就任直後の半年、なぜ「中川さんのコピー」に陥ったのか
仙石綾さんは中川政七商店の社長に就任してから最初の半年ほどを振り返り、混乱していてあまり記憶がないと話します。当時の中川政七さんは、相談を受けても「自分が言うとそうなってしまう」として、あまり答えを返さなかったといいます。
聞き手は、中川さんの対応を仙石さんに判断を促すものだと受け止めます。社長という肩書きと責任を渡すことで人を育てるのが、社長交代の目的だったからです。
仙石さんの混乱の理由は、中川さんのやり方をどうしても追ってしまったことにありました。中川さんのコピーは求められていないとわかっていても、仙石さん自身の言葉で言えば「劣化版」にしかならない進め方に陥る期間があったそうです。
仙石さんが何かの折にその迷いを口にしたとき、中川さんと「そうじゃない」という話を改めてしたといいます。そこから、中川さんが1人で担っていたことを、ミドルマネジメント層が役割分担して担う組織を作るべきだと、半年後ぐらいに捉え直しました。
仙石さんの新体制では、仙石さん自身が代表とブランドマネージャーを兼ね、中川政七商店というブランドをどうするかを担いました。一方で短期的なPL ── 損益計算書(Profit and Loss statement)の略。一定期間の売上や費用、利益を示し、事業の短期的な成績を見る指標になりますを見る副社長を置くなど、役割を分けていきます。
中川さんが基本的に全体を見て、ほぼ1人で経営を担う
仙石さんがブランド、副社長が短期的なPLを担うなど、役割分担で経営する
聞き手は、自分なりのやり方を半年で見つけたことを短いと評します。ただし中川さんによれば、社長・副社長・会長の3人で役割を明確に言葉にしたのは3年目ぐらいで、その直後にコロナ禍に入ったそうです。仙石さんは、14代目で会社を潰すのではないかとドキドキした時期だったと振り返ります。
なぜ仙石さんが選ばれたのか。人徳とコミュニケーションの種類
中川さんは、仙石さんを後継に選んだ理由をよく聞かれるといいます。答えはいつも「バランス感覚、コミュニケーション能力、人望の3つ」だそうです。
中川さんによれば、会社が大きくなると、トップがすべての分野のエキスパートである状況は望めなくなります。それでも最終判断はトップが下すので、わからないことをどうバランスさせて落としどころを見つけるかが強く求められ、仙石さんにはそれができると考えたといいます。
聞き手は、人徳にもタイプがあると整理します。何も言わなくても好かれるタイプ、人をエンパワーメントするタイプ、圧倒的な能力で尊敬されついていかれるタイプ、そして環境を設計して自分は目立たないタイプなどです。
中川さんは、仙石さんはこの中ではエンパワー型に近いと答えます。ブランドマネージャーとして独立採算で事業を担っていた頃、仙石さんのチームが一番楽しそうに働いていて、上からではなく横並びでコミュニケーション量が多いところにうまさがあるといいます。
コミュニケーション能力についても、中川さんは、仙石さんは相手の考えを汲み取る力が高く、論理と感情のバランスを取りながら伝えるのが上手だと評します。仙石さん自身は、制作ディレクターとして長く働いた経験が影響しているかもしれないと話します。
仙石さんの前職の広告制作は、カメラマン、コピーライター、デザイナー、ヘアメイク、スタイリストなどとチームを組まなければ成り立ちません。何を共有すれば同じ方向で楽しく頑張れるのかという感覚は、10年以上その仕事を続ける中で身についたのかもしれないといいます。
全社員メールに嘘を混ぜない理由
コミュニケーションで気をつけていることを聞かれた仙石さんの答えは、思っていないことを言わない、嘘は言わない、というものでした。
仙石さんは月に1回、全社員にメールを送り、その時の課題感や考えていることを書いています。少しでも嘘が混じると送信ボタンが押せなくなり、書き上げるのにすごく時間がかかることもあるそうです。
仙石さんは、嘘なく書けたと思えるメールほど社員からの返信が多いと感じています。声のトーンがわからない文章でも、人は思っていないことが書かれているかどうかを察知するのだろうと話しています。
メリットのない社長職を8年続ける動機は何か
聞き手は率直な疑問を投げかけます。仙石さんは創業者でも創業家でもなく、自ら強く社長になりたかったわけでもありません。それでも社長を引き受け、8年続けている動機は何なのかという問いです。
仙石さんの答えはビジョンでした。工芸のものづくりが100年後の世界に残っているほうが豊かだろう、という考えへの共感が入社以来あまり変わらないといいます。工芸至上主義ではないと断ったうえでの言葉です。
仙石さんにとって社長は役割であり、より適任の人が現れたら明日からでもサポート側に回ると本当に思っている、と話します。就任時には最低10年という約束をしていて、収録時点で8年が経っていることも明かされました。
会長になった中川さんは何が変わったのか
社長を退いて会長になった中川さんは、まず口内炎が減ったと笑います。社長時代とはストレスがまったく違い、社長は大変だといいます。一方の仙石さんは、口内炎も白髪も増えたそうです。
中川さんは会長になってからも、社長が一番偉いという前提で役割を果たしてきました。取締役会で意見が割れても、議論を尽くした最後は仙石さんが決めるといいます。
工芸を元気にするという思いは変わらないものの、取り組み方は変わりました。中川さんの時代には積極的でなかった海外展開に、仙石さんの代からコツコツと取り組んでいるそうです。
仙石さんによれば、アジアを中心にリサーチを進め、最近はヨーロッパの一部にも広げています。一部商品の卸のほか、上海、北京、ソウル、台北などでポップアップも試しているといいます。
中川さんは海外展開にはまったく関わっておらず、担当しているのはコンサル部門と新規事業の立ち上げです。退任後も、コンサルで中川さんにしかできない部分は外注という形で引き受けると話しています。
会長退任を決めた2か月の休みと「333周年」
中川さんが会長退任を決めたのは、一昨年の夏に初めて取った2か月あまりの休みの間でした。1年ほど前から段取りをして、基本的に会社に行かない時間を作り、旅をしながら今後を考えたといいます。
休みを取るきっかけは、当時48歳ごろで体調の変化があり、この先どうしていくかを考え始めたことでした。中川さんの父と祖父は、どちらも会社の周年事業のタイミングで、74〜75歳で偶然亡くなっているそうです。
中川さんは、中川政七商店が333周年を迎える頃にちょうど自分が75歳になると気づきます。そこで人生の区切りを仮置きし、25年ずつの3つに分けて考えると、最後の25年を今のペースの仕事にすべてかけて走り切るのは違うと思ったといいます。
体調の変化
48歳ごろ、体調の変化がありこの先を考え始める
人生の仮置き
父と祖父の例から、75歳で区切りと仮置きし、残りを25年と捉える
会社の状況
新体制がコロナ禍を乗り越え、過去最高の売上が見込まれる
退任の決断
自分がいなくてもうまくいくと考え、このタイミングで辞める
もう1つの理由は会社の状況でした。新体制がコロナ禍を乗り越え、今期は過去最高の売上になりそうなほど順調なので、中川さんがいなくてもうまくいくだろうと考えたといいます。
なぜ会長の座に居座らないのか
聞き手は、会長職に就いたまま好きなことだけをするのが一番得ではないかと問います。報酬も入り、中川政七商店の会長という名前でさまざまな活動もできるからです。
中川さんは、それが嫌だったと答えます。発展途上の中小企業の経営陣として果たすべき熱量と能力の基準が自分の中にあり、それを果たせないのに地位に居座ってはみんなに顔向けできないと考えたそうです。役職は役割であり、果たせないなら降りるべきだという考えです。
聞き手は、会社を立て直した功労者が自負にすがって執着するのはよくあることだと指摘します。中川さんは、入社時から自分の会社だという感覚があまりなかったことに加え、コテンラジオで国家や組織が衰退するパターンを散々聞いてきたことも大きいと話します。
ただし中川さんは、未練がまったくないわけではないと付け加えます。父は会社を家業だと思っていたはずで、中川さん自身も第二創業と言われるような自負や、会社を作品のように感じる気持ちはあるといいます。
海外展開や工芸メーカー支援を一段踏み込む時期に来ていて、中川さんはここからの10年はきっと面白くなると感じています。そこにいないことに後ろ髪を引かれつつも、そのくらいでやめるのがいいと話し、何の未練もないようでは会社として魅力がなさすぎるとも語りました。
中川さんは退任を1年前に社内へ伝えています。最後の1年でまだ残せるものがあり、受け取る側にもその気持ちでいてほしいと考えたからだといいます。
聞き手は、中川さんの話から、頑張ってきたことを自分自身とイコールで結ばない感覚を見習いたいと話します。人生が75年や100年と長くなるなら次のステージが必要で、自分がいなくてもよい組織にするほうが公共性も高いという受け止めです。
会社のビジョンと個人のビジョンは分けられるのか
中川さんは、執着をどう外したのかという問いに、ビジョンの話で答えます。会社のビジョンは中川さんが1人で考えて作ったもので、社長時代は個人のビジョンとほぼ完全に一致していたといいます。
社長を降りて会長になった時点で、中川さんは個人のビジョンは別にあるかもしれないと意識できたそうです。それが少しずつ見え、工芸の枠を外れてやりたいと思ったことが今回の退任につながりました。一方で、社長在任中は2つのビジョンを完全に重ねるべきで、そうでなければ務まらないとも話します。
中川さんの個人のビジョンはまだ定まっておらず、急がないつもりだといいます。手がかりは「学ぶ」「成長する」「遊ぶ」あたりで、聞き手が小学生みたいだと驚くと、中川さんもそこに帰るのだと認めます。
中川さんは、25年間経営者をやってきて思考も行動も完全に経営者OSになっていると話します。学生時代はそうではなかったはずで、このまま突っ走れる人もいる一方、自分はうまくできず不幸になりそうだと感じたといいます。
退任まで1か月あまりとなった収録時点で、中川さんは次のOSにどう馴染むかを考え続けています。25年染みついたものは簡単には外れないため、具体的に何をするかは決めず、まずは余白を作ろうとしているそうです。
仙石さんが見た、キレッキレから「ふわっと」への変化
仙石さんは、中川さんが「ふわっとさせている」と口にしていること自体がすでに不思議だと話します。10年以上一緒に仕事をしてきて、そういうタイプではなかったからです。
仙石さんの知る以前の中川さんはキレッキレで、とてもストイックでした。課題を課題のまま置いておくことはせず、早いことはいいことだ、寝かすな、という姿勢だったといいます。
キレッキレでストイック。課題を寝かせず、早く解決して前へ進む
次に何をするかをあえて決めず、ふわっとさせて余白を作る
聞き手は、自分の意思でモードを変えられる経営者はほとんどいないのではないかと話します。サッカー選手が何でもサッカーで例えるように、経営者はプライベートでもすぐ戦略を立て、ハックし、資産を増やそうとしがちだといいます。聞き手自身も、ここ数か月の体調不良でモードの切り替えを余儀なくされていると明かしました。
父の問い「集中力どれぐらい持つねん?」
中川さんは、年齢とともに体が変わり、昔ほど長く働けず集中力も続かなくなると話します。その状況で経営者OSのまま走り続ければいびつになるしかなく、それがいわゆる老害を生み、会社にとってもよくないと考えています。
中川さんには、20歳ぐらいのときに父から「お前集中力どれぐらい持つねん?」と突然聞かれた記憶があります。大学受験の数学が90分だから90分は余裕だと答えると、父は「ふーん」と言っただけで話は終わったそうです。
いま中川さんの息子がちょうどその年齢になり、中川さん自身が集中力の低下をはっきり感じています。父も当時、同じ衰えを感じてあの質問をしたのだろうと、中川さんは振り返ります。
中川さんは、同じノリで続ければ昔はもっとできたとしか思えず、不幸にしかならないといいます。そこで挙げるのが、流動性知能 ── 新しい問題をすばやく処理・推論する力。一般に若い頃にピークを迎え、年齢とともに低下しやすいとされますは落ちても結晶性知能 ── 経験や知識の蓄積に基づく判断力や理解力。年齢を重ねても維持・向上しやすいとされますは上がるという考え方で、コテンラジオの「老いと死の歴史」でも扱った話です。
経営で多く求められる力。年齢とともに落ちていく
年齢とともに上がる力。違う価値観で生かせば幸せに生きられる
中川さんは、経営は流動性知能や効率を多く求めるので、その軸だけでは落ちていくしかないと話します。違う価値観に移れば幸せに生きていけるという考えで、会社を優先しつつも、同じぐらい最後の25年をどう生きるかを考えているといいます。75歳以降は「ラッキーボーナス」だそうです。
仙石さんはいま、どんなOSで経営しているのか
最後に聞き手は、会長退任で役割がさらに重くなる仙石さんに、いまは経営者OSで動いているのかと尋ねます。
仙石さんは、ゲームに勝ち続けることを楽しいと感じる経営者マインドは、そもそもあまりないと答えます。仙石さんの本来のOSは、いいものを作りたい、表現をこうしたいというクリエイティブの側だといいます。
社長になってからの8年間、仙石さんは経営としての戦い方や考え方をある程度求められ、OSを強制的に切り替えている途中にいると話します。昔は自然に答えられた「何が得意か」という問いに、いまは答えるのが難しいそうです。
8年目の仙石さんは、自分の強みがどこで最も生きるのかを今も試行錯誤しながら社長を務めています。話は次回へと続きます。
まとめ
この回では、中川政七商店の社長交代と会長退任を通じて、リーダーの座を自分自身ではなく役割として捉える姿勢が語られました。中川さんは年齢と体の変化を受け止め、経営者OSから次のOSへ移ろうとし、仙石さんは逆にクリエイティブのOSから経営のOSへの過渡期にいます。
- 仙石さんは中川さんのコピーをやめ、役割分担の組織を作ることで自分たちらしい経営を見つけた
- 仙石さんが社長を続ける動機は、工芸が100年後に残るほうが豊かだというビジョンへの共感
- 中川さんは、役割を果たせないのに会長の座に居座るべきではないと考え、退任を決めた
- 流動性知能の衰えを受け入れ、結晶性知能を生かす別の価値観へOSを切り替えるという考え方が示された





