ランスでの戴冠は、なぜ特別だったのか?
オルレアンは解放されましたが、百年戦争が終わったわけではありません。深井さんによれば、ジャンヌ・ダルクの究極の目標は、シャルル王太子をランスで戴冠させることでした。
ランスでの戴冠には、現代人には想像しにくいほどの宗教的な権威が伴います。そのため、ジャンヌだけでなく当時の人々にとっても、ランスで戴冠することは特別な意味を持っていました。
楊さんは、キリスト教の言葉を使って詳しく説明します。ジャンヌが声に命じられた次の目標は、ランスで王太子に王冠をかぶせる「戴冠」と、「聖別」という儀式を行うことでした。
楊さんによると、聖別とは普通のものや人を聖なるものに変える儀式です。教会の建物も聖別されていて、キリスト教のためにしか使えない建物になっています。日本の神道でいえば「清め」に近い概念だと楊さんは話します。
一方の戴冠は、王冠をかぶることで世俗の君主としての正当性を得る儀式です。聖別と戴冠をそろえることで、フランス王は世俗の権威と宗教の権威を両方手にすることになります。
ランスが選ばれた理由は、フランス王家の祖であるクロービス一世 ── 5世紀末から6世紀初めのフランク王国の王。メロヴィング朝を開き、カトリックに改宗したことで、後のフランス王権の祖とされますがここで洗礼を受けたからです。その後もほとんどのフランス王が、ランスで聖別されてきました。
深井さんは、この時代にはランスでの聖別が非常に重く受け止められていたからこそ、後のフランス革命で王が民衆に処刑されたことのセンセーショナルさがよくわかる、と付け加えます。
なんかほんとスパイダーマンのビフォーアフターみたいな。
蜘蛛に刺される前と後みたいな感じです。
早すぎる? 首脳部とジャンヌのかみ合わない議論
オルレアンを発って4日後ぐらいに、ジャンヌはトゥールにいたシャルル王太子に会いに行きます。王太子はとても感激し、帽子を取ってジャンヌと抱き合ったと伝えられています。
ジャンヌにとっては、王太子をランスへ連れて行き、聖別と戴冠を済ませるまで使命は終わっていません。ところが王太子とその周囲の首脳部から見ると、ランスでの戴冠は「ちょっと早い」話でした。
深井さんによれば、フランス北部にはまだ多くのイングランド軍がいました。イングランド王の本拠地でもあるノルマンディーを取り戻してから戴冠すべきではないか、とアランソン公などは考えていたといいます。
さらに、戴冠の儀式に使う道具の一部はイングランド側に持っていかれていました。オルレアンを流れるロワール川の上流と下流にもイングランド軍が残っていて、オルレアンに攻め返されるリスクもあったそうです。
こんな不安定な時に戴冠しても、まだ戦争どっち勝つかわかんないし。時期尚早すぎて納得が得られないんじゃないかっていう感覚があるんだよね。
なかなかランスへ出発する決定が下りないことに、ジャンヌは苛立ちます。ジャンヌに聞こえる声は「神の娘よ、行け、行け」と言い続けていたといいます。
ランスはブルゴーニュ派、つまりイングランド側の勢力圏にあり、敵地に乗り込むことになります。それでもジャンヌは反対派を抑え、王太子にランス行きを決意させることに成功します。
楊さんは、この時期のジャンヌの発言力が、本人の意思とは関係なく軍隊でも宮廷でも大きくなり、一つの勢力の核になりつつあったことも、説得が成功した背景だろうと話します。
復権裁判 ── ジャンヌの死後、1450年代に行われた裁判。ジャンヌに下された異端の判決を見直すもので、多くの関係者が証言を残していますでデュノア伯ジャンは、ジャンヌが「国王が聖別され戴冠を終えれば、敵方の勢力は衰え続け、国王にも王国にも危害を加えなくなる」と言っていた、と証言しています。
深井さんが注目するのは、ジャンヌが政治状況を読んだうえでこう言ったわけではない点です。ジャンヌは限られた情報しか持たず、神の声が聞こえるから言っていたにすぎません。
北部にイングランド軍が多く残り、戴冠の道具も足りない。世論の合意が得られるか不安で、時期尚早と考えた
神の声が「行け」と命じている。戴冠さえすれば敵の勢力は衰え、王国に危害を加えなくなると主張した
だから全然言ってるもののレイヤーが違うんだよ。首脳部が言ってる話とジャンヌが言ってる話っていうのは全く噛み合ってないわけ。
神の声を持ち出されたら、誰が反論できるのか
深井さんが紹介するのは、キリスト教の偉い人であるカストル司教がいる場で、ジャンヌが王太子の前にひざまずき「長々と討議を続けないで、できるだけ早くランスに行きなさい」と語った場面です。
司教の前で「神が言っています」と語ることは、本来その役割を担う司教の立場を揺るがす行動でもあります。深井さんは「じゃあ司教はなんなん?みたいになる」と表現します。
ジャンヌは「神の助言を受けて言っているのか」と問われると、毎回決まって別の場所に下がって祈り、戻ってきて答えを出します。トゥーレル要塞の戦いのときも、ぶどう畑で祈ってから「大丈夫です」と言ったそうです。
深井さんは、祈ったあとのジャンヌの言葉を否定するには、それを悪魔の声と見なしてジャンヌを処刑するしかないと指摘します。けれどジャンヌはオルレアン解放の功労者であり、王太子も深く感謝しているため、そんなことはできません。
楊さんは、神でも悪魔でもない「ゼロ」の選択肢がなく、両極端しか残されていないことが、消去法でジャンヌを信じるしかない状況を生んでいると話します。
祈りのあとのジャンヌは「行くのだ、神の娘よ、行くが良い」という声が聞こえ、大きな喜びに満たされると語り、恍惚とした表情になったと伝えられています。深井さんは、こうした表情には宗教的な意味が込められていて、法悦 ── 宗教的な体験によって得られる、我を忘れるほどの深い喜びのこと。神秘主義の文脈でよく使われる言葉ですと呼ばれることもあると補足します。
シャルル王太子から見れば、「ランスで戴冠すれば全て収まる」という話は、自分にとって非常に都合のいい内容です。背中を押され続け、断り切る理由もなく、ついに王太子は同意します。
深井さんは、これまでに扱ったフリードリヒ大王や高杉晋作、ケマルの回とも重ねて、意思が強い人間に周りが引っ張られるのは、反論するコストが高すぎるからだと考えています。
ランスへの進軍。「またこいつらビビっとる」の繰り返し
ランスへの道は敵地を進む旅で、何度も戦わなければなりません。フランス軍は途中のブルゴーニュ派、つまりイングランド側の抵抗を抑えながら進みます。
最初の相手は、オルレアンの東10キロほどにあるジャルジョの街でした。オルレアンの人々はジャンヌへの感謝からお金や武器、食料を出して協力し、そこでもらった大砲が大いに役立ったといいます。
それでも、フランス軍の隊長たちはイングランド軍の数の多さや武器の優秀さを恐れて、攻撃をためらいます。深井さんは、この武器はロングボウ ── イングランド軍が得意とした長弓。射程が長く連射もきくため、百年戦争の大きな会戦でフランス騎士団を何度も打ち破りましたのことかもしれない、と話します。
またこいつら、またこいつらビビっとるわと。あんだけ神が行けって言ってんのに、何回言ったらわかんだよこいつみたいな感じなのよ、多分(ジャンヌは)。
戦友のアランソン公でさえ攻略は難しいと考えていましたが、ジャンヌは「さあ公爵様、もう突撃です。疑ってはいけません」と励まします。フランス軍は攻撃に出てジャルジョを落とし、続いてマンやボージャンシーも攻略します。この頃には、イングランド軍の死者と捕虜は4000人を超えたといいます。
アランソン公やリッチモンドが作戦を尋ねると、ジャンヌは「いい拍車をつけておくように」と答えます。逃げるためかと聞き返されると、敵が逃げるのを追いかけるためだと言ったそうです。深井さんは、ここにも何の戦略もないと笑います。
一方で楊さんは、ジャンヌの言葉が確信に満ちていて巧みだった、と書いている本もあると紹介します。ジャンヌは仲間を心から励まし、罪を悔い改めるよう勧めると、相手が泣き出し、ジャンヌも一緒に泣いたそうです。
深井さんは、こうした軍の一体感を、ワールドカップで盛り上がる人々やDJイベントのトランス状態にたとえます。援軍が来るという不安な知らせが届いても、ジャンヌは「イングランド軍がたとえ天から降ってきたとしても、私たちが勝ちます」と言い切り、兵士たちは元気を取り戻しました。
鹿1頭で決まった? パテーの戦いの大勝利
ランスへ向かう途中で最大の勝利とされるのが、パテーの戦いです。フランス軍は、イングランド軍の将軍ジョン・タルボットを捕虜にすることに成功します。
深井さんによれば、百年戦争の三大会戦であるクレシー、ポワティエ、アザンクールの戦いでは、フランス軍はどれも同じ負け方をしていました。クレシーの戦いからおよそ100年、フランスは大きな戦いで劣勢が続いていたのです。
パテーの戦いでは、イングランド軍は補給用の荷駄や大砲をパテー近くの茂みに長く並べて隠し、奇襲を狙っていました。そこへ鹿が1頭走り込み、驚いたイングランド兵が声を上げてしまいます。
その声でフランス軍に居場所を気づかれ、イングランド軍は総崩れになったと伝えられています。深井さんは「鹿で?」と何度も驚きつつ、史料ではそのように伝えられていると話します。
オルレアンの戦いは城を守る攻囲戦でしたが、パテーの戦いは野戦でした。ロングボウ兵にずっと勝てなかった野戦で勝ったことは大きな自信になり、ジャンヌの名声はさらに高まっていきます。
なんか戦略的じゃなければないほど神っぽいですね。
戦わずに開城したトロアとランス
次にジャンヌたちが迫ったのは、トロアの街です。深井さんは、トロアがかつてシャルル6世の王妃イザボーとシャルル6世が「次のフランス王はイングランド王の息子になる」と定めたトロア条約を結んだ街だと振り返ります。
トロアの側からすれば、オルレアンを解放した神の乙女が、自分たちに恨みを持って攻めてくるように思えたはずです。一方、攻めるフランス軍もジャンヌ以外はまた尻込みし、会議が紛糾していました。
そこへジャンヌが入ってきて、これ以上議論するなと言い、3日もたたないうちにトロアに入れると確信を持って告げます。ジャンヌは旗を振って軍を集め、大砲を並べさせ、堀を薪で埋めさせるなど、将軍のように振る舞いました。
怖くなったトロアの司教は降伏し、まだ戴冠していないシャルルに忠誠を誓います。続いてブルゴーニュ派のランスも、シャルルが「今まで敵対してきたが許す」と赦免状を出し、聖王ルイのように統治すると約束したことで降伏します。
何を根拠にそれを完全否定するかって怖いじゃん。ちょっと遠くにいたらさ、イングランドとかに住んでたらさ、あんなん魔女だろとか言えるけどさ、来週来るかもみたいな人怖いじゃん。
敵方の街に入るシャルルは緊張していましたが、ジャンヌは「心配ありません。ランスの人々は迎えに出るでしょう」と声をかけます。実際にランスの人々は、フランス語で万歳を意味する「ノエル」と叫んで一行を迎え入れました。
全部勘違いなのに全部本当になるからさ、このコースわかります?この喜劇。
ついにシャルル7世が誕生、しかし転落が始まる
ランスに入った翌日、教会で待望の聖別と戴冠の儀式が行われます。朝9時から5時間ほどかかり、昼過ぎの14時ごろまで続いたそうです。
油を塗る塗油の儀式に使う油はありましたが、王冠や王笏などのレガリア ── 王の権威を象徴する宝器の総称。王冠や王笏、宝珠などが含まれ、戴冠式で新しい王に授けられますはイングランド側に持たれたままでした。王冠に安物の代用品が使われたと陰口を叩かれながらも、王太子シャルルはついに国王シャルル7世になります。
深井さんによれば、ランスでの戴冠は人々の心に強く響き、シャルルを認めていなかった人たちも王として認めざるを得ない心境に変わっていきました。楊さんは、細かい手続きに突っ込みどころはあっても、形を整えて手順を踏んだという既成事実のインパクトが大きかったと話します。
ジャンヌは王の足を抱いて泣きながら、あなたをランスに連れて行けというのが神のおぼしめしだったのです、と喜びを伝えます。聖堂を出ると、ご利益を期待した人々がジャンヌに触れようと群がったといいます。
ランスには、ジャンヌの故郷ドンレミ村の知人や、父親などの家族もいて、その晴れ舞台を見ていたそうです。
深井さんは、ケマルとの大きな違いもここにあると言います。ジャンヌは状況を見極めてランスの戴冠が民衆の心を動かすと読んでいたのではなく、神が言っているからと言っただけでした。それが本当になってしまう点が、深井さんにはずっと面白かったといいます。
ところが、戴冠を果たしたここから、ジャンヌにはほとんど良いことが起こらなくなります。イングランド王派の人々でさえ「王シャルル」と呼ぶようになるほどの影響が出たことで、シャルル自身の気持ちが変わっていったのです。
王になれるか不安で、母イザボーの言葉から自分が王家の血筋かどうかもわからない。ジャンヌは都合のいい存在
本当にフランス王だと確信し、ジャンヌが不要になる。むしろ発言力を増したジャンヌに行動を縛られるリスクが出てくる
中世にも「女預言者」はたくさんいた
戴冠後のシャルル側の気持ちを知るために、深井さんは当時の女預言者というジャンルを紹介します。シャルルの周りには、ジャンヌ以外にも預言者を名乗る人が何人も現れていました。
女預言者は聖書にもすでに登場しています。アブラハムの妻サライの奴隷ハガルには預言めいた力があったとされ、新約聖書には84歳の女預言者アンナが出てきます。
中世に入ると、キリスト教会が力を強め、修道士や司教に予知能力が与えられると考えられるようになります。そのため預言者の力は一時弱まりますが、権力を握った聖職者へのカウンターとして、預言者はちょいちょい現れるようになりました。
たとえば14世紀の中頃、スウェーデンの聖ビルギッタは、聖母マリアが何度も現れて救済への道筋を示したと語りました。イタリアのシエナの聖カテリーナは、キリストと神秘的な結婚をしたとして、キリスト教徒同士の戦争を終わらせ平和を訴えました。
深井さんは、今でも同じ役割の人がいると言います。未来が不安な人々が、未来を予測できるはずのない人に話を聞き、それがネット記事になっているというのです。
今だと預言者という形じゃなくて、歴史に詳しいから、この人が言ってる話って信憑性があるとか、それは置き換えられてるだけだよね。
深井さんによれば、ビジネスで成功していることや歴史に詳しいことと、未来を予測できることの間に因果関係はありません。それでも、その時代の人が納得しやすい理由をまとって、未来を知りたいというニーズを誰かが満たしているのです。
フランスでも、13世紀末ごろから預言者のような人が現れます。フィリップ3世は、ベギン ── 12世紀後半にオランダやベルギーで現れ、西洋の諸都市に広がった、修道会に属さず敬虔な生活を送る女性たち。番組では「フリーランス修道女」と表現されていますの女性に、王妃が王位継承者の子を毒殺させたかどうかを尋ねたといいます。
深井さんは本に書かれていた「ベルギーのニベル出身のベギンであるシュパルベケのエリザベト」という紹介に「なんだよ」とツッコみ、樋口さんたちと笑い合います。
不安な時代は、なぜ預言者を求めるのか?
14世紀の半ばには、フランス国王が啓示を受けた預言者に相談するようになり、その数は20人ほどにのぼったといいます。ちょうど百年戦争が始まるころです。
1350年ごろから15世紀半ばにかけて、経済危機、ペストの流行、フランスの敗戦、教会が分裂して教皇が2人に分かれた大シスマ ── 1378年から1417年まで続いた西方教会の分裂。ローマとアヴィニョンなどに複数の教皇が並び立ち、ヨーロッパの信仰に大きな混乱をもたらしましたが重なりました。人々は暗澹たる気持ちになり、そうした時期に預言者が増えていったのです。
楊さんは、日本の末法思想 ── 釈迦の教えが廃れ、悟りを開けなくなる時代が来るという仏教の考え方。日本では平安時代後期に広まり、浄土信仰の流行につながりましたも、人間の心の動きとしては似ているかもしれないと話します。不安で頼るものがないとき、人はとりあえず答えを出しておきたくなるのです。
深井さんは、自分たちを含めたホモ・サピエンスの振る舞いとして、この現象を面白がっていると強調します。バカにしているわけではなく、深井さん自身も不安なときには占いをするそうです。
僕も不安な時占いとかしますからね、普通に。でもいい結果しか出すなつって(占う)。だってそのためだからさ。
樋口さんも、占いを信じてはいないけれど、信じていることにして受け止めると共感します。深井さんは占いを感情の処理の問題ととらえ、ダメだとも意味がないとも思わないけれど、経営の全てを占いで決めるように頼りすぎるのは危ないと話します。
歴史を学べば大きな流れはぼんやり見えても、世界は確率論で動いています。深井さんは、パテーの戦いがまさに鹿1頭で決まったように、どうなるかはわからないのだと振り返ります。
シャルル5世・6世の宮廷に集まった預言者たち
深井さんは話を戻し、シャルル7世から見える景色を説明します。シャルル7世の祖父にあたる賢王シャルル5世も、占星学者を宮廷に抱え、幻を見る能力を持つ「生ける聖女」を匿って、定期的に助言を聞いていました。
狂王と呼ばれたシャルル6世の時代には、王が正気を失ったことで、かえって多くの預言者が訪れます。ピエール・ユグという人物は、税金の軽減を訴えたといいます。
樋口さんは、こうした預言者が世論を政治の領域に持ち込む機能を果たしていたのではないかと指摘します。深井さんも、民衆の望みを発言できる立場から伝える点で、Xのインフルエンサーと同じだと応じます。
これ本当に、ほんとフレームワーク変わってるだけなのがほんとずっとおもろいんですよね。
コンスタンス・ド・ラヴァスタンスという女性は、フランス王国を救い、教会分裂を解消するためにシャルル6世に期待し、イングランド人と和解して十字軍を出すよう求めました。
貴族出身で夫を亡くしたジャンヌ・マリー・ド・マイェは、フランシスコ会の修道女になり、宮廷の道徳改革のために王妃イザボーとシャルル6世の相談に乗りましたが、うまくいかなかったそうです。「病身の農夫」と紹介されたマリー・ロヴィーヌも王妃イザボーに会いましたが、王妃はほとんど耳を傾けませんでした。
深井さんによれば、税金の軽減やイングランドとの和解を求める預言者は、王家にとって都合のいいことを言っていません。これに対してジャンヌの言葉は、シャルルにとって非常に都合のいい内容でした。
| 人物 | 時代 | 訴えた内容 |
|---|---|---|
| 生ける聖女 | シャルル5世 | 宮廷に匿われ、定期的に助言した |
| ピエール・ユグ | シャルル6世 | 税金の軽減を訴えた |
| コンスタンス・ド・ラヴァスタンス | シャルル6世 | イングランドとの和解と十字軍の派遣を求めた |
| ジャンヌ・マリー・ド・マイェ | シャルル6世 | 宮廷の道徳改革を求めたが、うまくいかなかった |
| マリー・ロヴィーヌ | シャルル6世 | 王妃イザボーに会ったが、ほとんど聞き入れられなかった |
ジャンヌは「ワンオブゼム」だった
深井さんは、シャルル7世から見れば、ジャンヌはこうした預言者の中の一人、つまり「ワンオブゼム」だったと話します。ジャンヌは唯一神の声を聞いた少女のように見えますが、同じジャンルの女預言者がこの時代にはたくさんいたのです。
このシャルル七世の周りに今名前を挙げた人がさ、お母さんの時代とかにめちゃくちゃいるっていうのを見てるわけですよ。だからジャンヌが出てくるみたいな時は、また来たなみたいな感じなんだよ。
ただし楊さんが言うように、ジャンヌには騎士として戦うという新しい特徴もありました。深井さんも、ジャンヌは複数の特徴を持ったことで突出し、成果も残した特別な人物だと認めたうえで、預言者の話を聞くルーチン自体は何代も前からあったと整理します。
楊さんは、王も周りの武将もジャンヌを好きで信じてはいたけれど、ジャンヌのために命まで投げ出すかといえば別の話だったと話します。
深井さんはこの状況を、メディアに出るビジネスパーソンの「旬」にたとえます。数年間はテレビでよく見ても、やがて見なくなってどうでもよくなる。ジャンヌにも同じことが起き、違いは当時のOSが預言者だったことだけだというのです。
意味がないと思ってないから大事だなとも思ってるけど、火あぶりにされるのかなとか思いながら(メディアに)出てます。
楊さんは、預言者にも意味はあると応じます。深井さんも、実際に歴史を変え、人を動かしてきたのだから意味はあると同意します。
深井さんは、意味があること、影響があること、正しいこと、どれほど信奉されているかは、解像度を上げて見るとそれぞれ別のものだと話します。楊さんの言う「正しくないけど意味はある」こともあり得るのです。
深井さんが面白いと感じているのは、人が説得されるときの合理性が、実は合理的ではないという点です。今の人が「預言者なんて信じてはいけない」と感じるように、後世の人は「なぜ成功した経営者に未来の話を聞いていたのか」と言うかもしれない、と2人は話します。
次回からは、戴冠を果たしたジャンヌが転落していく悲しい話に入っていくと予告され、この回は締めくくられます。
まとめ
ジャンヌは戦略も情勢分析も持たないまま、神の声を根拠にランスでの戴冠を押し通し、それを本当に実現させました。けれど、当時は王家の周りに多くの女預言者がいた時代で、シャルル7世にとってジャンヌは「ワンオブゼム」でもありました。そこに、戴冠後の転落の種がありました。
- ランスでの聖別と戴冠は、フランス王に世俗と宗教の両方の権威を与える特別な儀式だった
- 神の声を持ち出すジャンヌに反論するコストが高すぎたため、首脳部も王太子もジャンヌに引っ張られた
- パテーの戦いの大勝や、トロアとランスの開城で、ジャンヌの確信は次々に現実になった
- 不安な時代に預言者が増える構図は、現代のインフルエンサーやビジネスメディアとも重なる
- 戴冠を果たしたシャルル7世にとって、ジャンヌは不要な存在になりはじめた





