主不在のオルレアンはなぜ危なかったのか
前回、ドンレミ村のジャンヌ・ダルクは神の声を聞きました。ちょうど同じころ、王太子シャルルを支えるアルマニャック派 ── 百年戦争期のフランスで、王太子シャルルを支持した貴族派閥。オルレアン公家を中心に形成され、イングランドと組んだブルゴーニュ派と対立しましたは、じわじわと追い詰められていました。
1428年、イングランド軍は重要都市オルレアンを包囲します。オルレアンはアルマニャック派の発端となったオルレアン公の本拠地で、戦略上の要地でもありました。
あら、ここ(オルレアン)陥落したらやばいですね。
しかも街の主であるオルレアン公シャルルは、包囲の13年ほど前の戦いで捕虜になっていました。身分が高いぶん身代金も高く、13年間戻ってこられないままだったと深井さんは説明します。
そう、主不在の状態で囲まれてるっていう危機的状態に置かれるわけです。
同じ負け方を3回、アザンクールの戦い
オルレアン公が捕虜になったのは、1415年のアザンクールの戦い ── 百年戦争中の1415年、北フランスのアザンクールでイングランド王ヘンリー5世の軍がフランス軍を破った戦い。クレシー、ポワティエと並ぶ三大会戦の一つですです。深井さんは、これをクレシー、ポワティエに続く百年戦争の三大会戦の3つ目として紹介します。
イングランド王ヘンリー5世は自ら軍を率いてポーツマスを出港し、ノルマンディーに上陸しました。騎兵2000人、弓兵6000人、船1500隻とともにセーヌ川河口の街アルフルールを囲み、カレーに次ぐ第2の上陸拠点にしようとしたといいます。
イングランド軍も楽だったわけではありません。食料不足や赤痢の蔓延、兵の脱走に苦しみながらもアルフルールを落とし、フランスの王冠はヘンリーに返されるべきだと挑戦状を突きつけました。
フランス側はアルマニャック派を中心に約2万人を集め、アザンクールの平原で迎え撃ちます。ところが結果は、クレシーやポワティエと同じ負け方でした。ヘンリー5世の号令でロングボウ兵が一斉射撃を放ち、フランス兵はかわせずに倒れていきます。
クレシーで同じ負け方をし、ポワティエで同じ負け方をして、満を持して3回目で同じ負け方をします。誰も分析しない。
深井さんの見立てでは、過去2回は約2倍の兵力で負けたので、今回は4倍にすれば勝てると考えたのではないかといいます。樋口さんはこれを、営業部隊や電話の回数を増やす発想にたとえました。
4倍にして勝つみたいな戦略なんですよ。フランスは戦略と呼べない戦略を。
深井さんは、カルタゴのハンニバルのような古代の戦略性と比べると、中世ヨーロッパの戦い方の違いが面白いと話します。楊さんは、その後の産業革命以降にはヨーロッパが世界の覇権を握っていく、と補足しました。
当日は大雨で、泥とぬかるみのために馬が前進できず、重い鎧の兵士が足止めされたことも敗因だったようです。
この大敗で、オルレアン公シャルルとブルボン公ジャンという重要人物が捕虜になりました。ブルボン家はのちにブルボン朝を開く家で、深井さんは「めちゃくちゃ大事な貴族」だと話しています。
城壁3万人の街オルレアン、落ちれば王太子まで届く
オルレアンが重要だった理由は、地理にあります。王太子シャルルがいたのはフランス中央部のブールジュで、オルレアンが落ちるとブールジュまで一直線につながってしまうからです。
深井さんは、ジャンヌが現れて奇跡的な勝利を収めなかったら、戦局は逆転していた可能性もあるといいます。さらにオルレアンが落ちれば、捕虜のオルレアン公の身代金も払えなくなり、主は二度と戻ってこないかもしれませんでした。
留守のオルレアンを守っていたのは、オルレアン公の腹違いの弟であるドゥノア伯ジャンです。人名が重なることについて、深井さんは「ジャンとシャルルとフィリップとルイしかいねえから」と笑います。
当時のフランス北部はほぼイングランド軍に制圧されていました。オルレアンは国の真ん中より少し北にあり、イングランド軍の最前線にあたる位置です。
一方で、オルレアンの守りは堅固でした。市全体を囲む市壁が残した記録によると、次のような規模です。
当時の城攻めの基本は持久戦でした。大砲などの攻城兵器が乏しく、城壁を直接攻めると死者のコストが高いため、周囲を包囲して食料が尽きるのを待つのが常道だったと深井さんは説明します。
ただし壁が2.7kmもあるため、数千人のイングランド軍ではすべてを囲めず、包囲には穴もありました。守備側は士気が高く、武器や糧食も十分で、時間的余裕はあったようです。
危ないのは南側でした。オルレアンのすぐ南にはロワール川が流れ、橋が対岸へ渡っています。対岸にはトゥーレル要塞とオーギュスタン要塞がありました。
対岸の要塞を奪われる
トゥーレル要塞とオーギュスタン要塞がイングランド軍の手に落ちる
橋を押さえられる
橋を伝って街へ攻め込める状態になる
南の補給路が絶たれる
味方がいる南側から食料を調達できなくなる
総司令官の死と、戦場のクリスマス交流
オルレアンを囲んだイングランド軍は全部で5550人ほどでした。司令官のソールズベリー伯が槍兵400と弓兵3250、ベッドフォード公が槍兵400と弓兵1200、さらにノルマンディー公領のフランス人も槍兵200と弓兵600を連れてきていました。
深井さんが注目するのは、弓兵が槍兵の3倍から8倍ほどいる編成です。イングランド軍はロングボウで撃ちまくる戦い方を続けていたことになります。
対するオルレアンの戦える市民は約4000人でした。数では劣るものの、城壁があるので「まあまあいい」と深井さんは評します。守備側は橋の一部を自ら壊し、要塞を攻められる方向を限ろうとしたのではないかと推察されています。
そこでフランス側に幸運が訪れます。戦闘開始直後、イングランドの総司令官ソールズベリー伯が砲弾を頭に受け、しばらくして亡くなったのです。楊さんは、砦の窓から砲弾が飛び込んできたという詳しい記録もあると補足しました。
以後、包囲戦は膠着します。楊さんが紹介したのは、この間の両軍の奇妙な交流です。クリスマスには停戦し、イングランド側の求めでオルレアンのバイオリン奏者が陣地へ演奏に出向いたといいます。
イチジクやブドウとビロードの布地を交換したり、両軍の騎士が槍の試合をして互いに見物したりもしたそうです。深井さんは日露戦争の例を挙げ、戦場には独特の心境があるのかもしれないと話しました。
交流があるのかないのかよくわかんない。
神のお告げと、隊長ボードリクールのビンタ
オルレアンは1428年10月から包囲されていましたが、ジャンヌのもとにニュースが届いたのは2〜3か月後でした。ドンレミとオルレアンは比較的近いのに、と深井さんは中世の情報伝達の遅さに驚きます。
ニュースを受けて、神はジャンヌにオルレアンを解放せよと告げます。まずヴォークルールの街へ行き、守備隊長ロベール・ド・ボードリクールに会え、という具体的な指示でした。
深井さんによると、ヴォークルールはドンレミと同じく敵地の中にある味方派閥の街で、ジャンヌの父が交流していたため、ボードリクールを知っていた可能性があります。いちばん近い味方の有力者を名指しするお告げは、ジャンヌの認知の中では自然だったと考えられます。
村を焼かれた経験をトラウマとして抱えていたジャンヌは、ここで故郷を去る決意をします。17歳ほどの村娘にとって、それは大きな勇気のいる選択でした。村の総意として送り出したという説と、いとこの出産の手伝いを口実に家を出たという説があり、両立しないため、どちらかは誤りです。
ジャンヌはいとこの夫デュラン・ラクサールに付き添いを頼み、ボードリクールに会いに行きます。当時は女性が付き添いなしで村を出てはいけない決まりもあったようです。
そしたらね、隊長はね、ジャンヌを連れてきたおじさんをね、いきなり平手打ちするんだよ。パーンって。
一度は追い返されたジャンヌでしたが、何度も通って、フランスはロレーヌから出る乙女によって救われるという予言をご存じないのか、と訴えます。深井さんは、自分で言った話を他人の予言のように語る姿に笑ってしまったといいます。
これだからスタートアップがさ、ピッチ大会に出て、自分で優勝して、あそこで優勝したスタートアップですけどって言ってんのと一緒だよ。
実際、当時はそうした予言めいた噂が流布していました。ジャンヌは、その噂の主人公こそ自分だと本気で主張したわけです。
村娘の話を真に受けず、付き添いのおじさんを平手打ちして追い返す
何度も面会するうちに「これマジかも」と思い始め、お供をつけて王太子のもとへ送り出す
心変わりの理由として語られたのは、ジャンヌの言葉が、王太子が戴冠しイングランド軍が追い返されるべきだという、ボードリクール自身の望みと一致していたことです。しかも神が彼を名指ししたのですから、悪い気はしなかったのかもしれません。
もう一つ、王太子の義母ヨランド・ダラゴンが噂を聞き、政治的に利用しようとジャンヌを引き立てたという傀儡説も当時からありました。ただし証明はされておらず、明智光秀の黒幕説と同じ程度の「ただの説」だとされています。
男装して500km、11日間の旅
王太子シャルルのもとへ向かう過程で、ジャンヌは髪を切り、男性用の衣服や靴を身につけて旅をし始めます。樋口さんが急な男装の理由を尋ねると、深井さんは機能面だけでなく、意味の面でも複合的だと答えました。
ここからだからなんかモードが変わってるっていうことは間違いないんだよね。
楊さんは、当時の服は今のようなただのアイテムではなく「ファイルの拡張子が変わる」ようなものだったと補足します。女性の服、騎士の服というように、服とアイデンティティが一体化しており、戦場や公の場へ出るジャンヌは男装を選んだという説明です。
深井さんはこれを、女性が男性中心のビジネス社会に入っていった初期に、女性の「戦闘服」がなくスーツを着た状況にたとえました。
だからスーツ着てビジネスの現場に行くってことを決意した彼女がスーツ着たってことです。
王太子がいたシノンまでは、敵地をくぐり抜けて500km以上ありました。ジャンヌ一行はこれを11日間、1日約50kmのペースで踏破します。ボードリクールがつけた6人のお供は、イングランド軍に遭遇するのを恐れていました。
しかしジャンヌは、主がついているのだから心配はないと言い切ります。実際に11日間何も起こらなかったことで、ただの幸運が「神の声どおり」の出来事として受け取られていきました。
そうすると、いや、嘘やろって思ってても11日間本当に何も起こんないから。
楊さんはこれを、たまたまの幸運が神というフレームワークに当てはめられ、納得感がインフレしていく現象だと表現しています。
王太子を見抜いた?謁見の奇跡をどう読むか
ジャンヌは事前に手紙で到着を知らせていました。王太子の周囲は、狂人だと見る人と、都合のいいことを言うから本物の神の声かもしれないと見る人とに分かれます。
到着後、王太子は聖職者らに思想調査と品行調査をさせます。そして映画や演劇で必ず描かれる不思議な出来事が、この時期に起きたとされています。
1つ目は、顔も知らないはずの王太子を見抜いたという話です。王太子は粗末な服で群衆の陰に隠れていたのに、ジャンヌはまっすぐ進んで跪き、ランスで戴冠して王になるよう主が命じた、と告げたと伝えられます。
ただし深井さんは、この話は又聞きでしか残っておらず、史実かはかなり微妙だといいます。事前に顔を知っていた説、王座にいた王太子へ堂々と歩み寄っただけの話が誇張された説などがあり、後世の創作とする見方が有力です。
2つ目は、王太子にしか知りえない話を耳打ちしたという逸話です。後の裁判で内容を問われたジャンヌは、王太子に聞け、と答えました。母イザボーの発言で出生を疑われていた王太子に、あなたはシャルル6世の子だと言い切ったという説もあります。
なんかちょっとこれ物は言いようっていうのがいろいろありますね。
楊さんは、占い師のように相手の心理状態に合う言葉をその瞬間に言えたことで説得力が増したのではないか、と話します。樋口さんは、それをコールドリーディング ── 事前情報なしに、相手の反応や一般的な傾向から心を読んだように見せる話術。占い師などが使う手法として知られていますと言い表しました。
3つ目は最も不思議な話で、王太子の部屋に天使と聖女カトリーヌ、聖女マルグリットが現れ、居合わせた人々も目撃したというものです。
僕が思ったのは、本当に見てたとしたら、その後処刑すんなよって思った。
のちにジャンヌが処刑されるとき、王太子シャルルはまったく助けません。深井さんは、この時代は都合のいい解釈を強める手段が宗教ロジックだったため、何でも宗教的な話になるのだと語ります。
3週間の預言者検査、処女性が意味したもの
ジャンヌは身体検査と道徳検査を受けました。楊さんによると、預言者はたくさんいたため、本物を見分ける手続きがパリ大学や教会によって体系化されていたといいます。
見られたのは、何を預言としているか、揺るがない正しい信仰を持つかという人格条件、そして神から来た証しとなる身体の印です。腕の赤い十字架やイエスと同じ足の傷などが例に挙げられ、ジャンヌの場合は右耳の後ろの赤い印がそれと見なされたようです。
深井さんは、こうした厳密な作法を踏むことが当時のコンセンサスであり、ルールを定めて守ることでパリ大学や教会が権威を保っていたと指摘します。そして現代のデューデリジェンス ── 投資や買収の前に、対象企業の財務や法務、事業の実態などを調べる審査のこと。略してデューデリとも呼ばれますと同じだと話しました。
ただ、それをルール化し、定め、それをちゃんと踏襲することが、僕たちの社会にとって超重要なことじゃないですか。
彼らの中では合理的でも、深く掘るとツッコミどころ満載で、深井さんはそれを「呪術」と呼びます。現代の人も同じように呪術をやっている、というのが深井さんの見方です。
身体検査で重視されたのは処女かどうかでした。悪魔は必ず交わるとされていたため、処女であれば悪魔と契約していないと見なされたのです。
楊さんは、処女性が軍事的にも意味を持ったと補足します。「処女を守る」という表現から、悪しきものの侵入を防ぐ防御力が連想され、ジャンヌが軍にいることで勝率が上がるとイメージされたのではないか、という見方です。樋口さんはこれをゲームの「バフ」にたとえました。
検査は3週間続き、審問官は戸惑いながらもOKを出します。しかしジャンヌは、主がお持ちの本はどんな聖職者も読めない、と教会の権威を否定するような発言までしていました。
完全否定しているのにも関わらず、彼女がこの時点でなぜ処刑されないかっていうのは、やっぱり政治的ロジックだと思う。
神の声を直接聞いて対話すること自体、教会的には異端として告発すべき行為だったと楊さんは説明します。都合がいいうちは見逃され、都合が悪くなると同じ発言が「魔女」の根拠に使われていくことになります。
「神が救うなら兵士はいらない?」への答え
審査の中では、神がフランス王国を救うと決めたなら兵士はいらないのではないか、という質問も出ました。ジャンヌは、兵士が戦うからこそ神は勝利を与えるのだと答えます。
みたいなことを言われると否定ができない。
深井さんは、聖書でも神はモーセに行動させるなど、結局は人間に何かをさせていると指摘し、この答えに説得力があったと話します。
楊さんによれば、ジャンヌの言葉は審査基準にも合っていました。預言は共同体にだけ利益をもたらし、預言者自身には利益をもたらさないものとされていましたが、ジャンヌは自分の出世を語らず、共同体の利益だけを唱えていたのです。
こうしてジャンヌは、アルマニャック派の人々から良いものとして受け入れられていきました。
預言者・乙女・騎士が混ざった「バグ」
ただしジャンヌは、当時の枠組みで簡単には解釈できない存在でした。楊さんは、預言者モデルも乙女モデルもわかり、女預言者は聖書にもいるので2つの組み合わせも理解できるが、男性限定の騎士モデルまで重なると意味不明になる、と説明します。
| モデル | 当時の受け止め | ジャンヌとの関係 |
|---|---|---|
| 預言者 | 神の言葉を伝える者として理解できる | 神の声を聞いたと主張 |
| 乙女 | 処女性は純潔と防御力の象徴 | 処女であると認められた |
| 騎士 | 男性限定のモデル | 男装し戦場へ行き指揮まで執ろうとする |
深井さんによると、羊飼いの娘が預言するモデルのように、当時は分かりやすいテンプレートが多数ありました。現代でいえば、アメリカでMBAを取って起業したエリートには誰も驚かないのに、まったく違う経路で起業した人には「なぜできたのか」と質問してしまうのと同じだといいます。
深井さんは、今の社会でいうとノンバイナリーのような出方だと例えます。「どっちでもない」と言われて戸惑う人がいるように、「騎士で乙女って何?」と聖職者たちが迷ったという見立てです。
みんな超迷ったんだけど、めちゃくちゃ都合いいこと言ってるから、まあいいかってなったっていうのがこの瞬間っていう。
楊さんは、当時の女性は男性より愚かとされ、戦場に出ることも軍を率いることも自然の摂理に反すると考えられていたと補足します。ジャンヌは戦場に行くだけでなく指揮官として振る舞おうとしたため、なおさら理解不能でした。
深井さんが最も面白かったと語るのは、人間が認知の枠組みで判断コストを下げているという点です。預言者検査に作法があるのも、毎回ゼロから審査すると時間がかかりすぎるからです。
一つ一つ分解すると意味がわかるんだが、組み合わせると意味がわからないっていうところが多分すごく大事だったんだと思うんだよね、このバグの中で。
バグとして現れたジャンヌがどちらに転ぶかは、都合で決まりました。この時は都合がいいのでポジティブに受け止められ、のちに都合が悪くなってネガティブに転じます。ジャンヌ自身は戦略ではなく天然でその状態に入っていった、と深井さんは言い、その喜劇性に触れます。
理解不能な存在
預言者・乙女・騎士を併せ持つバグとして現れる
都合がいいので受容
王太子側の利益に合うため肯定的に解釈される
勝利で信仰が膨らむ
たまたま勝つたびにレバレッジがかかって信仰が増える
負けるとはじける
勝ち続けるしかない状態で、負けると一気に崩れる
深井さんは、今の株式会社には株価がつくので見えやすいが、当時のジャンヌに「信仰」という数値がついていたら、上がってはじけるバブルそのものだっただろうと話しています。
17歳の少女がイングランド軍に送った警告状
王太子側からOKが出たジャンヌは、イングランド軍を追い返すと宣言します。まず書いたのが、ヘンリー5世の弟ベッドフォード公らに宛てた警告の手紙でした。
手紙の内容は、フランスで占領・略奪した街の鍵を返して母国へ帰れ、従わなければ神から遣わされた乙女が追い出す、というものです。深井さんはこの手紙を読み上げ、一人称が「乙女」であることにも触れます。
手紙は、従わなければ皆殺しにする、真の世継ぎシャルルがパリに入る、1000年来フランスで聞かれなかった勝ちどきをあげる、と同じ主張を言い方を変えて繰り返しています。深井さんは、ジャンヌは文字が書けないため、口述を書き写したので繰り返しが多いのだろうと推測しました。
一回も戦争に行ったことのない17歳の少女が、ベッドフォード公って超偉い人なんですよ。
これ貴族社会ですよ。に対して、これを手紙で書いてくるっていうのは、やっぱその預言者フレームワークがないと無理。
樋口さんが印象的だったのは、神の罰が下るではなく、「私行くわ」と言っていることでした。頭で考えた言葉ではなく、ずっと本気で信じて言っている点が、ジャンヌという人物をよく表していると受け止めています。
なるほど。でもなんか面白くて。人間って自信満々に言われたらそうかもって多分なんかなるかもしれない。
深井さんはシチュエーションによるかもしれないと応じつつ、この少女が実際にオルレアンへやって来て解放を果たす話を次回に予告しました。
まとめ
今回のエピソードでは、アザンクールの大敗から続くオルレアン包囲の危機のなかで、村娘ジャンヌが故郷を出て王太子に認められるまでが語られました。奇跡の逸話や預言者検査を、宗教ロジックと政治的な都合が重なった結果として読み解き、ジャンヌを当時の認知の枠組みに収まらない「バグ」として捉える視点が示されています。
- オルレアンは王太子のいるブールジュへ直結する要地で、主のオルレアン公は13年間捕虜のままでした
- ボードリクールや王太子側がジャンヌを受け入れたのは、彼女の主張が自分たちの望みと一致していたことが大きいと語られました
- 謁見時の奇跡の逸話は又聞きが多く、史実かどうかは微妙だとされています
- 体系化された預言者検査は、現代のデューデリジェンスと同じく権威と合意を生む作法だったという見方が示されました
- 預言者・乙女・騎士を併せ持つジャンヌへの信仰は、都合次第で膨らみ、はじけるバブルにたとえられました





