皇帝が逃げた国で、共和国はどう生まれたのか
前回の民主主義の歴史編ではフランスの揺り戻しの多い歴史を扱い、今回のテーマはドイツのワイマール共和国です。ワイマール共和国は、シンドラーやヒトラー、第一次世界大戦の回でも登場してきた国です。
深井さんは、ヒトラーという「民主主義の大局」が民主主義のプロセスの中から出てきたことを重視しています。そこで今回は、ワイマール共和国が共和国として崩壊していく過程を、民主主義の歴史の観点から改めて見直します。
(ワイマール共和国が)どういうふうに崩壊していったのかっていうのも、改めて概観していって、やっぱ起こしちゃダメだよねっていう風に考えないとねって思ってるんですよね。
話は1918年、第一次世界大戦の末期から始まります。ドイツ帝国陸軍がすでに敗北を公的に認めたあとで、海軍はイギリスへの総攻撃を命じました。
戦争が終わったのに死ななければならないのかという反発から、兵士のサボタージュが起こり、キール軍港 ── ドイツ北部の軍港。1918年11月、ここでの水兵の反乱がドイツ革命の発端になりましたを拠点に反乱と蜂起が広がります。これがドイツ全土に広がったドイツ十一月革命 ── 1918年11月に起きた革命。帝政が倒れ、ドイツは共和国へと移行しましたです。
労働者・農民・下級兵士による革命協議会が各地で発足した背景には、ロシア革命がモデルになっていたことがあると深井さんは説明します。ロシアでは皇帝一家が処刑されていました。
皇帝ヴィルヘルム2世は、軍の首脳部から「反乱を治めるか、退位するか」を迫られます。しかしどちらも選ばず、家族と共にオランダへ亡命してしまいます。
うわ、逃げてるんや。
宰相マックス・フォン・バーデンは皇帝の退位を宣言し、自らも辞任して社会民主党のエーベルトを後任に指名しました。立憲君主制や社会主義などの選択肢がありましたが、ベルリンで何十万人もの民衆が主権を訴えたことで、立憲君主制は難しくなっていきます。
そしてデモの日、社会民主主義者のシャイデマンが帝国議会のバルコニーからドイツ共和国の成立を勝手に宣言し、なし崩し的に共和国が生まれます。これがワイマール共和国です。
「世界で最も民主的な憲法」の中身
共和国の成立に伴い、皇帝だけでなく全領主が退位を迫られ、長く領主たちに治められてきたドイツの体制は終わりを迎えます。第一次世界大戦を経て君主国がなくなっていった流れの一つが、ここで起こったことになります。
1919年、ヴェルサイユ条約 ── 第一次世界大戦の講和条約。ドイツに領土の割譲や巨額の賠償などを課しましたが結ばれる年の1月に国民議会選挙が行われました。社会民主党が38%で第一党になりましたが過半数に届かず、中央党や民主党と組んで「ワイマール連合」という連立政権を作ります。
ワイマール憲法の内容は、非常に水準の高い民主主義思想を示すものでした。男女を問わず20歳以上のすべての有権者に平等な選挙権が与えられ、比例代表制も採用されます。
すごい。男女問わずっていうところが。
さらにワイマール憲法には、人間が人間らしく生きるための生存権や社会権が明記され、国家が国民を守る義務も定められました。議会に対して全面的責任を負う条項も盛り込まれ、大統領制が導入されて、エーベルトが就任します。
深井さんによると、この憲法は当時、世界で最も民主的と言われるほど先進的でした。男女平等の普通選挙権については、イギリスが定めた1928年より10年ほど早かったといいます。
憲法すら停止できる大統領権限という欠陥
一方でワイマール憲法には強い欠陥があったとも言われます。それが大統領権限の大きさです。
大統領には陸海軍の統帥権、議会の解散権、首相の任命権、さらに緊急時に憲法を停止する権利まで与えられていました。深井さんは、法の下に置かれない皇帝と変わらないレベルだと表現します。
全部初期化できる。
深井さんは、ワイマール憲法を「いつでも独裁国家に生まれ変われる危うい憲法」と見ています。実際にヒトラーはこの権限を利用して台頭しました。
樋口さんは、流れを見てきた立場から、なぜこれほど権限を与えたのかと疑問を口にします。深井さんは、当時のインテリ層が話し合った結果であり、危機的な状況をこの仕組みで乗り切ろうとしたのかもしれないと答えています。
男女平等の普通選挙権、比例代表制、生存権・社会権の明記
統帥権、議会解散権、首相任命権、緊急時の憲法停止権
極左か極右か、連立の苦しい選択
ワイマール共和国の成立直後に結ばれたヴェルサイユ条約では、ドイツに戦争の責任が負わされ、再起不能にするほどの賠償金が課されました。共和国はこの過度の重荷を承認せざるを得ず、それによってさまざまな不満が噴き出します。
内政では政府打倒を目指す勢力が複数あり、ヒトラーのミュンヘン一揆もその一つでした。外交でも、賠償金が払えなければ最大の稼ぎ頭であるルール工業地帯を奪うとフランスに迫られていました。
こうした状況で、第一党の社会民主党とエーベルト大統領は国民の支持を得る明確な方針を打ち出せません。ワイマール連合は議席を失って半数を割り、代わって議席を伸ばしたのが極左と極右の政党で、その一つがナチスでした。
議会をまとめるには極左か極右と組むしかなく、政府打倒を掲げる極左よりはまだ極右がましだと判断されます。こうして、嫌々ながらナチスと組む現象が起こっていきました。
混乱して正解が出ない時って、誰も正解持ってないけど、とりあえず今やってるやつはダメだみたいな感じになりがちだなと思って。
楊さんは、ナチスの支持層は貧しい人だけでなく、さまざまな職業や社会階層に広がっていたと補足します。頼りない与党へのアンチテーゼとしてナチ党支持に走った動きが明らかになっているといいます。
ハイパーインフレと、経済が民主主義を支える理由
ヴェルサイユ条約の後、ドイツの経済状況は悪化し、ハイパーインフレが起こります。深井さんは、1914年に1マルクで買えたものが1923年には1兆マルクになったと説明します。
新しい貨幣レンテンマルク ── 1923年に発行されたドイツの暫定通貨。ハイパーインフレの沈静化に効果を上げましたが意外と機能し、インフレは比較的すぐ落ち着いたそうです。ところがその後、世界恐慌が起こります。
楊さんは、経済と民主主義には相関があると指摘します。研究によれば、経済発展の段階が下がるほど、民主主義国の割合は低くなるといいます。
仕事にありつけないで、次の食事をどこで食べられるかも全然わからない状態の中でさ、10年後、20年後の国の姿を想定して、今理性的な判断をするとかさ、そういうのできないですよね。
楊さんによると、経済が悪いと、異なる意見を受け入れる寛容さや忍耐強さを発揮しにくくなります。人々は状況をわかりやすく説明するロジックを欲しがり、ワイマール共和国ではそれが反ユダヤにつながっていきました。
システムは入れても、メンタリティは追いつかない
強いリーダーが求められる中、エーベルト大統領が亡くなり、ヒンデンブルクが国民投票で大統領に選ばれます。深井さんは、崩壊の構造を次のように整理します。
内外の問題
ヴェルサイユ条約や社会混乱など、のっぴきならない状況を抱える
第一党の失墜
有効な答えを出せず、社会民主党が支持を失う
議会の分裂
極左と極右が育ち、意見が割れすぎて議会が機能しなくなる
大統領頼み
大統領が権限で国を動かし、その役割をヒトラーが巻き取る
深井さんが重要だと見るのは、国民が選んだヒンデンブルクが君主制の信奉者だったことです。憲法は民主主義を押し出していても、国民の感覚はそこまで到達していなかったといいます。
深井さんは、自ら革命を起こしたフランスやイギリスと違い、ドイツは敗戦をきっかけに影響を受けて共和国になったと指摘します。そして、同じことは日本にも言えると考えています。
一回システムはインストールしました。でも全然使えてない。
座席がグループごとに決まるカフェが示す分断
楊さんは、当時のワイマール共和国は政治・宗教・社会階級・職業・居住地域ごとに分断され、グループ同士の対話がない社会だったという研究を紹介します。
その象徴として挙げられるのが、ベルリンのロマニシスカフェという有名なカフェです。入り口のドアマンが客の座席を決め、富裕層のエリア、一般客のエリア、共産党員専用のテーブルなどが細かく分けられていました。
民主主義の基本っていうのは、やっぱり対話なんですよ。相互理解とか寛容とか、ああいうものなんですよね。
楊さんは、グループ同士が反目し合い、それぞれの中でエコーチェンバー ── 似た意見の人とだけ交流することで、自分の考えが増幅され、正しいと思い込みやすくなる現象が起きていたと見ています。深井さんはこれを、ルソーの言う一般意志に至るプロセスが踏まれず、特殊意志がぶつかり合うだけの状態だと言い換えます。
そこへ世界恐慌が起こり、その不安を巻き取る形でナチスが台頭します。ヒンデンブルクは分裂した議会を使わず大統領権限で国を動かし、組む相手として嫌々ヒトラーを選びました。
みんなヒトラーをコントロールできると思ってたんだよね。
むしろヒトラーにコントロールされた。
天才マックス・ウェーバーはなぜ見誤ったのか
深井さんが今回新たに付け加えたのは、強い大統領権限がどう決まったのかという点です。調べると、社会学者マックス・ウェーバー ── ドイツの社会学者。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で知られ、近代社会学の祖の一人とされますが大統領権限の強化を強く主張していたといいます。
ウェーバーは憲法ができた時には生きていましたが、その後すぐに亡くなり、ヒトラーの出現は見ていません。深井さんは、これほどの洞察力を持つ学者でもヒトラーの出現は予見できなかったと話します。
強いカリスマに、自我のないマシンのような人々が従う
支持母体の願いを叶えることを仕事と勘違いする職業政治家が出てくる
これに対抗するため、ウェーバーは国民投票で選ばれた立派な人物に権限を渡して調整させようと考えました。しかし、この仕組みは全く機能しなかったと深井さんは言います。
だからこそ、過去に起こったことをつぶさに見て、積み上げ的に学ぶことが重要だと深井さんは考えています。一方で、議会が混乱したままでよかったわけではなく、大統領を調整弁にする発想自体は理解できるとも話しています。
「緊急時に議会は機能しない」をヒトラー後にも言うのか
樋口さんは、システムを入れるだけでは足りず、使う側のメンタリティが追いつかないと機能しないとまとめます。深井さんも、ドイツでは先進的な制度と民主主義的なメンタリティがアンマッチを起こしていたと見ています。
(民主主義は)ルールで決まってるシステムとしてあればうまく成り立つわけじゃなくて、ものすごく簡単に民主主義できなくなるってことだよね。
当時は、ウェーバー以外にも議会制民主主義は国家存亡の危機に機能しないと考える人が多くいました。深井さんはオットー・ケルヒャウイターやカール・シュミット ── ドイツの法学者・政治学者。議会制民主主義を批判し、例外状態における決断の重要性を論じましたの名前を挙げます。
深井さんは、コロナ禍で「中国の方が決めるのが早かった」と話したことにも触れます。それ自体はその通りでも、ヒトラーが出た後の人間が、ヒトラー以前の人たちと同じことを言っていてよいのかと問いかけます。
強力なリーダーに任せれば同じことが起こりうる以上、どうするかを考える必要があります。深井さんは危機感をあおるつもりはないとしつつ、フラットに見て再現されるポテンシャルはあると話しています。
樋口さんは、踏まえた上で「難しい」と言うのと、踏まえずに言うのとは全く違うと応じます。深井さんは一案として、ローマのように権限の任期を絶対に動かせない形で決めることが抑制になるかもしれないと述べます。大量虐殺は10年ほど権力を握っていたからできたことだという見方です。
社会契約説から見た「強いリーダーへの委任」
樋口さんは、せっかく共和制になったのに自ら手放してしまう動きに、インストールしただけでは実態が変わらないことを感じると話します。
深井さんは、混乱期に強いリーダーに状況を打開してほしいと思う気持ちはよくわかるとしたうえで、社会契約説に戻ると、それは自由を担保できない状態だと説明します。一般意志を見つけようとしない以上、自由は原理的に担保できないからです。
深井さんは、共和制を捨てることの危うさは、2600年前にダレイオスが「独裁制にさえ悪影響する」と指摘していたことにも通じると言います。
万能薬みたいな、そういう解決策を求めるっていう気持ちはわかるけれども、それは往々にして極端な意思決定につながってしまうっていうリスクがある
樋口さんは、貧困の中にいた当時の人々にこの言葉がどれほど説得力を持つかは微妙だと返します。深井さんもそれを認め、そうなるとまだましな体制を選べというホッブズの考え方も妥当に見えてくると話します。
最後に深井さんは、ワイマール共和国崩壊の要因を外的要因と内的要因に分けて総括します。
| 区分 | 要因 | 内容 |
|---|---|---|
| 外的要因 | ヴェルサイユ条約 | 背負いきれない重荷を課された |
| 外的要因 | 世界恐慌 | 国民生活が破滅的な打撃を受けた |
| 内的要因 | 大統領権限 | 強すぎたことが反省として語られている |
| 内的要因 | 議会と政党 | 機能不全に陥り、誰もヒトラーの暴走を予期しなかった |
アーレントの「モッブ」とオルテガの「大衆」
深井さんはさらに、アイヒマン裁判を取材した哲学者ハンナ・アーレント ── ドイツ出身のユダヤ系の政治哲学者。『全体主義の起原』などで知られますの議論を紹介します。アーレントは全体主義の出現を説明するために「モッブ」という概念を使いました。
深井さんの説明では、モッブは階級社会が解体された後に行き場を失った人々です。所属する集団をどこにも見つけられない人々が、議会制民主主義を欺瞞とみなして憎み、強い指導者に引っ張られていくといいます。
深井さんは、これがプラトンの「オス蜂」の話に近いと指摘します。楊さんは、人間が複数いて、そこから一つの意思決定を出さなければならないことに政治の本質的な難しさがあると話します。
もう一人紹介されたのが、批評家オルテガ ── スペインの哲学者。『大衆の反逆』で、近代社会に登場した大衆を鋭く批判しましたです。オルテガは、衆愚の本質はコントロールできない大衆という存在にあると論じました。
オルテガによれば大衆とは、みんなと同じだと思い、凡俗であることを恥じず、それを相手構わず押し付ける人々です。さらに、カフェで話題にしたことに法としての力を与える権利があると信じている、と深井さんは紹介します。
なんかあった?なんか罵倒されたりしたんかな。
深井さんは、この議論にも危うさがあると言います。こうした批判を強めると「何も言うな」となってしまい、カフェで話題にしたことを声に出すこと自体は悪いことではないからです。
民主主義の本質は「自分だけが正しい」と言わせないこと
楊さんは、民主主義の特性を不確実性とみる説を紹介します。誰も「自分たちだけが人民を代表している」と言い切れないこと、言わせないことが民主主義の本質だという考え方です。
自分たちだけが代表である、自分たちだけが唯一正しいっていう風に言わせないことが民主主義の本質であるっていう話ですよね。だからそれを言ってしまったのがヒトラーなんですよ。
深井さんは、アーレントやオルテガを紹介した理由を、衆愚やポピュリズムの危うさが「ずっと言われ続け、実際に起こり続けている」ことを示すためだと話します。それでも社会契約説は、自分たちで頑張らなければ自由は担保されないと説いています。
楊さんは、主張はしてよいが、自分たちだけが唯一正しいと思わないことが大事だとまとめます。ヒトラーが政権を取って他の政党を潰したことは、まさにポピュリズムの挙動だといいます。
ただ深井さんは、疑ってばかりでは何も決められないとも話します。そのうえで、歴史を学ぶ意味を火傷のたとえで説明します。
深井さんの考えでは、歴史を学んでも水に溺れるような新しい失敗はするかもしれません。それでも、火に手を突っ込むような失敗は防げると話しています。
次回はアメリカの民主主義を扱います。フランス人のトクヴィルが考察したアメリカの民主主義には、これまでの回では話していなかった側面があると予告されています。
まとめ
ワイマール共和国は、世界で最も民主的と言われた憲法を持ちながら、経済危機や議会の分裂、強すぎる大統領権限を経てヒトラーの独裁に行き着きました。深井さんたちは、民主主義は制度だけでは機能しないという点に、この歴史から学べる教訓を見ています。
- ワイマール共和国は敗戦と十一月革命を経てなし崩し的に誕生し、先進的な憲法を持っていた
- 憲法を停止できるほどの大統領権限が、ヒトラー台頭の道を開いた
- 経済の悪化と社会の分断が、寛容と対話を失わせ、強いリーダーを求める空気を生んだ
- マックス・ウェーバーほどの天才でも、自分が主張した制度の帰結は予見できなかった
- 歴史から正解はわからなくても、「これをやったら危ない」という失敗は学べる





