「ジャンヌ・ダルク」とは生前一度も呼ばれなかった?
この回は、前回までの百年戦争 ── 14〜15世紀にイングランドとフランスの間で断続的に続いた戦争。王位継承問題や領土をめぐる対立が背景にあり、フランス国内の諸侯の争いとも絡み合いましたの話を受けて、いよいよジャンヌ本人の生い立ちに入ります。
深井さんによると、ジャンヌが生まれたのは1412年頃です。シャルル6世とヘンリー5世が亡くなり、フランス王が2人成立した出来事の10年ほど前にあたります。
ジャンヌの生まれ故郷はドンレミ村で、当時の東の国境近く、ロレーヌに隣接する場所です。深井さんは、フランスから見れば辺境の地であり、このことが後の話でとても重要になると前置きしています。
ドンレミ村の立ち位置もややこしく、ジャンヌ自身はアルマニャック派 ── 百年戦争期のフランスで、王太子シャルルを支持した勢力。イングランドと結んだブルゴーニュ派と激しく対立していましたなのに、村はイングランド・ブルゴーニュ派の支配圏の中にありました。
ジャンヌの本名はジャネットで、生前に「ジャンヌ・ダルク」と呼ばれたことは一度もないといいます。当時は「ジャンヌ・ラ・ピュセル」や「ラ・ピュセル」と呼ばれ、ピュセルは乙女という意味です。
(ピュセルは)この時代だと若干蔑称だったらしいんだよね。お嬢ちゃんみたいな意味で、バカにされている言い方。
ジャンヌという名前自体も珍しくなく、同世代の女性の3分の1から半分ほどがこの名前だったそうです。
じゃあ石を投げたら3分の1の確率でジャンヌに当たるんですか?
村の名士の父と信心深い母、ジャンヌの家族はどんな人たち?
ジャンヌの父はジャック・ダルクです。深井さんの説明では、「ダルク」は「ド・アルク」で、ドは「の」、アルクは橋を意味するらしく、「アルクのジャック」、日本風にいえば橋本さんのような名前だといいます。
父ジャックの身分には農奴説もありますが、比較的裕福な農民だったという記述が多いそうです。楊さんは、税の徴収に関わったり、村を襲う野武士のような集団とみかじめ料を払って交渉したりする、村の名士だったとする本もあると補足しています。
ドンレミ村の近くには、同じく敵勢力圏の中にあるアルマニャック派の街ボークルールがありました。父ジャックは、のちにジャンヌと深く関わるボークルールの城主とも関係があったといわれています。
母はイザベル・ロメです。ロメはローマ巡礼にちなむとも、ロメ沼という沼に由来するともされ、深井さんは「沼田さんみたいな感じ」とたとえています。母方は親戚に修道士や司祭がいる知識人の家系だったとする本もありますが、庶民のため記録は多く残っていません。
夫婦の間には3人の息子ジャックマン、ジャン、ピエールと、2人の娘カトリーヌとジャンヌがいました。兄のジャンとピエールは、のちにジャンヌに付き従って戦場へ行くことになります。
焼き討ちされる小さな村と、戴冠しない王
ドンレミ村はシャンパーニュ地方とロレーヌ地方の境にあり、家は30軒ほどしかない小さな村でした。近くには魚の多いムーズ川が流れ、教会の周りに低い屋根の集落が広がっていたといいます。
ドンレミ村の人々は羊を飼い、畑を耕し、教会の鐘が鳴ると立ち止まって祈るような質素な暮らしを送っていました。ところが、この穏やかな村はジャンヌが生まれてから3回ほど傭兵に荒らされています。
(戦争が)終わった後にさ、兵士がどうするか問題っていうのがあんだよね。で、そのまま戦場ら辺にとどまって無法を働く人たちっていうのがたくさんいるんですよ。
ドンレミ村は要塞に囲まれていないため、兵士が来ては略奪して去っていくことがあったそうです。深井さんは、百年戦争中に中央集権が弱まり地方分権が進んだことが、まさにこの村に表れていると話します。
深井さんが重視するのは、畑や生活のすべてが焼き尽くされるという経験です。ジャンヌは敬虔な母のもとで幼い頃から教会に通う信心深い少女で、その時期にフランスでは王が2人いて、どちらも戴冠していませんでした。
フランス王は、クロヴィスがカトリックに改宗して戴冠して以来、戴冠式を経ることで聖なる力を持つと考えられてきました。ここから深井さんは、本には書かれていない自身の推察だと断ったうえで、ジャンヌの中では王が戴冠していないことと村の治安の悪さが結びついていたのではないかと述べます。
実際にジャンヌはのちに王の戴冠式に強くこだわり、神の声も「戴冠させろ」と告げるようになります。深井さんは、周りの大人たちが言っていたことがジャンヌに届いていたのではないかと考えています。
楊さんも、文字が書けず社会経験もない10代の少女にとって、思いつける最善の解決策は神の力くらいしかなく、フランス王を戴冠させることが唯一の答えだったのではないかと推察しています。
不安定な立地
アルマニャック派なのに敵勢力圏の中にある小村
略奪の経験
生まれてから3回ほど傭兵に村を荒らされる
信仰との接続
王が戴冠せず聖なる力を持たないから秩序が乱れると考える
使命へ
王太子の戴冠こそが解決策だと思い至る
辺境は魔女の地か、救世主の地か
ドンレミ村の周辺では、隣村がブルゴーニュ公に親近感を抱いていて、ドンレミの少年たちが徒党を組んでその村へ喧嘩に乗り込むこともあったそうです。楊さんは、こうした緩衝地帯という環境も、ジャンヌに声が聞こえたことと密接に関わっているのではないかと話します。
楊さんはさらに、当時の中枢の人々が「辺境」をどう見ていたかがジャンヌを理解する鍵だと説明します。辺境には、ネガティブとポジティブの両方のイメージがありました。
不安定さや無秩序に脅かされる場所で、異端者や魔女が出てくると考えられた
国防の最前線として王が大事にし、側近も多く輩出される。預言者や救世主は辺境から出てくるという物語もある
深井さんは、フランス王の聖なる力が届きにくい場所から魔女が出てくるという見方は、解釈として分かりやすいと応じています。楊さんは、ベツレヘムというローマ帝国の辺境の集落から出てきたイエスの例も挙げています。
そのため、王や聖職者から見たジャンヌは、預言者である可能性と異端者である可能性の両方を持つ存在でした。興味深いのは、当時は神の声を聞いた人が「頭がおかしい」とは言われなかったことです。
我々からいくと精神医学みたいな話になって、それは幻聴だからみたいな話になるんだけど、当時のその情報処理の仕方としては、その声って悪魔だったらやばくない?みたいな話になるんです。
深井さんによると、ジャンヌが本当に預言者かどうかを審査する手順は、超エリートの聖職者たちによって体系的に確立されていました。楊さんはこれを企業のデューデリジェンス ── 企業買収や投資の前に、対象の価値やリスクを詳しく調べる調査のこと。法務・財務・事業などの面から確認しますにたとえています。
13歳の夏、教会の方角から聞こえた「フランスへ行け」
幼少時代のジャンヌは普通の農村の娘で、糸紡ぎや裁縫の手仕事をし、時には農作業もしていたそうです。16歳の時には婚約者がいたという話もありますが、ジャンヌ自身は婚約を否定しています。
深井さんの説明では、ジャンヌは13歳の時点で結婚しないことを神に誓っていたため求婚を断り、親が認めていたので婚約の状態になったのではないかという考察があるといいます。
ジャンヌは村の中でもひときわ信心深く、母から主祷文や天使祝詞、使徒信条などの祈りを教わりました。7歳頃にはすでに祈りができ、長く祈るのが好きだったようです。
1424年、13歳の夏に、ジャンヌは家の庭で最初の声を聞きます。右手にある教会の方が明るくなり、「フランスへ行け」と聞こえたといいます。
まあ現代の僕たちからしたら、いやもうフランスおるじゃんってなるんだけど。
当時のジャンヌの意識で「フランス」とは、パリ周辺の中枢地域イル・ド・フランスを指すと捉えられています。深井さんは、ここから国民国家としてのまとまりのなさがよくわかると指摘します。
声は週に2、3度、光の中に現れ、大天使ミカエルと聖女マルグリット、聖女カトリーヌのものだとジャンヌは語っています。聖女たちは、ジャンヌの通う教会や隣町の教会に飾られた像で、ジャンヌが見て知っている存在でした。
最初の頃の声は、神がフランスを憂いていることや、行いを正して教会に熱心に通いなさいという教育的な内容でした。深井さんは、それらは周りの大人が言っていたことではないかと見ています。
彼女がそういう風に神の声として認識したっていうことが大事なんですね。
声の内容はやがて、イングランド軍を追い出し、ブールジュやシノンの方へ逃れている王太子シャルルを戴冠させることがジャンヌの使命だ、と具体的になっていきます。
ジャンヌはお告げに無条件で飛びついたわけではなく、最初は驚き、怖がり、錯覚ではないかと自分でも疑ったそうです。それでも声が繰り返し聞こえ、会話が成り立つようになるうちに、自分は神の道具なのだと受け入れていきました。
処女誓願が映す、民衆と貴族の信仰の温度差
声を受け入れたジャンヌは、処女を守ると誓う処女誓願という形で決意を表します。これは子孫を残す人生を放棄し、人生のすべてを神に捧げる宣言であり、「ピュセル(乙女)」という呼び名にもつながっています。
これって当時の文化わかんないですけど、これを宣言するって、まず聖職系の人はこういうことをやってたってことですよね。
深井さんの答えは、表向きはそうでも実際には守られていなかった、というものです。当時のカトリック教会は宗教改革 ── 16世紀にルターらがカトリック教会の腐敗を批判して始まった改革運動。プロテスタント諸派が生まれるきっかけになりました直前で、宣言をしながら守らない人や賄賂を受け取る人が多くいたといいます。
深井さんは、この時期の民衆と貴族の間にキリスト教観の大きな差ができていたと説明します。
かなり純粋にキリスト教を信仰していたとされ、教会の腐敗をまだ理解していない
信仰を政治の道具として使い、腐敗していると言われていた
ジャンヌはおそらく、かなり純粋な気持ちで処女誓願を考えていました。深井さんは、この後の物語で貴族たちとの温度差が際立ってくるので、そこにも注目したいと話しています。
処女誓願以降、声は単なる伝令ではなく、アドバイザーや良心のような存在としてジャンヌに浸透していきました。ジャンヌも声に恥じない行いをしようと努力したといいます。
シャルル7世こそが真のフランス王であり、イングランド軍というのはフランスから駆逐されなければならないって言うんですよ。ジャンヌの聞こえる声では。
のちにジャンヌは「イングランドもキリスト教なのになぜ」「神がそう言うなら軍隊はいらないのでは」といったツッコミを受けますが、怯まずに答えていくことになります。
3度目の焼き討ちが「罰」に見えたとき
13歳の時点のジャンヌは、まだ声を聞いているだけで何も行動していません。樋口さんが言うように「私に言われても」という状態が、14〜15歳頃まで続いていたと深井さんは見ています。
転機になったと考えられるのが、村の3度目の焼き討ちです。その頃にはすでに声がはっきり聞こえていて、ジャンヌは自分が声に従わなかったから罰が当たったと受け止めたといわれています。
声が聞こえる
「フランスへ行け」と繰り返し告げられる
村の危機
もともと不安定な村がさらに焼かれる
罰だと思う
声に従わなかった自分のせいだと感じる
決意
実際に行動に移すことを決める
深井さんは、声は知るはずのない情報を一度も教えず、ジャンヌが知った後にそれについて語るだけで、すべてがジャンヌの認知の中で説明できるように見えると話します。ただし、本当の予言だったかどうかは分からないという立場も示しています。
楊さんは雑談として、樋口さんがうつになった時に見えたという「コンティニュー画面」も類似の神秘体験だったのではないかと話を向けました。樋口さんは、自分の場合は夢とも捉えられると応じています。
声を聞いたジャンヌが実際にどう動き、歴史をどう変えていくのかは、次回以降で語られます。
まとめ
ジャンヌ・ダルクの生い立ちの回では、辺境の小村ドンレミの不安定さ、敬虔な家庭と信仰、戴冠しない王という状況が、13歳で聞こえた「神の声」と結びついていた可能性が語られました。
- 本名はジャネットで、生前は「ジャンヌ・ダルク」ではなく「ラ・ピュセル」と呼ばれていた
- ドンレミ村はアルマニャック派なのに敵勢力圏にあり、ジャンヌの生後3回ほど略奪を受けた
- 王が戴冠していないことと村の治安の悪さが、ジャンヌの中で結びついていたと番組は推察している
- 辺境は魔女の地とも救世主の地とも見られ、ジャンヌは両方の可能性を持つ存在だった
- 3度目の焼き討ちを「罰」と受け止めたことが、行動を決意するきっかけになったと考えられている





