黄色い家に託した「画家たちのユートピア」
前回、ゴッホは南フランスのアルルで「黄色い家」という拠点を手に入れました。今回のエピソードは、ゴッホがこの黄色い家にどんな夢を込めたのかという話から始まります。
楊さんはゴッホの黄色い家の構想を、学術的な裏付けは一切ないと断ったうえで「ゴッホのいいかねPaletteプロジェクト」と勝手に呼んでいます。ゴッホがかけた思いは切実なので、丁寧に紹介したいと楊さんは話します。
ゴッホが以前から温めていた夢は、画家たちのユートピアを作ることでした。画家たちが1か所に集まり、支え合いながら共同生活を送り、創作もする。そんな地上の楽園を現実の世界に作りたいという構想です。
楊さんによれば、ゴッホのユートピア構想は主に2つの思想から成り立っています。1つは芸術家たちによる共同体という思想、もう1つは自然崇拝です。
ゴッホにとって共同体が大事だったのは、彼の世界観の中で、古いキリスト教を象徴する教会という共同体から排除されたからでした。教会に代わる共同体を見つけて慰められ、救済されたいという思いが、ゴッホの芸術活動と生きるモチベーションになっていたといいます。
ただし、芸術家の共同体というアイデア自体はゴッホのオリジナルではありません。19世紀初めのウィーンで生まれたナザレ派 ── 19世紀初めに結成されたドイツ系の画家グループ。中世の宗教画を理想とし、のちにローマの修道院で共同生活を送りながら制作したことで知られますの画家たちは、芸術と宗教と生活が一体であるという理念を持ち、カトリックに改宗して修道院で共同生活を送りながら創作していました。
ゴッホはナザレ派のスタイルを下敷きに、黄色い家を芸術家による宗教的な共同体として構想していました。樋口さんは、現代でいえば生きることと仕事と生活を一体化したいようなイメージだろうかと受け止めています。
教会からの排除
古いキリスト教を象徴する教会という共同体から、自分は排除されたと感じた
代わりの共同体探し
慰められ、救済されるための新しい居場所を求めた
ナザレ派をモデルに
芸術・宗教・生活を一体とする共同生活のスタイルを参考にした
黄色い家
芸術家による宗教的な共同体としてアルルで実現しようとした
なぜゴッホは太陽やひまわりに神を見たのか
ユートピア構想のもう1つの柱である自然崇拝について、楊さんは当時のオランダの時代背景から説明します。当時のオランダでは「自然へ帰ろう」という意識が広まっていました。
ここでいう自然には、太陽や星空、植物だけでなく、西洋から見た「未開の民」や農民、子どもといった、自然の中の住人も含まれていました。反対側に置かれたのは、文化や文明、教会、神学、都市、社会制度、美術のアカデミーなどです。
太陽・星空・植物、そして「未開の民」・農民・子どもなど自然の中の住人。ポジティブに捉えられた
文化・文明・教会・神学・都市・社会制度・美術のアカデミーなど
自然崇拝が広まった背景には、近代化や工業化社会へのアンチテーゼに加え、既存のキリスト教と教会の力が弱まったことがあります。頼りにしてきた教会が人々の気持ちを受け止めきれなくなり、多くの人が代わりの救いとして自然にすがりついたと楊さんは話します。
具体的には、自然の中に神の御業を見出す考え方が出てきました。花は神が結晶化させた思い、嵐は神の恐ろしい思い、世界は神の思いが物質化したものだ、と語る人が増えていったのです。
自然崇拝に傾いた芸術家たちは、神やイエス、聖人、天使、十字架といったキリスト教の直接的なモチーフを描く代わりに、身の回りの自然を宗教的な象徴として描くようになりました。ゴッホもその1人です。
| モチーフ | 象徴する意味 | 補足 |
|---|---|---|
| 太陽 | 神・イエス・教会 | 前回の絵で中央に太陽が描かれた理由とされる |
| ひまわり | 信仰心・愛 | 太陽に顔を向け続けると考えられていた(実際には向かない) |
| 熟れた麦畑 | 死 | 刈り取られる前であることから |
| 種をまく人 | 神の言葉をまく人 | キリスト教の伝統の中で整理されてきた置き換え |
楊さんによれば、こうした置き換え表現はキリスト教の長い伝統の中で整理されてきたもので、芸術家のオリジナルではありません。ただ、ゴッホを含む芸術家たちは、この置き換え表現をとりわけ大事にしていきました。
深井さんは、神の代わりを見つけても、結局それを神のように信仰してしまう人間の性質に注目します。
神の代わりなんだけど、神のように信仰してるじゃん。これすごく全員やるよねって思う。
科学もそのように使われるし、結局科学に対する信仰、科学者が言ってれば言うこと聞くみたいな感じになっちゃってるし、こういう思考から逃れらんないんだろうな。
樋口さんも、神的なものとの付き合い方は同じで、中身だけが入れ替わっているのだと応じています。
夕日に叫ぶゴッホと、教義から外れた信仰
ゴッホにとって自然は、神や神聖さを含む言葉でした。楊さんは、ゴッホが自然の中の神の御業に全身全霊で感動していたことを示すエピソードを紹介します。
ゴッホは激しい雷雨の中に飛び出し、ずぶ濡れで空を見つめて神の偉大な御業に感動したといいます。美しい夕日を見ると恍惚状態になり、立ち止まって太陽に手を差し出し、目を閉じて「あれを神と呼ぼうと何と呼ぼうと構わんが、一体どうやってあの仕業をやっているのか。僕らもあれができるようになるべきだ」と叫んだそうです。
樋口さんの「ゴッホのいう神はキリスト教の神と同じなのか」という問いに、深井さんと楊さんは「同じ」と答えます。そのうえで深井さんは、キリスト教の神をルーツに持ちながら自然そのものを崇拝し始めるのは、古代返りしているようだと指摘します。
キリスト教の中で僕の理解では、その神が作ったものと神そのものは明確に分けないといけないんだけど、太陽っていうのは神が作ったものだと言われてるわけじゃないですか。
だから夕日を見て、あれを神と呼ぼうと、何と呼ぼうと構わんがって言ってるっていうのは、キリスト教のやっぱりその教義からは外れてるなとは思いますね。
楊さんは、ゴッホが太陽に救いを見出した根底には、既存のキリスト教が自分を救ってくれなかったから必死で代わりを探していた、という動機があったと付け加えます。
行ったこともない日本はなぜ理想郷になったのか
ゴッホは自然への理想を日本人にも投影していました。浮世絵にのめり込んだゴッホの中で、日本人がどんどん理想化されていったのです。
ゴッホは日本に行ったことも、日本人と話したこともありません。それでも美術品や小説、雑誌を通じて、日本人は最高だというイメージを頭の中に作り上げました。
楊さんの紹介によると、ゴッホは「日本人はまるで自分自身が花であるかのように自然の中で生きている」「日本の芸術家たちは兄弟のように愛し合い、助け合っている」「我々は彼らを見習うべきだ」といった言葉を残しています。さらに日本人を「自然を崇拝する僧侶」とイメージしていました。
ゴッホの思い描いた日本人像は、まさに彼が作ろうとした「芸術家による宗教的な共同体」に当てはまります。ゴッホは理想の日本人像を、黄色い家の構想にも重ねていたわけです。
深井さんは、ゴッホの日本観を「解像度の荒い理解に理想を投影する」よくある現象として捉えます。
解像度が低い、だから神秘的で実検できないからこそ理想を投影する余地みたいなのがあって。
実際はさ、日本人もさ、どっちだってあるわけじゃん。いいこともあれば悪いことだってあるだろうし、いがみ合ってる人たちも普通にいるだろうし。
楊さんによれば、参考にした本にも、日本を正確に知らなかったからこそゴッホは理想を込められた、と書かれていたそうです。ゴッホにとって大事なのは正確さではなく、欠点だらけの自分を否定した古いキリスト教に代わる、理想を投影できる対象でした。
ゴーガンはなぜアルルに来たのか
ユートピアを作ろうと、ゴッホは画家仲間に手紙を出して共同生活に誘います。しかし人はまったく集まらず、最終的に応じたのはフランスの画家ポール・ゴーガンただ1人でした。日本ではゴーギャンと呼ばれることも多い画家です。
当時のゴーガンは絵が売れず、画家仲間に苦境を訴えて助けを求めていました。ゴッホはすぐに反応し、一緒に暮らせば生活コストが下がるし、南フランスは光がきれいだと提案します。
ゴッホはゴーガンを画家の先輩として深く敬い、共同体の中心人物になってほしいと考えていたようです。一方のゴーガンは、最初はまったく乗り気ではなく、説得されてアルルに来た形でした。
ゴーガンが動いた背景には、ゴッホの弟テオの存在がありました。テオはゴーガンに、アルルに来れば資金援助をするという条件を示し、旅費や生活費、借金の肩代わり、絵の販売といったゴーガン側の条件も受け入れていたといいます。
楊さんは、兄がやろうとしているプロジェクトのためにテオが頑張って人を誘ったのではないかと推測します。ゴーガンはテオの仕送りで収入を確保し、仕事が軌道に乗ったらアルルを去るつもりでした。
画家たちのユートピアの実現。ゴーガンに共同体の中心になってほしいと願い、ずっといてくれるものと思っていた
理念には共感していない。テオの資金援助で食いつなぎ、仕事が軌道に乗ったら去るつもりだった
ゴッホはゴーガンの真意を知らず、素直にテンションを爆上げさせます。深井さんは、テオがそれを言う必要もなさそうだと話し、楊さんは、言えばゴッホのメンタルに響くとテオは考えただろうと話しています。
あのひまわりは、たった1人のために描かれた
ゴーガンが来ることに舞い上がったゴッホは、ゴーガンに喜んでもらえるようにひまわりを描こうと思い立ちます。こうして、あの有名なひまわりのシリーズが生まれました。
ひまわりを選んだ理由もわかっています。ゴーガンは以前の展覧会でゴッホのひまわりの絵を気に入り、自分の絵と交換したことがありました。ゴッホにとってゴーガンは「自分の絵を気に入ってくれた、ひまわり好きな先輩画家」だったのです。
ゴッホは、ゴーガンの好きなひまわりをたくさん描いて部屋に飾れば絶対に喜んでくれる、という純粋な動機で筆を進めました。樋口さんは、この話に強く心を動かされます。
なんかあの超有名なひまわりの絵って、たった一人のために描いたやつなんや。
なんか自分の気持ちをこう、カンバスに乗せて、みたいな。それをなんか世界で有名にしたいとかじゃなくて。
楊さんはさらに、ひまわりが信仰心と愛の象徴だったことを思い出してほしいと続けます。ゴーガンの部屋をひまわりで埋め尽くすことは、「ゴーガンさんがめっちゃ好き」という告白のようなものだったというわけです。
なぜゴッホの絵はこんなに黄色いのか
楊さんによれば、ひまわりはキリスト教の伝統の中でも信仰や愛の象徴として扱われてきた題材でした。ゴッホの革新性は、ひまわりをすべて黄色系の色で描いたことにあります。
ゴッホはひまわり以外にも、画面を黄色で統一した作品を多く残しています。ひまわりを描く前から黄色の同系色で対象を描く研究を続けており、代表例として楊さんは「レモンと籠の瓶」を挙げます。
同系色で統一する代わりに、ゴッホは色調や明度を微妙に変え、筆のタッチを変化させて対象を描き出していました。
明るい色彩を重視したゴッホが、もっと明るい画面を作れないかと振り切った結果とする説
アブサンの中毒で視界全体が黄色く見える黄視症になり、そのイメージを創作に使ったとする説
2つ目の説に出てくるアブサン ── ニガヨモギなどの薬草を使った高アルコールのリキュール。19世紀のフランスで芸術家を中心に大流行し、健康被害が問題視されて一時は各国で製造が禁止されましたは、当時よく飲まれていた薬草系のリキュールで、アルコール度数は70%ほどでした。当時のものは幻覚や神経障害を引き起こすほど体への影響が大きかったといいます。
ただし、アブサン中毒説はあくまで医学的な見地から出された説の1つで、ゴッホはアブサン中毒ではなかったとする学者もいると楊さんは補足しています。
2か月で壊れた黄色い家の共同生活
ゴーガンの到着を前に、ゴッホはひまわりを描くだけでなく、ベッドや洗面器、椅子、鏡、箪笥、毛布などを買い込んで部屋を整えました。テオにねだって高級な絵の具も送らせ、完璧な空間に仕上げようとします。
しかし、ゴーガンはしばらく食いつないで帰るつもりでした。その真意を知らないまま舞い上がるゴッホの姿を、樋口さんは恋愛漫画を見ているようだと表現しています。
このすれ違いが原因となり、黄色い家の共同生活はわずか2か月で崩壊します。当初は2人で絵を描き、食事をし、料理上手なゴーガンのおかげで自炊して生活費が減るなど、うまくいっている面もありました。
けれど関係は次第に悪化し、ゴッホは喧嘩腰になっていきます。ゴーガンはアルルからテオに宛てた最初の手紙に、兄さんは少々いらついている、ヴァンさんと私では気質が違いすぎて問題なく一緒に暮らすのは到底できない、と書いていました。
雰囲気を和らげようと2人で美術館に行っても、作品の評価で激しく対立します。楊さんは、ゴッホには意見の違いを人格否定に結びつけてしまう傾向があったようだと話します。ゴッホは口ではゴーガンの絵が大好きだと言いながら、完成した絵にはいつも難癖をつけていました。
ある夜、ゴーガンが目を覚ますと、ゴッホがベッドのそばに立って見下ろしていました。声をかけるとゴッホは黙って自分のベッドに戻り、その記憶がなかったそうです。本では発作性健忘という症状ではないかとされていました。
ゴッホは壁にチョークで「僕は正気だ」と殴り書きをしたり、酒の入ったグラスをゴーガンの顔めがけて投げたりもしました。ゴーガンから見れば、情緒不安定な人の世話をするためにアルルへ来たわけではありません。楊さんは、身近に認知症の人がいた経験から、ゴーガンのしんどさも想像できると語ります。
ゴーガンがアルルを去る話が持ち上がると、ずっといてくれると思っていたゴッホは「裏切られた」と感じて取り乱します。ゴーガンを殺人犯呼ばわりし、剃刀を持って迫ったこともあったといいます。
耳切り事件の引き金は何だったのか
そしてゴッホは自分の耳を切り落とします。有名な耳切り事件です。正確な動機をゴッホは語っておらず、学者の見解も分かれていますが、楊さんは今回読んだ本の見解を紹介します。
1888年12月23日の夜、ゴッホは剃刀で左耳を丸ごと切り取ったとされます。一部を切り取ったという説もあります。シーツを引き裂いて止血しようとし、その後、耳を新聞紙で包んで娼館で雑用をしていたラシェルという女性に「大事にとっておいてくれ」と渡して去りました。ラシェルは失神したそうです。
本の考察では、耳切りは精神的に追い詰められた末の自傷行為で、引き金はおそらく2つあったとされます。
ゴーガンの離脱表明
アルルを出たいと告げられ、理想の破滅と「どこにも居場所がない」という絶望に囚われた
テオの結婚の知らせ
これ以上テオに頼れず、絵が描けなくなるのではという不安が爆発した
同じ日に重なる
2つの出来事が同じ日に起き、精神的に追い詰められた
耳切り事件
自傷行為として自分の耳を切り落とした
樋口さんは、2つの出来事を精神と生活の両面から整理しています。
生活基盤の方がテオがいなくなることでなくなるから、生活と精神が両方基盤がなくなるみたいな状況になったのかもしれないですね。
楊さんは、ゴッホは中間思考ができず0か100かでしか考えられない人だったのではないかと話します。長く精神的に苦しい人生が続いてきたところに、宗教的な救済も無理だという思いが重なり、一気に崩壊したと考えられています。
なぜ耳を女性に渡したのか
耳をラシェルに渡した理由についても、楊さんは学者の考察を紹介します。それはラシェルへの心からのプレゼントだった、という説です。
ゴッホはおそらくラシェルと顔見知りで、ラシェルは腕に犬に噛まれた怪我を負っていました。ゴッホは感情が激しく高ぶる中で耳を切り、彼女を不憫に思って、傷ついた肉体の代わりに自分の体の一部を差し出したのではないか、というのです。
この時期のゴッホは、最初の失恋の時のように宗教にのめり込み、貧しい人々に聖書を読んだり説教をしたりしていました。自分をイエスや神だと思い込むようになっていたともいわれます。
学者の説では、耳を渡す行為はヨハネの福音書 ── 新約聖書に収められた4つの福音書の1つ。イエスの言葉や行いを、神の子としての姿を強調して描いていますにある「私の肉を食べ、私の血を飲む者は永遠の命を持つ」というイエスの言葉にあやかった、人を助ける実践だった可能性があります。ただし、ゴッホが実際にこの記述を意識したかはわからず、あくまで学説の1つだと楊さんは念を押しています。
この学説は、ゴッホを「狂気の人」とするイメージへのアンチテーゼとして出されたものだそうです。耳を切って渡す行為は一見狂っていますが、人を助けたいという繊細な共感性から出た行動だった可能性もある、という見方です。
楊さんによれば、ゴッホは貧しい女性や弱い女性に極端な思いやりを示し、苦しみから救いたいという抑えがたい欲求を持っていたようです。以前に娼婦の女性と同棲したのも、ゴッホの中では純粋に助けたい思いからだった可能性があり、それが精神疾患によって常軌を逸した形で表れた、ということになります。
優しさか、執着か。ゴッホの「他者不在」
深井さんは、ゴッホのことは好きだと前置きしたうえで、ゴッホの認知には他者がいないと指摘します。
人の自由意志を裏切りって呼ぶ人って、大体僕その傾向あると思ってるんだけど、裏切りじゃないじゃん、ゴーギャンからしたら。
(娼婦の)彼女たちの人生にもさ、多分喜びもあれば悲しみもどっちもあったんじゃないかなと僕は予測するんですけど、徹底的に他者不在だよね、この人の認知の中には。
楊さんも、ゴッホの中に他者がいるとしても、それは自分の理想の中の他者だと応じます。深井さんは、耳を送られても優しさとしては受け取れないだろうと続けます。
一方で深井さんは、娼婦の女性たちへの思いには、受け入れられてこなかった自分自身の投影もあるのではないかと話します。自分を救えばいいのに、先に人を救おうとしてしまう。気持ちもわかるし、それがバグる原因でもあるという見立てです。
楊さんは、ゴッホを美しい、エモいと言えるのは距離があるからだと指摘します。深井さんも、近くにいたら相当嫌いになるだろうと応じ、両親に愛されていればよかったという簡単な話ではないと語ります。
深井さんはさらに、ゴッホが宗教にのめり込んだことについて、誤解されやすい点を補足します。宗教がゴッホを盲目にしたのではなく、理想を投影しやすいものがたまたまキリスト教だった、という捉え方です。
楊さんも、ゴッホの世界観の中では、宗教でも自然でも太陽でもよかったのだと応じています。
事件の翌朝と、残された友情への未練
耳切り事件の翌朝、ゴッホは自宅で瀕死の状態でいるところを警察に発見されます。当初は死体だと思われていたようで、散歩から黄色い家に戻ったゴーガンが殺人容疑で逮捕されてしまいました。
ゴッホは病院に送られ、ゴーガンはすぐにアルルを去って二度と戻りませんでした。それでもゴッホはゴーガンを親友と考え、テオへの手紙で、手紙を欲しがっていたことをゴーガンに伝えてほしい、今でも彼を大事に思っている、と書いています。ゴッホはその後、病院で監禁されることになります。
楊さんによれば、こうした状況の中でもゴッホはずっと並行して絵を描き続けていました。深井さんは、この物語には何とも言えない絶妙さがあると語ります。
素晴らしいとかダメだとかさ、そのどれも言えないという感覚が僕にはありますね。
いっぱい言いたいことあるけど、どれを言っても誤解されるなと思ってるから、なんかちょっとなんというか、複雑な感じです。
最後に楊さんは、ゴッホが死ぬまで精神的・経済的な支援を続けたテオが、かつてゴッホから一緒に画家になろうと誘われて「自分は画商でいい」と断っていたことに触れます。その距離の取り方が、テオの返事に表れていたのかもしれないと話し、物語は最終回へ続きます。
まとめ
黄色い家は、教会に代わる共同体と自然崇拝、そして理想化された日本人像を重ねたゴッホのユートピアでした。しかしゴーガンとの思惑のすれ違いから共同生活は2か月で崩れ、ゴーガンの離脱とテオの結婚の知らせが重なった日に耳切り事件が起きます。狂気とも優しさとも執着とも読めるゴッホの行動を、出演者は簡単に評価できないものとして受け止めています。
- ゴッホのユートピア構想は、ナザレ派に倣った芸術家の共同体と、自然に神を見る自然崇拝の2つから成り立っていた
- 有名なひまわりは、ゴーガンに喜んでもらうために描かれ、信仰と愛の象徴でもあった
- ゴーガンはテオの資金援助を条件に来ただけで、理念には共感しておらず、共同生活は2か月で崩壊した
- 耳切り事件の引き金はゴーガンの離脱表明とテオの結婚の知らせとされ、耳を渡した行為を宗教的な救済の実践と見る学説もある
- 深井さんは、ゴッホの認知に他者が不在であることを指摘し、宗教が彼を盲目にしたのではなく、理想を投影しやすい対象がたまたま宗教だったと語った




