なぜイングランドはスペインと戦うことになったのか
エリザベス1世編の第10回は、シリーズのクライマックスとなるアルマダの海戦の回です。冒頭で深井さんは、10回で収めるつもりの台本が収まりきらず、本編と関係の薄い海賊の話はサポーター特典に回したと説明しています。
本編はイングランドとスペインの戦争の勃発から始まります。エリザベスはネーデルラントと条約を結び、戦争が続く限り本格的な軍事援助を行うと約束しました。
さらにエリザベスは、海賊フランシス・ドレークに対し、スペインをいつでも攻撃してよいと伝えます。海賊は当時の最先端の海上戦闘技術を持っており、ドレークはその中でも特に有名な人物でした。
だから、フランシス・ドレークってその中でもすごく有名な人だから、その人にもういつでもスペインぶっ潰していいよということを言うわけですよね。
ところが、イングランドはスペインとの戦いで連戦連敗を重ねます。深井さんによれば、スペインは陸軍の練度が段違いで、戦争を続け新大陸の制圧も経験した軍人たちが非常に優秀でした。
メアリー・スチュアートの処刑が戦争の引き金に
スペイン王フェリペ2世の側にも事情がありました。アメリカ大陸からの収入が減り、ネーデルラントでは内乱が続いていたため、フェリペ2世も何か大きな行動を起こさなければならない局面に立っていました。
スペイン側が狙ったのは、イングランド国内の攪乱です。その鍵となったのが、イングランドで約19年間軟禁されていた元スコットランド女王、カトリックのメアリー・スチュアートでした。
メアリー・スチュアートを担いでエリザベスを暗殺する計画が持ち上がります。しかし、エリザベスの部下であるスパイマスターのウォルシンガムが計画を事前に察知し、メアリー・スチュアートは陰謀の加担者として処刑されました。
深井さんは、メアリー・スチュアートがイングランドに逃れるまでの経緯にもさかのぼります。メアリー・スチュアートはフランスで育ってフランソワ2世と結婚しますが、夫がすぐに亡くなり、スコットランドへ帰国しました。
再婚相手としてメアリー・スチュアートが自分の好みで選んだのが、名門貴族のダンリー卿 ── スコットランドの貴族ヘンリー・スチュアート。一般には「ダーンリー卿」と表記されることが多い人物ですヘンリーでした。この夫は嫉妬心が強く、親しかった音楽教師のリッチョをメアリー・スチュアートの目の前で殺害したといいます。
その後、ダンリー卿は爆弾で殺害されます。メアリー・スチュアートは殺害の首謀者と疑われたボズウェル伯と3度目の結婚をし、プロテスタントからもカトリックからも嫌われてスコットランドを追われました。
メアリー・スチュアートが逃げ込んだのは、カトリックがまだ強かったイングランド北部です。イングランドの王位継承権を主張していたカトリックの女王は、エリザベスにとってカトリック復興のシンボルにされかねない危険な存在でした。
楊さんは、ウォルシンガムが反乱側とメアリー・スチュアートの手紙のやりとりを把握したうえで泳がせ、頃合いを見て直筆の手紙を抜き取って証拠にしたと補足しています。
エリザベス自身は処刑をかなり渋ったとされます。王位継承権を持つ王族を処刑することは、エリザベス自身の信用や評判にも関わる大きな決断でした。
これ(メアリーの処刑)がフェリペ二世からすると、唯一イングランドに対して干渉方法として戦争ではない方法で残っていたものがなくなってしまった。
深井さんによると、両国ともお金がなく、本当は戦争を避けたかったといいます。しかし、ネーデルラント支援と海賊の攻撃を続けるイングランドと、収入減とフランスへの恐怖を抱えるスペインは、互いに戦争へと向かっていきました。
無敵艦隊アルマダとイングランドの圧倒的な戦力差
スペインの狙いは海上での戦闘ではなく、巨大な陸軍を海で運んでイングランドに上陸させることでした。深井さんは、この時代までに例のない大規模な陸海両軍の上陸作戦だったと説明しています。
作戦は2つありました。サンタ・クルーズ侯はリスボンに150隻の大型艦船を集め、砲兵や工兵、兵站部隊を含む3万の陸軍を緊密な防衛陣形で直接運ぶ案を立てます。フェリペ2世の甥であるパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼは、ネーデルラントから3万の歩兵を一時的な橋で渡らせる案を立てていました。
スペインは2つの作戦を両方とも実行することにします。深井さんは、どちらも行うという折衷案はあまり良くないと評しています。
準備中のスペイン艦隊を、ドレークが23隻を率いて奇襲し、24隻を撃沈しました。この先制攻撃でスペインの準備は数カ月遅れますが、出陣そのものを止めることはできませんでした。
さらにイングランドに幸運が重なります。優秀な司令長官だったサンタ・クルーズ侯が亡くなり、後任には海軍の経験がないシドニア公メディナ・シドニア公が就きました。本人は辞退したものの、言うことをよく聞き貴族の筆頭だったため任じられたといいます。
面白いね。フェリペ二世とエリザベス一世の人材采配のロジックで全然違いますよね。
深井さんは、イエスマンではない人材の均衡を保ち、海賊まで登用して成果を上げさせたエリザベスに対し、フェリペ2世の人選は伝統的で貴族的だったと対比しています。
出陣したアルマダの主力艦の構成を、深井さんはイングランド艦隊と比べて紹介しています。大型艦ではスペインが大きく上回る一方、小型艦ではイングランドが数で勝っていました。
| 船の大きさ | スペイン | イングランド |
|---|---|---|
| 1000トン以上 | 7隻 | 2隻 |
| 800トン以上 | 17隻 | 3隻 |
| 500トン以上 | 32隻 | 24隻 |
| それより小型 | 19隻 | 153隻 |
スペインは輸送船を含めて約130隻、大砲2430門、乗組員2万4000人と陸兵6000人の約3万人を動員しました。別にネーデルラントには歩兵3万、騎兵4000が上陸の機会をうかがっていました。
一方のイングランドは熟練兵が少なく、常備軍もないため、スペインがどこに上陸するかわからないまま兵を集めなければなりませんでした。楊さんは、エリザベスの父ヘンリー8世が軍艦を約130隻建造し、沿岸に要塞を築いていたことが不幸中の幸いだったと指摘しています。
ヒットアンドランと焼き討ち船、無敵艦隊はなぜ敗れたのか
ついに約150隻のスペイン艦隊が岬から見えるほどに迫ります。勝負を分けたのは、両国の戦術の違いでした。
スペインの戦術は当時のスタンダードで、大砲で一度攪乱してから敵船に近づき、乗り込んで制圧するというものです。精強な陸兵という強みに依拠した戦い方で、レパントの海戦 ── 1571年、スペインなどのキリスト教国連合艦隊がオスマン帝国艦隊を破った海戦。接舷して乗り込む白兵戦が中心でしたでの勝利という成功体験もありました。
イングランドはスペインの接近戦の強さを理解していたため、乗り込ませないことを戦略の柱にしました。速い小型船で相手が近づけば逃げ、離れて撃つヒットアンドランです。
大砲で攪乱した後に接近し、熟練の兵士が乗り込んで制圧する
速く小回りの利く船で距離を取り、近づかれたら逃げて砲撃する
プリマスやダートマス、ポートランド、ワイト島の沖での戦闘は、イングランドが距離を取り続けたため決着がつきませんでした。大きく動いたのは、パルマ公の歩兵部隊との合流を待つスペイン艦隊がカレー沖に停泊したときです。
イングランドは可燃物を詰め、油を染み込ませた焼き討ち船を志願者に操縦させ、スペイン艦隊に突っ込ませました。過去に焼き討ち船で痛い目を見ていたスペインは一瞬パニックになりますが、錨を切って逃げることに成功します。
焼き討ち自体はほとんど効果がありませんでした。しかし、錨を切ったことで、スペイン艦隊は流れの強い海で一か所にとどまれず、陣形も取れなくなりました。
錨を切ることによって陣形を保てなくなったりだとか、一つのところにとどまれなくなったスペイン艦隊は帰らざるを得なくなるっていう謎の負け方をする。
焼き討ち船
カレー沖に停泊するスペイン艦隊へ火のついた船を突入させる
錨を切る
スペインは錨を切って逃げ、焼き討ちの被害を避ける
陣形の崩壊
一か所にとどまれず、陣形を保てず、兵士とも合流できなくなる
撤退
風も吹いてイングランド艦隊に近づけず、帰国を決める
その後、クラブリーヌグラヴリーヌ沖で血みどろの砲撃戦となり、イングランドの砲弾は尽きかけます。そこに風が吹き、錨を失ったスペイン艦隊はイングランド艦隊に近づけなくなりました。
楊さんによれば、スペインの主力艦が操作を誤ってドレークに拿捕されたり、火薬を大量に積んだ船が事故で爆発したりする不運も重なりました。
帰国途中のスペイン艦隊では、傷んだ船が次々に沈み、アイルランドに流れ着いた兵士はイングランド兵に殺されました。3万人のうち生き延びたのは1万人だけで、海戦そのものより帰り道での犠牲のほうが多かったといいます。
運と流れが変えたスペインの行く末
アルマダの海戦の勝敗には運も大きく作用しました。深井さんは、日露戦争や元寇のように、負けない準備を整えた側が最後に運で勝つ戦いは世界史上に何度かあると話します。
特にやっぱ海の上って、もろ天候に左右されるからですね、(天候を)読み切れる人がそんなに多くはないので、それはやっぱ不確定要素として結構大きいと思いますよ。
最強国のスペインが敗れたことはフェリペ2世に大きな衝撃を与えました。それでも深井さんは、フェリペ2世が取り乱さず、指揮官も罰さずに艦隊を立て直した点を立派だと評価しています。
しかしスペインは、金銀の流入によるインフレや財政難、海賊による富の略奪に苦しみます。アルマダの敗北で「スペインは大したことがないのでは」という空気が生まれ、流れが変わったと深井さんは語ります。
楊さんは、アルマダの海戦だけでスペインがどん底に落ちたわけではなく、没落の過程の大きな出来事の一つだったと補足しています。名君フェリペ2世の後を継いだフェリペ3世と4世の時代に、スペインはさらに衰えていきました。
エリザベスの勝因は内紛を起こさせなかったこと
深井さんは、苦しい時代を名君が継げば国を持ちこたえられるという点で、エリザベスとスペインの後継者たちを対比します。
楊さんはこれを、潰れる寸前の会社を持ちこたえさせることにたとえています。勝利によってエリザベスへの支持は大きく高まり、エリザベスは神に愛された女王だと見られるようになりました。
楊さんは、海戦前のエリザベスの演説が映画『エリザベス:ゴールデン・エイジ』で再現されていると紹介します。深井さんは、実際のエリザベスは映画ほど若くなく、このとき50代だったと補足しています。
深井さんは、エリザベスが国内をまとめ、家臣の扱いと人の采配を間違えなかったことが、未曾有の危機でもイングランドを崩壊させなかった一番の理由だと考えています。
エリザベスは優柔不断だと言われることもありました。楊さんは、それは裏を返せば判断をきちんと保留できたということかもしれないと話し、深井さんも結果として正しい判断を重ねていたと語ります。
部下からすると、自分の意見が採用されてなくて、なんでやねんって。(でも)結果的には判断として、やっぱり正しい判断をちゃんとしていったっていうことだと思いますけどね。
次回はいよいよエリザベス1世編の最終回になると予告され、この回は締めくくられます。
まとめ
メアリー・スチュアートの処刑によって戦争以外の手段を失ったスペインは無敵艦隊を送り込みましたが、乗り込ませない戦術、焼き討ち船による陣形の崩壊、風や事故などの不運が重なって大敗しました。この回では、戦いを持ちこたえたエリザベスの勝因が、国内をまとめて内紛を起こさせなかった点にあると語られています。
- メアリー・スチュアートの処刑で、スペインに残る干渉手段は戦争だけになった
- イングランドはスペインの白兵戦を避け、速い小型船によるヒットアンドランで戦った
- 焼き討ち船でスペインに錨を切らせたことが、陣形の崩壊と撤退につながった
- 3万人のうち生還したのは1万人で、帰路での犠牲が海戦そのものより大きかった
- 深井さんは、エリザベスの最大の勝因を内紛を起こさせなかった人の采配に見ている





