「すべての人間は平等」と書いた国は、最初から民主的だったのか?
前回までのドイツ・ワイマール共和国に続き、今回はアメリカの民主主義の形成と特徴がテーマです。アメリカ史は以前のシリーズでも扱っているため、この回はおさらいを兼ねて要点をたどります。
1776年、イギリスの統治下にあった北米の13植民地が独立を宣言します。のちの第3代大統領トマス・ジェファソンを中心に起草されたアメリカ独立宣言は、すべての人間は生まれながらに平等であり、生命・自由・幸福の追求は不可侵の権利だとうたいました。
アメリカ独立宣言はジョン・ロック ── 17世紀イギリスの哲学者。人は生まれながらに生命・自由・財産の権利を持ち、政府はそれを守るために存在するという考えを示し、近代の人権思想に大きな影響を与えましたの思想の影響を強く受けており、フランス人権宣言よりも前に出され、その後の各国の憲法にも影響を与えていきます。
翌1777年には国名がアメリカ合衆国に定められ、1787年の憲法制定会議でアメリカ合衆国憲法が採択されます。ただ楊さんによれば、アメリカという国は最初から民主主義の国だったわけではありません。
アメリカというと、なんかこう、一番最初からめちゃくちゃ民主主義の国っぽいイメージあるじゃないですか。
あります。資本主義、民主主義みたいな。
合衆国憲法の非民主的な面を象徴するのが、黒人奴隷を1人ではなく5分の3人として数える五分の三条項 ── 奴隷を人口の5分の3として数える合衆国憲法の規定。下院の議席配分や課税の基準となる人口の算定に使われ、南北の州の妥協の産物として生まれましたです。
すごい。こんなあからさまにやってたんですね。
時代ですよね。まだその民主的な制度とか配慮っていうのは、まだ限定的だったっていうことですよね。
楊さんは、奴隷がいて身分制が残っているのに、建国の文書では「すべての人間は平等」と掲げているところに、アメリカが抱え続けた矛盾があると指摘します。
13の州をまとめる憲法づくりは、なぜ難航したのか
アメリカ合衆国憲法づくりの難しさは、独立国のような各州が集まって1つの国になったことにありました。大きな州と小さな州、奴隷制や奴隷貿易を盛んに行う州とそうでない州があり、利害が一致しなかったといいます。
フィラデルフィアでの憲法制定会議では、のちの初代大統領ジョージ・ワシントンが議長を務めました。結果として13州すべてで批准されたものの、最後まで「やっぱりやめた」と言い出しそうな州が多かったようです。
一つにまとめる時に、あんまり共通理解みたいなのがそんなにないので、この憲法を制定するって言っても、そのかなり意見が割れちゃってるから、その憲法なのに間を取ってるみたいな作り方をしないといけなかったみたいですね。
まとまりのなさは大統領制にも表れていました。楊さんによると、当初は大統領のような存在をあまり用意するつもりもなかったものの、各州がまとまらないために、結局は大統領の権限がそれなりに強い形でやらざるを得なかったといいます。
建国の父たちが「多数決」を警戒したわけ
アメリカ合衆国憲法の草案に関わった建国の父たちは、大地主や弁護士など知的職業の人がほとんどでした。建国の父たちは、アテナイのような全員参加の直接民主制は無理だと考え、代表を選んで代表だけが会議をする共和制を取ろうとしていたといいます。
建国の父たちの見方では、民主主義の国は不安定で、個人の安全や財産権を保障できないおそれがありました。白人男性には投票権を与えつつも、多数決への懐疑はずっと残っていたと楊さんは説明します。
この回で楊さんは、少数のエリートが公共の利益を目指す考え方と、多くの人が政治に参加して多数者の利益を目指す考え方の2つを対比し、これが現在の共和党と民主党のルーツだと話しています。
少数のエリートが公共の利益を目指して治める。共和党のルーツで、建国の父たちの間では優位だった
なるべく多くの人が政治に参加して発言し、多数者の利益を目指す。民主党のルーツ
楊さんによれば、現在も大統領を直接選挙ではなく大統領選挙人を通じた間接選挙で選んでいるのは、こうした考え方から生じたもののようです。黒人奴隷の存在、女性参政権がないこと、人民の政治参加への警戒を合わせると、建国期アメリカがどれほど民主的だったかには疑問が残るとされています。
フランス人トクヴィルは、なぜアメリカを見に来たのか?
一方で、あるフランス人はアメリカにとても民主主義的な部分を見出しました。それが、20代の青年貴族アレクシ・ド・トクヴィル ── 19世紀フランスの政治思想家。アメリカ視察をもとに『アメリカのデモクラシー』を著し、民主社会の長所と危うさを論じたことで知られますです。
トクヴィルが視察に来たのは1831年で、建国の父たちが退場した頃でした。時の大統領アンドリュー・ジャクソンは、貧しい家庭に生まれ、自力で台頭した人物だったといいます。
トクヴィルの関心の背景には、当時のフランスの混乱がありました。楊さんは、革命から王政に戻るまでのフランスの流れを次のように振り返ります。
だからフランス人からすると、共和制ってどうやったらできるのって思ってるんですよ。
王のいない共和国を、曲がりなりにも続けているアメリカは、トクヴィルにとってフランスの未来に見えたのかもしれません。出演者の一人は、都市国家より広い国土で共和制をどう統治しているのかという関心もあっただろうと補い、「大企業がスタートアップに視察に来るみたい」と例えています。
「純朴な野蛮人」の国に見た、タウンシップの自治
楊さんによれば、トクヴィルはアメリカに2つの感情を抱いていました。1つはルソー ── 18世紀フランスの思想家。文明が進むほど人間は本来の善良さを失うと論じ、自然状態の人間を理想化して描きました的な、文明に毒されていない純朴な人々への憧れ、もう1つは先進的な共和国への関心です。
なんかほら、都市出身の人が田舎とかに抱く幻想、こんな感じじゃん。
実際に訪れたトクヴィルは、連邦議会の政治家の水準には失望したといいます。ところが、名もなき市井の人々が地域の問題を主体的に理解し、自分の意見を活発に述べる姿に強く驚きました。
その舞台がタウンシップ ── アメリカの町や村単位の地域自治の仕組み。住民が集会を開き、学校や道路など身近な課題を自ら話し合って決めていましたです。政府がまともに存在しない開拓地では、学校や道路、病院をどうするかを住民が自分たちで考えるしかありませんでした。
病院もねえからさ、酒場で足とか切断してたみたいな話したじゃないですか。
警察もおらず、懸賞金で犯罪者に犯罪者を捕まえさせていたような時代だったため、自治の精神がとても強かったと楊さんは話します。この主体的な参加こそが民主主義の最大の可能性だと、トクヴィルは感じたといいます。
制度のワイマール、感覚のアメリカ
楊さんは、前回扱ったワイマール共和国とアメリカが逆の構図だったと整理します。ワイマール共和国は憲法も制度もよく整っていたのに、駆動する人々には保守的な人が多く、ヒンデンブルクやヒトラーのような強い指導者を求めてしまいました。
アメリカはね、やっぱ逆なんだよね。そのシステム整ってないんだよあんまり。だけど自分たちでやろうって気持ちが超あるから。
当時第一線の民主的な憲法と普通選挙があった。しかし人々は強い指導者に従属することを望み、自由を手放した
制度はあやふやだった。しかし人々に自分たちでやろうというマインドがあり、自治が根づいた
トクヴィルが強調したのは、民主主義とは移民社会アメリカで名もない人々が経験した感覚だという点です。自分たちは誰にも従属していない、誰も特別な存在ではない、すべては自分たちから発して自分たちに返ってくる、という感覚です。
楊さんは、アメリカ人自身はこの時、自分たちのすごさをよく分かっていなかっただろうと話します。外から来たフランス人だからこそ指摘できた点も面白いところです。
シリーズ初回で「民主主義は意思決定プロセス」と答えていた出演者も、それは一部でしかなく、もっと複合的なものだと振り返っています。楊さんは、社会契約論とこうした話を合わせて聞くと、民主主義を解像度高く捉えられると語ります。
南北戦争の反省から生まれたプラグマティズム
アメリカが生んだもう1つの政治思想がプラグマティズム ── 19世紀後半のアメリカで生まれた哲学。考えや理論の正しさを、実際に行動した結果の有効性から判断しようとする立場ですです。南北戦争後、ハーバード大学の周辺に集まった若い学生たちが話し合って編み出したものだと紹介されます。
学生たちの目には、南北戦争は自分たちこそ正しいと信じ、信念を共有しない人々を許さないイデオロギー対立の産物に映りました。その反省から、正しさを決めつけるのではなく、実践の結果で判断する考え方が生まれます。
信念を選ぶ
各人には自分が選んだ信念を追求する権利がある。何が真理かは究極的には証明できない
互いを認めて実践する
相手の信念も認めたうえで、自分の信念に基づいて行動する
結果で判断する
よい結果が出れば、それを差し当たりの真理としてよい
番組ではこれを「現場の実践にフォーカスしたPDCAの思想」「実験精神」と表現し、民主主義も実験として捉えられていたと説明しています。思想家のデューイ ── ジョン・デューイ。アメリカの哲学者・教育学者で、プラグマティズムを代表する一人。経験や実践を通じた学びを重視しましたは、不変の本質を追い求める西洋哲学を批判し、他者と経験を共有することに民主主義の基礎を見ました。
楊さんは、伝統がいったんリセットされ、目の前の課題に自分たちで対応するしかなかった開拓者の延長線上にこの思想があると話します。次回はイギリスと日本を取り上げ、日本が民主主義をどう受容したかに進むと予告されています。
まとめ
建国期のアメリカは、五分の三条項や多数決への警戒を抱えた、制度上はそれほど民主的ではない国でした。それでもトクヴィルは、誰にも従属しないという民衆の感覚と地域の自治に民主主義の本質を見出し、その実践重視の気質はプラグマティズムにもつながっています。
- 独立宣言は平等をうたったが、合衆国憲法には五分の三条項が残っていた
- 建国の父たちは直接民主制を警戒し、エリート中心の共和制を志向した。これが共和党と民主党のルーツとされる
- トクヴィルはタウンシップの自治に、制度ではなく人々の自立感覚としての民主主義を見た
- 制度が整っていたワイマール共和国と、感覚が先にあったアメリカは対照的だった
- 南北戦争の反省から、実践の結果で判断するプラグマティズムが生まれた





