め、延べ1200家庭ほどのライフプランに関わりました。次に多拠点居住プラットフォームのADDressの立ち上げに参画し、そこから鹿児島への移住へとつながっていきます。
バラバラだねっていう見方もできるんですけど、僕の中では結構繋がってる部分もあって。元々が人と組織みたいなところに興味があって入って。
ライフプランナー時代の10年で、池田さんは人生の幅広さを実感したといいます。
一箇所に定住しない暮らし方をADDressで見てきたことも、自身の移住の後押しになりました。いろんな振れ幅を経験しての今が、人事の仕事にプラスに働いていると振り返ります。
割に合わないことをやる社長との出会い
池田さんが鹿児島へ移住したのは2021年9月。小平さんと出会い、こびらで働き始めたのは2022年3月ごろでした。
二人をつないだのは、鹿児島のリーダー層や経営者が横でつながるNPO「C.E.L.F.」でした。移住を誘われていた時期に、池田さんはこの団体の合宿で講演をし、鹿児島の経営者たちとの縁ができます。
小平さんはC.E.L.F.の理事の一人で、団体が行っていた「鹿児島の面白い人インタビュー」企画で、池田さんが受ける側、小平さんが聞く側となってじっくり話したことが、互いを深く理解するきっかけになりました。
当時、こびらは会社がぐちゃぐちゃで危うい状況にありました。小平さんは2021年8月に続けるか辞めるか悩み、続けると腹を決めます。そして先代が育てた総務部長が辞めることになり、後任探しを迫られていました。
2022年の1月ぐらいにポロッとかんちゃんからメッセンジャーが来て。「どう?うち来ない?」って。結構ライトかつ直球のお誘いがあって。
その後、湯之元の串揚げ屋で飲みながら口説かれたといいます。今ではその席は、こびら社の「聖地」になっているそうです。
池田さんが惹かれたのは、一緒に仕事をしたら楽しそうだという感覚でした。手を動かすのも決めるのもとにかく早く、同い年で感覚も近かったといいます。
正直、こびらの事業内容が詳細までは理解できてなかったんですよ。ガスとかエネルギーの事業は業界接点がなくてイメージし切れてなかったけど、一緒に仕事やったらめちゃめちゃ楽しそうだなと思った。
小平さん側から見ても、池田さんは対等に話せて、かつ自分にない強みを持つ相手でした。組織や人といった社会人文系の知識、そして地方の未来や新しい会社の形への共通の関心が決め手だったと語ります。
口説き方について、小平さんは自身の性格にも触れます。直感で決めたら全力で突っ込み、ダメならスパッと諦めるたちなので、回りくどくない直球の誘いが功を奏したのではないかといいます。
なぜ社長一人では会社を変えられないのか
ここからは、なぜ右腕が欲しかったのかという話に移ります。小平さんは名目上の社長を7、8年務めていましたが、言っていることを全く理解してもらえず、半ば諦めていたと明かします。
一番上から「こうやれ」と言うだけでは、役員や部長のレイヤーが腹落ちせず、実際の変革につながりませんでした。当時は業績も良く会社が回っていたため、変える必要性も感じてもらえなかったといいます。
その時若すぎて手札がなくて、もう強く言うしかできなかった。それを翻訳して、ちゃんと変革を支えてくれる人がいないと無理っていうのが一点。
もう一つの理由が、池田さんがよく言う「愛と力」の考え方です。物事を変えるには、愛と力の動的平衡が必要だといいます。
一人だと愛と力を同時に出したり使い分けたりするのが難しいと小平さんは言います。だからこそ二人で意識しているのが、片方が愛を出したらもう片方は力を出すという役割分担です。
前衛と後衛、二人でやるから抱えられるもの
池田さんは、実際にペアを組んでみた感覚をテニスの前衛後衛にたとえます。一人が攻めていくとき、もう一人が後ろで守るという関係です。
何かを変えればハレーションは必ず起きます。トップダウンの号令でみんなが文句を言いながらも動くような会社でも、後衛に回ってサポートする人が一人いるだけで、変革はだいぶスムーズになると池田さんは実感しています。
一方で、フェーズによっては池田さんが力を発揮する側に回ることもあります。人事制度を新しく導入し浸透させる場面では、「ルールとして決めたんだからやってください」と言わざるを得ない瞬間があるといいます。
そうしたときは小平さんが後衛に回り、「言うてもこういう背景があってね」とフォローします。先代から続く人のつながりの勘所は、新参者の池田さんより小平さんの方がわかっているため、ポイントとなる人へのフォローを担ってくれるそうです。
二人でやることの価値は、変化を起こすバランスだけではありません。良かれと思ってやったことに文句を言われ、サーベイでも不満が出るような「なんだかな」という瞬間を、一人で抱えると辛いといいます。
そのなんだかな感を一人で抱えると心が辛いんですけど、二人で「いやーいろいろあるよね」で話せる相手がいるのも含めて、二人でやれたのはよかった。
右腕に決まった型はない 三人体制で見えた得意領域
最近では小平さんの弟も経営ボードに加わり、三名体制になりました。弟は現場叩き上げで非常に強く、三人で役割分担することで精度とスピードが上がったといいます。
今年、太陽ガスとガスシャトが合併し、三人の経営体制になる予定です。事業と組織、中長期と具体という軸で、三人の得意領域がうまくかみ合っているといいます。
この点から池田さんは、右腕とは何かを一概に定義できないと考えています。
合理的に正しい判断を早く下す。攻め・アクセルを踏むタイプ。決めれば的確なピープルマネジメントのフォローもできる。
決まったものを着地させ回していく。バックオフィス全般を見つつ、小平さんが決めやすい形でトスを上げる。
もっとも、二人ともアクセルは踏みたがりだと自認しています。変化の激しい時代には良いCEOとCHROの組み合わせなのだろうと小平さんは話します。守りもこなせるものの、慣れない分だけ疲れるといいます。
池田さんから見ると、小平さんは攻めのイメージが強い一方で、フォローに回ると決めたら的確に動くところがすごいといいます。先代までトップダウンでやってきたベテラン社員が多い中、社長が個別に話しに行くこと自体のインパクトは大きいからです。
この人にちゃんと話しに行こうっていう勘所と適切なタイミングで、端的だけどちゃんと響く言葉をその人たちに伝えるんですよね。
バックオフィスという概念がなかった会社の変化
池田さんの役割は、こびらの課題とともに増えていきました。もともと同社にはバックオフィスという概念があまりなかったといいます。
以前は「経理と電球を変える人」というイメージで、人はハローワークに出せば来る、経理さえちゃんとしていればいいという状態でした。労務担当を雇うと先代に伝えたところ、「労務ってなんだ?」と言われたというエピソードもあります。
広報、労務、法務、採用といったバックオフィスが重要になるタイミングで池田さんが入り、興味関心領域であるAIも含めて幅広く担うようになりました。
池田くんが来る前は、ハンコを打つためにコロナ禍なのに出社しないといけない会社だった。
池田さんは、二人三脚と表現されることが多いものの、より詳細には役割が分かれていると補足します。決める寄りが小平さん、決められたものを着地させて回すのが池田さんという分担です。小平さんが決めやすいようトスを上げるのも自身の役割だといいます。
右腕人材はどこで見つかるのか 割に合わないことの積み重ね
理想的な右腕をどう見つけたのか、という問いに、小平さんはC.E.L.F.での経験を挙げます。事務作業を引き受けたり、みんなが困っていることを助けたりしているうちに、いろんな人に会えたといいます。
池田さんは、小平さんが一見割に合わないことをやっていると指摘します。時間単価の高い経営者が、NPOの役所向け書類を作っていたり、湯之元に作ったシェアカフェを利用料一円も取らずに地元に開いていたりするからです。
そうした「なんでこれをやっているのかよくわからない」ことへの興味が、池田さんや若手エースの久保さんを引きつけたといいます。合理的でなさそうなことをやっている場に顔を出し手を動かした先で、面白い人が引っかかる、という縁の生まれ方です。
話は、経営者が会社の外へどう出ていくかにも及びます。小平さんは、社長個人がnoteやX、YouTube、このラジオなどで発信することの重要性を強調します。
今いい人材ほどnoteとかXとか、昔作ってたYouTubeとか、このラジオとかを聞いてから面接に来る。
地域に関わりたいと思う人は多く、その中で見つけてもらうことに意識的でなければならないといいます。専属の広報がいなくても発信できる時代であり、外に出るタイミングを計画的に作るべきだと語ります。
引っ張ってこられた側として、池田さんはローカルでの暮らしのイメージがつかみにくかったと明かします。誘われても即決はできず、C.E.L.F.界隈の人たちに連れ回されて鹿児島のいろいろを体験する中で移住を決めました。
まとめ
右腕人材は、経営者が一人では抱えきれない変革の実務と精神的な負荷を分け合う存在として語られました。愛と力の使い分け、決める人と着地させる人の役割分担、そして割に合わないことの積み重ねが縁を呼ぶという視点が印象的な回でした。
- 社長一人では、下のレイヤーが腹落ちせず変革は進まない
- 変革にはハレーションが伴い、愛と力の使い分けと二人で抱える支えが効く
- 右腕に決まった型はなく、トップのタイプによって最適な右腕も変わる
- 割に合わないことに顔を出し手を動かした先に、人の縁が生まれる
- 社長個人の発信と外部コミュニティへの越境が、右腕との出会いをつくる





