父のいない家と医者の母、ハーレム作品の原体験とは?
コテンラジオの番外編では、前回・前々回に続いてAV監督の二村ヒトシさんをゲストに迎えています。これまで「心の穴」は幼少期や家族との関係からできると語ってきた二村さん本人が、どんな子ども時代を送ったのかが今回の出発点です。
二村さんは昭和30年代末の生まれで、父親がいない家庭で育ちました。母親は六本木の真ん中で開業医をしていて、お忍びで来る芸能人の性病なども診ていたといいます。
二村さんは、男が威張っている感じが嫌いだと前回から話してきました。痴女ものやレズビアン、ゲイっぽい作品を撮ってきたのは性癖として面白く、男が女を犯す作品よりエロいと感じたからで、その「男が威張るのが嫌い」の根には父親なしで育った経験があるのではないか、と自己分析しています。
ただし二村さんは、自分自身はかなりのナルシストで、自分の男性器が大好きだという矛盾も認めています。女性同士の作品では美しい女性の一人を自分の分身のように思い、女性が男性を可愛がる作品では女優に感情移入している、とも語ります。
二村さんによれば、夫に苦労させられたシングルマザーの息子は「女性を守らなければ」と立派な男性になることが多いかもしれません。けれど二村さんの母親は男のような人で、家には看護師や家事を手伝う女性が大勢いたため、二村さんはむしろ甘やかされて育ったといいます。
二村さんは、複数の女優が1人の男性を可愛がる実写の「ハーレムもの」を最初に手がけた監督の一人だと自認しています。その背景には、家の中で男は自分だけだったという原体験があるのではないか、と二村さんは話します。
慶應幼稚舎から中退へ、エリートコースはなぜ途切れたのか
二村さんの母親は、息子を医者にしたいと考え、慶應義塾の小学校である慶應の幼稚舎 ── 慶應義塾が運営する私立小学校。ここから中学・高校・大学まで内部進学できる一貫教育の入口として知られますに入れました。周囲は大金持ちばかりだったといいます。
一方で二村家は代々の医者ではなく、母方の祖父は板前、祖母は芸者でした。二村さんは、水商売の家から戦後にたまたま一代だけ医者が出た家だと説明しています。
勉強をせずにエッチなことばかり考えていた二村さんは、高校時代に校長から内部進学組がまとめて叱られたというエピソードを紹介します。「お情けで大学に入れてやるが、外から受験で入った学生にバカがばれないようにしろ」という趣旨の叱られ方だったそうです。
大学は中退しています。卒論は書いたものの単位が足りず面倒になったといい、二村さん自身は、そもそも就職する気がなかったのだろうと振り返ります。そして話は「それでAV男優になる」と一気に飛びました。
慶応大学からのAV男優が急すぎる。本当に。
演劇、声優養成所、AVのADへ。本人には「急じゃない」転身
二村さんにとって、慶應からAV男優への道は少しも急ではなかったといいます。高校時代から演劇をしていて、大学では自分の劇団を作り、小劇場演劇ブーム ── 1980年代を中心に、小さな劇場で上演する若手劇団が次々に人気を集めた現象。多くの俳優や劇作家がここから世に出ましたの終わりごろに活動していました。同世代として宮藤官九郎さんの名前も挙がります。
小学生のころから性のことばかり考え、女性器の絵を描いていたという二村さんは、どの学校にもいた「エッチ博士」の話を振ります。たいてい医者の子どもで、親の本を読んで知識だけは豊富だったのではないか、と二村さんは笑います。
劇団と並行して、二村さんは声優の養成所にも通っていました。医学部に進める成績ではないことは高校の途中でわかっていて、サラリーマンも無理だと思っていたからです。同期には声優の子安武人さんがいたといいます。
同じころ、AV制作会社のAD募集に日雇いで参加したことが転機になりました。二村さんは当時、AV男優になるか声優になるかという分かれ道に立っていたと語ります。
「エッチなことでお金をもらえる」という自己認識と、親への嫌がらせ
聞き手は、AVに出ることへの心理的なハードルはなかったのかと尋ねます。
全然心理的ハードルはなかったんですかね、AV男優のところは。
二村さんの答えは、エッチなことをしてお金をもらえないほうが変だと思っていた、というものでした。聞き手は、当時は今以上にAVがタブー視されていたはずで、母親や親戚の目は気にならなかったのかと重ねて問います。
二村さんは、母一人子一人の家で、祖父母は板前と芸者だったので水商売に抵抗はなかったと説明します。そのうえで「親への嫌がらせがしたかったのかもしれない」とも口にし、聞き手はそこに心の穴が見えた気がすると反応しました。
二村さんは例として、慶應の後輩にあたる文筆家の鈴木涼美さんを挙げます。学生時代にAVに出演し、東大の大学院に通いながら活動を続け、引退後に日本経済新聞社へ入り、今は過去を隠さずに書いている人物として紹介されました。父親は著名な翻訳者だといいます。
二村さんは以前の回で「いいお家の子がAV女優になることがある」と話したことに触れ、あれは自分のことでもあったと認めました。ただ、犯罪で迷惑をかけるような反抗ではなく、AVに出るのはいいことだと思っていたといいます。「わからない」で済ませるのはごまかしで、ここも自分の欲望を因数分解すべきところだ、と二村さんは付け加えています。
外からどう見られるかの重みにも、ジェンダーの差があると二村さんは指摘します。周囲の目を強く気にするのはAV女優になる女性のほうで、男はAV男優になったやつを「すげえ」と持ち上げるからです。
男優としては不向き、気がつけば監督に
二村さんは、駆け出しのころに加藤鷹さんと共演し「超人のセックスはすごい」と感心したものの、自分は男優としてはあまり優秀ではなかったと振り返ります。それでも紆余曲折を経て、気がつけば監督の側にいました。
二村さんは監督のほうが明らかに向いていたと言います。痴女ものを仲間と作っていた2000年から2001年ごろには、自分が日本のAVを作っているような気分で、ある種の男性には大いに受けたそうです。
監督歴は20年ほどで、盛んに撮っていたのは10年ほどだといいます。現在は本を書いたり話したりする活動が中心で、ソフト・オン・デマンドで若手監督の作品を見て「エロくない」と指摘するような顧問的な役割を担い、本人は冗談めかして「老害」と呼んでいます。
この年表は、本人が「急ではない」と語る転身が、演劇と性への関心という2本の線の延長にあったことを示しています。
欲望は作れる。橋本治から受け取った「まっすぐさ」
監督になってから気づいたことを聞かれた二村さんは、まず作品づくりの実際を語ります。好みの女優をキャスティングし、面接でどんなエッチが好きかまで聞いたうえで撮っていましたが、女優2人に男1人の撮影は見た目こそ天国でも、裏側は体力的にとても大変だったといいます。そのため次第に、行為そのものは男優に任せるようになりました。
監督の名前で作品が売れた最後の時代に、二村さんの痴女ものは大きく受けました。自分の性癖がこんなに多くの人に楽しんでもらえるという発見とともに、二村さんは人の欲望は作れるという実感を得たと話します。
二村さんは、男性の女装ものやマゾの男性の作品も撮っていますが、自分を変態だとはあまり思っていないといいます。「変態と言うけれど本当は皆さん好きでしょう」という自信があるからです。
二村さんがその姿勢の手本として挙げるのが、作家の橋本治 ── 昭和から平成にかけて活躍した作家・評論家。小説のほか、古典の現代語訳や生き方をめぐるエッセイなど幅広い著作で知られますです。二村さんによれば、橋本治はゲイであることを変態とは捉えず、たまたま性の対象が男性だっただけで、自分の生き方は王道だという態度で書いていました。文章はひねくれていても、生き方はまっすぐに見えたといいます。
二村さんは、自分の仕事は日陰の仕事で恥ずかしさもあるけれど、「自分にとってはまっすぐなもの」だという点が大事だと話します。聞き手はこれを、判断の軸が外ではなく自分の中にあるということだと受け止めました。
とはいえ二村さんは、今も人に嫌われていないか、特に女性に嫌われていないかがとても気になるといいます。それでも自分がいいと思うものは曲げられず、演劇では売れなかったのに30歳を過ぎてAVで食べられるようになったことで「これでよかった」と思えた、と語ります。性癖という自分の根幹で受け入れられた成功体験が大きかったようです。
性的な幸せとは何か。役を演じるから本当のことが言える
聞き手は、二村さんにとって性的に幸せな状態とは何かを尋ねます。二村さんの答えは、セックスの場では嘘をつかなくて済むこと、そしてみんなが性的に幸せになれば世の中もよくなるはずだ、というものでした。
二村さんによれば、大人は資本主義の中でお金を稼ぐためや生活のため、子どもの前でのきれいごとのために嘘をつかざるを得ません。だからこそ、性を通じて自分と向き合うときは自分に嘘をつかないほうがいい、と話します。
二村さんは、自分の欲望がよくわからないのは女性に多いと見ています。痴女ものを演じる女優の多くは私生活ではごく普通の人で、求められることを頑張ってこなす人たちです。それでも面接で「男をやっつけたいと思うことはないか」と聞くと、みんな心の中に何かがあるといいます。
二村さんによれば、恋人の前ではのびのびできない女性が、カメラの前ではのびのびできることがあります。台本がある以上それが本当の解放なのかは難しい議論だと断ったうえで、演劇をしていた二村さんは「役を演じるから自由になれる」ことがあると考えています。
(役を演じると)守んなくてよくなりますからね、自分のことを。
二村さんは、嫌々出演している女優も、型通りのつまらない作品もたくさんあると認めます。そのうえで二村さんにとって「エロい」とは、女性がガチになっていて、女性の欲望が見えることだと定義しました。
二村さんは、それが本心なのか、稼げるとわかって演じているのかは外からはわからず、本人にもわからないかもしれないといいます。ただ人は、社会やモラルが求める「いい恋人」「女らしい振る舞い」を内面化し、微調整しながら生きているのではないか、と二村さんは指摘します。
女性は性欲があってはいけない
男性を喜ばせる程度の性欲は必要だが、ありすぎると男性が萎える
二村さんは、こうした内面化は女性だけでなく、金を稼いで勃起しなければモテないと思い込む男性にも当てはまると付け加えます。
演劇と哲学、そして「議論」ではなく「対話」としての恋愛
聞き手は、二村さんの人間洞察がどこから来たのかを尋ねます。二村さんは、実社会で大きな苦労をしたわけではなく、演劇、AV男優、AV監督とそれぞれの場で苦労した程度だと答えました。大学時代から専門外の心理学をかじっていたことは認めています。
哲学への関心は、周囲の哲学者が二村さんの話を面白がってくれたことから深まったといいます。共著『欲望会議』のメンバーである千葉雅也 ── 立命館大学の准教授を務める哲学者。ゲイであることを公表しており、現代思想の研究や小説の執筆でも知られますさんや、国分功一郎さんら40代前後の哲学者が、現代日本の正義を問題意識として考えている、と二村さんは紹介します。
二村さんは、哲学とは考えてはいけないことまで純粋に考えることだと語り、「歴史とは過去との対話である」という言葉に触れます。聞き手はE.H.カー ── イギリスの歴史家。著書『歴史とは何か』で、歴史を現在と過去との対話として捉える見方を示したことで知られますの名前を挙げました。
二村さんが哲学の本で読んだところでは、議論と対話の違いは「変わるかどうか」にあるそうです。
自分の知識や言い分を持ち込み、相手を変えて「あなたが正しい」と言わせようとする
相手と話したことで自分が影響を受け、対話の前とは違う視点を得る
聞き手はそれを「変わろうと思っているかどうか」という姿勢の問題だと受け止めます。二村さんは、新しい自分になりたくて昔の本を読むのが過去との対話であるように、恋愛やセックスも対話でなければ面白くないと話します。
ところが多くの人は、議論のような恋愛や、議論のようなセックスをしている、と二村さんは指摘します。自分が正しいと思うセックスを相手に要求すること、男性中心の社会では射精のためのセックスがその典型だといいます。二村さんは、好きな女性の欲望を知ることは面白く、それこそが対話だと語りました。
対等さと不均衡、そして『きのう何食べた?』に見るリバーシブルな関係
聞き手は、社会が大きく変わる中で幸せなセックスの形も変わるのではないかと問いかけます。二村さんは、対話をしないことで、欲望を押しつける側も、欲望を隠して嘘をつく側も不幸になると答えました。モテないと思い込んで女性に媚びる男性も、欲望を隠す側に入るといいます。
二村さんによれば、恋愛はたいてい片方が恋をし、片方が威張る形になり、なかなか対等になれません。完全に対等になったら性欲は湧くのか、不均衡があるから湧くのではないかという哲学的な問題も残るとしつつ、一方的な搾取は面白くなく、時代もその方向に動いていると話します。
二村さんは、ゲイのカップルでも男役と女役が固定されていれば男女とあまり変わらないと考え、男女でも同性同士でも「リバーシブル」なセックスがいいと語ります。
例に挙がったのが、漫画『きのう何食べた? ── よしながふみによる漫画で、男性カップルの日常を料理とともに描く作品。ドラマ化や映画化もされています』です。二村さんは、生活をリードし男っぽく見える側が実は料理上手で細やかな性格だという描写に、役割が固定されない関係を想像させる面白さを見ています。
二村さんの結論は、男女でも同性愛でも、やりたいことをやればいいし、そのやりたいことも固定しなくていいのではないか、というものです。
価値観の変化が速い時代、心の穴は決めつけずに知る
聞き手は、神様や王様のような大きな存在が人の心を規定していた時代が終わり、心の穴の形や大きさが人それぞれになっていると話します。二村さんはそこに、テクノロジーによって価値観の回転が速くなったことを付け加えました。
二村さんによれば、明治維新でキリスト教が入ってきたときのような急変は特殊な例で、本来の価値観は100年、1000年単位で変わるものでした。今は変化が速すぎるため、親が子を、あるいはわずか5歳年下の相手を抑圧してしまうといいます。
価値観の高速化
テクノロジーによって価値観の回転が速くなる
世代間の抑圧
親が子を、少し年上の人が年下を自分の価値観で抑圧する
心の穴
心の穴が開きやすくなり、不自由さが増え、形も複雑になる
聞き手は、歴史を学ぶ立場から、見たことのない形の心の穴に出会う機会が増えると話します。だからこそ「この人はこういう人生だからこういう穴があるはずだ」と決めつけず、わかった気にならない姿勢が大事だと改めて感じたといいます。
二村さんも、精神分析もどきで人を決めつけないことに同意します。日本人だから、アメリカ人だから、陰謀論を信じているからといった大きなくくりではなく、丸腰で対話したほうがいいと話しました。
聞き手は、二村さんが本に書いた「人生とは自分の心の穴を知る旅だ」という言葉を引きます。二村さんは、好きになった人に苦しめられることも、ベッドでうまくいかないことも、相手のせいでも自分がダメだからでもなく、自分を知るためにあるのだと語りました。
聞き手は、相手が気持ちいいことを知るとは相手の欲望、つまり相手の心の穴を知ることであり、そのためにはコミュニケーションが欠かせないとまとめます。二村さんは、セックスにはそれがあからさまに出ると応じました。
セックスでなくてもいい。欲望と向き合い、威張らずに生きる
二村さんは、自分がセックス好きだからこういう主張になるのだと断ったうえで、全人類がセックスすべきだという意味ではないと強調します。アセクシャルの人も、したくても機会に恵まれない人もいて、セックスしている人が偉いわけでもありません。
二村さんが大事だと考えるのは、自分の欲望に正直になり、それが人を傷つけないようにすることです。対象はラーメンを食べることでもかまわず、セックス好きは単なるセックスオタクにすぎない、と二村さんは笑います。
二村さんは、セックスから遠ざかりたいという心の穴を持つ人も含めて、みんなそれでいいと語ります。そのうえで、ひねくれずに、セックス以外でもいいから自分の欲望と向かい合うことが大事だと話しました。聞き手は、その一言に尽きると受け止めています。
二村さんが難しいと感じるのは、ごまかさないことです。知識で権力を持ってモテようとする評論家タイプは、本当は寂しさをごまかしていて、その裏の欲望が透けると周囲から気持ち悪がられる、と二村さんは指摘します。しかも本人がそれに気づいていないことが多いといいます。
二村さんは、本当の自分の欲望に気づくことが幸せになる道だと語ります。聞き手の一人は、自分が歴史を学ぶのも本当の自分を知るためで、いろいろな人間を見なければわからないからだと応じ、二村さんは「歴史は鏡のようなもの」と返しました。
聞き手の一人は、年長の歴史好きに自分の好きな歴史を押しつけられた経験を語り、自分を探すために歴史を見ているので人の好きな歴史には興味が持てないと話します。二村さんは、哲学の知識をひけらかす人や、スケベでもないのに威張るAV監督も同じで、そこにも心の穴があるのだろうと述べました。
最後に二村さんは、男性向けの『すべてはモテるためである』と、男性が読んでもいい女性向けの『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を紹介しました。どちらも自分の欲望と自分自身を許すことを書いた本だといいます。さらに、哲学者や美術家と3人で現代の欲望や炎上を語った『欲望会議』が角川文庫から出ることも告知されました。
まとめ
二村ヒトシさんの半生は、父のいない家と医者の母、演劇と性への関心が自然につながった道のりでした。その経験から語られたのは、自分を変える「対話」としての恋愛やセックスと、欲望をごまかさず威張らずに生きることの大切さです。
- ハーレムものや痴女ものの原点には、女性に囲まれて甘やかされた幼少期の原体験があると二村さんは自己分析している
- 慶應中退からAV男優への転身は、演劇と性への関心の延長で、本人にとっては急な選択ではなかった
- 役を演じるからこそ自分を守らずに済み、本当の欲望を出せることがある
- 恋愛やセックスは、相手を変えようとする議論ではなく、自分が変わる対話であるほうが面白い
- 心の穴を決めつけず、セックスに限らず自分の欲望と向き合うことが、自分と他人を知る道になる


