ナチスがメディアを使えた下地とは?
今回のエピソードは、ナチス・ドイツの宣伝大臣ゲッベルスの話に戻ります。楊さんは、ゲッベルスがドイツでどのようなプロパガンダを行い、どこを重視していたかを紹介すると話します。
楊さんによると、ナチスのメディア利用には2つの背景があります。1つ目は社会的な背景です。第一次世界大戦の戦争報道で、ドイツはイギリスに大きく後れを取りました。
ドイツはこの敗北を強く反省し、プロパガンダを研究の対象にしました。「イギリスに騙された」「ハメられた」という認識が広がり、今度こそプロパガンダで勝つという動機がナチスの宣伝を後押ししたと楊さんは説明します。
2つ目は技術的な背景です。第一次世界大戦の後、ラジオや映画といった「1対N」の電子マスメディアが本格的に登場しました。
ドイツのラジオは、ナチスが政権を握る前から国家の宣伝道具になっていました。世界恐慌 ── 1929年のニューヨーク株式市場の暴落から始まった世界規模の経済危機。ドイツでは失業者が急増し、政治の不安定化を招きましたで政治が行き詰まり、政府の意向を国民に直接伝える手段として「放送の政治化」が進んだためです。
ラジオはやがて大統領の命令で国の広報メディアとして支配下に置かれました。楊さんは、ヒトラーの首相就任を待たずに、国がメディアを政治利用する社会的・技術的な基盤がすでにあったとまとめます。
社会的背景
第一次世界大戦の報道戦でイギリスに敗れ、プロパガンダ研究への関心が高まった
技術的背景
ラジオや映画など1対Nの電子マスメディアが本格的に登場した
政治化の先行
世界恐慌の混乱の中、ナチス政権以前にラジオが国の宣伝道具になった
フル活用
既存の基盤をゲッベルスとヒトラーが最大限に利用した
「巨大な動物園」はどう作られたのか
ゲッベルスは国民啓蒙宣伝省を率い、全ての情報を統制しました。国内の世論のコントロールに加えて、外国への宣伝や情報戦も宣伝省の仕事でした。
楊さんは、ゲッベルスが宣伝省の職員に向けた訓示を紹介します。「千年続く我が帝国を維持するために、国民の方向性を定め、総統への忠誠心を高めて維持していくことが宣伝省の役割である」という内容です。
ゲッベルスはさらに、国民を世界から完全に隔離し、現在の状況が最高だと信じさせれば宣伝は成功だとまで言い切ったといいます。
はい、振り切ってますね。もうバリバリ振り切ってますよね。
楊さんが読んだ本では、この状態のドイツ国民を「大きな動物園に入れられた」ようだと表現しています。国民はゲッベルスが与える情報を鵜呑みにし、次第に洗脳されていきました。ゲッベルスこそナチ体制を牽引した「真の闇将軍」だとする本もあるそうです。
ゲッベルスが特に活用したのがラジオです。ゲッベルスは「19世紀とは新聞だが、20世紀とはラジオである」と語り、ラジオを国民をナチの理念に一体化させる理想的な道具だと考えていました。
ゲッベルスはラジオを生活必需品として国民に行き渡らせようとしました。宣伝省はメーカーと安いラジオを共同開発して販売し、この政策は成功します。
とりあえずもう(宣伝が)届く仕組みや環境を作りまくっていくわけや。
光の大聖堂とヒトラーの神格化
ゲッベルスが重視したポイントの1つは、ヒトラーの神格化でした。ゲッベルス自身がヒトラーに心酔しており、総統は全能の人だという信仰を持っていました。その信仰を大衆に広めることを、自分の役割だと自覚していたといいます。
象徴的な取り組みが、ヒトラーが演説する巨大な集会です。ゲッベルスは集会を企画し、細かなマネジメント体制まで決めて推進しました。
集会では空間演出が徹底されました。ハーケンクロイツ ── ナチ党が党旗や国旗に用いた鉤十字のシンボル。ナチス・ドイツの象徴として知られていますの旗を数万本並べ、夜には巨大なサーチライトを12メートル間隔で置いて一斉に上空へ光を放ちました。
夜空に光の柱が立ち並ぶ光景は「光の大聖堂」のようだったと書く本もあります。大衆は演説を聞く前から恍惚とした状態になっていたそうです。
ヒトラーがファンファーレと行進曲の中を演壇へ向かうと、数万本の旗がヒトラーに向かってひれ伏すように倒されました。ヒトラーは万を超える聴衆を前に、数時間休まず怒鳴り続けたといいます。
集会の最後は国歌の合唱です。静まった後にヒトラーが「万歳、私の人々よ」と呼びかけ、群衆が「万歳、私の総統」と応えます。再びファンファーレとドラムが鳴り、熱狂の中でヒトラーが旗の下を通って去っていく演出でした。
前回にもね、ちょっと出てきましたけど、やっぱりエンタメをかなり意識してるような印象ですよね。
楊さんによると、ゲッベルスはラジオなどのメディアだけでなく、リアルな場での演説を重視していました。新聞をたくさん発行するより、たった1回の演説で人々の心に届けるほうが効果的だという趣旨の言葉も残しています。
楊さんは、文字のメディアだけでなく人を空間に閉じ込めて体験させる場をゲッベルスが大切にしていたと説明します。
ラインラント進駐とベルリン・オリンピックの舞台裏
ヒトラーにとって最大のテーマは、ヴェルサイユ条約で政治的にも経済的にも打撃を受けたドイツの復活でした。ヒトラーは実力で現状を変えるしかないと考えます。
その第一歩が1936年3月7日のラインラント進駐 ── 第一次世界大戦後に非武装地帯とされていたライン川沿いのラインラントに、ヒトラーがドイツ軍を進めた出来事。ヴェルサイユ体制への公然とした挑戦でしたです。ラインラントはドイツの工業地域でしたが、フランスの強い要望で非武装地帯にされていました。
ヒトラーはラインラントを取り戻し、同時にヴェルサイユ条約を無効化しようとして、電撃的に軍を進めて成功させます。この強硬外交の成功で、ヒトラーはドイツ国民から圧倒的な支持を得ました。
ラインラント進駐の裏には、ゲッベルスの世論操作がありました。進駐当日、ゲッベルスは主要新聞の編集責任者や外国人記者を宣伝省に集め、バスで空港へ運び、飛行機でラインラント上空から進駐の様子を見せたのです。
楊さんは、ゲッベルスが記者に最高の報道素材を与えると同時に、記者たちを自分のプロパガンダに組み込んだと解説します。ラジオでは高揚したアナウンサーが成功を伝え、放送は海外にも流されました。進駐の是非を問う国民投票では98.8%の支持を得たといいます。
間髪を入れずに開催されたのがベルリン・オリンピックです。オリンピックも宣伝省の管轄で、ゲッベルスは政治宣伝のショーにしようと考えていました。
人種差別を掲げるナチ政権がオリンピックを開くことには反対の声もありました。ゲッベルスはそれを承知の上で、海外から来る大勢の訪問者に向けてドイツの印象を操作しようとします。
ホテルやレストランにあったユダヤ人立ち入り禁止の掲示や差別的なポスターは撤去され、激しい反ユダヤの新聞も売店から消えました。強制収容所やユダヤ人迫害の噂があったにもかかわらず、訪問者は「そんなことないよね」とベルリンで快適に過ごしたという記録が残っているそうです。
ホテルやレストランにユダヤ人立ち入り禁止の掲示や差別ポスターがあり、反ユダヤの新聞が売られていた
掲示やポスターを撤去し、過激な新聞を売店から外して、反ユダヤ運動が減ったように見せた
一方で、ゲッベルス自身は強硬な反ユダヤ主義者でした。1938年11月9日の夜から起きた水晶の夜 ── ドイツ各地でユダヤ人の商店や住宅、シナゴーグが襲撃・放火された事件。割れたガラスが路上に散らばった様子から名付けられましたでは、突撃隊を動員したのがゲッベルスだと言われています。楊さんは、この事件がホロコーストへの転換点の1つになったと話します。
なんかこの辺はちょっと嫌な話ですよね。
比較できない国民は批判もできない
第二次世界大戦は1939年、ドイツのポーランド侵攻をきっかけに始まりました。その時点で、ゲッベルスが強化した宣伝省は十分に機能していました。
発足当時は約350人
開戦から3年後の1942年には1万5000人
戦争が始まると宣伝省は休みなしの体制になり、職員は1日おきに24時間勤務するシフトを組まされていたといいます。
恐ろしいね。凄まじい。
楊さんが読んだ本には、宣伝省は政府の一省庁というより「政府が宣伝省の一部」と言ってもいいほどだったという記述がありました。政策は常に、国民をどう熱狂させるか、海外の批判をどう避けるかという観点で検討されていたからです。
楊さんは、政府は世論に基づいて動くが、その世論を宣伝省がインストールしている以上、政府は実質的に宣伝省に動かされていたと説明します。議会も対抗政党もない中で、ナチ党は国民の支持を集めることだけを考えればよかったのです。
ナチ党は実績をあることないことアピールし、ヒトラーを救世主として演出し、ユダヤ、米英、共産主義と戦う存在だと発信し続けました。開戦時には、ドイツ国民の大多数がほぼ完全に洗脳された状態だったといいます。
ゲッベルスは、戦争が国民に痛みを強いることも意識していました。ゲッベルスの言葉によれば、長く厳しい戦争では、勝利で熱狂させるより義務を果たす固い決意を持たせることが大事だとされています。
ゲッベルスは、宣伝の目的は真実を語ることではないと考えていました。全てが嘘にならないよう配慮はしつつも、真実を歪めることには全くためらいがなく、むしろ達人だったと言われます。
ゲッベルスは、歴史的な真実は後の学者が指摘するかもしれないが、今の任務は歴史上の必要性に従うことだと語りました。宣伝の唯一の目的は成功すること、つまり大衆の支持を得ることであり、そのためなら手段は問わないという考えです。
でも一面真実だよね、それがね。なんかある意味もうそう言われたらそれはそうですよね。
PK中隊と映画中毒のゲッベルス
ゲッベルスの特徴的な取り組みの1つが、宣伝だけを行う独立部隊を作って戦地に送り込んだことです。これがPK宣伝中隊で、ゲッベルスは企画と設立に関わりました。
PK宣伝中隊の隊員は軍事訓練を受けた軍人でしたが、カメラマン、放送記者、新聞記者などで構成され、仕事は戦地で写真や動画、記事の素材を集めることでした。樋口さんが「取材ってことか」と確かめると、楊さんは「取材の特命チーム」だと答えます。
戦場で集めた映像は、ゲッベルスの指示で編集されて映画になりました。楊さんは、この「ドイツ週刊ニュース」がビジュアルを使った最大の宣伝方策の1つだったと説明します。
撮影
PK宣伝中隊のカメラマンが戦場で動画を撮る
送付
フィルムがベルリンに送られる
編集
ゲッベルスの指示で内容が編集される
公開
「ドイツ週刊ニュース」としてドイツ全土の映画館で上映される
ゲッベルスは映像の品質に厳しく、内容に不満があると激怒して、より激しいシーンを撮るよう命じたといいます。急降下爆撃、空中戦、爆撃機の大編隊、戦車部隊の進撃、砲弾の雨の中を走る兵士といったカットを好んだそうです。
まあまあ、これもアクション映画と一緒ですよね。絵になる映像は。
映画は青少年の教育、実質的には洗脳にも使われました。ゲッベルスはドイツ全土の学校でプロパガンダ映画を鑑賞させるよう命じ、学校用の映画も作らせています。
楊さんによると、ゲッベルス自身が映画中毒と言えるほどの映画好きでした。国民には見せられないユダヤ人監督の作品や英仏の映画、ハリウッド映画もひそかに観ていたそうです。楽しみのためか研究のためかはわからないと楊さんは付け加えます。
ゲッベルスは美人女優を別荘に招いて毎週パーティーを開き、色恋沙汰でトラブルになったこともあったようです。楊さんは「役得みたいな感じ」と表現しています。
ゲッベルスの仕事は自分たちと何が違うのか?
樋口さんは、宣伝省という肩書きを外して見れば、ゲッベルスはハリウッドのプロデューサーのような「普通の人」にも見えると話します。仕事を頑張り、羽目を外すところでは外し、私的な時間まで使って映画を研究していた人物だからです。
楊さんはここで、ナチス政権下でユダヤ人問題の事務方トップだったアドルフ・アイヒマン ── ナチス親衛隊の将校で、ユダヤ人の強制移送を担当しました。戦後アルゼンチンに潜伏していましたが、1960年にイスラエルの諜報機関に拘束され、裁判の末に処刑されましたを思い出すと語ります。アイヒマンは戦後、南米に潜伏していましたが、イスラエルに拘束されて裁判を受けました。
哲学者のハンナ・アーレント ── ドイツ出身のユダヤ系の政治哲学者。アイヒマン裁判を傍聴して『エルサレムのアイヒマン』を著し、「悪の凡庸さ」という概念を提示しましたが傍聴したアイヒマン裁判で、アイヒマンは一貫して、自分は国家公務員として命令に忠実に従っただけだと主張しました。その職務は、何十万、何百万人ものユダヤ人を絶滅させることでした。
彼(アイヒマン)が例えば日本の交通インフラを考える官僚で同じだけの能力を発揮していたらどうだっただろうかって思いますよね。
樋口さんは、ゲッベルスの話を聞きながら、自分のポッドキャスト制作との重なりをずっと考えていたと打ち明けます。樋口さんも品質にこだわり、多くのポッドキャストを聴いて研究し、「コテンの話は面白い」という自分の興味を伝えてきました。
樋口さんは、ゲッベルスのやったことを正しいとは全く思っていないと断ったうえで、大きく見れば同じことをしていると話し、これは1つの問いだと投げかけます。
楊さんは、自分たちが「メタ認知が大事」と言っていることも、本当に正しかったかは歴史でしかわからないと応じます。ゲッベルスとの大きな違いは、人を騙してよいとは思っておらず、権力のためにやっていない点だとしつつ、規模の小さな話なら誰にでも起こりうると続けます。
ちょっとしたルールなんていうか、その書類をちょっと書き直すだけでルールを破ることができる。それで自分の仲良くしている同僚に便宜を図ってあげるみたいなことって、やっぱよくあると思うんですよね、組織の中で。
楊さんは、そうした小さな行為が人生や国の運命を決めてしまうこともあると話します。樋口さんは「口笛を吹くと蛇が出る」という嘘も方便の例を挙げ、大義名分を自分で設定すれば嘘を否定しきれなくなる考え方もあると述べました。
楊さんは、プロパガンダには真実と違う世界を演出することが必然的に含まれると応じます。受け手の認識を変える仕事である以上、ゲッベルスに限らず各国の宣伝担当者にとって、それが仕事のやり方として「正解」だったのだろうと話します。
二人は、ゲッベルスを肯定するのではなく構造について話しているのだと確認し合います。自分たちがいつ彼らのようになるかわからないからこそ、自分の良心に従うことの大切さが浮かび上がる、という流れです。
最後に楊さんは、学びにならない個人的な感想として、人に見せない映画を自分だけ楽しみ、別荘に女優を招くゲッベルスを「しょうもないやつ」だと評します。言っていることとやっていることが違う、吉田松陰に怒られてほしいと笑いを交えて語り、次回の最終回へとつなげました。
まとめ
ゲッベルスは、第一次世界大戦の反省とラジオの普及という下地の上で、情報統制、ヒトラーの神格化、報道の演出、映画を組み合わせ、国民が比較も批判もできない状態を作り上げました。今回のエピソードは、その手法の巧みさを追ったうえで、熱意と能力を持つ作り手なら誰でも同じ構造に入りうるという問いで締めくくられます。
- ナチス以前から、ドイツにはラジオを政治利用する社会的・技術的な基盤があった
- ゲッベルスはラジオの普及と、光と旗を使った大集会の空間演出でヒトラーを神格化した
- ラインラント進駐では記者を空から取材させ、ベルリン・オリンピックでは差別の痕跡を隠して海外の印象を操作した
- 宣伝省は1万5000人規模に膨らみ、「政府が宣伝省の一部」と言われるほどの影響力を持った
- 樋口さんと楊さんは、ゲッベルスの仕事と自分たちのコンテンツ制作の重なりを、良心の大切さにつながる問いとして受け止めた





