アルマダに勝っても、なぜ気が休まらなかったのか?
スペインの無敵艦隊を破ったアルマダの海戦 ── 1588年、イングランドがスペインの無敵艦隊(アルマダ)を退けた戦い。イングランドが海洋国家として台頭するきっかけの一つとされますのあとのイギリスは、イギリス史上もっとも輝かしい時代だと言われています。ただし深井さんによれば、実際にはこの時期もさまざまな課題が続いていました。
1つ目の課題は経済です。戦争が続いたことで経済的な負担がかさみ、兵役を課すこと自体も国民の重荷になっていたと話されています。
さらに、エリザベス1世が59歳ぐらいのころにはロンドンで疫病が流行しました。ロンドンの死者数は15万8000人にのぼり、楊さんはペストの死亡率もこの時期に上がったという記録に触れています。
そのやっぱりずっと戦争してるから、何だかんだいって、その経済的負担、そして兵役をさせるということ自体もやっぱり負担になりますよね。
61歳ぐらいのころからは、天候不良で5年間ほど農作物がうまく収穫できない飢饉も起きました。穀物の価格が高騰し、貧しい人々が暴動を企てるほど深刻だったといいます。
楊さんは貿易面の問題も挙げます。スペインとの関係が悪化したことで、それまでの毛織物の輸出から利益を得にくくなりました。これが、ヨーロッパ大陸以外に貿易相手を探す動機にもなったと説明されています。
上の数字が示すように、エリザベス1世はアルマダに勝ったあとも、ずっと困難の中にいました。深井さんは、彼女の気が休まることはなかったとまとめています。
宮廷と民衆の劇が混ざり合ったイングランドのルネサンス
苦難が続く一方で、この時代のイギリスはルネッサンス ── 14世紀以降のイタリアで起こった文化運動。古代ギリシャ・ローマの学芸を見直し、人間中心の芸術や学問が花開きましたやヒューマニズムが花開いていく時期でもありました。深井さんによると、イタリアで始まったルネッサンスは15世紀ごろから北の国々に広がりましたが、イギリスは百年戦争やバラ戦争の影響で始まりが遅れていたといいます。
樋口さんが「ルネッサンスって何ですか?」と尋ねると、深井さんは一言では説明できないとして、いつかルネッサンスを扱う回で学んでほしいと答えています。簡単に言うと誤解を招くかもしれない、という理由です。
このルネッサンスの胎動期には、シェイクスピアのような人物も出てきます。楊さんは、エリザベス時代のイングランドのルネッサンスの特徴として、宮廷の文化と民間の文化が混ざり合ったことを挙げます。
エリザベス女王って結構劇とか好きだったし、民間の大衆がやってる劇だからって見ないっていう人じゃないんですよね。
エリザベス1世は民間の劇団を宮廷に呼んで上演させ、逆に宮廷お抱えの劇団を外で上演させて大衆に見てもらうこともしていたといいます。
楊さんによれば、民衆と宮廷人が互いのコンテンツを鑑賞し合う状況が生まれたことで、大陸のヨーロッパ諸国とは違うコンテンツが次々と生まれました。深井さんも、あれほど勉強した文化人である女王を君主にいただいたことで、この時代のイングランドは実際に文化が振興したと話しています。
有能な部下が去ったあと、宮廷のバランスはどう崩れたのか
深井さんはエリザベス1世の政治スタイルを、1人の人間に偏重せず、いろんな人の力を借りてうまく役割を割り振るものだとおさらいします。後半の政権では、ロバート・ダドリーとウィリアム・セシルの2人がそれぞれ派閥を作り、エリザベスはあえてどちらにも主導権を握らせないようにしていました。
しかし、有能な部下たちは年を取って次々に引退し、亡くなっていきます。恋人だったロバート・ダドリーが病気で亡くなったときには、エリザベス1世はひどく悲しんだといいます。楊さんは、セシルやウォルシンガムにも先立たれたと補足しています。
エリザベス1世が還暦ぐらいになるまでに多くの部下を失ったことで、家臣どうしのバランスが一度崩れます。代わって台頭したのが、ウィリアム・セシルの次男ロバート・セシルと、若く人気者のエセックス伯でした。
ロバート多すぎやな。ロバートダドリー、ロバートセシル、ロバート。
深井さんによると、エリザベス1世はエセックス伯を気に入っていたようです。エセックス伯は1587年ごろ、エリザベスが50代後半のころから王室の馬に関わる役職を得ますが、ほかの家臣たちと何度も問題を起こし、命令も無視し始めます。
エセックス伯は議会の場でエリザベス1世と言い争いになり、平手打ちされて怒って帰ったり、病気と称して出てこなくなったりしたと話されています。一方、ライバルのロバート・セシルは問題を起こさず、ひたすら優秀に出世を重ねていきました。
エリザベス1世が66歳ぐらいのころ、エセックス伯の大きな収入源だった甘ぶどう酒の輸入関税請負の特許状が期限切れとなり、更新されませんでした。楊さんは、臣下への報酬として商品の独占権を与えることがよく行われていたと説明しています。
人気だけを頼りにしたエセックス伯のクーデター
楊さんはエセックス伯について、出世欲は強いものの、それに見合った能力はなかったと見ています。軍人として出世を目指しても大きな戦果を上げられず、外交の政治家に転向したという経歴です。
小物です。
深井さんも、王に意見が違っても言い切ったウィリアム・セシルとは大違いの人物だと話します。それでもエリザベス1世はエセックス伯を育てようとしていましたが、特許状が更新されなかったころから、エセックス伯はクーデターを企て始めます。
ロンドン市民も自分を支持するだろうと思ってるわけです。すごい人気者だったんで、彼。
楊さんはここに認知の歪みがあったと指摘し、深井さんも「人気しかなかった」と話します。計画はすぐに発覚し、出頭を拒んで決起しようとしたものの、速攻で鎮圧されて34歳で処刑されました。
寵愛
若く人気者で、エリザベス1世に気に入られて役職を得る
対立
家臣と問題を起こし、命令を無視し、ロバート・セシルと対立する
特許状の不更新
甘ぶどう酒の輸入関税請負の特許が更新されず、収入源を失う
クーデター
ロンドン市民の支持を当てにして企てるが、すぐに発覚する
処刑
出頭を拒んで決起するも鎮圧され、34歳で処刑される
深井さんによると、エリザベス1世はエセックス伯を甘やかしすぎたと後悔したといいます。もう少し厳しく言わなければいけなかった、という思いだったようです。
死期を悟った女王と後継者ジェームズ6世
楊さんは、晩年のエリザベス1世が年齢には勝てず、公衆や臣下の前にあまり姿を見せなくなり、奥の部屋で女官をはべらせて過ごしていたと話します。エセックス伯の反乱未遂から2年ほど後、69歳ぐらいで健康状態が急に悪化し、薬や食事も取れなくなりました。
医者が薬を飲むよう説得しても、エリザベス1世は応じなかったといいます。楊さんは、本人が死を覚悟して「もういいよ」と言っていたという説もあると紹介しています。
結婚せず子どももいなかったエリザベス1世は、処刑したスコットランド女王メアリ・スチュアートの息子、ジェームズ6世に後継権を譲ります。ただし女王は最後まで明確な答えを渋っていました。
ほんと死ぬ直前ぐらいに家臣たちがもうジェームズ6世を後継者にしていいですか?もう喋るのがしんどいんで、もう手でサインしてくださいと。
手振りで「いいよ」と示したと解釈されていますが、深井さんは本当に認めたかどうかはわからないとしています。エリザベス1世は70歳ぐらいで亡くなりました。
深井さんは、エリザベス1世の生涯をあらためて振り返ります。
七十歳まで頑張って死ぬっていう、何が楽しかったんだろうなって思います。
楊さんは、エリザベス1世を「女王という宿命に本当に生き切った人」と評します。恋愛はしたのではという声に対しても、深井さんは女王として恋愛しないほうが楽しかったのではと思うほど大変だったろう、と答えています。
派手な征服者とは違う、地味に何とかし続けた女王
エンディングでは、エリザベス1世が派手なことをしていない人物だという感想が出ます。アレクサンドロスや高杉晋作のように、どこかを攻め込んで征服するような偉業とは違い、ずっと何とかしようとして地味に何とかしてきた人だという見方です。
チームの作り方が平和的で争いを起こさせないことや、民間と貴族の文化を交流させたことから、優しいイメージがあるという声も出ます。深井さんも、メアリ1世やヘンリー8世と比べれば実際に優しい方だったのではと応じています。
決断をするときも落としどころまで想像し、「これをするとどうなるか、その次にどうなるか」を考えていたため、決断の保留が目立ったのではないか、という見方も語られます。
激情型か理知型か。深井さんが見たバランス感覚
深井さんがエリザベス1世を学んで感じたのは、非常にバランス感覚に優れた人だということです。家臣の生かし方がうまく、特定の人物に偏重させず、いくつかの選択肢を並べてバランスよく選んでいくと話します。
めちゃくちゃ勉強して、いろんな国、時代、歴史も勉強した上に文学もしてるし、そういう一般的教養がやっぱある人間が取り得るバランス感覚の一つだなっていう感覚がすごくある、僕の中で。
深井さんは、エリザベス1世を劇場型と書く本もあるものの、劇場型の人が歩める人生ではないと考えています。楊さんも、劇場型に見える部分は計算ずくだったかもしれないと応じ、わざとそう見せていたという研究にも触れています。
比較の対象として挙がるのが、ヘンリー8世とメアリ1世です。深井さんは、2人ともすぐに人を殺すバランスを崩した君主だったとし、エリザベス1世はそれを見ていたからこそ違ったのだろうと話します。
王だからすごいという意識や「こうしたい」という自分の意思が出発点になり、すぐに人を処刑する
時代の空気や世論を読み、王という立場を客観視して、人を観察しながら判断する
楊さんは、大陸のアンジュー公との縁談が結婚直前まで進みながら、国民の世論が否定的だったため取りやめた例を挙げ、前代未聞だったと話します。深井さんはこれを、最後の最後で理性的な判断をした証だと見ています。
深井さんが一番すごいと感じたのは、ロバート・ダドリーと結婚しないと決めながら、好きな気持ちを抱えたままそばに置き続けたことです。楊さんは、ダドリーが文人のパトロンとしてエリザベスのブランディングに深く関わっており、重用には感情だけでない理由があったと補足しています。
部下を生かすっていう意味では劉邦系だけど、本人が賢いからね。なるほど。本人が諸葛亮レベルで賢いからね。
深井さんは、チンギス・カンや劉邦、劉備、アレクサンドロスとも違う新しいリーダーシップの類型だと語ります。自分が主張しすぎないものの、最後は自分で決める「バランス型」だという見立てです。
最後には、田舎と評されたテューダー朝が、手元にいる人の才能を見極めて生かし、国を立ち上げていった姿に、地方の田川を重ねる感想も出ます。ある資源を生かすしかない地方の事情と重なり、見習いたいと語られています。
まとめ
エリザベス1世の晩年は、アルマダ海戦の勝利後も、経済問題や疫病、飢饉、部下の死、エセックス伯の反乱と苦難が続いた時代でした。その一生を通して浮かび上がるのは、激情ではなく、教養と観察に支えられたバランス型の女王像です。
- アルマダ海戦後も、戦費負担、疫病による15万8000人の死者、5年間の飢饉などの困難が続いた
- 宮廷と民衆の劇を互いに鑑賞させたことが、イングランド独自の文化を生んだとされる
- 寵愛したエセックス伯は人気を頼りにクーデターを企て、34歳で処刑された
- エリザベス1世は死の直前にジェームズ6世を後継者として認めたと解釈され、70歳ぐらいで亡くなった
- 深井さんは、王という立場を客観視し家臣を偏りなく生かしたバランス型のリーダーと評価している





