手綱なしで馬を操るヌミディア騎兵とは何者か
前回、ハンニバル軍は極限状態のなかでアルプスを越えました。今回はまず、ハンニバル軍が多くの馬を連れてきた理由として、軍の特徴であるヌミディア騎兵が紹介されます。
ヌミディア騎兵は、北アフリカにいたヌミディア人の騎兵です。ヌミディア人はベルベル人 ── 北アフリカに古くから暮らす先住民の総称。遊牧や交易に関わる集団が多く、現在もモロッコやアルジェリアなどに住んでいますとも呼ばれる遊牧系の砂漠の民で、番組では「とにかく強い」と説明されています。
もう大体これはね、出てきましたよね、遊牧民は基本強えと。
ヌミディア騎兵の強さの背景には、子どもの頃から馬に乗り、狩りをしてきた暮らしがあります。馬に乗って狩りをすることは戦争とあまり変わらず、日常そのものが訓練になっていたと語られます。
自分が読んだ本の中でも、馬めちゃくちゃ調教されてて、乗り手の体重移動と体の動きだけで操縦できたって。
ヌミディア人の風貌は、ギリシアやローマから見ると未開の蛮族のようだったといいます。男性も髪を長く伸ばして房に編み、太い一束を頭頂部から肩へ垂らしていたという描写が紹介されました。
ラーメンマンみたいな。
ヌミディア騎兵の武装は、革製の胴鎧、丸い盾、投げ槍という簡素なものでした。手綱やくつわを付けずに馬を乗りこなし、しかも一人で2頭の馬を引いて、激戦の最中に疲れた馬から新しい馬へ武装したまま飛び移ったと伝えられています。
すげえな、カーアクションみたいなことやってますね。
楊さんによれば、疲れた馬を乗り換える戦い方はモンゴル軍もしていて、モンゴル軍は3頭を引くこともあったそうです。馬の扱いに長けた遊牧民だからこそできる戦い方だと考えられます。
なぜローマは強い騎兵を持てなかったのか
ヌミディア騎兵の話は、ローマ軍の騎兵事情との対比につながります。重装歩兵を中心とするローマのように都市が高度に発達した社会では、騎兵を持つこと自体が難しかったと語られます。
楊さんは、都市には馬に乗る場所も飼う場所もなく、馬は大量の草を食べるため、都市生活と相性が悪いと説明します。
やっぱりその騎兵っていうのは馬の産地にしか生まれないんですよね。すごくやっぱ場所にすごく限定されるし、あと非常にコストがかかるんですよ。
樋口さんによると、ローマで騎兵になれたのは、馬の調達や訓練の費用を負担できる、社会的地位が高く裕福な家の人たちでした。そのため、職業軍人としての騎兵はローマにはいなかったといいます。
共和政ローマ軍の華は重装歩兵でした。市民としての義務を果たすために全員が重装歩兵になることを、ローマ人は大事にしていたと語られます。
だからやっぱ騎兵はまあ重要なんだけど、まあサブだよねみたいな感覚だったのかもしれないですよね。
一方のカルタゴは傭兵制でした。騎兵が必要なら合理的にすぐ導入できる点が、ローマ軍との基本コンセプトの違いだと整理されています。
騎兵になれるのは裕福な家の人に限られ、職業軍人の騎兵はいない。軍の中心は市民が担う重装歩兵で、騎兵はサブという感覚
傭兵制のため、必要な戦力をすぐに導入できる。ヌミディア騎兵のような強力な騎兵を「アウトソーシング」できた
深井さんは、以前の回で傭兵制の弱点としてまとまりの弱さが挙げられていたことに触れ、傭兵制はこうした場面では強みになると受け止めています。
そうね、アウトソーシングすぐできるみたいな。
スキピオとの初戦で、ヌミディア騎兵はどう働いたか
ヌミディア騎兵は、ただ強いだけではありませんでした。楊さんによれば、ヌミディア騎兵はカルタゴと強いつながりを持ち、傭兵のなかで最も忠誠心が高かったため、ハンニバルは彼らを重宝していました。
ハンニバル軍には、リグリア兵、ギリシア兵、スペイン兵、アフリカ兵などもいました。強制的に参加させられた人や、個人で雇われた傭兵が混ざるなか、ヌミディア兵は部族ごとに数十人でまとまって参戦し、部族長の下でチーム単位で戦っていたといいます。
そのためヌミディア騎兵は統制が取りやすく、アルプス越えでは最後尾の殿を務めました。ケルト兵やガリア兵が反乱しないよう、後ろから見張る役割も担っていたそうです。
(ヌミディア騎兵は)なんか必殺技みたいな使い方を常にされる感じですね。
アルプスを越えたハンニバル軍は、ついに進撃を始めます。最初に相手となったのは、前回ハンニバルに素通りされたコンスル ── 共和政ローマの最高官職。定員は2人で任期は1年。平時は政治を担い、戦時には軍団を率いる司令官にもなりましたのスキピオでした。
スキピオは北のボイイ族の反乱を鎮めてからフランス南部へ向かったため、到着がひと足遅れました。その間にハンニバルはさらに北からアルプスを越えており、スキピオは迎撃できないまま船で引き返して、ハンニバル軍を待ち構えます。
スキピオとハンニバルの最初の戦いは、騎兵隊同士の小さな戦闘でした。この戦いでヌミディア騎兵はローマ騎兵隊をあっさり破り、スキピオは重傷を負います。
楊さんは、重傷を負うほどコンスル自身がちゃんと戦っていた点をすごいと評価しています。ハンニバルも同じように、戦いの中に身を置いて戦っていたといいます。
捕虜の一騎打ちで、ハンニバルは兵に何を伝えたのか
この初戦の直前にあったエピソードとして、ハンニバル流の兵の鼓舞の仕方が紹介されます。ハンニバルは、道中で戦ったガリア人やケルト部族の捕虜たちに、仲間同士で一騎打ちをする者はいないかと呼びかけました。
ハンニバルが示した条件は、勝てば馬数頭と上質な軍用外套を与えて解放し、負けても今の苦痛から死によって解放される、というものでした。つまり、死ぬまで戦わせる一騎打ちです。
(一騎打ちの提案に)その捕虜の全員が俺がやります、俺がやりますって言ったらしくて。じゃあクジで選べやと。
くじで選ばれた2人の決闘は、カルタゴ軍の全軍に見せられました。勝った捕虜は称えられ、約束どおり褒美を受けて解放されます。
決闘のあと、ハンニバルは兵たちに「今見たのは、お前たちと同じ状況だ」と語りかけます。勝てばローマの富を手にできるが、負ければ死ぬ、という二択です。
さらにハンニバルは、故郷からの遠い道のり、多くの敵、渡ってきた広い川を思い出せば、祖国へ逃げ帰れるなどと考える者はいないだろうと続けます。楊さんは、これを「アルプスをこれだけ越えてきて、もう逃げられないだろう」という意味だと解釈しています。
逃げれなかったら死ぬか勝ってめちゃくちゃ得するかの二択しかないじゃんと。だから頑張ろうって言うんですよ。
楊さん自身は「これで盛り上がるのか」と半信半疑でしたが、兵たちは実際に奮い立ったそうです。樋口さんは、中国の背水の陣 ── 逃げ道のない川を背にして陣を敷き、兵に決死の覚悟で戦わせる戦法。漢の韓信の故事に由来し、後がない状況で全力を尽くす意味でも使われますになぞらえています。
中国にもさ、背水の陣ってあるから、あの時代の人たちのメンタリティーで、あれでこう盛り上がるんじゃない?わかんないけど。
会話では、当時は今のように別の土地で人生をやり直す自由がなかったこと、戦争が日常だった時代には名誉の中で死ぬことへの感覚が今とまったく違っていたことにも話が及びました。楊さんは、生物として死が怖いのは変わらないとしつつ、名誉ある死へのインセンティブは今よりずっと高かっただろうと話しています。
ボイイ族の寝返りは、戦況をどう変えたか
初戦で重傷を負ったスキピオは退却します。この敗北を見て、ローマ側に加わっていたガリア兵の中からハンニバル軍へ寝返る者が現れ始めました。
スキピオを悩ませてきた北イタリアのボイイ族も動きます。ボイイ族はハンニバルの陣に現れ、ローマの高官3人を引き渡しに来ました。
ハンニバルはボイイ族に深く感謝し、同盟の誓いを交わします。少しずつですが、ハンニバル側につくイタリアの勢力が増えていきました。
シチリア島に向かっていたもう一人のコンスル、センプロニウスも、急いでスキピオの軍に合流します。スキピオはガリア人の裏切りに危うさを感じながらも、まだ負けるとは思っていませんでした。
スキピオは気を引き締めて一度退いたあと、攻めの姿勢に転じてハンニバルに近づきます。そうして両軍はトレビア川へ移動し、初めての大規模な会戦であるトレビア川の戦いが始まります。
トレビア川の戦いでは、両軍が川を挟んで向かい合いました。楊さんは、渡っている間に弓矢で狙われるため、川を渡って攻めるのは非常に危険で、待つ側が圧倒的に有利だと説明します。
センプロニウスはなぜ挑発に乗ったのか
トレビア川の戦いでは、セオリーに反してカルタゴ軍が先に動きました。明け方、ヌミディア騎兵が川を渡ってローマ軍の陣の正面に現れ、投げ槍などを浴びせかけたのです。
このときローマ軍を率いていたのは、負傷したスキピオではなく、平民出身のコンスルであるセンプロニウスでした。ヌミディア騎兵は攻撃のあと、わざと列を乱して退却してみせます。
センプロニウスは、ヌミディア騎兵の退却を「蛮族がローマ軍の威容に恐れをなして逃げている」と判断しました。功を焦ったセンプロニウスは決戦を決意し、川を渡ろうとしてしまいます。
これ全部ハンニバルの計算なんです。センプロニウスの性格とかを調べた上で、彼が平民出身のコンスルで、功を焦ることも理解した上で。
コンスル制度そのものにも、焦りを生む仕組みがありました。コンスルは任期が決まっているため、任期中に戦果を上げて凱旋式を行い、昇進につなげたいという心理がどうしても働きます。
往々にしてローマのコンスルの戦い方はですね、短期決戦型になりやすいっていうふうな見方もあります。
楊さんは、この時期のローマでは、平民出身のコンスルが功を焦る傾向があったと話します。一方、貴族出身のスキピオは、時間を稼げばガリア人の気も変わり、勝機が来るまで待てばいいという余裕のある考え方をしていたといいます。
もともと自分の基盤があり、今回のコンスル職で成果を出せなくても次の機会がある。ガリア人の離反を待つなど、時間を味方にする余裕がある
任期中に成果を出したい焦りが強い。退却を相手の恐怖と読み、リスクを承知で川を渡る決戦を選んでしまう
ハンニバルは、センプロニウスのような焦りやすい敵将の性質を毎回利用していた、と楊さんは見ています。挑発し、わざと退いて勝てると思わせ、川を渡るリスクを冒させたわけです。
冷たい川を渡ったローマ軍に何が起きたのか
楊さんは、トレビア川での挑発が計算だったとわかる理由として、当時の水温を挙げます。川の水温は非常に低く、人間の体がほとんど動かなくなるほど体温が下がる温度だったそうです。
ローマ軍は冷たい川を渡らされ、体が思うように動かない状態になりました。ローマ軍は朝食もとれず、空腹だったといいます。
一方のハンニバル軍は、ずっと焚き火で体を温め、体に油を塗って体温を保ち、朝食もしっかり食べていました。
ローマ軍: 空腹のまま冷たい川を急いで渡り、ずぶ濡れで体温が下がり、体が動かない
カルタゴ軍: 焚き火と油で体を温め、朝食を済ませ、騎兵・象・歩兵が整列して待ち構える
ローマ軍がやっと川岸にたどり着くと、目の前には血色のいいカルタゴ軍の騎兵や象、整列した歩兵が待っていました。後ろは川で逃げられず、まさに背水の状態で、ローマ軍の多くが命を落とします。
楊さんは、トレビア川の戦いを、ハンニバルが以前から立てていた「圧勝して殲滅する」戦略の最初の成功だと位置づけます。ローマ軍が相手をなめ、川を渡れば倒せると思い込んだことが、すべて裏をかかれたという整理です。
ただし、ハンニバル軍の象はトレビア川の戦いの時点でほとんど残っていませんでした。アルプスを越えたあとの豪雨と吹雪で次々と死に、生き残ったのは1頭だけだったと語られます。
ローマの動揺と、カルタゴ本国の冷たさ
トレビア川で大敗したセンプロニウスは、真相をローマ当局に隠そうとしたといいます。しかし隠しきれず、ローマ本国は敗北を知って愕然とします。
ローマは2人のコンスルを送り出しながら、スキピオは重傷、センプロニウスは大敗という結果になりました。ローマは急いで軍備の増強に取りかかります。
ローマは、カルタゴ本国が別働隊を送ってくることも警戒していました。ところが、カルタゴ本国はハンニバルにずっと非協力的だったと語られます。
あんまりハンニバルに功を出させたくないっていう感覚を多分カルタゴ本国の貴族持ってて、ここら辺がカルタゴの弱さなんだよね。
非常時に国論がまとまらないことはリスクになります。カルタゴの性質上、国論の統一が難しかったことが、この後もあちこちで表れてくるといいます。
ローマにとって救いだったのは、シチリア島のシラクサがローマの味方についたことでした。後ろのシチリア島から攻められる心配がなくなり、ローマはひとまず安心します。ただしシラクサは、のちにローマを裏切ることになると補足されています。
二手に分かれたローマ軍と、情報を隠すハンニバル
大敗したスキピオとセンプロニウスは、任期1年を終えて交代します。次のコンスルに選ばれたのはセルウィリウスとフラミニウスで、ローマ人が最も優秀だと考える精鋭でした。
トレビア川で勝ったハンニバルは南下し、ローマに近づいてきます。南下するルートは2つしかなかったため、ローマはセルウィリウスとフラミニウスを二手に分けて待ち構える戦略をとりました。
セルウィリウスはアドリア海側のアリミヌムに、フラミニウスは北のエトルリア方面のアルレティウムに布陣したといわれています。
待ち構えるローマ軍に対し、ハンニバルは自分の動きを徹底して読ませないようにしました。味方の部下にも最小限の情報しか渡さず、進路を偽装し、情報を撹乱し続けたといいます。
同時にハンニバルは、イタリア各地でカルタゴ軍の力を見せつけ、ローマ連合の瓦解を狙いました。「イタリアの自由」といったスローガンを掲げるプロパガンダも行っていたそうです。
捕虜の扱いにも差をつけていました。ローマ兵の捕虜には過酷に接し、ローマの同盟国の捕虜は丁重に扱って、「私たちは優しい」という態度を示したといいます。
片目を失っても泥沼を越えた理由とは
ハンニバルは、ローマの2人のコンスルが予想した2つのルートのどちらも通りませんでした。選んだのは、通れば多くの兵が死ぬような、非常に危険な道でした。
ハンニバル軍は、4日3晩にわたって泥沼のような場所を進んだといいます。ハンニバル自身も、ただ1頭生き残った象に乗って、かろうじて水に浸からずに進みました。
この行軍でハンニバルは眼病を患い、激痛に苦しんだ末に片目を失明します。
楊さんは、ハンニバルが裏をかくことにこだわった理由を、相手を殲滅するほど負かすためだと考えています。殲滅するには、ハンニバル自身が戦場を選ぶ必要があるからです。
高コストの進路
アルプス越えや泥沼越えなど、相手が来ないと考える道を選ぶ
動きを悟らせない
情報を隠し、相手の裏をかく
戦場を選ぶ
自分が有利な場所で戦えるように仕向ける
殲滅する
選んだ戦場で敵軍を壊滅させる
ローマ連合の瓦解
勝利を見せつけ、同盟国の離反を促す
けど、その後の殲滅がやっぱり視野に入ってたらあり得るなって感じがするんですよね。
楊さんは、この見方を「勝手な想像」と断ったうえで、実際にその後ハンニバルが戦場を選ぶことで強さを発揮していることから、そうだったのだろうと話しています。
フラミニウスを動かした、ハンニバルの挑発
泥沼を越えたハンニバルは、フラミニウスの陣のそばをかすめて南へ進み、ローマの領土を次々と荒らしました。領土を荒らした狙いは、フラミニウスの性格を読み、単独で攻めてこさせることでした。
挑発ですよね。
楊さんは、ハンニバルは相手が一番やってほしくないことをやると説明します。フラミニウスの支持基盤である民衆の土地を荒らし、早く対処しないと自分の立場が危ういと思わせて動かしたのです。
フラミニウスがね、自信家っていう情報をなんか得ることができて、彼のそのなわばりを荒らせば、民衆から無能とか非難されるのを恐れるって気持ちを抱くんじゃないかっていうところを把握したらしい。
本来フラミニウスは、セルウィリウスの軍と合流するまで待つべきでした。しかし領土が荒らされていると聞き、すぐにハンニバル軍を追ってしまいます。
そうだね、自分の株が下がるかもしれないし、あとは頭に血が上ったのかもしれないね。
霧のトラシメヌス湖畔で何が起きたのか
フラミニウスに追われたハンニバルは、逃げるように進みます。しかし、この逃走そのものが罠でした。
トラシメヌス湖のほとりに差しかかると、ハンニバルはわざと速度を落とします。追いつけそうだと思ったフラミニウスはさらに急ぎ、ローマ軍はどんどん細くなる道を一列で進んでいきました。
そこへ濃い霧が立ち込め、何も見えなくなります。ローマ軍はどこから射られているかわからないまま、降り注ぐ矢に倒れていきました。
だから逆に言えば、ハンニバル軍はどこで弓矢をどんな風に射るかっていうのは事前に考えてるんですよね。
楊さんによると、ハンニバル軍は、どの程度の強さで弓を引けば一列のローマ軍に届くかを事前に計算し、練習させていたといいます。ローマ軍は逃げる敵を追っているつもりでしたが、実際には霧のすぐ向こうに敵が潜んでいました。
トラシメヌス湖畔の戦いの結果は、ローマ軍の壊滅でした。
総大将のフラミニウスも戦死しました。樋口さんは、コンスルの戦死は非常に重大なことだと強調しています。
霧まで計算だったのかという問いに、楊さんは、たまたま霧が出た可能性もあるとしつつ、普通に考えれば計算だろうと答えます。湖と山に挟まれた谷のような道で一列になれば、前にも後ろにも逃げられないからです。
楊さんは、逃げ出す地点まで読んで待ち構えていたことこそ、失明してでも泥沼の道を通った理由だろうと話しています。
3人のコンスルが敗れたローマは、なぜ崩れなかったのか
トラシメヌス湖畔の敗北は、市民集会で発表されました。ローマ市民は大きな衝撃を受けます。
コンスルはローマで最も優秀とされる人たちです。そのエリートが3人続けて敗れたことで、民衆には動揺が広がりました。
俺、ここがローマのめっちゃすげえとこだなと思うんだけど、元老院は冷静なんだよね。
樋口さんは、元老院 ── 共和政ローマで政策や外交、財政を審議した有力者の会議。貴族や高官経験者で構成され、実質的に国政を主導していましたの議員は政治家であると同時に軍人も務めていたと説明します。戦場の経験を持つ人が多く、ぐっとこらえて次の手を話し合える空気があったのではないか、という見方です。
楊さんは、ハンニバルの戦い方を改めて振り返ります。カルタゴの商人や捕虜から情報を集め、ローマ軍リーダーの功名心を逆手に取っておびき出し、自分が完全に有利な状況で殲滅する、という戦い方です。
ここまでハンニバルは、最初の小さな騎兵戦を含めて3回続けてローマ軍を破っています。しかし次回、負け続きのローマに、ハンニバルに対抗しうる人物が現れると予告されました。
やっぱローマもすげえ国なんで。
まとめ
今回のハンニバル編7では、ヌミディア騎兵という切り札と、敵将の性格や制度の弱点を読み切る情報戦によって、ハンニバルがトレビア川とトラシメヌス湖畔でローマ軍を殲滅していく過程が語られました。片目を失うほどの代償を払ってでも戦場を自分で選ぶ姿勢が、ハンニバルの強さの核として浮かび上がります。
- ヌミディア騎兵は手綱なしで馬を操り、戦いながら馬を乗り換える遊牧民の騎兵で、忠誠心も高いハンニバル軍の中核戦力だった
- ローマは都市社会で騎兵を育てにくく、傭兵制のカルタゴは必要な戦力をすぐに導入できた
- トレビア川では、任期中に戦果を焦る平民出身コンスルの心理を突き、冷たい川を渡らせて圧勝した
- トラシメヌス湖畔では、自信家のフラミニウスを挑発して誘い込み、霧の中の待ち伏せでコンスルごと軍を殲滅した
- コンスル3人の敗北に民衆は動揺したが、元老院は冷静さを保ち、次回はハンニバルに対抗する人物が登場する





