文字こそ最古のメディア、始皇帝の焚書は何を消したのか
ゲッベルス編の第2話は、ゲッベルスの半生を扱った前回を受けて、プロパガンダの歴史を振り返る回です。楊さんは、第3話以降でゲッベルスが行ったプロパガンダを立体的に理解するために、この章を入れたと説明しています。
楊さんによると、プロパガンダという言葉自体が生まれるのは中世以降です。そこで最初は「権力によるメディア統制」、つまり権力が特定の目的のために人間の認識を強制的に改変しようとする挙動の歴史として話が始まります。
この回でのメディアは、誰かに何かを知らせたり伝えたりするための技術と定義されています。その定義で人間にとって最も古いメディアは文字であり、文字の誕生が国という大規模な集団を形づくる原動力になった、と楊さんは語ります。
文字によって、人間は世界を言語化し、秩序立てて理解し、知識を保存できるようになりました。楊さんは、川という生きるためのインフラの周りに国ができたように、文字という知性を拡張するインフラの周りに文明が生まれたとたとえています。
文字を統制するってピンとこないですね。
樋口さんの疑問に対し、楊さんは書物の破壊を例に挙げます。王や国、宗教といった権力が、自分たちと異なる考えや自分たちを敵視する考えが書かれた書物を危険視し、壊してきたというのです。
(書物を)破壊することによって、単に今の言論を統制するだけじゃなくて、残さないことで過去と未来の言論も統制することができるんですよね。
楊さんはこれを、かつてあったはずの歴史を消し、これから表に出るはずの歴史を出てこないようにすることだと言い換えます。古代の書物がすべて今に伝わっているわけではなく、自然に失われたものに加えて、権力によって永遠に失われたものもあるはずだと話しています。
代表例として挙げられたのが、秦の始皇帝 ── 紀元前221年に中国を初めて統一した秦の王。度量衡や文字の統一、郡県制の導入などで中央集権体制を築いた人物ですによる焚書 ── 書物を焼き払うこと。始皇帝の時代には、思想統制の一環として民間の書物が焼かれたとされ、学者を弾圧した「坑儒」と合わせて「焚書坑儒」と呼ばれますです。始皇帝は法家 ── 法と刑罰による統治を重んじた古代中国の思想の一派。韓非子や李斯などが知られ、秦の統治の理論的な支えになりましたの思想にもとづくルールベースの中央集権国家を目指していました。
これに反対し、昔の封建制に戻せと主張したのが儒教の学者たちでした。楊さんによると、宰相だった李斯の提案を受けて、始皇帝は民間が持つ儒教などの書物を焼き払い、秦の歴史家が書いたもの以外の歴史書をすべて燃やすよう命じたといいます。言論の統制を通じて人の認識に介入することが、すでに古代から起きていたわけです。
活版印刷が文字を解放し、「プロパガンダ」はカトリックから生まれた
文字の統制が長く効いた理由について、楊さんは文字が一部の社会階層に独占されていたことを挙げます。民衆の識字率は聖職者や貴族より低く、古代中国では漢字を扱うこと自体が特殊技能で、その知識の多くは貴族や役人の家で世襲されていたといいます。
書物も高価だったため、権力と富を握れば文字や書物を統制でき、人の世界認識や記憶、知識まで支配できました。楊さんは、文字の読めない人は放っておけば読めないままでいてくれる、どうせ本も買えない、という状況が長く続いたと表現しています。
この状況を変えたのが、15世紀のグーテンベルク ── 15世紀ドイツの金属加工職人。金属活字を使う活版印刷術を実用化し、ヨーロッパで書物が大量に出回るきっかけをつくりましたによる活版印刷の改良です。本やビラの生産コストが下がり、新しい読者層が生まれ、多くの人が自分の摂取する情報を自分で選べる可能性を手に入れました。
ただし、その反動として教会による検閲が現れます。楊さんによると、正統なカトリックと違う異端や他の宗教が広まることをローマ教皇庁が恐れ、印刷工場を監督する規定が公布されました。15世紀以降のヨーロッパ諸国では、何らかの形で検閲が行われていくことになります。
活版印刷による書物の爆発的な普及とつながる形で起きたのが、宗教改革 ── 16世紀、ルターらがカトリック教会の腐敗や教義を批判して始まった運動。プロテスタントの諸教派が生まれ、ヨーロッパの宗教地図を大きく塗り替えましたです。そしてカトリック教会がこの勢いに抵抗するために始めたのがプロパガンダであり、プロパガンダという言葉の起源はカトリック教会にあると楊さんは説明します。
もともとプロパガンダは、種をまく、広がるといった意味のラテン語でした。ローマ教皇グレゴリウス15世は反宗教改革を進めるため、カトリックでない国への宣教を主な目的とする布教聖省 ── 1622年に設立されたローマ教皇庁の部署。ラテン語名に「propaganda」を含み、宣教活動を統括しました。現在の福音宣教省の前身にあたりますを設立し、その名前にプロパガンダという語が入っていたといいます。
楊さんによると、このプロパガンダの考え方は中世ヨーロッパ社会の崩壊とともに世俗の君主国家へ受け継がれ、政治目的の言論統制の手法として発達していきました。
上の年表は、文字の独占からマスメディアの誕生まで、統制の対象となるメディアが移り変わっていく流れを整理したものです。
新聞と世論の誕生は、なぜ国民国家を最強にしたのか
近代の大きな変化として楊さんが挙げるのが、マスメディアの登場です。18世紀の産業革命で都市に住む人が増え、コーヒーハウスでコーヒーを飲みながら新聞を読み、議論する場が生まれました。
楊さんによると、都市の人々は国が支配する空間とは別の言語空間をつくり、そこで新聞の読者層と世論が形成されていきます。国が望むものとは違う、民間で共有される大きな考え方が生まれたということです。
19世紀半ばを過ぎると、欧米では電信と鉄道網が発達し、識字率も上がりました。新聞の読者は都市だけでなく、地方や農村にまで広がっていきます。
一方で、楊さんはマスメディアの発達が大衆の依存と受動性も育てたと指摘します。人々は自分の目で見た情報よりも、新聞やラジオが提供する情報を受け身で受け入れて、身の回りの世界を認識するようになったというのです。
〇〇が体にいいとワイドショーが報じれば、それが明日売れてっていう感じですよね。
楊さんは、新聞に書いてあるから、テレビで言っているから正しいだろう、という感覚を例に挙げます。世論を形づくる要となったマスメディアを握れば、人間の認識に介入できるようになったわけです。
では、マスメディアを誰が握ったのか。楊さんは、その最強のプレイヤーとして登場したのが国民国家 ── 共通の言語や文化、歴史を持つとされる「国民」を単位に成り立つ国家。近代ヨーロッパで広がり、国民の一体感と主権の担い手を結びつけましただったと語ります。
当時は企業よりも国の権力がはるかに強く、国家は国民から最も信頼されていました。国は利権を含む社会リソースを集中させて配分でき、民間メディアを動かす力を持っていたうえ、民間メディアの側も国にくっつけば利権などのメリットがありました。国が投資して国有メディアを持つこともできたといいます。
これはあえて国家じゃなくて国民国家ってつけたっていうところはなんかあれがあるんですか?
楊さんの答えは、国民国家の形成そのものにマスメディアが深く関わっていたというものです。発信力の強いメディアは、「あなたは何々国の何々人です」というアイデンティティに介入し、新しく線を引いて共同体を定義する力を持っていたと説明しています。
深井さんは、議会政治の存在も大きいと補足します。封建国家では王の命令が絶対なので理解してもらう必要はありませんが、国民国家では政府がやろうとしていることを理解してもらい、選挙で支持してもらう必要がある、というインセンティブが働くという見方です。
消すことと隠すこと、プロパガンダの神髄は始皇帝から変わらない?
ここまでの歴史を聞いた深井さんは、プロパガンダの要点が始皇帝の時代にすでに確立していると感じたといいます。
深井さんによると、情報を消したり隠したりすることで、真実を作り出したり消したりできます。だからこそ、書かれたことをどう読み解くべきかというリテラシーを受け手の側が持っていないといけない、というのが深井さんの考えです。
それが何のメディアで表現されていようが、誰かが操作したかもしれないし、誰かが何かの意図で発信したかもしれないメッセージだっていうことは、もう本当に変わらない。
樋口さんが「それで言い出したら全部そう」と返すと、深井さんは全部そういう態度で臨まないといけないと答えます。樋口さんは続けて、話している深井さんのことも信じられなくなると冗談を言い、スタジオに笑いが起きます。
僕のことだけは信じてほしかったな。
一方で楊さんは、文字や情報はすでに日常生活や概念のすべてを構成しているので、いちいち全部を疑っていたら生活できないと指摘します。樋口さんは、全部を鵜呑みにすれば洗脳されるので、信じつつ疑う目も持つバランスが必要なのだろう、とまとめています。
第一次世界大戦のデマ記事が、ナチスの宣伝重視を生んだ
楊さんによると、世論が国民国家の操作対象となる大きなきっかけは戦争でした。戦争が大規模化するにつれ、国は大衆の協力を得るためにメディアを積極的に使うようになります。
楊さんは、プロパガンダにはナチス・ドイツのような独裁国家のイメージがあるものの、実際にはどこの国でも行われていたと強調します。戦争報道によって国民の一体感が増し、敵を倒そうという気持ちが高まる。そのナショナリズムの高揚を狙って、国がマスメディアを利用したということです。
第一次世界大戦でプロパガンダの中核を担ったのは、ビラや新聞といった活字メディアでした。ただ、映画やラジオといった電子メディアもこの戦争で登場して存在感を発揮し、活字より拡散力が強いことが認識されたといいます。
楊さんは、戦勝国イギリスと敗戦国ドイツの対比を紹介します。イギリスは開戦と同時に通信と報道を統制し、政府に報道を制限する権利が与えられました。民間のロイター ── 1851年にロンドンで創業した通信社。世界各地のニュースを配信する国際通信社として知られ、現在も大手の一つですもフランスの通信社アバスと連携し、軍事宣伝のための委員会のような組織をつくったといいます。
象徴的な手法がデマ情報によるドイツへのネガティブキャンペーンでした。両手を切り落とされたベルギーの赤ん坊や、戦死者の脂肪でグリセリンを作るドイツ軍の死体工場といった残酷な記事を、ドイツ軍の野蛮さを広めるために載せたそうです。
これらは後にイギリスでもデマだったと確認されます。その結果、第二次世界大戦中にナチスによるユダヤ人虐殺が新聞で報じられたとき、「どうせまたデマだろう」と話半分に受け取るイギリス人読者も少なくなかったといいます。
これも嘘やろと。狼少年や。
第一次世界大戦
ドイツ軍の残酷さを伝えるデマ記事を新聞に載せる
戦後
それらの記事がデマだったとイギリスで確認される
第二次世界大戦
ユダヤ人虐殺の報道が「またデマだろう」と話半分に受け取られる
この流れは、嘘をついた発信者が後に信用を失うという、樋口さんの言う「狼少年」の構図を示しています。
一方のドイツは、プロパガンダに完全に失敗しました。楊さんによると、短期決戦を想定していたため宣伝をあまりやるつもりがなく、計画が破綻してからずるずると始めたものの組織的な活動ができませんでした。イギリス海軍に海底ケーブルを切断され、情報戦でも圧倒的に不利だったといいます。
敗戦後のドイツでは、イギリスの宣伝の威力に負けたのだという受け止め方が強調されました。宣伝技術や大衆心理への関心が高まり、それを研究する書籍がブームになり、その背景の中で宣伝を重視するヒトラーらが現れたと楊さんは説明します。
楊さんは、敗因をプロパガンダに帰すことには政府や政治家の責任逃れの意図もあったと補足します。それでも、この失敗の重い受け止めがナチスの宣伝重視の方針を生み、ヒトラーやゲッベルスのモチベーションにつながっていったといいます。
ラジオと映画、いちばん怖いのはエンタメのプロパガンダ?
第二次世界大戦では、ラジオと映画という電子メディアが本格的に活用されます。楊さんがラジオの強みとして挙げるのは、出来事をリアルタイムに中継できることです。
楊さんによると、ラジオを国が握れた理由は2つあります。1つは、世界恐慌で各国に社会不安が広がり、言論を統制するために政府がラジオ放送への介入を強めたこと。もう1つは、ラジオが軍事利用の流れから出てきた技術で拡散性も強いため、政府の規制対象になっても仕方ないという合意のようなものがあったことです。
映画も、大衆に訴えかける中核的なメディアになりました。閉じられた暗い空間で集団で観るため訴求力が強く、さらに映像と音声が同期した映画の登場で、他のメディアを巻き込むメディアミックス ── 一つの作品や題材を、映画・書籍・音楽・雑誌など複数のメディアで同時に展開する手法。相互に宣伝し合う効果がありますが可能になったといいます。
楊さんの説明では、映画の原作は読み物として人気を集め、劇中の曲はレコードとしてラジオで流れ、俳優の写真はグラビア雑誌に載り、映画の紹介や劇場案内は新聞に載ります。映画を軸にして、あらゆるメディアをカバーする全方位の発信ができたというのです。
楊さんは、国のリーダーが国営テレビに映るような堅苦しい絵面は、わかりやすいプロパガンダの典型だとしています。それよりも効果的なのは、国から押し付けられたと感じにくく、大衆がこぞって消費したくなるエンタメだというのです。
国営放送やリーダーの映像など。プロパガンダだと認識され、構えて見られるため拒否されやすい
歌や漫画、ゲーム、アニメ、映画など。警戒心なく受け入れられ、知らないうちに思想が植え付けられる
この対比について、深井さんは「自主的に集中してワクワクしながら見てますからね、エンタメって」と共感しています。堅苦しい放送は構えて聞くが、エンタメは無防備に受け入れてしまう、という点が怖さの核心です。
深井さんは、近現代史研究家の辻田真佐憲さんの本『楽しいプロパガンダ』を紹介し、プロパガンダの楽しさは当初から追求されていたと話します。ナチス・ドイツでは女性映画監督のレニ・リーフェンシュタール ── ドイツの映画監督。ナチス党大会を記録した『意志の勝利』やベルリン五輪を描いた『オリンピア』を制作し、その映像美で知られますが党大会やベルリンオリンピックの映画を撮り、今見てもとても美しいといいます。
日本の例として深井さんが挙げたのは『のらくろ ── 田河水泡による漫画。野良犬の黒吉が犬の軍隊に入って活躍する物語で、戦前の少年たちに大人気でした』です。深井さんは子どもの頃に好きで読んでいた面白い漫画だとしつつ、中国人と思われるキャラクターが豚、ロシア人と思われるキャラクターが熊として描かれていたと指摘します。
アメリカの例では、1955年公開のディズニー映画『わんわん物語』が挙がりました。深井さんによると、物語自体は戦時中の1940年代に作られ、主人公のお嬢さん犬を家から追い出す原因になる2匹のシャム猫は目が細長く描かれ、登場のたびに中国風の銅鑼の音が鳴るといいます。
そういうふうな世界認識っていうのが、知らず知らずのうちに僕たちに来る、面白い映画を通してっていうような、そこにやっぱプロパガンダの恐ろしさと面白さがありますよね。
楊さんは、ディズニーが戦時中にプロパガンダアニメも作っていたと付け加えます。短編アニメ『総統の顔』では、ナチスの格好をしたドナルドダックがヒトラー、昭和天皇、ムッソリーニの肖像画の前でナチス式敬礼をするなど枢軸国を風刺しており、この作品はアカデミー賞も受賞しているそうです。
メディア統制の4つのパターンと、戦争のたびに繰り返される決めゼリフ
楊さんは、ここまでの話から、国がメディア統制を始めるパターンをいくつかにまとめています。深井さんは、大体この4つのどれかに入るのかと確認し、楊さんは「おおよそ」と答えています。
| パターン | この回で挙がった例 | 統制の中身 |
|---|---|---|
| 社会不安 | 世界恐慌期の各国 | 国民の不安を抑え世論を導くため、ラジオ放送に介入する |
| 戦争 | 第一次・第二次世界大戦 | 大衆の協力を得るため、報道やメディアを動員する |
| 国の統一 | 秦の始皇帝の中国統一 | 焚書で異なる思想や歴史を消す |
| 反体制・反主流運動の抑圧 | 宗教改革に対するカトリック教会 | 検閲と宣教で対抗し、プロパガンダが誕生する |
最後に楊さんが紹介したのが、ベルギーの歴史家アンヌ・モレリの『戦争プロパガンダ10の法則』です。近現代の戦争事例をもとに、開戦前や宣戦布告のときに各国の指導者がほぼ必ず口にする言葉のパターンを明らかにした本で、この回では10のうち5つが取り上げられました。
1つ目は「我々は戦争をしたくない」です。戦争は常識的に歓迎されないため、指導者は自分たちが平和を愛する側で、やむを得ず戦うのだと語ります。楊さんは、ヒトラーが第二次世界大戦の開戦時に国会で「私はこれまで平和的な方法で状況の立て直しを図ろうと努力してきた」と述べた例や、太平洋戦争の開戦時に東條英機とフランクリン・ルーズベルトがともに同じ趣旨の言葉を語った例を挙げています。
2つ目は、敵側が一方的に戦争を望んだという主張です。争いの原因はすべて相手国にあり、自分たちは正当防衛だと訴えます。
これでも矛盾ですよね。A国もB国も(戦争をしたくないと)言ってたら理論上戦争しないですからね。
楊さんは、相手がどう言っているかは関係なく、自分たちの正当性を主張するためにどの国も言っているのだと応じています。
3つ目は、敵の指導者は悪魔のような人間だという主張です。相手国の国民全体を憎むことはできないので、憎しみを指導者一人に集中させると、支配下にある国民の個性が打ち消されると楊さんは説明します。前回扱った、オクタウィアヌスがクレオパトラに憎しみを集めた手法と同じだといいます。
第二次世界大戦では、イギリスやアメリカなどの連合国が、ヒトラーが興奮している場面を切り出したニュース映像を繰り返し流しました。落ち着きのない指導者が率いるドイツ軍は恐れるに足りない、と印象づけるためです。樋口さんは、芸能人を叩くときに怒った顔の写真ばかり使う印象操作と同じだと重ねています。
4つ目は「我々は偉大な使命のために戦う」です。楊さんによると、経済的な利益や領土といった地政学的な本当の目的は国民にも他国にもあまり公表されず、建前として独立や名誉、自由、国民の生命を守るためだと発信されます。楊さんはこれを目的のすり替えと呼んでいます。
そして法則10が「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」です。憲法で言論の自由が保障されていても、戦時下で戦争反対を言い続けるのは雰囲気的にとても難しく、それをダメ押しするのがこうした発信だと楊さんは述べています。
樋口さんは、これらの法則は国の戦争に限らず、経済活動やスポーツなど、いろいろな集団で当てはまりそうだと感想を述べます。深井さんも法則10について、認知バイアスに強く訴えかけるものだと話します。
なんかみんなが頑張ってるのになぜ頑張らないのかとか。(法則10と)構造としては同じ話ですからね。
音楽に心を動かされたとき、主張にもうなずいていないか
回の締めくくりに、樋口さんが最も心に残ったのはエンタメとプロパガンダの話だったと振り返ります。思い出したのは、東日本大震災後の反原発ムーブメントで、音楽を使ってメッセージを発信するミュージシャンが増えていたことでした。
樋口さんは、川辺でバッテリー式のアンプやドラムセットを持ち込んで野外演奏すると人が集まってくる動画をYouTubeで見たといいます。原発についてどちらの立場かは明言しないとしたうえで、そのライブ自体にはグッときてしまったそうです。
音楽で感動するっていうことと、内容について感動するっていうことは本来別なんですけど、やっぱり普通に何も考えずに見ちゃうと、これ言ってることそうだそうだって思いかけてる自分がいたんですよね。
楊さんは、ヒトラーもゲッベルスも言っているように、プロパガンダは理性ではなく感情に訴えるものであり、いかに感情をあおるかが本質だと応じます。樋口さんも、エンタメはそもそも感情を動かすことが目的だと納得しています。
最後は、コテンラジオのエンタメパートを担う樋口さんが「リスナーを操作できるのか」と気づく流れで笑いになります。樋口さんが冗談で寄付を呼びかけると、楊さんは「それは理性に訴えかけてるからダメかもしれない」と返し、回が締めくくられました。
まとめ
第2話では、文字の統制から始まり、活版印刷、マスメディアと国民国家、2つの世界大戦を経て、権力が人の認識に介入する手法が発達してきた歴史がたどられました。ゲッベルスのプロパガンダは、第一次世界大戦での宣伝の敗北という土台の上に出てきたものだと位置づけられています。
- 最古のメディアは文字で、秦の始皇帝の焚書のように、記録を消すことで過去と未来の言論まで統制できた
- プロパガンダという言葉は、宗教改革に対抗したカトリック教会の布教聖省に由来する
- マスメディアへの依存が世論を生み、それを握った国民国家が戦争で世論操作を本格化させた
- 第一次世界大戦での宣伝の敗北が、ヒトラーやゲッベルスの宣伝重視につながった
- 警戒されにくいエンタメこそが最も怖いプロパガンダであり、その本質は感情に訴えることにある





