資本主義編のあとに「わかりやすい回」?
収録の冒頭では、直前に配信された資本主義編の反響が大きかったことが話題になります。樋口さんは、この後のマルクス・エンゲルス編で資本論の話につながっていく流れを「アツい」と喜びつつ、内容は難しかったと振り返ります。
資本主義編を担当した深井さんは、自分は資本主義の否定論者ではないと改めて強調します。資本主義には悪いところもあるが、それを良くしていくこともできるのではないかと提案しているだけだ、という立場です。
資本主義の悪いところはあるけど、そこをちゃんと良くしていくこともできるんじゃないかということを提案しているだけであって、資本主義はクソだからやめましょうとか言ってるわけじゃないので。
難しい回が続いたことを受けて、深井さんは今回のフリードリヒ大王編について「前回に比べたらだいぶ分かりやすい」と話します。理由は、基本的にずっとストーリーで進む内容だからです。
2人いる「フリードリヒ」のどちらの話か
今回の主人公はフリードリヒ大王です。深井さんによれば、ドイツにはフリードリヒという名の王が大勢いますが、特に有名なのは2人で、楊さんが補足する13世紀ごろの人物と、18世紀の人物がいます。
今回扱うのは18世紀のフリードリヒ大王で、プロイセンの王様です。前回まで扱ったマルクスと同じ国で、マルクスの少し前の時代の王にあたり、時代も実は近いといいます。
このテーマを選んだ理由について、深井さんは難しい回が続いたのでわかりやすくしたかったことに加え、フリードリヒの人生そのものに惹かれた点を挙げています。
そこそこの難易度の中でだいぶわかりやすい方で、かつこの人(フリードリヒ)がやっぱり人生がエモい。
深井さんは、久しぶりにただエモさに浸るような回もいいのではないかと考えたと話しています。
三十年戦争がドイツをどう変えたのか
フリードリヒを理解する前提として、深井さんはまず三十年戦争 ── 1618年から1648年まで、主に神聖ローマ帝国の領域で戦われた戦争。カトリックとプロテスタントの対立に、各国の思惑が重なって長期化しましたの話をします。1618年から30年間続いた、宗教改革に端を発する宗教戦争の最後の大きな戦いで、主な戦場は今のドイツ周辺でした。
三十年戦争によって、ドイツ周辺では人口の3分の1が失われ、国の富も3分の2を失ったと深井さんは説明します。
楊さんは当時の悲惨さを伝える記録として、靴屋の人が書き残した「私たちは森の獣のように追い立てられ、捕らえられ、殴られ、切りつけられ、刺され、一切れのパンまで奪われ、衣服を剥ぎ取られているのです」という一節を紹介しています。上から下まで悲惨な状況だったといいます。
三十年戦争の結果、神聖ローマ皇帝の権威は著しく落ち、ドイツは自由都市や騎士領などを含む、それぞれが主権を持つ200以上の諸侯に分裂しました。
深井さんはこの状態を、江戸幕府で将軍にまったく発言権がなく、それぞれの藩がめっちゃ自由にしているような状態にたとえています。
宗教改革
ルターやカルヴァンが登場し、ヨーロッパ全体がかき回される
三十年戦争
ドイツ周辺が主戦場となり、人口の3分の1、国富の3分の2が失われる
皇帝権威の低下
神聖ローマ皇帝の権力が著しく落ちる
諸侯への分裂
200以上の主権を持つ諸侯に分かれ、復興を競い合う
深井さんによれば、この三十年戦争の結果が、その後のドイツという国の方向性を決定づけています。
ハプスブルク家とホーエンツォレルン家、2つの王家
分裂したドイツについて、深井さんは隣国フランスとの違いを指摘します。フランスはブルボン家の王が治め、そこそこ安定して大きな権力を振るっていましたが、ドイツは分裂した状態でした。
200以上に分かれた諸侯の中から有力な王家として台頭したのが、ハプスブルク家 ── オーストリアを拠点に、長く神聖ローマ皇帝位を世襲したヨーロッパ屈指の名門王家。婚姻政策で広大な領土を得たことで知られますとホーエンツォレルン家 ── プロイセン王家となったドイツの名門。のちにドイツ帝国の皇帝家にもなりましたです。
ホーエンツォレルン家の名前について、深井さんは「一回で覚えた」「発音が好き」と何度も繰り返し、楊さんから「何回言ってるんですか?」とツッコまれる場面もありました。
宗教改革の影響でローマ法王の影響も神聖ローマ皇帝の影響も弱まる中、隣には陸続きでまとまった強国フランスがある。この状況が、ドイツの国の方向性をある意味で運命づけていたと深井さんは話し、詳しくは第2回以降で説明するとしています。
「啓蒙」とはそもそも何だったのか
フリードリヒを語るうえで非常に大事なキーワードとして、深井さんは「啓蒙」を挙げます。番組ではこれまでフランス革命などでも登場してきた概念で、ルソーもこの流れの人です。
深井さんの説明では、中世ヨーロッパはキリスト教の信仰を最優先する考え方が、いわばOSとして世界の認識を支配していました。それに対するアンチテーゼとして出てきたのが「理性」です。
宗教の権威の低下、君主の権力の上昇、新大陸でキリスト教とまったく違う世界を見たことなどが重なり、慣習や合理的な理屈のつかないことはおかしいのではないか、と考える人が現れてきたといいます。
キリスト教が世界の認識を司り、信仰を最優先する。批判も疑うこともしてはいけない
人間の理性で合理的に考えればいろいろなことがわかる。あらゆることが批判の対象になる
この考え方は自然科学、社会科学、哲学の発展にもつながります。例として深井さんは、フリードリヒと同時代のカント ── 18世紀ドイツの哲学者。『純粋理性批判』などで知られ、理性の働きと限界を問い直した近代哲学の中心人物ですが、我々の時代はあらゆることが批判の対象にならなければならないと語ったことを紹介しています。
「啓蒙」という言葉はもともと「光を照らす」という意味で、暗い部分に理性の光を当てていくイメージです。番組では、中世を「暗黒中世」と呼ぶのも、それが啓蒙以前の無知の状態を指すからだと補足されています。
一方で深井さんは、啓蒙という発想が、アジアなどに対する列強の侵略を正当化する論理にも使われたと指摘します。相手は理性がないから光で照らしてあげている、という感覚です。
啓蒙の批判的姿勢を聞いた出演者が「パンクスやん」と反応する場面もありました。深井さんは、批判的精神という意味ではパンクスだが、メインストリームへの批判だけでなく「理性」がすごく大事なのだと説明しています。
啓蒙主義の流れの人物として、深井さんは方法論的懐疑 ── すべてを疑い、それでも疑えないものを確実な出発点にしようとするデカルトの方法で知られるデカルトのほか、スピノザ、ホッブズ、ジョン・ロック、ルソー、ヴォルテール、シェイエスを挙げ、ニュートンやガリレオの時代でもあると話します。その最盛期が18世紀でした。
君主はなぜ「自分の説明」に困ったのか
啓蒙主義が最盛期を迎える18世紀に登場したのがフリードリヒです。深井さんは、フリードリヒは君主だったからこそ困ったのだと話します。自分がなぜ君主なのかを、合理的に説明しなければならないからです。
それまでは神様が認めてるからって言ってたんです。それが王権神授説って。
王権神授説 ── 王の権力は神から直接授けられたもので、人民や議会に縛られないとする考え方。近世ヨーロッパの絶対王政を支えましたなら説明は簡単です。けれど啓蒙主義の立場では、神様が言っているからでは済まなくなり、なぜあなたが絶対的権力を振るうのかという問いが必ず出てきます。
深井さんは現代と比べて、今は投票で票を集めた人が選ばれるように、啓蒙主義的な発想の延長で設計された世界に生きているため、説明できないことが起きにくいと述べます。
これに対しフリードリヒの時代は、昔の制度が残る中で考え方としての啓蒙主義が広がっていました。フリードリヒは古い制度の最たる「君主」を生きながら、本人は啓蒙主義に強く傾倒していたのです。
王になりたくなかった王と「2代目社長」のつらさ
深井さんは、フリードリヒの人生を、古い制度と新しい考え方の相克から生まれる「葛藤と克服の人生」と表現します。こうした悩みは当時珍しくなく、番組のSpotifyオリジナルで扱ったモーツァルトも同じような苦しみを抱えていたといいます。
深井さんは、新しい価値観に移行しながら古い制度が残っている過渡期の人々は、なんとかして自分の立場を説明しようとすると話します。
フリードリヒはプロイセンを強国にのし上げ、王として大きな成果を残しました。しかし若い頃は王になりたくなかったようで、即位後も王の仕事を嫌っていたといいます。
(フリードリヒは)なんならなった後もずっとクソみたいな仕事だって話をしてるんです。
深井さんはこのずれを、2代目社長や3代目社長のつらさに重ねます。社員がいる以上、継ぐことを放棄するのもしんどく、自分はやりたくないし才能も違う、という状況です。
創業者だから僕はわかんないじゃないですか。こういう大変さあるんだろうなと思って。
深井さんによれば、フリードリヒは王としての政治的才能はあまりなかったものの、文学や哲学の才能を持っていました。
その人生は常に疲れ、絶望しながらも、やるべきことを義務感で頑張るものでした。深井さんは、フリードリヒが「死にたい」と何度も口にし、自殺しかけたこともあったと紹介しています。
なぜライバルは全員女性だったのか
フリードリヒには強力なライバルがいました。ロシアの女帝エカチェリーナ2世 ── 18世紀後半のロシア皇帝。領土拡大と近代化を進め、啓蒙思想家とも交流した啓蒙専制君主の代表格ですと、オーストリアの女帝マリア・テレジア ── ハプスブルク家の女性君主として18世紀のオーストリアを治め、内政改革を進めた人物ですです。
さらにフランスにはポンパドール夫人という賢い女性もいました。深井さんは、この時代は優秀な女性が一気に出てきて、ヨーロッパの強国の半分ほどを女性が治めるという「謎現象」が起きたと話します。
フリードリヒはこの有能な君主たちにボコボコにされます。それでも哲学の力を使って乗り越えようとするところに、深井さんは強いエモさを感じると語っています。
楊さんは、フリードリヒは啓蒙思想を国の統治にインストールしようとしたが、理想と現実のギャップから妥協した判断もしていたと補足します。
要するに何が言いたいかというと、理想として彼は持ってる。で、なんとかその理想を実現しようと頑張る。でももちろん実現できない部分もたくさんあって、その葛藤を抱えた君主だったっていうことですね。
(フリードリヒは)理念ベースでは突っ走りながらでも経営をやらないといけないみたいな。2代目社長みたいな。
深井さんは、跡継ぎ社長にもぜひ聞いてほしいと応じ、新しい概念と古い制度が相克する啓蒙主義の時代は、現代人の状況にも比較的近いと話しています。
ただし評価は人によって分かれます。深井さんは、APU ── 大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学の略称。出口治明さんが学長を務めましたの学長の出口さんからは、フリードリヒは「なんで評価されてるのかわかんない」とボロクソに言われていたと明かしています。
「ポスト君主制」という発想
深井さんは、啓蒙主義というと人権や人道のイメージが強いかもしれないが、それは一派にすぎないと話します。啓蒙の特性はあくまで理性的で合理的であることです。
フリードリヒは君主としての任務の根拠を神に求めず、啓蒙の時代にふさわしい君主制を探求しました。ただし君主制そのものをやめるわけにはいかない点が難しさでした。
ポスト君主主義や。
まさにそうですよ。確かにポスト君主制です。
深井さんによれば、ルソーのようにラディカルな思想もありましたが、啓蒙主義全体は段階を踏んで変わっていくもので、フリードリヒはその途上にいたといいます。
ポリツァイ学と富国強兵論が支えた強い君主
楊さんは、国をどう統治するかにも啓蒙主義が入り込み、ポリツァイ学と官房学 ── 17〜18世紀のドイツ語圏で発達した、行政や財政を合理的に運営するための学問が流行したと説明します。科学的合理性をベースとした国家運営の学問です。
具体的には、国内の産業や経済の情報を集める、人材を含むリソースを最大限活用する仕組みを作る、福祉施設や警察組織を作るといった内容です。今では当たり前でも、当時は国家統治の合理性の実現として新しかったといいます。
楊さんがもう1つの重要なポイントとして挙げるのが、自国が他国より強くなることを正当化する富国強兵論です。
平和と安全
まずは安全保障が大事
軍事力
安全保障の実現には軍事力が必要
国の富
軍事力を支えるには国を富ませる必要がある
強い君主
強い国家の統治には君主への権力集中が必要
深井さんは、フリードリヒは実は絶対君主で、権力の強い君主制を築いたと話します。ただしその論理は王権神授説とはまったく違い、合理的に考えて強い君主が決める方が全員にとっていいという立場でした。
背景には公教育がまだない時代状況がありました。幼い頃から帝王学を学んだ優秀な君主が治める方が、教育を受けていない民衆の多数決よりよいと考えたのです。
王の権力は神に認められた神聖な権利である
合理的に考えて、優秀な君主が強い権力で決める方が国益にかなう
深井さんは、王権神授説を続けたフランスでは合理性がないため革命が起きた一方、プロイセンでは革命が起こらず、それがマルクスの時代につながっていくと話しています。
「君主は国家第一の下僕である」
フリードリヒの有名な言葉に、即位直後ごろの「君主は国家第一の下僕である」があります。深井さんは、ここにも啓蒙主義が表れていると指摘します。
なぜ下僕なのかというと、君主は国家のために最も能力を振るう義務を持つ人だからです。この人が治めた方がよいと考えられているから治めている、というフリードリヒの論理に基づくと、君主は国家第一の下僕になるわけです。
こうした考えを持っていたからこそ、フリードリヒは本当にめっちゃ頑張ったと深井さんは話します。次回は、そもそもプロイセンとはどんな国なのかを扱い、その後フリードリヒの生涯に移る予定です。
まとめ
フリードリヒ大王編の第1回は、三十年戦争で分裂したドイツと、信仰から理性へと移る啓蒙主義の時代背景を整理し、王になりたくなかった王が合理的な君主制を探った人物像を描きました。
- 三十年戦争でドイツは人口の3分の1、国富の3分の2を失い、200以上の諸侯に分裂した
- 啓蒙主義は信仰に代わって理性を重んじ、君主にも自らの立場の合理的な説明を求めた
- フリードリヒは王の適性と自分の才能のずれに苦しみ、哲学の力で乗り越えようとした
- 富国強兵論などの合理的な論理で強い君主制を正当化し、「君主は国家第一の下僕」と考えた





