晋はなぜ滅びたのか?皇后賈南風と八王の乱
今回の話は、三国時代の魏を奪って成立した晋が、どのように滅びていったかから始まります。晋を建てたのは司馬炎で、その次に即位したのが、暗愚とされる恵帝・司馬衷でした。
司馬衷の皇后である賈南風が実権を握ったことをきっかけに、司馬氏の親戚たちが王の座を争う八王の乱 ── 西晋で起きた皇族同士の内乱。複数の王族が次々に挙兵し、権力争いが長く続いたことで晋の国力は大きく衰えましたが起きます。王族同士の抗争は泥沼化し、晋の中には誰もそれをまとめられる人がいませんでした。
一気に飛ばすね。飛ばして、要点だけ言うとね、八王の乱と呼ばれる司馬の氏族の他の親戚たちが、やっぱり内乱を起こすんです。
晋の時代には寒冷化が進み、北方の異民族が流入しやすい状況にありました。内乱を戦う王族たちは、強い遊牧民を兵士として使うようになります。
遊牧民を兵として使ったことで、遊牧民はさらに華北へと流入していきます。番組では、その結果として華北が遊牧民に乗っ取られていったと説明されます。
皇后の専権
恵帝の皇后・賈南風が実権を握る
八王の乱
司馬氏の王族たちが王位を争い、内乱が泥沼化する
遊牧民の兵力化
寒冷化で流入していた遊牧民を兵士として使う
華北の支配
遊牧民が華北に流入し、地域を支配するようになる
番組内では「賈南風」という名前の響きが話題になり、出演者たちが名前で遊ぶ場面もありました。重い内乱の話を、少し軽い掛け合いで受け止める回の入り口になっています。
五胡とは誰か?匈奴・羯・鮮卑・氐・羌の五つの部族
異民族の流入によって、華北は五胡十六国時代 ── 4世紀初めから5世紀前半の華北で、異民族を中心に多くの国が興亡した時代。実際の国の数は16に限りませんが、慣用的にこう呼ばれますに入ります。諸民族・諸国家が相次いで興亡した、およそ100年間の時代です。
五胡十六国時代は、大きな枠組みでいえば魏晋南北朝時代の中に含まれます。南朝が南で王朝を展開する一方、北では「胡」と呼ばれた人々が五つに分かれ、多くの国を作りました。
五胡とされるのは、匈奴、羯、鮮卑、氐、羌の五つの部族です。番組では、全部覚えなくてよいとしたうえで、一つずつ簡単に紹介しています。
| 部族 | 番組で語られた特徴 | その後とのつながり |
|---|---|---|
| 匈奴 | 秦漢の時代から最も強力な北方騎馬遊牧民。モンゴル高原を中心に連合国家を形成 | フン族は匈奴だとする説が紹介された |
| 羯 | 匈奴の別部のような集団。高い鼻、深い目、豊かな髭を持っていたとされる | 詳しくはわかっていないと語られた |
| 鮮卑 | モンゴル系。中に拓跋部がいる | 隋と唐を作る勢力につながる |
| 羌 | 殷の時代からいるチベット系民族 | 相当昔から存在した |
| 氐 | チベット・ビルマ語族系で、農耕を主とした | 遊牧民ではない点で他と異なる |
なかでも重要なのが鮮卑です。鮮卑の中にいた拓跋部 ── 鮮卑族の有力な一族。のちに北魏を建て、華北を統一しましたが、のちに華北を統一する王朝を開いていきます。
氐族が住んでいた地域には四川省も含まれます。番組では、四川にルーツを持つ楊さんのルーツかもしれない、という掛け合いも交わされました。
ローマは滅びたのに、中国はなぜ中国のままだったのか?
北から来た民族に中国が征服されたなら、ローマと同じように滅亡して終わってもおかしくありません。番組は、それでも中国が中国のままだった理由を問いかけます。
答えは、北から攻めてきた人々が漢民族に積極的に混ざっていったことです。これは後漢の時代から始まり、魏晋南北朝時代を通じて大きく進みました。この融合を「胡漢一体」と呼びます。
一言でいうと、この人たち(北の異民族)は漢民族に混ざっていくんですよ。積極的に自ら混ざってきてつって混ざっていきます。
胡漢一体の結果、中国に住む人々はほぼ全員が混血となり、元々の人々はほとんど残っていない状態になったと語られます。
異民族が自ら混ざっていった理由の1つ目は、人数の差です。圧倒的に多い漢民族を少数者が治めるとき、自分たちのやり方をそのまま広げるのは難しく、番組では秦の始皇帝がそれで滅んだ例が挙げられます。
アレクサンドロスがペルシア帝国を滅ぼしたあと、ペルシアの服を着始めて部下の反発を買った話も、同じ構図として紹介されます。自分たちより大きな国を治めるには、そうするしかなかったのではないかという見方です。
2つ目の理由は、異民族の側に中国的な教養や学識への憧れがあったことです。後漢末期ごろから胡族の中にも知識人が現れ、漢字を使い、儒教的な考え方を身につけていきました。
3つ目は、統治の正当性です。中国の人々は儒教的な価値観で納得しない限り言うことを聞かず、力だけでは支配の理由を説明できません。漢民族と結婚し血を引いていると示すなど、混ざらなければ説得のコストが高すぎたといいます。
さらに、遊牧民は遊牧生活が日常的な軍事訓練になっているから強いのであり、農耕地域に定住すると強さは保てません。番組では、チンギス・カン編の話を受けてこの点も指摘されています。
北から来た民族に滅ぼされ、国として終わった
入ってきた異民族が漢民族に混ざり、中国として続いた
中国は規模が大きいだけでなく歴史も長く、伝統的な権威を使わなければ人々を治められませんでした。番組では、外から来た人を全員中国にしてしまう文化的な吸引性が中国にはあったとまとめられ、受け入れる側と入る側の双方がフレキシブルだったと語られています。
古代中国と現代アメリカの共通点とは
胡漢一体の話から、番組の調査チームにボランティアで参加している西谷さんの指摘として、アメリカも同じではないかという話題に移ります。
アメリカでは、初期の移民であるWASP ── ホワイト・アングロサクソン・プロテスタントの略。イギリス系の白人プロテスタントを指し、アメリカ社会で長く主流層とされてきましたが最も偉いとされてきました。その後ヒスパニックやアジア系など多くの人々がやって来ますが、みんなアメリカナイズドされていきます。
番組では、アメリカも中国も形を変えながら外の人々を取り込むから強い、という見方が交わされます。アメリカはアメリカナイズドされたい人が行く国であり、中国の場合も、異民族が中国化しながら入っていったと語られています。
江南の開発と東晋、混乱の中で花開いた南の文化
華北で胡漢一体が進む一方、中国南部では漢民族が森を切り開き、畑を広げていました。江南の開発は後漢の時代から進んでいて、番組ではその様子が西部劇の舞台にたとえられます。
未開の土地に無頼漢が集まって開拓を進め、その集団を率いたのが孫堅でした。開拓した豪族たちの連合からできたのが、三国時代の呉です。番組では、日本の武士団のようだという感想も出ています。
呉の人々が開拓した江南の土地は、華北の戦乱から逃れてきた漢人を受け入れる素地になりました。そして晋が滅亡すると、晋そのものが江南に移って東晋 ── 西晋の滅亡後、皇族の司馬睿が江南の建康を都として再建した王朝。漢民族の政治・文化の中心が南へ移りましたとなり、漢民族の中心も南に移ります。
東晋は、儒教的な価値観で互いに人を評価し合う貴族社会を江南に持ち込みました。江南の文化は、この貴族社会によって大きく開いていきます。
たとえば南朝の梁では、首都に儒教の経典を教える五経博士 ── 儒教の基本経典である五経を教える官職。前漢に置かれたのが始まりですを置き、五館と呼ばれる大学を設けて儒教の普及に努めました。宮体と呼ばれる雅な詩のスタイルも流行し、仏教寺院も500あまり建てられたといいます。
ただし江南では、華北から来た貴族と、もともと南にいた開発領主の豪族との争いが絶えず、王朝は次々に交代しました。混乱しながらも文化は花開くという時代が続きます。
北魏から隋へ。関隴集団と山東集団はどう生まれたか
華北では匈奴の侵入以来、漢人の王朝は立っていませんでした。匈奴は、漢王朝を建てた劉邦の子孫だと名乗って国を建て、皇帝を称します。番組では、これを正統性の主張の例として示しています。
匈奴の建国は、異民族が中華で国を建てる先例になりました。ただし五胡十六国の王国は短命で、生まれては消えることを繰り返します。
その華北を統一したのが、鮮卑族拓跋部が建てた北魏です。番組では、異民族が漢民族を面的に支配して作った、中国史上初めての征服王朝として説明されます。
他の王朝が異民族のスタイルを貫こうとしてうまくいかなかったのに対し、北魏は統治に漢民族のスタイルを持ち込みます。北魏で胡漢一体はさらに進み、家の格付けを行う際に漢民族の家を高く位置づけました。
その結果、漢民族は名門貴族の家柄だという文化が北魏の中で育っていきます。しかし北魏は途中で内部分裂し、西魏と東魏に分かれます。さらに東魏からは北斉が、西魏からは北周が成立しました。
東側の北斉には、北魏で家格が高いとされた漢民族の貴族層が集まり、のちに山東集団と呼ばれる人的ネットワークになります。西側の西魏では、鮮卑族拓跋部の貴族が中心となって関隴集団 ── 関中と隴西を拠点とした、鮮卑系と漢人の有力者からなる軍事貴族集団。のちに隋・唐の支配層となりましたが形成されました。
北斉に集まった、家格の高い漢民族の貴族層
西魏で鮮卑族拓跋部の貴族を中心に形成された集団
西魏は東魏に比べて弱い国でした。弱いからこそ胡族と漢民族が力を合わせ、強い東側を倒すことになります。この西魏・北周の勢力の中から、隋が生まれていきます。
勝ったのは融合した側。それでも皇帝制への移行が難しかった理由
固有名詞が多く出てきたため、番組では要点だけが整理し直されます。晋のあとに多くの国が出た五胡十六国時代があり、それを遊牧民の国である北魏が統一し、北魏が二つに分裂したとき、勝ったのは遊牧民と漢民族が力を合わせた側だった、という流れです。
ポイントだけ覚えたらいいですね。一つ一つの名前とか結構どうでもいいので。
ただし、みんなで力を合わせる体制は、言い換えれば貴族政治です。その後に来る隋唐帝国が統一王朝でいられた理由は皇帝制を敷けたことにあり、力を合わせる体制とは性質が異なると語られます。
みんなで力を合わせて国を作った場合、その中の一人だけが偉いという形にはしにくくなります。建国の功労者の一人でしかないからです。
番組では、隋唐が皇帝制に移行できた過程は、秦漢帝国のときとほぼ同じ挙動を取ると予告されます。一身に罪を背負って死ぬ「生贄」が必要になるという話で、詳しくは次回以降で扱われます。
仏教と道教はどのように中国に根づいたのか?
魏晋南北朝時代には、儒教に加えて仏教と道教が中国に実装されました。中国には歴史的に、儒教・仏教・道教の「三教」というカテゴリーがあります。
道教は説明の難しい存在で、儒教でも仏教でもないものが道教だという感じだと語られます。民間信仰、神や仙人が出てくる神仙思想、医療や占いなどを幅広く含んでいます。
道教の流れの一つは、前回扱った竹林の七賢の玄学 ── 魏晋時代に流行した、老子・荘子や易経をもとに宇宙や存在の根本を論じる思想の影響から生まれました。もう一つは、後漢の混乱期に現れた五斗米道 ── 後漢末に張陵が始めたとされる宗教集団。入信者に米五斗を納めさせたことからこの名で呼ばれ、道教の源流の一つとされますのような新興宗教です。
道教は老子を根源としながら、中国の人々がもともと持っていた多様な信仰をくっつけていったものだと説明されます。番組では、老子からすれば自分の言ったことと何がつながっているのかと思うだろう、という冗談も出ました。
道教が発展した背景には、異民族の統治事情があります。秦漢帝国は儒教イデオロギーで動いてきましたが、入ってきた異民族は統治のために自分たちのイデオロギーを必要とし、仏教や道教を使い始めました。
道教の側も統治に使われるため、儒教や仏教と論争を始めます。その論争の中で、道教の教理は宗教哲学として磨かれていきました。
仏教は前漢のころから少しずつ中国に入っていましたが、西域との通商ルートが開けたことで本格的に入ってきます。中国で最初の三蔵法師とされるクマラジーヴァ ── 鳩摩羅什とも。中央アジア出身の僧で、4〜5世紀に長安で多数の仏典を漢訳しましたは、多くの経典を中国語に翻訳しました。仏教も儒教や道教との思想論争を通じて居場所を確保し、王朝に用いられていきます。
新しい中国の多元性は、なぜ武則天を生んだのか
番組は、この時代に多元的な中華文化圏が形成されたことが非常に重要だと強調します。秦漢帝国では、システムとしては法家、考え方としては儒教というエンジンで統一王朝が作られ、ストーリーは一つしかありませんでした。
その秦漢帝国が滅び、魏晋南北朝時代に文化的にも民族的にも中国はいったん新しくなります。遊牧民からすれば、前の王朝と別の論理で対抗するために、複数の論拠となる思想が必要でもありました。
秦漢帝国では、法家のシステムと儒教の考え方という一つのストーリーで国を動かしていた
異民族との融合と仏教・道教の定着によって、多元的な思想が社会に内在するようになった
この多元性が、武則天の登場を許したと番組は位置づけます。多元性がなければ、中国で女性皇帝が出るロジックがないという見立てです。
多元的といっても、一つの王朝の中に様々な考え方が混ざり、メインはどれかを決めつつも全部が少しずつ入っている状態だと説明されます。中国の人々自身も、中国を漬物の瓶にたとえることがあり、様々な具材が漬け込まれて最後は同じ味の「中国」という漬物になる、というイメージが紹介されました。
中国の文化とベンチャー企業の共通点
多元性の感覚がわかりにくい人のために、番組では現代のベンチャー企業にたとえた説明がされます。日本のベンチャー企業は、シリコンバレーから始まった系譜を濃く受け継ぎ、ピッチ大会や出資、上下の差が小さい組織といった考え方を採用しています。
一方で、日本の起業家には大企業出身の人も多く、ベンチャーの考え方をメインとして採用しつつ、元の文化も持ち合わせています。全員に浸透しているわけではなく、程度をカスタマイズしている点も、魏晋南北朝時代の中国と似ていると語られます。
スタートアップの社長なのに起業家精神ないよね、お前はみたいな感じで来られたりだとか、何々なのにこうだよねみたいな責められ方をしたりとか。
人は何もないところから何かを言うことはなく、資本主義や日本文化など、必ず何かを踏まえて話します。魏晋南北朝時代は、儒教しか踏まえるものがなかった社会から、仏教や道教も踏まえてよい社会へ移った期間でした。
なんか価値観というスーパーマーケットがあったら、その買える価値観が増えたんですよ。
価値観の選択肢が増えたことで、様々な人が様々なことを言えるようになり、様々な人が出てこられるようになったと語られます。ただし、増えたからといって元の儒教が消えたわけではない点も付け加えられています。
秦から魏晋南北朝まで、ここまでの中国史をまとめると
最後に、秦漢帝国から魏晋南北朝時代までの流れが一気にまとめ直されます。秦は中国のはずれにあったからこそ、他国より早く貴族制を排除し、皇帝制に近い中央集権型の国家運営を始めることができました。
その秦は強く、他の国をすべて滅ぼしますが、自分たちの仕組みを全土に当てはめようとして激しい反発を受け、滅びます。それを見た漢は、ハイブリッドなシステムを採用しました。
漢では内乱が続き、景帝の時代の呉楚七国の乱 ── 前漢の景帝の時代に、呉・楚など7つの諸侯国が起こした反乱。鎮圧後、中央集権化が大きく進みましたをなんとか乗り切ったことで、秦に近い状態へ移ります。しかし漢が使った儒教OSは、その特性によって皇帝制を崩し、実質的な貴族社会へと引き戻していきました。
秦
早く貴族制を排除し、皇帝制に近い中央集権で統一するが、反発で滅びる
漢
ハイブリッド帝国から皇帝寄りに移るが、儒教OSによって貴族社会に戻る
後漢の崩壊
外戚・宦官の争いと寒冷化による異民族の南下で、大きな内乱が起こる
三国から南北朝
教養のある曹操が勝つが統一は続かず、北は異民族と融合し、南は江南で新しい文化圏を作る
後漢末には外戚や宦官が皇帝と権力を争い、内紛が続発しました。そこに寒冷化で北の人々が南下し、大きな内乱を治める力も後漢には残っていませんでした。
腕っぷしの強い群雄が次々に現れる中で勝ったのは、教養が最も高かった曹操でした。番組では、この文化圏では教養が大事だったからだと語られています。
その後、統一できない時代が続く中で、北では漢民族と異民族が融合し、南では江南に逃れた漢民族が新しい文化圏を作りました。北と南にそれぞれ新しい中国ができ、しかもどちらも以前より多元的だった、というのがここまでの総括です。
この多元性がそろったことで武則天が登場できるようになり、次回はいよいよ隋の話に入ると予告されて回が締めくくられます。
まとめ
今回のエピソードでは、晋の内乱をきっかけに異民族が華北に入り、五胡十六国時代から北魏、北周を経て隋へとつながる流れが語られました。異民族が漢民族に混ざる胡漢一体と、仏教・道教の定着によって、中国は一つのストーリーで動く社会から多元的な社会へ変わり、それが武則天登場の前提になったと整理されています。
- 晋は八王の乱による内乱で遊牧民を兵として使い、その結果、華北は異民族に支配される五胡十六国時代に入った
- 中国がローマのように滅びなかったのは、少数の異民族が統治のために自ら漢民族に混ざっていく胡漢一体が進んだから
- 北魏の分裂後、胡族と漢民族が力を合わせた西魏・北周の側が勝ち、その中から隋が生まれた
- 魏晋南北朝時代に仏教と道教が根づき、踏まえられる価値観が増えたことが、女性皇帝・武則天を可能にする多元性につながった


