水竹鉄砲のおじいちゃんと子どもはどう出会うのか
前回、深井さんは、コミュニティナースは人と人をつなげ、コミュニティを作る特殊なスキルを持っていると抽象的に紹介しました。今回はそのスキルの具体例を、ゲストの矢田明子さんに聞いていきます。
これ本当はね、正直見ないと想像かなり難しいと思う感じなんだけど。何個か例をちょっと矢田さんから聞きたいなと思ってるんですよ。
矢田さんが最初に挙げたのは、子育て世代を支える助産院の隣にある、養育の取り組みをしているスペースの例です。そこには、保育園や幼稚園の集団生活になじみにくい子どもを連れたお母さんが、紹介を受けてよく訪れるといいます。
スタッフが子どもとよく話してみると、決まったルールの中では動きにくくても、関心のあることにはずっと集中できる、ユニークな子が多いそうです。ただ、親子だけで家で育てていると、お母さんが参ってしまいます。
そこでコミュニティナースは、その子が何に夢中になれるかを見たうえで、別のところでつながっている高齢者を紹介します。たとえば水竹鉄砲を作るのがとても上手なおじいちゃんと出会えば、子どもは日が暮れるまで遊んで輝き、それを見るお母さんの肩の力も抜けるといいます。
矢田さんによれば、同じスーパーに居合わせるだけでは、この子どもとおじいちゃんが出会い、関心を引き出し合う関係にはなりません。仲立ちする人が、子どもとお母さんの性格と、高齢者の得意なことや「本当は子どもに教えてみたい」という思いの両方を知っているからこそ、つなぐことができます。
しかも、この話は子ども側の支援だけでは終わりません。一人暮らしで、水竹鉄砲の腕を披露する場もなかった高齢者にとっても、出番ができているからです。
すごい関係繋がり構築の職人ですね。
本音は「喋ること」と「思うこと」が違う
深井さんは、コミュニティナースが高齢者の得意なことや、モチベーションの源泉をどうやって見ているのかを尋ねました。
矢田さんによると、コミュニティナースはトレーニングの中でアクティブリスニング ── 相手の話に積極的に耳を傾け、言葉だけでなく表情や感情も受け止めながら理解を深める傾聴の手法。カウンセリングなどで広く使われていますという手法をベースに、練習と場数で力を伸ばしているそうです。
出発点になるのは、人が口にしていることと本当に思っていることは違う、という前提です。高齢者も子育て中のお母さんも、最初から本音を話せる人はいないし、自分の本音を言葉にできている人も基本的にいない、と矢田さんは話します。
そこで、話しているときの雰囲気や表情もすべてコミュニケーションとして見ます。いい顔をした瞬間に「それお好きなんですか?」と重ねて聞くと、本人も「好きかもしれない」と自分の大事なものに気づいていくことが多いといいます。
観察する
話すときの雰囲気や表情もコミュニケーションとして見る
重ねて聞く
いい顔をした瞬間に「それお好きなんですか?」と聞き返す
一緒に到達する
本人が「これだ」と自分の大事なものに気づく
顕在化させる
「いい機会があったらご相談しますね」と伝えておく
つなぐ
次に誰かをつなぐ場面で、その人にお願いする
楊さんは、質のいいつながりを作るには、まず相手を丁寧に理解する段階が必要なのだと受け止め、矢田さんもそれがものすごく大事だと答えています。
孤立したお母さんは「暮らしの動線」で見つける
次に深井さんは、孤立しているお母さんをどうやって見つけるのかを聞きました。
矢田さんの答えは、子育てイベントや、スーパーの横にある子どもを少し遊ばせておけるスペースなど、お母さんの暮らしの動線に自分も居る、というものです。いきなり踏み込むのではなく、挨拶を重ねて「いつもいるあの人」になるところから始めます。
顔なじみになると、立ち話のタイミングは必ず来るそうです。「いつも会いますね」「ここら辺にお住まいなんですか?」「いつもお子さん連れて大変ですね」といった会話から、関係が始まっていきます。
言葉になっていないものもコミュニケーションだと考えれば、大変さを醸し出しているお母さんのことは自然と気にかかります。コミュニティナースは、今なら雑談できそうだというタイミングにアンテナを張っているといいます。
深井さんは、この話を次のように整理しました。誰もが生活しているので必ずどこかに顔を出しており、助けを求められない人にもその人の動線がある。コミュニティナースはまずその動線を見つけ、邪魔をせずにそこに居る、というものです。
居るだけでも相手の状況みたいなのがなんとなくわかるっていうインプット能力を持ってますと。観察能力を持ってますと。
ただし深井さんも矢田さんも、関わり方はケースによって千差万別だと強調しています。そのうえで、暮らしの動線を見つけることが基本のスタイルだといいます。
「支援しに来ました」はなぜ警戒されるのか
矢田さんは、「支援に来ました」と言うと半分以上の人は警戒すると話します。深井さんも、営業みたいで自分も嫌だと応じました。
番組では、支援されるということは、自分が今弱者だと自分で認めることになる、という指摘も出ます。矢田さんは、弱者として関わりに来られるのは、ほぼ100パーセントの人が嫌がるものだと話しています。
深井さんは自身の祖父の例を挙げました。深井さんの祖父は、人に助けられたくない、迷惑をかけたくないという思いから、要介護認定の調査に来る人をずっと拒否していたそうです。
あれずっと拒否っちゃったもんね。なんかああいう人もコミュニティナースだったら行けるってことだよね。
矢田さんによると、深井さんの祖父のような人は出雲にもたくさんいるそうです。そういう人には介護の話ではなく「今までどんなことをしてこられたんですか?」と聞いていくと、話に乗ってきて、思わず昔の道具を出してくることもあるといいます。
そこで、コミュニティナースは介護認定をしに行くのではなく、その人のおせっかいを焼きたいところを把握します。そして次のケースで、助けてもらう側としてその人に関わってもらうのだそうです。介護認定は受けなくても、「出番ですよ」と声をかけると出てきてくれるといいます。
「介護認定を受けてください」と近づく。弱者と認めることになり、警戒される
得意なことを聞き、「その時は頼みます」と次のケースで力を借りる
あくまでやっぱ相互扶助なんだよね。
深井さんは、福祉では助ける側と助けられる側が明確に分かれており、それが重要な場面も多いと認めたうえで、コミュニティナースのやり方の土台には人間の性質があると語りました。
深井さんによれば、コミュニティナースは全員について特性・欲求・困りごとを見て、誰と誰をつなぐとうまくいくかをパズルのように組み立て、オーケストレーションしています。その関わり方そのものに、大きなスキルがあると考えられます。
偏屈なおじいさんを懐柔する間合い
深井さんは、矢田さんが「ゴリゴリの偏屈爺さん」と関わる場面を実際に見たことがあるそうです。深井さん自身は、関わらないでおこうと自然に思ってしまうタイプの人だったといいます。
普通に話してなんか懐柔し始めて、あれはすごいと思ったね。
意識的にスキルを使っているのかという問いに、矢田さんは、ずっとやっているので自然にできていると答えました。
矢田さんによると、その偏屈なおじいさんは最初から牽制してきます。矢田さんはそれをわかったうえで挨拶し、言われることを「そうですよね」と聞きながら受け止めます。
そして間合いを見て、「なんでそんなお話ご存知なんですか?」「誰でもできないですよね」「何年ぐらいやられてきたんですか?」と聞くと、相手の表情が一気に開いていくそうです。第2セクションで語られた、いい表情を見逃さずに重ねて聞く技術が、ここでも使われています。
あれほどの偏屈じいさん懐柔できるなら多分大体いけると思う。人類大体いけるだろうな。
深井さんは、コミュニティナースカンパニーは、このマインドとスキルを持った人を特殊なトレーニングで育て、生業としてコミュニティナースを担ってもらう会社だと説明しています。
制度の隙間に入る意志と、父の死という原点
矢田さんは、こうした関わり方には大きなコストと時間がかかると話します。行政も企業も、自分たちが担うサービスの境界線が決まっているため、境界線どうしの隙間で取りこぼされる人が必ず出てしまいます。
その隙間に粘り強く入っていけることがコミュニティナースの強さだ、と矢田さんは考えています。偏屈なおじいさんも、本当は自分で対処でき、人に与え、力を発揮できたはずなのに、なぜ悪くなってから病院でしか支えられないのか。その疑問から、介入する意志をもって始めた取り組みだといいます。
その課題意識の原点は、矢田さんの父親の死でした。父親は病気になってから半年ほど、食後の微熱や、昼寝をしないと動けない、胃が痛いといった症状を出していたそうです。
しかし家族は怠けているだけではないかと見て、午後の配達にも行くよう促していました。体重が急に落ちて病院にかかったときには、膵臓がんの末期で全身に転移しており、短い期間で亡くなったといいます。
矢田さんが抱いたのは、父親は人生のほとんどの時間を町の中で暮らし、最後だけ病院に行ったのに、なぜ町の中でもっと早く助けられなかったのか、という疑問でした。
矢田さんは、父親に力がなかったからではなく、父親のような住民の性格やメンタルモデルに合った働きかけがなかっただけだと考えました。働きかけがあればできたはずだ、という思いから、看護と公衆衛生を学びに大学へ進みます。
大学で得た一番の収穫は、そうした介入は資格がなくてもできる、という確信だったそうです。トレーニングは必要でも免許は要らないとわかったことで、「1億総コミュニティナース」というビジョンを描き、知恵を共有できる人を増やして日常に実装しようと思えたといいます。
看護師として病院に入る選択肢はなかったのかという問いに、矢田さんは、町でやることを先に決めてから大学に行ったと答えています。職業ありきではなく、町でその役割を担うためにどの学問がよいかを考えて、看護を選んだということです。
高卒で働いた11年と、税金の仕事で見えた視点
深井さんが、看護学校に入るまで何をしていたのかを尋ねると、矢田さんは高校を出てからずっと働いていたと答えました。進学率100パーセントの高校だったそうです。
矢田さんは、経理の事務を3年半ほど務め、その後は税金の仕事、短期間ですが民間企業の企画・運営の仕事にも就きました。そのタイミングで父親が亡くなり、すぐに受験したものの1年目は不合格だったといいます。
高校卒業から11年ほど経って受けたセンター試験は、100点満点で35点だったそうです。予備校代を貯めるためにヤクルトレディー ── 乳酸菌飲料ヤクルトなどを家庭や職場へ届けて販売する販売員の通称。担当地域の顧客を定期的に訪問するのが特徴ですとして働き、2年目で合格しました。
矢田さんは、この一見遠回りのキャリアがコミュニティナースづくりに生きていると話します。最初の経理の仕事は老人ホームやデイサービスなどの福祉施設のもので、そこでは誰もが、福祉の収入でどう福祉を展開するかにとらわれていたそうです。看護についても、病院でどう看護するかしか語られていなかったといいます。
ところが税金の仕事に移ると、橋や道路といった福祉と関係のない予算で作った場所を、高齢者がたくさん散歩している光景が見えてきました。福祉の人が本当は作りたかった世界が、道路工事費で実現していたわけです。
矢田さんは、同じ税金でも見方がまったく違うと気づき、「これも福祉でいいじゃん」と思ったそうです。民間企業でも、当事者からお金をもらってサービスを提供するという形で、同じことが成り立っていると見えてきたといいます。
ヤクルト販売で知った「価値は相手が確定させる」
ヤクルトレディーの経験も、コミュニティナースの原型になっています。ヤクルトにも健康にも興味がない人に買ってもらうには、まず関係を作ることが起点になり、そこから売り上げが大きく伸びる経験をしたといいます。
ところが、矢田さんはコミュニティナースの活動を始めた当初、焦って自分の町内で売り込むようなことをしてしまいました。手を伸ばしてくれたのは1〜2割の人だけだったそうです。
そのとき、昔から知っている町のおじちゃんやおばちゃんから「今まで通りのあきちゃんでいいんだよ」と声をかけられたといいます。元気なあきちゃんとして付き合い、好きになってもらえば、あきちゃんが頑張っている活動をみんなが応援してくれる、という助言でした。
焦って価値を売り込み、手を伸ばしてくれたのは1〜2割の人だけ
挨拶から始め、今まで通りのあきちゃんとして付き合い、相手に価値を確定してもらう
矢田さんは、ヤクルトのときも同じだったと思い出し、町での立ち方がはっきり見えたと話します。価値を主張するよりも、価値は相手によって確定される、という気づきです。
同級生が夢を諦める姿と、起業支援塾の運営
コミュニティナースは、矢田さんの学生時代に5人ほどの学生サークルから始まりました。助けられた人や喜んでくれる人がいて意味があるとわかっていても、お金にならないため、卒業後は病院の看護師になるしかないのかという空気があったそうです。
22歳の同級生たちが諦めて病院に入っていく姿が、矢田さんのスイッチを入れました。自分より人間性の良い子たちが、志があるのに投げ出さなければならない状況はまずい、と感じたといいます。
卒業後に矢田さんが最初に選んだのは、起業支援塾の運営でした。出雲市の隣の雲南市が予算をつけ、地域課題をビジネスで解決する人向けに開いていた塾で、矢田さん自身も学生時代に1期生として受講していたそうです。
卒業後の展開に悩んでいたとき、雲南市の職員がわざわざ出雲市まで来て、塾の運営を頼んできたといいます。まだコミュニティナースのビジネスモデルは見えていませんでしたが、さまざまな事業の立ち上げに関わることが参考になると意義づけて、看護学科の最終学年で創業しました。
楊さんは、受講生がすぐ自分の事業に向かうのではなく、塾の運営側に回ったことに驚いています。矢田さんは、必要とされることに応えられる範囲で応えながら存在していくのが自分のスタイルだと話しました。
相手が価値を確定させてくれることで自分も存在させてもらっている感覚があり、依頼が来たら、そこにも意味があると無理やり解釈して自分の認知を動かしていく、と矢田さんは自己分析しています。
訪問看護ではコミュニティナースが難しかった理由
起業支援塾では、観光や飲食など多様な事業が毎年生まれました。その中に、制度ビジネスである訪問看護でもコミュニティナースができるか挑戦したいという受講生がいて、コミケアという会社が生まれたそうです。
結論として、訪問看護の形はとても難しかったと矢田さんは振り返ります。日本の制度ビジネスは、療養上の世話が必要な人、つまり病気と診断された人にしか使えず、元気な人のところへ行ってもお金にならないからです。
コミュニティナースは、元気なうちから自然に関係を作り、地域の中で問題が解決される状態を育てていく動きです。そのため、訪問看護の会社として町に存在し続けるには、ほぼすべての時間を訪問看護に使わなければならなかったといいます。
コミケアは現在も大半の時間を訪問看護に使い、残りのわずかな時間を工夫して、事務所を多世代交流の拠点にしたり、子どもがお祭りをする場にしたりしています。ただ、病気の人との接点から離れられず、元気なうちからつながる社会づくりにはほとんど時間を割けないとわかったそうです。
病気と診断された人にしか使えず、元気なうちからの関係づくりに時間を割けない
暮らしの動線そのもので、その事業さえ成り立てば住民と自然に出会い続けられる
引いて眺めると、飲食業や観光業、団地の事業の人のほうが、よほど住民の暮らしに関わっていることがはっきり見えたと矢田さんは話します。制度の中でなくても、そうした事業の中でナーシングをすればいい、と確信した年だったそうです。
団地やパチンコ店に置かれるコミュニティナース
深井さんは、リスナーが一番気になっているはずだとして、コミュニティナースの実際のビジネスモデルを尋ねました。
矢田さんが挙げたのは、不動産会社と一緒に作ったコミュニティナース付きの団地です。賃貸住宅の賃料の中で、管理人のように、相互扶助を生み出すコーディネーターとしてコミュニティナースを配置しているといいます。
知らない人が訪問してくるスタイルは、たいていうっとうしがられます。そこで団地のコミュニティナースは、週に1回、1階でクラフトビールを出したり、隣のシェアキッチンの受付をしたりと、住民にとってうっとうしくない暮らしの動線になるように存在しているそうです。
顔なじみになれば、今月は誰々さんが飲みに来ないと気づけます。そのときに「大丈夫?」ではなく「今月顔を見ないけど飲みに来ない?」とLINEで声をかけられるのだといいます。
番組では、役所の人が仕事として「飲みに来ませんか?」とは言えない、という指摘が出ます。矢田さんも、コミュニティナース的な人付き合いの作り方でなければできないと応じました。
モデルは団地だけではありません。ガソリンスタンドのスタッフとして存在するモデルや、最近ではパチンコ店のコンシェルジュとして存在するモデルもできているそうです。
コンシェルジュ系いいね。人と話す接点ですからね。
人はなぜ「与えないと受け取れない」のか
深井さんは、団地で具合の悪そうな住民に気づいたとき、コミュニティナースがどう動くのかを尋ねました。
矢田さんによれば、まずはゆっくり話を聞き、すぐに解決できることはするし、人を紹介したり早めに病院へつないだりもするそうです。ただ、1対1だけで根本的に解決することはあまりないといいます。
その人がどこかに参加しないと、本当の意味では元気にならないからです。しょんぼりしているときは一緒に悩み、中長期的には、その人が輝けるところに出番を作って力を発揮してもらう。この2つを組み合わせるそうです。
番組では、助けるとは、ぐったりしている人を元気な人が世話することではなく、役割を与えることで人が元気になり、結果として助けになるということで、「扶助」という言葉がぴったりくる、という受け止めも出ました。
矢田さんはここで、人は意外と、たくさん与えていないと受け取れないものだと語ります。深井さんの祖父の例で言えば、祖父が先に誰かに与える場面をアレンジしないと、祖父は介護を受け取れないというのです。
矢田さんの例えでは、大工の腕を持つ祖父に、お金のない学生たちの家の傷んだ軒下の修理を頼みます。手伝ってもらった学生たちが祖父を慕い、「力になりたいのでやらせてください」と言えば、祖父はその世話を受け取れるようになる、という流れです。
出番を作る
得意なことを見つけ、誰かのために力を貸してほしいと頼む
与える
頼まれた人が手伝い、相手から感謝され慕われる
関係ができる
感謝した側が「今度は力になりたい」と申し出る
受け取れる
与えた経験があるので、助けや介護を受け入れられる
たまんないです。やばい。
番組では、人は何度も誰かを助けることで自分は存在していい価値のある人間だと感じられ、そこで初めて人から助けられることを許せるのではないか、という解釈も語られました。深井さんは、責任感が強く真面目な人ほど助けられないのかもしれないと応じています。
矢田さんは、この構造は子育てに苦しむお母さんでも同じで、年齢に関係なく起きていると話します。コミュニティナースはこうした関わり方を、ケーススタディを繰り返しながら身につけていくそうです。
手間がかかるのに、福祉よりコストが低い理由
矢田さんは、言語化しきれていないノウハウがまだたくさんあると話します。そのうえで深井さんは、この取り組みの一番すごい点はコストにあると指摘しました。
めっちゃコストかかってるように感じるじゃん。福祉よりコスト低いんだよね。結果的にねマジで。
深井さんによれば、今の福祉は、医療でも介護でも障害の領域でも、高いプロ意識を持つ担当者に人件費を払い、その人たちが懸命に助けている状態です。
一方のコミュニティナースは、使われていなかったけれど本当は使いたかった地域のリソースをつなぎ、お互いに使い合える状態を作ります。その結果、リソースが最適化され、生活コストが大きく下がっている、と深井さんは見ています。
専門の担当者に人件費を払い、その人たちが頑張って助ける
眠っている住民の力をつなぎ、お互いに助け合う状態を作ってリソースを最適化する
深井さんは、子育てという人間にとって基礎的な営みに、個人も税金も多額のお金をかけている今の社会に疑問を投げかけます。コミュニティナースはそれを適正化している、というのが深井さんのメタな視点からの評価です。
このコストの話をさらに掘り下げたいというところで時間となり、話は後編へ続きます。
まとめ
コミュニティナースは、暮らしの動線に居続け、言葉にならない本音をくみ取り、人と人をつないで出番を作る仕事です。矢田明子さんのその姿勢の根には、父親を町の中で助けられなかった経験と、経理・税金・ヤクルト販売・訪問看護で見えた「制度の外にも福祉はある」という気づきがあります。
- コミュニティナースは「支援しに来た人」ではなく、スーパーや団地など暮らしの動線にいる顔なじみとして関係を作る
- 表情などの言葉にならないサインを手がかりに重ねて聞き、本人も気づいていない得意や欲求を引き出す
- 人は先に誰かに与える経験をしてこそ、助けを受け取れるという人間観が活動の軸にある
- 訪問看護の制度では元気なうちからの関係づくりが難しく、団地やパチンコ店など民間事業の中に配置するモデルが生まれた
- 深井さんは、眠っている住民の力をつなぐことで、福祉より低いコストで相互扶助を実現していると評価している




