野望はない?コミュニティナースが全国に広がった経緯
この後編は、進行役が矢田明子さんに「今後の野望はありますか」と尋ねるところから始まります。矢田さんはまず、コミュニティナースはもともと個人の活動、それも学生時代の活動から始まったもので、全国に広げようと思って始めたわけではないと答えます。
矢田さんによると、島根で仲間と小さくコミュニティナースの取り組みを続けていたところ、年間何百人もの人が視察に来るようになりました。訪れる人たちは、ネットや記事で活動を知り、自分の町でも人間関係やつながりの中で課題を解決したいと考えていたといいます。
そこで矢田さんは、自分が時間をかけてたどり着いたことをすべて伝える講座を始めます。「皆さんが来月にはその活動を自分の町内で始めて、私のお父さんみたいな人と出会ってくれたら素敵だな」という思いからでした。
この講座をきっかけに法人化し、それぞれのふるさとで種を蒔いてもらう形で活動が広がった結果、今では北海道から沖縄までコミュニティナースがいるといいます。
ただ、挑戦する人が増えると次の課題も見えてきました。プロとしてコミュニティナースを続け、食べていけるビジネスモデルを誰もが作れるわけではなく、意思があっても長続きしないケースが出てきたのです。
個人の活動
学生時代から島根で仲間と小さく始めた取り組み
視察の増加
年間何百人もの人が、自分の町でもやりたいと見学に訪れる
講座と法人化
見えたことをすべて伝える講座を始め、それを機に法人化
全国へ
北海道から沖縄までコミュニティナースが活動するように
次の課題
食べていけるビジネスモデル作りが難しく、長続きしない人が出る
企業はなぜ止まる?稟議と広告宣伝費の壁
コミュニティナースの継続が課題になった頃、今度は自治体や企業が見学に来るようになりました。矢田さんは、彼らが強力なパートナーになれば、個人が一人で頑張らなくても続くモデルになると考え、これまでの経験を伝えていきます。
しかし自治体や企業という単位になると、やりたいし、やるべきだと思っていても、自分たちでルールを変えられず、内部の稟議 ── 組織で決裁権を持つ上位者に、書面などで案件の承認を求める手続きのこと。日本企業の予算執行では一般的な仕組みですが通せないという壁がありました。実験的な取り組みに、どの予算をどういう理屈で充てればいいのかが見えず、そこで止まってしまうのです。
矢田さんは具体例として、「コミュニティナース付き団地」のような企画を挙げます。企業の担当者が自分の権限で使えるのは広告宣伝費やPR費で、費用対効果は「ユーザーが何人増えたか」で測られると聞き、矢田さんは驚いたといいます。
矢田さんの言葉では、既存サービスのユーザーが何人伸びるかでは「本来作ろうと思ってるその人間関係の何も測ってねえじゃん」ということになります。そのルールのままお金を投下すると、創造的な動きをむしろ縮小させてしまうと、矢田さんは企業にはっきり伝えています。
広告宣伝費として扱い、既存サービスのユーザー増加数で効果を測る
本来生み出したい人間関係やつながりは、その指標では何も測れない
そのため矢田さんは、ほかの企業がどんな予算をどんな理屈で通しきったのか、事例を学んでもらいながら一緒にルールを発明する形をとっています。野望というより、そういう社会になればいいと思う人が本当にそうなれることに人生の時間を投下すると決めているだけで、それが実現すれば想像をはるかに超えて広がるはずだ、と矢田さんは話します。
この話を聞いた出演者たちは、COTENがやっていることとほとんど同じだと反応します。本来お金が流れるべきなのに流れない領域に対して、市場の側に合わせるつもりはない、という姿勢が共通しているというのです。
出雲に市場経済は浸透していない?
COTENとコミュニティナースカンパニーの似ている点について、深井さんは「出雲だからかな」と切り出し、出雲は自由市場経済がきちんと浸透していない土地だという見方を示します。良くも悪くも田舎すぎる、というのが深井さんの表現です。
深井さんによれば、近代的な市場経済にとって一番大事なのは労働市場が開かれていることです。人を簡単に雇えて、自分を簡単に売れる状態があって初めて、市場経済と呼べるといいます。
人以外の金と物はさ、江戸時代だってできたわけですよ。だけど、人って採用できないわけ、江戸時代って。なんでかって言ったら身分制があるからだよね。
深井さんは、江戸時代には侍を三越が雇うことはできず、工場を作っても人を雇えなかったと説明します。さらに南北戦争 ── 1861〜1865年のアメリカの内戦。奴隷制を維持する南部諸州と、それに反対する北部の連邦政府が戦い、北部が勝利しましたについても、奴隷制の南部を市場経済に組み込みたい北部が戦い、北部が勝ったことでアメリカは資本主義化した、という見方を語ります。
そのうえで深井さんは、日本の地方は人を調達するのが難しく、縁故で取引がされることも多いため、市場主義的な合理的判断は大都会より薄いと話します。自分たちが一般的なビジネスパーソンと違う感覚で動いているのは、そういう考え方が浸透していない「辺境の地」の出身だからかもしれない、というのがこの脱線の趣旨でした。
株式会社がコミュニティナースに払うべき?矢田さんが株式会社を選んだ理由
本題に戻った深井さんは、歴史を学んできて強く思っていることとして、COTENやコミュニティナースのような活動に株式会社がお金を払うべきだと述べます。一般的な市場経済の原理からすると暴論に聞こえるだろう、と深井さん自身も認めています。
進行役が言うように、株式会社は自社の利潤を追求し、株主のために株価を上げる存在だと考えられてきました。リベラルアーツやコミュニティナースに投資しても、これまでのロジックでは何がリターンなのかがわかりません。深井さんはこのロジックを早晩変えるべきだと考えています。
深井さんが出発点に置くのは、近代に入って労働と生活が分離したという話です。日本では1960年代から、父親が労働して市場からお金を得て、専業主婦が生活コストを担う体制が一般的になりましたが、それが今は完全に無理になっているといいます。
どう考えてもコミュニティナースやった方がいい。だってそうでしょ。全員働けるんだよ。コミュニティナースやったら。
深井さんによると、コミュニティナースがあれば、子育てや介護のコストを家族だけでシェアする状態から解放されます。しかもコストを担う人は「あなたこれが得意ですよね」という形で、担いたくて担っている状態になる点も大きいと話します。
深井さんが説明に苦戦していると、矢田さんが自分の経験を補足します。これまで公的なものやコミュニティナース的なものはNPOやボランティア、公的機関が担ってきましたが、その認知自体が「稼ぐ力」を抑え込んでしまうというのです。
矢田さん自身もNPOをやっていたとき、「NPOさんなのにお金取られるんですか?」と言われるのを強く感じたといいます。一方で株式会社は利益を追求していいものだと多くの人が認知しているので、コミュニティナースをその側に乗せないと、「利じゃないですよね」という認知の力に引きずり込まれてしまう、と矢田さんは語ります。
そこで矢田さんは、あえて株式会社を選択しました。「利って金だけじゃないじゃないですか」と言えるほうが、NPOやボランティアよりも動きやすかったといいます。利の定義が拡張するだけでいいのであれば、その文脈に乗せるべきだと考え、テクニカルに株式会社を選んだだけだと矢田さんは説明します。
企業が利益だけを追うのは「時代の産物」だった?
矢田さんの話を受けて、深井さんは「ここも全く同じ考え」と述べ、時代背景から説明し直します。ESGの台頭で異論も出てきたとはいえ、今もスタンダードは「企業は利益を追求していればいい」という考え方です。しかし深井さんは、それは絶対的な真理ではなく時代によるものだと指摘します。
深井さんによれば、人口動態がピラミッド型で、専業主婦が生活コストを担い、社会福祉や年金が成り立ち、製造業がメインインダストリーだった時代には、企業が利益だけを追うやり方でうまく回っていました。保育園に入れない、妻が働きたくても働けないといった今の軋轢は、その前提が変わったことを多くの人が認知していないから起きている、と深井さんは話します。
深井さんは専業主婦という形を否定するつもりはないと断ったうえで、それがマジョリティとして回っていたのは複数の条件が重なった結果論にすぎず、持続性はもともとなかったと述べます。そして、世界の優秀な人の多くは株式会社に所属していると続けます。
そのほとんどの人間が株式会社に行ってる人たちが、社会のさっき言った前提が変わって生じてる問題みたいなものに一切投資しませんみたいな態度をとるってどうなると思いますか?
矢田さんは、最終的に自分たちの首を絞め、株式会社そのものが成り立たなくなると応じます。深井さんは、時代の変化を捉え、誰がコストを払うかについて社会のコンセンサスを得て投資していくのが当たり前の合理性だと話します。
深井さんは、多くの人は合理的に判断した結果としてコミュニティナースやリベラルアーツに投資できないと思っているが、実際は逆だと言います。投資できないのは、コンセンサスのコストが低いこと、つまり慣習に従うことしかしないからだというのです。
前提の変化
人口動態・福祉・主要産業が変わり、従来の生活スタイルが続かない
合意形成のコスト
みんなで「そうだよね」と思うことがホモサピエンスにとって最も大変
慣習の踏襲
コストを避け、今までの行動パターンに従う
投資しない判断
社会課題やリベラルアーツへの投資がなされない
深井さんによると、集団的なコンセンサスを得ることはホモサピエンスにとって最もコストがかかる行為で、人はそれを避ける傾向があります。ただし歴史上には、慣習と新しい潮流のコストが逆転し、時代の常識が転換する点があり、今はまさにその転換が予測できる時代だといいます。
僕たちの優秀な人間のほとんどが、自分の会社の利益しか上がらない活動をこれから何年間続けるんですか?と。
国家の次は民間?歴史が繰り返すソーシャルベンチャーの台頭
進行役は、これまでは株式会社が利潤を追求し、国が税金として取って再分配することで社会がぎりぎり成り立ってきたのではないかと整理します。深井さんは、戦後から1970年代までその仕組みで成り立ち、1970年代に一度崩壊したものの一部の国では続いた、と福祉の歴史に触れます。
深井さんは、年金制度も介護制度も人口動態がピラミッド型であることを前提にしたロジックなのに、代案もないまま「頑張りましょう」という話になっていると指摘します。それを良くないと思った人たちがソーシャルベンチャーを立ち上げ、民間が社会課題の解決に進出してきているといいます。
今まで元々の勢力が解決できていた問題を、その勢力が解決できないがために新しく台頭した勢力が解決する現象って、(歴史上)連綿と続いている再現性ある現象なんですよ。
深井さんは例として、キリスト教に対してイングランド王朝が、イングランド王朝に対して国民国家が同じことを起こしてきたと話します。国民国家は第一次世界大戦のころから主要な勢力として問題を解決してきましたが、解決できない問題が出てきたことで、より有機的に動ける民間が担うようになっているという見立てです。
深井さんは、国家がなくなるとは思わないと断っています。そのうえで、社会問題に言及する経営者は20年前にはあまりいなかったのに、アメリカでは今たくさんいて、日本でも15年ぐらい前から増え、最近は加速していると話します。こうした流れから、株式会社が自社の利潤だけを追う時代は早晩終わるだろう、というのが深井さんの予測です。
利益は企業の「倫理」だった。新しい投資基準はなぜ必要か
深井さんは、株式会社は自分たちの倫理を「利益」という形で抽象化してきたと言います。ここでいう倫理とは、人を殺してはいけないといった、社会を持続させるためのロジック無用のルールのことです。企業にとってはこの50年間ほど、利益を出すことが良いことだというシンプルな倫理が成り立っていました。
しかし前提が変わり、その倫理はもうサステナブルではありません。深井さんは、これから全ての人が労働と生活コストの両方を負担する社会に入るため、生活コストをある程度負担できる株式会社でなければ人を採用できなくなるのではないかと考えています。これが「払うべき」だと考える直接の理由です。
深井さんは話を2つに整理します。1つは、利潤追求だけでない以上、株式会社には社会善という新しい基準の軸が必要になるということ。もう1つは、それをやらない限り株式会社は人を調達できず、事業を継続できないということです。
さらに課題として、株式会社はこれまで投資対効果をPL・BS・CFといった財務三表 ── 損益計算書(PL)、貸借対照表(BS)、キャッシュフロー計算書(CF)の3つの財務諸表のこと。企業の業績や財政状態を把握する基本資料ですで測ってきましたが、コミュニティナースやCOTENへの投資は社会に還元されるため、自社の数字には表れないことがあります。深井さんは、欧米のESGやソーシャルインパクトだけでは足りず、新しい基準が必要だと話します。
深井さんは、企業が望まなくても、環境問題と労働力確保問題の2つの理由でその方向に倒れるだろうと考えています。育休を取らせるといった努力は素晴らしいものの、積み上げ型でクリティカルな解決にはならない、というのが深井さんの見方です。
深井さんが挙げる具体的な試算は次のようなものです。コミュニティナース5人で2000人を見られるなら、企業が30人分の人件費を出せば1万2000人を見られる。その圏域に自社の社員が住んでいれば、社員の生活コストが下がる、という理屈です。
今は社員の生活コストをすべて給料で賄っていることを考えると、30人分の人件費は安いと深井さんは言います。ただしリターンは自社だけでなく社会全体にも返るので、そのロジックを理解できるかどうかが分かれ目だといいます。
自分の人生に目にわかる形でリターンが返ってこない限り、自分のリソースを割かないなんてことしないでしょ。
株式会社それやってるんですよ。
深井さんは、この50年間それが成り立ったのは、企業が利益だけを追っていい「バーチャル世界」を社会が用意してくれていたからだと言います。会社に骨を埋め、会社が家族のようになることも前世代の倫理であり、それをメタ認知できるかどうかが問われているといいます。
矢田さんも、企業と話していると利潤追求型の考え方を正しいと思っている人が多いと実感しているそうです。「なんで」と聞いていくと、言っていることとやっていることが違うように感じる場面があり、深井さんはそれを「倫理だから。倫理って合理性ないんです」と説明します。
富から意味へ。1億円と10億円の違いが示すもの
深井さんは最近、社会善と利益追求の「ダブルスタンダード」について考えていると話します。利益追求を捨ててはいけないが、利益の価値はある水準を超えると効用が変わる、という考え方です。
深井さんの例では、1億円持っているのと10億円持っているのとでは、できることはあまり変わらず、家や車を何台持てるかの世界になります。一方で年収200万円と600万円では、生活スタイルがまったく違います。企業はこの目減りを無視し、求めれば求めるほど良いという単純化した倫理を使ってきたが、それが今崩壊していると深井さんは指摘します。
では実際にどうすればいいのかという問いに、深井さんは「むっちゃ簡単」だと答えます。社会善を定義し、それへの投資を投資ポートフォリオとして組めばいいというのです。自分の生活を崩壊させてまで投資する必要はなく、たとえば利益の10%を従来と違うやり方で投資すればいい、と深井さんは話します。
労働力問題について、深井さんは生成AIの登場にも触れます。意思がなくても頭が良ければできることはAIができるようになる一方、人を引っ張る、信頼させる、モチベートする、新しい視点でゼロから事業を作るといったことは人間に残ると考えています。
そういうことができる人たちって意味を求めるじゃん、事業に対して。
そのため企業は、事業の意味を説明できなければ人が集まらなくなると深井さんは言います。給料だけではもう人は来ないという見立てで、個人はすでに十何年も前から従来の倫理から外れ始めているといいます。
30年ほど前なら、1500万円で「クソみたいな仕事」を選ぶ人が多かったはず
今は、1000万円で「めちゃくちゃ素晴らしい仕事」を選ぶ人がめっちゃ増えている
会社の変化が個人より遅いのはコンセンサスコストが高いからで、行政はさらに高いと深井さんは説明します。人は基本的にコンセンサスコストが低いほうに流れるので、個人の次は会社が変わり始めるだろう、というのが深井さんの予測です。
企業を辞めて出雲へ。変化はすでに起きている?
矢田さんは、深井さんが話したような現象を実際によく見ると言います。自分の仕事にどんな意味があるのか、会社を通じて社会の何を良くしているのかがわからず、会社への働きかけもコンセンサスコストに踏みにじられて、個人として離れていく人がここ数年とても増えているというのです。
矢田さんによれば、転職していく人はお金だけで優秀さを測っておらず、自分の人生をどう使うかという評価軸を持っています。深井さんは、会社は事業の意義を広い意味で説明できる必要があり、新卒ほど「業界1位だから行く」ではなく、3位や5位でも意義を感じる会社を選ぶようになるだろうと話します。
進行役の樋口さんも、出雲に人が集まっているのはそこに魅力を感じているからではないかと感じたと言います。この日話した人の中には、東京で弁護士をしていた人が出雲にやりがいを感じて移ってきたケースもあり、おそらく年収は下がっているはずなのに、とても楽しそうに働いていたそうです。
これを見ると今の深井さんの話がドンってくるなって感覚があるんですよね。
出演者からは、矢田さんや深井さんのような人がどんどん出てくるなかで、既存の企業や行政には応援しないまでも邪魔をしないでほしい、出る杭を打たないでほしいという声も上がりました。
矢田さんは、深井さんとの違いにも触れます。深井さんは高校卒業後に一度地元の外に出ているのに対し、矢田さんは四十数年ずっと地元にいるため、大企業のロジックにぶつかると純粋に「なんで?」となってしまうといいます。
矢田さんは、上場企業の社長などが出雲まで見学に来て深く話すことで、初めてその背後の構造が見えてくる順番だと話します。力の発揮の仕方もキャラクターも違うものの、見ている世界はとても近いと感じているそうです。
深井さんは、2人は示し合わせたわけでも、互いに影響を受けてこうなったわけでもないと言います。そのうえで、どうなるかはわからないが「やれるだけやろう」という点も一緒だと話し、矢田さんも「そこだけ決めちゃおう」と応じました。
次世代のための場所、ユース出雲とは?
最後の告知で矢田さんが紹介したのは、コミュニティナースの学生・若者版である「ユース出雲」です。社会に出る前にこうした世界観に触れてキャリアを選ぶ若者が増えれば、10年、20年先にコミュニティナースやCOTENが見ている世界で活躍する次世代が増える、という考えから始めたといいます。
矢田さんによると、ユース出雲は2年前に作った、コミュニティナース実践型予備校のような学生向けスペースです。島根大学や出雲市とも連携し、高校生が自分のプランに挑戦したり、コミュニティナースを実践したりしています。
このスペースでは高校生がラジオを配信しており、出演者も1回出演したことがあるそうです。今回の収録もこの場所と機材を借りていて、出雲高校の後輩が手伝っていると紹介されました。矢田さんは、その配信を聴けば出雲の状況が引き続き伝わるはずだと呼びかけています。
まとめ
この回は、コミュニティナースが全国に広がるなかで企業の予算ルールの壁が見えてきた話から、深井さんが歴史をもとに「株式会社が社会善に投資すべき理由」を語る展開になりました。利益を唯一の倫理とする時代が終わりつつあるという見立てと、矢田さんの現場の実感が重なり合う対談です。
- コミュニティナースは個人の活動から講座・法人化を経て全国に広がり、企業との連携では予算の測り方が壁になっている
- 矢田さんは「利の定義を広げる」ために、あえてNPOではなく株式会社を選んだ
- 深井さんは、企業が利益だけを追えたのは人口動態や主要産業に依存した時代の倫理だったと指摘する
- 社会善への投資をしない企業は、意味を求める人材を確保できなくなるというのが深井さんの予測
- 出雲には意義を求めて人が集まり始めており、ユース出雲では次世代を育てる取り組みが進んでいる





