ばいきんまんはミュージカルから生まれた?
やなせたかし編の最終回は、ばいきんまんの話から始まります。楊さんは、アンパンマンの「愛すべき弱さ」を引き出しているのがばいきんまんだと説明します。
やなせたかしはばいきんまんを高く評価していて、アンパンマンが成功したのはばいきんまんの功績が大きいと言い切っていたそうです。楊さんは、子どもが心のどこかで持っている「ルールから外れてみたい」気持ちに寄り添ったキャラクターではないかと話します。
恐ろしい天才だよね、ばいきんまん。
ばいきんまんが生まれた場所は、絵本ではなくミュージカルでした。アンパンマンはアニメより先にミュージカル化されていて、観客の反応をその場で確かめられる舞台が、作品をブラッシュアップする実験の場になったといいます。
舞台を作る中で、やなせたかしは「個性のある悪役がいない」ことに気づきます。絵で光の部分を際立たせるために影を描くように、アンパンマンという正義を引き立てるには悪の存在が必要だと考えたそうです。
ミュージカル化
絵本出版の後、アニメより先に舞台化される
物足りなさ
個性のある悪役がいないと気づく
発想
食べ物の敵はばいきんだと考える
登場
舞台に登場すると話がぐっと引き締まる
食べ物であるアンパンマンの敵として思いついたのが、ばいきんでした。戦前に勤めていた田辺製薬で、ばいきんをキャラクター化した経験もあったそうです。今のばいきんまんは黒いハエがベースで、背中の羽はハエの羽だといいます。
ほんとや。あれ(ばいきんまんの背中)ハエの羽やったんや。
決めゼリフの「はひふへほ」もミュージカルで決まりました。「ガギグゲゴ」や「ラリルレロ」も試したものの、子どもに受けたのは「はひふへほ」だけだったそうです。樋口さんは、作詞もしていたやなせたかしの音感が生きたのではないかと推測します。
頭をちぎって渡す演出はどう生まれた?
アンパンマンの設定も、ミュージカルの中で変わっていきました。舞台で子どもたちに一番受けたのは、アンパンマンが頭をかじらせる場面だったそうです。
ただ、かじられて頭が大きくへこんだままのアンパンマンは、子どもにはショックが大きいという指摘が続いていました。そこで、頭をかじらせるのではなく、自分でちぎって「食べなさい」と渡す形に変えたといいます。
相手に頭をかじらせ、へこんだ頭のまま過ごす
自分で頭をちぎって「食べなさい」と渡す
だからここで設定を大きく変えるんじゃなくて、演出を変えただけにしたっていうのが(こだわりですね)。
楊さんによれば、やなせたかしは便利屋のような仕事をしていた時代に、歌手のステージの構成や演出、司会を手がけていました。目の前の客を喜ばせ、その拍手が自分の喜びになる経験が、今もアンパンマンがステージショーを大切にしていることにつながっているのではないかと楊さんは話します。
俺だって福岡あるじゃないですか、アンパンマンミュージアム。やっぱ行って見ましたもん。アンパンマンショー。
アンパンマンとばいきんまんは敵なのか?
楊さんは、アンパンマンとばいきんまんの関係は単なる正義対悪ではないと説明します。やなせたかしの中では、2人の関係は「共生」でした。
善があるから悪があり、光があるから影がある。戦いながらも相互依存している関係として、善と悪、光と影、陰と陽の世界観を表現しているといいます。楊さんは、老荘思想 ── 古代中国の老子と荘子の思想。自然のままに生きることを説き、対立するものが互いに支え合うという相対的な見方を特徴としますや仏教哲学に近い考え方だと話します。
対極図やん。
解像度を上げると、菌とパンの関係になります。菌はパンを腐らせ、アンパンマンの元気を奪う敵です。けれど、パンはイースト菌や酵母がなければ作れず、菌も食べ物がなければ増えられません。
菌はパンを腐らせ、食べられなくする
パンは菌がないと作れず、菌も食べ物がないと繁殖できない
だからアニメの中でも、2人は相手を徹底的に殺しません。アンパンチはばいきんまんを追い払うだけで、ばいきんまんは家に逃げ帰ります。ばいきんまんがアンパンマンのピンチに助けに行くこともあり、それはライバルとして必要な存在だからだと楊さんは説明します。
へー、確かに。仲良く喧嘩してんですね。
やなせたかしは、同じことが人間と菌にも言えると語っていたそうです。人間は薬で菌を退治しても、新しい菌がまた現れます。一方で、体内の菌や発酵食品、お酒、ワクチンも菌に支えられていて、菌が全滅すれば人間も生きられません。
アンパンの敵が菌って、普通やったら何か違う食品持ってきますもんね。
善と悪のバランスとロールパンナが示すもの
楊さんは、やなせたかしが伝えたかったのは「善と悪が共に存在し、そのバランスが取れた状態がベターである」という考えだったと話します。全てが善、全てが悪という状態は不健全で、むしろ危険だというのです。
例として挙げられるのが国同士の戦争です。気に食わない相手をやっつけようとすれば戦争は終わらず、嫌な相手とも折り合いをつけて生きる道を考えなければならない、という世界観だといいます。
人の心も同じで、誰もが良い心と悪い心を同時に持っています。楊さんは、純度100%の善も良くないという発想は、自分の言葉としたうえで、非寛容や排除、全体主義への警戒につながると話します。
この哲学をそのまま体現したキャラクターが、ロールパンナです。善と悪の2つの心を持ち、それが時々入れ替わる、作中でも最強クラスのキャラクターだと楊さんは紹介します。
楊さんは、二項対立の間にあるグレーゾーンこそ現実に近いと考え、そこを見つめる姿勢に、やなせたかしの人文学的なセンスが表れていると語ります。勧善懲悪の物語は、戦争や多くの別れを経験したやなせたかしにとって「インチキ臭い」ものだったのではないか、という見立てです。
僕がそれを伝えたいってなったら、「実は現実って残酷なんですよ」っていう物語を作りそうですもん。
でもそうじゃなくて、フィクションの中に説教臭くなく入ってるっていうのが(すごい)。
確かに(アンパンマンを)嘘臭いと思ったことないもんね。
70歳を過ぎた作者が3、4歳の子ども向けに描き、その間にいる大人たちがその価値をわかっていなかった。3人はこの構図そのものの面白さに盛り上がります。
ばいきんまんの機械と目の色に込められた意味
楊さんはここで、ばいきんまんの豆知識を紹介します。ばいきんまんがいろいろな機械を作るのは、菌やウイルスの「変異」を表しているそうです。
菌は免疫に撃退されても、次々に変異して再び人を襲います。その終わらない戦いを、ばいきんまんがバラエティに富んだ機械をどんどん作る姿で表しているといいます。
コロナがまさにそうだったよね。
さらに、ばいきんまんは徹夜で機械を作っているため、目の色が白ではなく薄いピンク色になっています。これはばいきんまんの執念を表しているそうです。
へえ、ばいきんまん一生懸命生きてんすね。可愛いこいつ。
キャラクターには実在のモデルもいます。ドキンちゃんの性格はやなせたかしの実母がモデルで、本によっては妻・のぶさんの気質も混ざっていると書かれているそうです。食パンマンやバタコさんなどの設定は、映画風と共に去りぬ ── 1939年公開のアメリカ映画。南北戦争期の南部を舞台に、スカーレット・オハラの生涯を描いた長編で、映画史に残る名作とされますの登場人物から取っているといいます。
見てきたもんが全部入ってるんや。
病の詰め合わせを抱えた「オイドル」の晩年
やなせたかしは後期高齢者になってからアンパンマンブームに巻き込まれ、朝から晩まで机に向かう日々を送ります。本人はその状況を、マラソンの最後尾を走っていたら仲間がみな寿命で亡くなり、自分だけが先頭を走っていたような感覚だと例えていたそうです。
一方で、体は「病気の詰め合わせ」のような状態でした。カルテに10以上の病名が並ぶことから、自らを「十病人」と呼んでいたといいます。
- 心筋梗塞で心臓を手術し、ペースメーカーを入れる
- 膵臓炎、緑内障、白内障などで手術
- 腎臓がんで左の腎臓を摘出し、その後も手術を重ねる
- 糖尿病を患い、耳も遠くなる
救急搬送を繰り返し、何度も死にかけながら、病床でもアンパンマンを描いていました。看護師たちに「またアンパンマンの先生が来た」と喜ばれ、退院のたびに「また来てくださいね」と見送られていたそうです。
なんか行きつけの居酒屋みたいになって。
収入が倍になっても生活は変わらず、のぶさんからお小遣いをもらい、自家用車も持たずに都営新宿線に乗っていたといいます。本人は、若くして成功していたら欲にまみれてお金を浪費しただろうと語っていたそうです。
そんなやなせたかしがお金を使ったのが、「老いたるアイドル」を名乗る「オイドル」活動でした。歌手やリサイタル、タップダンス、オーケストラの指揮、漫才、CDデビューまで手がけます。
特に話題になったのが、自腹で開く派手なパーティーです。構成、演出、舞台美術、司会、ポスター、曲まで自分で手がけ、退院記念のパーティーでは病人の格好で幽体離脱マジックを披露したそうです。参加者は無料招待で、お土産付きでした。
俺それ爆笑するな、みたいな。そういうの大好き。
妻・のぶさんとの別れと、子どもとしてのアンパンマン
仕事が順調な一方で、やなせたかしの内心は複雑でした。アニメの放送が決まり、小学館の幼児誌での連載も始まり、勲章も受けて園遊会では天皇皇后両陛下の笑いを取るほどでしたが、妻ののぶさんは乳がんで闘病中だったのです。
余命3ヶ月と言われたのぶさんは6年間の闘病の末、やなせたかしが74歳の時に亡くなります。40年以上連れ添った相手を失い、なぜもっと早く病院に連れて行かなかったのかと後悔し、体重も10キロほど落ちたそうです。
日常生活はのぶさん頼みで、服がどこにあるのかも、自分の収入がどうなっているのかもわからなかったといいます。それでも仕事は忙しく、人前ではいつもの顔で猛烈に働き続けました。
うわぁ、(アンパンマンは)もう自分の子供みたいな。
子どもがいなかったやなせたかしを励ましたのは、アンパンマンでした。アンパンマンを描いていると、ちゃんと生きなければ向こうで妻に合わせる顔がない、と考えるようになったと本に書いているそうです。
妻も子もいないなら、お金はどんどん使おうと考えて作ったのが、アンパンマンミュージアムとアンパンマンショップでした。1996年、故郷の高知県香美市にやなせたかし記念館アンパンマンミュージアムがオープンします。
年間目標を2ヶ月足らずで。
東日本大震災と、人生最後の大仕事
2011年の東日本大震災の時、やなせたかしは92歳でした。90代に入り、周囲には「いつ死ぬかわからないから楽にさせてよ」とこぼし、引退を考えていたようです。手塚治虫、藤子・F・不二雄、横山光輝、石ノ森章太郎といった仲間もすでに亡くなっていました。
震災にショックを受けて呆然としていたところ、被災地のラジオ番組に「アンパンマンのマーチを流してほしい」というリクエストが届きます。子どもたちがラジオに合わせて歌い、笑わなくなった子が笑顔を取り戻し、それを見た大人たちも涙したといいます。
この話を聞いたやなせたかしは、生涯現役でやろうと決意します。心に傷を負った子どもたちを元気づけることが、自分にできることだと考えたそうです。
最後の大仕事として作ったのが、朝日とも夕日とも取れる赤い空を飛ぶアンパンマンのポスターでした。そこには「ああ、アンパンマン、優しい君は。行け、みんなの夢守るため」というマーチの一節が大きく入っています。
このポスターは被災地や陸上自衛隊にも届けられました。疲れ切った隊員の1人は、このフレーズから「お前が頑張らなかったら誰が頑張るんだ」というメッセージを受け取ったそうです。
被災地の女の子からは「私は怖くない。アンパンマンが助けに来てくれるから」という手紙も届きます。子どもたちにとってアンパンマンは実在していると感じ、作者としてそれに値することをしなければと考えたといいます。楊さんは、やなせたかしこそがアンパンマンだったと語ります。
(十病人と)言ってたぐらい体がボロボロで。言ったらもう頭かじられてる状態って言ってもいいかもしれないですよね。
やなせたかしは94歳で亡くなりました。本の中では、日陰の雑草のような自分が小さな花を咲かせられたとアンパンマンに感謝し、「あなたに会えてよかった。面白い人生をありがとう」と書いているそうです。
運をつかむ方法と「なんのために生まれて」の問い
楊さんは最後に、やなせたかしの言葉を紹介します。仕事への向き合い方として、自分は天才に比べて才能の薄い人間だったが、続けていたら運をつかめた、と語っていたそうです。
運をつかむとは、仕事がなくてもやり続けることだといいます。頼まれた仕事ではないから好きなようにやれるし、やめてしまえばそこで終わる。やり続けていれば運がやってきて、その時に初めてつかめる、という言葉です。
ここまで聞いて、やなせたかしがこれ言ってるってやばいですね。いつでも辞めれたから、アンパンマン描くことを。
もう1つが、アンパンマンのマーチの「なんのために生まれて なにをして生きるのか」という問いです。楊さんは、両親との別れ、青年期の孤独、戦争、弟の理不尽な死、漫画家として芽が出なかった日々が絡み合ってこの歌詞が生まれたのではないかと話します。
この問いをテーマにしたのが、2006年公開のアニメ映画『いのちの星のドーリィ』です。作中でアンパンマンは、困っている人を助けた時に心が温かくなり、何のために生まれ何をして生きるのか、何が自分の幸せなのかがわかった、と語るそうです。
楊さんによれば、この映画はアンパンマンの不可逆な死がはっきり描かれる、おそらく唯一の作品です。やなせたかしの神髄がここに表れていると感じたといいます。
収録を終えて、遅咲きの作者に感じたこと
収録後の感想パートで、楊さんはやなせたかしをカーネル・サンダース ── ケンタッキーフライドチキンの創業者。60代でフランチャイズ事業を本格化させた遅咲きの成功者として知られますと同じ遅咲きの人だと語ります。自由でありながら地に足の着いたリアリストで、世の中も子どもも仕事もなめていない点に惹かれたそうです。
子供向けの作品というか、ものを本気で作り続けるってどんな感覚なのかなと思うんですよ。
深井さんは、アンパンが空を飛んでヒーローになるという設定自体が、当時は斬新だったと指摘します。何もないところから新しいものを、晩年になってから始めた点に驚きます。
一番新しい、まだ出てきてないことを、(晩年に)なってからやり始めるっていう。
樋口さんは、辻社長、若手編集者、のぶさん、手塚治虫といった支え手の存在も含め、この人生自体が1つの作品のようだと話します。
さらに樋口さんは、2つの代表曲の歌詞の違いに注目します。「手のひらを太陽に」では「みんな友達」と歌い、アンパンマンのマーチでは「愛と勇気だけが友達」と歌っているからです。
みんな友達なんだ、と歌う
愛と勇気だけが友達、と歌う
矛盾してないと思いますけどね。みんな友達と思ってるから、愛と勇気だけを友達にしてやるみたいな話なんでしょうね。
樋口さんは、アンパンマンが理由を超えて子どもに愛されるのは、やなせたかしの「念」がこもっているからかもしれないと感想を締めくくります。
アンパンマンがバットマンよりかっこよく見える理由
深井さんは、今回の内容をほぼ楊さんに任せていたため初めて聞いたとしたうえで、思った以上に感動したと話します。自分の世代はアンパンマンで育った最初期の世代で、その哲学が30年後に判明するのがエモいといいます。
やなせたかしがさ、かっこ悪いヒーローを作ろうとしたけどね。
体調を崩し食中毒の中で収録に臨んでいた深井さんは、2024年は年始から明るいニュースが少なかったが、この話で元気が出たと語ります。
愛と勇気だけでこのスタジオに来てるからね。
深井さんは、今の日本は政治や経済への不信感が漂っているが、やなせたかしや水木しげるの世代は圧倒的に絶望的な時代から愛のある作品を生んだと話します。この世代の人たちを参考にすることが、今を生きるヒントになりそうだと直感しているそうです。
大人になってまた違う見方してね、新しい価値を見出すみたいなものって、多分他にもいっぱいあるだろうから。
まとめ
やなせたかし編の最終回は、ばいきんまんに込められた共生の思想から、病と死別を越えて震災後の子どもたちを励まし続けた晩年まで、アンパンマンが作者の人生そのものだったことを浮かび上がらせました。
- ばいきんまんはミュージカルの舞台で生まれ、「はひふへほ」や頭をちぎって渡す演出も観客の反応から磨かれた
- アンパンマンとばいきんまんは善悪の対立ではなく、菌とパンのように依存し合う共生関係として描かれている
- 十病人と自称するほどの病と妻の死を抱えながら、やなせたかしはアンパンマンを子どものように描き続けた
- 東日本大震災後、92歳で生涯現役を決意し、ポスターやステージで被災地を励ますことが最後の大仕事になった
- 「なんのために生まれて なにをして生きるのか」は、やなせたかしが94年の人生で問い続けたテーマだった



