神の乙女が現れた瞬間、なぜ軍の士気は跳ね上がったのか
第8回は、ジャンヌ・ダルクがオルレアンに入城し、フランス軍の士気が一気に上がった場面から始まります。イングランド軍はジャンヌを「放蕩娘」「火あぶりにしろ」と嘲笑していましたが、ジャンヌ本人はまったく意に介していなかったといいます。
深井さんによると、ジャンヌは本格的な攻撃の前に、手紙のような形でイングランド軍へ何度か勧告を送っています。これに対してイングランド側は「女は娼婦にすぎず、田舎に帰って牛の世話でもしていろ」と返したそうです。
オルレアンの周りにはトゥレル要塞やオーギュスタン要塞など、イングランド軍が押さえた砦がいくつもありました。フランス軍はまず、オルレアンの東2キロほどにあるサンルー要塞から攻め、外堀から埋めるように進軍していきます。
ところが将軍たちは、攻撃の当日の午後、ジャンヌを無視してサンルー要塞への攻撃を始めます。深井さんは、将軍たちがジャンヌに何もできるわけがないと考えていたからだと説明します。
無視されたことに気づいたジャンヌは、お付きの者を叱り飛ばし、軍旗を持って白馬で戦場へ駆けつけます。楊さんによれば、フランス軍はちょうど劣勢で逃げ出しかけていたところでした。そこへジャンヌの姿が見えたことで兵士たちは雄叫びを上げて砦へ向かい直し、勢いのままサンルー要塞は陥落します。
なんかチアリーディングの最上級です。
深井さんはこの現象を、後のナポレオン軍の強さと重ねて説明します。ナポレオン軍が強かったのは国民軍として自分のために戦ったからでしたが、この時代の兵士は貴族のために戦っており、命を捨てたいとは思っていませんでした。
このジャンヌが出てくるっていうのは、一時的に彼らの主体性をやっぱ高めてるんだよね。
楊さんも、この戦闘の勝敗を左右した要素はまさに士気だったのだろうと応じます。深井さんは、ジャンヌが兵士に本気を出させる効果を持っていたことで、フランス軍を大きく強くできたとまとめています。
突撃の無限ループと、軍議を蹴って飛び出したジャンヌ
サンルー要塞の後も、フランス軍はサンジャンルブラン砦やオーギュスタン要塞を攻めていきます。深井さんによれば、どの砦でも同じ構造が繰り返されました。
あんな若い少女が突っ込んでると、これ神が守ってるからなんだと。自分も行かなきゃってなって、やっぱまた自分も突っ込むっていう、この無限ループが。
ジャンヌがいない戦いなら、兵士たちは様子を見ながら少しずつ攻めていたはずです。ジャンヌが真っ先に飛び出し、全員がそれに続いたことで、結果的にフランス軍の攻撃は奇襲になりました。
イングランド軍は、フランス軍がいきなり攻めてくるとは思っていませんでした。予想外の猛攻に気持ちで負けて総崩れになり、オルレアンの城壁に最も近いトゥレル要塞まで退却します。
ジャンヌが突撃
神がついていると信じ、恐れずに先頭で突っ込む
兵士が追随
少女が突っ込むのは神の守りがあるからだと考え、兵士も続く
結果的に奇襲
フランス軍がしてこなかった動きになり、イングランド軍が不意を突かれる
イングランド軍が総崩れ
気持ちで負けて逃げ、砦が落ちる
楊さんは、オーギュスタン砦を落とす前のエピソードも紹介します。サンルー要塞の勝利の後、ジャンヌには批判も集まりました。何の権限もないのに指揮官のように振る舞っているという反発で、ある隊長は「神しかその過去を知らない娘」に指揮されてたまるかと言ったそうです。
隊長たちはジャンヌ抜きで軍議を開き、終わり間際になってようやく彼女を招き入れました。将軍たちが隠し事をしていると感じ取ったジャンヌは、「あなたたちが隠している以上、私もこれから私のしようとすることを申し上げるつもりはありません」と言って席を立ったと伝えられています。
深井さんはこの振る舞いを、以前の回で扱ったケマル・アタテュルクと比べます。似た行動に見えても、その根拠がまったく違うという指摘です。
戦略と作戦があり、状況を理解したうえで行動している
戦略も作戦もなく、神の声を聞いたという確信だけで行動し、結果を出す
けど、神の声聞いたっていう自分の中の確信だけでこれをやってる。それが結果ちゃんとパフォーマンス出すっていう、この構図。バグでしかない
楊さんによると、軍議の翌朝、ジャンヌは本当に自分で出撃します。旗を振ると、先の戦いで彼女を信じた兵士たちが集まりましたが、出撃許可が出ていないため城門は閉じられていました。
門の前で押し合いへし合いの大混乱が起き、ジャンヌに加勢する人が増えるうちに、門は勝手に開けられてしまいます。統制のない群衆がジャンヌを先頭に城外へ飛び出し、オーギュスタン砦のイングランド軍へ突っ込んでいきました。
驚いたイングランド軍は一度砦に逃げ込んだあと、打って出て白兵戦になります。一進一退の激戦の中、城内から戦友のラ・イルが応援に駆けつけ、最終的にオーギュスタン砦は陥落しました。
負けたら弾けるバブル、「信頼のレバレッジ」とは?
深井さんは、オーギュスタン砦の戦いを振り返り、ジャンヌは指揮命令系統を乱し軍の規律を壊したが、勢いがすごすぎて勝ってしまったと話します。運がいいだけとも言えず、普通なら負けてもおかしくない戦い方でした。
もし負けてたらバブル完全に弾けてるわけよ。
兵士たちがジャンヌについていく理由は、彼女が神の声を聞いたということ以外にありませんでした。もし負けていたら、神の声など聞いていなかった、あるいは悪魔の声だったと受け取られていたはずだと深井さんは説明します。
ところが半年間何もできなかった戦況が、ジャンヌについていくと一瞬で覆りました。深井さんはこれを以前の回でも触れた「信頼のレバレッジ」と呼び、株価が上がり続けるような状態だとたとえます。
将軍たちも最初は規律が乱れたら終わりだと考えていました。けれども彼らもキリスト教の世界観の中で生きているため、結果を見るうちに、もしかして本当に神の声なのではと認識を書き換えていきます。
楊さんはこの構造を、結果を出すから信じ、信じるから結果が出るというループだと言い表しています。
フラットに見たらね、ジャンヌに何の戦略もないし、規律乱してるだけだし。でも勝つんで。ここら辺がなんていうかな、僕から見たら喜劇ですよね。
ただし深井さんは「全員勘違いだけど勝つ」と言ったあとで、ジャンヌはカトリック教会では聖人であり、本当に神の声を聞いたのかもしれないと付け加えています。
援軍を待たずにトゥーレル要塞へ、祈りと軍旗が決めた最終決戦
残るは、オルレアンの城壁に最も近いトゥーレル要塞でした。ここを落とせば、イングランド軍が押さえていた周辺の砦をすべて取り返したことになり、オルレアン解放の最後の要となります。
オーギュスタン砦を落とした将軍たちは戦果に満足して宴会を開き、トゥーレル要塞は王太子の援軍を待ってから攻めようとジャンヌに提案します。これにジャンヌは激しく怒ります。
いや、あなた方にはあなた方の作戦があるでしょうけど、私の作戦、主から来てるんですけど。で、その主はもうすぐ行けって言ってますよみたいな感じで、マジキレるんですよ。
最初はジャンヌを無視していた将軍たちも、この段階では彼女の言い分を受け入れます。軍議でジャンヌの意見が正式に採用され、援軍を待つ案はひっくり返されました。深井さんは、戦争の常識からすればジャンヌのペースだけが異常に速かったと話します。
攻撃の日の早朝、ジャンヌはミサに参加し、聖体拝領 ── キリストの血と肉を表すワインとパンを受け取る、キリスト教で重要な儀式。カトリックではミサの中心的な部分にあたりますを行います。深井さんはこれを、怒られるかもしれないと断りつつ「徳ゲージを上げる」行為だとたとえています。
楊さんによると、フランス軍はトゥーレル要塞の壁に迫りますが、精鋭のそろったイングランド軍の抵抗は激しく、なかなか攻めきれませんでした。深井さんの説明では、ジャンヌは縄梯子を砦に掛けて自ら真っ先に登り、首と肩の間に矢を受けてしまいます。
ジャンヌは泣いたものの、すぐに気持ちを切り替え、傷の手当てを受けて戦列に戻ります。そして退かずに、疲れた兵士たちを励ましました。矢が刺さっても励ます少女の姿が、兵士の心を強く動かしたといいます。
それでも夕方まで要塞は落ちず、深井さんと楊さんは、兵力が足りず援軍を待つべきだという将軍たちの見立てはおそらく正しかったと見ています。将軍たちは退却を決めかけました。
祈って戻ってきて、神がついてますって言うんですよね。砦は私たちのものですって言って。で、もう一回攻撃しろって攻撃させるみたいなね。何の戦略性もない。
ジャンヌはぶどう畑でひざまずいて祈り、戻ってくると再攻撃を命じました。本来なら心が折れる場面で、再びフランス軍に勢いがついたのです。
楊さんは別の本の描写も紹介します。疲れた旗持ちの兵士がジャンヌの軍旗を別の兵士に預け、前の方に立ててくれと頼みました。振り返ったジャンヌは旗が見知らぬ者の手にあるのを見て、敵に奪われたと勘違いし、猛然と突進して旗を奪い返し、大きく振ったといいます。
その旗を見た兵士たちが再び集まり、一斉に砦へ突進します。このタイミングでの猛攻にイングランド軍はパニックに陥り、トゥーレル要塞はついに陥落しました。
オルレアン解放の熱狂と、勝利の「フラットな分析」
トゥーレル要塞の戦いでイングランド軍は多くの兵士や将校を失いました。フランス軍はまだ周辺に残る敵を警戒し、しばらく要塞に立てこもります。翌日、イングランド軍が退却したことをもって、オルレアンは解放されたとされます。
ジャンヌたちがオルレアンに戻ると、民衆は鐘を鳴らしまくり、神の使いが街を解放してくれたと熱狂しました。深井さんによれば、オルレアンでは今もジャンヌ・ダルクの祭りが毎年開かれています。
この全ての砦と要塞を、ノー戦術ノー戦略の突撃で全部落とすっていう。
楊さんは、この勝利の効き方を「振り」にたとえます。優秀な将軍が緻密に勝つよりも、あいつにできるわけがないというところから勝ったからこそ、周囲への説得力が大きかったという見方です。
深井さんは、周囲の人々の中で勝利の理由が「神の声だったから」としか説明できなくなったと続けます。とくにトゥーレル要塞では、落ちそうもない場面で神に祈ったら落ちたため、祈りと勝利の因果が完全に結ばれてしまいました。
一方で、ジャンヌが勝てた要因をフラットに分析した記述もあると楊さんは紹介します。攻撃が始まる前に、兵士から慕われていた優秀なイングランド軍の司令官ソールズベリー伯 ── 百年戦争期のイングランドの有力な指揮官。オルレアン包囲戦の最中に砲撃を受けて死去し、イングランド軍に大きな打撃を与えましたが大砲に当たって戦死していたことが、大きな戦力低下になったという見方です。結果的に奇襲になっていたことも、勝因として考えられるといいます。
僕は神の声を聞いた線はゼロにはしてないです。
深井さんは、本当に神の声だったとしても、本人の確信に全員が巻き込まれていたのだとしても、どちらでも興味深いと話します。楊さんは、信仰心で人間がそれだけ変わり、死を恐れず突進できること自体が面白いと応じています。
解放後もオルレアンの市民のジャンヌへの評価は変わらず、ジャンヌが処刑された後も家族を支え、母親に終身年金を渡したといいます。
映画とは違う?ジャンヌを礼賛したデュノワ伯とアランソン公
ここから深井さんは、ジャンヌと一緒に戦った戦友たちを紹介します。映画や演劇によく登場する人物たちが、史実ではどうだったのかを確かめるためです。
めちゃくちゃジャンヌを好き、信奉しているっていう風な描き方をされることがめちゃくちゃ多いです。けど、実際の史実を見ていくと、何名かはそうなんだが、そうじゃないかもしれない人も普通にいるみたいな感じの、ちょっとドライな感じでした。
史実でもジャンヌを慕った人物としてまず挙がるのが、オルレアンの街の指揮官だったデュノワ伯ジャンです。王太子シャルル、のちのシャルル7世のいとこにあたり、10歳まで一緒に育てられました。
シャルル7世は後年、デュノワ伯ジャンについて、生涯尽くしてくれた奉公は特筆すべきもので、若い頃から軍を率いて領土の回復に力のすべてを注いだと回想しています。デュノワ伯も最初はジャンヌに懐疑的だったと思われますが、奇跡を目の当たりにするうちに、ジャンヌを素晴らしいと思うようになっていきます。
デュノワ伯という称号は、ジャンヌの処刑後に功績を評価されて与えられたもので、オルレアン包囲戦の時点ではまだデュノワ伯ではありません。デュノワ伯ジャンは復権裁判 ── ジャンヌの処刑後に行われた、有罪判決を見直す裁判。1456年に処刑は誤りだったとされ、ジャンヌの名誉が回復されましたで、ジャンヌの功績を語り絶賛しています。
次に紹介されるのが、同じくジャンという名のアランソン公です。ヴァロワ家の親戚にあたる名門貴族で、オルレアンでもジャンヌと共に戦いました。
アランソン公は復権裁判で、ジャンヌとの出会いを証言しています。狩りに出ていたとき伝令から、ある乙女がシノンの王太子のもとに来て、イングランド人を追い払うために神から遣わされたと言っていると聞き、急いでシノンへ向かったといいます。
ジャンヌはアランソン公を見て、王家の血筋の方が多くいればそれだけ良い結果が出ると歓迎し、以後「愛しの公爵様」と呼びました。深井さんは、恋愛関係があったわけではなく、神がフランス王家の王位を望んでいるという感覚からの言葉だろうと説明します。
アランソン公はほかにも、ジャンヌの武器の扱いが上手いことに驚いて馬を贈ったと語っています。さらに戦闘中、ジャンヌに「そこを離れないとあの大砲にやられる」と言われて移動した直後、その場所に砲弾が落ち、別の人物が亡くなったという体験も証言しています。
アランソン公はこの出来事を神の声だと感じ、ジャンヌの言葉には毎回驚かされたと回想しています。深井さんは、アランソン公とデュノワ伯ジャンの2人は、史実上の証言の中でもジャンヌを礼賛していると整理しています。
素行の悪い傭兵ポトン・ド・ザントライユとは何者か
深井さんは続いて、戦っている最中はジャンヌをすごいと思っていただろうが、その後どう思ったかはわからない人たちを紹介します。最初が「バーバリアン系」、つまり野蛮人系の戦友です。
ポトン・ド・ザントライユは貴族ではなく、傭兵として戦場を駆け巡って生涯を過ごした人物です。イングランド軍の捕虜に何度もなるほど前線で戦い、傭兵団の中で盗賊行為もしていたといいます。
深井さんによれば、大量の牛や羊を盗むなど素行が悪く、シャルル7世から名指しで盗賊行為をやめるよう言われたほどでした。
一方でポトン・ド・ザントライユには統率力があり、シャルル7世の次の王ルイ11世に、王太子時代から見込まれて盾持ちに取り立てられます。深井さんは、騎士道を無視した野蛮な騎士が実力で出世した例だと話します。ただ、盾持ちとしてドイツ遠征に参加した際も略奪や暴行をしていたらしく、素行は最後まで変わらなかったようです。
イングランド王の義理の息子リッシュモン大元帥の、ぐちゃぐちゃな忠誠遍歴
次に紹介されるのが、フランスの軍事のトップにあたる大元帥となったリッシュモンです。リッシュモンは英語でいうリッチモンドで、イングランドにあるリッチモンドの土地を持っていた人物でした。
リッシュモンはフランス人で、シャルル7世より10歳ほど年上です。父の死後、母がイングランド王ヘンリー4世と再婚したため、イングランド王の義理の息子となり、リッチモンドの土地を与えられました。深井さんは、この時代はまだイギリスもフランスも国としてはっきり分かれていなかったと補足します。
フランスでブルゴーニュ派とアルマニャック派の内戦が起きると、イングランドと結んだブルゴーニュ派につくのが自然なはずでした。しかしリッシュモンはフランス王家への忠誠心から、アルマニャック派を選びます。
その後の所属の移り変わりは、深井さんが「ぐちゃぐちゃ」と表現するほど複雑です。
途中に出てくる王太子ルイは、シャルル7世の兄にあたる人物です。深井さんは、シャルル7世が王になった後の王太子もまたルイだったため、どのルイなのかを時系列で確定させるのが大変だったと明かしています。
アザンクールの戦い ── 1415年に北フランスで起きた百年戦争の戦い。ヘンリー5世率いるイングランド軍が大勝し、フランスの多くの貴族が戦死・捕虜となりましたでリッシュモンはイングランド軍の捕虜になります。しかしイングランド側からすれば、リッシュモンはイングランドの貴族で、しかも先代の王の義理の息子でした。そのため手荒なことはできず、解放したうえでフランス北部の土地まで与えています。
その後、リッシュモンはイングランド側のベッドフォード公に、街道を荒らす野盗を抑えるための兵を貸してほしいと頼み、断られて腹を立てます。関係はさらに悪化し、殴り合いになるほどの喧嘩になりました。
そのタイミングで、シャルル7世からじきじきに大元帥になってほしいと頼まれ、リッシュモンはこれを引き受けます。
めっちゃ忠誠誓うんだって。めっちゃコロコロ変えてんじゃん。だけどいちいちちゃんと忠誠誓ってんだって。
深井さんによれば、リッシュモンは性格がとても頑固で真面目な人物でした。真面目であるがゆえに所属がコロコロ変わったという皮肉な構図です。大元帥になった後、シャルル7世と仲が悪くなっても忠誠は誓い続けたといいます。
話し手の一人は、文献を読むと指揮官としての能力の評価が高く、王の耳が痛いこともきちんと言う筋の通った人だったのだろうと話します。深井さんは、信仰が厚く部下からの信望も厚かったことから、ジャンヌと通じる部分があり、その成果を評価していたのだろうと推測しつつ、それ以上のことはわからないとしています。
「憤怒」の名を持つラ・イルは、なぜジャンヌに忠実だったのか
続いて紹介されるのは、これまでの話にも登場したラ・イルです。ラ・イルは「憤怒」を意味するあだ名で、本名はエティエンヌ・ド・ヴィニョールといいます。
深井さんによれば、ラ・イルは女性にも教会にも勉強にも興味がなく、ただ戦うのが好きな生粋の武人でした。ポトン・ド・ザントライユと一緒に王太子シャルル側についていた人物で、もともとは盗賊団の出身だったようです。
パリの住民の記録には、ラ・イルはアルマニャック派の隊長の中で最も悪く、憐れみの心を知らないタイラント ── 正式な権力がないのに力で支配し、横暴に振る舞う者を指す言葉。日本語では僭主と訳されることもありますで、その悪性ゆえにラ・イルと呼ばれたと残っています。深井さんは、すぐにキレる弁慶のような人物だとたとえています。
ラ・イルは、宿泊先で崩れた暖炉によって片足に一生の障害を負いましたが、足を引きずりながらも普通に戦争へ出ていたといいます。
そんなラ・イルは、ジャンヌをとても忠実に支えたとされます。ジャンヌを信じると誓った最初の一人で、最も忠実な戦友の一人だったと言われています。
ジャンヌもラ・イルに強い影響力を持ち、罪を重ねているのだからと告解 ── 自分の犯した罪を司祭に打ち明け、神の赦しを受けるカトリックの儀式。懺悔とも呼ばれますを厳しく迫り、ラ・イルがそれに従ったというエピソードも残っています。ただし深井さんは、この話はふわっとしていて、どこまで本当かはわからないと注意しています。
青ひげのモデル、ジル・ド・レの伝説はどこまで本当か
最後に紹介されるのが、戦友の中で最も有名なジル・ド・レです。深井さんは、ジャンでもフィリップでもシャルルでもルイでもない名前がやっと出てきたと笑います。
ジル・ド・レが有名なのは、ヨーロッパに伝わる怖い話「青ひげ」のモデルとされているからです。深井さんの説明では、青ひげは子どもを誘拐して自分の城で殺す犯罪者の話で、グリム童話にも収録されていたそうです。
ジル・ド・レは人生の最後に裁判にかけられ、少年たちへの残酷な暴行や殺害を罪状として死刑になりました。通説では、ジャンヌに深く心酔していたのに、ジャンヌの処刑後に狂ってしまったと言われています。
その裁判自体が何の証拠も出てないんだよね。本当は。彼がそういう犯罪行為をしてたっていう証拠は実は一つも出てない。
深井さんは、死刑になったこと自体は本当だとしたうえで、犯罪行為も、ジャンヌへの心酔も、史実としては判然としないと説明します。ジル・ド・レが忠誠を誓っていたボスがアンチ・ジャンヌだったため、ジャンヌへの心酔は矛盾ではないかと指摘する本もあったそうです。
| 人物 | よく語られるイメージ | 番組で紹介された史実上の姿 |
|---|---|---|
| デュノワ伯ジャン | ジャンヌの信奉者 | 復権裁判でジャンヌを絶賛している |
| アランソン公 | ジャンヌの信奉者 | 復権裁判で出会いや命を救われた体験を語り、ジャンヌを礼賛している |
| ポトン・ド・ザントライユ | ジャンヌの戦友 | 素行の悪い傭兵で、戦後にどう思っていたかはわからない |
| リッシュモン | ジャンヌの戦友 | 所属を何度も変えた頑固な大元帥で、ジャンヌへの評価は推測の域を出ない |
| ラ・イル | 忠実な戦友 | 最も忠実な一人とされるが、告解のエピソードは真偽が不確か |
| ジル・ド・レ | ジャンヌに心酔し、処刑後に狂った | 心酔も犯罪も史実上は判然とせず、証拠は出ていない |
深井さんは、こうした戦友たちが最初は懐疑的だったのに、しだいに熱狂していったと想像してほしいと話します。温度差は人それぞれでも、最終的には誰もジャンヌに反論できなくなったというのです。
オルレアンは解放されましたが、百年戦争は終わっていません。神の声がジャンヌに命じたもう一つのミッション、シャルルをランスで戴冠させることが、次回のテーマになります。
まとめ
ジャンヌ・ダルク編第8回では、戦略も戦術もない突撃がフランス軍の士気を高め、結果的な奇襲と「神の声」への信頼のループによって、オルレアンの砦を次々に落としていく過程が語られました。後半では、映画でおなじみの戦友たちが史実では必ずしもジャンヌの熱烈な信奉者とは言い切れないことも紹介されています。
- ジャンヌの突撃が兵士の主体性を引き出し、フランス軍に予想外の勢いを与えた
- 勝つたびに「神の声は本物だ」という信頼が強まり、将軍たちの認識も書き換えられていった
- 勝因のフラットな分析として、イングランド軍司令官ソールズベリー伯の戦死や結果的な奇襲も挙げられている
- デュノワ伯とアランソン公は史実上もジャンヌを礼賛したが、ほかの戦友の心情は不確かな部分が多い
- ジル・ド・レの心酔や青ひげ伝説は、史実としては証拠がはっきりしない





