戴冠後、なぜジャンヌは「うるさい存在」になったのか
シャルル7世がランスで戴冠式を終えると、ジャンヌ・ダルクをめぐる状況は大きく変わります。ジャンヌを「すごい」と信奉していた人たちも、戴冠後もなお「まだ戦え」と言い続けるジャンヌを、うるさく感じるようになっていきます。
深井さんによれば、ランスでの戴冠までは周囲とジャンヌの目的意識が一致していました。イングランドを追い出したいという思いは共通していても、「今すぐ追い出しなさい」というジャンヌとはスピード感がまったく違っていたといいます。
もう(シャルルが)ランスで戴冠したらいいじゃんってなって、ボルテージがバーンって下がってくるんですよね。つまりバブルがはじけちゃうんですよ。
シャルル7世自身も、戴冠前は正統性を得られないかもしれないと考えていました。トロワ条約 ── 1420年にイングランドとフランスの間で結ばれた条約。イングランド王ヘンリー5世をフランス王位継承者と定め、王太子シャルルを継承から外す内容でしたによって、フランス王が2人いるような状態になっていたからです。
ところが実際にランスで戴冠すると、シャルル7世は意外なほどすんなり王として認められました。王の側から見てもジャンヌの「旬」が過ぎ、これまでは折れて従っていたジャンヌの言葉を、「やんねえよ」と退けるようになっていきます。
だからやっぱり都合がいいことを言ってる間は預言者扱いされるんでしょうね。
深井さんは、これをきわめて人間らしい振る舞いだと見ています。周囲は意見を求めていたのではなく、不安を払拭してほしかっただけでした。ジャンヌが不安を払う存在から邪魔な存在に変わると、扱いも変わってしまうというわけです。
戴冠前
イングランドを追い出したいという目的で、ジャンヌと周囲の意識が一致していた
ランスでの戴冠
シャルル7世が意外なほどすんなり王として認められる
戴冠後
「まだ戦え」と言うジャンヌの聖戦意識が、周囲にとって邪魔になる
扱いの変化
王がジャンヌの言うことを聞かなくなっていく
神の声が聞こえなくなった乙女
戴冠後のジャンヌには、もう一つ大きな変化がありました。深井さんによると、ジャンヌ自身にも神の声が聞こえなくなっていくのです。
しかもね、ジャンヌ自身に神の声聞こえなくなってくるんですよ。
楊さんは、神の声が何なのかはひとまず置いたうえで、ジャンヌのそれまでの人生経験の中には、これ以上のインプットがなかったのかもしれないと指摘します。
深井さんもこれに同意します。番組ではこれまで、ジャンヌに聞こえる神の声の内容は、すべて彼女の人生のインプットで説明できるものだけだと話してきました。ランスでの戴冠の先をどうすればいいかは、ジャンヌ自身にもわからなかったと考えられます。
そうか。本人自身にビジョンがないみたいな状態になってる。
イングランド軍は神に罰せられるべきだという思いは、ジャンヌの中に残っていました。しかし「次はこの街から追い出しなさい」と神が言ってくれているわけではない、という状態に陥っていきます。
和平交渉とすれ違ったパリ攻撃
それでもジャンヌは、パリを取らなければならないと主張します。当時のパリはまだブルゴーニュ派に押さえられていました。深井さんによれば、フランスという国がまだ成立していない時代で首都という感覚は薄かったものの、パリは王にとって非常に重要な街でした。
一方で、ブルゴーニュ公との和平交渉は少しずつ進んでいました。ブルゴーニュ派との争いはもともとフランスの内戦で、発端はシャルル6世が正気を失ったことにあります。シャルル6世が亡くなり、息子のシャルル7世が正式に王位を継いだ以上、ブルゴーニュ側にもこれ以上争う理由がありませんでした。
なぜこのタイミングでまた犠牲を出してリスクを冒さないといけないの?ってなるわけだよね。
楊さんは、シャルル7世が交渉を通じてパリを平和的に開城できる可能性を感じ取っていたと補足します。顧問官たちが、イケイケドンドンなジャンヌや周りの武将の強硬意見を抑えたという記述もあったそうです。
シャルル7世は一度はジャンヌの言う通りに軍を集め始めます。しかしサヴォワ公 ── イタリア方面を拠点とした有力貴族。サヴォワ家はアルプス一帯を治め、のちにイタリア王家にもつながる家系ですの仲介でブルゴーニュ公との交渉が進み、休戦に合意したことで、シャルル7世の戦う気は完全に失せてしまいます。楊さんによれば、王国の財政に余裕がなかったことも背景にありました。
ところがジャンヌとの情報連携はできていませんでした。ジャンヌは和平の事実を知らないまま、ランスから南下してパリ攻撃に向かってしまいます。
当時ってほら、LINEとかないからさ、情報連携できなくて、その和平してるってことを知らずに、ランスから南下してね
イングランド側もジャンヌを恐れて戦いを避けたため、ジャンヌはパリまでたどり着くことができました。しかし王は休戦中であるため、兵力を回してくれません。
パリ側も激しく抵抗します。楊さんによると、以前アルマニャック派がパリを占拠した際に略奪や暴行を行ったため、パリ市民はアルマニャック派に憎悪に近い感情を抱いていました。城門や城壁を強化し、大砲も新たに備えて徹底抗戦したといいます。
深井さんは、これまで「気持ちで押して勝っていた」ジャンヌが、パリでは気持ちで押しても勝てなかったと振り返ります。ジャンヌは足かお尻にクロスボウの矢を受けて負傷し、戦線を離脱します。攻撃は失敗に終わりました。
初めての敗北で崩れた求心力
パリ攻撃の失敗を受けて、シャルル7世は軍隊を解散し、完全に外交路線へと切り替えます。軍を維持するお金もぎりぎりだったためです。これでジャンヌの持っていた希望は打ち砕かれてしまいます。
楊さんは、この敗北でジャンヌの求心力が激減したと指摘します。深井さんは、当時の人々の考え方を次のように説明します。
今まで勝ってる間は神の恩寵があったと言えるでしょうと。負けたってことは、ジャンヌが罪を犯してしまって、神の恩寵が外れたんじゃない?っていう見方をされたりする。
楊さんによれば、ジャンヌはパリ攻めの前、兵士たちに「あなた方はパリを力づくで占領できるでしょう。私は夜には寝所で休めるでしょう」と語っていたそうです。それが実現しなかったことで、兵士たちの目には、神が突然ジャンヌからすべての権限を取り上げ、見捨てたかのように映ったといいます。
ジャンヌはその後、ブルゴーニュ派の別の拠点であるラ・シャリテも攻撃しますが、これも失敗します。深井さんは、もともと戦略がなく突撃戦法しかなかったため、兵力が少なく相手の士気が高い状況では勝てなかったと説明します。シャルル7世に兵力増強を頼んでも、応じてもらえませんでした。
連敗直後の叙爵は何を意味したのか
不思議なことに、ラ・シャリテでの2回目の失敗の直後、ジャンヌは貴族に列せられます。デュ・リスという名前を与えられ、両親と兄たちも同時に貴族になりました。
叙爵のタイミングについては、いろいろな見解があるそうです。あえて位を上げてからないがしろにする前哨戦だったという説もありますが、深井さんには腑に落ちなかったといいます。そのうえで、学者ではない自分の私見だと強く断ったうえで、次のような考えを語ります。
シャルル七世としては、やっぱここでその貴族っていうのを下賜することによって貸し借りなしにしたんだろうなって気はした。
村娘を貴族にするのは大変なことでした。さらに与えられたシンボルは百合の花で、これは王家であるヴァロワ家 ── 1328年から1589年までフランス王位を継いだ王家。シャルル7世もこの家系に属し、百合の花は王権を象徴する紋章でしたの紋章です。深井さんは、これで貸し借りをゼロにしたのではないかと考えています。
一方で、貴族にならないほうがよかったという見方もあるそうです。封建時代に貴族になるということは、秩序の中に強く組み込まれることを意味します。村娘だったからこそ預言者らしく振る舞えたのに、貴族になると預言者としての性質が弱まってしまいます。
秩序の外にいるからこそ、預言者らしく振る舞えた
ヒエラルキーに組み込まれ、王は貴族の序列の論理で反対できるようになる
楊さんは、王がジャンヌをヒエラルキーの中に組み込み、コントロールしたかったのかもしれないと話します。深井さんは、18〜19歳ぐらいで村の生活と戦争しか知らないジャンヌには、そうした立場の変化がわからなくて当然だったと語ります。
コンピエーニュで捕らわれた乙女
とどめとなったのが、コンピエーニュでの敗戦です。ブルゴーニュ公との休戦はたかだか数か月のものでした。休戦が明けた直後、ジャンヌは自らの意思で再びパリ攻撃に向かい、その一環として、包囲されていたパリ北方の街コンピエーニュの解放に向かいます。
王は参加しておらず、貴族にも戦争をするなと言っていたため、ジャンヌについてきた兵士は200名ほどだったと深井さんは話します。国王に知らせず、散歩に行くふりをしてそのまま戦争に行ったという説もあるそうです。
同行した将校は5人いたものの、デュノワ伯ジャン ── オルレアンの私生児とも呼ばれた武将。オルレアン解放戦からジャンヌと共に戦った戦友の一人ですやアランソン公といった、これまで共に戦ってきた戦友の姿はもうありませんでした。
彼女の中でやっぱり声が聞こえてたら勝てるっていう感覚があるんで、彼女の中では同じロジックで攻めに行くと。でも声は聞こえてないからね、もう。
コンピエーニュの市民は、オルレアンを奇跡的に解放したジャンヌに大きな期待を寄せていました。ジャンヌは甲冑の上に金メッキした銀のラシャのマントを羽織った煌びやかな姿で、500人で出撃したという記述もあるといいます。
しかしブルゴーニュ公の軍が迫ると、コンピエーニュの守備隊長は要塞への攻撃を恐れて跳ね橋を上げ、城門を閉じてしまいます。ジャンヌとわずかな部下は城外で敵に包囲されました。
しんがりを務めていたジャンヌは、敵の弓兵にマントを引っ張られて落馬し、捕らえられます。派手な格好から、敵には身代金が取れる相手だと思われたのではないか、とも番組では話されています。
出撃
休戦明け、王の支援がないまま少数の兵でコンピエーニュへ向かう
敵軍の接近
ブルゴーニュ公の軍がやってくる
城門の閉鎖
守備隊長が跳ね橋を上げ、ジャンヌたちは城外に取り残される
捕縛
マントを引かれて落馬し、敵軍に捕らえられる
シャルル7世はなぜ助けなかったのか
イングランドのベッドフォード公やブルゴーニュ公にとって、ジャンヌは誰よりも恐れていた人物でした。その捕縛は彼らにとって大きな喜びだったと深井さんは話します。
シャルル七世からすると、ジャンヌを救うメリットなんかなくなっちゃってんだよね。
楊さんによれば、国には身代金を払う余裕がなく、しかもジャンヌはこの後異端として告発されます。彼女のために動くことは、シャルル7世にとってリスクでもありました。利用価値の旬が過ぎたジャンヌを救う優先順位は高くなく、王はジャンヌを見捨てていきます。
一方、一般の人々の動揺は大きく、特にジャンヌに恩義を感じていたオルレアンの人々は、解放を祈る行列をつくったそうです。王が積極的でないと察した武将の中には、ブルゴーニュ派から武力で奪還しようと企てる者も現れました。
誰から何を奪還するんですか?
デュノワ伯ジャンが資金を集めて遠征軍を組織しようとしたり、ジル・ド・レとラ・イールも兵を準備していたりしたという説があります。ただし結果が出たという記述はなく、どこまで本気だったのかは疑問だという声も出ていました。
正しさより「都合のよさ」で動く人々
ジャンヌの転落を振り返り、深井さんは、発言内容が周囲にとって都合がいいかどうかの重みを強調します。
それは今も僕は変わらないなと思いますけど、都合がいいことを言ってるかどうかで、周りの人はそれをサポートするかしないかみたいなのを変えちゃうわけだよね。
深井さんは、戴冠した段階で身を引いていれば、パリさえ攻撃していなければ、ジャンヌは天命を全うしていた可能性が高いと話します。しかしジャンヌは声を聞いたという性質によってここまで来た人物で、都合のいいところで止まることはできなかったといいます。
そこで止めれるような人やったら、そもそも戦果を挙げてない可能性あるから。
次回はいよいよ、ジャンヌが異端審問にかけられる処刑裁判の話へと進みます。誰の思惑でどのように裁判が進められたのかが語られる予定です。
まとめ
ランスでの戴冠を境に、ジャンヌ・ダルクは周囲の不安を払う預言者から、戦いを求め続ける邪魔な存在へと変わっていきました。神の声も聞こえなくなり、休戦を知らないままのパリ攻撃に失敗したことで求心力を失い、コンピエーニュで捕らえられても王に見捨てられます。
- 戴冠で目的を果たしたシャルル7世と周囲にとって、なお戦えと言うジャンヌの聖戦意識は邪魔になった
- 休戦合意を知らないまま始めたパリ攻撃の失敗が、神の恩寵が外れたという見方を生み、求心力を激減させた
- 連敗直後の叙爵は、深井さんの私見では「貸し借りゼロ」の意味を持ち、預言者としての立場も弱めた可能性がある
- コンピエーニュで捕らえられたジャンヌを、利用価値の旬が過ぎたと見たシャルル7世は救わなかった
- 人は正しさより「都合がいいかどうか」で支持を変える、という構造が浮かび上がる





