「佐伯」は言葉が通じない人?空海の出自と言語センス
前回までに日本への仏教伝来と発展を追ってきたコテンラジオは、今回から空海本人の話に入ります。深井さんによると、空海は774年に讃岐の国、今の香川県で生まれ、本名は佐伯真魚(まお)でした。
当時ってすごい呪術の時代なんで、この名前(真魚)、動物の名前をつけるっていうのが一定の意味があったみたいで。
深井さんの説明では、動物の名前を付けるのは、その動物の霊力や生命力にあやかる意味があったようです。それにしてもなぜ魚なのか、と深井さん自身も首をかしげています。
空海の父方の佐伯氏については、もともとアイヌ系ではないかという説があるといいます。一説では「佐伯」という名字自体が「遮る」と同じ語源で、言葉が止まる、つまり言葉が通じない異民族を意味するのではないかとされています。
これは正しいかどうかは絶妙な線だと思うけど。
母方は阿刀氏で、こちらはルーツがよくわかっていません。いずれにせよ、空海の祖先は外来の一族だろうと言われている、と深井さんはまとめます。
空海は晩年にかけて言語学的な書物をたくさん書き、言葉に強く集中した人物でした。仏教自体が言語を追求してきた流れもありますが、佐伯氏が古代言語の呪力に関係する一族だったのでは、と書く本もあるそうです。
楊さんは、空海が唐に渡る前に中国語を独学で習得していたことを補足します。深井さんによれば、唐に渡ったあとはサンスクリット語を3ヶ月で身につけたといい、二人は『西遊記』のモデルでもある玄奘 ── 7世紀の唐の僧。インドへ渡って多くの経典を持ち帰り漢訳した。三蔵法師として知られ、コテンラジオでも以前のシリーズで扱われていますとの共通点を指摘しています。
ちっちゃい頃から神童って呼ばれてるぐらい、すごく才能のある人ですね。
同じ音は同じ意味?言葉に力が宿ると考えた古代日本
空海が生まれた頃の日本の言語感覚について、深井さんは「本当のところはわからない、ふわっとした話」と前置きしつつ、何冊かの本に書かれていた考え方を紹介します。
漢字を本格的に輸入する前の日本語では、同じ音の言葉は明確に分けられておらず、音が共通するものは連鎖的に1つのグループとして捉えられていたのではないか、という話です。
古代の日本人は、言葉を口にすること自体に呪力が宿ると考える言霊 ── 言葉そのものに霊的な力が宿り、口にした内容が現実に影響するという古代日本の信仰の感覚を持っていたともいいます。深井さんは、名乗ることが征服された意味になる、王の言葉を伝える使者の言葉も重視される、といった例を挙げています。
漢字が当て字として使われ、ひらがなが生まれ、音読み・訓読みが分かれていく中で、そうした感覚は隠れていったと深井さんは考えています。
(例えば)weightの松と木の松っていうのは本当にちゃんと関連していて。神様を待って宿る木が松であって。
門松も神様を迎えるための松だ、という連鎖的な発想が当時の日本にはあったらしい、と深井さんは話します。樋口さんは「たまたまだと思っていた」と驚きつつ、文字がない時代は音や声でしか意思疎通できなかったから、音がより重視されたのでは、と自分なりの解釈を添えています。
15歳で上京、丸暗記と鞭が待つ官僚養成の「大学」へ
空海は15歳まで讃岐の地方の教育機関で学びました。そこそこ良い家柄の地方豪族の生まれで、才能を見込んだ一族は、空海を中央の官僚育成機関に入れれば出世できるのでは、と期待をかけます。
希望を背負わされたわけね。
空海は15歳で讃岐を出て上京します。ただ、深井さんによると、今の大学の語源にもなった当時の「大学」に入るには、15歳はかなり遅い年齢でした。
空海は、親王の家庭教師も務めていた母方のおじ阿刀大足(書き起こしでは「阿弖流為」)を頼り、人口20万人ほどだったという平城京で3年間、論語や歴史を学びます。当時は論語の習得が官僚コースの基礎で、空海も最初は何の疑問もなく受験勉強に打ち込みました。
その教科書の文字を千字ごとに3文字隠して、それが何かって当てないといけないって。
つまり丸暗記してないと答えられない。そして不合格になると鞭で打たれる。
理由を聞く樋口さんに、深井さんも「わかんない」と返し、番組は笑いに包まれます。空海は18歳で大学の明経道(書き起こしでは「名教館」)に入り、論語などの四書五経や『春秋左氏伝』といった歴史を学びました。
受験勉強に意味はあるのか?山岳仏教と100万回のマントラ
大学での空海は、特に漢語、つまり中国語が得意で、先生からも期待されていました。ところが深井さんによれば、この頃の空海は一人で悶々としていたといいます。これは想像の部分も大きく、さまざまな本で解釈が書かれているそうです。
大学にいたのは生まれの良いエリートばかりでした。地方豪族の空海は、一族の中では異例の出世ができても、高い位には就けないことが明白で、学問ではなく官僚になるための受験勉強をしている状態でした。
今と一緒だよね。本当に頭がいい空海はあれって思うわけよ。
その頃、国家仏教化した奈良の都の仏教への反動として、原始仏教のように山にこもって修行する山岳仏教の人々がちらほら現れていました。空海も彼らと何らかの触れ合いがあり、その存在が気になっていたと考えられます。
樋口さんは、奈良の仏教が権力と結びつき、研究色の強い学問仏教だったのに対し、山岳仏教は修行を実践する仏教だったと整理します。同じ頃、空海より7歳年上の最澄はすでに比叡山に寺を建て始めていました。
深井さんによると、空海はここで虚空蔵求聞持法 ── 虚空蔵菩薩の真言を決められた期間内に100万回唱える密教の修行法。記憶力が飛躍的に高まるとされ、山林修行者に広まっていましたに出会います。期限もあり、ほぼ寝ずに唱え続けないと達成できない修行で、空海は実際に100万回唱えたようです。
これがきっかけとなり、空海は自らの意思で大学を退学し、四国に帰って修行を始めます。家族からは強く反対され、一族の期待を完全に裏切ることになりました。
直感に頼って、なんか自分は本当はこっちがいいんじゃねえかと思ったことを、とりあえずいきなり全部捨ててやってみる。
樋口さんは、銀行員を辞めて9月から自分の弟子になった人と同じだと笑います。深井さんも、行きの車でその弟子のマサさんが「親は悲しんでます」と言っていたと応じ、「空海と一緒ですね」と乗っかっています。
期待
才能を見込まれ、一族の希望として中央の大学へ
疑問
出世の限界が見え、受験のための勉強に意味を感じなくなる
関心
山にこもって修行する山岳仏教の人々が気になる
修行
虚空蔵求聞持法でマントラを100万回唱える
決断
家族の反対を押して退学し、四国で修行を始める
腐敗した奈良仏教に見切り、玄奘や釈迦との共通点は?
空海が山に向かった背景として、深井さんは奈良仏教の腐敗を挙げます。国家に保護され財源も確保されることで組織化した奈良仏教には、南都六宗 ── 奈良時代に平城京を中心に栄えた6つの仏教学派。国家の保護を受け、教義の研究を中心とする学問仏教の性格が強かったと呼ばれる6つの宗派がありました。
深井さんは三論宗、成実宗(書き起こしでは「浄土宗」)、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗を挙げています。法相宗は玄奘の教えを道昭という僧が日本に持ち帰ったものだと、番組で補足されています。
空海にはこれらが時代を担える仏教に見えなかったのでは、と解説書によく書かれているといいます。深井さんも本当のところはわからないとしつつ、空海のその後の著作を見るとそうなのだろうと考えています。
全てを捨てて山に籠もって、そこで真理を追求してみようというスイッチが入ってしまう。まさに神童ですよね。
樋口さんは、すべてを捨てて旅立った玄奘や、恵まれた環境から真理の追求に向かった釈迦とも重なると話します。
深井さんの見立てでは、幼い頃から持てはやされてきた空海には、世間の評価への承認欲求がもはやありませんでした。だからこそ自分を納得させる必要があり、周りが勉強している内容に価値を感じられず、山岳仏教の人々に飛び込んだ、という解釈です。
(虚空蔵求聞持法を)唱えてみた結果、多分何か悟ることがあったんだと思う。
深井さんは、きっかけは虚空蔵求聞持法でなくてもよく、山にこもったことで空海の中に何らかの感覚的な糸口が生まれ、そこにのめり込んでいったのだろうと話しています。
24歳の著作が示した「仏教がいちばん優れている」理由
山で一人修行を続けた空海は、文章も非常にうまく、24歳のときに『三教指帰』(書き起こしでは「三報施義」)という書物を書きます。今でも読めるこの本には、儒教・道教・仏教のうち仏教が一番優れていることが、架空の登場人物の会話という小説風の形で書かれています。
深井さんによると、山で修行する仙人的な感覚は道教の影響を多分に受けており、空海は3つの教えを全部学んだうえで比較しています。深井さん自身も、その結論は一定理解できると話します。
| 教え | 扱う対象 | 深井さんの評価 |
|---|---|---|
| 儒教 | 社会のシステム | 世界の説明はしていない |
| 道教(老子) | 世界の説明 | かなりふわっとしている |
| 仏教 | 世界の説明(存在論) | 鉄壁のロジックを持つ |
それをめちゃくちゃ頭いい人が読んだら、どれが一番すげえって思うかっつったら、確かに仏教だろうなってわけ。
樋口さんは、仏教は扱う範囲が広くロジックが通っている、つまり体系化されていると受け止めます。深井さんはさらに、仏教は語り手が多く、アップデートが連打されてきたため、どれか1つにヒットすればいいという強さがあると付け加えています。
大日経との出会いと、陽気なダ・ヴィンチ型の天才
修行の中で、空海は究極的な出会いを果たします。密教の経典大日経 ── 大日如来を中心とする密教の根本経典の1つ。7世紀ごろのインドで成立し、唐で漢訳されましたです。仏教の中心は何かという空海の疑問に、答えているように感じられた経典でした。
ただし出会った時点では、大日経に何が書いてあるのか全部は理解できませんでした。周りに聞いても理解している人がいないことが、のちに唐へ渡るエネルギーになったと深井さんは説明します。
もうこれは中国に行くしかないと。もう玄奘ですよね。玄奘と全く同じ。
樋口さんは、真理を追求する空海は周りと話が合わず浮いていたのでは、と想像します。しかし深井さんによると、空海は陽気で社交性があり、あらゆる権力者と対立せずに付き合える人物でした。
玄奘も内面の探究と資金調達などのマネジメント力を両立していましたが、深井さんは違いも指摘します。空海は中国で学んだ密教を持ち帰ったあと、自ら新しい本を書いて解釈とアップデートを加え、密教を完成させた人と言われているのです。
インドから持ち帰った経典を訳した
唐で学んだ密教に自ら理論を加え、完成させた
楊さんによれば、空海は中国でも超有名で、密教の世界で8人のスーパースターとされる僧の最後の一人に数えられているそうです。深井さんは、芸術も勉強も資金調達もできる空海を、レオナルド・ダ・ヴィンチ級と言う人もいると紹介しています。
次回は、唐に渡る話の前に、空海が完成させた密教とは何かをわかりやすく説明し、そのあと唐での話と最澄の登場へ進むと予告されています。
まとめ
讃岐の地方豪族に生まれた空海は、言語の才能に恵まれた神童として官僚エリートの道を歩み始めましたが、受験勉強に意味を見いだせず、山岳仏教の修行へ飛び込みました。そこで出会った大日経の「わからなさ」が、唐へ渡る原動力になっていきます。
- 空海の父方・佐伯氏には外来の一族とする説があり、言葉への強い集中との関係を指摘する本もある
- 15歳で上京し大学に入ったが、出世の限界と受験勉強への疑問から自らの意思で退学した
- 虚空蔵求聞持法の修行と山ごもりが、空海を真理の追求へ向かわせた
- 24歳の著作で儒教・道教・仏教を比べ、世界を論理的に説明する仏教を最も優れているとした
- 理解しきれない大日経との出会いが、唐へ渡り密教を完成させる道につながった



