なぜ密教なら「速攻で成仏」できるのか
前回までに空海の誕生をたどったコテンラジオは、この回で空海が完成させた密教そのものの解説に入ります。深井さんはまず、密教の土台にある唯識 ── あらゆる存在は自分の心の認識によって成り立っているとする仏教の思想。認識を表層から深層まで複数の層に分けて捉えますをおさらいします。
唯識では、世界も自分も自分の認識によって成り立っていると考えます。だから認識にアプローチすれば自分も世界も変わる、というのが唯識の考え方です。ただし無意識の部分を書き換えるのはとても難しく、そのための特殊な技術を持っているのが密教だと深井さんは説明します。
深井さんが挙げる密教のもう1つの特徴が即身成仏 ── この身のまま生きているうちに仏になれるとする考え方。真言密教の中心的な教えの1つとされていますです。大乗仏教では、成仏するまでに輪廻転生を繰り返し、膨大な時間がかかるとされていました。
即身成仏っていうのはすさまじいことを言っていて、自らの無意識下をハックすることによって、速攻で成仏するんだって話をするんですよ。
おお、チートや。
深井さんによれば、密教は優秀な修行体系を持っていて、それを実践すると無意識の層であるマナ識 ── 唯識で説かれる深層の心の1つ。自我への執着を生み出すはたらきを持つとされますやアラヤ識 ── 唯識で説かれる最も深い層の心。あらゆる経験の種子を蓄えるとされますをハックできるとされます。ハックできれば即座に悟れる、というのが即身成仏の理屈です。
悟りの概念を「圧縮ファイル」にするシンボリズム
密教のさらなる特徴として、深井さんはシンボリズムを挙げます。宇宙の真理は人間の言葉では表現しきれないため、悟りに必要な諸概念をシンボルにして自分にインストールすることで、悟りへ早くアプローチできるという考え方です。
深井さんが僧侶から聞いたたとえが、マクドナルドです。看板を見たり、CMの音声を聞いたりするだけで、ビッグマックや店のレイアウト、制服までが一気に想起されます。
(マクドナルドの音声で全部想起される)あれを実はやってるのと一緒なんだっていう話をしてたんですよ。
悟りに必要な膨大な概念を、1つの言葉や法具に象徴させます。修行の中でそれを一瞬で想起することで、悟りのスピードを上げるという仕組みです。深井さんはこれを「圧縮ファイル」と表現しました。
法具って圧縮ファイルだったんだよね。
だからそういう圧縮ファイルに誰でもアクセスできるものじゃないんですよ。だから秘密の教え、密教なんですね。
解凍コードにあたるものは、言語を超えたレベルの修行で体得する必要があります。究極まで体得すれば解凍の必要すらなくなるものの、想起したい時に想起できる道具を身の回りに置いておくことが便利なのだと、深井さんは僧侶の説明を紹介しています。楊さんはこれを、ポケモン集めのようにコレクター魂を刺激されるものだと表現しました。
大日如来は宇宙そのもの、そして自分そのもの
密教の最高仏である大日如来 ── 真言密教の中心となる仏。宇宙の真理そのものを象徴する存在とされますについて、深井さんは宇宙という概念を擬人化したものだと説明します。人の姿をしていても、人ではなく概念だということです。
唯識で考えると、宇宙もすべて自分の認識から成り立っています。そのため自分にアクセスすれば宇宙にアクセスでき、宇宙と自分は同一になる、という論理になります。
楊さんは、だからこそ大日如来と一体化することが1つのゴールなのだとまとめます。ここで深井さんが持ち出したのが、友人の室伏さんから聞いたたとえ、映画『マトリックス』です。
映画『マトリックス』の1作目では、人々が世界だと思っているものが実はプログラムのコードでできており、それに気づいた主人公ネオは救世主として何でもできるようになります。深井さんは、密教が言っているのはまさにそれだと話します。
悟ってない人っていうのは、それを理屈で理解していても、あの中(マトリックス)で救世主のように振る舞えないんだけど、本当にそれを悟った者は、あの世界で本当に神のように振る舞うことができる。
楊さんは、密教ではあらゆる時空間にブッダがいて、それらがネットワークでつながり、その中心に大日如来がいるという世界観を補足します。深井さんはこれを華厳経 ── 大乗仏教の経典の1つ。あらゆる存在が網の目のように互いに関わり合う世界観を説きますの網の目の世界観と結びつけ、コンピューターの世界がゼロと1で表現できるように、この世界もすべて同じコードなのだと説明しました。
そのため、大日如来を供養すれば、あらゆる時空間のブッダを一度に供養したことになり、悟りのスピードが「爆上げ」すると楊さんは話しています。
不動明王はウイルスバスター?儀式をパソコンで例えると
密教の儀式で結ぶ印も、指ごとに世界を説明するシンボリックな意味が宿っていると深井さんは話します。印を結ぶことは、僧侶いわく「プログラムをインストールすること」と同じだそうです。
深井さんは僧侶から聞いた儀式の流れを、パソコンの環境構築になぞらえて紹介します。
楊さんは、超越的なものと自分との関係を築くことを三密加持 ── 身体・言葉・意識の3つのはたらきを仏と一致させることで、仏の力を得ようとする密教の修行法と呼ぶと補足します。
深井さんによれば、修行で真理を体得し、いつでもインストールできるようになると、ネオのように振る舞えます。怨霊も退散させられますし、そもそも怨霊がいること自体が自分の認識にすぎない、という理屈です。
そうそうそう、その(怨霊退散の)話がやっとわかった。今やっとわかった。
ただし宇宙と同一になるには自我を超越しなければなりません。だからこそ「自我とは何か」という哲学が生きてくるのだと、深井さんは話しています。
キリスト教の神と大日如来はどう違う?
樋口さんが「森羅万象」と書かれたTシャツを着ていたことで盛り上がる中、楊さんは塵の1つにも無限の大日如来がいるフラクタルな世界観だと話します。深井さんは、この考え方がキリスト教とまったく違うと指摘しました。
神がすべてを作った存在であり、人間とは別のもの
何もせず命令もしない、ただ存在する宇宙の真理そのもので、自分と同一
大日如来って何もしないんです。そこにいる、存在するだけなんですよ。
深井さんは、東大寺の大仏も盧舎那仏 ── 華厳経で説かれる、宇宙の真理を体現する仏。奈良の東大寺の大仏として知られますという宇宙の真理そのものを擬人化したものだと付け加えます。楊さんも、大日如来とほぼイコールで、とてもありがたい存在だと話しました。
そのため、キリスト教徒から「神はいるのか」と問われても、大日如来と自分が同一である仏教側は答えようがない、という考え方の違いが生まれると深井さんは説明します。
空海は他宗派を否定せず「段階」に並べた
空海は人間の意識を10個の発達段階に分け、各段階に宗教を配置しました。深井さんが紹介した段階の一部を整理すると、次のようになります。
最上位に到達できるのが真言宗だけなのは、深層意識であるマナ識とアラヤ識を書き換える特殊な方法を持つ密教を使わない限り、生きているうちに到達するのは無理だからだ、と深井さんは繰り返し説明します。
深井さんが面白いと感じているのは、この説明の仕方です。次回以降に登場する最澄が旧仏教と対立構造を作ったのに対し、空海は他宗派を発達段階の途中に包含してしまいます。
けど言われたらムカつくこと言ってんすよ。段階で下だって言われてるんだけど、みんななんかもうあんまムカつかないんすよ。
樋口さんは、マズローの成長段階にも近いのではないかと感想を述べ、深井さんも「マズロー的な感じなのかもしれない」と応じました。深井さんは、マナ識の書き換えには修行や瞑想が必要で、マインドフルネスが言っていることとあまり変わらないとも話しています。
エックハルトやスピノザにも見える「密教的なもの」
楊さんは、意識の深層へのアプローチは西洋にも現れると話します。神聖ローマ帝国のキリスト教哲学者マイスター・エックハルト ── 13〜14世紀ドイツの神秘思想家。神と魂の合一を説き、その教えの一部は異端とされましたは、神の中に自分を溶かし込むという、異端とされる考え方を唱えたといいます。
さらに17世紀オランダの哲学者スピノザ ── 17世紀オランダの哲学者。神と自然を同一視する汎神論的な哲学で知られますは、森羅万象の中に神がいるという世界観を示しました。楊さんは、宗教に関わらず密教的なものに向かうベクトルがどこにでもあると話します。
樋口さんが影響を与え合っているのかと尋ねると、楊さんは「ではないですね」と答えました。深井さんは、東洋のほうが先に出てきている点を面白いと指摘し、楊さんはキリスト教が厳しかったために表に出せない時代が長かったのではないかと推測しています。
どっちが優劣ないと思いますけど、ちゃんと西洋哲学の方が正直わかりやすいし、ちゃんとロジック説明してると思うし。けど東洋哲学もやっぱりすごいんだなっていうのを、なんていうか、すごく感じましたね。
一休さんと空海、悟りの瞬間には何が起きたのか
深井さんは、密教の本を夜に1人で読んでいると、新しい世界の扉を開けてしまう感覚があったと打ち明けます。世界の捉え方が根本から変わり、戻ってこられなくなるのではという恐怖も伴うものだったそうです。
多分その感覚を空海はその18とかの時につかんだから山に入ったんだと思うんだよね。そっちにフルベットしてると思うんだけど、俺はフルベットはしたくないです。
楊さんは、一休さんが悟りを得た瞬間の話を紹介します。悟れずに苦しみ、投身自殺を図ったこともある一休さんは、部屋の中でカラスの声を聞いた時に悟ったといいます。姿は見えないのに声は聞こえる、つまり仏の姿は見えなくても自分の中にある、と悟ったという話です。
空海にも、明けの明星が口の中に突っ込んできたという宗教体験の記述が伝わっています。深井さんが話した僧侶は、それは誤解釈で、修行中に明星を見て滝の音などを感じた瞬間、座学で学んだ論理と身体感覚が一気につながった体験を書いたものではないかと話していたそうです。
(空海の体験は)理論と身体感覚が一気に同調したんだね。ピンと来たんですね。
座禅は「二足歩行の否定」という発明
深井さんは、身体感覚は悟りと切り離せないと話し、松岡正剛 ── 編集工学を提唱した編集者・著述家。空海についての著作もありますさんの空海の本にあった「座禅はものすごい発明だ」という指摘を紹介します。
人間は二足歩行によって、難産になり、脳の発達の仕方や目の使い方も変わり、生物学的に多くのものを失いました。深井さんは、座ることで二足歩行から離れて身体感覚を変え、この体では悟れないことを悟ろうとするのが座禅やヨガなのだと受け取ったと話しています。
楊さんは、以前深井さんが体を車にたとえた話を引き、車から降りて自転車に乗ってみるようなものかもしれないと応じます。また、右脳と左脳が同時に働いた時にいいアイデアが浮かぶという説も紹介しました。
深井さんはさらに、身体動作を重視して瞑想や禅を発達させた東洋に対し、西洋は左脳で哲学を作ってきたと対比します。そのうえで、スティーブ・ジョブズのような最先端の人々が禅を学び、それを日本人がビジネス書のマインドフルネスとして読むという逆輸入の構図を面白いと話しました。
マインドフルネスとか言って。なんかずっと前に言っとるよ、仏教でみたいな。
密教はバラモン教への「先祖返り」だった?
深井さんは、過去の知見が時代のニーズや天才の出現によってリバイバルされる構造があると指摘します。大日如来と一体化するという考え方は、実はバラモン教にすでにあったものだといいます。
深井さんは、密教は何百年も前のバラモン教の知見に先祖返りしていると表現します。楊さんは、一体化の概念は仏教の中にずっとあり、何度も言葉を変えて語り直されながら、到達手法として三密加持が出されたのではないかと応じました。
確かにね。体系化しないと多分普及はしていかないもんな。
密教の解説はここで区切られ、次回からはいよいよ最澄が登場すると予告されて回は終わります。
まとめ
この回では、空海が完成させた密教の世界観が、唯識を土台に「宇宙と自分は同一」という論理で組み立てられていることが、圧縮ファイルやソフトのインストール、映画『マトリックス』といったたとえで解説されました。
- 密教は無意識をハックする修行体系によって、生きたまま速攻で成仏する即身成仏を説く
- 法具や印は悟りの概念を詰め込んだ「圧縮ファイル」で、儀式はソフトのインストールにたとえられる
- 大日如来は何もしない宇宙の真理そのもので、自分と同一とされる点でキリスト教の神と大きく異なる
- 空海は他宗派を否定せず、意識の発達段階の途中に位置づけて包含した
- 座禅や瞑想は身体感覚を変えて悟りに近づく方法であり、西洋の思想やマインドフルネスにも通じる面がある



